永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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 こちらはIFルートです。本編ではありませんが、本編を楽しむ為には読んだほうがいいかも。
 前編はややフラストレーションが溜まる話なので、イライラしたくない人は中編と後編を含めて一気に読んだ方がいいかもしれません。その場合は文字数が多いので時間に余裕がある時が推奨です。




第三十二話IF 嫉妬の味は蜜の味 前編

 横島が大暴れしてから、マロリガンの攻勢はピタリと止んだ。

 人的被害は互いに無かったのだが、ただの一人にマロリガンの全精兵が素っ裸にされて追い返されたのだ。

 圧倒的なエロの差を見せ付けて敵スピリットの心を折る、という横島の企みは成功したかに見えたが、事実は少々異なっていた。

 実はマロリガンのスピリット達は戦意を失うどころか、『バンダナの変態は殺せ!』と横島への敵意を燃やして士気が大いに上がっていた。戦闘力で心を折るというよりも羞恥で戦意を萎えさせたから、というのもあるだろうが、何より横島という男の個性が女の子を意気消沈させるのに向いていないのだ。

 まあ、戦いの最後で横島をボコボコにした時に殺そうと思えばできたはずなのだが、そこは横島の作り上げたギャグ空間に飲まれて考え付かなかったのだろう。

 

 ただ戦意の向上はスピリット達だけであって、人間達はただ一人に自国最強の精鋭部隊が裸にされて追い返されるという事態を重く受け止めていた。

 少数とはいえ、エトランジェに率いられた最強の部隊が一人に追い返されたのだ。圧倒的な実力差があると考えるのは当然だった。どの道、講和する予定だった向こうの戦意はこれで完全に消え去った。

 マロリガンとの和平は必ず成立するとレスティーナは確約した。

 横島の成した功績は非常に大きい。だが、その対価の大きさを横島は知ることになる。

 

 

 

 

「ファーレーンさん、ちょっと話が」

 

「ひぃああ! すいません、私は見回り行ってきます!!」

 

「セリア、買い物なら付き合うぞ! 荷物持ちでも何でも」

 

「私に近づかないでください」

 

「ナナルゥ、一緒に読書でもどうだ! 良い本があるんだけど」

 

「それはご命令でしょうか?」

 

「ヒミカ! 良い砂糖があるんだけどお菓子作りでも」

 

「お断りします変態様」

 

「ネリーシアーヘリオンニム、一緒に何かして遊ばないか」

 

「やだー!」

「シアーも絶対に嫌なの」

「こっちにこないでくださーい!」

「この変態」

 

 とまあ、このような状況だ。

 女の子達からちやほやされる楽園であった第二詰め所は、今や針の筵と化していた。

 

「どうしてこうなった」

 

『当然としか答えようが無いな』

 

「むぐぅ」

 

 触手にスライムにと大暴れ。

 15禁を上限としてだが、男の欲望を余すことなく叩きつけた。

 今までもお馬鹿でエロな悪戯を仕掛けることはあったが、そこまで生々しい悪戯は仕掛けず、すぐにお仕置きされていたからか尾を引く事はなかった。しかし今回は度が過ぎたとしか言いようが無い。

 特にファーレーンからしてみれば、憧れの男性から唾棄すべき変態にまで落ちたのだ。その衝撃は計り知れない。

 

「ガキ共には何もしてないだろうが!」

 

『何もしなかったのが問題だったのではないか? まったくもったいない』

 

 思春期に入って、体も心も少しずつ女性的になり始めたネリー達は横島を意識し始めていた。

 女性としての自意識や自尊心が生まれていた矢先に、

 

 ガキはいらん!

 

 とポイ捨てされたのだ。女性としての自尊心など木っ端微塵である。

 別にエッチな事をされたかった訳ではないが、それでも気になる人から眼中に無いと言い切られた多感な少女達は怒っているのだ。

 ちなみにハリオンだけは、

 

「男の人だから仕方ないですよね~」

 

 と、謝罪したらあっさり横島を許していた。

 のんびり者の無敵お姉ちゃんは健在である。

 

「ともかく、いつまでもこうしてられん! 何としても仲直りするぞ!! 考えていたのと状況は変わったが、ここは秘密兵器を投入せねばなるまい」

 

 横島は自信満々な顔をして言ってのけた。

 そう、横島には秘策があったのだ。以前からちびちびと伏線を張り続けてきた成果を発揮しようと張り切る。全ては、第二詰所とのラブラブでエッチな日々のため。

 その秘策が、全ての元凶になるというのを、神ならぬ横島には知りようもなかった。

 

 

 

 

 

 永遠の煩悩者 第三十二話IF

 

 嫉妬の味は蜜の味

 

 

 

 

 

 昼下がり。

 哨戒などの勤めは全て第三詰め所に割り振られており、珍しく第二詰め所のメンバー全員が揃っていた。夕飯の下ごしらえ等も終わり、空いた僅かな時間でお茶会を始める。

 

 話題は多種多様だ。セリアは横島がハイぺリアから持ち込んだ調理道具の利便性を熱く語り、ナナルゥは今見ている小説の批評を皆に聞かせ、子供達は人間の子供達との遊びを吹聴する。

 趣味も特技も増えているスピリット達にとって、話題に事欠くことは無い。

 それでも、やはりメインの話題は当然というか横島の事だ。

 

 ――――――本当にヨコシマ様って変態ね。

 

 横島への不満を言い合いながらお茶をすするスピリット達。不満を口にしないのはハリオンぐらいだ。その彼女も、思う所があるのか横島の擁護はしなかった。

 横島は『何でもするから許してくれ』と何度も謝罪して頭を下げているが、裸にされてスライムをけしかけられるという筆舌尽くしがたい屈辱を軽々と許せるわけがない。

 しかし、怒りの声は口に出る表向きなものになりつつあった。

 

 ――――――ちょっと寂しいかも。

 

 横島と口をきかなくなって数日は経つ。それだけの時間で、もう誰もが内心で仲直りしたいと思っていた。時間が経てば怒りは少しずつ失せるものだ。それに、やはり横島と馬鹿騒ぎしたほうが楽しいのは分かりきったこと。

 

 次にヨコシマ様が謝りに来たら許してあげよう。そして、いつもの騒がしく楽しい日々に戻ろう。

 

 恥ずかしさがあって誰も口にはしていないが、全員がひっそりと決めていた。

 まあ、ファーレーンだけは未だにパニックから抜け出していなかったが、それでも険悪の感情は抜けていた。

 

 横島とスピリットが紡いできた絆は強い。15禁エロ程度が引き起こす怒りで崩壊するよう脆い繋がりではないのだ。

 だからこそ、彼らの関係を崩すとしたら、それは怒りではない別の感情しかなかった。

 

「ヒミカ、ちょっといいか」

 

 お茶会の最中に横島がやってきてヒミカを呼んだ。横島の頬を少し赤くして緊張しているようにみえた。

 

「なんの用事ですか。見てのとおり、私達は休憩時間でお茶の途中なんですが」

 

「いいからいいから!」

 

「きゃ!」

 

 横島はヒミカの手を強く握って部屋から連れ出す。そして自分の部屋まで連れ込んだ。

 男の部屋に連れ込まれるという体験に、ヒミカはドキドキと胸を高鳴らせる。

 そこに険悪や恐れがない時点で、ヒミカがとっくに横島を許しているのが伺えるだろう。

 

「ヒミカ、今回は本当に悪かった! どうか許してくれ」

 

 深く頭を下げる横島。

 部屋に連れ込んでおいて謝罪が目的なのかと、ヒミカは肩透かしを食らった気分だ。

 とりあえず予定通り謝ってくれたので、さもしょうがないというように笑顔を作る。

 

「はあ……分かりました。今回だけはゆる――――」

 

「でも謝っただけじゃ俺の誠意は伝わらないのは確か。そこで! 俺の謝意を示すためにプレゼントを用意させていただきました! ささ、お代官様。これを」

 

 ヒミカの声を遮って、横島が綺麗に包装された箱を突き出す。

 

 いやもう許していたんだけど。

 

 話を聞かない横島に若干呆れた。また変な悪戯じゃないだろうかと怪しみながらも、差し出された箱をそっと開ける。

 そこには、黒いドレスが綺麗に畳まれて入っていた。

 畳まれているから詳しくは分からないが、それでも変に露出が多いとか、恥ずかしい装飾が施されていないのは分かる。生地は滑らかで光沢も良い。シックな雰囲気だが、裾や袖には刺繍が施されていた。

