蒼明記 ~廻り巡る運命の輪~   作:雷電p

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第155話




待ってた

 

 

 ごめんなさい―――

 

 3人を乗せた車の中で申し訳なさそうにいずみは言った。

 講堂にて穂乃果が海未を連れ戻したと同時に、急遽ことりが旅立つことを聞かされた3人。そして、その事情をよく知るはずのことりの母いずみが入ってきて、3人を連れて車を出した。進行先は明らかにされてはいないが、薄々勘付いている様子だ。

 

 そうした中で、いずみはことりの話をし始めた。

 予定が急に変更になったのは、どうやらことりが言い出したらしい。それも数日も前のことだと言う。切羽詰まった様子でせがんできた娘の願いに、親であるいずみは退けることなど出来なかった。彼女はすぐに手続きをとり、ことりが願った通りに一日早く出発できるようにさせた。当然、いずみの胸中は穏やかでは無い。

 またことりは、このことを誰にも話さないようにとも願ったそうだ。多分、別れを告げるのが辛いのだろう、変なところで意地を張る彼女らしい理由なのかもしれないと話を聞く蒼一は考えた。

 

 

「でもどうして、ことりちゃんのお母さんは車を出してくれたんですか?」

 

 率直な問いを穂乃果は投げかけた。

 すると、いずみは何も取りつくろう様子もないままに話をする。

 

「本当は話さないようにって、ことりから言われていたのだけどね。でもやっぱり、あなたたちに何も言わないまま行かせるのは忍びないと思ってね。それにあの子、変なところで我慢しちゃって後悔するところがあるから……」

 

 手際良くハンドルを切りながらも落ち着いた様子。今日まで母親として育ててきたいずみにとって、やはり心配を拭いきれないところがあった。それだから約束を破ってでも何とかしてあげようとする親心が通ってしまうのだ。

 

「確かにな。あいつ、意地を張るところ間違えてることがあるな。なんなら、いずみさんが直接言わないようにと伝えれば済むのではないですか?」

 

 蒼一もまた率直な問いを投げ掛ける。いずみは溜め息のような笑いを吐くと、

 

「それができれば、どんなに楽でしょうね……。でも、子供が決めたことに、親が口を挿むなんてことできないでしょ?」

 

 と悲しげな声を聞かせるのだ。

 その言葉どこか喉元に引っかかり、溶けきらないのがもどかしい。彼女は何を想ってこう話したのか、すべてを理解することはできない。

 だが一方で、蒼一は少し呆れた笑みを浮かばせていた。

 

「いずみさんも相当意地の悪い人だ。直接言えば楽なモノを……。子が子なら、親もまた親ってわけですか……」

「ふふっ、そうかもしれないわね……」

 

 いずみはわずかに頬を緩ませると、アクセルを強く踏んで車を走らせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

 出発時刻まで、あとわずか―――

 

 いずみに見送られながら空港のロビーに滑るように入った3人は辺りを見回した。

 一面雑踏する人ごみだらけ。人の判別が難しいくらいの量でごった返している。夏休みの終わりに近いことから慌ただしくなってしまうのは、当然のことのよう思える。

 けれど、だからと言って、諦められるわけがない。3人は呑み込まれないように一塊りになり、移動しながら探し始めた。

 

 

「ねぇ、ことりちゃんが乗る飛行機って、あとどのくらいで出ちゃうの?!」

「た、確か……あと10分なはずですが……」

 

 正確な時間はいずみから聞かされていた。けれど、混雑する中で時間を見ることは難しい。自分の腕さえもあげる余裕がないので、数テンポ遅れた頃にようやく目を通せるようになる。

 

「……ッ!! た、大変です! もう3分もありませんよ!!」

 

 時刻を確認した海未は、あまりの時間のないことに焦り出す。この声に呼応して足早に歩きだすのだが、急ぐ3人の思惑とは裏腹に思うように進めない。通して欲しいと声をあげても何も変わらず、無理に人込みをかき分けて行くしか手段は無かった。

