永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第三十五話 進む世界で足踏みを 前編

 第二詰め所のリビングで横笛の高く軽やかな音が響き渡っていた。

 客人は目を閉じて笛の音に聞き入っている。

 

「どうぞ」

 

「ん」

 

 セリアがそっと茶碗を置いた。綺麗なエメラルドグリーンから湯気が僅かに出ている。味よりも匂いが命の茶葉であるから、湯の温度はぬるく50度程度で風味を抽出している。早く味わってもらわないと冷めてしまうと、セリアははらはらした。

 こくりと茶を飲む音。

 美味かどうかの感想は無い。口数の少ない人なので不味かったと考えるのは早計だ。表情で判断するにも、客人の頬には深く皺が刻み込まれているので分かり辛い。

 客人は次に木楊枝で茶菓子を切り始める。プルプルと震える菓子に少し手間取りながら、小さく切って口に入れる。また茶を飲む。

 ここでようやく、ほう、と溜息のような感嘆の声が漏れた。

 

「随分と勉強したねえ。茶は味わい深くなっているし、茶に合う菓子も選別してある。客を迎える座席の位置も正解。イスにはクッションを敷いてテーブルとの高さを調節してる。しかも音楽付きだ。どこの名店に入ったのかと思ったよ。見事なもんだ」

 

 第二詰所への客人、ノーラは深い皺を波打たせて笑って見せた。

 

 満点評価にセリア達は強く拳を握りこむ。茶はセリアがいれ、茶菓子はヒミカとハリオンの自作。クッションはファーレーンが裁縫したもの。横笛はナナルゥが紙芝居をやりながら、何故か習得したものだ。

 

 全ては魅力溢れる女性になるために。

 魅力ある女性となれば、きっと今が永遠に続くのだから。

 

 第二詰所のスピリット達は剣と魔法だけでなく、女の修行にも余念がなかった。恋する乙女はなんとやらだと、ノーラは初々しさに口の中が甘酸っぱくなる思いだ。

 

「この茶菓子はなんて名前だい? ねっとり甘く、それでいてみずみずしいが」

 

「これは海草を利用したラムモチと呼ばれる練り菓子です」

 

「ふうん……その小さい横笛は?」

 

「ナメックというそうです」

 

「ナメック? ラムモチといい、随分とけったいな名前だねぇ」

 

「何でも、これらを伝えた者はエトランジェだったらしく」

 

「ふむ、なるほど」

 

 悠人や横島の活躍でエトランジェやスピリット等の人間でないものの差別は薄らぎつつある。それが影響しているのだ。

 今まで明らかになってはいなかったが、遥か昔から別世界からの来訪者(エトランジェ)はいたらしい。悠人の扱いを見て分かる通り、この世界では異世界人は差別を受け使い潰されてしまう。彼らは素姓を隠して人として生活するしかなかった。

 生まれた子供はハーフエトランジェ、その子供はクォーターエトランジェとして人よりも高い身体能力と親から教わった異界の知識はあったが、それらを表に出さず今も生活していたのだ。

 

 それらの事情が変わり、祖先がエトランジェだったと告白できるようになり始めていた。彼らが子供にのみ伝えていた宝や技術が世に出始めているのだろう。技術面や文化面でも世界は変わりつつあった。

 

「知識や芸は身を助けるもんだ。今後も精進するんだよ」

 

「はい。今後もご指導をお願いいたします」

 

 セリアが代表して深々と礼をする。

 キリッと口元を引き締めていたが、頬は嬉しさからかピクピクと痙攣していた。

  

「本当に嬉しそうですね」

 

「セリアさんはノーラ様を尊敬していますからね~」

 

「ほ?」

 

「こ、こら! ファーレーン! ハリオン!」

 

 心情をばらされたセリアが怒鳴るが、ハリオンはいつものようにのほほんと笑みを浮かべる。ノーラは切れ長の目をぱちくりさせながらセリアを見た。

 

「の、ノーラ様は博識で見識高く、背格好もしゃんとしていて様々な事柄に通じています! 尊敬に値する人物を尊敬するのは当然です!」」

 

