永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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 誘拐された佳織の話をすると前話の後書きで言いましたが、久しぶりの更新で横島の出番がないのもどうかと思ったので順番を入れ替えました。ご了承ください。

 今回の話は悠人が主役と言っても過言ではありませんけど。



第三十六話 前編

 

「永遠神剣『赤光』の主が命じる」

「永遠神剣『消沈』の主が命じる」

「ロリ神剣『天秤』の主が命じる」

 

 3つの声が荒野に響く。

 ここはラキオスの魔法訓練場。魔法の影響で見渡す限り何も無い平野となっていた。

 

 サーギオス帝国、もといカオリ帝国との決戦に備えて日夜訓練にいそしむスピリット部隊であるが、今回の主役は横島だ。

 横島が新しく習得した魔法の試射を提案して、それにはナナルゥの協力が必要だったのだ。そのナナルゥの魔法の補助をヒミカが行う。そこにセリアとハリオンの見守り役を含めての5人がここにいた。

 

 まず最初に完成したのはヒミカの魔法だ。

 

「世界を赤く塗り替えろ……ヒートフロア!」

 

 ヒートフロアは高速詠唱が可能な神剣魔法で、周囲の赤マナを活性化させてレッドスピリットの力を飛躍的に高める。『場』が対象の魔法は抗う術はなく、敵にも効果があるので使用には注意が必要だ。

 ただの補助魔法。それだけで普通の人間なら死ぬであろう熱波が広範囲に広がる。不幸にも近くを飛んでいた鳥が熱にやられて落ちていった。

 

「落ちよ、怒りの火。アポカリプス!」

 

 次にナナルゥの魔法が完成し、遠くの空高くに巨大な魔法陣が広がった。

 魔法陣から炎と雷の柱が何本も落ちてくる。

 巨大なビルすら飲み込むような火柱が、何本も何本も何本も。

 

 アポカリプスはレッドスピリットが使える魔法の中でも最大級の威力と範囲を誇る。正に黙示録の火。さらにレッドスピリットには一段上の魔法があるのだが、そちらは効果範囲が広すぎて使用そのものが難しい。

 事実上、このアポカリプスが最高位の魔法だ。

 

 そして最後に横島の魔法が完成した。

 

「全てを抱け! コンプレッサー!」

 

 詠唱の終わると同時に、上空に黒い点が生み出された。

 直径5メートル程度の、球形の魔法陣だ。魔法陣は脈動するように明滅すると黙示録の火を飲み込み始めた。

 地面に着弾しようとしていた炎すら、まるで滝の水が逆流したかのように上昇して魔法陣に飲み込まれていく。

 

 そうして、赤熱に燃える小さな球体が出現した。

 ときおり爆発が起こってエネルギーが周囲に逃げようとするが、すぐさま中心に引き戻される。まるで太陽のようだ。

 

 線ではなく、点。

 莫大なエネルギーをただ一点に留め続けるだけの神剣魔法。高層ビルすら飲み込むような炎の柱が、小さな家程度の大きさに圧縮される。

 一体どれだけの熱量が集中されているのかは分からないが、小さな太陽を見つめるスピリット達の表情は引きつっていた。

 

 やがてエネルギーを使い尽くしたのか、すうっと太陽は消えていく。

 横島はかなり精神力を使ったようでぐったりとしていたが、一呼吸入れてセリア達に向き直った。

 

「どうだ?」

 

「どう考えても威力過多ね」

 

「発動までの時間も問題です」

 

「ヨコシマ様の消耗も気になりますね~」

 

 ヒミカとセリア、そしてハリオンの反応は芳しくなかった。

 無理もない。威力だけを優先した為に欠点が多すぎた。横島は特に反論しない。

 だが、ナナルゥだけはまんざらでも無さそうだった。

 

「私は気に入りましたが」

 

「一体どこが」

 

「はい、ヨコシマ様と協力できましたから」

 

 彼女は素面で言い放ちながら真っ直ぐな視線を横島に向ける。

 シンプルな好意に横島は涙ぐむ。そして、

 

「うおー! これが素直クールってやつか! 愛してるぞナナルゥー! ああ、良い匂いでやわっこい!!」

 

 このセクハラチャンスを見逃すほど横島は耄碌していなかった。これ幸いと抱きついてナナルゥを堪能する。腰まで届くサラサラの髪を手ですいて、肩に強く手をまわす。胸にナナルゥを迎え入れて、えもいわれぬ良い匂いを一杯に吸い込んだ。

 

 横島の熱い抱擁を受けてもナナルゥはいつもの無表情。いや、どこか真剣な表情だ。赤い瞳は何らかの感情で強く輝いている。

 セクハラは止まらない。肩にまわされていた手が腰まで落ちてきて、そこからお尻に進む――――ところでピタリと止まる。尾てい骨付近で横島の手がウロウロと彷徨う。そして何かを探るようにナナルゥの表情を見つめるが、彼女はやはり真剣な表情で横島を見つめるだけだ。

 嫌がっているのか、そうでもないのか。

 

(ぐおー! このままいってええのか!? ぐうう、もっと先までいきたいが!)

 

 進むべきか、引くべきか。横島は激しく葛藤して百面相のように表情を変える。

 そんな横島を全て確認するようにナナルゥは目を大きく見開いて彼を見つめ、そして自分の口元が緩んでいくのを自覚した。

 横島の煩悩と誠実さと臆病さ。横島の横島たる部分。それが自分自身に注ぎ込まれているのを強く感じて、どうしようもなく胸を熱くさせるのだ。

 

(あぁ、たまらない……ヨコシマ様)

 

 何ともいえない高揚感にナナルゥは浸っていたが、熱を冷ますかのような視線が全身を貫いてきた。セリアにヒミカ。そしてハリオンも。ネガティブな感情でナナルゥを見つめていた。

 嫉妬、怒り、不安、恐怖。それらが混ぜ合わさった視線だ。

 

 『今』を壊すな。この視線が求めているのはそれである。

 これが第二詰め所スピリット達の不文律。ナナルゥもそれに否とは言わない。

 横島は大切だが、それ以上に横島と仲間を含めた全てが大切だからだ。

 

 さて、今を壊さない。

 つまり横島を受け入れない為にはどうすればよいのか。

 セリアやヒミカなら物理的に突っ込みを入れるだろうし、ハリオンならやんわりと逃れるだろう。

 

 ナナルゥは考え、思いついたアイディアに目がキランと輝いた。

 攻撃こそ、最大の防御である。

 

「臀部への攻撃……いきます」

 

「のわ!? ひゃ、ちょ、こら! またんかい!!」

 