 刻一刻と進んでいく時間。身体の中で秒針がカチッカチッと脈拍のように刻み立て、焦燥を煽り、思考を狭めていく。手が届きそうなところにまで来ているのに、どうしても届いてくれない。届かない……。荒れる吐息で呼吸し、瞳を滲ませ、足が震える。嫌だいやだと、子供が駄々をこねるかのような心境に陥りつつも身体は止まらなかった。止まってしまえば、それこそ本当に後悔してしまうだろう……、幼馴染の親友2人はそう感じた。

 

「ことりちゃん―――ことりちゃん―――、ことりちゃん、ことりちゃん……!!」

「ことり―――ことり―――、ことり、ことり……!!」

 

 彼女たちは呼び求めた、かけがえのない親友の名前を―――。

 

 決して離れることは無いだろう、そう信じてきた3人。手を繋ぎ合い、抱き合い、語り合い続けた3人だからこの関係が綻ぶことに恐怖を抱く。一度、この関係に亀裂が生じた時、かつてないほどの絶望に打ちひしがれた。ひとりがこんなにも辛いものかと実感したあの日、この関係の尊さに気付いた……はずだった。だが、またしても、考えの差異が苦しめる。

 

 この数日の間に生じた空白の時間が、本当の意味で自分と向き合うモノとなる。

 

 自分に課せられたありもしない責任。

 決めることからの逃避。

 そして―――

 

 彼女たちは、彼女たちなりの答えを探し出す。見つけ出すためのではなく、取り戻すためのものとして。それだから、彼女たちはこの歩みを止めることができないのだ。

 それは一種の使命として―――

 

 

 草木に覆われた未開の森林をかき分ける思いで人込みを進む。いつしかその瞳から、儚げな光を放つ涙が零れ落ち出していた。ドンと込み上がる重たいモノが胸を叩く。

 それは、思い出だ。これまで3人が刻んできた数々の思い出が、走馬灯のようにわっと押し寄せてきたのだ。どれをとっても心が躍り、笑顔零れるようなモノばかりだけが上がってくる。そして、2人の真ん中には、屈託のない満面の笑みを浮かばせる彼女の顔が――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポ――――――ン

 

 

 電子音のベルが出発ロビーに鳴り響く。

 それと同時に、彼らは目的の場所に着いていた。

 

 

 

 

 

 

……だが、

 

 

 

『―――分発の○○行きの便は、ただいまの時間をもちましてゲートを閉じさせていただきます。これより、離陸の準備いたしますので――――』

 

 

 

「う…………そ…………」

「そ、そん……な…………」

 

 

 

 そのアナウンスが、2人の期待を打ち壊した。

 

 

『あぁぁ………ああぁぁぁぁ…………』

 

 悲愴感に満ちた嘆息が落ちる。

 視界がグニャリと歪みだし、眩暈のようにくぐもり彼女たちの身体が落ちていく……。

 

 

「ことり、ちゃん……こと、り……ちゃん………!」

「うぅ……ことり……ぁあ、ことり………!」

 

 肩を落とし、魂が抜け落ちたかのように地べたにへたり込み、悲痛な声をあげる彼女たちからむせるような涙があふれた。あともう少しだけ……ほんの少しだけでも早く来れたのならば、彼女を引き留められたのに……、震える唇から言葉が漏れる。いまとなっては後悔でしかないが、この高まる感情は抑えられない。彼女たちは胸を何度も打つように悔し泣くのだった。

 

 

 ことりが行ってしまったからだ―――

 

 

 何も変えることができなかった……彼女を引き留め、もう一度夢に向かって走って行こうという願いが打ち砕かれた瞬間だった……。

 

 

 ことりが、行ってしまったからだ―――

 

 

 

 せめて……せめて最後に、あの愛らしい姿を一目見たかった……あの甘い声を聞きたかった……。なのに、さよならさえもくれないまま飛び立ってしまった……。

 

 

 

 ことりはもう、ここにはいないからだ―――

 

 

 

 

 彼女たちは、拭っても枯れることのない涙を流し、喉を震わせて泣き続けるのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――こと、り?」

 

 

 その刹那、一閃の光が煌めくような声が抜けた。

 微かな声。ふっ、と吹けばホコリのように飛んでしまいそうな声を、誰かが言うのだ。

 

