静まり返った、鎮守府の廊下。
普段ならば行き交う艦娘の姿が見られる筈の場所だが、今日は全くその気配がない。
大規模な作戦が発動され、その殆どが戦地に赴いている為だ。
そこに、しずしずと歩く艦娘が姿を見せた。
軽空母『鳳翔』。
彼女も無論、艦載機を搭載して出撃する事もある。
……が、搭載できる機数が他の空母に比べると少ないという欠点も抱えていた。
必然的に、輸送や護衛任務が主体となる為にこういった激戦ともなると母港の留守を預かる事が多くなってしまう。
かと言って、『足柄』や『天龍』のように好戦的という訳でもない。
彼女は自分の限界も弁えていたし、今の立場に不満を持つような事もなかった。
「本当に、今日は静かね」
そう独りごちた時、ふと廊下の向こうをウロウロする姿を認めた。
不慣れなのか、頻りに辺りを見回しているようだ。
鳳翔は小首を傾げてから、そちらへと向かう。
「あの、どうかしましたか?」
「ひゃっ?」
全く気配に気づいてなかったのか、その艦娘は素っ頓狂な声を上げた。
「あ、ごめんなさい。私は鳳翔と言います、迷っているようでしたので」
「え、ええと。私、『プリンツ・オイゲン』って言います。ドイツから来ました」
「ああ、貴女が」
「え? 私の事、ご存じなんですか?」
「ビスマルクさんから伺ってますよ」
その名を聞いた途端、プリンツ・オイゲンの顔がパッと明るくなった。
「ビスマルク姉さまのお友達ですか?」
「そうですね。良く、私のお店に来ていただいてますよ」
「お店……ですか?」
「ええ、私は小料理屋を営んでいますから。それより、何かお探しなんじゃありませんか?」
「あ。そ、そうなんです。提督のお部屋、ご存じありませんか?」
「提督の執務室ですか? それなら、ご案内しますよ」
「ありがとうございます! 私、まだ全然慣れてなくって」
ぺろりと舌を出すプリンツ・オイゲン。
艦隊に所属する重巡洋艦は大人びた性格の艦娘が多いせいか、鳳翔には彼女の反応が新鮮だった。
(少なくとも、悪い娘じゃなさそうですね)
微笑んだ鳳翔を見て、プリンツ・オイゲンは額に指を当てた。
「あの。何か?」
「あ、いいえ。何でもありませんよ」
執務室の前に立ち、鳳翔は扉をノックする。
……が、何の反応もない。
「あら、お留守かも知れませんね」
「そうですか……。入渠が終わったから、次はどうするのか知りたかったんですけど」
「提督もお忙しい方ですからね」
と。
キューと、プリンツ・オイゲンの腹が小さく泣いた。
「あ……」
「あら。もしかして、お腹空いてます?」
「あはは、そ、そうみたいですね」
「それなら、『間宮』さんのところに行きましょうか。場所、ご存じですか?」
「ええと……多分」
苦笑するプリンツ・オイゲンを見て鳳翔は頷いた。
「それなら、またご案内しましょうか?」
「え? でもいいんですか?」
「構いませんよ。私はあまり忙しくありませんから」
「すみません。本当、親切なんですね」
「ふふ、ありがとうございます」
微笑みで返すと、鳳翔は歩き出した。
と言っても、食堂『間宮』は執務室から程近い場所にある。
が、入口は閉ざされていた。
「あら?」
「どうかしたんですか?」
「ええ」
鳳翔は、扉に貼られた紙を指さした。
「臨時休業って、そんなぁ」
「艦隊支援でしょうね。間宮さんが留守の時は『伊良湖』ちゃんが代わりにいるんですけど」
「そうですか……。提督も留守だし、どうしよう」
途方に暮れるプリンツ・オイゲン。
無論、そんな彼女を放置して立ち去るような鳳翔ではない。
「じゃあ、私のお店に来ますか?」
「え? でも……」
「いいんですよ、たまには臨時営業するのも悪くありませんから。簡単な物ならお作りしますよ」
「ありがとうございます。ありがとうございます!」