 セリアは顔を赤くして一気に捲し立てる。

 相変わらずなツンデレ具合に他のスピリットはニヤニヤと含み笑いをした。

 

「ありがとうよ」

 

 深く皺の刻まれた頬を緩めてノーラは笑って見せる。

 その笑みはどこか自嘲を帯びていたが、そこに気づくものはいなかった。

 

 

 

 マロリガンとの戦争から二週間が経っていた。

 今こうしてゆっくりとお茶を楽しんでいるという事実から、ラキオスが戦争に勝利して大陸を守ったという事実が分かるだろう。

 

 第二詰め所にいるのは年長組みのスピリットだけで、子供達はそれぞれ出かけている。

 別に休憩時間というわけではない。第二詰め所のスピリット達の仕事は、もうただ訓練し続ければ良いと言う段階を越えているのである。皆、それぞれ自分にしか出来ない仕事を遂行しているのだ。

 ノーラも第二詰め所にただ遊びに来たわけではない。

 

「さて。それで、あたしはいつから作業すればいいんだい?」

 

「はい。午後からで、場所は少し離れた第三詰め所です。そこで指揮を執ってもらえれば」

 

「そうかい。まだ時間はあるね。ちょうどいい。部下からあんたらの話を聞きたいってせがまれててね。ラキオスを、大陸を救った英雄譚を聞かせてくれないかい」

 

「え、英雄譚ですか……それは少し大げさでは」

 

「何を言ってんだい。マロリガンのエーテルなんだらを止めたのはあんたらで、エトランジェ達はその場にいなかったんだろう。大陸を救ったのはあんたらだ。英雄だろう」

 

 英雄と言われてセリア達は困惑したような顔になった。

 ノーラの言うことは間違ってはいないのだが、どうにも実感が湧かないのだ。

 あの戦いは一体なんだったのか、自分達にも良く理解できていないのが原因であろう。

 

 

 横島達がシロ達と戦っている最中、セリア達はマロリガンのエーテルコンバーターがある施設に突入した。襲い掛かってくるは、どこか様子の可笑しいスピリット達。

 目は虚ろ。体は細く、妙な痕が全身を覆っている。まるで病人のようだった。なによりも不可思議なのは、神剣の意思が弱く感じられる点である。神剣に細工を施した結果、スピリットにも影響が現れたのかもしれない。

 

 実験動物。モルモット。

 

 そんな言葉が相応しい哀れな同胞たち。異常に力が強い者もいたが、碌な戦術行動は無く、歴戦のラキオススピリット隊の敵ではなかった。

 あの時は急いでいたから分からなかったが、今考えてみると、もう助かる見込みの無いスピリットを介錯していたのではないかとすら思える。

 

 最奥にあったエーテルコンバーターの前にはキェドギン大統領が待ち構えていて、セリア達の顔ぶれを見て皮肉そうな笑顔を浮かべた。

 

「役者共の姿はないか。コウイン達が上手くやった……いや、俺がその程度の存在と思われているのだろうな。だからこそ、ここまで出来たのだろうが」

 

「貴方がマロリガン大統領のキェドギンですね。もはや勝敗は決まりました。これ以上の犠牲は無用のはずです。大人しく降伏を」

 

「俺は意思を貫き通すまでだ。人が全て奴等の奴隷だと思われては業腹だろう?」

 

 キェドギンは訳の分からぬ言葉を言い放ちながら、不気味な永遠神剣と小さなマナ結晶を振りかざす。目も眩むような光が周囲に満ちたと思うと、そこには一本の神剣を持つ白い少女の姿があった。非常に珍しいホワイトスピリットである。

 

 姿を変えたのか。それとも呼び出したのか。

 キェドギンはどうなったのかと、考える暇も無く謎のホワイトスピリットは襲い掛かってきた。

 

 攻撃、防御、魔法。全てが強力無比。マナを光の粒子に変化させ、暴風の如く扱う術は正に脅威。力そのものは悠人や横島と匹敵するほどだ。スピリットと見れば破格の領域だろう。

 だが、それだけだった。

 悠人のような我慢強さを持たず、横島のような柔軟性も無く、スピリットのような技術も無い。

 光の猛威は初撃でセリア達を半死半生まで追い込んだが、そこまでが限界だった。

 