 セクハラを躊躇した横島をあざ笑うかのように、ナナルゥは容赦なく横島の尻を蹂躙する。彼の尻がどういう形になるかは、ナナルゥの胸先三寸だ。

 容赦のない尻への愛撫に、横島はたまらず距離を取った。

 そんな横島をナナルゥはやはりじっと見つめ、さらに尻の感触を思い出すように手をニギニギさせる。

 

「ふむ」

 

「ふむ……じゃないわよナナルゥ! 一体あなたは何をやってるの!!」

 

 顔を赤くしたヒミカが怒鳴り込む。

 

「はい、ヨコシマ様を引き離そうと思いまして」

 

「それでどうしてお尻を揉むの!?」

 

「ヨコシマ様は離れました。成功したと思います」

 

「だ、だからその方法が!?」

 

「ヨコシマ様のお尻は固いですが、ギュっと引き締まっていて……いいですよ」

 

 突込みどころ満載の発言だが、ヒミカの目が思わず横島の尻に向かって、そのまま顔を真っ赤にして沈黙する。

 横島は無言で彼女らから一歩引いた。

 沈黙したヒミカに代わり、コメカミに手を当てたセリアが前に出る。

 

「ヨコシマ様のお尻がひ、引き締まっていて、それがなんだっていうのよ!」

 

「はい、セリア。勿論それだけではありません。普段はセクハラをしてくるヨコシマ様が、自身の体を触られると喘ぎ声を漏らして怯えたような顔で逃げる……そそりませんか?」

 

 セリアは思わず呻いて横島をちらと見た。奇妙な熱を持ったセリアの視線に横島はビクリと体を震わせて、また一歩後退する。その仕草はセリアに隠されたS心を大いに刺激し、思わずゴクリと喉をならしてしまった。

 横島は、さらに彼女達から一歩引いた。

 

「は、ハリオン! 貴女はこの魔法をどう思った?」

 

 色々な意味で不味い流れだと悟ったセリアは強引に話題を元に戻す。

 

「ん~これは私も空気を読んで、何かエッチな話題を振るべきでしょうか~」

 

「だから、それを止めてって言ってるの!!」

 

「うふふ~残念ですが分かりました~

 私としては、せっかくナナルゥさんが完成したのに、これじゃあもったいないと思います~」

 

 もったいないとハリオンは言った。

 その真意は、レッドスピリットの最大の長所にある。

 

 レッドスピリットの完成とは何か。それは超高火力広範囲魔法を身に付けること。それが一回打てればよい。それが正統派のレッドスピリットというものだ。

 様々な種類の魔法を何度も唱えられるのは悪くは無いが、大勢かつ強力なスピリットの戦いになると中途半端な攻撃は瞬く間に回復か蘇生させられてしまう。それに妨害もしやすい。

 周囲の緑スピリットもろとも一網打尽。これが理想だ。

 これが出来るレッドスピリットが後方にいるだけで、敵方のブルースピリット達は後方で警戒しなければいけなくなり遊兵にさせられるのだ。

 

 勿論、そんなレッドスピリットだけでは不便も多い。しかし最終的には大規模魔法を使えるレッドスピリットの数が、戦争での勝敗に多く影響するのは間違いなかった。

 

 ハリオンの言葉にセリアは頷いて、そしてある意味で一番の欠点を指摘する。

 

「何よりも……この魔法の用途がありません。余りにも強力すぎます」

 

 用途がない。

 

 一番の欠点はそれだ。

 この神剣魔法を使用しなければいけない相手がいない。カオリ帝国との戦争で一番の強敵になるだろう雪之丞と秋月にだって、ここまでする意味はないだろう。

 

 レッドスピリットに求められる広範囲の高火力。

 横島の魔法は無為に火力を収束させるだけの不必要魔法。

 それがスピリット達の評価だ。

 

 ――――まだ火力が足りない。隙は多くても良い。

 

 横島の評価は、まったくの逆だった。

 これは見えているもの、目指している目標がまるで違うからである。

 

 この神剣魔法をぶつける相手は雪之丞ではない。この世界を高みから見下ろしている連中が標的だ。あのタキオスという筋肉男を見ても分かるとおり、奴らは強すぎる。何もかもが圧倒的で、特に戦闘技術は異次元の高みにあった。しかも見張られているらしく、情報すら制されてしまっている。止めに記憶や世界を操る術でも持っているのか、黒幕の存在を誰かに話しても、いつの間にか記憶や文書までもが消えてしまう。

 

 正直にいえば、どうしようもない現状だ。

 『殆どの情報を握っていて、かつ猿神並み戦闘技術を持っている上に、劣化コスモプロセッサを保有したアシュタロスを数人倒せ』と言われているに等しい。

 投げ出したくなるような難易度だが、しかしイチャイチャハーレムの実現の為にも投げ出すわけにはいかなかった。

 

 まず必要なのは火力。

 最低限、これだけは必須だった。

 

 敵は武装した軍人で、こちらはただの子供。それぐらいの力の差はあるだろう。

 それでも子供の手にナイフが握られていれば、奇跡が起きる可能性は生まれてくる。無手では僅かな希望すらない。だから横島はまず火力を求めた。その火力すら持てていないのが現状なのだが。

 とはいえ、火力の当てはあった。悠人の極大神剣魔法が完成すれば、自身の収束魔法と連動して倒せるはずだ。

 

 隙が多すぎる問題も考えがある。

 奴等も霊力だけは感知できないようだ。上手く文珠を使えば高速発動も可能になる。発動には時間が掛かる、と思わせてからの一撃が可能だ。

 さらに、こうやって外で魔法の実験をしているのも罠の一つだ。もはや敵に見張られているのを分かっている。だから、こうやってわざと欠陥をまざまざ見せ付けて油断させるつもりだった。つまりは騙し討ちである。

 

 ただ普通に修練を重ねて強くなったとしても、あの圧倒的な差は埋めようがない。この世界の全ての力を結集させればまともに倒せるかもしれないが、勝てても相当な犠牲が出るだろう。騙し討ちが最善。それが自分に最も合っている。

 

(ふっふっふっ! 情報を制するものが戦いを制するのだ!)

