永遠の煩悩者 第三十話 前編
常在戦場の日々
横島は一日ぶりの、この世界にとっては一ヶ月ぶりの自室で書類に目を通していた。
時間の流れが違うというのを理解できても実感は薄かった。それでも、こうして書類に目を通していると本当に一か月経ったのだと認識はできる。
幾つかの報告を確認した横島は嘆息すると、目の前の義妹を見つめた。
「まさか一ヶ月も経ってるなんてな~」
「本当に色々と大変だったんだよ! 兄さんが居なくなって、仕事はトンでもないことになるし、もう皆パニックで!! しかも兄さんは何食わぬ顔でただいま~って帰ってきてさ! 友達のレムリアちゃんはレスティーナ様で女王様だよ! もう訳が分からなかったんだから!!」
「そう怒るなって。これは不幸な事故だったんだぞ。」
ルルーは様々な怒りを横島にぶつけた。
天災にあったようなもので横島に非は無いのだが、それでも文句を言いたかったのだろう。
怒れる妹に横島は苦笑いを浮かべるが、その表情をゆっくりと曇らせる。
「おまえ……ちょっと痩せたか? 大変な時にいなくて悪かった」
笑みを消して沈痛に言った。
大変な時、というのは別に横島がいなくなって寂しいとかではない。
横島が居ない一ヶ月間の間に、第三詰所は戦闘で死亡者を出したのだ。
死亡したスピリットは三人。それぞれの名前を確認して、横島は悔しげに下唇を噛んだ。
「全員、心が最後まで戻らなかったスピリットだな……くそ」
その三人の顔は覚えていた。第三詰め所のメンバーが少しずつ表情を取り戻していく中で、まったく心の回復しないから印象は深かったのだ。
しかし声はよく覚えていない。うっすらと平坦な声だ、としか印象が無かった。彼女達が喜怒哀楽を感じたことが無かったからだろう。
結局、最後の最後まで笑顔一つ作らせて上げられなかった。
ただ生まれて、心を壊されて、散る。それが彼女達の一生となってしまった。楽しい思い出すら無く、生まれてきて何の意味があったのだろうかと、横島は胸が苦しくなる。
「兄さん、お願いだからあの子達の命が無駄だったなんて思わないで」
考えを読み取ったルルーが、真剣な眼差しで言った。
「あの子達の生には意味があった。ううん、そうじゃない。意味があったようにしてみせる!
ボク達は生きぬいて幸せになって、皆にこういうんだ。『ボクが生き残れたのは、勇敢でカッコイイスピリットがいたからだ』ってね!」
ルルーは瞳を燃やしながら強く言い切った。
だが、その燃えるような瞳の中に自分自身すら焼きかねない悔恨の炎が見え隠れしていて、横島は心配になる。
「お前も、あんま自分を責めんな」
「……無理だよ。ボクの判断ミスが三人を殺したんだ」
「殺したのは敵だろうが」
フォローはするがルルーの表情は晴れない。横島としても、もしルルーと同じ立場だったら自身を責めるだろう。
もう取り返しがつかない失った命にたいして『ああしていれば、こうしていれば』と考えてしまうのは、今を生きていれば当然のことだ。
特にそれが隊長ともなれば、苦しみや反省もより大きくなる。
「戦いの状況は書面だけじゃ分かりづらいから、詳しく説明するね」
ルルーは沈鬱な表情のまま、仲間を失った状況をゆっくりと話し始めた。
その日、第三詰め所の半数はサーギオス国境に近いケムセラウトという都市に配備されていて、ルルーもそこで指揮を取っていた。
日も傾きかけた頃、見知らぬ神剣反応が町の外に出現する。確認すべく見晴台に上ると、ブルースピリットとレッドスピリットの二人が神剣を手にしながら歩いてくるのが見えた。見晴らしの良い平地だから伏兵もないだろう。
こちらは三十人。相手はたったの二人。
第三詰め所の言い渡されているのは都市の防衛だけだ。
都市を囲むように作られたエーテル城砦に、スピリットの力を高める祭壇が設置され、要塞化されている。
城壁から圧倒的な数のレッドスピリットによる炎の弾幕。そしてブルースピリットのバニッシュ能力を駆使しつつければ、神剣で打ち合わなくとも十分に戦えるだろう。
悠人、横島が第一、第二詰め所のメンバーを指揮して攻撃しようとしても、簡単には落せないほどの防衛能力はあるのだ。サーギオスが攻撃を仕掛けてきたら、防衛して増援を待つ。防ぎきれない場合は撤退も許可されていた。
命を大事に。それが第三詰め所の方針だ。
大事にされている。ルルー達もそれは理解していたが、同時に期待されていないのでは、という疑念も生まれていた。
そこに、これである。
一体、自分達はどれだけ馬鹿にされているのだ!
第三詰め所が精鋭に比べれば劣っているのはルルーも認める。
しかしだ、相手はスピリット二人だけ。こちらの十分の一以下なのだ。
いくら相手が強いと分かっていても、この人数差で穴熊を決め込むのは戦士としてのプライドに関わった。いくらなんでも負けるわけが無いという楽観もあった。
第三詰所の皆も気持ちは同じらしく、正面から戦おうと提案もされる。
防衛のみ、と命令されてはいたが、どうやって防衛するかまでは言われていない。
勿論、施設の恩恵を受けられる場所で引きこもって魔法を放つのが最善と分かっているが、しかし平野で数で勝るこちらが打って出るのは決して悪手ではないはずだ。
――――もっと第三詰所を認めさせたい。
そんな想いがルルーの、いや第三詰所全体にあった。
横島が戻って来た時に胸を張って戦果を報告したかった。
その想いは以前に第二詰め所が抱いた気持ちと同じである。
まともに戦おうとルルー達は町を出て、敵に迫った。
敵はあくびをしながら近づいてくる。あげく、ブルースピリットにはパチンとウインクまでされた。
ルルーが攻撃命令を下すと、まず真っ先に心を完全に失ったスピリットの三人が突撃する。迷いも恐れもないからこそ、その行動は早い。ルルーが制止する間もなく三人はブルースピリットに飛び掛かって、次の瞬間にバラバラになった。
ブルースピリットが神剣を横薙ぎにするだけで、チーズを割くように神剣が裂かれて、豆腐を砕いたように臓腑が地面に散らばる。生まれた赤色の絨毯は、すぐに金色の霧へと変わっていった。
死んだ彼女らが弱かったわけではない。むしろ、神剣に心を奪われていたからこそ判断能力は低くても力だけはあった。
それが、技術と力で打ち砕かれた。ルルーは気づく。
同じスピリットだから意識が薄かったが、この強力な神剣反応は悠人や横島と同格だ。
彼らと同格の力を持つスピリットが、エトランジェの幼稚な剣術とは比べ物にならないほどの剣技で眼前に立とうとしている。
――――ボクは何を考えていたんだ!?
