永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第三十二話IF 嫉妬の味は蜜の味 後編

 沈黙が満ちていた。

 突如としてもたらされた凶報に、セリア達は言葉一つ発することが出来ない。

 

 何で、一体どうして、何が原因で、嫌だ、嘘だ。

 

 目を閉じ頭を振って、目の前の現実を拒絶する。

 だけど、横島の異動を書き記した一枚の紙切れを消す事は叶わなかった。

 

「何でこんな辞令が……そもそもどうしてこんな命令書をハリオンが……」

 

 それでも、第二詰所のまとめ役であるセリアが必死に声を紡ぐ。 

 今にも死にそうな声のセリアだが、そんな彼女を軽蔑するようにルルーは鼻を鳴らした。

 

「説明はハリオンさんに任せるよ。ボクはお姉ちゃん達に報告してくるから!」

 

 茫然自失状態のセリア達を尻目に、ルルーは小躍りしそうな勢いで第三詰所に駆けていく。よほど嬉しいのだろう。足が自然とスキップのようになっている。

 そんなルルーの背に、ハリオンは小さく「ごめんなさい」と声をかけていた。

 

「ハリオン! これってなんなの!? 答えてよ!!」

 

 ネリーが金切り声を上げる。

 今回の凶事にハリオンが関係している。ハリオンが横島と自分達を切り離した。

 そうとしか思えず、まるで裏切り者を見るような目で睨みつける。

 そんなネリーに、ハリオンはいつものような笑みを持って応えた。

 

「そうですね~どこから説明しましょうか……それじゃあまず始めに~ヨコシマ様がどうして第二詰め所の隊長になったんでしたっけ~」

 

「なにそれ! 全然関係ない――――」

 

「関係あります」

 

 きっぱりとハリオンが言って、誰も二の句がつげなくなる。

 それから、スピリット達は過去を思い出し始めた。

 一年と一ヶ月前に、横島は第二詰め所の隊長となった。

 どうして隊長となったか。その原因は、当事者であったネリーが一番知っていた。

 

「王様が、ヨコシマ様が隊長にならないとネリー達を処刑するって命令をだしたから」

 

 今考えても、とんでもない命令だ。

 碌に親交もない相手を人質にするという、訳の分からない狂気の沙汰。

 それを受けた横島も、やはりどこか可笑しいだろうが。

 

「そうですね~ヨコシマ様は殆ど初対面の私達の為に、隊長になって、命を掛けて戦ってくれています~

 それが、どういう意味を持っているのか……分かりますか~」

 

 ハリオンの問いに答えられる者はいなかった。

 どういった方向性の問いか、よく分からないからだ。

 横島がものすごく優しいという意味だろうか。それとも責任感が強いという事か。もしくは女好きという事か。

 

「つまりですね~ヨコシマ様にとって、私達が絶対ではないんですよ~もし、マロリガンに現われていたら、マロリガンのスピリットの為に戦ったでしょうし~サーギオスでもそれは変わらなかったでしょう~

 私達は、ヨコシマ様にとって絶対でも特別でもないんですよ~」

 

 セリア達は鉄槌を食らったような衝撃を覚えた。

 自分達が横島にとって特別では無い。

 ――――馬鹿な!!

 思わず呻いてしまう。

 だけど、否定することはできない。

 

「もし、敵国のスピリットと親しくなるような事があれば、ヨコシマ様は裏切る、そうラキオスの上の方は判断しました。過去の事件もあって怖がってます~」

 

 過去の事件とはソーマの事だが、もしここにGS世界の人物がいたら思わず唸る事だろう。

 もし、何かの歯車がずれていたら裏切る可能性はあったかもしれないのだ。

 

「だからヨコシマ様には監視が付けられました。ファーレーンさんと私です~。私は主に内からヨコシマ様を監視して~ファーレーンさんは外に出たら監視していました~」

 

 ハリオンの告白に全員が、特にファーレーンは目を大きく見開いて驚いた。

 

「そ、それは機密だったはずじゃないですか! 一体何を考えて!?」

 

「大丈夫ですよー。ファーレーンさんも私も、現時点でその任を解かれましたから~まあ当然ですよね~だってヨコシマ様はもう私達の隊長じゃあないんですから~」

 

 私達の隊長では無い。

 改めて言われて、セリア達は胸に痛みを感じた。

 涙まで溢れそうになって、慌てて上を向く。

 

「それとですね、ファーレーンさんも知らないことなんですけど~もしヨコシマ様に反意が見えてラキオスに害を与えると判断されたら、私がヨコシマ様を後ろから刺す予定だったりしたんですよ~」

 

 誰もが声を失う。裏側でそんな密約のようなものがあろうとは。

 特にあのハリオンがそんな役割を引き受けていたのは衝撃だった。

 まあハリオンとしては、何が何でも殺さないためにその役目を引き受けたのだが。

 

「でも~そんな心配なんてありませんでした~ヨコシマ様は優しくて、強くて……『天秤』さんも純粋ないい子でしたから~。

 それにもうずっと一緒に暮らして、一緒に戦って、私達はヨコシマ様の特別になれたと、私は思います~」

 

 その通りだ。

 

 第二詰所面々は誇らしさに思わず胸を張った。

 色々なトラブルに見舞われつつ、皆一丸となって乗り越えてきたのだ。

 確かに、横島がこの世界にきた当初は、横島にとって自分達は特別では無かっただろう。下手をすれば他国に走る可能性もあったのだろう。

 だけど、今は違う。特別な絆は、自分達には存在する。

 

「だけどそれは私達の考えです。今回、ヨコシマ様が私達から嫌われた件を聞いたお城の人たちはこう考えたんですよ。

『エトランジェ・ヨコシマは第二詰め所のスピリットを扱いきれず恨まれている。ヨコシマは守ろうと誓った人たちに恨まれたら怒るだろう。そうしたらラキオスを出て行って他の国に向かうかもしれない。ならば今のうちにヨコシマを討ったほうが』そんな話がちらほらと聞こえてきたりするんですよ~」

 

 セリア達は愕然とした。そして例え様もないほどの怒りを感じた。

 今までどれだけ横島がラキオスに貢献したと思っているのか。英雄といっても差支えがない活躍をしているにも関わらず、大した名誉も給金もよこしてこないくせに。訳の分からない理屈で恩人を討とうというのか。

 

「ヨコシマ様を殺すなんて考えられない事ですよね~でも私はちっとも心配なんてしてませんでした。第二詰め所は喧嘩もするけどとっても仲良しさんですもの~それにヨコシマ様は特別なプレゼントまで用意してましたしね。こんなお馬鹿な考え、仲直りすればすぐに消える……はずだったんですよ……本当なら」

 

 ハリオンの言葉に、怒りと悲しみが混じる。責めるような響きに、誰も何も言えない。

 そんな動きがあるなんて知らなかった。

 心の中で悔しげに言い訳を呟く。

 

「それと~皆さんは気づいてないみたいですけど、一週間の夜に皆さんとユート様との密会現場をヨコシマ様は覗いてたりするんですよ~」

 

「みっか……え? ええ!?」

 

「ヨコシマ様は泣いていました~それはそうです~まさか守ろうとしている人達に命を狙われてるんですから~

 こんなことも言っていました。

 『俺はそんなに嫌われているのか、憎まれているのか……ユートの方が好きなのか』って……

 そんな、とても悲しい事を言っていたんです」 

 

 誰もが声を失った。ナナルゥですら蒼白となっている。

 ヨコシマ様が、私達がヨコシマ様を憎みユート様を愛している、と考えていた。

 思わず叫びたくなる。そう横島が考えていたというだけで、胸が張り裂けそうだった。

 

「まったく……よくやってくれちゃったものです~この一年で築き上げた絆を見事に壊しちゃうんですから。本当に皆さんはヨコシマ様が大嫌いなんですね~」

 

「違う! それだけは違う!! 私たちはそんなつもりじゃあ」

 

「私に言い訳を言われても困ります~ヨコシマ様に言ってくだ……ああ、無理でしたね~

 だって皆さん、彼とは口もききたくないんですから~

 勝手に勘違いしたヨコシマ様が悪い……って結論になるんでしょうか、そうなんですよね?」

 

 容赦の無いハリオンの言葉に誰一人として二の句が告げない。

 ハリオンは怒っている。それも、とんでもなく怒っている。

 いつも笑顔の優しいお姉さんの激怒に、親友であるヒミカも震え上がった。

 

「私は泣きたくなりました~あのヨコシマ様にそんな事を言わせてしまったことを。

 ヨコシマ様が私達を守るためにバーンライトのスピリットを殺して泣いたとき~私達は誓いましたよね~

 ヨコシマ様を守ると。これ以上泣かせないようにしようと。

 なのにどうして、ヨコシマ様を泣かせるんですか~」

 

「それは……だから……その」

 

「それだけじゃありません。元の世界で仲良しだった人たちと戦うことになって、ヨコシマ様もユート様も苦しんでます。

 第一詰め所の皆さんはアセリアさんの事もあって大変な状況なのに~皆でこの危機を乗り越えよう、ユート様を支えようって頑張ってるのに、私たちときたら……」

 

 ハリオンの声が震え、手は小さく拳を作る。

 

「エスペリアがレスティーナ様に、皆で一丸となってユート様を支えますって報告してるのに~私は、皆で一丸となってヨコシマ様を泣かせていますって報告しなきゃいけなかったんですよ~

 私が、どれだけ悲しくて、悔しくて、情けなかったか……皆さんに想像できますか~?」

 

 雫が大地に落ちる。それは涙。悔しさと恥の涙だ。

 横島を泣かせてしまった事の悔しさと、こんな馬鹿馬鹿しい事で作り上げてきた信頼が砕けた事の恥ずかしさ。

 その二つがハリオンを涙させた。

 

「第二詰め所がこんな状況にあることが、ラキオス城内でも噂されています。

 このままでは、エトランジェ・ヨコシマは身の危険を感じ、ラキオスを裏切るのではないか。そんな噂が流れ始めています~

 さっきも言ったように、この状態が続くと私はヨコシマ様を殺さなくちゃいけないんですよ」

 

 ハリオンの言葉は、ネリー達には別世界の言語に聞こえた。

 ヨコシマ様が私達を裏切る? ハリオンがヨコシマ様を殺す?