 全体的にシンプルだが上品であり、それでいて可愛さもある。ドレスはどこかヒミカに似た雰囲気があった。

 間違いなくヒミカに似合うだろう。サイズに関しても横島の目測に誤りがあろうはずもない。

 

「……わぁ、素敵」

 

 ほうっと、ヒミカは熱く吐息をもらすように呟く。

 燃えるような熱を頬に感じた。胸は早鐘のように打ち、マグマの如き熱い血が全身を駆け巡る。

 

 気になる男性からドレスが贈られるという、生まれてから今まで想像すらしえない体験に、もうヒミカの頭の中では許すとか許さないではなかった。

 嬉しさと恥ずかしさが混じりあいながらも、早くこのドレスを着てみたい。そして、ヨコシマ様に早く見せたい。そうしたら褒めてもらえるだろうか。綺麗と言ってくれるだろうか。もっとスタイルが良ければいいのに。可愛い下着を履いておかなければ。

 諸々の混乱がありながらも、ヒミカは胸の高鳴りを覚えずにはいられない。

 

「その……な。受け取ってもらえるよな」

 

 緊張と期待からか横島の顔も赤く染まっていた。彼の頭の中では仲直りは成功したも同然で、仲直り後からどうやってエッチな雰囲気に持ち込むかが問題だった。相も変わらず邪な奴である。

 そんな横島を、ヒミカは格好良いとも情けないとも思わない。

 

 ただ、愛しい。愛しい人。

 ヒミカの口から人類史を存続させてきたある言葉があふれ出ようとする。

 

 

 そこでヒミカは視線を感じた。

 部屋の外に彼女らがいる。僅かに開いたドアの隙間から、青と赤と緑と黒の瞳が何かを訴えてくる。

 目は語っていた。

 

 ――――さっきまでヨコシマ様を罵っていた言葉は嘘だったのか。

 ――――どうしてヒミカだけが。

 ――――うらやましい。

 ――――合体しちゃうんですか~

 

 怒り、嫉妬、妬み、好奇。諸々の視線が突き刺さってきた。ヨコシマ様の想いを受け取ろうとしている姿を見つめられている。

 それを意識した途端、嬉しさは全て恥ずかしさに変化した。

 喜びが大きければ大きいほど、それに比例して羞恥が増した。先日、横島に裸にされた以上の羞恥に、比喩抜きで全身が燃えたかとヒミカは思った。

 もし、ドレスを受け取り横島への好意を口にして、それを仲間達に見られてしまったら。

 

 ――――恥ずかしくて死んでしまう。

 

 ヒミカは本気でそう思った。

 比喩や例えとしてではなく、心臓が爆発すると、顔が焼けてしまうと、彼女は本気で恐れた。それだけヒミカが感じている羞恥は大きくて未知のものだったのだ。

 

 時間にして数秒。

 凄まじい感情のうねりがヒミカの全てを侵しつくす。

 そして、彼女の口が動いた。

 

「こんな物で私のご機嫌を取るつもりですか。貴方は卑怯です」

 

「へ?」

 

「私は戦士です。このようなヒラヒラを着て戦場に行けるわけがありません」

 

「いや戦場で着なきゃいいだけじゃ」

 

「と、とにかく! このようなものお受け取りできません。失礼します」

 

 ドレスの入った箱を横島に押し返し、きびすを返す。

 その際、魂魄ぬけたように茫然としている横島が目に入った。まったく分けの分からない理屈で入魂のプレゼントを袖にされれば是非も無い。

 ズキリとヒミカの胸に痛みが走る。同時に、甘い疼きもよぎった。

 

 言ってやったという恍惚感と、言ってしまったという後悔。

 横島の虚脱した表情にヒミカは罪悪感を覚えたが、同時に深い愛情を感じた。

 

 ――――私が受け取らなかったのは、そんなにショックだったんだ。

 

 子供が大好きな親に反発したような。

 好きな人にわざと意地悪するような。

 

 空虚と興奮が全身を支配した。

 悲しくて、嬉しくて、苦しくて、切なくて。

 涙と笑顔が同時に浮き出てこようとする。スピリットが経験し得ない感情の動きに、ヒミカはただ翻弄されていた。

 

 が、そんなヒミカの女児じみた内面など横島に読めるはずも無い。

 仲直りの為に、ヒミカとの関係を一歩を進める為に、最終的にはエッチして愛し合う為に、横島の本気の想いと行動は受け取ってすら貰えないという最悪の結果で幕を下ろした。

 

 俺はヒミカに本気で嫌われている。

 

 横島がそう考えるのは当然の帰結だった。

 この瞬間、盤石を誇っていた第二詰所の歯車がずれた。ここが全ての分岐点。IFの始まり。

 そのズレが世界全てのスピリットに影響を与える事になると、まだ誰も気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒミカにドレスを突っ返された後、横島は自室で不貞寝していた。寝転がりながら天井をぼーっと眺める。

 まさか受け取ってすら貰えないのは想定外だった。

 国同士の外交でも、人間同士の親交でも、贈り物を突っ返すというのは最上級の無礼とされている。それはこの世界でも変わらない。突っ返す方だって絶交の覚悟がいる。

 

 仲良くする気も仲直りする気もない。

 そう明言したという事だ。

 事実は、ヒミカが恥ずかしがっただけで、自分のした行動の意味など碌に考えてなかったのだが、サイコメトラーでもない横島に分かるはずもない。

 がっくりと肩を落とし続ける横島。そこに、のんびりとした声が響いた。

 

「ヨコシマ様~大丈夫ですか~」

 

 ハリオンが部屋に入ってくる。

 いつものように安らぎを与えてくれる笑みは健在で、横島も少し心が楽になった。

 

「安心してください~ヒミカは恥ずかしがっただけなんですから~」

 

「いや……恥ずかしいってだけでありゃないっすよ。子供じゃないんすから」

 

「ヒミカは第二詰め所で一二を争う乙女なんですよ~そういう事もありますって~」

 

 ハリオンの慰めに、そういうものかと横島は気を取り直す。

 ならば次は、恥ずかしさなんて感じないようなスピリットにしよう。

 

 不屈の精神ですぐさま行動を決意する。女の子とイチャイチャ出来なければ、何のために第二詰め所で命を張っているか分からない。

 そう考えた横島はハリオンに礼を言って、丁寧に包装された本を手にすると力強く歩き出す。

 ハリオンは笑顔で横島を見送った。その笑みに、どこか陰があるのを横島は気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、ヒミカは皆の所に戻り、お茶会を再開させていた。

 ゴゴゴゴゴゴゴと、まるで地雷原の上でタップダンスするような緊張感と共に。

 

「ヨコシマ様からの贈り物は拒否したわ……これで満足かしら」

 

 潤んだ目でキッと周り睨みつけながらヒミカが言った。

 生涯で最高の贈り物を受け取れるところだったのに、妙な視線で台無しにされてしまったと、ヒミカは怒りをぶつける。

 それに対し、ナナルゥが反論した。

 

「満足も何も、私達は何も言っていません。ヒミカが勝手に受け取らなかっただけだと思いますが」

 

「あんな目で見つめといて、そんな言い訳が通ると思ってんの! ああ、そう。ナナルゥって、実はヨコシマ様が好きなんじゃない? だから嫉妬して睨みつけてきた……違う?」

 

「違います……ちがう、はずです」

 

「どうだか」

 

 口ごもりながらもナナルゥは反論する。ヒミカはナナルゥを睨みつけたままだ。

 他のスピリット達も色々と思う所があるのか、むっつりと黙り込んでいる。

 茶会はまさに一瞬即発の修羅場になり果てていた。

 

「おーい、ナナルゥ! いるかーー!!」

 

 そんな空気を物ともせず、横島が茶会に割って入ってくる。

 ヒミカはクルリと後ろを向いた。気まずさと甘酸っぱさでとても横島の顔が見れないらしい。

 横島は顔を顰めたが、今の目標はヒミカでは無い。ナナルゥの手を握って、ヒミカのときと同じく自室に引っ張り込む。

 

「ナナルゥ、本当に悪かった!!」

 

「……はい」

 

 ナナルゥはぶっきらぼうに返事をする。内心でドキドキと期待で胸を膨らませているのを隠すかのように。

 

「それで、お詫びといったらなんだけど……これを受け取ってくれないか!」

 