夢から覚めたようにルルーは急いで後退の指示を出した。
他のスピリット達も、先の光景に恐怖を思い出して我先にと駆け出す。
下手をしたら赤の魔法で全滅していた。星か炎の柱でも落ちてきて、一瞬でマナの塵に帰っただろう。
青の魔法で黒の魔法以外はバニッシュできるのだが、あまりにも実力差がありすぎると失敗する。徹底的に青の魔法が強化される施設を利用して何とか打ち消せる、という所だろう。
必死に自分たちの力を強化してくれる施設に転がり込む。これで一安心と思ったら周囲が妙に慌しい。一人のスピリットが後方を指差した。
「後ろの……エーテルの施設が燃えてる! 神剣反応もあるよ!」
重要施設であるエーテル関連の火災に、ルルーは部隊を分けて急いで現場に向った。
そこでルルーは敵の意図をようやく知ることになる。
最高機密であるエーテルジャンプ装置が破壊されて、最重要機密であるブラックボックス部分が抜き取られていた。当然、様々な資料もである。
ヨーティアがラキオスにもたらした技術的な優位は、これで無くなってしまっただろう。
ルルー達を防衛施設から引きずり出して、その隙に技術を奪う。
これがサーギオスの目的だったのだ。
追っ手を出したい所だが、ここで不用意に飛び出せばやられるだけ。
ルルーは歯を食いしばりながら、ただ仇が離れて行くのを眺めるしかなかった。
「これが一連の出来事だよ。ボクのミスで死人が出て、貴重な情報が奪われちゃった……本当にごめんなさい」
責任を感じて落ち込むルルーの姿に横島も心を締め付けられる。
ルルーを隊長に推薦したのは横島である。この重荷をルルーに負わせたのは横島なのだ。
特にこの一ヶ月はどれほど重責と重圧があったことだろう。
スピリット隊は通常のラキオス軍からは完全に独立している。だから指示を出すのはレスティーナ女王しかいない。
横島と悠人が居なくなった結果、なし崩し的にルルーがトップとしてレスティーナと話し合っていた。
少し前まで捕虜であったルルーなのに、何故か三大強国の隊長として重責を担っていたのだ。これで泣き言や愚痴が出ないほうが可笑しい。
部下の命を預かる重圧は横島にも良く分かる。
「報告も終わったし、ボクはもどるね……後回してでもいいけど、第三詰所にも顔を出して。みんな、本当に心配したんだから」
力の無い足取りでルルーは部屋から出て行こうとする。
横島は呼び止めると、持ち帰った大きなリュックから色々と取り出して、大きな袋に詰め込んで突き出した。
「ハイペリアのお菓子と酒だ。ほんと……よく頑張ってくれた。おつかれさん」
「でも、ボクはこんなの貰える様な活躍してないよ」
「お前が自分をどう思おうが、俺は良くやっている思うぞ。これからは何かあったらカッコイイ兄貴を頼ればいいさ……ちみっちゃい妹よ」
頑張ったと労われて、ルルーは胸が熱くなるのを感じた。
努力が認められるのと、こんなにも嬉しいのだと始めて知った。
だからこそ思う。もっと頑張れたのではないかと。
「でも」
「どうしても食わんなら、全て皆にやればいいだろ。
ま、第三詰め所の皆はルルーが食べないなら自分もいらないって言うと思うけどな」
その言葉が止めとなった。
ルルーは感謝の言葉を述べて、横島から菓子の袋をいくつも貰う。
「兄さんってバカだけど優しいよね」
「バカは余計じゃい!」
「あはは……本当に優しいよ……優しすぎ。無償の愛ってやつ?」
「わっはっは、もっと褒めていいぞ!」
横島は得意そうに鼻を高くして笑う。
相変わらず馬鹿っぽい兄の姿にルルーは笑うが、別に褒めてるわけでは無かった。無償という言葉は酷く残酷だとルルーは実感している。
第三詰め所は兄に与えられすぎている。そして、何にも返していない。
特に問題なのは、兄は第三詰め所に何も求めていないという部分だ。
もっと第三詰め所を求めて欲しい。最悪、体でも構わない。
このままお返しできず与えられ続けたら、第三詰め所はどうなってしまうのだろう。
ルルーは少し冷めた目で横島を見た。
「ねえ、兄さん。怖い話と、ゾッとする話を聞かせてあげるね」
「怪談か?」
「まあ、そんな感じかな。これは二つとも本当にあった話だよ。まず、怖い話の方から。
もう二ヶ月前になるかな……マロリガン戦が始まる前にね、物凄く嬉しそうな顔してる第三詰め所のスピリットがいたんだ。
ボクがどうして嬉しそうなのって聞いたら『今日、ヨコシマ様と遊んだの』って笑ってたんだ」
ルルーは本名は言わなかったが、横島には数人程度の見当はついた。
第二詰め所ほどではないが、時間を見つけては第三詰め所と交流している。誰もが美人で慕ってくれるから横島としても至福の時間だ。
だが、それのどこが怖い話なのだろう。まさか『横島とスピリットが仲良くしているなんて怖い!!』等というつもりか。
「その話をしてから、二日後。また同じようにニコニコしてたから、その理由を聞いたらさ『二日前にヨコシマ様と遊んだから』って返してきたんだ」
何だか話が怪しくなってきたぞ、と思いながらも、まだ怖くはない。
「それから三日後。またニコニコしてたから、理由を聞いたら『五日前にヨコシマ様と遊んだから』って返してきたんだ」
若干、横島の顔が引きつる。
「それからそのスピリットはマロリガンとサーギオスの国境沿いに二週間ずつ配置されて、しばらくラキオスから離れていた。
一ヶ月してラキオスに帰ってきたんだけど、またニコニコしてたから理由を聞いたら……」
ゴクリと、横島はつばを飲み込む。
「『一ヶ月と五日前にヨコシマ様と――――」
「オチ無しかよ! 怖ええええよ!!」
「だから言ったでしょ、怖い話って」
面白くもなさそうにルルーが言った。
ヤンデレという言葉を横島は思い出したが、それとも違うだろう。そのスピリットは別に病んではいない。愛が重いとか、痛い女とも、似ているがまた少し違う。
ただ、そう、彼女には何もなかったのだろう。そのスピリットにとって、生まれて得た楽しい思いでは横島と一緒に過ごしたわずかな時間だけしか無かった。それしかないのだから、それを思い出すしかなかった。
「もっと別な良い思い出も増やさなきゃな」
