永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

56 / 56
第三十七話 天上の道標

 ロウソクの炎だけが灯る、仄暗い洞窟。

 そこで爬虫類が眼鏡をかけたような中年男が手紙を読んでいた。内容は主にラキオスの近況。男が目指す野望のためにも情報収集は欠かせない。ある情報が入ってきたら即行動する準備は出来ている。

 しかし、そこに望んでいた情報はなかった。とある一文に男は顔をしかめる。

 

 『天秤』のエトランジェ、未だ情を通じず。

 

「まったく、童貞はこれだから」

 

 中年男は苛立たしそうに手紙を握りつぶした。

 男の名はソーマ・ル・ソーマ。

 かつてはラキオス・サーギオスの両国でスピリット調教師として活躍し、スピリットに性的欲望を覚える男として誰からも忌み嫌われ、今現在は両国家に犯罪人として追われている男である。

 

 この男の目的は『自身が調教したスピリットで、雪之丞と彼のスピリットを打ち破る』ことだ。そのチャンスが生まれるだろうという確信があったからこそ、こうして機を伺い潜伏していたのだが、どうにも予定通りチャンスが生まれなかった。

 そのチャンスとは他でもない。

 横島と第二詰め所のメンバーが結ばれることだ。この瞬間こそ、ソーマが目標を果たす為の第一歩なのである。

 

 雪之丞達は恐ろしく強い。奴らを倒すには最高の素材が必須だ。その素材にはラキオスのスピリットが最適だとソーマは判断し、セリア達を捕らえる隙を伺っていた。

 

 隙を伺うといっても、既に拉致の準備は出来上がっている。

 第二詰め所のスピリットは町に繰り出すことも多い。彼女らは国家の目に届く所で守られているが、全てを見守るなど不可能だ。人目につかない道も把握済みで、スピリットを昏倒させる薬剤も、拉致させる人員すら用意は終わっている。

 彼らは自身と一蓮托生。裏切りなどは気にしなくていいし、己の命の為にも必死に仕事を遂行するだろう。

 

 問題は拉致した後だ。

 目的の為には調教して洗脳する必要がある。そうすれば横島の逆鱗に触れる。そうなれば彼は全てのリソースをこちらの抹殺に傾けてくるだろう。そこにモラルも手段もない。ラキオス国家も全力で潰しに来るはずだ。

 

 どう隠れていようと二日で見つかるだろう。そうなれば勝てるわけがない。

 対抗するなら拉致したスピリットの調教を完成させ、こちらに従わせるしかなかった。

 

 数日で心を破壊するなど本来なら不可能だ。

 凡百の調教師なら数年はかけて、ようやく中途半端に心を打ち壊せる。

 一流なら一年程度。運が良ければ完全に心を破壊し、完璧なスピリットを育成できる。

 最高の調教師、すなわち自分なら一か月もあればほぼ確実に完璧なスピリットを作れる。

 

 最低でも一か月はかかるのだ。それでは遅すぎる。だが、特殊な条件下なら瞬時に調教を終わらせる可能性があった。その条件こそが、横島がスピリットと男女の仲になることだ。

 

 狙い目は横島と結ばれる直前。あるいは結ばれた直後。

 天上にも上るような幸せでふわふわした状況。スピリットであり、女である自分への誇りと自信に満ちた心身。それらを汚してぶち壊す。スピリットの現実を叩き込む。

 高いところから一気に地面に叩き付ければ壊すのは容易だ。

 

 調教したスピリットを横島と悠人にけしかけて殺害できればラキオスは大混乱だ。

 さらに横島から文珠というものを奪い取れれば、女王レスティーナを虜として一国を握ることすらできる。後は帝国を打ち破れば天下すら狙える。

 

(この大地で最も蔑まれるであろうスピリット趣味の私が、私だからこそ、世界を狙える位置にいるのだ!!)

 

 暗い情念を燃やして、栄光の未来を夢見て、横島とスピリットが結ばれるのを待っていたのだが。

 

「ほんとになにやっているのですかねぇ。いや、ほんとに」

 

 ソーマの声にはただ純粋な疑問しかなかった。

 お互いを憎からず想っている年ごろの男女が一つ屋根の下で2年近くもの時を過ごし、未だに肉体関係はなく、それどころかキスの一つすら怪しい様子だ。

 『ほんとなにやってんの』としか言いようがない。割と本気で同性愛者ではないかと疑いすらした。それだけ不可思議な現状だ。

 

 話に聞く限り、現状では横島からの一方的で子供じみた求愛行動のみ。せいぜい信頼しあった隊長と隊員というだけだ。これでは調教に時間がかかる。横島の童貞=自分の破滅だ。

 ソーマは笑い話でもなんでもなく、真摯に横島の脱童貞を祈っていた。

 

 世界で誰よりも横島とスピリットのエロを望んでいるのがソーマという辺りが、この世界がいかに狂っているという事実を示しているだろう。

 

「あの童貞を非童貞にするにはどうすれば……もうこちらも余裕がないのですが」

 

 顧客からの援助があるとはいえ、そろそろ流浪の逃亡生活は限界が見えてきている。スピリットは使えない奴から売却し、あるいは殺し合わせてレベルアップのマナにしてきたが、それでも20人はいる。食事の用意も楽ではなく、病気も怖い。かといって、これ以上減らしては戦いに不利になる。難しいところだ。

 何とか生活できたとしても、このままではラキオスと帝国が戦争に突入して、雪之丞達が敗北したら野望は潰えてしまう。

 

 どうしたものかと考えていたが、手紙にはまだ続きがあった。続きには、『求め』のエトランジェと『存在』のスピリットが恋仲になったと書かれていた。ソーマは驚く。

 恋と愛の区別も出来ないような歪な男と、男女の機微など理解できないアホのスピリットが最初に結ばれるとは。はっきり言えば予想外だ。凸と凹でかみ合ったのだろうか。

 

 ソーマはいやらしく口元を歪めた。

 

「エスペリア……彼は貴方の勇者様では無かったようですねえ。ふふ、安心したはずなのに苦しい。貴女の呻きが聞こえるようです。

 そしてウルカ。何もわからず、未来に目を向けられない今ならば、過去からの声はより鮮烈に聞こえるでしょうねえ」

 

 できれば横島がベストだったが、次善策として悠人のケースも考えていた。エスペリアとウルカには以前から策謀の種を埋め込んである。特に今ならば、言葉だけでこちら側に誘導できるかもしれない。

 

 慕っていた異性が友人と結ばれる。

 これだけでも辛いのに、一つ屋根の下で逢瀬を見せられれば、それはもう動揺し、苦しんで、増悪すら生まれるだろう。それは当然のことだが、経験不足のスピリットには、その当然が分からない。友人の幸せを祝えない自分はなんて汚い存在なんだろう、ときっと苦しんでいるはずだ。

 その自己険悪の中で姉や部下達と共に犯しぬいて、止めにマインドコントロールを施せば、それこそ数時間で堕とす事が出来る。

 

 そして問題の横島だが、こちらも半年以上の時間をかけて用意しておいた次善の策がある。策により失うものは大きいが、横島とは不倶戴天の間柄だ。この大地で両方が生き残るなどありえない。必ず殺さなければならないだろう。

 悠人と横島を失えばラキオスはこれ以上なく動揺する。ラキオスを取り、帝国を滅ぼし、天下を取るチャンスは来るはず。

 

「天下を支配する。それも、最悪の嫌われ者が。これこそ男の本懐というもの」

 

 野望に満ちた男の策略がラキオスに注がれようとしていた。

 

 

 

 永遠の煩悩者 第三十七話 

 

 天上の道標

 

 

 

「へーい、彼女! ボクとお茶をしませんかー!」

「おまわりさ~ん、こっちでーす」

「ちくしょー! 俺だって色々成長してんのに、どうしてモテないんじゃー!」

「いやいや、成長してないじゃん」

 

 時代を考えろ!