 グリーンスピリットによる回復。

 ブラックスピリットによる弱体化。

 レッドスピリットによる砲撃。

 ブルースピリットによる斬撃。

 

 基本の連携で程なく謎のホワイトスピリットはマナの霧に返った。

 後はエスペリアがエーテルコンバーターを操作して大陸が吹き飛ぶ危機も去った。

 激戦であったのは間違いない。しかし、終わって見ればあっさりしたものだ。

 

 最後は隠れ潜んでいた人間達に大陸の危機が去ったことを伝え、やってきた横島達と合流して終わり。崩れた瓦礫の撤去を少しだけ手伝って、全員が無事にラキオスに帰還している。後は人間達の仕事だ。

 

 横島と悠人は少しの間だけ友人達と話し合えたようだが、シロ達は敗残の将としてラキオスに護送されて今現在は引き離されている。ヨーティアが色々と検査しているらしい。

 まあ、もう数時間後には色々と話し合えるだろう。

 

 それらの事情をさらりとノーラに伝えると、彼女は満足したように頷く。

 

「それで十分さ。あんたらが敵を倒し、民を救ったという事実があれば、それだけでスピリット派の私達には都合が良い。あとは盛り上がるように喧伝してやろう」

 

 ノーラの言葉にスピリット一同は深く頭を下げた。

 スピリットの味方がここにいる。自分達が活躍すればするほど、彼らを助け、それが同胞の幸せにも繋がっていく。

 誇りと希望が胸に満ちるのをセリア達は実感していた。

 

「感謝を」

 

「感謝なんかするんじゃないよ。あたしら自身の為でもあるし、それにちょっと前まではあたしもスピリットを嫌っていたんだから……すまなかったね」

 

 本当にどうしてスピリットを嫌っていたんだか。

 

 ノーラはそう不思議そうに呟く。

 スピリット達はそんなノーラを嬉しそうに見つめ、視線に気づいたノーラは恥ずかしそうに咳払いした。

 

「ごほん……しかし、女王陛下はマロリガンをどう統治する気だろうねえ」

 

「いつも通りにするだけでは?」

 

「いつも通りにできないから言ってんのさ」

 

 マロリガンは今まで下してきた国々とは何もかもが違う。領土の広さ。都市の数。ラキオスとの距離。政治形態。さらに汚職に塗れていた実態。有力者の死。挙句に世界を滅ぼしかけた経緯もある。

 

 いつもの『王族の領地だけを直轄地としてラキオスに組み込んで、殆どの領土は今までの貴族豪族に任せる』なんて出来るわけがない。

 

 レスティーナも頭を抱えているだろう。問題が山積みすぎるのだ。これを治めるというのは並大抵の負担ではない。もはや罰ゲームに近いだろう。

 武力と財力を取り上げて、後は勝手にしててくれと言いたいところだが、自治を任せるわけにはいかない。腐れ果て、まともな人材が育っていないマロリガンを放っておけば四分五裂となって戦争を始めかねない。

 世界の存続にはエーテル機関を封鎖する必要がある以上、マロリガンは完全解体した方が後の為である。

 

 となれば、どう治めるのかを考えなければならない。

 レスティーナが直接統治するには物理的な距離がありすぎて難しい。

 ならば領主や代官を置こうにも、旧ラキオスの10倍は領土があるのだ。地理や国民性の違いもあり、よほど有能でなければ治めるのは難しい。何よりも勲功が存在しない以上、据える口実もない。どう人選しろというのか。

 となれば傀儡政権や分割統治などの手法になるだろうが、それは民に負担と恨みを背負わせ、レスティーナの名声を損なわせてしまう。スピリットの融和政策やエーテル技術の封印という無茶苦茶が世に浸透してきているのは名声あってこそだ。これも難しい。

 

 ノーラがこういった問題を簡潔に説明すると、スピリット達は「へー」と気のない返事をした。

 

「ヨコシマが言うには、普通は戦争で兵を出したり活躍した奴らが土地とかの恩賞が貰えるんじゃないか、って話だけど……」

 

