初めての方もそうでない方も、よろしくお願いします。
小料理屋『鳳翔』。
その名の通り、鳳翔が開いている小さな店である。
艦娘である彼女の本業は勿論、深海棲艦との戦い。
とは言え、二十四時間三百六十五日それにかかりっきり……という訳ではない。
補給や休養は必要であり、損害を受ければ入渠する事になる。
任務がなければその間は待機扱い、緊急出動でもなければある程度自由な時間でもある。
その使い途は艦娘によってまちまちであるが、鳳翔はそれを小料理屋という場で費やしている。
無論酒場としての性格が出てしまうのは否めないが、生真面目な彼女はそれだけに甘んじる事はない。
限られた時間を有効に使い、提供する料理の研究や準備に余念がないのだ。
供される酒もまた、よく吟味されたものばかり。
結果、日々激務に追われる提督が足繁く通うのみならず、一部の艦娘もその常連となっている。
今日もまた、その暖簾を潜る艦娘がいる。
「あら、いらっしゃい。今日はお一人?」
「いや、後から来るが」
妙高型重巡洋艦二番艦、那智。
彼女は鎮守府の中でも一、二を争う酒豪でもあった。
と言っても酒なら何でも来い、という手合いではない。
その点、鳳翔の店ならば酒も肴もまず間違いない。
彼女が常連の一人となるのも、ある意味必然であったかも知れない。
「お酒はいつものでいいかしら?」
「頼む」
鳳翔は頷くと、冷蔵庫から一本の四合瓶を取り出した。
栓を開けると、ふわりと吟醸香が漂う。
その間に、那智はカウンターに置かれた籠からお猪口を一つ手にしていた。
一見無造作に置かれたそれも、鳳翔の拘り。
無銘でも良い物を、と陶器市や古物商を回って地道に集めた杯ばかりである。
お仕着せの器ではなく、好みやその日の気分で選んで欲しい……嬉しくない酒好きを探す方が難しいかも 知れない。
酒もそのまま器に注ぐなどという手抜きはしない。
錫製の片口に並々と注がれ、カウンターに置かれる。
金属製の酒器は雰囲気もあるが、酒がまろやかになったり冷酒ならぬるくなりにくいという利点もある。
那智は頷くと片口を手にし、手元で傾けた。
それから、満たされた杯を口元に運ぶ。
芳醇な香りを楽しむように暫し手を止めてから、静かに口に含んだ。
「うむ、やはり旨いな」
「ふふ、那智さんはいつも変わらないわね」
「旨い物は旨いからな。私には、これがいい」
ちなみに那智が呑んでいるのは、とある蔵の大吟醸酒。
鳳翔がお通しとして出した烏賊の酢味噌和えを時折交えながら、ゆったりと味わっている。
と、カラカラと引き戸が開かれた。
暖簾を潜って姿を見せたのは、重巡洋艦足柄。
「あら、いらっしゃい」
「こんばんは、鳳翔さん。あ、もう来てたのね那智姉さん」
「悪いが、先にやらせて貰ってるぞ」
足柄は頷きながら那智の隣に腰掛けた。
ちなみにこの店は、カウンターしかない。
鳳翔一人で切り盛りする都合上、大人数で来られても手が回らないという事情もある。
最も、客もまた呑んで騒ぎたいというよりは静かにやりたいと望むタイプばかりで何の問題もないようだ。
「あ、鳳翔さん。とりあえず、生中お願いね」
「はい。今日は茶豆があるけど、一緒に如何?」
「あ、いいわね」
相好を崩す足柄。
そして、見事に泡の切れたジョッキが彼女の前に置かれた。
「では、任務お疲れの乾杯と行くか」
「ありがとう、姉さん」
お猪口とジョッキがカチリと合わされ、二人揃って口をつけた。
足柄はジョッキの半分程を一気に干した。
「ふーっ、生き返るわね」
「全く。年頃の女とも思えないな、お前は」
「い、いいじゃない別に。そう言う那智姉さんだって、ちっとも浮いた話がないんだし」
「私は戦いと、これがあればそれでいいからな。お前はそうではないのだろう?」
「し、知らないわよ。どーせ、私は妙高姉さんみたいにしっかり者でも羽黒みたいに守ってあげたいオーラも出せませんよーだ」
そう言いながら、一気にジョッキの中身を干してしまう。
「まあ、その様子では当分春は来ないと見ていいな。ほら」
那智が差し出した片口を見て、足柄は仏頂面のまま籠からお猪口を取る。
「ふふ、本当に仲がいいのね。はい、大根のそぼろがけよ」
そんな二人を見て、鳳翔は微笑んだ。
「妙高姉さんもお酒は強いんだけど、酔うとねぇ」
「説教モードに入るからな。しかもいつもより長くなる」
「羽黒はあまり呑めないし、無理に呑ませるとそれこそ妙高姉さんに徹夜で説教されちゃうもの」
艦娘でも、姉妹艦以外との交流があまりない場合は少なくない。
無論任務を共にする場合は別だが、プライベートの場となると案外別行動だったりする。