 そうツッコミを入れたくなるナンパをしているのは、言うまでもなく横島だった。

 ラキオス首都で女の子に声をかけては撃沈している。

 

 物凄く可愛いスピリット達に囲まれているが、それはそれ、これはこれ。

 街に出てくれば女の子にちょっかいを出したくなるのがこの男である。

 いつも通り、全滅かと思われたその時、

 

「あ、やっぱり騒ぎになってるとこにいた。ねえヨコシマさん、一緒に遊びに行かない」

 

 なんと、一人の女性が横島に声をかけた。

 

 健康的に日焼けした肌に、厚手の服越しからでもわかる豊満な肉体。ざっくばらんと雑に整えられた黒髪。歳はやや下か。全体的な印象は、やぼったい村娘という感じだ。

 物凄く美人でも可愛いわけでもないが、不細工でもない。なんというか、普通だ。

 

「とうっ!」

 

 というわけで横島はギュッと抱き着いた。女性が声をかけてから1秒も経っていない。素早すぎる変態。セクハラ小僧の面目躍如である。

 

「ふん! はあっ!」

 

 女はショートアッパーで横島の顎を打ち上げ、顔面に正拳突きをかました。

 ガクリと倒れ伏す横島に、女は呆れたように肩をすくめる。

 

「こらこら、いきなりなにすんの」

 

「それはこっちのセリフだ! 俺を遊びに誘うだと……何が狙いだ、悪党め!」

 

「え? 私が怒られるの? というか悪党ってなにさ」

 

「ふっ、俺がナンパなんてされるわけないだろうがー! なんだ、何が目的だこんちくしょー! 金なら少ししかないぞ!」

 

「ねえ……言ってて空しくならない?」

 

「ふははは、慣れてるから大丈夫さ」

 

「なんかごめんね」

 

「謝るぐらいなら、そのおっぱいを」

 

「幻の左!!」

 

「ぐぼお!」

 

 いつものアホなやり取りだ。とはいえ、さりげなく横島は情報を収集している。

 手を握りしめ軽く抱き着いたから分かったが、この娘は完全に一般人だ。変装したスピリットではないだろう。恐らく悪ふざけか、あるいは罰ゲームか。悪くて美人局だろう。最低限の警戒で良さそうだ。

 

『色々と考えて大変だな』

 

 『天秤』の呆れたような感心したような声が頭に響く。

 

(本当にな。早く全部終わらせて、明るく楽しいセクハラ生活を送りたいんだが)

 

『そこでセクハラを止めるという選択肢がない辺り、実に横島だ』

 

 女の色香に油断して佳織を守れなかったことは、未だに尾を引いていた。

 どうせ俺なんかに声をかけてくれる女なんていないだろう、という自己評価から警戒はさほど苦ではないのが悲しいところだ。

 

「まったくエロ変態め……私の名前はスフィレ。一応、初対面ね」

 

 意外にもスフィレは横島を嫌った様子は見せなかった。怒ってはいるが、さっぱりした様子で横島に笑いかける。

 

「うむ、スフィレちゃんか。本当に何が目的で俺に声かけたんだ」

 

「ひ、ひねくれてるねえ。少しぐらい勘違いしてもいいんじゃないかな」

 

「刺されたり拉致されたりしてっからなあ」

 

 しみじみと、実感のこもった声の横島に、触れてはいけないと感じたスフィレは話を進ませることにした。

 

「あ~……んっとね。声をかけた理由は、お母さんにナンパしてこいって言われたからだよ」

 

「はあっ?」

 

 完全に想定外の答えに横島は困惑した。

 

「どういうこっちゃ」

 

「さあ。私はあなたがお母さんに何かしたのかなって思ってたし」

 

 母親の言葉で自分のような男とデートする。

 何だか良く分からなかった。言う方も言う方なら、了承する方もする方だ。

 

 その母親の真意はどこにあるのだろう。また、どうしてスフィレは母親にその思惑を聞かなかったのだろうか。

 

「お母さんは薬屋さんだよ。あ、でも最近は医者の真似事も始めてるんだ。すごいでしょ」

 

 少し話を聞くと、母親は郊外にある薬草をすり潰し調合しているらしい。

 スフィレは母が調合した薬を町で売りさばくことで一家の生計を立てていた。

 

「ほ~だからか」

 

「だからって?」

 

「いや。スフィレちゃんって結構臭うなあって痛でえええええ!!」

 

「女の子に向かって臭いなん言うからでしょ!!」

 

 横島を蹴り飛ばしながらも、スフィレは服のすそをくんくんと嗅いでみて、眉間にしわを寄せて見せた。

 

「まあ……うん。ちょっと薬臭いかもしれないけど。でも仕方ないじゃない。薬草をいぶしたり調合すると凄い臭いが出るんだもの。虫がよってこなくて便利なんだよ……動物も嫌がって寄ってこないけど」

 

「あーそのアトリエって城壁の外にあったりするのか」

 

「そりゃね。薬の生成は近所迷惑だから」

 

 母親からの不思議な命令。

 城壁の外にあるアトリエ。

 動物が嫌がる臭い。

 

 嫌な情報が積みあがっていく。

 諜報部やシロはとある『変態共』を探しているのだが、そいつらを見つけにくい場所や条件と一致しすぎているのだ。

 

「父親は何やってるんだ?」

 

「……父さんはお城で兵士をやってた。でも、前の襲撃の時に」

 

「そっか。悪い」

 

 動機もある。

 霊感が訴える。

 これはそのまま放置して良い案件ではない。

 

「よし。ちょっと行ってみるか」

 

「へ。何を……ってわああ!」

 

 横島はスフィレを抱きかかえると、そのまま走り出す。城壁を越えるために空中まで駆けだすと、スフィレは高所の恐怖からか抱き着いてきた。もにゅんもにゅんだ。 

 ちなみに、神剣の力は使わない。街中で神剣反応が察知されるとスピリット達が集まってくるからだ。

 

「やあああ! 高い! 早い! 怖いって!! 降ろしてーー!」

 

「わははは! よしよし、抱きつけ抱きつけ!!」

 

「それが狙いかこの変態……と、隣で鳥が飛んでるよー!! 凄いけど、ぎゃあああ!! でも可愛いー!!」

 

「意外と余裕がある……いぎゃ!」

 

 ドタバタしながら二人は空中散歩をなんだかんで楽しんだ。

 地面に降りたとき、横島は両頬に奇麗な紅葉を作っていた。スフィレは怒っているようで、しかし表情は何故か晴れ晴れしている。

 

 目の前には平屋の木造で、煙突が2本もある一軒家。謎の草や陶器が積み重なる倉庫に、良く分からないモニュメントのようなものがあり、異臭が酷い。

 

「ここ母さんのアトリエだけど、本当に何をしに……わ!?」

 

 スフィレは驚きの声をあげた。横島の体が光りを放ち、足元には魔方陣が出現したからだ。神剣から力を引き出した証である。

 

「ほへーこれが神剣の力か。照明いらずで便利だー」

 

 のんきな感想だった。

 神剣の力を引き出しつつ、できる限り神剣反応を隠す。

 これには相当の熟練が必要だったが、今の横島ならそれなりのレベルでこなせる。

 数秒で光は収まる。横島は青ざめている。

 

「スフィレちゃん、一つ聞きたいんだけど、このアトリエに地下室があって、そこで助手と過ごしたりするか?」

 

「このアトリエに地下室なんてないし、助手なんて聞いたこともないけど」

 

 眉をひそめながらスフィレは訝しげに答えて、横島は天を仰いだ。

 最悪の予想が当たってしまったらしい。

 母親がスフィレに下した命令から考えるなら、横島を釘付けにしたかったのだと考えられる。

 それの意味する所を考えて、全身を冷たい緊張が包み込んだ。

 

 水面下で魔手が迫りつつある。いや、もう既に誰かが手中に落ちた可能性すらあった。一刻も早く行動を開始しなければならない。

 

 まず何をすべきか。

 

 そう考えていると、

 

「どうしたんですか、ヨコシマ様!?」

 

 ヘリオンがツインテールを乱れさせながら走ってきた。街中で神剣を使用したから何事かと思ったのだろう。迷彩された神剣反応を察する当たり、やはり凄まじい才能を有している。しかも、横島の意を察してか、可能な限り神剣反応を抑えていた。

 可愛くも頼もしい仲間に横島の頬は緩んだが、すぐに引き締める。これからの自分の判断が、可愛い女の子達の命運を分けることになるのだ。

 