「ハイぺリアでは人間様が戦争で活躍するんですよね……死んじゃったりしないのかしら」

 

「非常識な世界だと思います」

 

 スピリット達は想像もつかないと頭を捻る。

 人が戦争に参加しないこの世界では、まず戦争と人が結びつかない。

 軍とは警察や公安を指していて、対外武力を意味していなかった。

 とにもかくにも、様々な前提条件が違いすぎるのだ。横島や悠人の世界での国家論、戦争論など、何の意味もなさないだろう。

 

「ま、難しい事はお偉いさんが考える事だけどねえ」

 

 ノーラの言葉に皆が頷く。

 自分達には関係ないと思っているのだろう。

 だが、実のところノーラには少しだけマロリガンを任せられる人物に心当たりがあった。それも、セリア達に大きく関係がある人物が。

 まずありえないとは思うが、この激動の時代ならば――――

 

「どうかしましたか、ノーラ様?」

 

「……いや、なんでもないよ。それと、あんた達にはもう一つ皆が知りたがっている話題がある。ヨコシマとはどうなんだい」

 

「どう……と言われても。私達は隊員と隊長というだけの話ですが」

 

「それ以前にあるだろうが。女と男の関係がね」

 

 どこか楽し気にノーラが言うと、セリアはうんざりしたような顔つきになって、他のスピリット達も視線をそらした。

 

 露骨過ぎる態度にノーラは笑いそうになったが、これだけで幾つかの事情は察せられる。

 間違いなく横島を意識しているが、だからこそ意識しないようにしていると。

 

「人の間では随分と噂になってるよ。デートに贈り物と、ヨコシマは随分と攻勢をかけているようだね。誰か一人に決めているわけではないのが、あの助平男らしいが……しかし本気であるのは分かる。愛されてるねえ」

 

 セリア達は町に行くことが格段に増えた。買い出しだけでなく、簡単な仕事や人から雑事を教えてもらうことすらある。街中でスピリットを見かけるのは、もう珍しいことではない。横島もそこに付いていく。

 起こるは夫婦漫才に痴話喧嘩。下手な漫才よりも遥かに面白いコメディが巻き起こる。その騒ぎを楽しみにしている人も多いのだ。

 もはやラキオスに横島と第二詰所の痴態を知らぬ者はいないだろう。ラブコメの結末はどうなるか。人間達の視線が注ぎ込まれている。

 

「ヨコシマがあんたらと懇ろになりたいのは言うまでもない。後はあんたらの気持ち次第だ」

 

「……あんなアホで変態な人を相手にできるわけないじゃないですか」

 

「誤魔化すんじゃないよ。あの男は確かにアホで非常識な変態に見えるが、それは度を越した行動力と女好きがそう見せているだけだ。あれで頭は切れるし、根っこは常識的で性癖は極めてノーマルさ。あんたらがそれを知らぬわけが無い」

 

 反論は無かった。ただ呻くような沈黙が満ちる。

 もはやノーラは呆れるしかない。ここで『そもそも愛していない』という反論が出てこない時点で、お察しである。せめて隊長として愛しているとでも誤魔化せばいいのに。

 

「何か勘違いしているようだが、私は別に受け入れろと言っているわけじゃない。受け入れるにしろ、拒絶するにしろ、そろそろ答えを返してやれと言っているんだ。本気で拒絶すれば、いくら変態でも諦めるだろう」

 

 それが礼儀だ、とノーラは言う。反論の余地もない正論だ。

 セリア達は黙り込んだ。その表情は青白く、まるで病院に行くのを怖がる子供のようだ。

 

「何を怖がっているんだか。ぼやぼやしてると皺くちゃの婆になってポックリ逝っちまうよ」

 

「……戦闘奴隷の私が天寿をまっとうできるとは思えないですけど」

 

「目をつぶるのをやめな。戦闘奴隷? あんた達は子供を作れないだけで、ただの女さ」

 

「簡単に言わないでください! 今まで唾を吐きかけてきて、急にただの女なんて!!」

 