横島は真剣な表情で言う。それで解決すると考えた。
そうじゃないとルルーは思う。効果はあるだろうが根本的な解決にはならない。
それを分かってもらうために、ルルーはもう一つの話を繰り出すことにする。
「次はゾッとする話だね」
「もう十分ゾッとしたんだが」
「これは兄さんがハイペリアに行ってからの話。
兄さんが居なくなってね、こういう噂が立ったんだ。兄さんはハイペリアに行ったんじゃないかって」
「おお、実際にその通りだったぞ」
「ねえ、知らないの? ハイペリアって、天国……死後の世界って意味があるんだよ」
「そりゃあ知ってるぞ。それが何か……」
思い立った可能性に横島は声を失った。
いくら何でもそこまでは考えないはず。そう思うが、しかし。
「ヨコシマ様に会いたいな。会えないかな。会うとしたら……どうしたらいいと思う?」
凄まじい悪寒が背中を走って、思わず鳥肌が立ってしまった。
「言ったでしょ。ゾッとする話だって。極少数だけど、危ない娘はいたよ」
蒼白の横島を見て、ルルーは吐き捨てるように言った。
俺は大したことしてないぞ。
横島はぽつりと口にする。確かに彼女たちの為に環境を整えるなどの骨をおった。会うときはいつも笑顔で、楽しく優しく接してきた。好かれる要素は大いにあるだろう。
だが、いくら何でもここまでの愛や忠節を貰うほどの事はしてないはずだ。
ルルーは、そんな兄をどこか冷たい表情で見た。
普通に生きてきた兄には分からないだろう。
望まれて生まれたわけでもなく、心が邪魔だからと言われ調教され人形にされて、ただ歯車のように同胞と殺しあう毎日。それだけの人生。歴史上どれほどのスピリットが、そうやって生きて、そして死んでいったか。
絶望という闇の中に居たスピリット達にとって兄は眩し過ぎる。横島忠夫という男しか見えなくなるほどに心の中に居座ってしまう。
そこまでやっておいて兄は第三詰め所に何の見返りも求めない。無償の愛を注いでくれる。それが妄信と愛情を育ててしまう。
いつかきっと問題が起こるだろう。ルルーは確信している。
「ねえ兄さん、もう少しだけ、第三詰め所を求めてあげて。皆ね、何かお返ししたいんだよ。そうじゃないと、きっと安心できないんだ」
「……ああ、分かった」
了承の返事はしたが、いまいち事態を理解しきれなくて、どこか生返事だ。自己評価の低い横島は、自分が好かれていることに違和感を覚えてしまう。
それに横島にとって第三詰め所は大切だが、第二詰め所とでは優先順位が違う。
求めているのは、あくまで第二詰め所なのだ。どれだえけルルー達に優しくしても、それは親愛に過ぎない。
横島は多くの物を手にして掌から零れ落ちるのを恐れている。ゆえに、第三詰め所には澄んだ愛情しか送れない。
それを察したルルーは、どこか寂しい表情で言った。
「あ、それと兄さんって第二詰め所に好きな人がいるんでしょ。だったら、今がチャンスだから」
「は?」
「一ヶ月は長かった……って事。それじゃね」
言いたい事だけ言って、ルルーはお菓子とお酒を詰め込んだバックを抱えて部屋から出て行った。
「お話は終わりましたか~」
同時に、扉が開いてスピリット達が部屋に入ってくる。
ハリオンにセリアにヒミカだ。
ヒミカは横島をジト目で見つめる。
「まったく、帰ってきて私達(第二詰め所)じゃなくてルルーを優先するなんて」
「しょうがないだろ。色々と話さなけりゃいけないことはあるし、なにより一番頑張ってきたのはアイツだぞ」
「……まあ、そうですけど。私達だって……急に一ヶ月も居なくなって心配させておいて」
ヒミカは納得しつつも不満そうに唇を尖らせる。
「んなこと言われてもなー。やっぱり一ヶ月も経っている実感が無いんだよ。この部屋の様子だってちっとも変わってないし」
横島はそう言って自室を見渡す。
部屋の様子はちっとも変わっていなかった。
机には投げ置いてた鉛筆がそのまま転がっていて、書類もそのままだ。埃も積もっていない。
唯一、時間の経過を示すのは、ゴミ箱に入っている萎びた果実の皮ぐらいなものだ
「掃除ぐらいしてくれりゃいいのに」
「それぐらい、自分でやったらどうです。普段から整理整頓を心がけないからです」
相も変わらずツンとセリアが言う。
一ヶ月ぶりにあったはずなのに冷たい対応をされて、横島はしょんぼりだ。
そんな中、ハリオンだけはいつものようにニコニコと笑う。
「実は~少し前にですね~ヨコシマ様の私物を片付けようって城の兵士さん達が来たことがあったんですよ~。その時にセリアさんが――――」
「ハリオン! 変な勘ぐりは止めて」
セリアが顔を赤くしてなにやら抗議するが、ハリオンはやはり笑顔を浮かべたままである。
気にはなった横島だが、ここで下手に突っ込むと冷たい目で睨まれるので危うきには近寄らないようにスルーする。
そこで部屋を眺めていた横島は違和感を覚えた。
ベッド辺りに良く分からない違和感がある。具体的に何処とはいえないが、何かが変わっているように見えた。
「どうしましたか」
セリアが言って、横島は困惑したように首をひねって見せた。
「いや、何かベッド辺りに違和感がな……何だか嬉しいような気もするんだけど」
「はあ?」
よく分からない違和感を訴える横島に、セリアもベッドに近づいてみる。いくら見ても変化があるようには見えない。だが、鼻をクンと動かして表情が変わった。
顔色は赤く青く白く、表情は焦り怒り恥辱と。目まぐるしく移り変わる。最後は頭を抱えて締めくくった。
ただそれは一瞬のことで、横島にはセリアが頭を抱えたことしか分からない。
少しして顔を上げたセリアは、頬を引きつらせたまま横島に向き直る。
「……部屋の掃除はしておきますから、貴方はリビングへ行ってください。子供達が今か今かと待ってますから」
「お、おお、そうだな。よし、あいつら用に色々と持っていくか!」
リュックからまたゴソゴソと取り出して、ニヤリと笑う。
悪戯っぽく目を輝かせながら子供達の待つ広間へ向かった。
横島が部屋から出ていくと、セリアは掃除道具を持ってくると言って部屋から出て行く。
その際に何かを訴えるかのような目でハリオン達を見て、部屋から出て行った。