そうではない艦娘もいるし、正規空母は型を超えて仲良しだから一概には言えないのだが。
「あ、これ美味しいわね。鳳翔さんって本当に器用よね」
「あら、器用さだったら明石さんとか間宮さんの方が上よ。私は基本、和食しか作れないし」
「それだけでも凄い事なのだがな。ほお、箸がすっと通るな」
頻りと褒め称えられても、鳳翔は穏やかに微笑むだけ。
殺るか殺られるかの中を潜り抜ける日々の艦娘には、何よりの癒やしのようだ。
暫くして、戸がそっと開かれた。
隙間から顔を覗かせている相手に、鳳翔が優しく声をかける。
「こんばんは。席なら空いてるわよ?」
「そ、そう。じゃあ、お邪魔するわね」
「
一見、小学生か良くて中学生といった背格好の二人連れ。
特型駆逐艦の暁と響だ。
子供っぽく見えるが、身体機能は鳳翔や那智らとあまり変わらない。
とは言え、一部の装甲に差があったりするのもまた事実ではあるのだが。
よじ登るようにして、二人は空いている席に腰掛ける。
「お飲み物は?」
「私はモスコミュールを」
「そ、そうね。一人前のレディだし、私はカルーアミルクでいいわ」
響は迷う素振りも見せないが、暁は何も決めていなかったのか慌てて答える。
その様子に、思わず吹き出す足柄。
「な、何よもう!」
頬を膨らませる暁。
「あら、ゴメンゴメン。あなた達も姉妹艦なのよね?」
「そ、そうよ。暁はお姉さんなんだからね」
それにしてはあまり似てないな、と内心で思う足柄。
口に出せば暁がますます機嫌を損ねるだろうが。
「そう言えば、他の二人はどうしたのだ?」
「ああ、雷と電は近海警備に出撃している。潜水艦が出たらしいから」
響の言葉に、足柄が顔を顰める。
「潜水艦、か……。嫌な存在よね」
艦娘には、嘗ての記憶がある……と言われている。
足柄も例外ではないようで、潜水艦が出没する海域への出撃となるとかなり神経質になる。
「はい、お待ちどう様」
暗くなりかけた空気を振り払うかのように響く、優しい鳳翔の声。
意図してやっているのかどうかはともかく、彼女の声を聴くだけで癒やされるという声も多い。
そんな意味も込めているのであろうか、鳳翔は『お艦』という異名を持っていたりもする。
当人は未婚なのにね、と苦笑するばかりではあるが。
暁と響は、置かれたグラスを手に取った。
小料理屋ではあっても、酒はビールと日本酒ばかりではなく。
焼酎やカクテルも揃えているし、希望すればワインや紹興酒だって出される。
「どうだ、乾杯と行くか?」
那智が杯を掲げると、二人も頷いた。
「では改めて、乾杯ね」
足柄の発声で、四つの器が軽くぶつかり合う。
「うん、いいね。
響は満足げに、ゆっくりとグラスを傾ける。
一方の暁は、恐々といった風情で口を付けた。
「暁ちゃん、何か失敗しちゃったかしら?」
「そ、そんな事ないわよ。美味しいわよ!」
顔を曇らせた鳳翔に慌てたのか、暁は呷るようにグラスを干した。
「おいおい、大丈夫なのか?」
「無理しちゃ駄目よ?」
那智と足柄が目を見張る傍から、
「へ、へにゃ~」
暁は顔を真っ赤にしてふらつき始めた。
カルーアミルクは口当たりはいいが、アルコール度数は決して低くはない。
そして、暁はあまり酒が強くはないようだ。
「やれやれ。大丈夫か?」
「ら、らいじょうぶに決まってるらない! 暁は一人前のれりぃなんらからね!」
響は肩を竦めると、椅子から降りた。
「鳳翔さん、また後で来るからそのままにしておいて。暁を寝かせてくる」
「ちょ、ちょっろ何言ってるのよひびきぃ。暁はらいじょうぶなんらから」
「駄目だね。ほら、行くよ」
そう言いながら、既にべろべろの暁を背負った。
「手伝いましょうか?」
「
足柄に軽く頭を下げてから、響はそのまま出て行った。
「やれやれ。私達とは真逆だな、あの姉妹艦は」
「そうね。妙高姉さんがあんな風になったら、それこそ天地がひっくり返るわね」
「ふふ、でも仲がいいっていいわよね。私、姉妹艦がないからああいう経験がなくってね」
ポツリと呟いた鳳翔に、那智と足柄は一瞬気まずそうに顔を見合わせた。
「す、すまん。そんなつもりじゃなかったんだが」
「いいのよ、那智さん。今はこうして、みんなとお話しできるんですもの」
「もう、敵わないな鳳翔さんには。あ、芋焼酎お湯割りお願い」
足柄の明るい声に、鳳翔は微笑みながら頷いた。
那智達が帰ると、店内は静まり返った。
響も戻ってきたが、少し飲むと暁の事が気になるらしく長居はしなかった。
その日にもよるが、そのまま閉店時間を迎える事も珍しくはない。
チラと時計に目をやり、
「さて、そろそろ閉めましょうか」