 その声を、網で捕まえるかのような耳で穂乃果は捉えると、ゆっくりと顔を見上げた。すると、彼女の目の前には天にまで突き刺すかのように大きくそびえ立つ背中をひとつ仰ぎ見る。それは何度も見慣れた姿。彼女が憧れる姿。その姿を眺めていると、思わず身体が前のめりになって近付いた。

 

 

「―――そう……くん……?」

 

 無意識に、穂乃果はその名を口にした。

 どこか遠くを見据えている横顔を一目見た時、思わず言葉が優先して出てしまったのだ。わからない、理由なんてわからない。けど一瞬、心が動かされたのは事実だった。

 

 

 何故なら―――彼は彼女たちとは違って、絶望とする顔をしてなどいなかったからだ。

 

 

 

「―――――っ!!」

「あっ、待って―――!!」

 

 2人が彼を見上げる中、蒼一は身体を反応させ、2人を置いて駆けだした。その一瞬の出来事に驚き止めようと声をかけたが、彼女の言葉が届く前に視界から消えてしまった。

 いかなくちゃ…、何かにかき立たされたみたいに穂乃果は立ち上がる。震える脚にわずかな希望を抱かせるように力を与え、ゆっくりと、着実に前に進もうとしていた。ま、待ってください、傍らで立ち上がる彼女を見て、海未もまた同じく脚に力を与えた。

 まだふらつく2人の足取りは、互いに寄り添い、支えられながら前に進み出した。

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

 終わった……何もかも―――

 

 

 アナウンスを耳にした彼は、心に穴が開いたかのような気持ちになる。大切なあの人を探すために進ませていた足は立ち止まり、ギラリと光らせた瞳もくぐもってしまった。

 無駄に終わってしまった……何も達成させることもできないまま終わってしまった……、と震える手を目一杯の力で握りつぶして悔やんだ。必ずことりを連れ戻すと大言させたその口は、いまでは煮えくり返りそうな内臓を噛み千切りたいほどの強い念がこぼれていた。

 これまで彼が生きてきた中で、最悪の汚点だと自己評価するだろう。啖呵を切ったものの、何もできずに終わってしまった不甲斐無い自分に、ただ後悔するしかなかった。

 

 あまりのショックに、呆然と立ち尽くす―――そんな時だった―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――――――――――――』

 

 

 

 瞬間、彼の時間が止まったかのようだった。周りの人も、モノも、すべてが静止し無音のモノクロ世界に切り替わった。

 

 

 どくん―――

 

 

 胸が、鳴った。

かすかにしか聞こえなかったその音が、無音となった世界の中では太鼓を打ち鳴らすかのように強く、大きく聞こえたのだ。

 

 これは、俺の、なのか――?

 不意に聞こえた心音に、自分のに手を添えた。

 

 

 どくん―――

 

 

 手に振動が届く。自分のだ、と安心させる。

 

 が、不思議なことに、それとは別に聞こえてくるのだ。とても小さく、遠くから鳴っているような……でも見えない。けれど、確かにそこにあると、音が鳴る方に顔を向けた。

 モノクロの人込みたち。色のないものたちを目にすることは、あまりいい気持ちではない。しかし、それらがあるその先に何かがあると信じて目を凝らす。

 するとどうだ、何か光っているようなモノが見えるではないか。真っ白な白熱灯やLEDライトのようなモノではなく、あたたかな太陽に似た光が煌々と照らしているではないか。彼は思わず息を呑み、目を凝らした。聞き耳も立てた。

 

 そんな時だった―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そうくん

 

 

 

 

 

 それはとても小さく、でも彼がよく知る声が耳に届いたのだ。

 

 

 

「―――こと、り?」

 

 無意識に、言葉を発していた。

 ありえるはずがない。ことりはついさっき出て行ってしまったと、彼は思うのだが、この耳に入ってきた言葉はなんなのか。幻聴なのかと、自問させるが答えは出ない。

 だが、ハッキリと言えることがただひとつあった―――

 

 

 ことりが、俺を呼んでいる―――

 

