Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.18 Small Doubt

 午後のテストが始まった。周りは既に手を動かしているが、当然俺たちはまともにテストを受けていない。最初は、危うく真面目に受けそうになってしまったが、その時の俺は、記憶が無いはずなのに何故か問題がすらすらと解けた。ゆりの忠告を思い出して、答えを消したが、もしあのまま全問回答していたら俺も消えていたのかもしれないな。

 俺はチラリと、天使……立華の方を、そして沙耶の方を一瞥する。真面目にテストを受けている立華の後ろの席にいる沙耶は、さっきからずっと黙ったままで、何も目立った行動は見せなかった。

 何を考えているんだろうな、あいつは。

 沙耶の視線は、ずっと立華の方のままだ。真後ろの席だから、前を見れば立華ばかりを見てしまうことになるのは理解できるが、それにしても、沙耶のその瞳は、ただ立華を見ているだけではないように見えた。あの目は、何か考えごとをしているかのような感じだった。

 「……………」

 机の上に膝を乗せ、手に頬を預けてぼーっとしている。

 やっぱり、何を考えているのか全然わからない。むしろ、ただぼーっとしているだけのように見えるが、沙耶のことだから何か考えがあるのだろうな、と思いたい。

 結局、テストの間は目立った動きは見せずに終わった。チャイムが鳴り、教壇に立つ教師が用紙を集めるように言う。答案用紙が全ての列の前に集まった時、それは起こった。

 ふと異変を感じて、俺は沙耶の方を見た。

 その時、沙耶はふらりと、身体を傾けさせていた。

 

 えっ? ちょっと待て。

 

 あのままだと――――

 

 案の定、沙耶はそのままばたーんと椅子から教室の床に倒れていった。その瞬間、教室中からどよめきが生じ、教室にいる者のほとんどが倒れた沙耶に注目が集まった。

 そりゃあ生徒が倒れれば、注目されるのは当然だ。さすがに教師さえも驚いている。俺たちだって驚きだ。

 沙耶、何をしているんだ?

 床に倒れた沙耶に、一番近くにいた、前の席に座っていた立華がそっと近寄っていた。立華は周りのどよめきにも関わらず、落ち着いた様子で沙耶に声をかけていた。ここからは立華の声が小さすぎて、しかも周りの生徒たちのどよめきのせいで聞こえないが、おそらく大丈夫?とか、そんな言葉を投げかけているのだろう。

 騒ぎ始めた教室に、教師が落ち着くよう言いながら、倒れた沙耶の方に歩み寄った。

 「誰か、保健委員は……」

 教師は保健委員を呼ぶ。多分、沙耶を保健室に運ばせる気だろう。

 だが、そんな教師に立華が何かを話しかけている。

 俺は思わず、席から離れて沙耶のもとに向かっていた。

 現場に近付いたために、立華が何を言っているのかはっきりと聞こえるようになった。

 「私が連れ添います……」

 「!」

 立華は教師にそんな提案をしていた。立華が生徒会長だという立場を理解しているからか、教師も立華の言葉を了承した。保健委員ではないが、俺もすぐさま前に出た。

 「俺もいいですか」

 「立華さんはともかく、ここは本来、保健委員が連れ添るのが通常ですが……そうですね、男性のあなたなら彼女を保健室まで運び出すこともできますね。 良いでしょう、彼女を保健室まで運んであげてください」

 「はい」

 俺は、きっと演技だと思いつつも、本当の病人を扱うように沙耶に声をかける。

 「沙耶、大丈夫か?」

 「……ええ」

 病人っぽく、覇気のない声だ。見事な演技力だな。

 「……手伝うわ」

 「助かる」

 あまり動けない(らしい)沙耶を俺の背中におぶらせるために、立華も手伝ってくれる。こうして、俺は沙耶を背負って、ゆりや日向たちの視線を背後に感じながら、立華と一緒に教室を後にした。

 

 

 俺は立華と並んで、保健室までの道筋としての廊下を歩いていた。背中に沙耶を背負いながら。

 やれやれ、多分演技とは言え、俺が沙耶を背負うことになるとは。

 他人を、それも同世代の女の子を背負ったことなどしたことがない……と思う。元々記憶が無いけど。

 でも、何故か俺は誰かを背負ったことがあるような……そんな感じがした。

 どうしても、思い出せないが……その断片的な唯一の記憶は、とても大切なもののような気がした。

 それにしても、沙耶を背負ってみると、重くも軽くもなく、柔らかい体温が感じられる。女というのはこんな感じなんだなと思わされる。人それぞれかもしれないが。

 沙耶の温もりが背中越しに感じられ、ついでに柔らかな感触が触れているような気がして仕方がないが、そこはあえて気にしないでおこう。

 バレると、沙耶に殺されかねないしな。

 「……………」

 「え? 何か言ったか、立華」

 俺は隣で立華が何かを言ったような気がして、問いかけてみた。

 立華は小さく口を開き、その言葉を紡いだ。

 「……ありがとう」

 「……なんで、立華がお礼を言うんだ?」

 「だって、彼女をおぶってくれているから。 私には無理だもの」

 「ああ……そういうことか」

 確かに、どちらかといえば小柄な立華の身体では沙耶を保健室まで連れていくのは一苦労だろう。俺が見た保健委員も女子だったしな。どちらにせよ、男の俺が出ていなくては、沙耶を保健室まで運ぶのは無理だっただろう。