 落ち着きのあるセリアにしては珍しく声を荒げる。他のスピリットも表情を厳しくした。

 それこそつい先日まで人から戦闘奴隷としての扱いを受けていた。それが唐突に普通の女扱いだ。馬鹿にするなと反発するのも当然である。

 配慮が足りなかった、とノーラは素直に頭を下げた。

 

「すまなかったね」

 

「いえ、大声出してすいません」

 

 互いに頭を下げあう。それでも、ノーラは言葉を続けた。

 

「それでも、もう一度言うよ。あんた達は、ただの女だ。ただの女になるんだよ。

 町人のように働いて、誰かと愛し合い、子を育て……子供が出来なければ養子でも取ればいい。そして巣立ちを見守る。普通の生活だ。尊い生き方だ

 それが現実になろうとしているのさ。女王陛下や、あんた達の隊長の活躍でね」

 

 諭すように言われて、今度は誰も反発しなかった。

 本当にそういう未来があるかもしれない。そう思わされるだけの状況になりつつある。スピリット達もそれは否定しない。だが、ノーラの言う『尊い生き方』とやらには興味は惹かれなかった。

 これ以上、望むものなどありはしないというのに。

 

「普通の生活なんて……私達はただヨコシマ隊長の元で戦えればそれでいいだけです」

 

「ヒミカ……おまえさんは馬鹿か。ヨコシマが隊長を辞めたらどうするんだい。他の部隊のスピリット達だっているんだろう。異動する可能性は十分にあるんだよ」

 

「ありえません」

 

 きっぱりとした声が響く。

 無表情でありながら瞳に強烈な感情を宿したナナルゥがノーラを睨みつけるように見据えていた。

 彼女はいつもとは比べ物にならぬほど饒舌に語り始める。

 

「ヨコシマ様は私を……第二詰め所を非常に好いてくれています。私達は彼に好かれるように自分を磨き続けます。これにより、何があってもヨコシマ様は私達を追いかけてくれるのです。異動などありえません。また、好意に応えなどしたら、今の関係が終わりかねません。つまるところ私達がヨコシマ様を受け入れなければ、この関係はずっと維持できるのです」

 

「ん、んん? ……いやまてまて。あんた、自分が何を言っているのか分かってるかい」

 

「承知しています。第二詰所は永遠です」

 

 今の関係を守りたい。仲良しこよしのグループを維持したい。この関係が壊れるのが怖い。

 結局の所はそれに尽きるのだろう。だからこそ、関係が壊れる惚れた腫れたの問題を遠ざけようとしている。

 

 ノーラは嘲笑した。

 

 馬鹿者め! 自分達の都合でヨコシマを縛り続けているのが分からないのか!!

 

 横島からすれば一生モノに出来ない女達を愛し続けろと言われている様なものだ。いずれ見切りを付けられるだろう。  

 それとも、横島がモテないから大丈夫だとでも思っているのか。

 この激変かつ人材不足の時代に、あれだけ有能かつ迷惑極まりない横島をほうっておくわけがない。戦争が終わればレスティーナは彼に妻でも娶らせて非常識な行動を抑制させるだろう。後は要職に就けて思う存分に使いまわすに違いない。

 

「臆病者が。そんなに貞操が大事かね」

 

 何故そこまで関係の変化を恐れるか理解できないノーラは、体を許すのが恐ろしいからだと判断した。

 清く清純な乙女は、男女の性交を汚らしくとらえる時期がある。妖精であり、男に免疫がない彼女達なら性に対して忌避感を持つのもありえるだろう。

 だが、貞操の言葉にスピリット達はキョトンとした。ナナルゥは僅かに首を捻りながら口を開く。

 

「ヨコシマ様との性交渉は是非してみたいと考えています。問題は、ヨコシマ様が責任を取るなどと言う可能性です」

「は?」

「そうですね。それなら好きなだけヨコシマ様と……ひあああ」

「ちょっと! 何て卑猥な……慎みを持ちなさい」

「そうね。淑女としての慎みを持つべきだわ」

「セリアさんもヒミカもああ言ってますけど~実際はどうですか、ナナルゥさん~」

「はい。毎夜ヨコシマ様と切ない声で鳴き、何故かシーツをこっそり洗っている姿が」

「毎夜じゃないわよ! というか聞き耳を立てるな!!」

「プ、プライベートが欲しい……」

「そこで野外ですよ~」

「誰かに見られたらどうするの!」

「空中ですればどうでしょう」

「落ちながら墜ちちゃいますね~」

「それは逝くわね」

 