 

 横島は脳内でドヤ顔を披露するが、

 

 ―――ふふ、確かにその通りだねえ。

 ―――我らを殺す可能性はありますね。ばれていなければですが。

 ―――俺達を倒しえる牙を研ぐか。実に結構だ。

 ―――ギシュウゥゥ(また良い戦術を考えてね)

 ―――という感じですわ。期待してますからね。

 

 練っていた戦術を彼らにも好評らしい。

 脳内のドヤ顔はムンクの叫びのように変化する。

 

「ヨコシマ様? どうしました」

 

 表の表情にもムンクは現れていたらしい。

 セリアが心配そうに横島の顔をのぞきこんだ。

 

「うう、セリア。何だかとっても疲れたよ。というわけで」

 

 というわけで、横島はふにょんと顔をセリアの胸に埋めた。いつものセクハラ的な行動。

 だけど、セリアは制裁に踏み切れなかった。横島の表情が本当に疲れているように見えたからである。

 自分に寄りかかってくる横島の重みが、どこか誇らしい気持ちにさせてくれる。

 

(疲れてるみたい……ヨコシマ様が元気ないと戦力が落ちて、ラキオスに悪影響が出てしまうかも。だから……その……ねえ?)

 

 脳内で理論武装を固めるセリア。

 一体誰に言い訳しているのか。それは勿論、自分である。

 このままもたれ掛かってくれても良い。本人はどうせすぐ殴られると思っているようだが、もし抱きしめたらどういう顔をするだろう。

 悪戯心のようなものが湧きあがってきて、セリアの手が横島の背中に伸ばされるが、

 

「なにをやってるの」

 

 ヒミカの固い声が突き刺さってくる。

 特にナナルゥの視線が厳しい。

 『お前、さっき何て言った』とばかりに目を鋭くさせている。 

 

 ――――め。

 

 ふっと湧いてきた思いを、セリアは気づかないように蓋をした。

 横島は怒らないセリアに不思議そうな顔をして、次に何かを期待するように胸にそろそろと手を伸ばしていく。ゆっくりと、それもセリアから見えるようにである。

 セリアは噴出すのを我慢して、横島の額にデコピンをする。

 

「あた!」

 

「まったく、本当にスケベなんですから! 間違ってもレスティーナ様や他の人達には変態行動を取らないでください」

 

「わはは、大丈夫大丈夫! 俺が直接セクハラすんのは第二詰め所だけだ! その為に俺はここにいるんだからな!」

 

 裏表のない、明け透けで真っ直ぐなエロ心。

 ひたすら幸せそうで馬鹿っぽい笑顔の横島に、スピリット達は呆れたように笑うのであった。

 

 

 

 

 セリア達と分かれた横島は鼻歌を歌い、軽やかな足取りで城へと向かっていた。

 

「息子よ! お前の出番は近いぞ!」

 

 ――――期待しないで待ってるよ。

 

「ちっ、ひん曲がりおって」

 

 息子と軽口を叩き合う。

 二年近くもずっと彼女達にアプローチを続けてきたが、ようやく18禁が手の届くところに近づいてきたと実感しつつあった。

 

 だが、ラブラブでエロエロな日々を送るのには障害がある。

 途方もなく大きくて凶悪すぎる障害だ。

 

 それを改めて理解した横島は、憎憎しげに雲ひとつない青空を睨みつける。

 

「まじでふざけんなよ……やりすぎだろ」

 

 黒幕達による現状の理不尽さ。この絶望的な状況下を思い知らされた。

 なんだこれは。脳内すら見張られている。常に手札を見られた状況でトランプをやっているに等しい。これでは勝負にもならない。

 

「これマジでどーしろゆーんじゃ」

 

 横島の嘆きも仕方ないだろう。

 敵が余りにも有利すぎた。

 

 さらに横島は知らないが、黒幕達は事実上の不死であり、万が一の奇跡が起きて倒せたとしても無限コンテニューが可能だったりする。挙句、自身の神剣が敵から与えられたものでいつでも取り上げることが可能で、そもそもスパイでもある。止めに思考を読むどころか干渉すらできる。

 

 手札を見られているどころか、操作すらされているのだ。

 理不尽すら通り越しているのを横島は知らない。

 

 思考を読まれていることが分かっても、横島は考える。

 これは自身がどれだけ頑張ってもどうしようない。ラキオスの面々だけではどうにもならない気がする。どこか自分のあずかり知らぬ所で、奴らの目が届かない所で、何か別の一手が必要だ。

 

 そんな直感がある。つまり、見張られている自分ではどうしようもない。

 

「でも、どうにかなりそうな気がするんだよな~」

 

 絶望的な状況下にあると理解したにも関わらず、それでも横島は楽観的に考える。

 あまり深く考え込んでも良い結果にならないというのは経験から理解していて、シロ達も仲間になり自分が一人ではないという安堵もある。

 そしてなにより、『この世界は理不尽に溢れている』という直感があった。

 どれだけ強い黒幕であろうと、この絶望は変えられないはず。

 

 希望はある。

 それを信じて、横島はレスティーナの元へ歩くのだった。

 

 

 

 レスティーナとの話し合いはヨーティアの部屋で行われることとなった。

 部屋は機械と紙束と酒瓶で埋もれていたが、涙ぐましいイオ・ホワイトスピリットの努力によって、話し合いのスペースだけは清潔に確保されている。

 

 横島に悠人、レスティーナとヨーティアの四人がテーブルに置かれた大陸の地図を囲む。戦略を決めるおなじみの面子だ。口火はレスティーナが切った。

 

「これよりいよいよサーギオス帝国……もといカオリ帝国打倒を目指していくわけですが……カオリの件もあり、帝国の動きは不明瞭すぎます。今何よりも欲しいのは情報。そして戦力の増強。そこで」

 

 レスティーナは地図の一点を指差す。

 場所は神聖カオリ帝国の領土内。

 

「リーソカの町の、この地点に帝国の研究所があります。ヨーティア殿からの情報です。ここから情報と物資を奪取するのが次の目的となります」

 

 割と大掛かりな研究施設らしい。技術者が常駐し、スピリットも多く配置されている。

 さらに北側には秩序の壁という要塞があって、そこに援軍を出す役割もあるらしい。

 

 作戦はシンプル。

 多数の戦力で要塞を攻撃して敵の目を引き付け、少数の戦力で研究所を襲う。

 これだけだ。

 

「ですが、この秩序の壁は現在取り壊されている真っ最中のようです」

 

 秩序の壁とは帝国がマナ技術を利用して作った長壁の要塞で、事実上の国境でもある。

 あり得た世界線では、この要塞を抜くために大きな決戦があったが、ここでは起こりえないだろう。

 

 どうして要塞解体するのか。

 悠人は自身の考えを述べる。

 

「自分の手で要塞を破棄するって事は、もう防衛も国境も必要ないと考えているんだろう。きっと要塞を構成していたマナをスピリットに与えてから攻めてくるはずだ」

 

「私も同じ考えです。猶予はエーテル変換の時間も考えて一ヶ月ほど。それから敵は万全の状態で攻めてきます」

 