 横島は綺麗に包装された一冊の本をナナルゥに差し出した。

 ヒミカと比べれば手が込んでいないように見えて、ナナルゥは少しだけ落胆したが、それは本に書かれている著者を目にして一変した。

 

「まさか……この著者は!」

 

「おっ、知ってるのか!? これを手に入れるのに苦労したんだぞ!」

 

 その著者の名は一般には知られていない。知っている者は、むしろ口を噤むだろう。

 それもそのはず、この著者は人間とスピリットの恋愛をテーマに本を書いているのだ。当然、禁書である。スピリットであり、愛を知ろうとしているナナルゥにとっては、正に垂涎の一品だ。

 どこの店でも取り扱わない幻とも言える物品。希少性を考えればヒミカのドレスよりも遥かに上だろう。

 

「俺と一緒に本を読みあって、お互いに感想を言い合ったら面白そうじゃないか」

 

 言って見れば恋人同士で恋愛映画を見に行こうという提案だ。

 肩を寄せ合いながら同じ本を見て、互いの意見を交換し合う。

 

 ――――――ヨコシマ様はなんて素敵な事を考えるのだろう。

 

 ナナルゥは初めは尊敬の目で横島を見て、次に横島と二人きりで本を読むふけるシチュエーションを想像して顔を真っ赤にした。夢見るような表情で本をとろうとして、

 

 ――――――ナナルゥ、さっき私に言ったことを忘れたの?

 

 扉の隙間からナナルゥは視線を感じた。それは嫉妬と怒りに満ちている。

 だが、横島が考えたとおりナナルゥは他人の視線を意識するタイプではなかった。ヒミカと違って、そこまで恥ずかしいとは感じない。

 しかし、ナナルゥの胸はとある感情で飛び跳ねていた。

 その感情とは、

 

 ――――幸せすぎて怖い。

 

 羞恥ではなく、恐怖だった。

 一体何故、こんな恐怖を抱いてしまったのかナナルゥ本人にも分からないが、幸せと恐怖を同時に感じてしまったのは確かだった。

 

 恐怖と幸福。

 

 濁流の如く流れ込んできたその感情は、未だに幼子同然の心を有しているナナルゥには、あまりに大きく、あまりに強く、とても制御できるものではなかった。

 

 ――――溺れてしまう。このままでは、ヨコシマ様に溺れてしまう。

 

 恋愛小説を読みふけっている影響か、ヒミカと比べると詩的な表現だ。

 未知なる恐怖を抱いたナナルゥは、その恐怖を取り除くためにシンプルな行動に出た。

 すなわち、

 

「いりません」

 

「え?」

 

「本などいりません。失礼します」

 

 横島から送られてきた愛情を受け取らない。

 それが恐怖に対処するためにナナルゥの取った行動だった。

 

 本を突っ返されて、横島の瞳が光を失う。

 光を失っている横島の姿を見て、ナナルゥは強く胸がうずいた。

 

 私はヨコシマ様に愛されている。

 

 そんな秘かな充実がナナルゥの胸を満たす。同時に、プレゼントが受け取れなくて悲しいとも思う。ここは先のヒミカとまったく同じだ。

 横島の心に多大な傷を残していることに、自分の感情でいっぱいいっぱいの彼女は気づかない。

 こうして、ヒミカに続きナナルゥまでも横島との仲直りを拒否することになる。

 

 二人が横島のプレゼントを拒否した所為で、セリア達には妙な制限がかけられてしまった。

 

『今後、ヨコシマ様からのプレゼントを受け取ってはならない』

 

 横島からすれば『はあっ!?』としか言いようがないふざけた内容。

 しかし、第二詰め所全体の空気が横島と仲直りしないように、と決定されてしまった。

 

 そうすればヨコシマ様は仲直りのプレゼントを持ってきてくれる。

 そうすればヨコシマ様に愛されていることを実感できる。

 そうすれば恥ずかしさから逃れることが出来る。

 そうすれば恐怖を感じずに済む。

 

 意味不明な論理展開。

 それは初めて恋を受け取った小さなレディ達の、情動による暴走だった。

 かくして、女児達の癇癪に横島は振り回されることになる。

 

 

 

 

 

 

 

「ちくしょー! なんだってんだよ!!」

 

 部屋に戻った横島はひとしきり叫んだ後、ベッドに倒れこんだ。

 しばらく死んでいると、ルルーが仕事の事で話があると部屋にやってきた。

 横島はやってきた妹に愚痴をグチグチと聞かせる。ルルーは呆れたようだった。

 

「どうせ、しっかり謝らなかったんでしょ。兄さんってふざけてばかりだから」

 

「しっかり謝ったわい! 本気で頭を下げて、お詫びの品も持ってんだぞ!! これで謝ってないっていうなら、ほかにどうやって謝れっていうんだよ! 言ってみやがれ!!」

 

「ひゃ! そ、そんなに怒りながら言わなくても……」

 

「……ああ、悪い。はあ……はあ~~~~」

 

 横島の怒りと落ち込みようにルルーは首を傾げた。

 どうやら本気で謝ったらしい。しかも、それでもハリオンを除く第二詰所の面々は全く横島を許さなかった。

 そんな事ありえない、とルルーは思う。

 

 どれだけ横島が、兄が、スピリットの為に心を砕いていると思っているのだ。

 兄の頑張りを間近で一番見ていて、その恩恵を最も多く受け取っている第二詰所が、裸に剥かれた程度で絶交を宣言するなどありえるはずがない。

 きっと何か勘違いがあったのだと、ルルーは考えた。

 

「安心して。兄さんがどれだけ頑張ってきたか、分からないスピリットはいないから」

 

「……そうか、そうだよな! 本気で頑張って成果も出してるよな!」

 

 あっさりと元気になった横島だが、ルルーにはどこか無理しているようにも見えた。それだけ真剣に心をぶつけたのだと理解する。本気をぶつけてスルーされるのは本当に辛い事だとルルーも知っていた。

 どういう理由で兄の心を拒絶したのか、セリア達から話を聞きに行った方がいいかもしれない。

 ルルーも行動を起こし始める。

 

 

 

 

 

 そんなルルーの動きなど露知らず、横島は次にシアーの所へ向った。

 子供達にもプレゼントは用意してある。大人達とは違い、こちらは下心はない。ただ純粋に喜んでほしいという心の表れだ。根本的に横島は子供に優しかった。

 

「んしょ、んしょ」

 

 シアーの部屋に行くと、彼女は竹と木材を組み合わせて何やら作っていた。

 作っているのは竹馬だ。横島は日本の遊び道具を子供達に聞かせて、それをシアーは作ろうと努力している。こうしてハイぺリアの遊び道具を作ると、シアーは町の子供達の所に持っていくのだ。

 その為、シアーは男の子達から非常に人気がある。男の子受けする性格に、男の子受けする趣味を持っているのだから当然だ。無論、スピリットという種族の足かせは大きかったが、レスティーナの方針と一人の少年の努力が実を結び始めているのも大きいだろう。

 

「ん~切りづらいなあ」

 

 大人用の無骨な彫刻刀は、小さな手のシアーには使いづらいらしい。

 ちょうど良い時に来たものだと、横島はほくそ笑む。

 

「よ、シアー。なに作ってるんだ」

 

「あ、ヨコシマ様~。あのね、今は……なんでもないもん」

 

 最初はニコニコとお喋りしていたのに、途中で急に不機嫌になる。

 いつも仲良くしている相手と今は喧嘩中だったと気づいた子供だ。子供時代を思い起こさせるシアーの言動に横島は癒される。微笑ましくも感じるが、いい加減そろそろ仲直りをはたしたい。

 

「なあ、シアー。どうして怒ってるのかよく分からんけど、とにかく俺が悪かった。これで手を打って仲直りしようぜ」

 

 横島はプレゼントを差し出した。

 シアーに送ったものは、なんと彫刻刀である。無論、ただの彫刻刀ではない。

 その数は十数本にもおよび、それぞれ握りの色が違う。さらに握りもシアー用に小さく作ってた。

 止めに、シアー・ブルースピリットと名前を彫ってある。まさにシアー専用の彫刻刀だ。

 シアーは呆けたように彫刻刀を見つめた。だけど、いきなり胸を押さえてクルリと回れ右をする。

 

「いらない」

 

「へ?」

 

「いらないから出てって!!」

 

 シアーの金切り声が部屋を震わせる。

 本気の拒絶を横島は感じた。その表情は横島からは見えないが、絶対に近づくなと全身が主張している。

 