 「気にしなくていい。 沙耶には俺ぐらいしかいないしな」

 「……彼女は、友達がいないの?」

 「うっ」

 直球か。案外、毒舌な所があるのかもな。

 見かけによらず。

 「あなただけ?」

 「ま、まぁ……そんな所だ」

 沙耶の奴、聞いてるだろうな(演技だし)

 俺の背中で怒ってるのかもしれない。

 後ろのことを思うと、同時にまた柔らかな感触も思いだしてしまうため、やっぱり頑張って気にしないでおこう、うん。

 「そう……」

 「……………」

 それを境に、会話は途切れた。

 沙耶には俺ぐらいしかいない。

 以前までなら、はっきりとそれが言えただろう。

 でも、最近の沙耶はあの球技大会以降、戦線の他の奴らとも少しずつ打ち解けているみたいだから、今の場合で言うと、さっきの言い方はそこまで正しくはないのかもしれない。

 俺の他にも、ゆりや日向たち、戦線の仲間たちがいるんだ。

 少なくとも沙耶は一人じゃない。俺がいるし、戦線の仲間たちもいる。

 改めて、俺と沙耶の周りには多くの仲間がいることを気付かされていた。

 「……………」

 そう、俺や沙耶には戦線の仲間たちがいる。

 でも―――

 

 彼女は、どうなんだろう。

 

 俺は隣を歩く立華を一瞥する。

 彼女にも、俺たちのような仲間たちがいるのだろうか。彼女にも、友達はいるのだろうか。生徒会長という立場上、生徒たちの信頼も集めている彼女なら、きっと友達もいるのかもしれない。少なくとも、生徒や教師からは信頼を集めている。

 でも俺たちは、そんな彼女を徒会長という座から突き落とそうとしている。

 そうなったら、彼女はどうなるのだろうか。

 彼女は、どんな存在なのか。

 俺はどうしても、彼女を見ていると微かな寂しさが垣間見える気がする。ただの自惚れかもしれないが、俺は立華が、この世界で、本当に天使と呼ばれるほどの高みの存在であるのだろうかと、思う。

 彼女の“孤独”が見えているような気がする。

 この世界での彼女とは、立華とは何なのだろうか―――?

  

 「着いたわ、ここよ……」

 気がつくと、既に保健室が目の前にあった。立華が保健室の扉を開ける。華に、ほのかな薬の匂いがつく。

 「? どうしたの?」

 「あ、いや……ごめん。なんでもない」

 俺は少しだけ慌てて、沙耶を背負ったまま保健室へと足を踏み入れる。その後を立華が続き、保健室に入った俺たちは、沙耶をベッドに寝かせつけた。

 本当に眠っているのか知らないが、ベッドに寝かせつけた沙耶は瞳を閉じたまま動かなかった。

 保健室の先生はいないらしく、ここにいるのは俺と沙耶、そして立華の三人だけだった。

 「……貧血かしら。それとも、テスト勉強での寝不足?」

 「かもな……」

 テスト勉強なんかしていないだろうから、その線は少なくとも間違いだろう。

 これ自体、嘘っぱちなんだけどな。

 「!」

 立華は椅子を持ってくると、沙耶のそばに椅子を置き、座りこんだ。寝ている沙耶の横で、立華はじっとしている。

 「ああ、立華。 後は俺が見ているから、お前は教室に戻ってくれよ」

 「でも……」

 生徒会長として、一人の生徒も放っとけないってことだろうか。

 「……ありがとな。 俺一人で十分だから、立華は戻ってくれ。 テストがまだ残ってるし」

 「あなたも……」

 「ああ、俺は最初から諦めてるからいいんだ。 でも立華は必死にこの日のために勉強してきたんだろ? ここは俺が見ておくから、立華は次のテストが始まるまでに戻っていてくれ」

 よく俺がこんなことを言えたもんだと思う。俺たちが邪魔しようとしているというのに。

 自分が悪人のように見えて、思わず心の内で自嘲してしまう。

 「……………」

 立華は本当に心配そうな表情をしていたが、やがて「わかったわ……」と頷いてくれた。

 「それじゃあ、彼女をよろしくね……」

 「ああ、任せとけ」

 「……うん、それじゃあ……ッ?」

 その場を立ち去ろうとした立華の手を、それは掴んで、彼女を引き止めていた。その手を掴んでいたのは、ベッドの中で目を開いた、沙耶だった。

 「沙耶……」

 沙耶が目覚めていたことに気付いて、その場を立ち去ろうとして引き止められた立華は、沙耶の方に振り返った。

 「調子はどう……?」

 本当に心配しているように、沙耶に小さくも優しげに声をかける立華。

 対して、沙耶はやはりいつもと変わらずぴんぴんしている。

 「平気よ」

 その言葉はまったくその通りなんだろう。

 だが、沙耶の調子はいつもとは違った。真剣な表情が、その内にある瞳が、立華の方を射抜いていた。

 「……立華さん、ちょっと変なことだけど、聞いてもいいかしら」

 「なに……?」

 俺は違和感を覚える。

 沙耶、何をする気なんだ?