 有限のマナを何処にどれだけ注ぎ込むか。

 その際にどれだけの時間を消費するか。

 マナの扱いは、戦術的にも戦略的にも、この世界における戦争の根幹となる。

 

 さて、ラキオスとしてはどう行動すべきか。

 このまま時が過ぎれば、正面決戦は免れない。その前にこちらから攻めることも出来るが、解体されつつあるといっても、やはり要塞戦は難しい。

 

 レスティーナは正面決戦も、先制攻撃も選ばずに、情報収集をこの期間に行うべきと判断したわけだ。

 と、ここまで話をされて、悠人はやや首を捻って発言した。

 

「そこまですることか? リーソカの町は要塞の向こう側。完全に敵の領内だ。」

 

「確かにリスクはあります、ですが、勝算は十分に」

 

「勝算については分かる。南西のミスレ樹海方面から少数精鋭で潜入させるつもりだろ。あそこは地形が複雑で大軍は展開しづらいし、土地のマナ配分が可笑しくて戦闘には不向き。そして妙な逸話があるためか見張りも少ないらしいからな」

 

 悠人の発言にレスティーナとヨーティアが感心したように頷く。

 良く勉強している。周辺の地形やマナ配分。さらに歴史も考慮していた。軍事にリソースを割いているだけはあるのだろう。

 

「情報が欲しいのなら人間の諜報部隊を使えばいいだろ。それに犬塚は動物を操れるんだろ? 動物部隊がサポートすればいけるんじゃないか」

 

 その悠人の質問には横島が答える。

 

「そっちはもうやってんだ。だが、潜入した奴らは誰一人として戻ってない。

 あいつらには他にやることがあるからな、これ以上の被害は出したくないんだよ。

 ちなみにシロの動物部隊は怖がって進みたがらないらしい。おっかない悪魔がいるんだと」

 

 諜報部隊との付き合いがある横島は、彼らの厳しい現状を把握している。

 馬鹿みたいに領土が増えた今、彼らの手はまったく足りていない。やって欲しい事はいくらでもあるのにだ。簡単に調練できるような類でもないから、もう被害を出すわけにはいかなかった。

 

「そうか……研究所に潜入できるのは俺たちじゃないといけないのは分かった。それでも俺は反対だ。デメリットが大きいのもあるけど、それ以上にメリットが少ない気がする」

 

 悠人の疑問は当然だ。情報が欲しいのは分かったが、その為に身近な要塞を攻撃する。これはどう考えてもリスクとリターンがかみ合っていない。下手に攻撃すれば、こちらの戦力だって相手に把握されてしまう。戦力の分散も好ましくない。

 

「大体、戦力の増強ってのはどういう意味だ。敵のスピリットを攫えとでも?」

 

「アセリアです」

 

 レスティーナからアセリアの名前が出て、悠人の肩がビクリと震える。

 ニヤリと笑ったヨーティアがつらつらと詳細を語り始めた。

 

「そのメトラ研究所にある資料はスピリットの精神に関わるものだ。正確には、スピリットの精神と神剣の波長についてだな。神剣にはそれぞれ固有の波長がある。人の指紋に同じものが無いように、神剣も固有の波長をもつのさ。神剣と対話するときに、この波長が発せられるのに私は気づいた。その波長を受信できるのは、その神剣の契約者だけ。神剣との対話できるのが、その神剣の契約者のみというのはこれが理由だ。だが! 極稀にその波長が近い神剣が存在するのさ。さらに状況によってはその神剣同士はさらに波長が重なって爆発的な力が引き起こされる。メトラ研究所ではその点に着目して、戦力を高めようとしていたのだが」

 

「つまり! その研究所の資料があればアセリアの心を取り戻せるんだな!!」

 

「天才の話を遮るな! まったく……取り戻せるとは言わんが、その一助にはなるだろうさ」

 

「よぉし! 分かった、やるぞ!」

 

 先ほどの打って変わってやる気を見せる悠人。

 その掌返しの早さにレスティーナも苦笑いだ。だが、レスティーナはすぐに表情を引き締め女王の顔となる。

 

「国を治めるものとして、ただ一スピリットのために戦力を割くことは出来ません。ですが、その研究所にはマナ結晶も存在しています。これを奪取できれば帝国の国庫に損害を与え、こちらは潤う。それを忘れないでください」

 

「という建前も必要っすよね! やっぱレスティーナ様は優し……いひゃいっす!!」

 

 女王の顔を崩され、顔を赤くしたレスティーナが横島の頬を引っ張る。当然、怒っているのだが嬉しさもあったりした。

 王族に生まれ、そして女王となった今、自分の気持ちを理解し、なおかつ馬鹿馬鹿しいやり取りが出来る者が傍らにいるという希少な幸せをレスティーナは噛み締める。

 

 話は決まった。

 後は作戦決行の日時と人選を決めなければいけない。

 

「俺は研究所に行く」

 

 悠人が力強く言い切る。アセリアは俺が助けると言わんばかりだ。

 あ~はいはい、と女性陣の呆れたような視線が悠人に突き刺さった。

 

「ユートよりもヨコシマの方が適任と思えますが」

 

「隠密に探索に戦闘、場合によっては交渉もありうる。小器用なヨコシマがベストだろうさ。分かってんのか、凡人のぼんくらが」

 

 レスティーナもヨーティアも能力から横島を推した。ヨーティアに至っては不快そうに表情を歪めて悠人をぼんくら呼ばわりだ。

 横島は面倒くさそうな顔をしながらも、目だけは鋭く悠人を見据えた。

 

「悠人、やれんだな」

 

「やるさ」

 

「じゃあ、やれよ」

 

 大切な女は自分の手で助け出したい。

 その気持ちは良く分かる。正直に言えば五寸釘でも打ち付けて呪いたいのだが、あのアセリアの現状を見ていれば茶々も入れられなかった。

 分かり合う男同士に女達は大きく息を吐く。

 

「まったく、これだから凡人は……男はいつもバカばかりだ」

 

「適しているのはヨコシマなのですが。こうなると」

 

 永遠神剣は精神の剣である。感情が物理的に影響してしまうのだ。

 ここで無理やり横島を向かわせることも出来るが、悠人のやる気を削いでしまえば戦力的によろしくない。こういった精神状況に力を大きく作用されるのが、良くも悪くも心で神剣を振るう者達の特徴だ。

 安定した戦力を望むのなら、精神を破壊して神剣の虜にしたほうが良いのである。

 

 レスティーナは強い眼差しで悠人を見据える。

 悠人はレスティーナを見つめ返した。

 やるといったらやる。強靭な決意を宿した男の目にレスティーナも決断する。

 

