まだ、夜は明けず、起きているなら新聞配達の人か、電車の始発を動かす人くらいだろう。
そんな真っ暗な時間のビルの裏口の非常階段は、非常灯以外の光はなく、ぼんやりと物の影が見える程度。そんな暗闇の中、数回火花が辺りを照らし、赤く丸い点が浮かび上がった。
「ふぅ……」
その赤い点が動くと、また元の場所に戻り、気の抜けた音と共に下へ落ちた。
淡く赤い光が足元を照らす中、その影はゆっくりと階段の外へと滑り落ちていった。
***
朝日が昇り、早起きの人がそろそろ活動しだす時間。薄手の上着を着ていても、体を震わせる凛と潤也の二人。
「さすがに寒くなってきたね」
「同感。なんで、お前、普通にしてるわけ?」
二人の隣にいる遼太はというと、上着を羽織ることもなく、ジャージ姿だ。
「お前らが寒がりなんだよ。運動すればあったかくなるぞ!」
「遠慮しとく」
「コーヒー飲んで温まるほうが好き」
「お前ら、風流じゃないな!」
「運動して温まるのが風流なんて、聞いたことないよ」
兄顔負けの冷たい視線を向けられれば、遼太は助けを求めるように凛に視線を向けるが、凛は大あくびをしていて、助けてくれる様子はなし。いや、あくびをしていなくても、助けてくれることはないだろうが。
「この薄情者めェ!!」
「ぅぁ?」
聞いていなかったのか、不思議そうに振り返る凛は、指された指を折り曲げ、拳を作ると、自らは手を開き、
「ジャンケンポン」
と、早口でいうと、
「よーし。勝ったー回収、お前なー」
「ずりぃ!!」
「じゃあ、多数決にする?」
「俺、絶対負けるじゃん!!」
「「そうだよ」」
全く悪びれる様子がない二人に、遼太はもはや慣れはじめ、悔しいとも思えなくなっているものの、負け惜しみだけは必ず叫ぶ。
「友達パシる奴なんて、地獄に落ちろ! バーカ!!!」
野球で鍛えられた瞬発力で、すぐに姿は見えなくなった。
残された二人は、先に店に帰ろうと歩いていたが、ふと凛が足を止める。
「気持ち悪い」
「……え?」
「……少しだけど、気持ち悪い気がする」
「……」
胸を軽く押さえながら、呟いた。
***
特に何事も無く放課後がくると、遼太は楽しげに立ち上がる。
「終わったー!」
じっと、何も言わずに見つめてくる凛に、少し身構えるが、頬杖をついているだけで何も言ってこない。
「な、なんだよ。倉庫の修理は終わったんだから、部活行ってもいいだろ」
「別に。ホント、野球好きだなって思っただけだよ」
「楽しいだろ。野球」
「私は、別に。そもそも、運動が好きじゃないし」
それに、少しばかり意外そうな声を上げたのは、山本だった。
「凛って、体育苦手って感じにも見えないけどな」
「あ、違う違う。こいつ、スポーツのルール覚える気ないんだよ。俺らよりずっといい頭持ってるくせに」
そりゃ、赤点ばかりで補習常連の山本や綱吉、遼太に比べれば、頭はいいだろう。少なくとも補習を回避はできるくらいの頭は持っている。
「人間、頭が使える容量なんて決まってるんだよ。スポーツのルール覚えるのに割り振る分がないだけ」
「んーじゃあ、俺が教えてやろっか? 野球なんて簡単に言えば、ビューって投げて、ガンって打って、ババーって走るだけなのな!」
「へーそーなんだーわかりやすーい」
見事な棒読みだった。
二人が部活に行き、すでに潤也もいない。凛は一度、携帯を開くが、すぐに閉じた。
靴を履き変えて、昇降口から一歩足が出た瞬間、全身に寒気が走る。自然と止まっていた呼吸をゆっくりと再開すると、出した足を戻し、下駄箱へ戻った。
「……はぁ」
ため息をつくと、携帯を取り出し、メールを打った。
その頃、ビルの屋上で、腹ばいになりながら、ライフルで並森中学の昇降口に狙いを定めていた中年の男は、驚いたように声を漏らしていた。
「ターゲットの一人、途中で引き返したぜ。ボス」
男は感心したようにそれを報告するのは、隣に座る金髪の青年。キャバッローネファミリーのボスである、ディーノだ。
「へぇ、ロマーリオの狙撃に気づいたってことか? そりゃ、有望だな。どいつだ?」
「近衛凛。リボーンさんが一番の難敵って言ってただけはある」
「……あぁ、さすが、ってところだな」
リボーンと三人が店長と呼ぶ、キドニーから渡された情報で、おおよその三人の情報は知っている。その上で、リボーンやキドニーが、一番の難敵として上げたのは近衛凛だった。そして、その理由はディーノでも簡単に納得できるものだ。
「さて、どうする? ボス。このままいくか? それとも、別のやつを先にやっておくか?」
「そうだな……」