 一笑したくなるような馬鹿げた事だ、と全員が思った。そんな事、あるわけが無い。起こるわけないのだ。

 

 彼女達は横島を信頼していた。それは盲目的とまで言ってもいいくらいだ。馬鹿だし、暴走するし、女好きだけど、どんな事があっても味方をしてくれると無条件に思っていた。

 だからこそ、彼女らは横島に冷徹な対応を取る事ができたのだから。

 

「まったく! 人間達は馬鹿じゃないの!? ヨコシマ様が私達を裏切るわけないのに!!」

 

 セリアが人間を罵る。自分達の関係をまるで分かっていないと。横島が自分達にちょっかいを出して、それを怒って、そうして笑いあう。これが第二詰め所なのだ。

 

 だが、セリア達は憤りながらも、それが責任転嫁であると気づいていた。

 そもそも、人間が横島を警戒することと、セリア達が横島に冷たくしたことに、なんら因果関係が無い。

 それでも言わずにはいられなかった。

 

 セリアの台詞に、ハリオンはとうとう表情を消した。

 

「そうですね。皆さんの言う通りかもしれません。

 どれだけヨコシマ様に酷いことをしても、きっと彼は裏切らないでしょう~

 皆さんはそれが分かっていたから、たくさん酷いことが出来たんですから……」

 

 静かで悲しげな声に全員が気づいた。

 この部分こそ、ハリオンの怒りの源である。

 

 スピリットの命は決して軽くない。その希少性、重要性は高く、国の大切な財産だ。

 しかし、その尊厳は驚くほど軽い。悠人も横島も、国に損害を与えない程度にスピリットを好きに扱う権限が与えられている。

 だから、横島はその気になればセリア達を好きなようにしてよかった。

 普通の男なら、命を懸けるだけの報酬として好き放題に女を抱くぐらいは要求しただろう。性欲溢れる若い男ならなおさらだ。

 だというのに横島はスピリットに簡単なセクハラ程度を仕掛ける程度で、欲望で汚すことはなかった。むしろスピリット一個の人格を最大限尊重した。それがスピリットにとってどれだけ幸いか、今更語る必要もない。

 

 そう、横島はスピリットの自主性を尊重した。

 その結果、ハリオンを除く第二詰め所スピリット達は、横島の好意と尊重を最大限利用して彼を叩きのめしてしまった。

 

「本当に……どうしてこんな事になっちゃったんでしょう~」

 

 疲れたようにハリオンは呟く。

 もともと、今回の騒ぎの元は第二詰め所のスピリットが横島に辛く当たったことが発端である。横島は皆が本気で怒っていると感じてプレゼントを仲直りの品として、本気で頭を下げて謝った。

 たが、本当は誰も横島を憤っている者は皆無だった。

 横島が混乱した理由は、この点にあると言って良い。恨まれているとは思えないのに、恨まれているとしか思えない行動を取られるのだから。

 まさかその理由が、恥ずかしさと嫉妬と意地が凝り固まった、『子供の意地悪』だとは、横島は想像できなかった。

 

「あの仲直りのプレゼントは、ヨコシマ様の本気でした」

 

 ハリオンの声のトーンが、さらに変わる。一語一語を強く、皆に言い聞かせるように。

 ハリオンの口が開くたびに、セリア達の表情が曇り、凍りつく。

 

「今日、ヨコシマ様に連れて行った貰った店で出た料理は、とても家庭的で優しい味でしたよ。そう、セリアさんが喜びそうな。貸切でゆったりとした良い雰囲気の店でした」

 

 セリアと仲良くなるために、彼女の好みを十分に調べつくした上での店の選択だ。

 横島の本気度がうかがえる。

 

「このドレスを送られるのはヒミカでした~私にはちょっときつくて辛かったです~」

 

 黒のゆったりとした大人っぽいドレスは、女らしくない事を気にしたヒミカの為に作られた物だった。胸の部分が隠れるようになっているのも、ヒミカのコンプレックスを考えた為だった。

 

「このピアスはファーレーンさんとニムさんのはずでした~」

 

 イヤリングには由来が合った。

 大切な姉妹で一つずつ身に付けるもので、兄弟仲を深める石言葉が刻まれているのだ。

 二人の絆を考慮して選んだのだろう。

 

「この恋愛小説はナナルゥさんへのプレゼントですね。

 読むと、ヨコシマ様の意図が見えてきますよ~この小説の主人公は感情表現が苦手な女の子で、お相手はちょっとエッチで騒がしい男の子なんですもの~」

 

 無表情、無感動な少女が一人の男性と出会い、感情と恋を知る。感情はナナルゥがもっとも興味を持っている部分で、横島としては自分がナナルゥに好意を持たれる対象になりたい。確かに横島がナナルゥに贈るに相応しいものである。

 

 もっと仲良くなろうと横島は本気で行動した。

 大人達にはエッチなことをしたいと伝えた。

 子供達には純粋に喜んで欲しかった。

 

 どのスピリットにも横島はメッセージを送っていた。

 

「ヨコシマ様は私たちに……皆さんに本気をぶつけました。これから一緒に頑張っていこうと訴えました。私達を愛していると語りかけてきました。

 だというのに、最後の最後まで、皆さんはヨコシマ様の本気の愛を無視しちゃいました。

 健康とかどうとか、彼の気持ちを最後の最後まで受け取ろうとしないで。

 そんな皆さんに~ヨコシマ様は守れません。むしろヨコシマ様を傷つける――――敵」

 

 敵とまで言われて、セリアは歯を食いしばってハリオンを睨みつけた。

 

「なにを……なにを馬鹿なことを!」

 

「ヨコシマ様を必要としているスピリットはとっても多いんです~別に皆さんである必要はありません」

 

「何を馬鹿な事を言っているの!? あんな、にゃーにゃー言ってる第三詰め所のスピリットにあの人のお守りが務まるわけがないでしょ! ヨコシマ様には私達がいないと!」

 

「それがそうでもないんですよ~悲しんでるヨコシマ様を支えたのは、ルルーさん達ですから」

 

 ハリオンは語った。

 本当なら、今回の騒動で第三詰所は出てくるはずがなかったと。

 

 元々、この惚れ薬の騒動は横島の注意をハリオンに向かわせて、セリア達を寂しがらせて横島と仲直りさせようと、という算段だった。

 だけど、予想以上にセリア達は強情で、そうこうしている内に第三詰め所のメンバーが命を賭した行動に出たのだ。

 

「なんとですね~ルルーさんは夜中にレスティーナ様の元へ出向いてヨコシマ様の異動を直訴したんですよ。打ち首覚悟で。死んでも良いって覚悟で、ルルーさん達はヨコシマ様を助けようとしました」

 

「わ、私達だってそれぐらい!」

 

「仲直りもしないで、ヨコシマ様が苦しんでいるのを見て喜んでいる皆さんが出来る訳ないじゃないですか~」

 

 厳然たる事実を持ち出されて、第二詰め所の面々に反論などできようはずもない。

 

「こんな結果になってしまって、本当に残念です~

 ヨコシマ様は言ってました。『この世界に来て、第二詰め所の隊長になれて良かった』、辛くて悲しくて痛い目にあっているのに、そう言ってくれたんです。

 私もヨコシマ様と出会って思いました。私達は世界で一番幸運なスピリットだって。神様が用意してくれた最高の奇跡だって」

 

 ハリオンの言葉に誇張は無い。この出会いは本当に奇跡的な確率だった。

 横島がこの世界に来てラキオスで隊長になってくれたのは言うに及ばず、ハリオン達がきちんと心を維持していたのも奇跡といえるだろう。

 

 第二詰め所がきちんとした貞操観念があって心身共に綺麗でいられたのは、過去にソーマという調教師が好き放題やったからだ。もしソーマが他国に走らなければ、セリア達は陵辱され尽くされていただろう。

 夥しいほどのスピリットの悲鳴と慟哭の中で、宝くじに当たるような確率で第二詰め所は横島と出会えた。それがどれほど幸運かなど、考えるまでも無い―――はずであった。

 

「だけど私は勘違いしたみたいです。私達とヨコシマ様は――――」

 

 ――――不幸な出会いだった。

 

 ハリオンの言葉が空しく響いて、憤怒が場に満ちた。

 

 今までの横島との交流を全て否定されたようなものだ。

 皆の脳裏に横島との思い出が蘇る。

 

 たくさん笑った。いっぱい泣いた。時には怒り、時に悲しんだ。

 幸福と呼べる日々の数々を、こともあろうに不幸だと宣言したのだ。

 キラキラとした思い出が汚された気がして、凄まじい怒りがハリオンに向う。

 

「取り消しなさい……取り消せ!」

 

「取り消さないよ! この馬鹿スピリット共!」

 

 敵意溢れる少年のような声が響く。

 いつのまにか、ルルーが戻ってきていた。

 横島を奪い取った第三詰め所の隊長に、皆が怒りの矛先を変えたが、ルルーはそれ以上の怒りを第二詰め所にぶつける。

 

「君達はさあ、馬鹿みたいに神剣を振って豆が潰れて、痛い痛いって泣きながら考えたことはない?

 どうして、こんな辛い思いをしながら剣を振るんだろうって。死んだって誰も悲しんでくれない。殺しても誰も褒めてくれない」

 

 ――――私は、何のために生きているんだろう

 

 殆どのスピリットが一度は考えて、いずれ絶望にいたり神剣に心を奪われて、答えを得ることもなく死んでいく。それがスピリットの運命であり歴史だった。

 

「だけど、ようやくボク達は答えを得ることが出来そうなんだよ。

 レスティーナ様と兄さんが、スピリットに道を開こうとしてくれている。その道を切り開けるのが、ボク達が今まで鍛え上げてきた神剣なんだ。

 辛い戦いが待っていると思う。死んでしまう事だってあるさ。でも、ボク達の死は決して無駄にならない。兄さんの守って死ぬのは、スピリットの未来に通じているんだから。この誇り……ハリオンさんを除く第二詰め所には分からないだろうね」

 

「貴女に言われなくなってそんな事ぐらい分かっています! 貴方達よりも私達のほうがずっとヨコシマ様と共に戦ってきたのよ!」

 

「言うな! 君たちに言う資格はないよ」

 

 ルルーは凄まじい形相でハリオンを除く第二詰め所の面々を睨みつけた。

 炎の如き怒りと、氷の如き嘲笑。その二つがルルーの表情から見て取れる。

 

「兄さんはこれからのスピリット達にとって必要な人だよ。

 学校に行かせたいとか、技術や趣味を教える方法を考えてくれたりとか……凄いよね。

 この世界に訳も分からず連れて来られてさ、碌に知らない女の為に命をかけて戦ってくれる。とても酷い目に合っても逃げずに、スピリットの為に笑ってくれるんだ。僕達はそれに報わなければいけないのに……君達ときたら。