「貴方はやるべき時にやれる事が出来る男だと信じています」

 

「任せてくれ。やってやるさ!」

 

 レスティーナの信頼の言葉に、悠人は強く頷き言葉を返す。

 かくして、アセリア救出作戦が決定された。

 

 

 

 

 

 数日後。

 悠人はミスレ樹海目前まで到達していた。

 本来なら数週間は掛かる距離を、一瞬でゼロと出来るエーテルジャンプ装置の賜物である。

 

「もうそろそろだな。いくぞ……アセリア」

 

 横にいるアセリアに声を掛ける悠人だが、やはり返答はなかった。

 虚空を見つめるアセリアに、悠人は必ず助けると決意を強くする。

 研究所の進入は、悠人とアセリアの二人で行われる事となった。

 

 潜入は一人のほうがやりやすいが、しかし一人では危険すぎる。それに地形を考慮すると飛ぶことが出来るパートナーも必須だった。

 候補に挙がったのはシロ、ウルカ、セリアと機動力と隠密に優れた面々。

 この内、飛ぶことができないシロは候補から外れる。ウルカはブルースピリットと比べると飛行できる高度と時間が劣るから候補から外れた。セリアは機動力は問題ないが、戦闘力と隠密で劣る。スピリットとしては上位ではあるが、敵地に二人だけとなると流石に厳しい。

 

 最終的には救出する当人であるアセリアが選出された。

 心を失い咄嗟の判断は出来ないが、逆に命令には忠実だ。悠人が適切な命令さえ出せれば問題はない。

 

 神剣の索敵能力を限界まで使用しつつ、神剣反応を捉えられない様に押さえ込む。

 この状態でギリギリまで研究所に近づいて、後は一気に神剣の力を解放して研究所の資料を強奪。敵の増援が来る前に飛んで逃げるというのが作戦だ。

 非常に難易度の高い任務であるが。それでもアセリアを救うため。

 

 さあ、いくぞ!

 

 悠人は決意を新たに戦いへの第一歩を踏み出そうとして、

 

『少し待て、契約者よ』

 

 『求め』の声が頭に響いた。

 

「何だ馬鹿剣。今は忙しいんだ。気が狂うほどの激痛や性欲なら後にするか、さっさとしろよ」

 

『まったく、汝も大概狂ったな。悲鳴を上げながら転がっていた時は可愛げもあったというのに。まあ良い、まず結論から言おう。そのメトラ研究所の資料とやらを持ち帰ろうと、この青の妖精の心を戻すことは出来ん』

 

 出鼻を挫かれる、とはこの事か。

 ラキオスが総力を挙げて始動させた計画の大前提を否定されて、悠人はずっこけるのを必死に耐えた。

 

「勝手に決めるなよ! どういう根拠があるっていうんだ!?」

 

『あの技術者の意見は正しい。理論は完璧だ、しかし、その理論を実践する方法は一つだけだ』

 

 ヨーティアが言っていた理論。小難しいことを長々言っていたが、要はアセリアの神剣である『存在』との波長が合う神剣が必要だということ。

 その手がかりを見つけるための資料を、これから奪いに行こうとしてしているのだ。

 

『より正確に言うのならば行く意味がない。無駄な労力という奴だ』

 

「だからその理由を言え!」

 

『まだ気づかないか。貴様が未熟で、まだ我の力を引き出せないとき、一体どうやって我が力を引き出した』

 

 もう二年近くも前の話だ。

 

 当時、悠人は召喚後に即レイプされマナを抜き取られた影響もあり、『求め』の力をまるで引き出せなかった。にも関わらず隊長として戦場に引きずり出された。このままでは自分の、そしてアセリア達の命も危うい。強引にでも力を引き出す必要があった。

 その時は、アセリアの永遠神剣『存在』によって『求め』を共振させて無理やり目覚めさせて――――

 

「あっ! まさか!?」

 

『ようやく気づいたか、この馬鹿契約者め』

 

 灯台下暗しだった。悠人の持つ『求め』こそ、アセリアを助けられるかもしれない神剣だったのだ。大マヌケとしか言いようがない。

 とはいえ、悠人を少し擁護するならば、その時期はようやく言葉を覚え始めたところで無理やり戦場に突き飛ばされたのだ。状況も精神状態も最悪にして極限。そこに言葉足らずなアセリアの説明を受けて『求め』を覚醒させた。理屈がどうとか分かるはずもなかった。

 

 もっとも、アセリアを助けるには『求め』自身の協力が必要不可欠ではあるのだが。

 

『あのスピリットを犯し喰らうにも感情が無いのでは興ざめだからな』

 

 相も変わらず言う事は物騒であるが、遠まわしに協力すると『求め』は言った。

 

「サンキュー……『求め』」

 

 それはいつも『求め』を馬鹿剣呼ばわりしていた悠人にとって初めての、そして心の底からの礼だった。

 感謝の心が悠人から『求め』に伝わり、『求め』は忌々しげな声を出す。

 

『ふん、礼を言うぐらいなら、さっさとスピリットを犯し壊してマナを寄こせ!』

 

「ああ、分かった。いつかな、いつか」

 

 しかし、それとこれとは話が別であった。

 元から頑固で堅固な悠人の精神だったが、それに加えて図々しく強かになった悠人に、『求め』は強く舌打ちした。しかし、どこか楽しげな雰囲気を漂わせてもいる。悪友とでも呼べる関係になりつつあるのかも知れなかった。

 

 何はともあれ、善は急げだ。

 『求め』の意思が変わらないうちにアセリアを救出しなければ。

 

 やり方は簡単。

 アセリアの永遠神剣である『存在』に『求め』を重ねるだけ。後は『求め』がやってくれる。その間、アセリアは寝かせておく。悠人がすることは特に無かった。敵地に踏み込む前なので、敵が襲い掛かってくる等というトラブルも無い。

 待つ事、数分。

 

『ふん、終わったぞ。貴様が待っていると伝えたら、あっさりと精神の底から浮かび上がってきた』

 

 どこか面白く無さそうに『求め』は言って、後は沈黙した。

 アセリアは小さく伸びをして起き上がり、悠人と目が合うと微笑を浮かべる。

 

「ん、ユート……おはよう……じゃなくて、こんばんは」

 

 夜空に浮かぶ満月を見てアセリアが言い直す。

 相も変わらずマイペースなアセリアに、悠人は涙交じりの笑みを浮かべた。

 

「こんばんは……まったく、状況を分かってるのかよ」

 

「うん、『求め』と話したから……サンキュー『求め』」

 

 アセリアの礼に『求め』は何も返さない。

 それが何だか『求め』らしく、悠人は笑いをかみ殺した。

 