「お、おい。何か気に食わなかったんか。だったら出来れば何が悪かったか言ってくれると」

 

「いいから、出てって……早く!!」

 

 まるで恐怖を堪えているかのように、シアーの肩は震えていた。

 横島はもうどうしようもなくて、悪かったと言って部屋を出る。

 部屋から横島を追い出したシアーは、泣きながら横島に謝った。

 

「ごめん……なさいヨコシマ様。でも、どうしようもなかったの。顔がとけそうで……胸が痛くて……体が、お腹が……熱いよぅ……ヨコシマさまぁ」

 

 シアーのまだ幼さが残る声には、艶やかで生々しい女性のそれが含まれていた。

 リンゴのように真っ赤になったシアーの切なげな吐息が部屋に満ちて、彼女は部屋の鍵をかけるとベッドに倒れこんでいった。

 

 

 

 

 

 圧倒的な徒労感に横島は打ちのめされていた。

 一体何が悪かったのか。このプレゼントに何か問題でもあったのだろうか。

 シアーの気持ちがまったく理解できなくて、ただ悔しさと混乱で胸が痛い。

 棒のような足を引きずりように部屋に戻る。

 

「ふざけんな! 何を考えてるの君達は!?」

 

 すると大きな怒鳴り声が響いてきた。

 リビングに行くと、ルルーがセリアを相手にして怒鳴りつけていた。

 

「第二詰め所の事は第二詰め所で考えます、関係ない人は関わらないで!」

 

「関係ないわけないでしょ! 兄さんは第二詰め所だけと付き合っている訳じゃないんだよ」

 

 セリアがルルーに怒鳴り返して、ルルーはまた怒鳴り返す。

 にらみ合いが続くが、セリアは横島の姿を確認するとふいと顔を背けた。そして、そのまま席を立ってどこかへ歩いて行った。

 やはり話し合いにすらならず、横島はうなだれるだけ。

 最悪の顔色をした横島にルルーも泣きそうになる。

 

「兄さん、お願いだからスピリットを嫌いにならないで。お願いだから」

 

「は、ははは。まあ、俺がモテナイのはいつものことだし大丈夫だぞ……はは」

 

 横島はネガティブにボジティブ発言をしたが、声にはまるで力が込められていない。当然だ。

 通りすがりの女をナンパして振られるのとは訳が違う。第二詰め所の為に、一年間も血と汗と涙を流してきた。その結果がこれでは嘆いて当然だ。

 

 冗談ではすまないとルルーは思う。

 

 この状況が続くようなことがあれば、笑い話にもなりはしない。

 ルルーも隊長となり、未来を見据える目と想像力を鍛えている。

 このまま横島が冷遇され続ければスピリットの未来に影を落としかねない事態に発展しかけない。

 どうにかしなければ、と考えた時、ある野望が芽生えた。

 

 ――――これは上手くすると、第三詰め所の悲願を達成できるかもしれない。

 

 簡単では無いだろう。でも、このままいけばチャンスはある。

 ギラリとルルーの目は強く輝いて横島を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、また日は過ぎていく。

 その日。イオ・ホワイトスピリットは主人であるヨーティアの命である薬草を探していた。

 世にも珍しい銀というよりも白に近い長髪をたなびかせながら、森で薬草摘みに精を出す。

 そんなイオの目に、ある光景が飛び込んできた。

 

 横島とセリアである。

 何を話しているのか分からないが、横島は何度もセリアに話しかけて、セリアは彼に背を向け続ける。

 しばらく話していたが、最後には横島がこの世の終わりのような表情をして、肩を落として歩いていった。

 一体どうしたのか興味を抱いて、イオはセリアに近づいて話しかける。

 

「こんにちは、セリア様」

 

「あら、イオさん。お久しぶりね」

 

「そうですね。私の会話シーンがあったのは二十五話が最後ですから、実に久しぶりといえるでしょう」

 

「……貴女もなかなか天然ね」

 

「それほどでもありません」

 

 良く分からない挨拶を交わして、話題は先の横島との会話に移る。

 

「それで、ヨコシマ様と何を話していたのですか。彼は随分と落ち込んでいたようですが」

 

「見ていたのね。私と二人でご飯を食べたいって誘われたのよ……しかも人間の店でよ。当然、断ってやったわ」

 

 ピクピクと不自然に頬を痙攣させながら、セリアは意気揚々と言ってのけた。

 誘われた店の名前を聞いたイオは、ほおっと感心したように目を丸くする。

 

「それはまた随分と奮発したものです。その店は恋人同士がいくようなロマンチックな良店だと耳に入れたことがありますよ」

 

「そ、そうなの……へえ~そうなんだ……そう……ふふ」

 

 セリアの頬がさらに不自然に痙攣する。はっきり言って変顔だ。

 必死に澄まし顔を作ろうとしているが、上手く取り繕えないらしい。

 浮かれているのは一目瞭然だが、ならばどうして断ったのかイオには見当もつかなかった。

 

「どうして誘いを断ったのですか?」

 

「それはその……私が彼を嫌いだからよ! ヨコシマ様なんか……」

 

 顔を真っ赤にして横島を罵るセリアだが、イオははてと首を傾げた。

 どうみても嫌っているようには見えない。表情は生き生きとしているし、声には張りがある。

 だけど、言っている事は手厳しい。それに誘いを断ったのは事実だ。

 

「随分とエトランジェ・ヨコシマに辛辣ですね。これも一つの愛情表現なのでしょうか」

 

「あ、愛情表現!? そんなわけないでしょ! あんな情けない女好きなんて大嫌いよ!」

 

「それほどヨコシマ様は酷いのですか?」

 

「ええ、本当に酷いものよ。汚らしい男の人の欲望はね。それを私達は一番良く知っているの」

 

 自分達以上に男の人と触れ合ったスピリットはいないだろう。

 そんな自負がセリアにはあった。ピクリと、イオの端正な眉が動く。

 

「そうですか。では、ヨコシマ様の汚らしい欲望とやらを聞かせてもらっていいですか」

 

「え? そ、そうね。胸やお尻を見てくるし、私達に妙な服を着せたがったり、何かの拍子にすぐに抱き着こうとしてくるし……あ、食事時に調味料を取ろうとすると、ヨコシマ様と手が触れることがあるの! しかも握り締めようとしてくるし! あれは絶対に狙ってるわね」

 

 セリアは必死に自分達がいかに横島の邪欲に襲われていたかを語る。苦労しているとセリアは言うが、相も変わらず表情は嬉々としている。まるで自慢話を語っているようだ。

 その内容も、聞けば聞くほどイオの失笑を誘うだけだった。

 

「フッ、フフフフ! そうですか、エトランジェ・ヨコシマが汚らしい男の欲望を振りまいていると。皆さんはそれの最大の被害者と、そう言われるわけですね」

 

「そうよ。私達がどれだけ彼に汚された事か」

 

 汚されているというセリアの言葉に、イオは噴出すのを必死にこらえた。

 イオは愚者を哀れむような目でセリアを見る。

 

 ――――何て愛らしく、そして愚かしい。

 

 横島に沢山大切にしてもらった結果がこれだ。

 何かを思い出すかのようにイオは遠くを見つめる。

 

 ――――セリア達が汚れているとすれば、自分は一体どれだけ汚れているというのだろうか。

 

 イオは自嘲するような笑いを浮かべた後、セリアに言った。

 

「皆さんを見て分かりました。スピリットは適応能力に優れているようです。それが良いものでも、悪いものでも、スピリットは状況に慣れてしまうのでしょう」

 

 話の繋がりが見えず、イオの言葉にセリアは首を傾げる。

 

「……私には、イオさんがどういう意味で言っているのか分からないわ」

 

「貴女達はとても幸せという意味です。ハイぺリア流に言えばおめでたい限りですね」

 

 イオは満面の笑みで笑い声を響かせた。

 口元を手で覆って上品に笑う。しかしその笑みは、大嘲笑とも言うべき侮蔑に満ちたものだった。

 言葉の意味は分からずとも感情は読める。セリアは憮然として言った。

 

「イオさんに私達の気持ちが分かるとは思えないわ」

 

「その言葉、そっくりそのままお返しします。

 それと冗談だとしても、その言葉を他のスピリットの前で言わない事です……夜道で刺されますよ」

 

 氷のように冷たいイオの瞳に、セリアも流石にゾッとした。

 自分達が第三詰め所に恨まれ始めているのは知っている。横島が大好きな彼女達は、彼を苦しめている第二詰め所を嫌うのは当然だ。それはセリアも理解していたが、自分達にも言い分はある。