 ねえ、兄さんがスピリット嫌いにでもなったらどう責任取ってくれるつもり」

 

 横島がスピリットにもたらし続けている利益。そしてこれからもたらす利益。

 第二詰所は全てをご破算にする所だった。

 その理由が、愛されて恥ずかしいから。幸せすぎて怖いから。

 死ねばいいと、ルルーは本気で思ったものだ。

 

「それに……」

 

 ルルーはさらに目を細めてセリア達を睨みつける。

 

「よくもボクの大切な兄さんを泣かしたな」

 

 兄の為に怒る妹。

 これに対抗するための言葉など、セリア達は持っていなかった。

 

「これが、ヨコシマ様が第三詰所に異動となった原因です……分ってもらえましたか~」

 

 ハリオンの長い説明は終わった。

 第二詰め所のスピリット達は、もう何も言えず、その場にへたり込んだ。

 ラキオスのため。スピリットのため。恩義のため。兄のため。世界のため。

 それは立派な理由で、否定できる論理的な理屈など第二詰め所は持ち合わせていない。

 

 ちがう。そんなつもりじゃなかった。こんなはずじゃなかった。ごめんなさい。

 

 第二詰所のスピリット達は叫んだ。

 その光景は、親に怒られた幼子が感情のまま泣き叫ぶ様を思わせる。

 ルルーは見苦しさに舌打ちをする。だけど、ハリオンはそんな皆を不思議と優しい表情で見つめていた。

 

「まだ、話は終わりじゃないですよ~」

 

「もう止めて……もう聞きたくないの」

 

 ヒミカはボロボロと涙を流しながら、イヤイヤと頭を振る。

 これ以上、自分達と横島の関係を切り離してほしくなかった。

 手放したのが自分達であっても、それでも今までの関係を穢してほしくなかった。

 

「実はですね~私は皆さんに謝らなきゃいけないことがあるんですよ~」

 

 第二詰所のスピリット達は涙を流しながら、その声を聞いた。

 ルルーも、おやっとした顔になる。これからの流れは聞いてなかったからだ。

 

「気づいた人もいたでしょうけど、あのプレゼントって本当は仲直りのプレゼントじゃなかったんですよ~。ずっと前からヨコシマ様が準備してたんです~」

 

 非常に手の込んだ代物や、人間達の予定も合わせる必要があるプレゼントも多かった。

 いくら横島でも、数日で全員分を用意するのは不可能というもの。

 

「私は、ある人からその事を聞かせてもらって、ものすご~くプレゼントを楽しみにしてたんです。でも、私はその人から聞いちゃったんです。私の分だけ、プレゼントが用意されてないって」

 

 残念ですぅ~と軽く笑みを浮かべるハリオン。

 その笑みがいつもと違くて、すごく寂しそうに見えたのはセリアの見間違いではないのだろう。

 

「凄くショックでした。でも、仕方ないと思ったんです~私はお姉さんですから~」

 

 兄や姉というものは、弟や妹に色々と奪われる。

 勿論、即物的に見れば長兄は家を継ぐという点で恵まれている。しかし、兄だから、姉だから、という理由で貧乏くじを引かされる役でもあるのだ。

 

 お姉さんだから仕方ない。妹達が喜んでくれるならそれでいい。

 ハリオンは寂しい思いをしながらも、笑顔で横島がセリア達にプレゼントを渡すのを見守ろうとしたのだが。

 

「でも……まさか皆さんがヨコシマ様のプレゼントを断るとは思わなかったんですよ~」

 

 ハリオンの声のトーンが落ちる。瞳には底の知れない何かが宿っていた。

 

「私が欲しかった物を、皆さんは要らない。それを聞いて、どうしてか私は思ったんですよ~

 本当は私にもプレゼントはあったんだって。ただ皆さんが変な駄々を捏ねたから私の分がなくなったちゃったんだって。そう思ったんです――――そう思いたかったんです。

 きっと薬で皆さんを何とも思わなくなれば私にもプレゼントがある……そういう想いもあって、惚れ薬を飲ませたんです。馬鹿みたいですよね~」

 

 ハリオンの独白を、皆は声も無く聞き続ける。

 

「皆さんのプレゼントみたいに、別にそれほど手が込んで無くても良かった。安くても何でもいいから、二人でお菓子を食べるだけで良かったんです~

 でも、何もありませんでした。きっとお姉さんの事が好きじゃないんです~」

 

「そ、そんなはずないわ。どう見たってヨコシマ様はハリオンが好きにしか――――」

 

「じゃあ、何で私にだけ無いんですか~! 薬で興味を引くのは私だけになったのに、何もしてくれなかったんですよ~~!!」

 

 ハリオンが目じりを険しく吊り上げて怒鳴った。

 その声に皆は驚く。ハリオンの怒鳴り声など初めて聞いたからだ。

 

「それに私だけなんですよね~ヨコシマ様に押し倒されていないのって。こんな私がヨコシマ様の慰め役なんて……何がいけなかったでしょう。胸が大きいから……それとものんびりしてるのがいけなかったでしょうか」

 

 悲しそうに、切なそうに、喉を震わせながらハリオンは言葉を続ける。

 横島の慰め役に任命されたというのに一度たりとも求められたことはなかった。何をしてもいいと伝えたし、夜中に一人で部屋を訪れたこともある。それだけやっても膝枕ぐらいしか望まれたことが無い。

 

 セリアやヒミカが横島に抱きつかれたり押し倒されたりして怒っている横で、ハリオンは『どうして自分に手を触れてくれないのだろう』と笑顔の裏で悩んでいた。

 

 ハリオンの親友であるヒミカには分かった。

 自分達のくだらない意地で傷ついたのは横島だけじゃない。ハリオンも笑顔の裏で苦しんでいたのだ。

 ふつふつと怒りが湧いてくる。

 自分達の馬鹿さ加減が許せなかった。同時に思う。

 

 

 横島と自分達の物語が、こんな形で終わっていいはずがない!

 

 

「ねえ、ルルー。その辞令を無かった事にしてもらえない? こんな終わり方、認めらない……認められるわけが無い! 私達は彼に謝りたいの……謝らなきゃいけないの。今のままじゃ謝ることすらできないのよ……お願い……お願いだから」

 

「無駄だよ、今更泣いても謝っても遅い。スピリット……ううん、軍人なら命令は絶対だよ。もう命令は下されたんだ。封を破った時点で僕にはもうどうしようもない」

 

 ヒミカの願いを、ルルーは何を今更言っているのだときっぱり断る。

 唇を噛み締める第二詰め所の面々だったが、そこでハリオンが動いた。

 

「そうですね~軍人なら命令は絶対です……いくら泣いても無駄なんですよ~

 そういうわけで~これを開いてください、ルル~さん」

 

 ハリオンは先ほど泣いていたとは思えない陽気な笑みを浮かべながら、懐から封書を取り出す。

 それは先ほどルルーがセリア達に渡したものと同様のものだ。

 

 不吉な予感を覚えながらも、ルルーは封を切って中身を取り出す。

 小さな紙切れが出てきた。聖ヨト語で数行の文字と、下の方に印が捺されている。

 ルルーはそれを目で追って、しばし絶句した。

 

「………………えっ、なに、これ? へっ? はあっ?」

 

「見ての通りです~『エトランジェ・タダオ・ヨコシマを本日付で第三詰め所から第二詰め所への異動を任ず』という事ですよ~」

 

 一体、何が起こったのか。

 ルルーは目をパチクリさせながら穴が空くほど辞令書を見つめる。

 だけど文面は変わらない。横島は第二詰め所の隊長となった。第三詰め所に在籍していたのは、僅か数十分と言ったところだろう。

 

 ルルーの顔からは生気が抜けて、対照的にセリア達の顔には生気が満ちる。

 一体どうして横島が戻ってきてくれたかは分からないが、奇跡が起きたのだ。

 

 ネリーの歓声と、ルルーの吼えるような叫びが重なる。

 ルルーはハリオンに掴みかかった。

 

「騙したな……ボクを! ボク達を騙したんだな!?」

 

「騙してなんていませんよー私は、ただ命令書を開けるだけって言ったじゃないですか~」

 

 もし、ルルーとハリオンが第二詰め所は横島に好意も尊敬も持っていないと判断したら、第三詰め所へ異動の辞令書を開ける。

 しかし、ハリオンはもう一つ役割を持っていたのだ。

 もし第二詰め所のスピリット達が横島に謝って、共にありたいと願ったら、すぐさま第三詰め所から第二詰め所に異動させる役目を担っていた。

 ルルーはそれを知らなかった。騙されたと激怒するのは当然だ。

 

「ふざけるな! 兄さんが来るのを、お姉ちゃん達は待ってるんだよ。今、料理を作って、部屋を掃除して、身繕いして、歓迎会の準備をして待ってるんだ!! 取り消して……取り消せ!!」

 

 こんな夜中にそれだけの準備をする。どれだけ横島を隊長に出来るというのが嬉しいか分かるというもの。もし、それが嘘だと分かったらどれほどショックを受けることだろう。

 ルルーの叫びに、ハリオンはただ笑顔を浮かべるだけ。

 

「何とか言え!」

 

「……なんとか~」

 

「馬鹿にするな!!」

 

 ルルーの手加減抜きの張り手がハリオンの頬を打った。その威力にハリオンの頬は真っ赤になって、おもわずたたらをふむ。

 このままでは喧嘩になると、セリア達は二人を引き離したが、ルルーの目にはもうハリオンは映っていなかった。

 第三詰め所では姉達が今か今かと横島を待っているのだ。なんとしても、この決定を覆す必要がある。

 

 ルルーは足を城の方角に向けた。

 

「これからレスティーナ様の所に行って抗議してくる」

 

「女王様の決定に文句を言ったら~今度こそ打ち首かもしれませんよ~」

 

「構うもんか! 殺したければ殺せば良い。とっくに覚悟の上だよ!」

 

「まったくもう~仕方ないですね~じゃあこうしましょう。ルルーさんが私から一本を取れたら~この辞令書を開けなかった事にしてもいいですよ~」

 

 冷静に考えれば、そんな事で辞令が取り消されるなんてありえない。

 

 だが、頭に血の上ったルルーは信じた。溺れるものは藁をも掴まざるをえない。

 ルルーは決死の形相で神剣を構える。逆にハリオンは優しげな表情のまま、ゆったりと構えた。

 

「負けられない……負けて堪るか! 兄さんは第三詰め所に!!」

 