「ヘリオン、急いで城に行ってレスティーナ様に伝えてくれ。クソ変態野郎が動いた可能性があるってな。後はこの場所に兵を送ってくれ。城では医者の準備も頼む。俺もやる事やったら城に行くから」

 

 矢継ぎ早に飛ぶ横島からの指示にヘリオンはコクコクとうなづく。

 何があったのかと質問はしなかった。

 雑談も遊びもない、指示だけの横島の様子から只ならぬ事態であることは明白だからだ。

 

(真面目な時はやっぱり格好いいです……けど)

 

 感情が顔に出やすい性質で、その感情が煩悩に振れているから普段はエッチでおバカな表情になってしまうが、真面目な時の顔立ちは決して悪くない。

 

 だが、そんな横島の顔がヘリオンの胸をズキリとさせる。

 何だか言葉にできない切なさで一杯になり、途端、半ば衝動的にヘリオンは横島を抱きしめた。

 確実に膨らみ続けている胸を思い切り押し付ける。

 

 ふにふに。

 

 慎ましいが、確かにある柔らかい膨らみに、研ぎ澄まされすぎていた横島の思考も柔らかくなる。

 

「うう、ごめんなさい。私がもっと色々おおきければ」

 

 ヘリオンは自虐的な表情を浮かべて横島に謝った。

 どういう状況か、自覚はある。体の小ささゆえに、抱きしめているというよりも、これでは抱き着いているだ。自身の小さい体が恨めしかった。

 そこにあるコンプレックスに、横島の口からは勝手に声が漏れた。

 

「あ……いや…………そんなことは」

 

 暖かくて柔らかい。匂いもガキのそれとは違う。横島は素直に嬉しかった。だが、それを今まで子ども扱いしていたヘリオンに伝えるのはこっぱずかしい。

 そんな横島の複雑な胸中は、彼の鼓動を通してヘリオンに伝わる。

 

「にぇへへ」

 

 得意満面の笑みだった。

 妙な声で笑ってキラキラと輝くヘリオンの笑みに、頭を小突いてやろうかという悪戯心が噴出してくる。

 だが、何もできなかった。

 ここで茶化してヘリオンの抱擁を終わらせてしまうのが惜しく感じたのだ。

 

「まあ……わるくないぞ」

 

 消極的肯定。これが横島の精一杯だった。

 横島の手はヘリオンの頭を子供のように撫でることも出来ず、しかし大人のように背や尻に回すことも出来ない。ただ中空をうろうろしていたが、そっと、まるで触れるようにヘリオンの肩を抱く。

 いつものように子ども扱いをしてこない横島に、ヘリオンの胸は高鳴った。自然と視線が唇に向けられる。爪先立ちすれば、届くかもしれない。

 ヘリオンは限界まで爪先立ちをして、唇を突き出し、そして、

 

「ふえ~ん。届きませ~ん」

 

「ブフっ!」

 

「ひゃああ! 何するんですかーー!」

 

 思わず横島は吹き出し、唾を飛ばされたヘリオンが悲鳴を上げる。

 結局はコメディになるのがお約束だが、しかし少しずつイチャイチャ度が上がっているのは間違いなかった。

 

「あ~お二人さん……二人だけの世界から帰ってきてほしいんだけど」

 

 蚊帳の外に置かれていたスフィレの声で、二人はハッとして顔を真っ赤にしながら離れる。横島はさっとヘリオンに背を向けた。色々と恥ずかしくなり、赤くなった顔を見られたくなかったのだ。良く分からないところで羞恥心と自尊心がある男である。

 ヘリオンは恥ずかしがる横島を凝視と言っていいほど見つめ、

 

「……いい」

 

 ごくり、という音がヘリオンの喉からこだまする。

 野獣のような熱視線を浴びた横島は草食動物のように背筋を震わせた。

 

「ええい! ヘリオン、さっさといかんかい!」

 

「はい! よぉし、では『失望』のヘリオン・ブラックスピリット! 全開で行ってきます! シュタタタタタ!」

 

 テンションMAXなヘリオンがシュタタタタタと口に出して駆けていく。

 『はは、可愛いやっちゃなあ』と横島は内心で余裕があるように呟くが、ドキドキと胸が高鳴っているのは否定できなかった。ヘリオンに対して敗北感のようなものすら感じたが、それが何なのかは考えないようにする。

 

「ねえ、さっきからなんなの。何が起こってるの?」

 

 どこか不機嫌そうなスフィレの声。

 現実に引き戻される。

 

 可愛い女の子とイチャイチャだけできればいいのにな。

 

 そんなおバカな事を考えつつ、これからスフィレに起こる救いようもない現実に歯を食いしばった。

 

「なあ、スフィレちゃん。母親の事は好きか?」

 

「好きだよ。それよりも、いい加減教えてよ。何がどうなってんの! いや、もういいから……早く遊びに行こう。ねえ」

 

 不安、焦り、怯え。

 

 そんな様子の彼女に横島は嘆息した。

 彼女は何も知らない。ただ、母親に対して不吉は感じていたのだろう。だから、素直に母の要求に従って、横島と遊んで恐怖と鬱屈を振り払おうとした。彼の陽気を浴びるのを楽しもうとした。

 その横島が、この家族を崩壊させる使者になるともしらずに。

 

 横島の手がスフィレの頭に乗せられた。普通なら嫌がるだろうが、スフィレは目を細めて愛撫を受ける。その手がいたわりの温もりを持っているのを感じたからだ。

 スフィレは幸せな気分のまま目を閉じて、そのまま眠りについた。頭には『眠』の文字が刻まれた文珠が輝きを放っていた。

 

「せめていい夢を見てくれよ」

 

『よけいな事を。間違いなくこれから戦いになるだろうに、無駄に文珠を使うとは』

 

「うっさい。致命的って程じゃないだろうし、俺がやりたかったんだよ」

 

『ならよい』

 

 そこからの仔細は省く。

 少し未来の話をすれば、ラキオスは1名のスピリットを新たに獲得した。ただし、彼女は戦力にならないと判断され、表に出ることはないだろう。

 同時期に、一人の薬師が病死。薬師の一人娘は城から仕事を紹介されて別の町に引っ越した。できれば良い職場を、という横島の口添えがあったらしい。

 一つの家庭にとっては大きな凶事だが、大きな歴史の渦中にあるラキオスや横島にとってはたわいのない小事である。

 

 ラキオスという国家に対し重要なのはここからだ。

 エスペリアとウルカの姿がラキオスから消えた。

 レスティーナ女王はすぐさま悠人と横島を城に呼び、敵への対策を講じることとなる。

 

 

 

 

 紙と実験器具と酒。

 それらに埋もれたヨーティアの研究室に彼らはいた。

 レスティーナ、悠人、横島、ヨーティア、イオ。

 

 様々な戦略戦術を決めるいつものメンバーだ。

 

「早く始めるぞ!」

 

 焦りを隠そうともせず悠人が音頭を取る。

 エスペリアとウルカの誘拐が、どうしようもなく悠人を焦燥させていた。アセリアとそういう関係になってから、二人とはギクシャクした関係になっていたのだ。

 今回の誘拐には、自分にも責任がある事を悠人は感じていたのである。

 

 会議の内容は言うまでもなくエスペリアとウルカの探索と、その原因であるソーマの排除。

 二人の探索ついては、まず横島が動いた。もはや霊能とは無関係とすら言われた万能霊具である文珠を使用していく。

 

 『探』

 

 『探』『知』

 

 『妖』『精』『探』『知』

 

 『献』『身』『之』『妖』『精』『探』『知』

 

 『冥』『加』『之』『黒』『妖』『精』『引』『寄』

 

 文珠は光り輝くだけで、何の効果も発揮しない。

 そこで文珠を追加して発動していく。だがいくら文珠を追加しても、奇跡の珠は宙に浮いて光を放つだけ。

 

 『薄』『幸』『魅』『惑』『巨』『乳』『召』『使』『妖』『精』『探』『知』

 

 エスペリアの特徴を文珠でつなぎ合わせて発動させようとするが、やはり発動しなかった。

 より正確に言うのなら、発動条件は満たしているが発動していない。

 制御に失敗しているわけではなかった。12個程度の連結なら問題なくできる。身体のマナ化により霊力は何倍にも上昇し、さらに永遠神剣の力と連動するために2年間修練を重ねてきた。