 

「誰にも、第二詰め所の辛さなんて分からない……分かるもんか」

 

 ありったけの感情をこめて、セリアは絞り出すように言った。

 

 そうだ、誰にも分かるわけがない。

 優しく楽しい隊長がいて羨ましい。それなのに、第二詰め所はヨコシマ様を苛める馬鹿な奴ら。

 第三詰め所のスピリットを始め、病院やら牢獄にいるスピリット達はそう羨やみ妬んでいるのだろう。

 横島と共に居て得る感情とは、そんな簡単なものじゃないのだ。

 ここ数ヶ月だけを思い出しても、どれだけ心を掻き乱された事か。

 

 戦いで横島の首が落とされた時の光景は、今でもたまに夢で見て跳ね起きることがある。

 横島が行方不明の一ヶ月は恐怖で眠れぬ毎日を過ごした。

 そんな恐怖に苛まれながら過ごしていたのに、帰ってきたらエロで暴れて怒らせてきて。

 そして、今回のプレゼント。

 

 毎日が喜怒哀楽のジェットコースター。初体験の連続。

 生まれて二十年近く経つが、この一年で感じた感情はその全てを上回っているだろう。

 抑えても抑えきれない感情が渦巻いて、心も体も本当に苦しいのだ。

 

 

 イオの瞳から険しさが少し抜けた。全てとは言わないが、セリアの気持ちが理解できたからだ。イオも暗黒の底から拾い上げられた時、ヨーティアの放つ光に戸惑った経験がある。

 暗闇からいきなり太陽の下へ移動すると目が潰れる時もあるのだ。

 

 まして、男と女である。

 どうしようもなく心も体も疼いて、でも経験がないからどうしたらいいのか分からなくて、混乱としかいいようが無い日々を送っているのだろう。

 

 セリアは愚者というよりも、愛され方も愛し方も知らない子供なのだとイオは理解した。少し哀れにも思う。こんなにも初心な女児が、あの規格外の塊である横島と共に居るのだ。初めてのお酒にウォッカを進められたようなもの。

 問題が出て当然である。

 

 だが子供という理由が免罪符になりはしない。

 セリア達以上の子供を、彼女達は知らずに傷つけているのだから。

 

 親を持たない子供に親の煩わしさを愚痴るような。

 家を持たない子供に家出の辛さを語るような。

 愛を知らない子供に愛されて辛いとのたまうような。

 

 そんな無思慮と無配慮をセリア達は周囲に押し付けている。

 このままでは、第二詰め所とそれ以外のスピリットで対立が起こってしまう。平時ならいざ知らず、戦争が起こっている現在では致命的な破滅を呼びかねない。

 

「セリア、もう少し大人になりましょう。貴女達が酷く混乱しているのは分かります。それでも自分達がどれほど恵まれているか理解しているでしょう。それで不幸面をされては……周囲のスピリットがどう思うか分からぬほど子供ではないはずです。このままでは、誰にとっても不幸な結末になりますよ」

 

 イオは優しく語りかけたがセリアは何も答えなかった。

 どれだけ理屈で説得されようと、横島の前に出るともうだめなのだ。顔が熱くて、胸が苦しくて、とても平静ではいられなくなってしまう。まったく未知の何かが胸から溢れ出して、全身を支配しているとしか思えない。

 今でさえ、横島から食事に誘われた事を思い出して顔がにやけそうなのだ。

 

 

 セリア・ブルースピリットは初めての青春に惚けていた。

 

 

 そんなセリアに、イオは『初恋は叶わない』という何処かで聞いた格言を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだだ、まだ終わらんぞ!」

 

 手酷く振られ続けても、横島はまだその目に闘志を燃やしていた。

 次なる標的はヘリオンだ。あのどこか近しい雰囲気を感じる少女なら、大丈夫だろうと横島は考えた。それに、ヘリオンには好かれているという自覚もあったのだ。

 

 町にいたヘリオンを見つけて声をかける。

 

「ひゃ、ヨコシマ様! えへへ、まだ私はヨコシマ様を許してないですよー! えへへ」

 

 ヘリオンは怒っているのか笑っているのか分からない顔で横島を迎えた。

 

 ――――――これは絶好のチャンスなのです! 

 

 実はヘリオンはある策略を考えていた。策略の名は、抜け駆けである。

 ここで横島と仲直りしたスピリット第一号となれば、彼の好感度はググッと上昇するに違いない。後は勢いに任せてゴールインだ。

 

「えへ、えへへへへ~」

 

「お~い、ヘリオン。妄想から戻ってこーい」

 

「はわ! 戻ってきました!」

 

「よし、戻ってきたか。それでだな、ヘリオンに許してもらう為にな、最高のデートを俺として貰いたいんだけど」

 

「で、デートですか!?」

 

「おお、デートだ。今日はどこまでも付き合うし 何でも好きなの買ってやるぞ!」

 

「分かりました! 許します、もうたくさん許しますよー! えへへこれで私がヒロイン……ってデートですか!? あわわわ、どうしよう! 一足先に大人の仲間入りなんですか~~!?」

 

 相も変わらず妄想全開なヘリオン。元から素質はあったが、同類である横島がやってきて彼女の妄想力はパワーアップを果たしていた。

 百面相なヘリオンを横島は生暖かくも、優しい表情で見つめる。

 

 ようやく、許してもらった。大切で可愛い女の子と仲良くできる。

 

 笑顔を貰って、なにより本気を受け止めてくれて、横島の心は水を得た魚のように力を取り戻した。

 これで子供じゃなければ、とは流石に口に出さない。

 

「本当にありがとな、ヘリオン」

 

 ただ純粋な感謝を込めて、ヘリオンに最高の笑顔を向ける。

 ヘリオンは爆発した。爆発したと、ヘリオンは思った。

 

「ふっ……くぅ!」

 

 心臓が跳ね回る。いや、心臓が跳ねるなどという生易しいものではない。心臓に爆弾を食らったかのような、爆発的な動悸が起こる。とても立ってなどいられない。

 

「かっ……はぅ……っ」

 

「お、おい。どうした!」

 

 胸を押さえて苦しそうに息をするヘリオンに、横島は慌てて彼女の手を握り抱きとめる。

 だけどそれは逆効果だった。心配そうな顔を近づけられて、さらに手を握られて、とうとう息すら出来なくなってしまう。

 そこでヘリオンは気づいた。横島が握ってくれた自分の掌は、普通の子供と比べてどれほど醜いかを。

 

 肉刺が何度も割れて、固く厚ぼったくなってしまった自分の手。

 さらに、今は物凄い量の汗が噴出してしまっている。

 汗に塗れた醜い手が愛しい人に触れている。

 ぬちゃりと、横島に握られた手から音が聞こえたような気がした。

 

 ――――――もしも、ヨコシマ様に気持ち悪い手と思われたら?

 

 それを意識したヘリオンは、心の均衡を失った。

 

「い、いやああ。いやあいやあああ! 汚いから触らないで、触らないでください!!」

 

 恋に恋するような乙女ヘリオンにとって、自身のベトベトな手を触ってほしくないと考えるのは当然だった。しかし、そんなヘリオンの心の動きを横島は察知できるわけもない。

 一年間も家族同然に過ごしてきた少女に『汚い、触るな』と手を振り払われた衝撃はかなりのものだ。

 

 ヘリオンは横島を突き飛ばすと、脱兎の如くその場から逃げ出す。その後姿を横島は茫然と見送った。

 さらに悪かったのは、ここが町中だったという事。

 少女に触ろうとして、汚いと手ひどく振られた。

 周りから見ればそうとしか見えない。人間達は横島を見てひそひそを言葉を交わす。

 侮蔑の視線が横島に突き刺さるが、人間達の視線が横島の顔を捉えると、あっと言った後、思わず笑った。

 

 あんぐりと口を空けて放心する横島は非常にユーモラスで、笑わずにはいられなかったのだ。さらに横島はペタンと腰を付いた。周囲の人間達はどっと笑う。

 

 そんな人間達のかき分けて、一人のレッドスピリットが駆け寄っていた。

 

「ヨコシマ様、ご無事ですか!」

 

 彼女はそう言って、横島を抱きしめた。

 

 

 

 

 

「ヨコシマ様、ご無事ですか!」

 

 町で買出しをしていた私は、偶然その光景を見てしまった。

 スピリットに汚いと言われて、周囲の人間様に笑われるヨコシマ様。私の体は勝手に動いた。

 