 ルルーは飛び上がり、ハリオンに向って『反抗』を振り下ろす。

 ハリオンも『大樹』を振りかざして、二つの影が交錯した。

 

 本当にあっさりと勝敗が付いた。

 ルルーの神剣はくるくると空を舞っていた。神剣を手から離されるという時点で、圧倒的な実力差がある事を示している。

 空中で舞う『反抗』が地面に落ちる間に、ハリオンは10回ほどルルーを殺せただろう。

 

 ハリオンの永遠神剣『大樹』の穂先を眼前に突き付けられて、ルルーは負けを悟る。

 それでも、怒りは収まらないとハリオンを睨み続けた。

 荒く息を吐きながら、目に涙を浮かべて睨みつけてくるルルーに、ハリオンは優しく問いかける。

 

「ヨコシマ様が私たちに一番何を求めているのか。妹のルルーさんなら分かってますよね~」

 

「……死なないこと。生きてくれって」

 

「ヨコシマ様はとても強いです~だから付いて行くのも大変なんですよ~皆さんじゃあとても付いていけませんし~無理について行ったら死ぬだけです。ルルーさん達は、ヨコシマ様を泣かせたいんですか?」

 

 実力不足。第三詰所が横島を隊長に迎え入れない理由は簡単に言えばそれだけだ。子供のチームに大人が混じっては連携が上手くいくはずがない。

 どれだけ第三詰め所のスピリットが横島を慕って彼を守ろうとしても、戦いの場で弱ければ足手まといになるだけだ。

 

 それに、先ほどルルーは横島を守って死ぬのなら本望と言ったが、横島からすれば最悪としか言いようが無い。目の前で自分を慕う女の子に死なれるのが、彼にとって一番耐え難いことなのだ。

 ルルーは現実を噛み締める。横島が第三詰所になれない理屈は分かった。理由は分かった。

 だがそれでもこれは――――こんなのは。

 

「酷いよハリオンさん。レスティーナ様も……こんなのあんまりだ。初めからボク達を仲直りの為の当て馬にしたんだね。

 ボクが、ボク達がどれだけ兄さんと暮らして、一緒に戦いたかったのか知ってるくせに。最初から僕たちを騙してたなんて。ねえ、ハリオンさん。僕は楽しみに待ってるお姉ちゃん達になんて言ったらいいの? ねえ、答えてよ」

 

「弱い人の言葉なんてしりませんよ~」

 

「そうやっておちゃらけて、騙された怒りを第二詰所やレスティーナ様じゃなくてハリオンに向けさせようとしてるんでしょ」

 

「な、何を言ってるのかさっぱりですよ~」

 

「それぐらい分かるよ。ボクだって今は隊長……皆のお姉さんなんだから」

 

「……お姉ちゃんは大変ですよね~」

 

「うん……うく……ぁぁ! 姉さん、ごめんなさい。兄さんを隊長に出来なかったよぅ」

 

 完全にレスティーナの掌で踊らされたルルーだったが、無論、意地悪で騙したわけではない。

 殺し合いを、戦争をやっているのだ。

 好き嫌いで背中を任せる人物を決めるほど、レスティーナは愚かではない。

 第三詰め所のメンバーは、第二詰め所の面々よりも弱い。横島と第三詰め所は実力差がありすぎて連携など出来ない。それは厳然たる事実。

 今更、横島を第三詰め所に隊長にするなど、戦力的に考えて出来るわけないのだ。

 

 横島が第二詰め所に戻った。

 だけれども、セリア達も横島が第二詰め所に戻ったことを喜ぶ余裕はなかった。

 

 惨憺たる有様だ。

 誰も彼も後悔と悲しみで打ちのめされている。涙で目はかすれ、鼻水で顔が汚れている。それが全員美女美少女だから、それは凄艶とも凄絶と言えた。

 

 この悲しみの連鎖の発信源はどこか。

 

 横島がマロリガン戦で馬鹿をしたからか。

 それとも、仲直りの為にプレゼントを用意したからか。

 第三詰所が弱かったからか。

 

 答えは簡単だ。

 第二詰所が、横島を意識して羞恥心を爆発させたのだ全ての発端だ。

 

「謝罪も好意は素直に受け取ったらいいんですよ~」

 

 素直になる。ただそれだけで良かった。

 それだけで、こんな誰も得をしない騒動は起こらなかった。

 

「謝りましょう。そして、ヨコシマ様の好意を受け取りましょう。お姉ちゃんは、家族が幸せになってくれるのが一番の幸せなんですから」

 

 ハリオンが今まで見た事がないほどの慈愛に満ちた表情で言って、セリア達は姉の愛の深さに思わず涙する。自分達がどれだけ周囲に恵まれているのか、これで分からぬはずがない。

 

 

 

 

 激動の夜が終わった。

 

 次の日の早朝。

 第二詰め所のスピリット達は皆で横島に謝りにいこうと、リビングに勢ぞろいしていた。

 今日で惚れ薬の効果も切れて、今謝れば受け入れてくれるらしい。

 

「何だかヨコシマ様がもう起きているんですよ~台所にいるみたいなので、皆さんで一緒に仲直りしましょう~。私は皆さんが謝るのを見届けたら、お城でレスティーナ様に報告するので~」

 

 ハリオンに促されて、セリア達も頷いて台所に向かう。

 台所に入ると、甘く香ばしい匂いが満ちていた。何か美味しいものでもつまみ食いしているのかと考えたが、それにしては匂いが良すぎる。

 

 首を傾げながら台所に入ると、エプロンを付けた横島がせわしなく動いていた。

 セリアは思わず駆け寄ろうとして、浮き足立ったのか何もない床で躓く。転びそうになって、思わず傍に居たハリオンの体を押してしまった。

 

「キャッ」

「あら~」

 

 二人はバランスを崩して前方に倒れこむ。

 セリアは何とか手を突いて顔面からの着地を否定しようとしたが、そこで横島が走ってこちらに飛び込んでくるのが目に入った。

 それを見たセリアは手を突き出すのを止めた。殆ど無意識に、彼の胸に飛び込めるのだと思って力を抜く。

 

 ぽふ。

 ガツン!

 

 二種類の音が木霊した。

 一つは、横島がハリオンを抱きすくめた音。

 もう一つは、セリアが床に顔面を強打した音だ。

 顔面を強打してピクリとも動かないセリアに、ハリオンは慌てる。

 

「だ、だめじゃないですか~ヨコシマ様ー。

 私なんかよりもセリアさんの事を良く見てくれないと――」

 

「ハリオンさん! ついに出来たんですよ!!」

 

「は、はい~何がですか~?」

 

「これですよこれ! ハリオンさんに俺からのプレゼントです!!」

 

 ハリオンの眼前に、白くて、柔らかくて、ふわふわしたものが差し出される

 真っ白なクリーム。果実が練りこまれた柔らかなスポンジ。香ばしいチョコが乗せられていて、そこにはハリオン・グリーンスピリットの名前が書かれてハートマークが刻まれている。

 間違いなく自分に向けられたプレゼントだが、ハリオンは喜ぶ前に困惑した。

 

 自分には用意されていないと、あの人は言っていたはずなのに――――――

 

 そこまで考えて気づいた。

 横島がプレゼントを色々と準備している事を知っているのはレスティーナ女王から聞いていたからだ。横島が自分にだけプレゼントを用意していないと言っていたのもレスティーナだ。つまり、嘘をつかれたなら説明が付く。何故、嘘を付かれたのかは分からないが。

 

 別にハリオンにだけプレゼントが用意されなかったのではなく、ただ準備に時間が掛かって遅れていただけなのだ。

 

 ハリオンは言葉も無くケーキを見続ける。

 様々な想いが心に押し寄せて何も言えなくなっていた。

 身動き一つしなくなったハリオンに、横島は喉を震わせながら言った。

 

「それで……ハリオン……さん。受け取ってもらえ……ますよね?」

 

 ハリオンは見た。セリアも、ヒミカも、全員が見た。いつもの愛嬌たっぷりの人好きの笑顔。

 だが、その瞳はゆらゆらと蝋燭のように不安げに揺れて、唇は細かく震え、笑顔どころか泣き顔にすら見えた。

 

 ――――もし、受け取って貰えなかったらどうしよう。

 

 恐怖と横島は戦っていた。

 そう、横島がケーキをプレゼントするのに時間がかかった原因はもう一つある。それはプレゼントをハリオンが受け取らないのではないか、という恐れからなかなか行動に移れなかったからだ。

 女性に関しては猪突猛進な横島が、ハリオンにプレゼントと送るときだけ極端に臆病だった。

 

 それが意味するところは簡単だ。

 ハリオンにだけは、絶対にプレゼントを受け取って欲しかったのだ。

 もしもハリオンに受け取ってもらえなければ、心が張り裂けそうになるほどの恐怖があったからなのだ。

 

 全てを理解したハリオンは堪らなくなった。

 このエッチで純情な隊長を今すぐ抱きしめてキスの嵐を降らせたい。

 理性が振り切れそうになるが、今はぐっと我慢した。いつもなら横島も大歓迎だろうが、今この瞬間の望みはそうではないはずだ。

 最高の笑みを浮かべながら、いただきますと言って、ハリオンはケーキを小さくカットして口に入れた。

 

「……ふわぁ」

 

 ふわりとした優しい触感と甘さに自然と声を出る。

 味に関しては、実はそれほど期待していなかった。菓子作りというのは繊細な作業で、一朝一夕で習得できるものではない。ただレシピ通りに作るのも一苦労なのだ。

 だから、たとえどんな味でも横島からプレゼントを貰えたという事実だけで幸せで、ケーキの出来は覚悟していたのだが、良い意味で予想は外れた。菓子は本当に美味しかったのだ。それも、とてつもなく。

 

「な、なんですかこれは~! お、美味しいです~! 私やヒミカ……それどころか町のお菓子屋さんより美味しいですよ~!?」

 

「そうっすか! わははは! ハリオンさんに喜んで貰えて俺も本当に嬉しいです!!」

 

 横島もハリオンに負けないくらいの笑顔を浮かべる。

 珍しくまったく邪念の無い笑みは、年齢よりも三つは幼い純真な少年の笑みとなった。

 

 ゴクリ。

 

 誰かが唾を飲み込んだ。

 それはケーキではなく横島を見て喉を鳴らしたに違いなく、肉食獣が草食獣の前に立ったときに鳴らす音に違いなかった。

 

「ねえヨコシマ様、シアーも少し食べていいかな……」

 

 甘いものに目が無いシアーが、おずおずと催促する。

 こんなに美味しいものを一人で食べるなんてもったいない。みんなで食べましょう。

 いつものハリオンなら戸惑うこと無くそう言うだろう。しかし、今は――――今だけは。

 

 この素敵な贈り物はヨコシマ様が私の為に作ってくれたもの――――――私だけの!