 横島の霊力と制御能力は超人レベルにまで到達しているのだ。

 

 『天』『然』『銀』『髪』『褐』『色』『武』『士』『妖』『精』『現』『在』『地』

 

 今持っている全ての文珠を使用したが、やはり何の効果も発揮しなかった。

 

「文珠は無理か」

 

 淡々と横島は言った。そこに落胆はない。

 『やっぱり』という思いがあったからだ。大体、ソーマの探索で文珠を使用したこともあるのだ。その時も同じような状況になった。

 文珠は探索に使えないのか。いや、本来ならそうではない。全ては『黒幕』のせいだと横島は理解している。

 それを理解しているのは横島のみ。希望を裏切られた悠人は思わず舌打ちしてしまう。

 

「お前の文珠って肝心な所で役に立たないな」

 

「ユート。言葉を選びなさい」

 

「……悪い、横島」

 

 焦りと苛立ちで口が悪くなった悠人をレスティーナがたしなめる。悠人もすぐ頭を下げて謝った。

 横島は特に反論しなかった。肝心な時に使えなくなる。その通りだと思った。特にスピリットの精神や生存に関わるとそれが顕著になる。

 ふと、昔やったゲームを思い出していた。そのゲームでダンジョンに潜っているのだが、脱出の魔法を使っても何故か不思議な力でかき消されてしまうのだ。一体どうしたのかと疑問に思いながら入り口まで行くと、そこには強制イベントが待ち構えていた。

 ゲーム製作者が想定していた道筋を外れる行動は制限されてしまうのだろう。

 

 ――――きちんと道筋は守ってもらいますわ。

 

 ――――自由度の低いゲームは嫌われるぞ。

 

 ――――仕方がありません。貴方の能力はシステムを無視した反則そのものですから。

 

 鍵が必要な扉を叩き壊して進んだらゲームの道筋が壊れてしまう、という次元が違う上から目線の答えが返ってきたような気がした。

 

 心の底から腹が立つ。

 そもそも、この神様気取りの黒幕さえいなければ、永遠神剣なんていう危険物に頼らなくてもハッピーエンドを達成できたはずなのだ。GS美神流を世界に叩きこめば、ラキオスの勝利とスピリットの解放だって出来たはずなのだ。それが出来ないのは運否天賦すら操ってくる黒幕の所為だ。

 霊力だとか、文珠云々ではなく、自分達元来の長所を徹底的に封じ込もうとしてくる。最低最悪の敵。

 

 しかしだ。無理やりにでも決められた道を通らせようとするのなら、それは利用できる。

 

「俺とこいつなら二人だけでもソーマを見つけられそうっすね」

 

「どういう意味ですか?」

 

「前に言ってた黒幕の存在っすよ。アイツらの底意地の悪い性格を考えれば、きっと俺達の目の前でイベントを起こそうって魂胆に決まってる。

 でも、全員で動いたら結果の決まった戦いになっちまう。だったら俺とこいつだけならきっとエスペリアさん達の所にいけるはず!」

 

 黒幕達の趣味嗜好を読んだ横島の一手。上位者に媚びへつらうことができる横島らしい手だが、レスティーナは首を傾げて怪訝な顔で言った。

 

「黒幕とは……何を言っているのです?」

 

「へっ?」

 

 ハイぺリアへの世界移動の時などに、この世界を操る黒幕の存在は説明していたはずだ。

 その後にメドーサモドキが表れて捕虜を惨殺したことになって、オルファリルと黒幕の記憶を失って、また説明した。そして今、またもや記憶を失った。正確に言えば世界そのものが書き換えられた。

 今回も知らぬ間に世界が書き換えられていたらしい。

 

「ま、またかよ。いくら何でもズルすぎだろ! これこそチートだろうが」

 

 ――――とんでもない、チートどころか、これこそが仕様なんですの。

 

 ――――こんなアホな仕様で納得できるか!

 

 ――――まったくですわ。早く一緒にこんな仕組みを壊しましょう。うふふ。

 

 もの凄く上機嫌な幼女の声に、横島はうすら寒いものを感じて頭を振る。悪意と好意の入り混じった幼女の声が、ただひたすらにおぞましい。

 悠人達はいきなり百面相を始めてブツブツと言い出した横島をいぶかしげに見たが、ただ一人、ヨーティアだけが頷いていた。

 

「あんたの表情……そうか。想定はしていたけど、黒幕は記憶……というよりも世界を操作できるのかい。対策を考えようとすると、対策を考えていない状況に戻されちまう。参ったね。このセリフも何度も言っている可能性があるのか」

 

「あーそういや、確かにメドーサモドキを倒した時に同じこと言ってたっすね」

 

「は……ははは、そうかい」

 

 天才ヨーティアはあっさりと真実を見抜いた。元々、そういう可能性を疑っていた彼女だからこそだろう。

 だが、そんな天才でも顔色は悪い。

 記憶を失うだけなら紙にでも書いておけばいいが、世界そのものが変わってしまうのだ。対応策などありはしない。

 特に最悪なのは、自分自身が書き換えられていることだ。過去の自分と今の自分は、地続きになっていない。これは死に近しいものではなかろうか?

 

「ふむ、だがヨコシマだけは記憶を失わない……鍵はやはり霊力か。とするなら、霊力そのものを文字にして固定化できれば黒幕に対応できるか……いやしかし」

 

「まさか……ですがそれならこの世界の現状も納得できますが」

 

 ヨーティアとレスティーナが横島の言葉で色々と閃くが、悠人が机を叩いて黙らせる。

 

「話が脱線しているぞ。横島。どうすればいい」

 

「俺とお前でソーマをぶっ殺して、エスペリアさんとウルカさんを助ける。そしてソーマに囚われていた他のスピリットは俺がいただくのだ!」

 

 軽口のように横島は言ったが、その目はソーマ殺害に燃えている。『天秤』もぎらと刀身を輝かせて復讐の時を待っていた。悠人は憤怒の表情のまま、『求め』を強く握りしめた。彼も家族を害そうとする者に容赦はない。

 

 こうして横島と悠人はセットでエスペリア達の探索に出発した。

 勿論、他のスピリットや他のエトランジェ組も手分けして探索に向かう。

 

 そうして日も落ちたころ。

 果たして、横島と悠人はソーマを見つけた。

 ただ勘に従って首都ラキオスを少し南下して、道を外れた薄気味悪い森の中を探索中にばったりと遭遇したのだ。

 互いに神剣反応を隠しながらだったため、完全な遭遇戦となってしまう。

 

「ば、バカな! いくらなんでも早すぎる……どうしてここが!?」

 

 そう驚くソーマの傍らには、二人のスピリットがいた。エスペリアとウルカだ。

 ウルカは外套を脱がされレオタードのみ。エスペリアはメイド服を半分脱がされていたが、それぐらいだ。今まさに事を起こそうとした所、乱入されたのだろう。彼女達の目は虚ろだが、少なくとも貞操は無事のようだ。

 

 突然の遭遇に場が僅かに硬直していた。その状況下で誰よりも早く動いたのはソーマのブラックスピリット達だ。横島の顔が見えた瞬間、彼女達は神剣を手に取って動いていた。

 ソーマの指示も何も聞かずに、何かを空に向かって投げつける。月明りで照らされた『それ』を見た横島は大慌てで飛びつき、優しく抱きとめた。

 

 可愛いブラックスピリットだ。まだまだあどけない少女である。

 優しく抱えると同時に、ソーマズフェアリーが襲い掛かってくる。全てブラックスピリットだ。

 

 敵の計略を横島は見抜いた。

 

「悠人! 少し時間を稼いどけ!! すぐ戻る!」

 

 それだけ言って、横島は森へと駆けだした。6人のブラックスピリット達が後を追っていく。残されたのは悠人とエスペリアとウルカ。後はブラックスピリットを除くソーマのスピリット達。当然、スピリット達は悠人に神剣を向けてくる。

 

 もしも横島がいなかったら、皆殺し以外の選択肢はなかっただろう。

 だが、横島は時間を稼げと言った。ならば、友を信じて行動するのみ。

 攻撃はしない。誰も殺さない。彼女達はエスペリアとウルカの仲間なのだから。

 

 耐えて耐えて耐え続け、ハッピーエンドを目指すのだ。

 