 ヨコシマ様の手を握り締める。一体、この手のどこが汚いというのか。

 むしろ剣ダコがある私の手のほうが遥かに醜い。あのブラックスピリットがどういうつもりでヨコシマ様の手を汚いなど言ったのか、私には理解できなかった。

 

「フーリちゃん、俺の手……汚いかな」

 

「そんなわけありません!」

 

 私は必死に否定した。

 汚らわしい。汚らしい。

 スピリットであれば、誰もが言われたことがあるだろう

 それから手を洗って体を拭いて、それでも汚いと叩かれるまでがセットだ。

 

 

 ヨコシマ様の手を握り締めながら、私は過去を思い出していた。

 私、フーリ・レッドスピリットはダーツィ大公国に所属するスピリットだった。

 別段、特別な能力も特徴もない、極一般的なレッドスピリット。

 周囲の環境も一般的だったが、一つだけ例外があった。

 私には一人の姉がいたのだ。それも、何と心を残したまま成人になろうかという姉である。

 

 それは私がまだ幼くて心を残していた時の物語。

 

 

 

 

 

「私はね、誰かに抱きしめて欲しいの。心を残しているとね、調教師様っていうスピリットを抱きしめてくれる人の所にいけるんだって」

 

 お姉ちゃんは嬉しそうに言った。気持ちは分かる。ときどき見かける人間様が楽しそうにお喋りして抱き合っているのを見ると堪らなく切なくなる。愛されるってどういう感じなんだろう。

 どうしてスピリットにはパパもママもいないのかな。ママがいてくれたら、きっと優しく抱きしめてくれるのに。

 

 お姉ちゃんは調教師様の所に行くため、頑張って心を維持していた

 より神剣の声を聞くためだって、真っ暗い部屋に閉じ込められて、仲間とも話すなって命令されて。弱らされた状態で神剣を無理に使わされた時はお姉ちゃんも本当に苦しそうだった。

 

 でも、お姉ちゃんは耐えた。

 調教師という希望を胸に秘めて、地獄を耐え切ったのである。

 

 お姉ちゃんのハイロゥは白色のまま。遂に調教師の所へお姉ちゃんは元へ送られた。

 調教師様、どうかお姉ちゃんに優しくしてください。

 神様というのは知らないけど、それでも祈る。

 

 数日してお姉ちゃんは帰ってきた。

 お姉ちゃんは笑っていた。泣いていた。怒っていた。悲しんでいた。

 突然、叫びだして頭をぶつけたり、誰かに触られるのを酷く嫌がる。

 可笑しくなっていた――――狂ってしまった。

 

「調教師め」

 

 変になってしまったお姉ちゃんを見つめて隊長は怒ったよう呟く。

 調教師様はお姉ちゃんに酷いことをしたらしい。それが隊長には許せないのだ思う。同情してくれているのだ。

 隊長は誇り高くて正義感の強い人だから。

 

 今なら、隊長もスピリットに優しくしてくれるかもしれない。

 

 私はそっと隊長に近づいて手を触れてみた。

 

「汚らわしいスピリット風情が、触れるんじゃない!!」

 

 心底気持ち悪そうに叫んで、隊長は私を殴った。鼻血がポタポタと床にこぼれた。

 汚いと言われたのはこれで何度目だろう。始めの頃は手を洗ったりしたけど、今は何の意味もないと知っている。

 それからお姉ちゃんは神剣を持たせられると、すぐにハイロゥが黒くなった。

 

 心なんていらない。世界もいらない。何もかも消えてしまえ。

 

 お姉ちゃんの心が私にも聞こえた。全てを絶望して望んで心を消したのだ。お姉ちゃんのハイロゥは誰よりも黒く染まっていた。人間がスピリットに求める『完全なスピリット』にお姉ちゃんは至ったのだ。一番、人間様を信じていたのがお姉ちゃんだったのに。

 

 ようやく私も理解した。優しいとか、正義とか、スピリットには関係ないのだと。

 スピリットは汚い。スピリットは気持ち悪い。スピリットに希望は無い。

 スピリットに生まれた事が罪なんだ。

 もう消えてしまいたい。誰か私を殺して。

 

 ――――マナを集めよ。

 

 神剣の声がいつもより大きく聞こえて、私のハイロゥは黒く染まっていた。

 

 

 

 

 そこから先は記憶は曖昧だ。心の殆どが神剣に飲まれてしまったからだろう。

 私が自意識を取り戻すまでの八年間。その間の事は何も覚えていない。八年間という時間を無駄にしたみたいだけど、今となってはどうでもよかった。

 だって、ヨコシマ様がいないから。ヨコシマ様がいない時間なんて何の意味もないもの。

 貴重な青春時代を、とヨコシマ様は嘆いてくれたけど、本当にどうでも良かった。むしろヨコシマ様が同情してくれたのだから、それで良かったと今は思う。

 

 

 私の記憶がおぼろげに生まれ始めたのは、鏡を見ている時から始まる。

 鏡を見ていた時に、何を考えていたのか覚えていない。覚えているのは一つだけ。

 

「うんうん、やっぱスピリットは美人だよな。しかも珍しくモデル体型だし」

 

 これがヨコシマ様に初めて言われた言葉だ。

 私の胸は妙に大きくて神剣を振るのに邪魔でしょうがなかった。身長も高くて正直嫌いだったけど、今はヨコシマ様に褒められるから誇りを持っている。

 

 でも、言われた時は私には殆ど感情がなかったから、何の反応も出来なかった。

 何となく覚えているのは、ヨコシマ様の笑顔。あの底抜けに優しくて明るくて、ちょっとだけ馬鹿っぽい。でも、私の事を真剣に考えてくれていた。エロ強い顔だ。

 

 それからヨコシマ様は二日に一回は訪れて、色々な物を与えてくれた。

 

 不器用な音楽を奏でてくれた。

 可愛い動物を持って来てくれた。

 色々な遊びを教えてくれた。

 何人かが特に興味を持って、少しずつハイロゥが白くなり始めていたのを覚えている。

 

 私にも、その時が来た。

 ヨコシマ様が持ってきてくれた真っ赤なパスタ。特別な香辛料を振りかけた一品。

 

 鼻にツンときて、舌がピリピリする。

 ああ、そうだ。これは『辛い』という味だ。

 他のスピリット達は嫌そうに顔を顰めていた。何故だろうか、こんなにビリビリして美味しいのに。

 

「美味いか?」

 

「はい」

 

 これが、私とヨコシマ様の始めての会話だ。

 今思うと、何て色気が無いのだろうと思う。

 

 ヨコシマ様は万歳と両手を上げて喜んだ。私はきょとんとヨコシマ様の大喜びを眺めていた。

 後から聞いた話だが、パスタを食べて私は笑ったらしい。美食で心が目覚めるなんて、私はいやしんぼなんだと思う。

 

 それから私にだけ辛い料理を与えられるようになった。

 食べ終えるとルルー隊長が感想を求めてくる。最初は殆ど喋れなかったけど、いつからか私はたくさん喋るようになる。好きな事は沢山喋りたいし、他の皆にもこの美味しさを伝えたかったから。これも、私が心を取り戻すためにヨコシマ様が考えてくれたらしい。

 

 いつしかハイロゥの色も黒から白に近い色となって、私は自分を取り戻して世界に帰還した。世界に戻りたかったから、楽しくて希望がある世界だから、つまりヨコシマ様いるから私はここにいる。

 

 ヨコシマ様にはどれだけ感謝してもしきれない。この人の為に剣を振るって、そして死のう。私がこの世界にいるのは彼が存在しているからだ。そう決意するのは当然である。

 でも、その願いは叶わないかもしれないと不安になる時があった。

 だって、ヨコシマ様は私達の隊長じゃないから。きっと分かれて戦う方が多い。もし、私の知らないところでヨコシマ様が死んじゃったら。考えるだけで身の毛がよだつ。

 

 

 そのヨコシマ様が悲しんでいる。

 笑顔が消えて苦しんでいる。他ならぬ、ヨコシマ様の直属のスピリットによって。

 こんな馬鹿の事があってたまるものか。

 

「ヨコシマ様、元気を出してください」

 

 どうにかヨコシマ様に元気になってほしかった。

 どうしたらいいかと少し考えて、やはり辛い物を一緒に食べると元気になると考える。

 

「半分個しましょう」

 