 

 不安げにハリオンは横島を見つめた。 

 

「悪いなシアー。これはな、俺がハリオンさんを想って作り上げた究極にして至高の一品。ハリオンさん専用ケーキなのだ!」

 

 言ってくれた! 欲しかった言葉を、当然の様に言ってくれた!!

 

 甘いケーキと甘い言葉で、ハリオンはもうほっぺたがとろけ落ちそうだ。

 しかし、これ以上嬉しい事は無いと思っていたハリオンだが、それは今手に持っているケーキよりも甘いと知らされる。

 

「まあ、完全にオリジナルってわけじゃないんですけど。ほら、以前にハリオンさんが言ってたじゃないですか。この店のケーキはすごく美味しいけど、もう少し甘いほうが好みだって。そんで、何とかレシピを教えてもらって、俺が少しだけ手を加えて完成させたんです」

 

 ただレシピ通りに作った訳ではなかった。

 レシピを元に、ハリオンの味覚に合う、ハリオンの為だけのケーキだったのだ。

 本当に世界に一つしかない、自分だけのケーキにハリオンは幸せでぐにゃぐにゃになるが、幸せの驚きはまだまだ続く。

 

「いや~ここまで作り上げるのに二ヶ月近くかかったんで。一番最初に準備を始めて、まさか一番最後になるとはな~。あの頑固オヤジめ! 早く教えてくれりゃあいいのに!」

 

 全員が目を丸くする。

 つまり、横島は誰よりもハリオンのプレゼントに手間暇をかけたわけだ。

 ハリオンにもの言いたげな視線が集まる。

 

 なんだ、しっかりプレゼントが用意されているじゃないかと。

 

「まあ、ちょっと凝り過ぎたのもあったんすけどね。ほら、俺がここ最近……あれ、なんだったけ……あ~理由は忘れちまったけど、物凄く落ち込んだ時期があったんですよ。その時にハリオンさんが凄く良くしてくれて……俺を慰めてくれたじゃないすか。なんつーか、すごく救われたって感じで、だから絶対に喜んでほしくて……まあそれを言ったらこの世界に来て一番、夜のオカズに……じゃなくて癒してくれたのがハリオンさんだから……あ~~!」

 

 それはもはや告白といってよい内容だ。横島は恥ずかしそうに頭をかきながら言葉を紡いでいく。

 ハリオンは夢中で横島の言葉をかみ締めていた。

 彼は一番初めにハリオンの為にプレゼントを作り始め、誰よりも時間と手間とお金と愛情を込めていたのだ。

 そして、ちゃんと横島を支えようと陰で努力してきたハリオンの姿を、横島はしっかり見続けてきて、それに応えようと彼も努力し続けていたのである。

 ハリオンの心の器が、喜びと呼ばれる感情で満たされ、溢れた。溢れすぎた。

 

「生まれてきて、ヨコシマ様に会えて……本当に良かったです~」

 

「そ、そりゃ言いすぎですよ! ハリオンの方がずっと美味しいお菓子を――」

 

 珍しく謙遜を始める横島。そんな横島に、ハリオンは非常にじれったい思いを感じた。今の自分の幸福感、満足感をまったく理解していない。もうこのまま死んでもいい、とすら思っているのに。

 これを食べるために生まれてきたのではないかと思うほど、ハリオンは幸せだった。

 今の自分の幸せを伝えたい。この歓びを、この嬉しさを、この胸の鼓動を。伝えなくてはいけない。

 

 ハリオンはケーキを口に含む。

 そして、横島に向って口付けをした。

 

「ム、ムゥ~!?」

 

 いきなり口が塞がれ、目を白黒させている横島に、ハリオンは侵入を開始する。

 

 舌で舌を舐め上げる。それだけで二人は痺れあがった。

 ただ自分を慰めるときの快感とはまったく別の衝撃が、背筋から脳天に駆け上る。

 ぺチャぺチャと淫欲の音がしばし聞こえて、ようやくハリオンは横島から口を離した。

 

「どうですか~とても美味しいですよ~」

 

 その問いに横島は顔を紅潮させて、目の焦点が合わないままゆっくりと頷いた。しきりに舌を動かして口の中にあるケーキとハリオンの味を追い求める。それは食欲と獣欲を求める牡の表情。ハリオンは喉を鳴らした。

 

 彼は私を求め、私は彼を求めている。

 

 妖艶な笑みをハリオンは浮かべた。いつものお姉さんな笑みではない。女であり牝である事を強調した、男を虜にするために生まれた笑み。口の中にほんの少しだけケーキを含み、そしてじっと横島を見つめる。瞳は赤く潤んでいた。

 蜜に誘われる蝶のように、横島はふらふらとハリオンに再度口付ける。

 

「……んむっ、ん……」

 

 二人は互いに互いをむさぼり続ける。もうケーキなど残っていない。

 液と液を啜りあう淫らな音が部屋に響き渡る。

 

 いきなりのディープキスを見せられた他のスピリット達は堪ったものではなかった。ここから一目散に逃げ出したいのに、足が鉛にでもなったかのように動かない。目を閉じたいのに、閉じれない。

 彼女らは、ただ見続けて、目を離せなかった。精一杯ハリオンを愛して感じようとする横島と、それを懸命に受け止めるハリオンを。

 

 長いキスが終わる。

 二人の間に掛かる透明な橋を、ハリオンは指で絡めとって舌で舐めた。

 いつも優しいほわほわお姉さんが見せる淫靡な光景に横島の理性は完全に焼ききれていたが、

 

「ヨコシマ様~結婚しましょうか~」

 

 結婚の言葉に、横島の目に理性が戻る。

 流石にまだ人生の墓場に入るのは躊躇するらしい。

 

「い、いやちょっと、まだ人生の墓場に入るには早いかな~なんて」

 

「結婚したら~私にエッチな事しほうだいですよ~」

 

「今すぐ結婚しましょう! さあさあ!!」

 

 豊満な肉体とほわほわの笑顔の前に、煩悩青年の理性など飴細工でしかなかった。

 そのままハリオンの肩を抱いて部屋に連れ込もうとした横島だが、急に表情を硬くする。

 

「……命令じゃないっすよね」

 

「はい?」

 

「その、ハリオンは俺を癒すために……俺に抱かれる任務があるのは知ってるんで」

 

「へ……ええ~!? な、何で知ってるんですか~!? 極秘事項ですよ~!」

 

「いや、ちょっとレスティーナ様と話したときに聞いたんですけど」

 

 何度かレスティーナと密会して、聞き出した内容だった。

 横島は、ハリオンが自分に捧げられた生贄に近い立場でいることを知っていたのである。

 ハリオンの役割を知った横島はレスティーナに、

 

『命令でなんてハリオンを抱きたくない! その命令を取り下げてくれ、俺は自分の魅力だけでハリオンを惚れさせて見せる!!』

 

 などと言う紳士で男気溢れた言葉を言えなかった。

 あんなぽわぽわお姉さんが命令とはいえ、抱いてよいのだ。ただでさえ辛い戦争で癒しを求めているときに、この魅力に耐えられるはずも無い。

 

 横島はハリオンの慰め役を受け入れた――――が、結局、手を触れなかったのは周知の事実である。

 

「それじゃあ、何で今まで私を抱かなかったんですか~」

 

「そりゃ滅茶苦茶抱きたっんですよ!! もうネチョネチョにやりまくりてえけど! もしそれでいつもの笑顔を消えて泣かれでもしたら」

 

 苦しい現実の中でいつも優しい笑顔を向けてくれるお姉さん。

 そんな彼女を抱いたとしよう。

 事が終わった後に、いつもの癒され笑顔を見ようとして、

 

「本当は抱かれたくなんて無かったんです~でも命令だから抱かれたんです~」

 

 と泣かれでもしたら、横島はその場で首を吊りたくなるだろう。

 一生物のトラウマになるのは疑いようもない。

 スピリットを守ろうとしているのに、一番大切なスピリットを泣かせるなど言語道断だ。

 

 横島は優しかった。でも、アホだった。

 

「では、ハリオン・グリーンスピリットを貴方の慰め役から降ろしますか」

 

「いやっす! こんなチャンスを逃したら、俺があんな良い女を抱くチャンスがあると思ってるんですか!?」

 

「ええー」

 

 抱かないけど、抱ける状況にはさせて欲しい。

 横島の要望にレスティーナは呆れかえった。

 何の意味が、と常人は思うだろうが、一応の理由は存在する。

 

 大好きなお姉さんを、いつでも好きなときに抱いてよい。

 男として、抱いて良い女がいるというのはそれだけで心の安定にもなる。

 つまり、

 

『本当は脱童貞なんて簡単だけど、紳士だから童貞をやってます』

 

 という逃げ口上で自分を慰めていたのだ。

 なんとも情けない男である。

 

 だけれども、ハリオンは情けない横島を愛しく思った。

 自分だけ押し倒されなかったのは、それだけ大切に想われていたからだと分かり、横島をとにかく可愛く感じてしまう。

 

「もぅ~ヨコシマ様! 大事に想い過ぎですよぅ~!! もぅ~ほんとに……もぅ~~!!」

 

 ハリオンはポカポカと優しく横島の胸を叩いた。その瞳からポロポロと大粒の涙があふれ出る。

 

 これ以上、嬉しいことはない。

 たった数分間の間に、嬉しさの上限が三度も更新されてしまった。

 幸せだ。幸せすぎる。幸せで人は泣けるのだと、ハリオンは知った。

 

 もう躊躇も遠慮もない。

 私はこの人を愛して、愛されよう。

 

 横島を強く抱いて部屋に向おうとする。

 そこで横島は体重の全てをハリオンに預けた。何事かと見ると、横島は目を閉じてぐったりとしている。意識を失っているようだった。

 

「あら~そうでした。惚れ薬の効果が無くなる頃って、意識が飛びやすくなるんでしたっけ」

 

「ちょっと、それ大丈夫なの!?」

 

「大丈夫ですよ~ただベッドに運んであげて寝かせてあげませんと~」

 

 倒れた横島をハリオンが抱き上げる。その形はお姫様抱っこだ。その様子はさながら毒リンゴを口にしたお姫様を抱き上げる王子様のごとし。しかし、それは健全なお姫様抱っこではなかった。