「エスペリア、ウルカ、もう少しの辛抱だ。きっと大丈夫だからな!」

 

 

 

 

 

 

 ブラックスピリットの少女を無理やりお姫様抱っこしながら、追撃を振り切るように走り続ける。

 全速力ではない。その気になれば雷だって振り切れるが、そんな力を出したら少女の体がはじけ飛んでしまう。少女の周囲に障壁を張って保護し、体に負担を掛けない速度で走るしかなかった。これでは追っ手を振り切るのは難しいだろう。

 少女の歳は12,3ぐらいか。ネリー達よりも年下だ。どんぐり眼が星のように輝いて横島を見つめていた。

 

「もう、来るのが遅いよう」

 

「悪い悪い。道が混んでてな」

 

 少女は口を尖らせて文句を言う。横島は軽く言葉を返す。

 本当に遅刻してきた友達に軽く怒ったような感じだ。

 

 普通である。普通過ぎる反応だ。

 それが、怖い。少女の有様は、決して普通ではないからだ。

 

 まず、四肢が切り落とされている。手首から先がない。膝から先がない。全裸でボロの一つすら纏っていなかった。

 全身には無数の傷跡があった。これは傷を受け、しばらく放置された後に回復魔法をかけられた特有のものだ。腹や女性器周りは特にひどい。顔だけが奇妙に思えるほど奇麗だった。

 

(殺してやる)

 

 心がソーマへの殺意で塗りつぶされていくが、頭ではとある疑問を考えることができた。

 貴重な戦力であるスピリットに、どうして虐待を加えたのか。そも流浪であったソーマが、同行者の手足を切り落とすなど愚挙の極みである。変態共の売り物にするにも傷物にしては価値が下がってしまうだろう。

 その疑問に対して、横島はある答えを出していたが、認めたいものではなかった。『天秤』が目をそらすな、というように淡々と言葉に出す。

 

『完全に我ら対策だな。お前の精神をかき乱し……この状況を生み出すためだ。今更だとは思うが、自分のせいでこのスピリットが酷い目に合った、などと子供じみた考えは起こすなよ』

 

 いい加減にしろと叫びたかった。

 こんな可愛い女の子達が生まれてくる世界に呼び出されて、どうしてこんな光景を見せ続けられなければならないのか。

 早くエログロダークファンタジーなどというジャンルをバカエロライトファンタジーに変更しなければならない。

 

「よしよし、早くギャグの世界に連れて行ってやるからな!」

 

「え~」

 

「え~いわない。俺が来たからにはギャグ化が当たり前なんだぞ」

 

 横島は見事に殺意を制御しきってアホな事を言った。それが出来た要因は二つ。

 予想と経験だ。

 自分の弱点を横島は理解している。その弱点を敵が知っているのも理解している。悪辣な敵が狙ってくるのは、まず間違いなくスピリットを利用して自分の判断力を奪う事であると覚悟はしていた。この最悪は、予想の範疇だ。

 経験については何度かあるし、つい半日前にも酷いものをみたばかりだ。こんな光景を慣れるなどあってはならないが、それでも『またか』というくそったれな達観が冷静さを作り出してくれた。

 

 敵の次なる一手を予想する。追っ手が全員ブラックスピリットという点から予想は簡単だった。

 ブラックスピリット達は命を対価に敵を消滅させる凶悪な神剣魔法を放つことができる。それぐらいしか今の横島を倒せる魔法はない。だが、その魔法は動きを止めなければそうそう当たるものではない。

 その動きを止める策が、いま抱きかかえている娘だ。

 

 抱きしめながら動いているせいで機動力を相当に削がれてしまっている。それだけではない。

 今こうして少しだけ笑顔を取り戻したこの娘が、いきなり豹変して襲い掛かってくるか、あるいは自傷する。その可能性が極めて高い。そこで狼狽えさせて足を止めようという策だろう。

 

 対処は簡単だ。

 狼狽えなければよい。それだけである。

 冷静でさえあれば、何が起きても対処できるだけの力は持っているのだ。

 

 この少女が襲い掛かってきたとしても神剣を持っていない以上、どう動こうと脅威は無い。

 そもそも、四肢がないのだ。攻撃しようもない。となれば、舌を噛み切るなどの自傷行為、もしくは遅延式の毒物が一番可能性が高いか。

 

「がっ……ふぅ」

 

 そんな事を考えていたらスピリットが嫌な咳をした。血煙を吐いて、それが金色の霧に変わっていく。

 

 怪我や毒だろうか。いや、それ以前にかなり体が弱っているように見える。病気かもしれない。障壁で衝撃波等から防護しているが、それでも森の中を高速で移動しているのだ。負担は相当なものだろう。

 

 まずはこの娘を回復させる。次に眠らせるなどして動けなくしたら、見つからないように隠す。そうしたら追いかけてきているブラックスピリットを振り切って逃げる。後はソーマの元へ戻り、奴を操ってスピリットへの命令を取り除いてから殺害する。

 これで誰も死なない最良の結果が得られるはずだ。

 難易度は高いが、シロを倒して相当レベルが上がった今なら不可能ではない。

 

 ここまでの横島の判断は9割当たっていた。

 だが、1割は読み切れなかった。

 

 ソーマの智謀は横島の上をいった。

 いや、智謀というよりも悪意と言ったほうが正しいか。

 

「復活せよ、美少女! ディザイア!」

 

 横島の回復魔法が発動する。

 回転する灰色の魔方陣から生まれた白光がスピリットに降りかかった。

 

 ぶず。

 ずぶ。

 

 少女の腹から何かが飛び出す。

 横島の腹には何かが飛び込む。

 

「かはっ」

「がはっ」

 

 少女が血を吐いた。

 横島も血を吐いた。

 

 何が起こったのか分からなかった。いきなり腹部に灼熱が走って、口内に血の味が広がった。視線を下げると、神剣が思い切り腹に突き刺さっている。

 いったい、この刀はどこから現れたのか。目で神剣の出所を追って驚愕する。

 

 少女の腹から神剣が飛び出ていた。

 凄惨で異様な光景に横島は身動きができないが、少女は腹から神剣を飛び出させたまま、背中に真っ白な羽を作り出して彼を包み込んだ。ズブズブと腹に神剣が埋まっていき、ついに貫通。背中から刀が突き出てくる。

 その有様は二つの肉団子に串が刺さっているかのようだ。『天秤』は悲鳴のような驚愕の声を上げる。

 

『馬鹿な! 神剣を砕いて体に埋め込んでいたというのか!?』

 

 物理的には不可能ではない。

 神剣は生きている。契約者の成長により神剣も大きくなる。欠けたり砕かれても、よっぽどでなければ時間や魔法で再生できる。砕けた神剣を体内に仕込み、角度を調節し回復魔法をかければ、腹から神剣が飛び出るスピリットの完成だ。

 しかもである。

 この少女は自分の腹を神剣が突き破った瞬間に神剣の力を引き出し、内臓で神剣を押して横島を貫いた。やりなれた剣の型を繰り返すかのように自然な動作だった。

 

 この少女が普段どれだけの地獄にいたのか。

 横島は口から血を吐きだしながらも、ニコニコと笑顔を浮かべる少女を前に言葉がない。

 

「意味わかんねえんだよ」

 

 それだけ言うのが精いっぱいだ。悲劇を喜劇に塗り替えるのが横島という男だが、少女の悲劇はもう終わってしまっていたのだ。

 

 この世界の人間はスピリットにとても酷い事が出来る。

 横島はそれを知っていた。

 知っては、いた。

 

 しかし理解は出来ず、ゆえに具体的な想像ができなかった。それが、この事態を招いた。

 想定外だった、というのは無能と怠惰の言い訳だ。しかしだ。この横島というあっけらかんとした煩悩男に、このような非道の極致を具体的に想像しろ、というのは酷であろう。

 

「あ……はぁ。つながっだね。これで、ずっど、いっじょ」

 

 口から血を吹きこばしながらも、天使のような笑顔を浮かべる少女。

 安心したような笑みだった。迷子になった子どもが、ようやく親をみつけた時のような安らぎと安寧がそこにあった。

 

 だが、安らぎに満ちた顔はすぐに消えた。

 次に現れた表情は、希望と熱意。幸せになろうと努力する人の顔。

 その表情はキラキラと輝き、ただひたすら真っすぐだ。

 