 からし入りの肉饅頭を二つに割る。

 意図的に、小さいのと大きいのに分けた。

 

「大きい方を、ヨコシマ様が食べてください」

 

 この程度しか出来ない自分が情けない。

 でも、やらないよりはいいと思う。

 ヨコシマ様は驚いた顔をしたけど、お礼を言って食べてくれた。

 

「辛くて美味しいな」

 

「はい」

 

「一緒に食べると美味しいよな」

 

「はい……はい!」

 

「ありがとな。フーリちゃんが……フーリが居てくれて、本当に助かる」

 

 ヨコシマ様が抱きしめてくれた。

 何度か抱きしめてもらった事はあった。私が新しい魔法を覚えた時は偉い偉いと褒めてくれて、失敗した時はよしよしと慰めてもらう。いつも私が寄りかかる側だ。

 

 だけど、今回は違う。

 ヨコシマ様の重さが私に寄りかかってくる。私がヨコシマ様を支えている。

 呼び捨てにされた事も心地よい。自分が好きになれそうな誇りが胸に満ちてくる。

 

 全てが報われたと思った。

 私が今まで生きてきた理由。体が大きな理由。私がここいる理由。

 辛い目にはあったけど、それも全部ヨコシマ様を支える為だったなら運命に感謝したい。

 

「ありがとうな。元気が出たぞ」

 

 ヨコシマ様が笑顔を浮かべて――――

 

「元気も出たし……第二詰め所の皆と早く仲直りしないとな」

 

 ――――え?

 

 あんな目に合っても、まだ第二詰所が大切なのだろうか。

 私なら、私達の第三詰所ならヨコシマ様を絶対に泣かせない。彼のお願いなら全て聞き入れよう。死地に送られても、死ねと命令されても、ヨコシマ様の為ならば喜んで従おう。

 私達にとってヨコシマ様はこの世界の全てといって良いのだから当然だ。でも、ヨコシマ様は第二詰所を望む。

 心の中で、黒い暴風が吹き荒れた。悔しさと怒りで歯がカチカチと音を立てる。

 

「ま、今は第二詰め所はいっか。よし、フーリちゃん。一緒に辛いもの巡りでもしようぜ!」

 

 今は、第二詰所ではなく私を見てくれる。黒い暴風が収まっていく。

 まだ胸のうちで何かが渦巻いているけど、でもそれを口にしちゃいけないと分かった

 もし、私が第二詰め所の連中を批判したら、きっとヨコシマ様は困った顔になるだろう。それは嫌だ。

 だから、我慢する。我慢する。がまんする。ガマンスル。ガマンガマンガマン!!

 

 でも、これ以上ヨコシマ様を泣かせるのなら、もう我慢はしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから横島はまた行動を始めた。

 次なる目標はファーレーンとニムだ。今度のプレゼントはペア物なので二人同時に渡すことにする。

 だが、

 

「ファーレーンさん! ニム! 二人にちょっと渡したいものがあるので仮面を取ってもらえれば」

 

「いやあ! 近づかないでください!!」

 

 ファーレーンのアッパーカットにより、横島は宙に舞って、そして地面に叩きつけられる。

 プレゼントを渡すどころか、仮面を外してもらう事すらできず、そもそも近づく事すら出来はしない。ニムもファーレーンと一緒に行動しているから近づけず。

 ファーレーンとニムントールに関しては、どうにもならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 横島は自室で死んでいた。

 息をするのも億劫と感じているような横島に、ハリオンはお菓子を出しながら慰めようとする。

 

「気を落とさないでください~皆さん恥ずかしがっているだけなんですよ~」

 

「その慰め……もう何回目でしたっけ」

 

 流石のハリオンも返す言葉がない。

 沈黙が場に満ちる。横島はハリオンが横にいるというのに、ベッドに横になったまま身動き一つせず、ハリオンも気軽に雑談など出来る雰囲気では無いと理解していた。

 どれだけそうしていただろう。ポツリと、ハリオンが言った。

 

「もう『命令』してもいいんじゃないでしょうか~」

 

「っ!」

 

 スピリットは上位者の命令に逆らえない。

 横島が一言つぶやけば、それで全てが終わる。

 

 仲直りしろ。

 

 そうセリアらに命じるだけでいいのだ。

 耐え難い誘惑が横島を襲った。誘惑を肯定する言葉も浮き上がってくる。

 

 俺は十分に努力した。ここまでやって許してくれないあいつらが悪い。

 

 自分を肯定したい言葉がいくつも思い浮かぶ。ハリオンも、それを認めてくれるだろう。

 横島の心は少しずつ『命令』に傾いて―――――

 

 

 ――――どうしてスピリットに生まれちゃったんだろう。

 

 

 傾きがピタリと止まる。

 思い出してしまう。スピリットがどういう目に合ってきたか。思い出すだけで身震いする。

 人に逆らえないという種族特性によって、どれだけスピリットが心を壊されてきた事か。

 

「……『命令』はできねーよ。してたまるか!」

 

 それは横島の誓いだ。

 スピリットの心を守る。スピリットという一個の生命を最大限、肯定する。

 その上で、楽しくて明るいエッチな毎日をスピリットと送る。

 この為に命を懸けて頑張ってきたのだ。この欲望を諦めるわけにはいかない。

 

 そんな横島をハリオンは優しく見ると、上着をスルリと脱いだ。

 いきなりの事に目を白黒させる横島だが、ハリオンは穏やかな笑みを浮かべたまま、彼に馬乗りになる。

 

「うふふ~ヨコシマ様~私の全て……好きにしちゃっていいんですよ~」

 

 温かく、柔らかく、艶めかしい、ハリオンの肢体。

 いきなりで驚きつつも、麗しい女体を全身で感じた横島に選択の余地などあるわけがない。

 本能の赴くまま抱きしめて、欲望を叩きつけようとして、

 

 ――――ハリオン・グリーンスピリットはエトランジェ・タダオ・ヨコシマの――――

 

 呪いの如く聞かされた言葉が蘇る。

 

 横島は世界で一番大切で、一番抱きたい人の笑顔を思い出して、エロスを跳ね返した。

 息子に伸びていたハリオンの手を払いのけ、彼女の体を優しく突き放す。

 そうしてベッドから降りると、横島は精いっぱいの笑顔を作る。

 

「わはは! 冗談はダメっすよ! ハリオンさん」

 

「……冗談なんかじゃ」

 

「ありがとうございます。でも俺は大丈夫なんで……すんません」

 

 横島は謝りながら、ハリオンを残して部屋から出た。

 部屋の主を失った部屋で、下着姿のハリオンはベッドの上で呟く。

 

「やっぱり、私じゃダメみたいですよ~レスティーナ様」

 

 いつものように、のんびりしたハリオンの声。

 その声の中に、自分を呪うような響きがある事に、気づいたものはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 何があっても第二詰所と仲直りしなければならない。

 

 横島は自分自身の為、そして大切な人の為にも、仲直りの重要性を自覚した。

 女の子とキャッキャッウフフの楽しい毎日を送り、最終的にはエロに至る。

 それが横島がこの世界にいる理由の原動力。それに、シロとタマモを助けるためにも、仲直りは必須だ。

 諦めたら、この世界にいる存在理由を失ってしまう。諦めるわけにはいかないのだ。

 横島は気力を振り絞り、次なる計画を発動する。

 

 

 

 

 

 クール祭り。

 そんな垂れ幕がネリーの目に飛び込んできた。周囲には沢山の人間達がいて、忙しそうだが楽しげに動き回っている。

 

 横島から祭りに誘われたネリーはウキウキワクワクと辺りを見回していた。

 もう歩いているだけで楽しい。美味しい匂いと、楽しげな音楽が心を弾ませてくれる。

 何よりも嬉しいのが、周囲の人間達に追い出されないことだ。以前なら、催し物にスピリットが混ざろうとしたのなら、袋叩きにされて当然だったからだ。

 ラキオスは優しく暖かいもの変わり始めたのをネリーは実感する。

 

 最後に横島が指定した所までいくとネリーは驚きで歓声を上げた。

 

「うわあ、なにこれ! すごいすごい!!」

 

 ネリーの眼前には、巨大な氷の広場が広がっていた。いわゆる、スケートリンクだ。巨大な湖は完全に凍っていた。

 常春のラキオスでは雪も降らず氷が張ることもない。ネリーも氷など話でしか聞いた事がなかった。

 ありえない光景が目の前に存在している。誰がやったことなのかなんて、考えるまでも無い。

 目をキラキラさせて興奮するネリーに、その様子を遠くから見守っていた横島が笑みを浮かべて近づいた。

 