「一体どうしたのかしら。違和感が何か気づいたみたいだけど」
どこか可笑しいセリアの様子がヒミカも気になったようだ。
ハリオンも気になったのかベッドまで近づいて、少し眺めた後、胸いっぱいに深呼吸する。そして、合点がいったように手を打った。
「ああ~そういうことですか~まったくもう」
「え、ハリオンも分かったの?」
「はい~ちょっとズルした人がいたみたいです。もぅ~皆さん想像だけでやってるのに毛布を使ってするなんてずるいです~寂しいのは一緒だったのに~」
ぷんぷんと可愛らしく怒るハリオンに、ヒミカはまだ理解が追いつかない。
横島のベッドにある毛布を見ても、それは全員に支給されている無地の規格品だ。同じものなのに違うとは、一体どういうことだろう。
『皆』『寂しい』『毛布』『する』
いくつかのキーワードと、横島と、先のセリアの様子を組み合わせて連想する。
「え、ええ!? ちょっとまさか」
行き着いた答えにヒミカは可哀想なぐらい顔を赤くした。
「それは寂しくて不安だったから慰める回数が増えるのも仕方ないですけど~一人だけヨコシマ様成分を補給しながらなんてズルイですよ~」
「ハリオン! まってまって! ええと、ほら! 寂しくて持ってっただけで、そういう用途に使うとか決まったわけじゃ」
「でも~ヨコシマ様が来てから~一ヶ月に一回が隔週に一回になって~仲良くなったら週間で~ヨコシマ様がいないこの一ヶ月なんて数日毎に~」
「わーー!! わぁーーーー!!」
暗黙の了解に臆せず突っ込むハリオンに、ヒミカはひたすら声を張り上げて遮る。
妖精と呼ばれるスピリットだって若く健康的な女性だ。当然、色々な欲求がある。
横島がやってきて、ある欲求は特に膨れ上がった。
日々の訓練でたくましさを増していく胸板や、朝起こしに行く時に目撃する生理現象など、若く娯楽の少ないスピリットにとってはクルものがあるのだ。特に横島が居なくなったこの一ヶ月は、諸々の不安から眠りづらくなった者も多い。
不安な夜は、スピリット達に長く秘めやかな夜をもたらしたのである。
「でも仕方ないですよ~この一ヶ月は私も怖くてあまり眠れなかったですから~」
のほほんとハリオンは笑うが、ヒミカは真面目な顔で自分達の現状を振り返る。
もはや横島忠夫という存在は、ここにいて当然の存在となっている。ここでずっと隊長をやってくれるのだと、第二詰め所の面々は心の底から信じていた。
だが、それは幻想だ。はっきり言って、横島がここに居なければいけない理由は無い。
以前は王が、横島が逃げたらスピリットを殺す、という訳の分からない命令で横島を縛っていた。そんな命令はレスティーナが女王になってから無効となっている。
横島が第二詰め所で隊長となる理由は無い。
給金も名誉も殆ど無く、女の子達を殺める立場に居る。
いつ居なくなっても可笑しくない。
この恐ろしき事実を、この一ヶ月の間に何度考えたことか。
どうしてこんなブラックな職場にいるのかは、彼自身が日頃から語ってくれている。
『第二詰め所のチチシリフトモモは俺のもんだ!!』
愛情や友情は当然あるが、それでもやはり女が欲しいのだろう。
ならばと、ヒミカは思う。
「こんな怖い思いするくらいなら、もういいかな」
「何がいいんですか~」
「もう彼に……身を任せちゃおうかなってね」
女という理由があれば、何があっても横島はここにいてくれるだろう。
これだけ国と自分達の為に心身を削って戦ってくれているのだ。それだけの報酬はあってしかるべきだと、ヒミカは考えた。
「へえ~やっぱりヒミカもヨコシマ様の事が好きだったんですね~」
「好き……とはちょっと違うとは思うけど」
大切な人というのは間違いない。友情も愛情も強く抱いている。
だが、この感情が果たして恋と呼ばれるものかどうかは、ヒミカ本人にも分からなかった。何といっても、初めて男性と親密に付き合っているのだ。自身の感情を知る術が少ないのだ。
だが、例え恋ではないとしても。
抱かれても構わないと思うぐらいには愛情があるとヒミカは実感している。
抱かれたとしても、恋人になってほしいとは思ってはいない。
ただずっと、第二詰所の、私達の隊長でいてほしいのだ
「でも~それじゃあきっと抱いてくれませんよ~きっと彼は本当に好きな人じゃないと抱かない人なんですよ~」
ハリオンは口調こそのんびりしていたが、きっぱり言い切った。
そうであってほしいと、期待が込められているようにもヒミカには感じた。
「そうかしら? 確かにヨコシマ様は優しいけど相当な女好きよ。押し倒されたり誘われた時にOKすれば、きっと抱くでしょ。私の時も、セリアやナナルゥも、押し倒された時に拒否したから大丈夫だったんだしね。まあ、ファーレーンはちょっと特殊みたいだけど。ハリオンだって押し倒されたら抵抗してるんでしょ」
それはヒミカからすれば何気ない言葉だった。
なのにハリオンは真顔となって何度も瞬きする。
まるで気持ちを落ち着けるように深呼吸した後、いつもの笑顔を浮かべて言った。
「それじゃ~毛布の犯人を捜しに行きましょうか。セリアさんとヒミカと私を除いてですから~」
急に話題を打ち切ったハリオンに、ヒミカは首を捻ったが、恥ずかしさもあり続けたい話題でもなかったので話題の転換に乗る。
「あの二人のどちらかって事ね。まあ十中八九、彼女でしょうけど」
暗黙の了解があるとはいえ、一つ屋根の下だ。
どれだけ隠そうとしても音や振動等で、どうしても分かってしまうことはある。特に男性である横島の目がなくなったこの一ヶ月。『誰かさん』は色々と緩んでしまっていた。
「子供達って可能性もありますよ~目覚めてきて~どう処理したらいいのか分からないのかもしれませんし~」
「戦争が無ければ情操教育が始まっている頃だしね。ヨコシマ様もいるし、真面目に教えたほうが良さそうね……こういうの苦手なんだけど」
会話を続けながら、二人は犯人を見つけに歩いていった。
ネリー達子供組の前に、彩り豊かな駄菓子が並べられていた。
この世界の菓子ではありえない青色や紫色の、憧れの異世界であるお菓子。