「お帰り、アセリア」

 

「ただいま……ユート」

 

 悠人はアセリアを強く抱きしめた。アセリアも抱きしめ返す。

 再開の抱擁をする二人を、周囲のマナ蛍が照らしていた。

 

 どれほどそうしていただろう。

 思い出したかのように悠人は気づく。

 

 アセリアの救出に成功したのだ。もう命がけの陽動作戦などする必要はない。情報やマナ結晶は取っていないが、それはまた別な機会でもいいはずだ。いや、それでも作戦を継続するべきだろうか。何にしろ状況が変わったのだから、とにかく報告しなければ。

 現在地のミスレ樹海は何故か神剣通信が繋がりづらい。急いで連絡できる場所まで移動しなければ。

 

 悠人は当然の思考をした。だが、思考は中断される。

 アセリアはそっと悠人の頬に手を当てて自分のほうに向かせたからだ。吐息が熱く感じられるほどの距離に悠人は戸惑う。

 

「ど、どうした、アセリア」

 

「ユート……私に、ユートを抱かせてくれないか」

 

「………………え?」

 

 突然で、衝撃的。

 アセリアの言動はいつもそんな感じだが、今回は郡を抜いたぶっ飛び具合だ。

 

 『抱かせてくれ』

 

 女が男に言う言葉ではないような気がするが、そこはアセリアだ。

 ただまっすぐ、心のまま繋がりたいという純心が飾りのない言葉を紡ぎだした。

 顔を赤くして硬直した悠人だが、アセリアの穢れも知らぬ、というような透き通る表情に勘違いだろうと苦笑する。

 

「ちょっと待て。抱くっていうのは抱きしめるって意味だよな? ははは、アセリアは言葉が少なすぎるんだぞ。もっと具体的に言わないと勘違いされるんだからな」

 

「分かった。毎朝、ユートが大きくしているモノを私のアソコにブスリと入れて出し入れを」

 

「そんなしっかり言わなくても言わなくていいから! もっと恥じらいを持ってくれ!」

 

「具体的に言ったのになぜ怒る」

 

 アセリアが不思議そうに首を傾げる。悠人はどうしたらいいのか分からず動けない。

 動かない悠人にアセリアは鼻が付くほどに顔を近づける。

 

「私はユートと深く繋がりたい。ユートを強く感じたい……ダメ……か?」

 

 いつものように透明な青の瞳。しかし、よく見ると瞳の奥に何かに期待するような煽情の色が見え隠れする。

 薄く艶やかな唇。紅潮した頬。吐息には甘く切ないものが混じっていた。

 どれもが余りにも綺麗で、美しくて、初々しくて、魂を抜かれるようだった。

 

 ――――だから、忘れてもしょうがなかったんだ! ごめんなさい!!

 

 とは、後の悠人の言葉である。

 悠人は連絡を忘れた。

 

「ユート、愛してる」

 

 月明かりとマナ蛍に照らされていた二つの影が倒れこみ、一つに重なる。

 レスティーナの言葉は正しかった。

 

 悠人はやるべき時にヤッちまう男だったのである。

 

 こうして予定とは違ったが早々にアセリアが救出され、二人の間である意味で命を懸けた戦いが始まろうとしいた。

 そうとは露とも知らない横島達は、まったく無駄で何の意味もない陽動作戦に命を懸けるのである。

 

 

 

 

 秩序の壁。

 

 サーギオスが保有する白亜の長城である。

 長大にして優美。ロマン溢れる中世の要塞に見える。

 

 しかし、一皮剥くと内部にはパイプや何らかの機器が埋め込まれていた。マナを利用して凄まじい頑強さを生み出し、なによりも要塞にいるスピリットの力を跳ね上げているのだ。石造りの要塞は、エーテル機器を保護する壁でしかない。

 見た目だけ中世の長城。しかし中身は機械的なエーテル技術の塊。この世界の歪な技術体系を示すに相応しい要塞だ。

 

 この攻勢に参加するのは横島とアセリアを除く第一詰め所と第二詰め所。そして第三詰め所のスピリット達。シロを筆頭とした旧マロリガン部隊は少し後方で待機している。

 

 横島達の役割は陽動だ。

 無理に攻勢に出る必要はない。敵が出れば引き、敵が引けば押す。コレがベストだ。とはいえ、言うは易く行うは難し、とは正にこの事ではあるが。考えどおりに物事が進むことなどそうはない。

 戦闘前から、それは明らかになってしまった。

 

「来やがったな……横島!!」

 

 伊達雪之丞が要塞の上で凶悪な笑みを浮かべていた。

 

「マジかよ」

 

 予想外の展開に横島の表情が歪む。シロの操る動物部隊によれば雪之丞の存在は半日前までなかったはず。だからこそ、この日を選んで陽動に来たのだから。一体、どこから現れたのか。

 

 とはいえ、予想外でも想定していなかったわけではない。雪之丞が凄まじい機動力を持っているのは明白。報告の時点でいなくても、突如でてくる可能性は当然あった。こうなった場合の対策は考えてある。対策というよりも、必然だが。

 

「ヨコシマ様……お願いします」

 

「ごめんね、ヨコシマ様。ネリー達じゃどうにもならなくて」

 

 雪之丞の魔装術と永遠神剣を合わせた『鎧』は低位永遠神剣の天敵とも言える存在である。

 なにせ、斬撃も火砲も軽々と受け止めて襲い掛かってくるのだ。しかも、曲線的なフォルムの鎧は全身をくまなく覆っていて隙は一切ない。

 最悪、一人でスピリットの集団を無傷で壊滅できるだろう。雪之丞の相手をするには鎧を砕けるほどの力が必須。つまり、エトランジェの持つ高位神剣が必要で、この場で高位神剣を持つのは横島のみ。

 

「雪之丞は俺が相手をするっきゃないか……ちくしょー! こええよーー!!」

 

 指揮するものが臆病風にふかれるなど、本来なら決してやってはいけないことだ。なのに横島がやると物凄く自然な光景のようで、かえって周りの士気があがるという不思議な特徴があった。

 

「大丈夫」

 

 ニムが得意そうに胸を張って言った。

 

「死んでもすぐ生き返らせるから」

 

「そこは死なせないって言えよ!!」

 

「ええ~」

 

「こんの…………うりうり」

 

「やっ! つっつくなー」

 