遼太は野球部の練習のおかげで、場所や行動を読むのは容易い。凛も今は学校から出てはいない。裏口にも部下を一人置いているが、そっちから出たという情報もない。残りは潤也だが、こちらは終礼の時から姿は確認できていないが、鞄が教室に残っていることから、学校内にいることは想像がつく。
「凛か潤也の二人の姿が確認できしだい、順番に仕留める」
まずは行動が予想できない二人からだ。ロマーリオの「了解」という返事を遮るように、聞こえてきた音。
そして、強烈に目にしみる赤いガス。
「催涙ガス……!?」
霞む視界でどうにか見えたガスを発生させているそれを、鞭で投げ飛ばせば、徐々にだが痛みが引いてくる。
ロマーリオが懐から出した銃を、ドアに構えるが、ディーノはため息をつくと、それを下ろさせた。
「完全に出し抜かれたな。子供だと思って油断してた」
「ボス?」
「雲雀、潤也だな。何もしねぇから、顔ぐらい見せろよ」
すると、現れたのは思ったとおり、雲雀潤也だった。
「いつから、気づいてた?」
「なにに、って言われると少し変わるけど、ストーカーのことなら朝から。あなたたちだっていうことなら、昼過ぎから」
「朝から……って」
「最初っからバレバレってことか」
さすがに、それほど早いとは思わなかった。
「凛はそういう嗅覚すごくいいんだよ」
朝、二人と別れた遼太はコインロッカーの並ぶ建物に入ると、縦に長い大きめのコインロッカーに近づき、暗証番号を打ち込む。中に入っていたのは、バットを入れるケースが二つとエナメルバッグ。
「そろそろ洗わねぇとなぁ……」
そうぼやきながら、エナメルバッグとケースを一つを抱えると、近くのバッティングセンターに向かった。
遼太が出ていった直後、スーツ姿の男が入ってくると、迷わず先程遼太が使っていたロッカーの前で屈み、中の残ったケースを取り出すと、中身を取り出した。
「ただの、バット……?」
中学生がよく使っている木製のバッドだ。おかしな点はどこにもない。使い込まれてはいるが、妙なへこみひとつ見当たらない。
男は、不思議に思いながらも、それをしまうと、建物から出ていった。
「……めずらしい」
「本当にね」
建物が見える角で、塀に寄りかかりながら、一連の行動を見ていた凛と潤也は、塀から体を起こすと、店に足を向ける。
「店長じゃなくて、私たち狙いなら、早いところ排除したいところだけど」
「同感。あの様子だと、僕たちの存在は知ってるけど、確信は持てないから証拠を探してるって感じだし、早めに手を打つべきだね」
「警察……じゃないよね?」
「それはないよ。それこそ、店長が隠蔽はしてるし、第一、そんなことになってれば、まず兄さんに呼び出されてる」
「……ヒバリサンチコワァイ」
町内会どころか病院でも警察でも、雲雀の名前が出れば、まずは表情が恐怖にひきつる。そして、次に笑顔に変わる。恐怖の対象である風紀委員長でも、一応そのおかげで平和が守られていることを考えれば、逆らわない限り、人にとってはプラス、つまり利益なのだから、いいのだろう。
「でも、妙ではあるよね」
「ん?」
「凛が言ったみたいに、警察なら証拠もなしに捕まえるなんてできないから、ああいうふうに証拠を集める必要はあるけど、そうじゃないなら、証拠集める必要なんてなくない?」
確かに、言われてみればそうだ。裏社会に生きていて、元凄腕の情報屋であるキドニーを暗殺しにきて、その周囲に妙な居候がいたとなれば、十中八九そいつらは護衛か、キドニーの弟子といったところだ。
少なくとも、凛や潤也ならそう考える。つまり、その居候は気にせず、皆殺し前提のキドニー暗殺ミッション。
「それをあの人たちはしてない」
「その心は?」
「余計な犠牲者を出したくない、すごくいい人。もしくは――」
***
「私たちが“そういうこと”に付き合ってるのを知ってて、能力があるか確認したいスカウトマン」
凛は横目に窓枠に腰掛けたスーツの赤ん坊を見つめる。
「んじゃ、俺の言うことはわかってるな」
「お・こ・と・わ・り」
「ファミリーになれ」
「話聞けよ」
「いいじゃねーか。減るもんじゃないだろ」
「そんなヘタなカツアゲじゃないんだから……」
ため息をつきながら、潤也の鞄も回収すると、今度こそ帰るために下駄箱に向かう。
「なんで、催涙ガスにしたんだ? 命を狙われたかもしれねぇんだぞ」
「どうせメチャクチャ痛いゴム弾とかでしょ? 遊びに付き合うなら、最高に痛く仕上げた催涙ガスでしょ」
遊びと言い切ってしまう凛に、リボーンは帽子のつばを下げると、
「ちげーぞ。ゴム弾なんて生ぬるいもん入れるわけねーだろ」
その声色に足を止めて振り返った凛は、ニヒルに笑った口元を見た。
「メチャクチャ落ちにくいペイント弾だ」
なんて地味な嫌がらせだ。と、あと少しで喉から溢れ出しそうだった。