結果は、言うまでもない。
「ネリーはこれ食べる!!」
「シアーはこれにする~」
「私はこれを……って、辛い辛い辛いー!!」
「お、流石はヘリオンだ。見事に外れを引いたな」
「どうしてお菓子に外れが入ってるんですか~~!!」
「これで安心して食べれる」
「う~ニムばっかりずるいー!」
大騒ぎだった。
余りの声量に第二詰所が揺れる。
テンションの高さは横島も驚くほどだ。
「わー伸びる伸びる~~!」
「へっへー! 女王様とお呼びーー!」
「今度こそ当たりを……ずっぱいですーー!!」
ネリーとシアーはグミの鞭で叩き合い、ヘリオンは見事に三分の一の確率で引く外れお菓子を食べまくる。
「……ぉぉ……わぁ……」
ニムントールは一人で小さな歓声をあげながら、小さいプラスチック容器に入ったゼリーのようなものをコネコネしていた。ゼリーは混ぜれば混ぜるほど色が変わっていく。
見た目鮮やかな青から毒々しい紫色など、想像を超えるお菓子にニムの目が爛々と輝く。
さらに横島が持ち込んだのは、お菓子だけではなかった。
シアーはビーズにテグスを通していた。年少の女の子なら誰もが好きなアクセサリー作り。
プラスチックと宝石の違いなど、子供達には分かるはずもない。
鮮やかなアクセサリーを身に纏ったシアーが、横島にポーズを決める。
「ヨコシマ様~似合うかな~?」
「おお、可愛いぞ」
「えへへ~」
自分で作ったキラキラのネックレスやティアラを褒められて、シアーは幸せそうに笑う。
「ヨコシマ様! ネリーもやるよ!!」
「私だって負けません」
お菓子や玩具を放り出して二人もアクセサリー作りに取り掛かる。
とにかく楽しそうな子供達の様子に横島も満足げに頷く。
これで色々と考えて選んだので、喜んでもらえるのは嬉しかった。
無論、子供達がここまで喜んでいるのは、お菓子や玩具の影響だけでないのは言うまでも無い。
ネリーやシアーはいつもよりも激しく横島に抱きつく。ヘリオンやニムントールは恥ずかしがりながらも、理由をつけては手を握ってきた。
子供って体温高いよなあ。
引っ付かれて思う事は、その程度だが。
しばらく遊んでいると、子供達四人は顔を見合わせて頷きあった。
「へへー! ヨコシマ様に渡すものがあるんだ!!」
「おっ、エロ本か」
「そんなわけないでしょ! ちょっと待っててね、今もって来るから!!」
元気よく二階に登っていくネリー達。
だがどうしたことかニムが戻ってきた。そうして鋭い目つきで横島をにらみ付ける。
「ん、どうした」
「ちゃんとここで待ってて」
「へ?」
「また勝手にいなくなったら、絶対許さないから」
ニムはコロコロのほっぺたを赤く染めてポツリと呟くと、また二階に向って走っていった。
思いがけないニムの情の深さに思わず顔がほころぶ。帰ってきて良かった、と心の底から思っていた。
「久しぶりに、にぎやかです」
落ち着いた声が響く。
声のした方を見ると、ナナルゥが無表情で突っ立っていた。
表情は相変わらずだが、いつもよりも唇の色がはっきりしている。
なんと化粧をしているようだ。
「一ヶ月ぶり……何だよな」
「はい、一ヶ月ぶりです」
淡々と返してきて、それで言葉が切れる。
沈黙が満ちた。ナナルゥとの会話は弾むことが少ないが、不思議と沈黙が気にならない。それは、ナナルゥが沈黙を自然として、喋りたくなったら喋るタイプだからだろう。
だが、今の沈黙はどうも具合が悪かった。ナナルゥの視線が不自然に泳いでいるからだ。
「その……私は無罪のようです」
「へっ?」
「はい。つい先ほど私が部屋で身だしなみを整えていると、ハリオンとヒミカが部屋に来て毛布に鼻をこすり付けた後、無罪との判定を受けました」
「何だそりゃ」
「さあ」
意味の分からない行為に頭を捻る二人。
そして、また沈黙が降りる。横島としては自分が色々と話題を振れば良いと思うのだが、どうにもナナルゥが何かを喋りたそうな雰囲気がある為に、なかなか動くことが出来ない。
「……ニムントールとの会話は聞こえましたが、ヨコシマ様は随分と嬉しそうですね」
「そりゃまあ、ガキ相手でも好かれりゃ嬉しいだろ。それに、あのニムだぞ」
素直な子供達の中で、ニムは小生意気な部類に入るだろう。
だからこそ、ふとした時に素直になるのは破壊力が高い。ツンデレの基本である。
普段見せない姿を見せてくれるのは嬉しいものだ。
そんな横島の言葉に、ナナルゥは「なるほど」と呟くと、
「ヨコシマ様がいなくなって、子供達は変わりました。
ニムは少し勤勉になりました。
シアーは嫌いな野菜を食べるようになりました。
ヘリオンは少し落ち着きました。
ネリーは少し悪戯をしなくなりました」
横島が居なくなった一ヶ月の状態を、一気にまくし立てた。
まさか、俺が居たせいで悪い子になっていたのか。
そんな事を考えたが、それは続く言葉が否定してくれた。
「神様、もっといい子になるから、どうかヨコシマ様を返して下さい……子供達はそう誓ってヨコシマ様を求めました」
胸が詰まるというのはこの事か。
正直、言葉がない。嬉しいというよりも感動のほうが先にたつ。子供達は可愛く健気だった。
横島は感動で頬を上気させる。だが、ナナルゥはさらに言葉を続ける。
「セリアは、国がヨコシマ様の部屋を一時的に片付けようとした時に抵抗しました。
ヨコシマ様の痕跡が、詰め所から少しでも無くなるのが嫌だったからと推測します。
ヒミカとファーレーンは前にもまして訓練に打ち込むようになりました。
ヨコシマ様が居ないうち戦争を終わらせて、平和になったら戻ってくれると考えたようです。
ハリオンは毎日お菓子を余分に作っていました。
いつ帰ってきても、美味しいお菓子を食べさせたかったからです」
感激というしかない。
嬉しさに滂沱の涙を流す横島だが、ナナルゥは辛そうに顔を伏せた。
「私は何をしたらいいのか分かりませんでした。
もし、私が何もしなかったら戻ってこないかと考えて……でも何をしたらいいのか分からなくて……申し訳ありません」
横島はナナルゥのいじらしさに身もだえた。
もう誰も彼も可愛すぎて、どうにかなってしまいそうだ。