 

 彼にとって、これ以上の理由はいらなかった。

 すぐに身体を反応させ、一目散に前に進み出た。このモノクロの世界の中で、唯一、色彩ある光を見せるそれに向かい駆けだしていた。引かれている……いや、繋がっているのだ。心と心に結ばれた一筋の線を辿るかのように彼はつき進んでいる。

 

 どくん―――

 

 また鳴った。

 今度は共鳴した。

 自分のと、目の前から聞こえるその音が同じ波長で響いたのだ。

 

 それがどれだけ心地良いモノなのか、彼はよく知っていた。彼と、彼女にしか分からない、秘密の調和なのだ。

 

 

 そこに、いるんだな―――

 

 彼は確信させた。そして、力の限りをもって突き進むと、開かれた場所に躍り出た。すると、目の前に美しいモノを見たのだ。

 

 

 そよ風に揺られる羽のような髪。

 光に照らされ純白に輝いて見える精錬された美。

 そして、独特な甘味な香りが離れていても鼻孔を通っていく。

 

 

 あぁ…どうしてお前は、そこに立っているんだ―――

 

 問いかけるような言葉を胸の内で唱えると、ゆっくりと近付き止まる。

 ふと、近付く彼に気が付いたのか、おもむろに身体を振り向かせた。

 

 彼はそれを見て、わずかに瞬きして、もう一度見たのだ。見間違えることは無かった。どこをどう見ても、その姿は、彼のことを誰よりも愛していると、初めて口にした彼女に間違いなかった。

 

 

 

「ことり―――」

 

 彼はジッと見つめながら言う。それを聞くと、彼女は口を開こうとするが声を出さずに唇を震わせた。その唇は彼の名を呼びたがっていた。だが、躊躇してしまう。いまの自分を省みて、口に出来るのだろうかと悶々とする。でも、悩めば悩むほど彼女は彼を求める。何故なら、彼女にとって彼はそういう存在なのだから。彼女の心はすでに、彼の虜となっていたのだから退けることなんてできなかった。

 

 

 ギュッと一度唇を結ぶと、息を吸ってからようやくもう一度口を開いた。

 

 

 

「そう……くん………」

 

 

 やっと、言えた―――

 悲しそうに、でも嬉しそうな表情で彼女は口にした。

 ずっと言えないまま心に仕舞い込んでいたその名を、ようやく彼に伝えることができたのだ。心の内で留まっていたモノがようやくとれた、そんな心地だった。

 

 

「ことり……」

 

 蒼一はゆっくりと近付き、ことりの前に立った。見降ろした彼女は、いまにも泣きだしそうな様子で小さく身体を震わせていた。

 

「あ……あの、ね……わたし………」

 

 震える唇から紡がれる。

 

「私ね……行こうと思ってた……。向こうに行ったら諦められるかなって思って……。いまからなんて、絶対みんなに迷惑かけちゃから……その方がいいと思ってた……。でも……いざ行こうとしたら、どうしても身体が動かなくって………」

 

 煌めく瞳から涙が溢れ、零れ落ちる。

 

「でも……みんなに衣装を見せた時のみんなの顔が……みんなと過ごした楽しかった時間が……蒼くんのことが……頭から離れられ……なくっ……て………」

 

 たどたどしく紡がれた言葉が涙でにじみだした。鼻を啜りながら涙ぐむ彼女の喉は震え、視界も濡れて見えにくくなるほどに泣いた。

 ことりの脳裏には、これまでの記憶が走馬灯のように蘇った。それも、彼女が出発しようとした瞬間に、だ。誰かの悪戯としか言いようのないタイミングの悪さ。けれど、それが彼女を引きとめる理由となった。

 

 忘れられなかった。

 いや、忘れることなど出来なかったのだ。

 口ではこう、すべてを諦めたかのように言うが、心のどこかでは諦めきれなかった。夢のためだと自分に言い聞かせてもダメなのだ、消えるわけもない。心が許さなかったのだ。彼女の心はすでに彼と、そして彼女たちと共にあったからだ。

 

 

