小六になれば、施設の中でも、もう年上の方だった。
年下の子が、読めないと見せてくる本や図鑑の文字を読むのも、立派な年上の仕事で、
「ひゃく、あい……む、ムリ……」
こんなことも多々ある。そんな時は、ばあちゃん、つまりは施設の人だが、ばあちゃんに聞くしかない。
この施設をほとんど一人で切り盛りしてるから、ばあちゃんは結構忙しく、何度も聞くのは悪い気もするけど、聞かなきゃわからないのだから、仕方ない。
「台所かな?」
おやつの準備中だろうから、台所に向かってみれば、案の定ばあちゃんの声がした。それから、知らない声も。
「もう少しだけ……もう少しだけ待ってください」
「何回目だぁ?もう待てねぇ。ここを取り壊すのは決まってることなんだよ。権利書だってこっちにある。テメェは早く、ここから立ち退けって言ってんだよ」
「ここには、まだ子供が住んでいるんです。その子達の住む場所を――」
「知るかよ!いいか?あと三日だ。三日後にここの取り壊しを始める。わかったな?」
「ですから――」
「つべこべ言うんじゃねェ!!」
ばあちゃんに殴りかかろうとする男に、思いっきりタックルを食らわす。
「ばあちゃん、いじめるな!」
「んだ!?このクソガキ!!」
「遼太……!やめなさい!」
男たちを殴ろうとする腕ごとばあちゃんに抱きしめられ、ばあちゃんはただひたすら、謝っていた。
地面に頭が当たるくらい、必死に、謝っていた。
「どうせ、ここは取り壊しになるんだ。ほっとけよ」
「……仕方ねぇな。三日後、覚えておけよ」
「……」
男たちがいなくなっても、頭を下げ続けるばあちゃんに、俺でもわかった、取り壊しの意味に、ただ呆然と尋ねた。
「なんで、謝るんだよ」
「……」
「なんで、戦わないんだよ!?ここ、取り壊されるなんてやだよ!」
「……理不尽だと思う?」
「だって!ここにはみんな住んでるんだよ!?」
「だとしても、堪えないといけない時だってある。力で解決できることなんて、ないんだよ。遼太。ごめんね。頼りないばあちゃんで、ごめんね……」
その時、ばあちゃんの顔は見えなかったけど、あのかすれた声は、きっと泣いていたんだと思う。
「おばあちゃん……?」
「あら、なんだい?」
「これ、なんて読むの?」
抱きしめられていた温もりが、遠くなる。なにもできない。泣いていたばあちゃんを、笑わせることすら。
「あぁ、これはゆり。英語は、カサブランカ。花ことばは、純粋や祝福っていって、結婚式なんかでよく使われてる花だね」
「……ちょっと、友達のところ、遊びに行ってくる」
「遼太?」
子供の俺じゃあ、大人には勝てない。
足は、友達がよく遊ぶという、山に向かっていた。
「潤也!」
すぐに見つけたのは、運が良かった。倒れ込むように、頭を下げれば、驚かれる。
「助けてくれ!」
「え?どうしたの……」
「雲雀って、並森じゃすごいんだろ?それに、お前、頭いいし!」
「落ち着いてよ。ちゃんと、話してくれなきゃ、わからないよ」
先程までのことを、潤也に話せば、潤也は他人事のように頷くと、はっきりと「無理」と言った。
「なんで!?」
「聞いた感じ、権利書は向こうが持ってるみたいだし、無理だよ。知ってる?権利書持ってる限り、法律でそこについて好き勝手していいって言われてるのは、その人たちの方なの。遼太たちは、その人たちに許可をもらう立場。雲雀がどうのって言うけど、どうにもならないものはならないよ」
「ッ」
「……まぁ、腕力でなんともならないのは事実だけど」
「けど……?」
「言ったでしょ?権利書があるから、その人たちが好き勝手やってる。なら、権利書がなければ」
「もらえば、いいってことか?」
「お金で取引になるだろうけどね。多分相当高いよ」
そんなお金はない。やっぱり、どうにもならない。
「力でどうにもならないことはあるけど、力でどうにかなることもあるんだよ?」
頭に浮かんだのは、ある方法。潤也もわかっているのだろう。
「それをやったら、そのおばあさん、どう思うか、ちゃんと考えてからやりなよ?」
「……でも、俺にはこれしかできないんだよ。これしか、ばあちゃん、笑わせる方法、ないだろ?」
翌日、人がいなくなったタイミングで、あいつらのアジトに潜り込んだ。きっと、ばあちゃんにバレたら、怒られる。また泣かれるかもしれない。それでも、俺には、あの場所を守る方法は、これしか思いつかなかった。
バカな俺に、頭がいい潤也が教えてくれた、唯一の方法。
「これだ……」
「誰だ!?」
「そこでなにしてる!?」
さすがに、大人の大人数相手では、逃げられなくて、殴られては蹴られ、ようやく見つけた権利書を拾い上げられる。
「妙に見覚えがあると思ったら、あそこのクソガキか」
「権利書盗もうとはな……あのババァの入れ知恵か?」
違う。そう、声を出そうにも、体が軋んで、声がでない。
「穏便にしてやろうと思ったけど、やめだ。予定早めて、今から始め――」
パリンっと、ガラスが割る音が入口の方から聞こえたと思えば、男たちの悲鳴も聞こえた。
すぐに鼻についたのは、なにかが燃える臭い。
「火炎瓶!?どこのやろうだ!?」
慌てる男たちに、今度は窓ガラスが割れて降ってくる。そして、またすぐにそこも燃え始めた。
どんどん視界が赤く染まっていく。
「ほらほら、早く逃げないと、燃え死んじゃうよ?」
聞こえてきたのは、よく知った頭のいい友人の声だった。
***
「――も、さすがにあれはびっくりしたよ」
「――?別に、なくなればいいなら、アレで――」
「そうだけど――」
「ほら、二人共、気がついたみたいですよ」
目を開ければ、そこは知らない部屋だった。赤と黒のランドセルがひとつずつと、小さなテーブルに積み上げられた教科書。
布団の傍らに座っているのは、たまにおやつを買いに来る駄菓子屋の人。それから、奥にいるのは潤也と凛。
「生きてる……?」
「死んでるんじゃない?」
変わらない凛の言葉に、生きてることが実感できた。
「そうだ!あいつらは!?」
「生きてはいるよ。ただ、今は抗争でバタバタしてるけどね」
「ぇ?」
「なに?ヤクザ同士の喧嘩ってやつだよ」
「火炎瓶を投げ込んできたであろう相手との話し合いに手を焼いているそうですよ。あなたが止めようとしていた、施設の取り壊しに手を回している余裕はないそうです」
「じゃ、じゃあ!」
「権利書も燃えてなくなったし、まぁ、しばらく大丈夫じゃない?このまま、潰れてくれれば万々歳だろうけど」
涙がこぼれ落ちた。助けられたんだ。あの場所を、守れた。
「……喜んでるところ悪いけど、お前、やったことわかってる?」
それくらい、俺だってわかってる。きっと、ばあちゃんも今回のことを言って、喜んでくれるとは、思えない。
でも、こうしなければ、あの場所が取り壊されていたんだ。みんなの笑顔は見たい。だけど、嘘を、つき続けるのは、できない。
「なぁ、俺も、ここにいさせてくれないか?」