鳳翔は入口に向かい、暖簾に手をかけた。
「あ、もう店仕舞い?」
「え?」
振り向いた鳳翔の目に、見事な金髪が目に飛び込んできた。
この鎮守府で金髪と言えば愛宕や島風、武蔵、夕立達がいる。
だが、鳳翔には聞き覚えのない声と姿だった。
「ええと、少しなら構いませんよ」
「そ、そう。では少しだけお邪魔させて貰うわ」
そのまま店へと入ってきたのは、戦艦ビスマルク。
鳳翔は首を傾げながら、そのまま暖簾を片付けてしまう。
「お好きな席へどうぞ」
「え、ええ」
珍しいのか、キョロキョロと店内を見回すビスマルク。
戸惑いながらも、手前の席に腰掛ける。
「お飲み物は何になさいます?」
「え? あ、ええと……」
「いろいろとありますよ。お好みの物あります?」
ビスマルクは少し考えてから、
「では、スピリッツをお願い」
「はい、わかりました」
漠然としたオーダーにも、鳳翔は鷹揚に頷いた。
冷蔵庫から取り出した瓶を空け、ショットグラスに注ぐ。
漂う香りに、ビスマルクがおや、という顔つきをした。
「これは、まさか……」
「はい、どうぞ。今、お通し用意しますね」
深紅の、澄んだ液体。
よく冷えたそれを、ビスマルクは喉に流し込む。
「……美味しい。まさか、日本に来てイエーガーが飲めるなんて」
嬉しそうに言うビスマルクを満足げに見る鳳翔。
イエーガーこと、イエーガーマイスター。
ドイツでは良く知られ、飲まれているハーブ酒である。
ほろ苦く、それでいて甘い独特の口当たり。
ビスマルクにも、お気に入りの一杯だったらしい。
「たくさんの材料が使われたお酒なんですってね」
「ええ。でもよく知っていたわね」
「ふふ、いろんなお酒が大好きなんですよ。私って」
何の事はない、鳳翔の酒への拘りが為せる業だ。
そして、ビスマルクはちょっとした感動を覚えていた。
「なるほど、あの提督が勧めるだけの事はあるわね」
「提督がどうかしましたか?」
小首を傾げる鳳翔。
「いえ、少しばかり悩んでいたのを見抜かれたの」
グラスが空になったのを見て、鳳翔はもう一杯注いだ。
ビスマルクは一気に干さず、少量だけを舌で転がしている。
「貴女とは、これが初対面よね?」
「そうですね。昨日まで、長期の遠征に出ていましたから」
「私は戦艦ビスマルク。ドイツからやって来たの、はじめまして」
「こちらこそ。私は軽空母鳳翔です、宜しくお願いします」
挨拶を交わしてから、ビスマルクは続けた。
「ドイツから派遣されたのは、私以外には駆逐艦のレーベとマックス。この鎮守府では異色の存在ね、それはわかっているの」
「…………」
鳳翔は黙って聞いている。
「最初は驚いたわ、なんて規律のない鎮守府なんだろうって。提督も、腑抜けという印象だったわ」
クイ、とビスマルクはグラスを呷る。
顔色が一切変わらないあたり、なかなかに酒は強いらしい。
「だから、私が鍛え直してあげなくてはって変に意気込んでいたの。……でも、そうじゃなかったのね」
「…………」
「規律がないとか緩いんじゃない。一見そう見えても、あの提督の出す指示は的確だし艦娘はそれに従っていたわ。それを見抜けなかった私は、一人で空回りしていただけだったのよ」
差し出されたグラスに、また新たな一杯が注がれる。
「そんな私は、これからどうしたらいいんだろうって。他の娘達とも、それで上手くやっていけるかどうか不安で一杯になったのよ」
「そうでしたか……」
「でも、レーベもマックスもそれは同じ。だからあの娘達の前では弱音は吐けない、だから誰もいない場所で考えていたら……」
「提督がやって来たんですね?」
「……そう。もし、お節介を焼かれるだけなら突っぱねていたかも知れないわ。でも、提督は違ったのよ。なんて言ったと思う?」
「そうですね、あの人なら……」
顎に手を当てて、鳳翔は少し考えた。
「多分、ですけど。『たまには酒でも飲んで来るといい。いい店を紹介する』とでも仰ったんじゃありませんか?」
「良くわかったわね、
「長い付き合いですからね」
「そう、そうね。それで、貴女は何も言わずに店に入れてくれて、イエーガーを出してきた。ふふ」
三杯目を、ビスマルクは干した。
「ねえ、鳳翔」
「はい、何ですか?」
「さっき言ったわよね。お酒が好きだって」
「ええ」
「なら、今晩は付き合って頂戴。久しぶりに、思いっきり呑みたい気分なの」
鳳翔は、黙ってショットグラスをもう一個取り出した。
「では、私もご相伴にあずかりますね」
「いいわね。こんなに楽しい夜は久しぶりよ、本当に」
小料理屋鳳翔。
どうやら、新たな常連客が増えたらしい。
そんな夜が、静かに過ぎていく……。