 そんな時だ。彼は、彼女の頭に手をのせると、何も言わずにゆっくり撫で始めた。ことりは始め、彼が手を伸ばしてきたことに身体をビクつかせたのだが、撫でられてからは大人しくなる。

 

 

「……まったく……お前と言うヤツは……」

 

 呆れたような言葉を口にしながら頭を撫でる彼を見上げた。そこにはやんわりと微笑む顔がある。やさしい瞳が彼女を包み込むようなあたたかさを含んでいた。ことりは意外そうな表情を彼に返した。

 てっきり、彼から怒号を受けるものだと思っていた。当然だろう。彼女はμ’sを抜け、なおかつ海外留学にいくことをずっと隠していたのだから。けれど、まず初めに彼からもたらされたのは、温もりある手だった。大好きな彼の手で撫でられることは、彼女にとっての至福だった。同時に、撫でることにはもうひとつの意味が含まれていた。

 

 彼は言った。

 

「急にいなくなるだなんて……しかも俺に何の断りも入れずになんてなぁ……」

「うぅ……ごめんなさい……」

「ことり、お前は……俺のことが嫌いになったか?」

「そんなっ!! そんなことないよ!!」

「だったらどうして相談しない? どうして俺の前から勝手にいなくなる?」

「………っ!! そ、それは……」

 

 自分の存在意義が見出せなくなったから、それが彼女の理由だった。

 ことりは蒼一のことが好きだ。誰よりも蒼一のことを愛していると公言してもおかしくないほどにだ。

 けれど同時に、誰よりも嫉妬深い子でもあった。

 ことりの前にはいつも、穂乃果や真姫と言った強敵(ライバル)とみなしている彼の恋人たちがいた。一方では、彼の心の内を相談できる間柄に。もう一方では、彼とひとつ屋根の下で暮らした間柄に。羨ましがらないはずがない。そのことで嫉妬深くなり、一時期暴走したこともあるくらいに。あれから日が経ち、彼女も気持ちを落ち着けるようになったが、やはりどうしても周りのことが気になり嫉妬する。暴走することは無くなったが、逆に塞ぎ込むことが多くなった。次第に劣等感を抱くようになっていった矢先に、今回の留学の話が出た。蒼一のことが好き、恋人でいられることを嬉しく思う。けど、どうしても他の子と比べられると見劣りしてしまうと自虐する。同時に、穂乃果たちとの関係も悪くなってしまったことで今回の話に繋がった。

 海外への留学は、それらを忘却するためにとった行動だったのだ。

 

 

 そんな時だ。彼は彼女の手を急に握りだした。当然、彼女はびっくりするが、それに目もくれずに彼は言った。

 

「理由は何だっていいさ……。でもな、俺はひとつだけ、お前を許さないことがある―――」

 

 しかめたような真剣な眼差しで怯えだす彼女を捉えると、顔を間近に近付けた。

 

 

「ことりは……俺のことを愛していると言ってくれた……。それと一緒に、ずっと一緒だと言ってくれたじゃないか……! それを破るなんて、許さない……! だから俺は、ことりに言い付ける――――」

 

 

 彼女の胸に指を突き立てると、念じるように唱えた。

 

 

 

 

 

 

「いいか、ことり! 俺は一度しかいわねぇからよく聞くんだ! ことり! お前は俺の彼女だ、恋人だ、思い人だ! 俺と心を通わせた数少ない女の中のひとりだ! 俺はそんなお前のことが好きだ、大好きだ! いや、それじゃあ物足りない……世界中の誰よりも、俺が南ことりのことを愛しているんだぁぁぁぁ!!! だからお前は、俺から離れるな! もしまた離れるようなことがあったら、どこへだってお前のことを探し出し、その涙を拭ってやる!!!」

 

 

 

 ヤケクソな言葉の羅列を、ことりは口を開かせて彼の言葉を、頬を染めて聞いていた。人によっては恥ずかしいの一点張りだ。当然だ、公衆面前での大告白、しかも赤裸々な思いをシャウトさせているのだから。誰だって赤面して逃げ出したくなるだろう。しかし、ことりは紅潮させるだけで逃げようとは思っていない。むしろ、それを喜んで耳にしていたのだ。