 抱き上げた王子様――――もといハリオンの顔には妖しさを秘めた笑みを浮かべている。まるで魔女だ。

 嬉々というか鬼気というか。とにかく、凄まじい何かをハリオンから感じたヒミカ達は、一刻も早く二人を分けねばと頭を働かす。

 

「ハリオン、貴女は確か城に呼ばれているんでしょ。早く行った方がいいんじゃない。ヨコシマ様は私達が見てるから」

 

「大丈夫ですよ~火急の用ではありませんから~。それに今はそれどころじゃありません。とっても幸せで~すっごく温かくて……抑えられないぐらい体が火照ってるんです」

 

 彼と触れている所が熱い。触れていない所が切ない。もし、全身を撫でられ、舐められ、押し倒されたどうなるのか。もっともっと愛されたい。同時に愛したい。

 抱きしめて全身を愛撫したかった。キスを体中にあますことなくして、胸も口もアソコも全てを使って横島を愛したい。

 ハリオンは体を震わせた。想像するだけで、体が反応してしまったのだ。抑えても抑えきれない思いがハリオンの身を焦がす。つまりは発情である。

 

「ちょ、ちょと! ヨコシマ様をどうするつもり!?」

 

 ヒミカの恐怖すら篭った声を聞いて、ハリオンはにっこり笑い、

 

「犯します~」

 

「ブッ!!」

 

 直球ど真ん中。いやむしろデッドボールか。

 

「だってぇ~ヨコシマ様を愛したいんです。ヨコシマ様に愛されたいんです。だから~愛し合いに行くんですよ~」

 

 キラキラと輝く笑顔を振りまくハリオンは、ただひたすら美しくて、これに誘われたら誰しもが抗えないだろう。

 

「だめー! 行っちゃだめーー!!」

 

 ハリオンの行く手を子供たちが塞ぐ。

 

「……絶対だめ! 二人っきりになんてさせないから!!」

 

 子供達も『行為』は知っている。まだ教わったばかりだけど、それが気持ちよくて特別な儀式である事は理解していた。その行為が横島とハリオンの間で交わされたら、二人は特別な間柄となり、自分達は特別で無い間柄となる。

 

 ――――――――――奪われる!!

 

 とにかく、それだけは理解していた。

 純粋な感情をぶつけられてハリオンの動きが止まる。

 止まった隙を突いて、大人達も攻勢に出た。

 

「ねえ、ハリオン。そもそも惚れ薬騒動は私達の反省を促して、ヨコシマ様と仲を戻す為だったんでしょ。貴方が仲良くなるのは可笑しいでしょ?」

「でも~今までたくさんヨコシマ様を苦しめてきて~急に優しくなるのはどうかと思います~」

「先日お涙頂戴の告白をしておきながら、それが的外れだった人物のいう事など聞く耳持ちません」

「ヨコシマ様を苦しめたのは事実じゃないですか~」

「そうね。だからこそ私達がスキンシップを図った方がいいと思うのだけど」

「あらあら~今のキスを見ていなかったんですか。人の恋路の邪魔をするものはなんとやら~ですよ」

「さっきの無理やりじゃないですか! それにケーキまで使うなんて邪道です!!」

 

 もはやお互い譲歩しようとか、相手の気持ちになって考えようとか、そういった気持は皆無であった。

 ハリオンは何としても横島をこのまま部屋にお持ち帰りしようとして、ヒミカ達はなんとしてもそれを阻止しようと、あわよくば横取りしようと画策する。

 

 横島とハリオンのキスを見て、自分達がずっと今の関係でいられない事を全員が理解したからだ。第二詰め所の誰もが、なんとなく漠然と、ずっとこの賑やかな日々が続くのだと考えていた。それで良いと思っていた。

 だが、そんなことはありはしない。血のつながらない年頃若い男女が一つ屋根の下で過ごしているのだ。

 

 もし、このまま何もしないでいたら、横島は誰か好意を抱いてくるものと一緒になるだろう。今ならば間違いなくハリオンだ。

 

 スピリットが結婚なんてありえない?

 そんな事は無い。隣に居るのが横島なら、ありえないなんてありえない。

 

 そうしたら、言わなければいけないのだ。横島の隣で花嫁衣裳を着込んで幸せそうにしている相手に祝福の言葉を言わなければならない時が来る。

 

 『おめでとう』

 

 ――――――言えない。

 

 もし、自分が行動してたら横島の隣にいるのは自分だったかも、と考えると祝福なんて出来るはずがない。

 

 ただ待っているだけで、まして冷たく意地悪をして好かれる事などありえない。

 横島をめぐる第二詰め所の争いが、今ここに開始される。

 

 

 だが、そこにセリアの姿が無かった。

 

 

 セリアは第二詰め所を出て、おぼつかない足取りで外を歩いていた。

 ただ一人、騒動から抜け出した彼女は、幽鬼のように青い顔で、まるで病人のようである。よく見ると鼻から血を流していた。

 だがセリアはそれを拭おうともしていない。

 鼻血を流しながら虚ろな目で歩き回る美女という、一つのホラーがそこにあった。

 

「どうしたんです、セリア……セリア?」

 

 自作のハーブを手入れしていたエスペリアがうろつくセリアに気づく。まるで死人のように生気の無いセリアに、これはただ事では無いと駆け寄った。

 まず回復魔法を使用して鼻血を止める。

 

 またふらふらと歩こうとしたセリアをエスペリアは抱きしめた。

 とても放置できないのと、まるで泣くのを我慢している幼子のように感じて思わず抱きしめてしまったのだ。

 

「放して」

 

 か細く言って、小さく体をゆするセリア。

 普段なら子供のように抱きかかえられるなど彼女のプライドが許さないだろうが、今は少し抵抗しただけだった。

 

「放してよう……」

 

 終には抵抗がなくなって、セリアの体から力が抜けていく。腰砕けになり崩れ落ちそうになる体を、エスペリアは慌てて支えた。

 

「一体何があったか話してください。ヨコシマ様の事なんでしょう?」

 

 横島の名が出てビクリとセリアは震えた。

 エスペリアは最悪を想像して表情を厳しくする。

 

「彼に何か酷いことをされたのですか?」

 

「違うの。酷いことをしたのは私。どうしてこんなに私は可愛くないの?」

 

 自分の性格は好きではなかった。

 意地っ張りで素直じゃなくて、感情を出すのも伝えるのも得意じゃない。可愛げが無く面白くもない。誰かに好意を抱かれる事は無いだろう。

 でも、それが自分の性格なのだと、個性だと割り切っていた。私はこういうスピリットなのだと。

 

 本当は違った。

 ただ、好意を押し出すのが苦手で怖かった。

 拒絶されるのも怖くて、自分が傷つきたくなくて、刃を纏って生きてきた。

 

「嬉しかった……食事に誘ってもらって、私を楽しませようとしてくれるのが分かって……ちょっとふしだらな想いがあっても、本当に嬉しかったのよ。でも、嬉しいって言えなかった。微笑む事も出来なかった!!

 どうしたら良いのか分からなくて、いつもみたいに厳しい事を言って突き放して彼を傷つけた」

 

 悲鳴のような言葉にエスペリアは横槍をいれず、ただ黙って話を聞き続ける。

 

「でも、ヨコシマ様は分かってくれると思ったのよ。私がどれだけ彼を信頼しているかって」

 

 それは甘えだった。

 口にも出さない。行動もしない。彼の好意は踏みにじる。

 でも、私が感謝していることを彼は理解してくれるだろう。

 まるでエスパーのような読心術を、セリアはまだ二十歳にもならない童貞青年に求めてしまった。

 

「もっと意地悪すればもっともっと何か嬉しい事してくれるんじゃないかって! そんなどうしようもない事を考えていたのよ……最低よ、最低だったの」

 

 こんな最低女、愛されなくて当然だ。

 セリアは自身を卑下する。だが、セリアのやったことそのものは良くある駆け引きに過ぎない。

 愛する人に意地悪をするなど、恋愛において珍しくもなんともない。

 好きな人の困った顔を見たかったり、自分がどれだけ愛されているかを確かめるなど、当たり前のようにあることだ。恋と戦争においてあらゆる策が肯定される。そんな言葉はいくらでもあった。

 ただ一つの失敗は、加減が分からなかったこと。

 圧倒的な経験不足。それが根本的な原因だろう。

 

「私じゃなくてハリオンを抱きとめた……当然よ! 私は、愛されるようなこと何一つしていないから!」

 

 エスペリアの背に回されたセリアの手に力が入る。

 当然。仕方ない。しょうがない。

 セリアの口から出てくる言葉は、そんな諦めのようなもの。だが、その言葉とは裏腹にどこか納得できない、悔しさが込められている。その証拠に、エスペリアの背には爪が深く食い込んでいた。しかし、エスペリアは痛みを顔に出すことはしない。

 

「……そうですか。それでセリアは、これからどうするつもりです」

 

「これ……から?」

 

 今までのセリアの告白は全て過去のものだ。今までの自分の選択を後悔して懺悔する。過去を想って泣く。それは生きていれば誰しもが通る道だろう。だがその道はそこで終わりでは無い。後悔の先にはまだ道がある。

 

「勝負はこれからじゃないですか」

 

「無理よ! もう遅いの! 私は嫌われたのよ!!」

 

 セリアは顔を横に振りながら、ヒステリック気味に叫ぶ。

 エスペリアがいくら励まし宥めても悲観的な言葉ばかりが吐き出された。

 

 このまま宥めていても埒が明かない。

 エスペリアは決断した。

 

「セリア、これからヨコシマ様と所へいきましょう。そして貴女の想いをぶつけるのです」

 

「無理……無理よ」

 

「じゃあ、ヨコシマ様と他のスピリットが仲良くやっているのを指を加えて眺めるだけですか」

 

「やだ……やだ」

 

「だったら、無理やりにでも貴女を連れて行きます!」

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、意識を取り戻した横島は目の前で繰り広げられる争いに目を閉じて耳を塞いでいた。

 

 ただの争いならいざ知らず、女の争いである。

 

 どのような英雄であっても、これに率先して関わろうなんて男は古今東西皆無であろう。

 

「さあ~これで終わりですか~!」

 

「くっ!」

 

 戦いはハリオンの勝利で終わろうとしていた。

 やはり、今の今まで横島を支えていたのという事実が大きかったのだ。

 

「さあ、ヨコシマ様~私と一緒にイキましょう~」

 

「お、おお」

 

 とても逆らえる気がしなくて横島はハリオンの手を取ろうとする。

 だけど、二人の手が重なる事はなかった。

 

「ちょっと待ってください!!」

 

 バンと玄関が開いて、エスペリアがセリアをお姫様抱っこして現れたからだ。

 『へい、お待ち!!』とばかりにエスペリアは横島の眼前にセリアを置いた。ハリオンがムッとしたが、セリアの張り詰めた表情に、仕方がないと溜息を吐く。

 

 横島はセリアを見つめた。セリアも顔を真っ赤にして横島を見つめる。

 

「私は……私は! ヨコシマ様の事が……」

 

 告白を察知して、場が水を打ったように静まる。流石に邪魔するわけにはいかない。

 セリアは、というかここにいる誰もがお互い恋敵ではあるが、やはり仲間なのだ。

 頑張れ、勇気を出せ。セリアを心から応援して、

 

「す……嫌いじゃありません!!」

 

 がたがたがた!!