「今度は、迷子に、ならないから」

 

 意味の分からない言葉を呟きながら、少女は神剣魔法の構築を開始する。

 余裕がないのか無詠唱だが、周囲に展開する魔方陣から読み取れる術式は予想の通り、横島を殺しうる唯一のもの。

 

『いかん、横島! 早く殺せ……いや、私と代われ!!』

 

 もはや少女を殺す以外に自分達が助かる術がないと判断した『天秤』は横島の精神に全力で干渉した。

 圧倒的な苦痛が横島を襲う。だが、横島の精神はびくともしない。

 

(この男の精神の強さは訳が分からん……いや、今なら分かるが。しかし)

 

 横島の脳と魂は少女の生存に燃えていた。全身を駆け巡る痛みなど気にすらしていなかった。

 可愛い女の子の為にこそ、横島は最大のパフォーマンスを発揮する。それは知能、身体、霊能、神剣、天運、全てに通ずる横島の基本にして奥義だ。

 だが、知能も身体も神剣も、少女を助け出す力にはならない。霊能の極致たる文珠も『天秤』に封じられている。

 GS特有の強運も期待できない。ある意味、それこそが最悪の敵であるのだから。

 

 破滅が迫る中、少女は頬を上気させ、幸せを感じていた。

 横島がどれだけ自分を愛しているのか、彼の表情と言動で十分に理解できた。

 その愛に応えなければならない。その方法は教わっている。

 

私を全部あげるね(サクリファイス)

 

 少女と横島は、黒い闇に飲まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、悠人達の戦いも続いていた。

 悠人は集団に一方的に打ちのめされていたが、気を取り戻したエスペリアとウルカが加わり、三人で必死の防戦中だ。

 今の三人なら、ソーマのスピリット達――――かつての部下と姉達を全員倒すことができただろう。しかし三人は攻撃には移らない。

 

「マナよ、俺達の抵抗するための力を! レェジストッ!」

「緑のマナよ、我らに加護を! ガイアブレス!」

「軽々しく力を振えると思うな。ウィークン!」

 

 悠人は魔法の障壁と補助魔法。

 エスペリアは物理障壁と回復。

 ウルカは反射と妨害魔法。

 

 炎と剣戟の嵐を、三人は巧みにロールを切り替えて対応していた。

 必死の交戦の最中、横島とブラックスピリットの神剣反応が全て消えている事に三人は気づいている。

 

 彼らがどうなったのか。考えられる結果は2つ。

 

 横島が全員を殺し、あるいは無力化して、今は神剣反応を消してこちらに向かっている。

 あるいは、横島とスピリットの相打ち。

 

 もし相打ちなら、ここで耐える意味はない。

 

「大丈夫だ。横島はきっと来る!」

 

 悠人は力強く言い切った。ならばエスペリアもウルカも信じるだけだ。

 その情報は少し遅れて、ソーマのスピリットも察知したらしい。

 

「敵エトランジェとブラックスピリットの全神剣反応が消失しました」

 

「ふ、ふふ。そうですか。やれやれ」

 

 ソーマは安堵の息を漏らす。世界で最強かつ、自身の最も殺意を持つ者がいなくなったのだ。ようやく枕を高くして寝られると、ソーマは満足そうだ。

 

「あいつがこんな所でやられるかよ」

 

 当然のように悠人は言い切る。

 エスペリアもウルカはこんな時だが横島に嫉妬した。

 ここまで悠人に信じてもらえるのが羨ましい。

 

「そうですねえ。あの男なら、確かに不可能を可能にするかもしれません……ふふ」

 

 小馬鹿にするようにソーマは悠人の言葉を肯定する。ソーマの立場からすれば、ここで悠人達が良き結末を諦めて戦いを挑んでこられた方が困るからだ。

 希望を抱きながらサンドバックになって力尽きる。それが理想だ。エスペリアとウルカの目の前で悠人を残酷に殺せば、今度こそ二人を壊せるはずだ。

 

「我が妖精達よ、聞きなさい!」

 

 より苛烈な攻撃を与えようとソーマは次なる命令を下そうとする。

 

「私が下した命令の全てを無効とします……んんっ!?」

 

 思っていたのと違う言葉が出た。

 少し考えれば明らかに異常な命令だと分かるのに、精神を喪失しているスピリットには理解できない。

 護衛のグリーンスピリットがソーマを守っていた障壁を解除する。他のスピリットも神剣を下げ、加護を解いてしまう。

 

 声帯が自分のものではなくなったような感覚にソーマが戸惑っていると、いきなり視界がずれる。

 月が見えた。視界の端に首のない男の姿が映る。首のない男から赤い噴水が吹き上がって頬に落ちてきた。ぬるぬるしている。

 

 いったい何が。

 

 それがソーマの最後の思考。

 痛みも恐怖も理解もない。

 

 ソーマ・ル・ソーマは首が落ちて死んだ。

 

「いったい……何が?」

 

「まあ、答えは一つだろ。横島、無事だったか」

 

 エスペリアの疑問の声に、悠人はふうっと息を吐きながら答えた。

 すると、暗がりから横島が現れた。ソーマの死体の前で立ち止まり、奴の髪を持って持ち上げる。血が手についたが気にせず、首検分をするかのようにじっくりと眺めた。

 それがソーマ本人だと確信すると、最後に柔らかい微笑を浮かべ、

 

「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 

 長い長い長い息を吐きだした。

 ソーマを殺した横島の心に去来したものは、ただひたすらの安堵だった。

 人殺しの嫌悪や興奮、達成感や虚無感。そんな良くある感傷を全て吹き飛ばすほどに、死んでくれて良かったと安堵するしかない巨悪だった。

 この男の思想と調教技術は、横島やレスティーナが目指す未来にとって正に災厄そのもの。

 人の死でここまで安らげるとは思いもしなかった。

 

 ちなみに、ソーマを殺した一連の流れはこうである。

 『転』『移』の文珠で『操』の文珠を、グリーンスピリットが展開する障壁の内側に飛ばしたのだ。霊力の流れを神剣使いは感じ取れないから完全な奇襲となる。

 後は『操』の文珠でソーマ自身に命令を解除させて、障壁が消えた瞬間にミクロン単位まで細くしたサイキックソーサーでソーマの首を切り落とした。

 

 ソーマの死体から目を離し、ここでようやく悠人達を見た。

 エスペリアとウルカの姿を確認して、横島は頭を下げる。

 

「エスペリアさん、ウルカさん。すいません。助けられませんでした」

 

「そう……ですか」

 

 エスペリアはそれだけ言った。他に何を言ったらいいのか分からなかった。

 色々な想いで胸が一杯になる。ここで横島に対して『気にしなくても良い』と言うのは違う。当然、恨み言など論外。

 何を言っても横島が苦しむのが分かる。だから、何も言えない。

 

 僅かな沈黙の後、横島が少し明るめに声を出した。

 

「おい、悠人。気が利かん奴だな。眼福だけどよ」

 

 言われて、悠人は気づく。エスペリアのメイド服ははだけたままだし、ウルカのレオタードは汗で少し透けている。

 エスペリアは慌てて服装を正し、レオタードのみのウルカには、悠人が自身の上着を羽織らせた。

 

「ごめんなさい、ユート様。ごめんなさい!」

「まことに迷惑を掛けました。お詫びのしようもありませぬ」

「謝るのは俺の方だ。二人が苦しんでいるのを知っていたのに俺ばかり浮かれて」

「そんな事はありません。私が汚れて汚いから」

「手前は愚かで、どうしようもない存在です」

 

 自虐に苛まれ、今にも消え入りそうな二人を、悠人は強く抱きしめた。

 

 悠人とエスペリアとウルカ。

 三人は抱き合う。苦しみも悲しみも、三人で分け合おうとするように、一つの塊のようになって。

 

 三人の周りには、エスペリアの姉達とウルカの部下だったスピリット達もいる。

 心を失い神剣に囚われているために無表情だ。しかし、それでも、どこか喜んでいるように見えたのは横島の感傷ゆえか。

 

『貧乏くじを引かされたな』

 

 『天秤』は彼らの抱擁を見て舌打ちした。

 