 

 

 そして彼は最後に―――

 

 

 

「戻って来い……ことり……ことりがいないと、俺は悲しいんだ……」

 

 

 そう告げると、彼女を抱擁した。

 それに彼女はたった一言だけ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい」

 

 

 

 そう言って、彼の胸の中に顔を埋めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

 

 彼の抱擁があった直後のことだ。

 

 

 

「ことりちゃん!!」

「ことり!!」

 

 

 ようやく見つけ出した穂乃果と海未が彼女を呼ぶと、ことりは蒼一の背中に身を隠した。完全に隠れるわけでもなく、ただ顔を見せるのが怖くて隠れようとしたのだ。けれど、穂乃果たちが待ちわびた様子でいるので、恐る恐る顔を合わせ始めた。

 

「穂乃果ちゃん……海未ちゃん……」

 

 声を震わせて2人の親友の名前を呼んだ。

 

「ことりちゃんっ!!」

 

 それに真っ先に答え出したのは穂乃果だった。穂乃果が大声で呼び返すと、ことりは思わず目を瞑るほどに驚きたじろいだ。たんっ、と床を勢いよく蹴る音がした次の瞬間、ことりの身体に熱く抱きしめられるモノを感じた。突然のことだったので目を開けると、穂乃果がことりを抱きしめていたのだ。

 

「穂乃果……ちゃん……?」

 

 一瞬、ことりは呆然とした状態で立っていた。自分でも何が起きているのかわからなかったからだ。でも、次第に感じ始める穂乃果の体温と胸の鼓動がことりにも伝わりだすと、彼女に包まれていることにようやく気付く。

 

 

「ことりちゃん、ごめんね!!」

 

 穂乃果はことりの身体をギュッと抱きしめながら叫んだ。

 

「私、ことりちゃんの気持ち……全然わかってあげられなかった……!! ずっとずっと、一緒にいたのに、ことりちゃんのことよく知ってたのに、気付いてあげられなくってごめんね……!!」

「穂乃果ちゃん……」

「私、自分勝手でわがままだから、ことりちゃんに迷惑させちゃうけど……私、スクールアイドルやりたいの! ことりちゃんと一緒にまたやりたいの! いつか、別の夢があって、それに向かっていく時が来たとしても……行かないで!! 私は、ことりちゃんと一緒にいたいの!!」

「………!!」

 

 穂乃果は叫んだ。心の奥底から、彼女の願望として叫んだのだ。

 裏返して見れば、とんでもないわがままだ。すでに決めてしまったことを、さらには予定の前倒しをしてるというのに、それさえも白紙にしろとするのは極みを越えていた。

 

 けれど、そんなことなど関係なかった。穂乃果にとって一番大事なのは、目の前にいて力一杯抱きしめている親友、南ことりが傍にいてくれると言うこと。それが叶うまで梃子でも動かないだろう。そんな揺るがない精神を持った彼女の本音。本当の気持ちを吐露したのだ。

 

 

「ことり」

 

 抱き付く穂乃果の後ろから凛とした声が通る。前を向くと、そこにはもうひとりの幼馴染の姿があったのだ。

 

「私も、もっと早く伝えることができればよかったです……。そうすれば、ことりも穂乃果もこんなに苦しむこともなかったでしょう……。私は、最低でした……ことりに行ってほしくないと願っていながらも自分では言い出せない自分が……2人の親友として胸を張れる自信がありませんでした……」

「海未ちゃん……」

「いまだってそうです。ことりの前に出て言えるような立場ではないと思ってました……けど、気付かされました……ちゃんと思いを伝えなくちゃいけないのだと……。だから……だから私は、ことりに伝えます……! ここに残ってください……! 私たちとずっと、一緒に……!」

「………っ!!」

 

 

 それは、初めて聞くかもしれない海未の本音だった。自分の気持ちをあまり表に出さない彼女。そんな彼女が感情をむき出しに、涙を零しながら願うのはよっぽどのことなのだ。それほどまでに、海未はことりに行ってもらいたくなかったのだ。

 ずっといっしょに――、それが彼女の願い。

 