 

 周囲の人影が一斉に崩れ落ちた。

 

 まさか、まさかここまでとは!!

 

 筋金入りの不器用も、ここまでくれば立派なものだ。

 ヒミカ達は恐れ入ったという表情で、しかし口元には笑みを浮かべていた。

 ここに来て未だに素直になれないのでは話にならない。

 もはや全員が肉食動物と化し、飢えた獣のごとく牙を研き爪を砥いで獲物(横島)を狙っているのだ。ヒミカやファーレーンはもう少し平静になれば落ち着いて恋慕を伝えるのだろうが、今は勢いに任せて突っ走っている。今ここで勢いに負ければ、間違いなく負け犬街道一直線だと分かっているからだ。

 

 まず一人脱落!

 

 周囲は笑みを浮かべ、セリアは絶望的な表情になった。

 自分自身の不器用さに絶望する。どこまで可愛げが無いと言うのだろう。

 透明感あるブルーの瞳から一筋の涙がこぼれる。

 だが、そんな彼女の視界に喜色満面な男の顔が目の前に現れた。

 

「本当か!? 本当に嫌いじゃないのか!!」

 

「え? は、はい! 嫌いなんかじゃありません!」

 

「あの素直じゃないセリアが、嫌いじゃない……だと! これはもう愛の告白としか思えん!? ついに俺の時代が始まったというのか!!」

 

 横島は基本的に馬鹿だった。

 その馬鹿さ加減が、今のセリアには眩しかった。

 

「あ、ありが……とうござい……ます!」

 

 セリアはただ礼を言う事しかできなかった。

 こんな何の可愛げもない、告白にもなっていないような告白に喜んでもらえた。

 もうだめだ。もうどうしようない。

 私は、もうこの人がどうしようもないほど好きなのだ。 

 

 我が世の春が来たー!

 と物凄いはしゃぎっぷりを見せる横島に、エスペリアを除く全ての女性が頬を染める。

 本当に女好きで私達の事が好きなんだなあ、と好意を持った。

 エスペリアだけが、正気だった。

 

「今の要素のどこに惹かれるところがあるのでしょう」

 

「何を言っているのエスペリア! もう最高じゃない!!」

 

「うん、ヨコシマ様はカッコイイー!」

 

「えー」

 

 第二詰所は脳をやられてしまったのかと、エスペリアは考えた。

 まあ、そんなエスペリアも悠人のちょっとダメなところが良いという思いがあるので、どっこいどっこいだったりするのだが。

 あばたぼえくぼ。惚れたが負け。

 結局は、そういうことなのだろう。

 

「ヨコシマ様……その、私は!」

 

 感極まったセリアが今度こそと、思いの丈を明かそうとした、その時だった。

 どーん、という大きな音と共に、いきなり壁が破壊される。

 すわ襲撃かとエスペリアが身構えたが、そこに現れたのは第三詰め所の面々だった。

 

「いたーヨコシマ様を発見したよーー!」

 

「うん! これよりヨコシマ様強奪大作戦を開始する!!」

 

 ドドドドと地響きを立てながらスピリット達が流れ込んでくる。

 

「ちょっと! これはどういうこと!?」

 

 唯一、正気を保ってそうなルルーに聞くと、彼女は困ったように笑って見せた。

 

「あはは……なんかお姉ちゃん達、泣き終えたらプッツンしちゃったみたいで、『ヨコシマ様を第二詰め所から奪えー!!』って」

 

 来ないのならこちらから奪い取ってしまえ。明快な野獣ルール。

 たくましくなっちゃったなあ、とルルーは苦笑いを浮かべていた。

 何で壁を壊して入ってくるんですか、とエスペリアは突っ込みを入れていたのだが、誰も聞いていない。

 

「拉致を、一心不乱の拉致を実行するのです!!」

 

「入ってくるな! ヨコシマに近づくなー!!」

 

 ニムが髪を逆立てて威嚇を始める。

 それは縄張りに入られた猫のごとき怒りであり威嚇だ。しかも、威嚇をしながら彼の服を握り締めている。

 

 第二詰め所は横島を守護ろうと。

 第三詰め所は横島を奪取せんと。

 女達の戦いが始まる。

 

 

 最終的に、自分が横島を食べるために。

 

 

 

「ヨコシマ様を守れーー!!」

 

「奪え! 奪え! 奪えー!」

 

「一体何なんじゃあ~! 何かの陰謀か!? それとも世界の終わりなのかー!!」

 

 いきなりモテ期到来に横島は喜ぶどころではない。

 朝起きたら急にモテモテでお持ち帰りされそうになればこうもなるだろう。今までは横島が捕食者だったのだが、これからは被捕食者側に回ったのだ。そろいも揃って美女美少女集団に抱きつかれて、彼は女体の中に埋もれていく。ここまでなら子供達にされた事がある。

 だけど、今は大人達も混じり、さらに強烈な恋慕と情欲が吹き零れていた。

 

「のお~~!! どこ触ってんじゃーー!? ちょっ、ズボンを脱がすな! ひい、舐めるなって……いやーーー!!」

 

 この悲鳴を持って、この先、何億回と開催される事となる横島争奪戦の幕が切って落とされたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 品の良い調度品が並ぶ一室で、レスティーナとエスペリアはお茶を飲んでいた。

 話の花は一連の騒動の顛末。

 レスティーナは機嫌良さそうにエスペリアから話を聞く。

 

「ふふ、そうですか。やはり顛末はそうなりますか」

 

 己の黒髪をいじりながら、レスティーナは楽しそうに言った。その笑いはどことなく黒い。

 予想通り、と黒い笑みを浮かべる女王にエスペリアは驚く。

 

「こうなることを、レスティーナ様は予想していたのですか」

 

「まあ、落ち着くところに落ち着くとは思っていましたが……彼女たちの落ち着くところはこうなると分かってました。遅かれ早かれ、そして多かれ少なかれ、彼の周りでこういった騒動が起きるのは分かりきったことでしたから」

 

 起きて当然とレスティーナは言い切る。

 今までろくに愛されてこなかったスピリット達の中に、スピリットの為に命を懸けて戦うスケベな男性が現れたのだ。しかも相手は良くも悪くも劇薬な横島忠夫という規格外。

 親密に付き合った初めての男が、この煩悩男ではスピリットは色々な意味でたまったものではなかったろう。

 事の大小はあるだろうが、惚れた腫れたの問題が生まれるのは自然なことだった。

 

「と言っても、全員同時に恋心が芽生えるというのは予想外でしたが」

 

 ハリオン達は馬鹿なことした。レスティーナは心からそう思った。

 正直言って、横島と結ばれるのは非常に簡単だったのだ。彼は女好きで第二詰め所に命を賭けていた。告白すれば、子供達を除けばであるが、誰が告白しても嬉々として受け入れただろう。

 さらに彼は童貞であるし情も深い。取り合いになったとしても、最初に告白して抱かれたスピリットは色々と有利になったはずだ。

 特にハリオンは相当有利なポジションにいたというのに。

 

 しかし、今回の騒動で全員が一斉に横島に好意を向けた。いや、恋人とただの隊員との差を自覚して、行動に出るようになった。

 こうなってしまうと女好きだが女慣れもしていないし、そして意外と真面目な所もある横島がどう行動するか。これはレスティーナにも読めなかった。

 誰か一人と付き合うのか。それとも数人と関係を持つのか。それとも全てものにするのか。誰とも結ばれないという未来は、ここまできたらありえないだろう。

 

 これから先に巻き起こるであろう騒動を思い浮かべ、女王は楽しみにニヤニヤと笑いをもらす。

 楽しげなレスティーナと裏腹に、エスペリアは不安に満ちた表情を作る。

 果たしてあれが落ち着いたといえるのか。確かに仲たがいの件は解決したように見えるが、それ以上のトラブルが発生したような気がする。

 

 今まで第二詰め所内で横島が誰かと仲良くしても、殆ど嫉妬という感情は起こらなかった。

 その理由は恋人になったとしても何をしていいか分からなかったからだ。横島は自分達を見てくれる大切な隊長。それで十分に満足できた。第三詰め所と揉める事があっても、それは男の取り合いではなく隊長の取り合いだった。

 だが彼女らは見てしまった。恋人という特別な関係になって始めて向けられる感情と行動を。そして恋人になれなかった場合の終点を肌で味わってしまった。もう隊長であるだけで満足だ、とは言えないはずだ。

 今後第二詰め所では恋の花が咲きに咲き乱れて修羅場という名の台風が常に吹きすさぶ事だろう。

 

 だけど、エスペリアは修羅場も別にいいのかもしれないとヤケクソ気味に思った。

 あのドタバタ劇を見ていると、『ああなるほど』と納得できるような気もしなくも無い。良くも悪くも、あれが第二詰め所の『日常』なのだ。

 とりあえずは納得はできたが、それでも、とエスペリアは思う。

 

「今回の騒動に関しては、もう少しやりようもあった思うのですが」

 

 先の騒動の始まりから終わりまで、エスペリアは目撃している。

 横島もそうだが、ハリオンとセリアも精神的に追い詰められていた。第三詰め所のスピリット達にしてもそうだ。

 一応上手く? 収まったから良いものを、もし着陸点を誤っていたら内部分裂の危機すらあった。

 その気になればレスティーナの「仲良くしなさい」の一言で穏便に事が済んだはずなのだ。

 エスペリアは胡乱な視線をレスティーナに向ける。まさかとは思うが、スピリットを玩具にして騒ぎを楽しんでいたのではないかと勘ぐってしまう。

 

「スピリットは穢れを知らず、あまりにも純粋すぎる。

 綺麗過ぎる川には魚が住まないのと同様に、人も清潔で潔癖すぎる存在には近づきがたい」

 