 沙耶の考えが見えない俺は、そのまま彼女らのことを傍観していた。そして、沙耶はベッドから立華の方をまっすぐに見据えながら、率直に口を開いた。

 「―――あなたは、天使なの?」

 俺は、その言葉を聞いて既視感を覚える。

 似たような状況が、俺にもあった。

 立華が次に答える言葉を、俺は知っていた。

 その返答を、俺も聞いたことがあるからだ。

 

 「……私は天使なんかじゃないわ」

 

 それは、まったく同じ答えだった。

 それを聞いて、沙耶は反応を見せず、じっと鋭い視線で立華を見据えている。

 立華も、じっと沙耶の方を見据えている。

 奇妙な時間が流れていく。

 沙耶、お前は一体何がしたいんだ?

 俺は心の中で、沙耶にそう問いかけていた。

 奇妙な沈黙が続く中、その時間がどのくらい続いたのかわからない。沙耶が「…そっ」と小さく溜息と共にそれを漏らした時、その時間は終わりを告げた。

 「ごめんね、変なこと聞いて」

 「ううん……」

 立華は小さく首を横に振る。

 「前にも似たようなことがあったから、気にしないわ……」

 俺は微かにぎくりとする。

 「心配かけてごめんなさい。 あたしは大丈夫だから、立華さんは教室に戻って頂戴」

 「……わかった。 お大事に、ね」

 「ええ、本当にありがと」

 その時、沙耶はニコリと微笑み、そして立華も小さく首を傾げながら、微笑んだ。

 立華は小さく手を振ると、保健室を後にした。

 立華の足音が遠ざかり、それが聞こえなくなると、授業開始のチャイムが鳴り響いた。チャイムが鳴る中、保健室には俺と沙耶の二人だけが残っていた。

 「しかし驚いたよ。 いきなり倒れるもんだからな、さすがに少しびびった」

 「あら、心配した?」

 「……ちょっとな」

 「ふふん、素直に言いなさいよ」

 やっぱりさっきのは演技みたいで、沙耶は全然いつもと変わらない調子だった。

 「にしても……なんであんなことしたんだ? まぁでも、中々よく考えたもんだな。 あんなことになれば、周りは絶対に注目するだろうし、しかも自分は教室から出られるわけだから、飛ばされる心配もないもんな」

 そう言い、俺はははっと笑う。

 「別に……そんなつもりじゃなかったんだけどね。 ただ、彼女に聞きたいことがあっただけよ」

 「……さっきの、か?」

 俺の問いに、沙耶は真剣な表情でコクリと頷く。

 「あの言葉を聞いただけで、十分よ」

 

 ―――私は天使なんかじゃないわ―――

 

 「……………」

 俺にとっては二回目に聞いた言葉。

 俺が初めてこの世界にやってきた日、俺はゆりの言葉が信じられなくて、立華の前に出て、彼女に天使のことを話したんだっけ。

 そして、彼女はさっきと同じことを俺に言った。

 私は天使なんかじゃない、と。

 確かに天使というのは、俺たちの方が一方的にそう呼んでいただけだ。

 実際、彼女がどんな存在なのか、ゆりでさえわからない。要は誰も知らないんだ、彼女の正体は。

 「天使なんかじゃない、か……」

 俺はボソリと言ってみる。

 沙耶はじっと俺の方を見詰めていたが、ふっと逸らすと、ベッドから足を床に投げ出した。

 「あれがきっと、あたしたちの考える問題に対する、彼女の答えなのよ」

 「……なに?」

 何故か、沙耶の言葉が聞き捨てならないような気がした。

 「どういうことだ……?」

 「そのまんまの意味よ」

 沙耶はベッドから這い出て、床に足を付けてすっくと立ち上がる。金色に流れる長髪が揺れる。

 「あたしたちは、飛んだ茶番をしているのかもしれないわね」

 「沙耶……?」

 沙耶の瞳は何かを見つけたような、鋭い光を宿した真剣なものだった。

 俺は沙耶が何を導き出したのか、わからないでいる。

 それは、俺は沙耶にそれを教えてもらうべきなのか?

 「沙耶、一体……」

 「ねえ、音無くん」

 沙耶が、俺の方を見る。

 その鋭い、真摯な、海のような蒼い瞳で。

 「あたしたちは、この世界で何を求めているのかしら」

 「……………」

 「何に、導かれているのかしら」

 「沙耶、何を言っているんだ……?」

 沙耶は、それ以降口を開くことはなかった。

 そして俺も、それ以上沙耶に追求することはなかった。

 

 こうして、あっという間にテスト期間が終わり――――

 俺たちの周りの環境が、確かに変わった。

 それは、やがて俺たちが想像もしていなかったような、予想以上の劇的な変化になるなんて、俺たちはまだ知る由もなかった―――


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