大仰に感謝され、鳳翔は苦笑するばかり。
「さ、どうぞ」
「お邪魔します。……バーみたいですね」
物珍しいのか、プリンツ・オイゲンは店内をキョロキョロ見回している。
「確かに、そんな雰囲気もあるかも知れませんね。さ、お座りになって下さいね」
「はい」
前掛けをつけ、鳳翔はカウンターへと入った。
「昼間だからお酒は出せませんけど、いいですか?」
「構いません。お腹ぺこぺこなんで、今は食べたい気分ですし」
「わかりました」
と、鳳翔は何かを思いついたようだ。
「あ、そうそう。お口に合うかどうかわかりませんが、ちょっと食べていただきたい物があるんですよ」
「何ですか?」
「見てのお楽しみですよ」
そう言って、鳳翔は鍋を覗く。
それから冷蔵庫からタッパを取り出し、何やら盛りつけ始めた。
狭い店内に、匂いが立ちこめる。
「鳳翔さん」
「はい、何ですか?」
「もしかして、これって」
「ふふ、ご想像通りかも知れませんよ」
思わず破顔するプリンツ・オイゲン。
そして、反応するかのようにグーと大きな音がした。
「や、やだもう」
顔を赤くして縮こまる彼女だが、鳳翔はそれを笑うような真似はしない。
「もうちょっと待って下さいね」
「はい、待ちます」
鳳翔は、鍋から引き上げた肉塊を削ぐように切っていく。
添えられているのはキャベツの酢漬け、そしてジャーマンポテト。
「はい、お待ち遠様でした」
「やっぱり!」
プリンツ・オイゲンは目を輝かせた。
「まさか、日本に来てまでアイスバインが食べられるなんて!」
豚のすね肉をピックル液に漬けて寝かし、香味野菜と共に数時間煮込んだドイツ料理。
どこから見ても和風テイストのこの店とはミスマッチだったが、出されたそれは紛れもなくプリンツ・オイゲンが知る料理だった。
「ビスマルクさんから教わったんですよ。それで作ってみたんですけど、お口に合えばいいんですけど」
「いただきます!」
「あ、箸はちょっと難しいですね。フォーク、どうぞ」
「はい!」
待ちかねたように、プリンツ・オイゲンは口に運んだ。
「…………」
「どうですか?」
「……美味しいです! でも、ちょっと私の知ってるアイスバインとは違うかな?」
「やっぱりそうですか。材料が全て揃わなくて、調味料が代わりの物なんですよ」
「ううん、でもこれはこれでアリです。うん、うん!」
頻りに頷きながら、いいペースで平らげていくプリンツ・オイゲン。
「ジャーマンポテトの塩加減もいいし、ザワークラウトも完璧。私、こんなに美味しく作れませんよ」
「あら、お世辞ですか?」
「違いますって。これなら、ビスマルク姉さまも喜びます」
「ふふ。じゃあ、白ワインを用意しておかないといけませんね」
余程気に入ったのであろう、皿の上はすっかり綺麗になっていた。
「良かったら、お代わりどうですか?」
「え? でも……」
「また作れば良いですし。それに、そんなに美味しそうに召し上がるのを見たら私も嬉しいですから」
「じゃあ、お願いします!」
「はい」
二皿目になっても、プリンツ・オイゲンが食べるスピードは落ちる気配もない。
「うう、美味しい……。なんか、いくらでも食べられそう」
「流石にお腹壊しますよ?」
「そ、そうですけど……。でも……」
そう言いながら、二皿目が綺麗になくなりかけたその時。
「あ、いたいた!」
「全く、何処を探してもいないと思った……あら?」
唐突に入ってきた艦娘が、皿の上を見て固まった。
「レーベにマックスじゃない。どうしたの?」
レーベことZ1が、肩を竦める。
「どうしたじゃないよ。出撃だから探してたんだよ」
「ええっ? でも、提督のところに行ったら不在だったのに」
「嘘をついても仕方ないじゃない。それよりもそれ、どういう事かしら?」