 割と遠慮のない猥談と、何より責任を取らなければよい発言にノーラは呆れかえった。

 セックスフレンドなら良いと言っているようなものだ。

 横島の影響か。それとも元からか。スピリットは意外と性に大らかなのか。

 

「あんたらねえ……」

 

「あ、あれ? 女の人とはこういう話題が盛り上がるんですけど」

 

 困惑したようなヒミカ達の様子。

 なんのことはない。これはつまり、話題に詰まって下ネタに頼った挙句に滑った図だ。

 性の話題に食いつく思春期特有のアレが第二詰め所に広まりつつあるらしい。

 

「確かにシモの話ってのは面白い。盛り上がるのも分かる。

 だけど苦手って奴も多いもんさ。会話に困ったからといってシモ話を振るのはお勧めしないよ」

 

「はい……うう、恥ずかしい」

 

 ノーラの説教にハリオン以外のスピリットの顔が羞恥で赤く染まる。

 

「だが、まあ……なんだ。そんなにやりたいならやったらどうだい」

 

 男女の営みに興味があるのなら、ヤルことをヤってゴールインすればよい。

 グチグチと恋愛云々と語り合うよりも、その方がよほど建設的で生産性もある。ヤラずに後悔するより、ヤッて後悔するという名言もある。子供を作るのだけは慎重になるべきではあるが。

 

 だが、こう言えばダンマリだ。皆そっぽを向いている。

 いい加減にしろとさらに声を張り上げようとしたノーラだったが、ここで皆を庇うようにハリオンが前に出た。

 

「ノーラ様の言う事は分かるんですけど~もう少しだけ待って欲しいです~もう少しだけ……もう少し……もう少しこの幸せを」

 

 切なく、必死に、まるで喘ぐ様にハリオンが言った。

 それはモラトリアムを必死に伸ばそうとする大人になりきれない子供の姿。

 イドとエゴに満ち溢れた人間そのもの!

 

 痛々しく、愚かしく、愛らしい。

 

 抱きしめたくなるような、突き飛ばしてやりたくなるような、未成熟な子供の精神が彼女達に育っている。彼女ら自身が子供でありたいと願っているのかもしれない。スピリットとして最も心を成長させ、変革の時代の最先端にいる彼女らが停滞を望んでいるというのは。何たる皮肉か。

 

 子供時代を、人間性を、愛を、様々なものを犠牲に神剣の戦士として大人のなった彼女らが今を手放したくない思うのも当然ではあるのだろう。ノーラだって血と差別に塗れて生きてきたスピリット達に、輝かしい青春を謳歌してもらいたいとも思う。だが、それでも。

 

「あんたらの気持ちは分かった。幸福に育った人間には分からない欲求もあるんだろうさ。でもね、物事には時期ってもんがある。潮時ってもんがある。

 ヨコシマが来て一年と半年。それだけの期間、アプローチを受けたんだ。いい加減に答えを出してあげなさい。受け入れるか、断るか」

 

「そんな……それじゃあ」

 

 『今』の幸せが壊れてしまう。

 

 蚊の鳴くような声が聞こえてきた。まるで悲劇のヒロインのような表情をしている。その美しさと醜悪さに、ノーラは唾を吐き捨てるのを必死に我慢した。

 

 永遠に続くラブコメディなど存在しない。

 何をどう言いつくろうと、今のセリア達がやっている事は言い寄ってくる男をキープして先に進ませなくしているだけ。喜劇も過ぎれば悲劇だ。

 

 だから、ノーラは決然と言い放つ。

 

「いいかい。あんたらが守ろうとしている奴は尊い。だけど守り続けていけば誰もが不幸になるもんだ。自分達の立場や状況に見合った環境を構築するのが大人って奴さ。その為には今の状況が壊さなきゃならん。例え、痛みを伴ってもね。永遠なんてものはありゃしないんだよ」