 エスペリアもウルカも無理やり連れ去られたのではなく、自らソーマの元へ出向いた節がある。彼女らにも事情があったのは知っている。家族を、部下を、敵に回したのは非常に辛かったであろう。

 どうやらそれだけではない因縁があったらしいが、それは悠人は知っていても横島は知らない。彼らの物語に一つの区切りがついたのはめでたいが、正直、巻き込まれた感がある。

 

『今回の殊勲が横島であるのは間違いないというのに』

 

 礼の一つもよこさない悠人達を『天秤』は罵った。

 

 しかし、それら罵りは彼らに向けたものというよりも、横島に聞かせるためのものだ。

 少しでも横島の精神を外へ向けさせるため。つまり『俺は悪くない』と横島に思わせるための悪態だ。

 

(いや、真に悪いのは私だ)

 

 文珠を徹底的に封じ込めている張本人である『天秤』は、胸もないのに胸の痛みを覚えた。

 ロウであることに苦痛を覚え始めている。

 

 愛した少女の命を無駄にしない為。神剣世界の為。

 

 念仏のように唱えるが、使命感に燃えていた当初のような気概は既にない。上司に褒めてもらうのも、どこか空虚に感じ、むしろ反発したくなることが増えた。

 

『横島、お前は本当によくやっている……すまない』

 

 罪悪感たっぷりに『天秤』は横島に詫びる。

 

 そんな『天秤』の言葉を、横島はまるで聞いていなかった。

 その目は悠人が抱きしめる二人の女性に釘付けだ。より正確に言うのなら、女を抱きしめる悠人の手をじぃと凝視している。

 

 悠人は女を殺さずに戦いを終え、女を手にした。

 

 じゃあ、俺は。

 

 赤い血に塗れた手を見る。 

 血に染まっているのはどうでもいい。問題は、何も手にしていないことだ。

 結局、俺は誰も助けられなかった。ただ哀れな女の子達を殺しただけだ。

 

『バカな事を考えるな! あれだけの接触だったが、私にはわかったぞ。あのスピリット達は生きていたが、頭も体も魂までもが弄られて、もう『終わって』いた!

 助けようもなかった。死が唯一の救いだった。一緒に死んだ所で彼女らの魂が救われたとは思えん』

 

「理屈なんてどうでもいいんだよ」

 

 大切なのは助けられたか、助けられなかったか。

 

『しっかりしろ。お前は知っているはずだ。世の中にはどうしようもないことがあるのだと。結果論だけで物事を見るな! 悠人は助けられるスピリットと相対した。お前は助けられないスピリット達と相対した。いや、そもそもお前がいなければエスペリアとウルカを除いて誰も助からなかったと――――』

 

 『天秤』の慰めも、そして事実の列挙も、横島の心には届かない。

 先の戦いが、あまりにも強烈な絶望を与えすぎていた。

 

 

 あの時の事を思い出してしまう。

 

 黒い炎を身に纏いつつ縋り付いてくる少女を助けようと、横島は必死に考えた。しかし、どうしようもなかった。ゲームセット後に勝利を目指すような意味のない労力に過ぎない。

 

 どうしようもないまま、そうして魔法は完成し、少女の体は黒い炎に変わり始めた。

 

 この女の子はもう助けられない。

 このままでは自分も死ぬ。

 

 救われない現実を突きつけられた。

 それが決定的になると、横島の意思に関係なく、ただ生存本能が動き出す。

 抱き着いてくる少女の服を掴み、強引に過ぎるほどに引きはがそうとする。当然、腹に突き刺さった神剣が暴れて内臓が傷つけられるが、黒のマナが付与されていないから回復魔法でどうとでもなる。

 

「な……ぎぇ!」

 

 少女の喉から苦しみあえぐ声がこだました。

 その瞳は疑問で一杯だ。子が親の愛情を疑わないように、彼女は横島の愛情を疑ってはいなかった。

 

 混乱した様子だが、それでも絶対に離れまいと、思い切り横島の服にかみついて身を寄せてくる。

 この小さい体のどこにここまでの力があるのだろうか。ありとあらゆる執念がそこには込められていた。

 少女の半身は既に黒い業火に変わり、横島を燃やす寸前まで迫りつつある。

 

 もう無理だ。殺して逃げるしかない。

 生きようとする横島の本能は容赦なく少女を寸断しようとして、ピタリと止まった。

 

 ――――何の罪もない女児を殺せるか。

 

 横島という男の魂が、生存本能を抑えつけた。ここで横島は我に返る。

 もう無我夢中ではない。そんなつもりはなかったと言い訳はできない。横島は己の意思で選ばねばならなかった。

 つまり、殺すか、共に死ぬか。

 

 ――――正しいと思うことをしなさい。

 

 厳しくで業突く張りで、だが優しさと強さが同居したクソ女の声がどこからか聞こえてきたような気がした。

 

 最後は本能ではなく意志の力で『天秤』で少女の背中から脳天まで突き刺した。

 目の前で少女の顔面が砕け、ブラックスピリット達が放った死の魔法は全て回避し、横島は生還した。

 彼女達の魔法は、最後の命そのものは、誰にも届かず、ただ中空を漂い消え去っていった。

 

 ソーマは横島を見誤った。以前、横島の目の前で嬲った少女を見せつけ、さらに部下だった少女の尊厳すら傷つけた。横島は正気を失い襲い掛かってきたが、それでも女を殺す事が出来なかった。

 何があっても女を殺せない男。少なくとも、戦う力がない哀れな女は決して殺せない。

 そう評価するのも無理はない。

 

 真実は、違う。

 魂レベルで女を殺せなくとも、確たる意志で決断し手を汚せる男。それが横島だ。

 そういう男でなければ世界は滅び、蛍の女も横島に惚れなかっただろう。

 

 こうしてソーマは横島に敗北した。

 だが、横島は自身が勝利したとは考えてはいなかった。

 

 思い出す。どうしようもなく思い出してしまう。

 彼女に『天秤』を振り下ろしたときの、あの表情。

 

 絶望してくれれば、まだ良かった。裏切られたと憎んでくれれば、どこかで開き直れた。

 彼女は最後の最後まで横島を信じ、無垢な笑みを浮かべたまま消えていった。

 

 もう、二度と、あの顔を忘れることはできない。

 

 結局、俺は何かを犠牲にすることでしか、何も成し遂げられないのではないか。

 絶望が心に這い寄ってきて、それは違うと思い直す。

 少なくとも、何の犠牲も無くタマモは助けられたのだ。

 俺は、横島忠夫という男は、女を犠牲にして突き進んでいく男ではない。そうではないはずだ。

 

 そんな横島の思考の流れを、『天秤』は恐怖した。

 全ての真実が明らかになる時は近づいている。横島が破滅して、そして新生する時が。

 

 横島は己の頬をパチンと叩いて気合を入れた。

 大至急にやらなければいけないことがある。ここで止まっている場合ではない。

 ソーマという男が残した災厄はまだ終わっていないのだ。

 

 ソーマの首を肩に担ぐ。悠人達は思わず目を丸くした。

 

「あ~少しやる事があるから、しばらく第二詰め所には顔を出せん」

 

「ちょ、ちょっと待て。いきなりなんだ」

 

「聞きたい事があったらレスティーナ様から聞いてくれ。あ、もし雪之丞達が攻めてきたらすぐ戻るから」

 

「おい、待て!」

 

 悠人の静止の声など気にも留めず、横島は去っていった。

 ソーマの首を持って闇に消えていく横島の姿を、悠人は唇を噛みしめて見送る。

 

 詳しくは分からないが、きっと横島の器量を持ってしなければ成せない仕事があるのだろう。しかしそれは、お気楽煩悩男には酷く不似合いな仕事に違いない。

 手伝いたいが、不器用な己ではついていく事すらできない領域だ。

 

 悠人は自身の無力さに歯噛みして、だけどすぐに気を取り直す。

 

 横島が頑張るのなら、俺だって負けないように頑張らなければならない。

 俺がやらねばならない事。

 それは、

 

「帰ろう。俺たちの家に」

 

 悠人は二人の女性と支え合い、ラキオスへと歩き出す。

 両手にはエスペリアとウルカの肩を強く抱いていた。

 逞しい腕の感触にウルカは安心感を覚え、そっと悠人の横顔を見て目を丸くする。

 