「ヨコシマ様、バーンライト戦が終わってからの約束は、まだ有効でしょうか?」
約束というのは、スピリットのお願いを何でも一つ叶えるというやつだ。
「おお、やれることなら何でもやるぞ!」
「ならば……どうか、ずっと私達の隊長でいてください。どうか、私達のお傍にいてください。お願いします」
それはいつもの淡々とした声色ではなかった。
袖を掴んで、言葉を震わせた、精一杯の感情をこめた懇願、哀願だ。
男として求められているかは、実は微妙だと横島は思っていた。
これだけ綺麗で純粋な女性に手を出していいのかという想いはある。
だが、ここまで来るともうそんなの関係ない。
変化に乏しいナナルゥの表情が切なげに揺れている。
僅かに上気し淡い桃色になった頬も、堪らない色気をかもし出していた。
(もうマジで限界だぞ! これ抱きしめていいよな! つーか最後までやっていいよな!!)
(ええ、やっちゃいなさいヨコシマ! ナナルゥがお母さんならきっと私もバインバインよ!)
(ルシオラよ、お前はそれでいいのか?)
(やれるときにやんなきゃだめよ! 私もさっさと抱かれてればと後悔したんだから。雰囲気なんてやってれば付いてくるわよ!!)
横島は知る由も無いが、魂の恋人からも了承が出される。
(息子! 『天秤』! ルシオラ! 行くぞ!)
『おおー!』
『私としてはもっと幼い娘のほうが……いや、何でもないぞ』
『のりこめー!』
横島の手がナナルゥの肢体に伸びる――――――
「おい横島、邪魔するぞ」
何の前触れも無く、険しい表情の悠人がノックも無しに部屋に入ってきた。
こいつ殺してやろうか。
良い所を邪魔された横島は半ば本気で思ったが、悠人の表情を見て殺意は四散する。
「文珠はあるよな。たのむ、俺と一緒にアセリアの所まで来てくれ」
少ない言葉で、ただそれだけを伝えてきた。その表情と声には一切の余裕が無い。
一体何故、とは言わない。今の悠人が何を考えているのか手に取るように解る。藁にもすがるような気持ちで居るのだろう。
無駄だ。
答えは知っていたが、ただ言葉だけで説明しても、この隠れ熱血漢が納得するはずもない。
「分かった。少し待ってろ」
普段の横島なら仕事でもないのに悠人に呼ばれて行動するなんてありえない。
だが、今回は仕方が無かった。
悠人の気持ちが十分すぎるほど理解できるからだ。
「すまん、ナナルゥ! この続きは後で頼むな」
「私よりもユート様が良いのですね。理解しました」
「ちゃ、ちゃうぞ! ただこればっかりちょいと事情が!?」
「冗談です……面白かったですか?」
どこか意地悪っぽく言って、蠱惑的な流し目を横島に向けた。
ドンドン魅力的になっていく第二詰め所の面々に、何としてでも落としてみせると横島は改めて決意を新たにする。
そのまま子供達の事をうっかり忘れて、アセリアが居るヨーティアの研究室に向う。
「アセリアちゃんの所にいくまで、これでも見てろ」
その道中で、横島はわら半紙の束を悠人に渡した。
「なんだこれ」
「スピリットと神剣の関係についてまとめたものだ。俺の仕事のひとつだな。これで部外秘資料だからすぐに返せよ」
元は横島が第三詰所のスピリットに対して様々な行動を起こして、それによってスピリットの精神がどう回復に向かったかのかをまとめた物だった。内容的には難しいものではない。言い方は悪いが、赤ちゃんや動物の成長過程をレポートした程度のものだった。
それにヨーティアが興味を示して、横島と協力して神剣とのシンクロ率やら肉体の反射スピードやらを事細かく記載したのだ。
悠人が少し目を通すだけでも、心を取り戻すことによって神剣の装飾に変化が起こっている等の記述があって驚く。神剣とスピリットの心は密接に結びついているのだ。
これから先、この資料はスピリットの精神回復に大いに役立つ事が期待されていた。
「お前はこんな事もやってんだな」
悠人は感心こそしたが、驚きは無かった。相変わらずスピリットに関しては真面目だと思うだけ。
これだからこそ、悠人は安心してスピリットを横島に任せられているのだ。
そうして、城にあるヨーティアの研究室にまでやってきた。
中にはヨーティアとイオに、さらにレスティーナまで居る。
挨拶もそこそこに、『心』の文珠をアセリアの押し当てる。
やはり奇跡は起こらず文珠は発動しなかった。ただ空しく光り続けるだけだ。
「やっぱ無理か」
「くそ! どうして文珠が効かないのか分からないのか!?」
「いや、文珠が効いてないんじゃなくて、これはそもそも発動してないんだよ。ほれ、文字が浮かんだままで消えてないだろ。理由は分からんけど、スピリットの心を戻そうとした時だけ発動しないんだ」
発動さえすればスピリットは心を取り戻すだろう。それは知っている。
以前にエニに対して一度だけ効果を発動した時があったからだ。一時的ではあるが、エニは確かに心を取り戻していた。またすぐに神剣に心を奪われたものの、もしその瞬間に神剣を奪い取れていれば、きっと回復しただろう。
なぜあの時だけ発動したのだろうか。本来なら効果の是非は問わず発動するのが正しいはずだ。発動しない今が異常なのだ。
発動しない理由についてヨーティアが言うには、神剣そのものが文珠に危機を感じ何らかの妨害手段をとっているのではないか、というものだ。
これには横島は納得しなかった。というのも、神剣使い達は霊力を探知できないのだ。障壁で防御や抵抗は出来るが、それは霊力を感じ取るのではなく、見て防御するケースが殆どだ。
何故、スピリットの心を取り戻そうとした時だけ文珠が発動しないのか。
何故、エニの時だけ文珠が発動したのか。
その理由は、獅子身中の虫ならぬ、変態身中の神剣の所業だ。
(エニの時は私の霊波ジャミングの周波を掻い潜るために、無意識的に霊質を変えて文珠を生成したのだろうな)
――――貴方がジャミングをやめれば済む話じゃない。
(黙れルシオラ。ここでジャミングを止めれば、横島はスピリットに文珠を無駄打ちするだろう。また、神剣そのものを軽んずる危険がある。私は横島を秩序の高みに導く使命があるのだ。なによりエニの死を無駄してたまるものか!!)