「よ、ネリー。どうだ、凄いだろ!」

 

「うんうん! とっても凄いよ、ヨコシマ様! あ……そうだった。ヨコシマ様なんて大嫌いなんだからね!」

 

 シアーとまったく同じような反応だ。流石は姉妹と評されることはある。

 今度こそ仲直りしてやると、横島は気を引き締めた。

 

「あの時は本当に悪かった。どうか許してくれないか」

 

 本気で謝る。全力で謝る。真剣に謝る。

 横島の本気を理解したネリーは黙り込んだ。

 

「これはな、ネリーの為に開催した祭りなんだ。だから……俺と祭りを見て回らないか?」

 

 横島はネリーの肩に手を置いて、まっすぐに彼女を見つめた。

 ネリーは、もう言葉にならなかった。

 心が震えて、あふれ出る感情の海で笑いたいのか泣きたいのかも分からない。

 ただ、周囲の人間達の視線が、自分達に注ぎ込まれているのは感じていた。

 

 

 

 そして、

 

 

 

「知らない……ぜんぜん分からないよ! ネリーは……ネリーは!!」

 

 ネリーは横島を突き飛ばして、脇目もふらずに逃げ出す。

 とうとう、ハリオンを除いた第二詰め所のスピリット全てに横島は振られてしまった。

 

 ――――夢でも見ているのではないか? ネリーも俺のことが嫌いなのか?

 

 頬を本気で引っ張る。痛みは無常なほどリアルだった。

 

「おーい、ヨコシマ君。そんなとこで遊んでないで、早くスケートリンクを開放しよう。出店もお客も待ちくたびれてるようだし……ヨコシマ君?」

 

「いやいや、おやっさん。ヨコシマにそんな余裕はなさそうっすよ。実は今――――」

 

「ええー!? 振られたのか! はははは! これだけやって振られるとはこりゃなんとも」

 

 人間達の囃し立ての声など、横島の耳にはもう届かなかった。

 横島はジャンプしてスケートリンクの真ん中に降り立つ。

 怪訝そうな顔をする周囲など気にもせず、足を大きく振り上げて、

 

「ちょっ、ちょっと待てヨコシマ君!?」

 

「何がクールスケート場だ……こんなもの!!」

 

 人間達の制止の声も聞かず。憤怒の表情で足を振り下ろす。

 時間と技術、なにより大勢の人との協力を得て作られたスケートリンクは、横島の一撃であっさりと粉砕された。

 

 当然、祭りは中止。

 このミニ祭りに出店していた人間達は横島に強い非難を出す事となる。

 

 その夜、横島は自分の部屋に引きこもり、食事時になっても出てこなかった。

 

 

 

 

 

 

 同日。宵のうち。

 暗い森の中、ネリーのポニーテールが元気無く揺れていた。

 ネリーの表情は死人のように青い。

 

「どうしよう。病気が全然治らないよ……もし一生このままだったら」

 

 得体のしれない恐怖が胸中を駆け巡る。

 横島の落ち込みようを思い出すと、罪悪感と良く分からない満ち足りた感情が胸にわいてくる。

 大好きな人に意地悪をして、どうしてこんな感情を抱いてしまうのだろう。

 意味が分からない。感情が、行動が、まるで制御できない。

 

 好きなものは好き。

 嫌いなものは嫌い。

 そんな当たり前のことが出来なくなっていた。

 

「胸が痛いよ。体が熱いよう――――ネリーは壊れちゃったの?」

  

 気になる異性と間柄を周りの友達にからかわれる。恥ずかしさのあまり、好きな人を邪険にしてしまう。

 黒板に書かれた相合傘に名前を書かれるような、ハイティーン時代に経験する些細な一幕。それを経験していればこんな事にはならなかっただろう。

 しかし、気になる異性など出来ようがないスピリットにはまったくの未知でしかなかった。未知は恐怖だった。

 

 スピリットという存在が感じたことが無い感情。

 前例がなく、それ故に誰も対処方法を知らない。子供だけじゃなく大人達も同じ事。聞いたことすらない。アドバイスなんて出来ない。

 ネリーは病気になってしまったと本気で思っていた。

 心の疼きが止められずじっとしていられなくて、当て所も無く森を散歩し続ける。

 

 ふと、虫の大合唱の中から、聞きになれた音が耳に飛び込んできた。

 それは巨大な鉄の塊が空気を引き裂く音。

 ネリーは確信を持って音のする方向に足を向ける。すると、

 

「こんばんは、ユート様! また特訓中なんだ」

 

「ネリーか。ああ、こんばんは」

 

 悠人が汗だくで剣の特訓をしていた。

 こんな時間にどうして特訓をしているのか、などとネリーが疑問に思うことは無い。

 悠人は努力の男だった。反則な横島に何度ボコボコにされようと、腐らず地道な努力を反復できる熱さを身に秘めている。

 

「ネリーも一緒に訓練して良い? なんか体を動かしたいんだ」

 

「ああ、出来れば訓練相手になってくれたら嬉しいんだけど」

 

「いいよ! ネリーのクールな剣捌き見せてあげる……って」

 

「あ、ユート様~こんばんは……あ、ネリーもいたの」

 

「あれ、シアーも散歩だったのか」

 

「う、うん」

 

 どこからともなくシアーがふらふらとやってきた。

 そして、

 

「あれはナナルゥか。おーい」

 

「あの仮面はファーレーンか……おおーい」

 

 と、次から次へと第二詰所のスピリット達が集まってくる。

 わいわいがやがやと、いつの間にやら九人もの大所帯となってしまった。

 

「何だ、全員で散歩してたのか」

 

 そう悠人が考えるのは当然だ。一人二人ならともかく、全員が何となく散歩するなんて偶然があるわけがない。

 第二詰め所でいないのは横島とハリオンだけだった。

 

 ネリー達はばつが悪そうに顔を見合わせる。

 別に狙った訳ではなかった。胸の中がそわそわして、横島と同じ屋根の下にいるのすら恥ずかしく感じてしまったのだ。

 

「そ、そんな事より、また秘密特訓ですか、やはりユート様は真面目ですね」

 

 ヒミカの言葉に悠人はそうでもないと謙遜する。

 悠人の秘密特訓を知らない者はいなかった。

 公然の秘密というやつで、第二詰め所のスピリットは時として特訓に付き合っている。

 

「そうだ。よかったらまた剣術を教えてくれないか。それと、横島の弱点もあったら教えてくれ」

 

「ええ、構いませんよ」

 

 悠人の申し出に皆は快く了承する。セリア達は悠人が好きだった。

 無論、男女としてではなく、剣の弟子としてだ。

 

 普通の高校生であった悠人は剣のド素人であったが、素直で努力家で適度な才能があり、メキメキと実力を伸ばしてくれるのが師としての喜びを与えてくれるのだ。

 

 その点、横島はあまりに動きが滅茶苦茶で剣の型もまるで出来ないのに、それでいて強いのだから何も教えることが出来ない。いつしか、横島に剣を教えようと言う者はいなくなってしまった。猫に犬の動きを教えても害にしかならないという事だろう。

 戦巧者で異才の横島と、素人で秀才の悠人。教師として、どちらが親しみやすい生徒か言うまでも無い。

 

 横島の欠点を悠人に教えていく

 こうすれば横島に勝てるのではないか。こうすれば横島を倒せるかも。

 皆で悠人の横島打倒を応援する。

 セリア達は別に横島に対して害意があるわけでない。ただ仲間に対する助言をしているだけ。

 理屈はあっている。不実をなしている訳ではない。それでもだ。

 

 横島の部下である第二詰所のスピリット達が、夜間にこっそりと他の男に横島の倒し方を伝授する。

 その様子が他人からどう見えるのか。考えるまでもない。

 

 悠人も、セリア達も、誰も気づかなかった。

 

 訓練を見つめる黒と緑と青の瞳の存在に。

 震えるほど強く握られた拳に。

 それぞれが身に宿した激情に。

 

 彼女らは、まだ気づかなかった。

 

 

 その夜、第二詰め所の一室で獣のような唸り声と何かを破壊する物音が鳴り響いた事。

 同時刻、城で穏やかならざる密談が開かれた事。

 やはり同時刻、第三詰め所で統一された強力な意志が生まれた事。

 

 その全てに、やはり彼女達は気づいていなかった。

 

 

 


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