 

 

 その思いがことりに伝わらないはずもない。

 

 

 

「ううん……私の方こそ、ごめんね。私、自分の気持ち……わかっていたのに……。穂乃果ちゃんや海未ちゃん、蒼くんたちと、離れたくなかったのに……私、変なところで不器用だから……ちゃんと言いだせなくって……ずっと、自分の気持ちに嘘ついてた……」

 

 彼女の目元に、再び涙が浮かんでくる。声も震えた。

 穂乃果ちゃんが……海未ちゃんが……! ようやく、私を止めに来てくれた―――。心の中でずっと願っていたことがようやく実現したのだ。

 

「一緒にいたい……離れたくなんかないよ……また、みんなと一緒に、みんなの隣で笑っていたいよ……あの場所に……μ’sに帰りたいよ……!!」

 

 涙は溢れ返った。ことりの本当の気持ちがようやく現れ出たのだ。それだけでもう、十分だった。

 

 

 そして、最後の仕上げをしなくてはいけない。

 

 

 

「ことり。お前がここにいるってことは、お前の夢が失われるかもしれない」

 

 最後の仕上げ――それは、ことりの将来についてだ。今回の件は、彼女の将来にも関わることだった。この時点での海外への留学を蹴ると言うことは、将来へのチャンスを捨てることにもなりかねなかった。それをどうするのかを、彼は伝えようとしていた。

 

 しかし、彼が考えているより、彼女は強かった。

 

 

 

「うん、わかってる……。でもね、夢はまた目指すことだってできるもん。いまでなくても、いつか。海外に行かなくても、ここでじっくり勉強すればいいもん……。でも、みんなと……、穂乃果ちゃんと海未ちゃん、蒼くんたちとみんなで一緒にスクールアイドルをすることができるのは、“いま”だけなんだよ。私は、その“いま”に全力になりたいの……!」

「後悔はしないか?」

「全然。ここで留学してみんなと逢えない方がずっと後悔するから」

「ふっ、そうか……」

 

 

 涙を拭った彼女の表情は明るかった。フッ切れたような元気な笑顔で言い切る姿を見て、3人は心の底から安堵した。いつもの、みんなの、ことりが帰ってきたのだと、確信したからだ。

 

 

「それに……ね……」

「ん?」

「私は、蒼くんの恋人さんだもん。将来を約束するお嫁さんになるまで、諦めないつもりだもん♪」

「………! くっ……まったくよぉ、そこんとこは全然ブレないんだなぁ……」

 

 間違いない、紛れもなくいつものことりだった。あのやわらいだ表情と羨望の眼差しが示していた。

 

 

 

「まあ、いいさ。ことりが帰ってきてくれたんだ、これほど嬉しいことは無いさ」

「うんうん! これで明日のライブもできそうだね!」

「μ’s9人でやらなければ、私たちではないですからね」

「うん……! 頑張るね……!!」

 

 

 元気いっぱいに輝くその姿が眩しく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ、蒼くん!」

「なんだ、ことり?」

「ことりね、ちょっと疲れちゃってね、癒しが欲しいの」

「うん、で?」

「ことりのことを癒しちゃってください!」

「……何を言うと思えば……」

 

 ちゃっかりと調子よくいうことり。気持ちの切り替えが早いと言うか、こういうところの抜け目がない。関心よりも呆れてしまいそう。

 

 けれど、彼女が戻ってきてくれたことに彼は安堵している。その礼であったり、励ましに何かをしてあげようかというのは考えてはいたから、無下に蹴り流すことはしなかった。

 

 

「……わかった。たった一回だけだぞ」

「えっ! ほんとっ?!」

「嘘だと思うなら無しだぞ?」

「わわわっ! そんなことないよ! ことり、とっても嬉しいよ~♪」

 

 にっこり愛嬌スマイルで誘ってくることり。それをありがたく受取りながら、彼女に近付いた。

 