 悠人の視線は女達ではなく、暗闇に消えた横島の方を向いていた。

 

 

 

 

「う~ん、妙な視線を感じるんだが……なんか気持ち悪いぞ」

 

 背に降り注ぐ熱い男の視線。それが横島の心身に微妙なダメージを与えていた。

 居心地悪そうに闇夜を駆ける横島だが、そこである事に気づく。

 ほんの僅かだが、ソーマの血が金色に光っている。

 

 これは体がマナでできたスピリットやエトランジェ来訪者の特徴だが、血の全てがマナに変化してはいない。今まで見たことがない反応だ。

 

『この男は恐らくハーフ……いや、クォーターエトランジェだったのだろう』

 

 おそらくは異世界から来た来訪者の孫。

 妙に自己を卑下する性格など、この男も過去に色々とあったのだろう。今更どうでもいいことだが。

 

『それで、何をする気だ』

 

「こいつには協力者がいたはずだ。そいつらをどうにかしないといけねえだろ」

 

 その一人は半日前に捕まえたが、他にも数人はいるはずだ。

 でなければ、エスペリアとウルカを惑わして、ここまで連れてこれるはずがない。

 

 そいつらはソーマが死んだことを悟れば一般人としての生活を続けるのだろう。もしスピリットを所有していたら口封じされる可能性は高い。

 そしてそいつらは何食わぬ顔で表に現れて、スピリット達と接触するだろう。

 ヘリオンの顔が思い浮かんだ。もし、ヘリオンがスピリット趣味の変態共に調教されて壊されたら。

 考えるだけで腹の底からどす黒い気が溢れ、全身に満ちていく。

 

『それはそうだろうが……疲れが溜まっている。一度休んではどうだ』

 

「殺しまくってマナを食ったから体調は万全だぞ」

 

『私が言いたいのはそういう事ではない!』

 

 精神が先走りすぎても碌なことにはならない。

 横島と共に戦い続けた『天秤』はそれをよく知っている。

 そんな『天秤』の不安を、横島も理解したらしい。

 

「少し俺の考えを読んでみろよ」

 

 言われて、『天秤』が思考を読む。

 その内容に思わず噴き出した。

 

『アホか』

 

 実にアホだった。横島らしいといえばらしい。

 だが、『天秤』はアホとは言ったが馬鹿にしたわけではない。むしろ、賞賛だ。

 

「シリアス寄りになるほど弱体化するからな」

 

 横島は陽性の笑顔を浮かべる。周りに人間がいたら、またバカな事を考えているのだと、笑みを浮かべてバカにしただろう。

 『天秤』だけは知っている。今の横島の心情は大雷雨と言ってよいほど荒れている。その最中で快活と笑いを考えられるこの男は、やはり英雄で、どこかで可笑しく、ゆえに最強の神剣使いとなる適性がある。

 

『しかし、本当に第二詰め所を信じていて、愛しているのだな』

 

「そりゃあな。いい加減、男になってやるさ』

 

 言いながら横島はニヤリとバカっぽく笑みを浮かべ、次によく似た、しかし残酷な笑みを浮かべる。

 

「とまあ、そういうわけだ。それに今は無理しても動かないとな。でないと」

 

『第二詰め所に悲劇が降りかかる可能性があるからな」

 

 『天秤』の言葉に横島は頷き、文珠をソーマの頭部に叩き込む。

 

『覗』

 

 ソーマから協力者の記憶を読み込む。

 

 奴らは、クソ変態共は、やはり身近にもいた。

 珍しくスピリットに優しかった商人。愛想のよい小男。上品な貴族令嬢。

 こいつらは何れも公安や諜報部隊、そしてシロの動物によるローラー作戦で調査されてきた連中だ。

 どうやって捜査を逃れたのか。ソーマの記憶によると――――

 

 うっかり。偶然。たまたま。

 

 こいつらは運よく逃れられただけらしい。

 今回の悲劇は運が悪かっただけ――――――

 

「んなわけあるかよ」

 

 分かってはいたが、あまりにも酷すぎる。一斗缶が落ちてきたアシュタロスの気持ちが今分かった。

 とにかく、黒幕連中を倒さなくては話にならない。だが、いくら強くなっても届く気がしなかった。そもそも、ただ強いだけならGS流でどうにかなる。

 この黒幕連中を追い落とすなら、力でも知恵でもなく、【上】に行くしかない。

 上に行く方法は、もうわかっている。

 

「なあ、『天秤』。何となくは理解してんだけどさ、雪之丞の神剣を砕けば、俺らはもの凄く強く……違うか。強くなるっつーか……上に上れるよな」

 

 雪之丞達を倒せば、肉体の強さ、寿命の長さ、特異な能力。それらを得る事ができる。

 何よりも、一つ上の存在になれる。一つ上の視点を身に着けられる。

 

 そうなれば、どうなるか。まだ詳しくは分からない。

 黒幕と対等になれるのだけは分かるが、果たしてどういう代償を払わねばならないのか。

 分からないことだらけだが、分かる事もある。

 

 ヨコシマらしく生きる。

 愛した人との約束に、致命的な悪影響が出るだろう。

 世界の見方が変わり、価値観が崩れてしまうからだ。

 

 正直、怖い。

 だが、もういい。もう無理だ。

 絶望のまま殺してしまった名も知らぬ少女を思い出すと、もう前ではなく、上を向くしかなかった。

 人を越え、エトランジェを越え、その先に。上り詰める、極点に達する。

 

 美神さんとおキヌちゃんの顔が浮かんだ。

 彼女達はどこか悲しい顔をしているようだった。

 

「お仕置きするなら俺の前に出てきてくれよ」

 

 彼女達さえいてくれれば、こんな詰み状態すらも覆せる。

 戦力的には意味がないとか、そんな常識的な考えを一蹴できる。

 三人揃えば、きっと。

 

 ――――だからこそ、絶対に揃わないようにしたんですわ。

 

 声が聞こえる。今まで最低最悪の敵の声だ。

 やはり上り詰めるしかない。

 

「がっはっは! よー分からんが小僧、ワシと一緒にトコロテン脳になるのだー!」

 

「やっぱ上り詰めんのやめよかな」

 

 その先はボケ老人。嫌なリアルだった。

 

「違いますわー! カオスが! 良いところで邪魔するんじゃありません!!」

 

「な、なんじゃーー!?」

 

 幼女が神剣を五月雨の如く飛ばしてドクターカオスを追い払おうとしてる謎映像が脳内に流れる。止めようとした『天秤』がぶっ飛ばされていた。

 シリアスしている人の脳内で勝手に暴れるんじゃねえと、三人に説教する。

 

 しかし、まあ。あれだ。

 

 なんであれ、どうであれ。

 

「俺は好きな女と楽しくエロエロな日々を送れればいいんだよ」

 

 結局は、それが答えだ。

 この先どれだけの喪失と苦難があろうと、それがあればハッピーエンド。

 それでいい。それで十分だ。余人が何と言おうと、エロが横島忠夫の幸せだ。というか、ヨコシマらしく生きて童貞を貫く羽目になったら、そっちの方がバッドエンドである。

 

「だから」

 

 続きの言葉は言わず、横島は闇の中を進んでいった。

 

 




 お待たせして申し訳ありませんでした。

 最低の屑ことソーマはあっさりと退場。横島ハーレムルートだと彼のさらなる屑パワーや設定がもう少し披露できたんですが……ちょっと残念。
 暗い話ですが、皆殺しの選択しかない原作に比べれば遥かにマシ。全員助けられなかった、なんて横島の無念を原作の悠人が聞いたらどんな反応するのやら。

 ここで少し販促を。
 アセリア3とも呼べる悠久のユーフォリアの開発準備が始まっているようです。今度は歌ではなくてゲームです。何気なくyoutubeを見てたら映像が出てきて驚きました。興味ある方は動画をご覧になってください。
 私が二次創作を開始したのは永遠のアセリアを広めたいという意思もあったからなので本当にうれしい。好きな作品が広まって語り合えるっていいですよね。
 詳しい概要はまだまだ不明ですが、良いゲームになってほしい。GS美神も再アニメ化しないのかな。

 次回は短めのドタバタエロ回を予定しています。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。