 レスティーナは真面目な顔をして、凛として言った。

 エスペリアは首をかしげた。一体何を言おうとしているのか分からない。

 

「朱に交われば赤くなる、というハイペリアの言葉があります。その意味は、箱に腐った果実が一つあると、中に入った果実は皆腐る、という意味らしいです」

 

 やはり意味が分からず、エスペリアはまた首を傾げた。

 結局何を言いたいのか分からない。

 エスペリアの困惑顔に、レスティーナは苦笑を浮かべた。

 

「スピリットである貴女には分かりづらいかもしれませんが、人間にとってスピリットは綺麗で純粋すぎるのです。透明で、綺麗過ぎて、近づきがたい壁がスピリットにはある。

 私は、人とスピリットを交わらせるのに何が必要が、常々考えていました。出た結論は、穢れです。

 嘘や恨み辛みといった負の感情。それがスピリットには足りません。ヨコシマにはそれを与えてほしかった……彼は見事にそれを達成したのでしょう」

 

 エスペリアは思わず顔を顰めていた。

 嘘や恨み辛みなど、持たないにこしたことはないはずだ。

 万が一にもスピリットが人間に対して恨み辛みを抱いたら、どうすると言うのだ。

 

「別にスピリットが人間に恨み辛みを持てと言っているのではありません。ただ、スピリットも人間と同じように怒りや憎しみ、そして嫉妬や欲望を持って欲しいのです。同時に、それを飲み込む心の強さも。そうすれば、人はスピリットも同じだと返って安心するでしょう。人という種は、異端者に特に残酷になるのですから。それに恋という感情は、正負の両面を持ち合わせているのでちょうど良いのです」

 

 人間は何かを好きだと話し合う時よりも、何かを罵る時こそ充足し団結する生き物だとレスティーナは知っていた。

 エスペリアは分かったような分からないような気持ちになった。

 この胸に芽生えた嫉妬という気持ち。自分が汚く嫌らしい存在だと自覚させられるこの感情が、人にとって好ましく見えることなどありえるのだろうか。

 言っている相手がレスティーナだからこそ間違っていないと思うが、どうしても納得は出来なかった。

 

「それに下世話ではありますが、恋の話ほど人の興味を引くものはありません。年齢も文化も種族も性別も国境をも越える話の種です。人とスピリット共通の話題として、これ以上の話題は無いでしょう。ましてやそれが今をときめくエトランジェの話題とくれば……」

 

 にんまりとレスティーナは笑う。

 これにはエスペリアもなるほどと思わぬ訳では無い。人とスピリットの距離は少しずつ埋まりつつある。自分達を見る人の目は柔らかくなっているし、買い物をしていて話しかけられる事も増えてきた。

 だが、話といっても何の話をしたらいいのか分からないのが現状だ。共通の、しかも人が強い関心を抱いている話題など、スピリットには分からない。いや、一つある。エトランジェである、悠人と横島だ。彼ら二人は話題性に事欠かない。

 エスペリアも、もし悠人の話題を振られたら5時間ぶっ続けで話し続ける自信があった。その内の半分は惚気になることは、エスペリア自身も気づいていないが。

 

 やはりこの方は一歩も二歩も先を見て、そして私達を信頼してくれている。

 

 レスティーナに仕えられて良かった、とエスペリアは自然と頭を垂れた。

 強く、優しく、高潔で人情深い。

 今回の騒ぎも愛の鞭だったのだ。

 

「なにより、そのほうが私も楽しめますから」

 

「……はっ?」

 

「大体なんですか! 私が毎日のようにおっさんや爺の顔に囲まれて過ごしているというのに、ハリオン達は甘酸っぱい青春群像劇を繰り広げて!! ヨコシマ君から『ハリオンの為に最高級のお菓子の材料を取り寄せて欲しい』なんて羨ましくも妬ましい話を聞かされた後に、ハリオンが『私だけ何も無いんです~』とか泣きついてきて!! 泣きたいのは私の方よ! ユート君はアセリア達や友達の事で頭が一杯みたいで、レムリアの事なんて忘れちゃったみたいだし、ヨコシマ君はハリオン達ばかり見てる!! せっかくほっぺにちゅーまでしてあげたのに。なにこれ!? 完全に私のルートから外れちゃったの!?」

 

 怒涛のようにまくし立てるレスティーナ。いや、今はレムリアと言ったほうがいいか。

 正ヒロインの一員であるにも関わらず、政務に追われ接点が薄い所為でイチャイチャとラブコメできない不満が爆発したと思われる。

 エスペリアの脳裏に「まさか」とトンでもない仮説が思い浮かんだ。

 

「あの……もしやとは思いますが、日頃の鬱憤晴らしの為に今回の騒動を企画したのですか?」

 

「勿論! どうせヨコシマ君の事だから、ギャグっぽく騒動を収めるって信頼してたからね。だから収まるまで徹底的に振り回してやろうと思って。私のおかげで皆の仲が深まったんだから、ヨフアル一封ぐらいほしーぐらいだよね」

 

 あはははははは。

 

 レスティーナの笑い声が響き渡り、エスペリアのコメカミがピクピクと痙攣した。

 とんでもなく低俗で自分勝手だった。これも嫉妬という感情のもたらしたものならば、やはり嫉妬は良くないのではとエスペリアは考えてしまう。

 

「適度にこういう気持ちは発散したほうがいいのだよ! 分かるかなエスペリア君!!」

 

 もはや完全にレスティーナは消え去りレムリアと化していた。

 

「あの。ハリオンから聞いて欲しい事があると言われたのですが」

 

「うん、なに?」

 

「どうしてヨコシマ様がハリオンにプレゼントを用意していることを隠していたのですが」

 

「それは勿論、サプライズの方が喜びも大きいからだよ。

 念のため言っておくけど、プロポーションは関係ないからね! 胸の大きさなんて全然気にしてないから! おっぱいなんて……うう、こんちくしょー!」

 

 ――――ギルティーです~

 

 どこからかハリオンの声が聞こえたような気がした。

 その声にエスペリアは頷く。

 スピリットに怒りや嫉妬を与えたいと、レスティーナは言った。

 いやな気持ちは発散したほうが良いと、レスティーナは言った。

 

 ――――――なら、構いませんね。レスティーナ様!

 

 エスペリアは覚悟を決めた。

 ハリオンから預かったレスティーナへの貢物。

 あくまでも冗談だと考えていたし、万が一にも使うとは思わなかった。

 だが、もういいだろう。

 

(ヒロインレースから脱落した人が、ヒロイン候補の足を引っ張るなんて駄目ですよ。ウフフ)

 

 エスペリアは黒い笑みをこっそりと浮かべる。

 

「……ああ、そういえば忘れていました。ハリオンからこんな物を預かっています」

 

 バスケットを開けて中から取り出したのは、白くてふんわりしている手の平大の物。

 レムリアの目がキラキラと輝く。

 

「やった、ヨフアルだね。しかもまだ温かい!」

 

「はい。ハリオンお手製です。今度の件でお世話になったお礼と言っていました。ハイペリア流に言うと『お礼参り』だそうです」

 

「うんうん。色々あったけど、結局は私のおかげでハリオンはヨコシマ君争奪戦で頭一つリードしてるわけだしね。お礼ぐらいしてくれてもいいよね~!」

 

 当然だ、という風にレスティーナは言う。

 その言葉でエスペリアの気持ちは完全に決まった。

 

「では、ごゆるりと」

 

 エスペリアは菓子を渡して部屋から退出する。

 後ろから聞こえてきた「辛いよ~辛いよ~!」なんて泣き声は、幻聴だと完全に無視した。

 

 城の内部を歩いていると、外から騒ぎが聞こえてきた。

 窓から外をのぞくと、横島がスピリットの集団に追い回されていた。第二詰め所に第三詰め所の面々が、目を血走らせて横島を追い掛け回す。

 

 別に横島がバカをして追い回されているわけではない。ただ猛烈なアプローチを受けて、何をどうしていいのか分からず逃げているらしい。

 周りの人間達が、やいのやいのと騒ぎ立てていた。

 あれだけ女好きを公言していたのに、いざ迫られると逃げ回る。

 まったくもって意味が分からない――――――――

 

「孕ませろーー!!」

「先っちょだけでいいから!!」

「婚姻届にサインしてーー!!」

「責任取らせて隊長にするぞー!」

「私がママになるんだよー!」

「お前らちょっと落ちついてくれーーー! パンツを取るなーー!!」

 

 ――――あ、うん、これは逃げて当然だ。

 

 恋愛に関して子供同然とレスティーナは言っていたが、確かにとエスペリアは納得した。これは酷い。

 極端から極端に走るのが子供の特性だ。今回の件で一つ成長したといっても、まだまだ恋愛の初心者には変わりない。まだまだ騒動は巻き起こるだろう。

 

 こうはならないようにしよう。もっと自分を律しなければ。

 

 狂乱するスピリット達を見守りながら、あれらを反面教師にしようとエスペリアは心に決める。勢いに任せて行動するような事はしないように、と。

 この瞬間、プッツリとエスペリアとツンツン頭の青年との赤い糸が切れたのだが、それはどこぞでガッツポーズを決める巫女しか知らぬことである。

 

「それにしても、ヨコシマ様と結ばれなんてしたらどれほど苦労する羽目になるか」

 

 エスペリアは顔をしかめながら、彼と結ばれるスピリットに同情した。毎日がトラブルと騒ぎで満たされるのが目に見えるようだ。自分なら絶対にごめんである。

 だけど、横島を好きになれないエスペリアであっても分かった。

 

「とても幸せにはなるのでしょうね」

 

 それだけは間違いないのだろう。

 うんざりとしたエスペリアの呟きが、有限の大地に小さく響き渡った。

 




 こちらはハーレムor個人ルートの場合のお話。
 話の構成上、エッチしないと絶対に結ばれることができません。以前に子供ルートは絶対無いといったのはそのせい。

 IFルートを見たいという人がいると思います。。
 どうしてIFにしなかったのか、理由を書いていたら物凄い量になったのでここでは書きません。どうしてもIFルートが良いという人がいたら、割烹にでも理由を上げます。

 それでもざっくり理由をあげると

 ・IFルートは文字数が増えて完結が遠ざかる事。
 ・最終話を除き、どちらのルートでも殆ど違いがない事。 
 ・スピリットの自立・自活のテーマから外れる事。

 この三つです。
 横島とスピリットのいちゃつきを期待していた人には申し訳ありません。

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