惚れた女の死を無駄にしないため。
ルシオラは溜息をつくしかない。幼女の笑い声が聞こえてきそうだ。
ただこれだけのために、エニは生まれ、そして死んだのだ。
「なんだそれ! どうしてこんなに俺たちに都合が悪い!?」
「本当にな。一体誰とっては都合がいいのやら」
悠人の憤りの声に、横島はやれやれと肩をすくめながら同意する。
飄々とした態度が悠人の癇に障った。
「何でそんなに落ち着いていられるんだよ!!」
「結果は分かってたからな。なんつーか……っち! 言いたくないけど、慣れってやつだ」
憮然とした顔で横島が言う。
慣れと言う言葉に、悠人は胸糞が悪くなりつつも同意できてしまって苦い表情となった。
悠人が初めてスピリットを殺したときは頭痛と眩暈に吐いた。その後は思い切り泣いた。今はもう吐くことも泣くこともない。
辛くないわけじゃない。辛くなくなった時は、人として何かを失ったときだろう。
ただ、辛さに慣れて我慢できるようになったのだ。
今回、悠人は始めて心を完全に失ったスピリットに心を砕いた。
今までも気にしたことはあったのだが、自分の事と仲間で手が一杯であったし、なにより横島がいたから基本的に放置していた。
それに対して横島はスピリット達の無表情に幾度も立ち向かい、勝利と敗北を繰り返してきた。慣れているのだ。だからアセリアが心を飲まれていても冷静でいられる。もっとも、これが第二詰め所のスピリットだったら、こうも冷静ではいられないだろうが。
悠人は苛立ったように足を踏み鳴らしたが、深呼吸して強く前を向いた。
理不尽に晒されて生きてきた男達だ。絶望に苛まれて足を止める時間は極僅かだ。
「駄目なのは分かった。それで横島、今のアセリアの状態について説明してくれ。何も分かってない、という事はないんだろ?」
「当たり前だっつーの。簡単に説明するとだなアセリアちゃんは心が完全に飲まれちゃって、取っ掛かりが無いんだよ」
「取っ掛かりが無い?」
「ああ。ヨーティア様……じゃなくてヨーティアさんが言うには、ゼロに何を掛けてもゼロって話らしい」
少しでも心が残っていて話が出来るのなら、神剣を無理に使わず、楽しい日常生活を送れれば感情は少しずつでも回復する。
会話が成立しなくても、食事で美味を感じたり、音楽に聞き入ったり、動物と触れ合っていれば回復するスピリットも多く居る。
僅かでもよいから神剣に取り込まれなかった心があれば、それを取っ掛かりに感情は回復させられるのだ。だが、全ての心が神剣に取り込まれるとそうもいかなくなる。
「ゼロって言っても勘違いすんなよ。アセリアちゃんの心は消え去ったわけじゃないんだ。心の全てが神剣の奥深くまで飲み込まれて、こっちから何を刺激してもそれが届かないだけ。つまり届きさえすれば治せるんだ」
心は消えていない。その言葉だけで悠人は救われるようだった。
しかし、現状は絶望的というしかない。鍵のかかった箱の中に鍵あるようなものだ。どれだけ感動できる食事を作ろうと、愛の歌を送ろうとしても、愛そのものが心に届かない。文珠で不可能では、他の何が有効なのか。
「俺もヨーティアさんも、やり方そのものを変えなくちゃいけないと思ってる。スピリットじゃなくて、永遠神剣そのものにアプローチする方法が必要なんだ」
「……俺に出来ることは」
「やりたいようやればいい。それぐらい自分で考えろよ」
横島は突き放すように言った。だが、それは悠人のために言った事だ。
正直に言えば、悠人がアセリアに出来ることは一つもない。だが、それを言えば悠人はより苦しむだろう。
だから好きにやらせることにしたのだ。それに、奇跡が起こる可能性もある。
「さて、そろそろ良いでしょうか」
ここでようやくレスティーナが声を掛けた。
あっ、と悠人はばつの悪そうな顔をする。レスティーナの存在を今の今まで認識してなかったらしい。レスティーナは少し拗ねている様に見えた。
「これからについて語り合おうと思ってたのですが……ユート、貴方は下がりなさい」
「え、なんで」
「今の貴方は集中を欠いています。はっきり言って、機密を伝えるには信用が置けません」
レスティーナの容赦無い言葉に悠人は言葉を詰まらせた。
何とか反論を試みようとしたが、さっきまで存在すら気づいていなかったという事実が、反論の材料を作らせてくれない。
「話は後日、ヨコシマから聞きなさい……いいですね」
悠人は項垂れるように頷いて、アセリアを連れて部屋から出て行く。そんな悠人の様子を、ニヤニヤと横島は眺めた。
「ふっ! レスティーナ様。やはり頼りになるのは、この俺というわけっすね!」
「その通りです。期待してますよ、エトランジェ・ヨコシマ」
「わはははは! 悠人の奴とは違うのだよ悠人の奴とは!」
豚もおだてりゃ木も登る。
まして横島なら、比喩抜きで宇宙にまで達するかもしれない。
今は元気な横島を酷使して、その間に悠人を休息させようとレスティーナは考えた。
「さて、それじゃあ聞かせてもらおうかね。この一ヶ月……あんたらにとって一日の間に、何があったのか」
横島はタキオス、時深、異世界で自分達を送り迎えした謎の一団について語る。
その圧倒的過ぎる力。自分達の事を非常に良く知っている事。
ヨーティアは話を聞きながら何度も頷いて、自身の推論が正しいと確信する。
何故、スピリットは生まれるのか。
何故、スピリットは人に逆らえないのか。
何故、人格や社会的に優れた人間が特にスピリットを嫌う事が多いのか。