 横島がニムントールのほっぺを無遠慮に突っついて、ニムントールは蹴りを繰り出す。

 何度もあった光景だ。しかし、少しずつ様相が変わりつつある。

 ニムントールの蹴りが、何だか優しい。以前なら脛をガンガンと蹴り上げていたはずなのに今はペチペチだ。

 こうなってくると横島も荒っぽくほっぺたを突っつきづらくなる。仕方なく、横島はニムントールのほっぺたを優しく、あるいは撫でるようにつっつく。

 ペタペタ。ペタペタ。ベタベタ。

 それはもうどつき漫才やじゃれあいではなく、恋人同士のイチャツキにすら見えた。

 

「に、ニム! 失礼でしょ、止めなさい!」

 

 慌てたようにファーレーンがニムントールと横島の間に無理やり割って入り、二人を引き離す。それは、いつも通りの光景ではあったが。

 

「ッ!」

 

 姉妹の視線がかち合った瞬間、ピリッと姉妹間に妙な空気が流れる。当人達は慌ててそっぽを向いた。

 今まで何度もあった光景なのに、何かが違う。お互いに失敗したと後悔しているようだった。その妙な空気は第二詰め所全体にまで伝播して、不思議な空白が生まれてしまう。

 

 動きの止まった第二詰め所の面々の隙を突くように、第三詰め所のとあるスピリットが横島に駆け寄った。

 

「ヨコシマ様ヨコシマ様!」

 

 彼女はペチペチと横島を優しく叩くと、プクーとほっぺたを膨らませてみせた。

 ニヤリと横島は悪戯っぽい浮かべて、つんつんとほっぺたを突いてみせる。

 

「やん! もう~ヨコシマ様ヨコシマ様ー!」

 

 満面の笑みで嫌々しながら彼女はまた横島をペチペチする。横島も心得たようでツンツンとほっぺたを突っつく。実に可愛らしく、微笑ましいやり取りだ。

 そのスピリットが、20代半ばほどの美女でなければだが。

 

 はっきり言えば痛々しい光景だ。いくら美女でも、いや美女だからこそ痛い。美女が童女の振る舞いをして喜ぶものは極少数だろう。

 そんな彼女を見て横島は思う。

 

 急いで戦争を終わらせなければと。

 

 このまま時が過ぎれば30代40代の肉体に10半ばの精神が宿ってしまうだろう。

 それは本人にも周りにとっても辛い。横島としては出来る限り子供時代を謳歌して欲しいのだが、彼女の後の人生を考えるなら急いで心を成長させなければならなかった。

 

 精神の発達は時間よりも経験が大切らしいから、色々な所へ連れて行き、遊ばせ、学ばせ、友達を作ってやりたかった。戦争なんてやっている場合ではないのだ。そもそも、こんな子供を戦争などに連れてくること事態がクソッタレだと横島は理解している。だが、奪われた青春を謳歌させられる現状ではないのだ。

 

 また、精神だけの問題じゃない。

 戦争が終わればスピリットにも人権が付与される。そうなれば戦争の道具ではなく、人の社会で生きていかなければいけない。人に逆らえないという絶望的な特性があるスピリットを守るためにも、立場や法が必要になってくるだろう。

 

 ――――第二詰め所の隊長は止める必要があるな。

 

 第二詰め所のメンバーが戦慄する事実を、横島は当然のように考えていた。事実、それはまったくその通りで、戦争が終わった後に横島ほどの人材を副隊長などという曖昧な立場に置く意味はない。横島が第二詰め所の隊長をやり続けるという未来はありえないのだ。

 

 まあ、それは先の話だ。横島は視線をスピリットに戻す。

 今は出来ることからやらなければいけない。

 

「モーちゃんは可愛くて優しい良い子だな。俺の宝物だ!!」

 

 今出来る事。それは戦場で彼女達を守り、後は精一杯優しくしてあげるだけ。

 性癖ど真ん中の美女に抱きつかれながら横島はただひたすら優しい。そこには邪はなく、清く正しい愛しかなかった。

 彼女はそんな横島をじっと見つめた後、

 

「あぁ、パパだ……私のパパ……ぱぱー」

 

 ぐいぐいと顔を横島の胸に押し付ける。甘えっ子だ。

 

「ヨコシマ様~」

「パパー」

「抱っこして」

 

 他のスピリット達も「自分も自分も」と群がってくる。

 可愛い娘達だ。

 年上だとしても関係ない。種族も血の繋がりも関係ない。自分は父で、彼女達は娘。ならば、父として行動しよう。父ならばやること。それは、

 

 

 ブブー!!

 

「ぐわー!」

「おならだー!」

「臭いぞーー!?」

「どうしておならをするんだー!?」

「フッ、オヤジは屁をこいてこそオヤジなのさ」

「そうなのかー!?」

「絶対うそだー!」

「ううん! 私、人間の子からきいたことがある。パパはおならばっかりするって!」

「うむ、オヤジは子供の前で屁をこく人種なのだ! 布団も屁で暖めるぞ」

「オヤジってすごーい!」

「キャハハハ!」

 

 娘たちは大はしゃぎだ。

 臭い臭いと笑い合っている。パパとしての無遠慮な行動が嬉しかったらしい。

 

「もう! おならはダメでしょ!」

 

 そんな中で、一人のスピリットがプリプリと怒っていた。

 後ろから抱き着いていた彼女は、もろに屁を吹っかけられたのだから無理もない。

 横島はニコニコと笑いながら手招きする。

 

「悪かった悪かった。もうおならはしないから、こっちこ~い」

「……ほんとー?」

「本当に本当だ!」

 

 横島の言葉に、スピリットは嬉しそうな笑みを浮かべて抱きつこうとするが、突如として横島はクルリと回れ右をして、

 

「やあー! なんで後ろ向くの!? おならする気でしょ!」

「しないぞーパパはうそつかない」

「うそだぞ! アレはやる目だぞ!」

 

 わーわーぎゃーぎゃー。

 

 今から命のやり取りをしようとしているとは、信じられないほど幼稚でお馬鹿な騒ぎが続く。

 そんなやり取りを、苦い顔をしたブルースピリットが割り込んだ。

 

「はい、ストップ!」

「おばさんだ」

「邪魔するな~おばさん!」

「誰がおばさんだ! 隊長だよ隊長!」

「ええ~ヨコシマ様の妹なら、おばさんじゃないー」

「ああ~まったく! これから打ち合わせするから、邪魔しないで!」

 

 流石に戦いの打ち合わせとなれば邪魔できない。

 第三詰め所のスピリット達は文句を垂れながらも離れていく。

 横島はニヤニヤしながらルルーに言った。

 

「どうした叔母さん」

 

「何で兄さんが言うの!? それは違うでしょ!」

 

「なんだ。お前も屁をこいてほしいか」

 

「やったら切るよ」

 

「何をだ!?」

 

「まったく、本当に兄さんはモテモテの大人気だね」

 