マックスことZ3が、皿を指さす。
「あ、これ? 鳳翔さんがね、ビスマルク姉さまに教わった通りに作ったんだって」
「ずるいよ! ボクだってアイスバイン食べたいのに」
「ええ。でも、今は出撃しなきゃいけないわ」
「わ、わかったわよ。鳳翔さん、また今度食べさせて貰えますか? 今度は、みんな一緒に来ますから」
「勿論ですよ。お代は後でいいから、早く行った方がいいですよ」
「は、はい!」
慌ただしく、ドイツの艦娘達が飛び出していく。
ちなみに二皿目は、やはり綺麗に平らげられていた。
「ふふ、余程気に入ってくれたんですね」
皿を片付けながら、鳳翔は顔を綻ばせた。
その夜。
鎮守府が静かな以上、鳳翔の店も開店休業状態だった。
それでも、店を閉める事なく鳳翔はカウンターに入っている。
「こんばんは」
そして、その日最初の客が現れた。
「提督、いらっしゃい」
「店、開けていてくれたんだね。お陰で助かったよ」
鳳翔は微笑みながら、おしぼりを手渡す。
「全く、出世なんてするもんじゃないな。こう忙しい時だとやれ作戦会議だ、やれ折衝だで飯もロクに食えないんだから」
「あら、そんな事を仰っては。出世が何よりという方もいらっしゃるんですよ?」
「わかってるさ、俺だって責任ある立場を放り出したりはしないがね。ただ、腹が減って仕方ないのだけは勘弁して欲しいよ」
提督は苦笑する。
「じゃあ、先にお食事になさいますか?」
「いや、酒は貰うよ。でも、他にいい肴があれば言う事はないが」
「はい。ひやおろしが入りましたけど、如何ですか?」
「お、いいね」
鳳翔は頷くと、冷蔵庫から四合瓶を取り出す。
よく冷えたそれを、用意した錫製の片口になみなみと注いだ。
金属器に入れると冷たいものはより冷たく感じられるが、錫の場合は更に酒をイオン効果でまろやかにする。
ひやおろしも生酒とはいえ、一夏寝かせて熟成させているので酒によっては飲み頃が難しい場合もある。
若い、つまり熟成が足りずに尖った感じの味わいだったりすると飲み手を選んでしまうような格好にもなる。
対策として開栓して態と間を開けたり、冷蔵庫に数ヶ月入れておくなど人様々。
だが、鳳翔の場合は違う。
蔵元が出荷した以上は飲み頃な筈、それを如何にして美味しくいただくかを創意工夫すれば良いと考えているようだ。
燗をする事でも味の変化は期待出来るが、それも試して納得の上でなければ店では提供しない。
逆に何も手を加えない方が良いと判断すれば、瓶から直接酒器に注ぐ事だってある。
「このひやおろし、白ワインみたいな味わいですよ」
「へえ、そいつはいいね。じゃあ、肴もそれに合った奴かな?」
「ええ。まだ試作品ですけど、召し上がります?」
「ああ。アイスバイン、だろ?」
そう答えて、提督はニヤリと笑う。
「もう、やっぱりご存じだったんですね」
「さて、何の事かな。ただ、ドイツ艦娘達が何やら騒いでいたってのは聞いたがね」
「まさか、間宮さんが休みだったのも提督の仕業じゃありませんよね?」
「そんな訳がないだろ。悲しいな、鳳翔にまで疑われるだなんて」
肩を竦める提督。
「仕方のない人ですね。罰として、今夜はとことん付き合っていただきますからね」
「おいおい、本気か?」
「ええ。はい、アイスバインですよ」
「はは、こりゃ無条件降伏かな」
鳳翔はカウンターに片口とアイスバインを置くと、外に出た。
そして、暖簾を下ろしてしまう。
「あれ、閉めちゃうのかい?」
「言った筈ですよ、とことん付き合っていただきますよって。この店では、私が上官ですからね?」
「はっ!」
見事な海軍式敬礼で返す提督。
「プッ。もう、提督ったら」
「ははは、じゃ乾杯といくか」
静まり返った夜の鎮守府。
その一角だけが、ささやかに盛り上がっていた。