これらに関して、ヨーティアは一つの仮説を出していたが、今回の件でついに結論が出た。
「やっぱり間違いない見たいっす」
「そうかい。まあ、予想通りか。この天才の目に狂いは無くて当然だね。人間の思考を、スピリットの特性を、遥か昔から操り続けてきた超越者……この大陸を牛耳る黒幕」
「ええ、私達が打倒すべき真の敵です!」
とうとう、全ての黒幕の尻尾をラキオスは捉えた。
黒幕を打倒し、そしてシロ達を救出すべく、横島達は議論を重ねていく。
一方その頃、悠人はアセリアを部屋のベッドに腰かけさせて、何度となく語りかけていた。
「なあ、アセリア。今日のご飯はなんだろうな」
アセリアは何も答えない。虚無の瞳を壁に向けるのみだ。
横島の言うことが本当だとすれば、何を言っても聞こえていないことになる。
何の意味もないのかもしれない。それでも、何か起きるかもしれないと言う奇跡を信じるしか道は無い。
そんな悠人の献身を、陰から見つめる瞳があった。
エスペリアとウルカだ。二人は愁いを込めた目で悠人達を見つめる。
懸命にアセリアに語りかける姿がいじましく、とてもその間に入っていける雰囲気ではなかった。
二人は小さく溜息を吐く。
そんな二人の後方からダダダと大きな足音と共に何かが飛び掛ってきた。
「おるふぁきっく~!!」
オルファのとび蹴りを背中に喰らって、二人は部屋に飛び込んでしまう。
「もう、いきなり何をするの、オルファ!」
「そんな端っこでパパを見ててもつまんないよ!」
怒ったエスペリアに、オルファは逆に怒鳴り返した。
そして、目を白黒させている悠人に向ってこぼれる様な笑顔を向ける。
「パパ! お帰りなさい!!」
童女のあどけなさと、母のような包容力を併せ持ったオルファの笑みに、悠人はただ見ほれた。
こんな小さな女の子に目を奪われたという事実に、悠人は恥ずかしさに頬を赤くして、ようやく自分が何を言わなくてはいけないか気づく。
「あ、ああ。ただいま……オルファ」
「えへへ! ほら、エスペリアお姉ちゃんも、ウルカお姉ちゃんも!」
「あ……お帰りなさいユート様」
「お、おかえりなさいませ」
「ただいま、二人とも」
声を掛け合い、相手の目を見る。
大切な人が帰ってきてくれた。
そんな実感をようやくエスペリア達は得ることが出来た。
オルファは満足そうにうんうんと頷くが、次に悠人に向き直る。
「ねえパパ。アセリアお姉ちゃんを笑わせたかったら、パパが笑ってないとだめだよ! それに、一人より皆で声掛けたほうがアセリアお姉ちゃんも喜ぶよ!!」
オルファが軽く怒るように言って、悠人ははっとした。
まったくもってその通りだ。
自分一人で出来ることなど、たかが知れている。
辛い時こそ、皆で協力しなければならない。
「皆……分かっていると思うけど、アセリアは神剣に心を奪われちまった。現状、治る見込みはないらしい。でも、俺は諦めない! 絶対にアセリアの心は取り戻してみせる……その為にも、皆の力を貸してくれ!!」
「はい、勿論です」
「手前も微力なれど死力を尽くします」
悠人からの真っ直ぐな言葉に、二人は誇りに満ちた表情で返事をする。
もっと私達を頼ってください。
そんな心の声が聞こえてきそうで、悠人は独りよがりの愚かしさを噛み締めた。
見つめあう三人の姿に、オルファは優しく微笑む。
「うんうん、良かった良かった。それじゃあ、今日はパパとアセリアお姉ちゃんが帰ってきたお祝いだね。オルファは準備のお使いに行って来るから!」
買い物袋を持って駆け出すオルファ。
周りを考えて気遣いと準備が出来るオルファに、悠人とウルカは感心したようだったが、エスペリアはオルファの企みを見抜いていた。
「お肉とお菓子ばかりじゃなくて、ちゃんと野菜も買ってくるんですよ!」
「ぶー!」
ちゃっかり自分の好きなものを買い込む予定だったらしく、オルファは唸り声を上げて走っていった。
油断も隙もないオルファに、悠人もウルカもエスペリアも、声を出して笑いあう。
第一詰め所で笑い声が響くのは久しぶりだった。
「オルファは凄いな」
「はい。時々、私よりも大人みたく見える時もあるくらいです」
「手前も、あの笑顔には救われます」
エスペリアとウルカは眩しそうに小走りで町に向うオルファを眺めた。
悠人とアセリア、そして横島がいなくなって、意気消沈している皆を元気付けているのはオルファだった。
三人が居なくなった影響は大きく、殆どのスピリットが塞ぎ込みがちになってしまった。
そんな中で、オルファは元気に過ごしで、皆に声を掛け続けていた。
勿論、オルファは悠人達がいなくなって寂しくなかったわけではない。最年少で、悠人を特に慕っていたオルファの悲しさはスピリットの中でも大きいほうだったろう。
それでも、寂しさを我慢して皆を元気づけようと頑張ってきた。
天真爛漫で幼いオルファだが、その心根はまるで母のような慈愛に満ちている。
エスペリアが身を預けたくなる大樹ならば、オルファは全てを明るく照らす太陽なのだと、悠人は感じた。
「なあ、エスペリア。お茶を淹れてくれないか」
「あ……はい!」
「ウルカ。お茶が終わったら、剣の訓練を頼む」
「はっ、承知しました」
皆で出来ることをやろう。
そうすれば、きっと何とかなる。
悠人は前向きに、希望を信じた。
だからこそ、悠人は考えもしなかった。
まさか数時間もしないうちに、オルファが泣きながら血を流して帰ってくるなどと。