 ぐっと迫る彼に心臓をドキドキさせることり。彼をこんなにも近くで見るのも久方ぶりなため、あらゆる感覚を研ぎ澄ませて彼を感じ始めていた。

 彼はゆっくりと手を伸ばすと、彼女の額に手を置き、わずかに上に引き上げて額を晒した。一瞬、彼女はドキッとさせる。そこから考えられる行為は、ただひとつしかなく、察した彼女は心の内で歓喜させた。逸る脈拍を抑え、緩みそうな表情を何とか固定させてはいるが、嬉しさが止まらなかった。ゆっくりと時間をかけてくるから余計に気持ちが落ち着かなくなる。

 

 そして、彼の顔が急接近してくると、恥ずかしさのあまり瞳を閉ざした。見守るというのもいいが、案外羞恥に弱い部分がある彼女にとってはまだ難しいところ。彼が額に口付けするのを、ただジッと待つほかなかった。

 

 

 

 

 

 すると――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チュッ――――――

 

 

 

 

 

 

………ふえっ―――――!?

 

 

 不思議な感触がした。

 とてもやわらかく……熱く、蕩けてしまいそうなモノが………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………唇に………

 

 

 

 

 

 

 

「……………!!!」

 

 彼女は一気に目覚めた。

 この感触が本物なのかを確かめるために。

 

 しかし、確かめる必要もない。目を開けると、彼が彼女の唇に口付けしているのを見てしまったのだから!

 

 

 彼女の心中は暴走寸前になりかける。

 まさか、彼がそんな大胆なことをするなどとは思っても見なかったからだ。おかげで、いまにも心臓が飛び出てきそうな衝動に駆られることとなった。

 

 

 

「―――これで満足か?」

 

 一気に艶めきを増した彼の声が彼女の耳を擽り、反射的に小さく頷いてしまう。そうか――、と言って彼女から離れて行くが、当の本人は恍惚な思いに満たされたのだ。

 

 

 

「はわわわ……そ、蒼君……大胆……!」

「あわわわ……は、破廉恥すぎます……!」

 

 その様子を一部始終見守っていた幼馴染たちは、紅潮させた顔で呆然と立ち尽くしていた。その行為は、2人の心さえも射止めてしまうほどの衝撃があったからだ。

 

 

「さて、行くぞ」

 

 なのに、彼は平然としたままだ。

 あんなことをしたと言うのに、顔色ひとつ変えないことに、身体を震わする。同時に、ぞくぞくと芯から震える快感に近い何かも抱きだす。自分に置き換わった時のことを想像したのだろう、少々ニヤけた表情を浮かばせるのだった。

 

 

「ほら、早くしないといずみさんに迷惑かけることになるぞ?」

 

 声を掛けられて、ようやく我に帰ると、彼が遠くに行ってしまっていることに気付いた。3人は慌てて駆けだして追いかけはじめた。

 

 

「ま、待ってよ、蒼君!! 置いてかないで~!!」

「羨ま……い、いえ……! さ、先に行かないでください!!」

「蒼くんの……キス………やわらかい………ふえへへへ♪」

 

 

 

 かくして、ことりの留学騒動は一旦幕を閉じることとなるのだった。

 

 

 

 

 

(次回へ続く)

 




ドウモ、うp主です。

ようやく終わりが見えてきて肩の力が抜けてしまいそうな想いです。
アニメ第一期を書き続けて早3年。あと2回書けば終わりなんだと考えると、長くやったものだなぁと思います。

え? 長くやった割には、話進んでなくね? もう少しコンパクトに出来なかったのか? 総集編とかやっても、大体の人は覚えてねぇだろうし、そもそもこれまでの話の中で過去のセリフとか場面とかあったけど、解説必要じゃね?

…などなど、実際書いてて、ふとそう思うことがあったりします。

まあ、その時は、全話見直してください。としか言いようがありませんので、外伝合わせて約250話ありますんで……(白目

第一期が終われば、第二期に進む予定なのですが……まあ、アニメ基準にやって無いので、どうしても空白時間が出来てしまうのが難点なのですよね……
ですから、1.5期みたいなことをちょこちょこしてから入るつもりです。

…ということは、来年に第二期になるのでは…?


そんな感じで、残りもよろしくお願いします。



今回の曲は、
B'z/『Everlasting』

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