 

「分かっています! 分かっていますから、もう止めてください! しつこいです!」

 

 苛立った様にセリアは「分かっている」と言葉を繰り返す。

 

 ノーラは小さく溜息をつく。結局こういう反応になるとは思っていた。

 部外者の年寄りが訳知り顔で若者に説教すれば、こういう反応を返すのが当たり前。自身も若い時に同じような返答をした。はい分かりました、と素直に言えるほうが異常なのだ。

 だがそれでも、年長者として経験者としてノーラには言う義務が存在した。

 

「私は何度も警告したよ。もしも、あんたらの望む未来が訪れなかったとしても、それで裏切られたとか泣き喚いて八つ当たりするような真似は止すんだね。選択権はあんた達にあったのに、それを放棄したんだから」

 

 怒りと、そして切なさを感じさせるような声でノーラは言い切る。

 本来ならノーラはここまでお節介を焼かない。むしろ放置するだろう。

 

 愛情よりも友情を取った。

 

 一言で表すならそれだけだからだ。正解も不正解もない。

 確かに一歩を踏み出さずにただの仕事仲間で終わって後悔する可能性はある。それはそれで良いのだ。こんなはずではなかった、と痛い目を見ながら若人は成長して幸せに邁進して行く。失敗は後の成功へと繋がるものだ。

 

 だが、相手が横島と言うのが悪い。最悪だ。何故なら、アレは代わりがいない男だからだ。

 横島よりも優しい男。頭が良い男。顔が良い男。そんなものは幾らでもいるだろう。異性なんて星の数ほどもある。好みだって人それぞれだ。アウトドアが好きか、インドアが好きか。甘い物か辛い物か。そこに勝敗も優劣も、本来は無い。

 だが、横島以上にインパクトがある男はまずいない。良くも悪くも特別すぎる。セリア達はそれに触れすぎてしまった。ゲテモノである横島が男の基準なのだ。今後、どれだけ良い男が出てきても普通の烙印が押されてしまうだろう。

 

 強烈な味の料理を食べた時に似ている。

 あまりに鮮烈過ぎる味は、美味い不味いに関わらず次の料理の味を打ち消してしまう。それを食し続けると、普通の食事が物足りなくなる。

 横島という強烈な個性を味わい酔ってしまった第二詰め所が、普通の良い男を特別視できるだろうか。ノーラは、不可能だと結論した。

 

 結果、行きつく先はどうなるか。

 

 まず横島はいずれ第二詰め所を見限るしかなくなる。女との幸せでエロい生活を求め、別の女の尻でも追いかけるだろう。第二詰所のスピリットは恋が出来なくなって結婚は出来ない。子供も生まれない。そうなると時間にゆとりが生まれ、自己を鍛錬し仕事に打ち込めるようになる。

 そうして、賢く、強く、財力のあるババアができあがるのだ。それが不幸せであるとは思わない。思わないが、自身を尊敬しているというセリアには別の道を歩んで欲しいという親心にも似た何かがあった。

 

 親心は子供には伝わらない。伝わっても疎ましく思われる。

 異世界でも、それは変わらないらしい。

 

 

 ノーラの説教の所為で場は冷え切っていた。お茶も冷たくなりつつある。

 唐突にノック音が響く。悪くなった空気を変えるにはちょうど良いと、セリアは助けを求めるように玄関を開けた。

 赤メッシュ入りの銀髪と坊主頭が目に飛び込んでくる。シロと光陰だ。その後ろには所在なさげなタマモの姿がある。

 神剣を砕かれたタマモは当然として、シロと光陰の二人も神剣を見につけていなかった。

 

「戦場で相対した事もありましたが、ここは改めて始めましてでござる。拙者、犬塚シロと申す。こちらは碧光陰殿とタマモでござる」

 

「これはご丁寧に。私は『熱病』のセリア。御三方の事は、よくヨコシマ様やユート様から聞いております」

 

 格式ばった言葉に、光陰は困ったように坊主頭をかいてみせた。

 

「そんなに丁寧に返さないでくれよ。俺達みたいな敗軍の将に」

 