「……そうだな。人気者過ぎるっての」

 

 笑みを消して、どこか空虚に横島は言った。

 この人気が、とても悲しい現実の上に成り立っているという自覚があるからだ。

 だが、ルルーは不思議そうな表情で横島を見た。 

 

「何でそんな顔してんの」

 

「普通、俺がモテるわけないだろ。あいつらは酷い目にあったから、俺が好かれてんのは分かってんだよ! 現にマロリガンのスピリット達には嫌われてるんだぞこんちくしょー!!」

 

 何を言っているのだと、ルルーはただ呆れた。

 確かに第三詰め所のメンバーは、というか普通のスピリットは冷たく暗い闇に囚われていて、そこから救い出してくれた横島に感謝する可能性は高いだろう。

 

 だけど、横島はそこで止まらなかった。いつも自分達を見てくれて、常に笑顔で面白く、それでいてスピリットの未来に真面目に考えてくれる恩人。ルルーも、自分が近づくと何だかんだで嬉しそうにしてくれる横島の存在は救いだった。

 

 一体、どう嫌いになれというのか。

 

 マロリガンのスピリットには嫌われているというが、それは以前の戦争で酷い戦法で煙に巻いた事と、無遠慮なナンパをしているからだ。

 

 好かれる様な行動を取って好かれているだけ。

 嫌われる様な行動を取って嫌われているだけ。

 

 まったく当然なことなのに、好かれているのは環境の所為で、嫌われているのは自身が貧弱な坊やだからとでも思っているらしい。

 よく分からない自己評価の低さとコンプレックスがあるくせに、女の子にセクハラやナンパをするポジティブさ。

 

 本当にわけの分からない、実に変な人物だとルルーは思っている。

 

「兄さんってさ、兄さんだよね」

「おい、馬鹿にしんてんのはわかるぞ」

「いや、馬鹿になんかしてないよ。本当に兄さんだなって~」

 

 しみじみと言うルルーに横島は「なんじゃそら」とぼやくしかない。

 ルルーはそっとスピリット達に目をやった。第二詰め所と第三詰め所のスピリット達が、不自然な笑顔を浮かべて見つめ合ってる

 

『家族だったら、目の前でおならをしても当然。つまり、あなた達は家族扱いされていないの。可哀想だね』

 

『違うわ。あなた達が女扱いされていないってことよ。女扱いされないなんて可哀想ね』

 

 ニコニコニコニコニコニコ。

 あの笑顔の裏では女達の冷たい戦いが繰り広げられている。

 

 ルルーは重く息を吐いた。

 色々と噛み合っていない。傍目から見れば楽しい状況かもしれなかった。貸してもらって見たラブコメディの本に似ているかもしれない。

 だけど、いつか嵐が来る。いつまでもこんな状況が続くわけがない。

 

 それはルルーにもよく分かった。出来れば穏便に事がすんで欲しい。最低でも、戦闘中で爆発するのだけは勘弁して欲しかった。死人が出たら笑い話にもならなくなる。

 だからこそ、ルルーは横島に忠告に来たのだ。

 

「今度の戦いのやり方だけどさ」

 

「それは事前に説明したとおりだ。俺が雪之丞を抑えて、第二詰め所が前衛、第三詰め所が後衛でサポート。毎日の訓練と同じようにするぞ」

 

「うん、そうなんだけど……お姉ちゃん達は兄さんを優先してサポートするかもしれないよ」

 

「はあ? なんで……ああ、そっか」

 

 ルルーの懸念を、横島はすぐさま理解した。

 以前にも第二詰め所で同じようなことがあったのだ。

 

「もう分かったの?」

 

「ああ。似たような事はあったし。でも、どうしてこのタイミングでなんやろ」

 

「そりゃ簡単だよ。いつもは怖い怖いユート様がいるからね。ユート様がいないからはめが外れそうなんだ」

 

 統率という点では、間違いなく悠人のほうに適正がある。

 スピリット達に横島は愛されているが、同時に舐められてもいるのだ。何をしても怒らないだろうという信頼がある。部下たちが好き勝手に動く可能性は高い。 

 

「俺もちょっとは怖くならないとだめか」

 

「無理だね。兄さんが怖くなるなんて考えられないし、なってほしくもないよ」

 

「なんじゃそりゃ」

 

「兄さんは皆の中心なんだよ。偉い人も貧しい人も、強い人も弱い人も、種族だって越えて兄さんの前だと素になれる。だから、皆の上にはなれない」

 

 褒められているのか、貶されているのか。

 横島にはよく分からなかったが、ただ素の自分のままで良いと言われているのは分かる。

 

「勿論、ユート様がいるからだけどね。あの人がいなかったら、無理やりにでも兄さんが上に立って皆を纏め上げなきゃいけないんだから」

 

 それだけはごめんだと、横島は内心で呟く。

 厳しい決断を迫られる立場になるのはごめんだ。何も考えず、ただ可愛い女の子を助けるためだけの立場に居たかった。

 

 高嶺悠人は死んではいけない。

 横島忠夫が横島忠夫であり続けるためには。

 

(女の子達は当然として、お前もだぞ悠人……死ぬんじゃねえぞ)

 

 心の中で、誰にも聞こえないようにこっそりと言う。

 

 それから横島は皆を集め、絶対に訓練通りに動くようにと、特に第三詰め所の面々には強く命令した。不満そうな表情のスピリットが何人かいる。もしも命令していなかったら、功を焦った行動に出ていただろう。

 きちんと部下の精神状況を把握していたルルーには感謝である。

 

 そろそろ悠人がメトラ研究所に近づいている頃合だ。

 

「よし、無理しない程度にいくぞー!」

 

「おおー!」

 

 緩い横島の号令と共に、第二詰め所のメンバーが要塞に突撃して、第三詰め所のメンバーは後ろで魔法の援護体勢に入る。

 敵は雪之丞とスピリットを3人を前面に出してきた。スピリットは横島と遜色ないマナを持っているようで、厳しい戦いになると予想される。

 

 横島はとある方角を見た。

 悠人のいる方である。

 

(しっかりやれよ、悠人)

 

 男に向かって応援など自分らしくなく恥ずかしいのだろう。少し顔を赤くして、恥ずかしさを誤魔化すかのように咆哮を上げて雪之丞に切りかかる。

 

 そして、悪魔と生死をかけた戦いが始まった。

 

 

 

 一方、そのころ。

 

(横島が応援してくれたような気がする……ありがとう横島。俺はやるぞ!)

 

 悠人は美少女とせいしをかける戦いを始めようとしていた。

 

 




 長くなったので、一旦ここできります。
 続きは来週にでも。

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