「ですが、やはり人間様が相手となれば……」

 

「拙者達は横島殿や悠人殿の友でござるよ」

 

 実に便利な言葉だ。

 それだけでセリアの姿勢から少し力が抜けた。あの人達の友なのだ。肩に力を入れる必要もあるまいと。

 同時に、あの人達の友ならばさぞ面白可笑しい人物だろうと身構えてもいたが。

 

 

 シロと光陰。

 タマモと今日子。

 

 戦争が終わって四人はラキオスに参入した。 

 言葉にすれば一文だが、シロと光陰に関しては紛糾があった。

 

 シロと光陰の二人は大統領の手先となりラキオスに抵抗し、さらにマロリガンの有力な権力者達を殺害した。

 スピリットと違い、自分の意思で行動した以上、罪人として処刑すべきとの声が上がるのは必然だったろう。

 

 だが、調べが進むとシロ達が殺害した人間達は腐りきっていた実体が明らかになる。

 民主制とうたっていたが、実質は一部の名家がマロリガンを牛耳り好き放題やっていたのが実態だったらしい。

 

 もしもシロ達が殺害しなければ、ラキオスは病巣を抱えるようにマロリガンを併合しなければならなかっただろう。レスティーナとしては喝采を上げたいほどのファインプレイだ。

 マロリガンの民衆も自分達が信じていた政治が最悪だったと理解し、此度の敗戦を彼らに押し付けている。

 悪かったのは死人だけ。そして死人に口なし。生者にとって、それが一番良き結末だった。

 

 まあ、なによりも光陰とシロを処刑するなど悠人と横島が認めるはずも無い。

 もし処刑などすれば彼らは離反し、ラキオスはサーギオスとの戦争に負け滅びてしまう。

 

 落とし所として二人はスピリット以下の立場となって、ラキオスの兵士となった。

 戦闘時だけ神剣の帯剣を許されて、常にラキオスの為に最前線を駆け巡るのを余儀なくされる。エーテルによるレベルアップも優先順位を下げられ、不穏な様子を見せれば即座に拘束されるだろう。辛い立場に立たされているのは間違いない。

 しかし、当の本人たちは朗らかな笑顔を見せている。

 恋人と仲間を助けられ、親友と先生との殺し合いも無くなった。シロ達からすれば万々歳の結果だからだ。

 

「こちらこそよろしくお願いします。ですが、面通しは数時間後の……」

 

「ちょっと予定が変わったのでござる。その件もあり、ヨコシマ殿と話があるのですが」

 

「ヨコシマ様は……確か第三詰所の近くにいると聞いていますが、正確な場所は……」

 

「拙者にはこの鼻があるでござる。近くまでいけば問題なしでござるよ」

 

 それでは、また後で。

 シロと光陰は礼をして歩き出す。だが、タマモはその場でウロウロとしていた。

 

「タマモ、いくでござる」

 

「あ、うん」

 

 ここまでの会話は全て聖ヨト語で行われてい為に、タマモにはまるで理解できないのだ。

 どこか不安そうに、よろよろとタマモはシロの後を追うように歩き出した。

 





 悩める後書き

 少し長くなったのと状況説明ばかりなので前編中篇後編に分けました。明日明後日と投稿します。
 今回はマロリガンの戦後処理を考えて大苦戦。書いては消してを繰り返して、挙句に途中で全部消して放り投げました。原作では敗戦国の戦後処理という話題は一切ありません。問題なくラキオスの統治下に入ったというだけ。この情勢下で、どうすれば問題なく治められるのか。戦争の前提……というか国家としての前提がリアルと乖離しているので『現実的に考えて』という言葉が使えません。完全に思考実験です。
 結局、読者の想像に任せるのが無難だと思われます。続編のスピたんでは間接的に触れているのですが、それは前提が覆ったからですしね。

 この物語は横島の活躍がメインなので、こういった不明瞭部分に深く触れる必要はありません。でも、こういった所で納得の行く説明が出来ると世界観に深みが増すので惜しいところ。でも『現実的にあり得ない』という事実そのものが、この世界の本質を説明できるので、説明できないことが説明なのかもしれません。

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