Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
テスト期間が終わったある日のこと。俺は沙耶を探しに、学校の奥に来ていた。
教員練とあって、教師連中がいる職員室が主な場所だ。だからこそあまり訪れる機会がなかったのだが。
前から言っているが、俺は沙耶が普段どこにいるのか何故か知らない。沙耶の方から現れない限り、俺は沙耶と会うこともできない。
この場合だと、俺の方から用がある場合、沙耶に会おうとするのは一苦労だ。何せ無駄に広いこの学園中を探しまわる羽目になるからな。
俺が沙耶を探す理由。
それはテスト期間中にあった、あの時の件だった―――
沙耶があれ以来、何を考えているのか。俺にはいくら考えてもさっぱりわからなかったが、本人に直接聞いた方が早い。作戦が行われたテスト期間は終わり、俺は沙耶と今後のことで色々と聞くために、こうして沙耶を探しに回っている。
何を聞くのかって?
さて、俺は沙耶に何を聞きたいんだろうな。
いや、聞きたいことは最初からわかっている。
それは簡単なことだ。
そして沙耶がそれに対してどう答えるのか、それで沙耶の考えがわかると思う。
「あ……」
珍しく、俺は沙耶を見つけることができた。
沙耶はまるで本物のスパイのように姿を見せないものだから、見つけ出すことができるのは滅多にない。情けない話だが、俺はここで珍しく沙耶を簡単に発見できることが叶った。
「沙耶!」
俺は曲がり角のそばに立つ沙耶のもとへと駆け寄る。
「沙耶、捜したぞ。 って、一体何をしているんだ?」
「……音無くん」
やけに沙耶が真剣な表情で、俺の方に振り返った。沙耶の鋭く、綺麗な蒼い瞳が俺の顔を水面のように映す。
「あたし、さっきここを通りかかる時に、立華さんが教師に呼ばれて職員室に入っていく所を目撃したの」
「立華が?」
立華が教師に呼ばれて職員室に?
生徒会の関係か何かだろうか。しかし、沙耶の表情から察するに、そんなものではなさそうだ。
「……何で立華が」
「あたしが見た所、立華さんを呼んだ教師の顔は何だかご立腹みたいだったわよ。 これ、わかる? 音無くん」
「……………」
ということは、教師は何か立華に対して怒りを持って呼びだすほどの理由があったということだろう。
いや、もしかしたら理由は立華ではなく……
「まさか、俺たちのせいで?」
「多分、その可能性は大いにあるわね」
俺たちはテスト期間中の間、すべての教科において、立華のテスト妨害を遂行してきた。
飛んだり錐揉みしたことは数知れず。特に日向に限っては、飛んだ回数で表すとあいつがダントツで首位を獲得したことだろう。終いには窓の外まで飛び去っていたぐらいだからな。
「もしあたしたちの作戦が成功したとすれば、彼女の受けた教科は全て零点になったことになる。 いいえ、あたしたちの作戦は完璧だったから、その可能性は絶対的に大きいわ。 きっと、彼女は全教科が零点になったことで教師に呼び出されたのでしょうね」
俺はごくりと生唾を飲み込む。
まさか、本当に俺たちのやったことがこんな結果を生み出してしまうなんて。
「しかもあたしたちがすり替えた解答は、すべて幼稚な子供が大人に向かって馬鹿にしたような解答ばかり。 赤点ならまだしも、更に教師を馬鹿にしたような解答だったら、教育的指導に走るのは当然でしょうね」
「でも教師は、立華自身の仕業ではなく、誰かの仕業だってことぐらいわかるはずだろ……?」
「そんなの教師にはわからないわよ。 生徒会長が不真面目な解答をして全教科を赤点で染め上げた……彼ら教師からして見れば、それが一つの“現実”なのよ」
「……なら、立華自身を呼びだして叱るのは当たり前ってことになるのか」
「そういうこと。 …あっ! 出てきたわよ!」
俺は咄嗟に、沙耶が角から覗く職員室の方へと視線を向けた。
そこには、職員室から退室し、静かに扉を閉める立華の横顔があった。
立華は黙々と職員室前から、俺たちの方へとゆっくりと歩いてくる。相変わらずの無表情だが、何故かいつもとは違う様子な気がした。
「立華、どうした。 何かあったのか?」
「……何も」
立華は一言、そう返しただけで、俺と沙耶の前を通り過ぎてしまった。俺と沙耶は立ち去っていく立華の背中を見送るが、どうしてか、その時に見た立華の背中が寂しそうに見えた。
「……間違いないわね。彼女、随分と落ち込んでたわ」
「えっ。 よくわかったな、お前……」
いつもと変わらず無表情だったが、どこかいつもと様子が違う気がしたのは俺も感じた。
だが、落ち込んでいるとか、そこまでわかったのは沙耶だけだ。
「スパイの観察眼は舐めるんじゃないわよ。 それくらい朝飯前よ」
「そ、そうなのか……」
本当にスパイなのか?と疑いたくなるが。
だが、それより立華が落ち込んでいるのが事実だとしたら……
「俺たちが考えていたことは当たりだったってことなのか……?」
「そのようね。 思った通り、彼女はテストの件で教師に職員室まで呼び出されて怒られたって所ね」
「立華は、弁解したんだろうか……?」
「さぁね」
沙耶は肩をすくめ、嘆息を吐く。
「全教科だしね。 全教科の教師にどう弁解するのよって話よ」
確かに……
弁解するとしても、並み大抵のことじゃなさそうだ。
「教師からして見れば、一人きりの叛乱ってところかしらね」
俺は、今の沙耶が言った一つの言葉に引っ掛かる。
“一人きりの叛乱”
それを心の中で呟いた時。
俺は、先程の寂しそうに一人で歩く立華の姿を思い浮かべていた―――
「そういえば音無くん、あたしに何か用があったんじゃないの?」
そうだ。俺は沙耶を探しにここまで来たんだ。
「あ、ああ。 そうだった……」
俺は沙耶の方を見据える。沙耶の瞳は吸い込まれそうなほどの蒼い瞳で、それはまるでサファイアの宝石のようだった。吸い込まれそうな瞳を、俺は真っ直ぐな視線で見据えた。
俺の視線を察してか、沙耶も真剣な表情になる。
俺は、一つ気になっていたことを、口にした―――
「沙耶は、立華のことをどう思っているんだ……?」
「……それは、どういう意味かしら」
「立華が、どういう存在なのかってことだ」
沙耶は、あの時―――立華に問いかけた。
―――あなたは、天使なの?―――
それに対して、立華は淡々と答えた。
―――私は天使なんかじゃないわ―――
それは、俺も既に一度は聞いたことのある答えだった。
それを、沙耶が聞き、俺はまた同じ答えを聞くこととなった。
だが、俺はここで改めて考えさせられる。
俺がその言葉を聞いたのは、この世界に来てまだ間もない時だった。だからほとんどそのことを忘れていたのだが、沙耶の問いをきっかけに、同じ答えを聞いたことで、俺は再びその言葉を思い出すことになった。
俺は、神が本当に存在するのか。
天使という存在も実在するのか、以前は気になっていたことがある。
だが戦線のあいつらと色々と絡んでいくうちに、いつしかその疑問を俺は忘れていった。
沙耶のおかげで、俺は再びその思いを思い出すことができたんだ。
こいつは、沙耶は、俺が忘れていたことを、ずっと思い浮かべていたんだ。
この世界のことを。
天使という存在のことを。
「……………」
真剣に見詰める俺の視線を真正面から受け止め、沙耶はじっと俺の瞳を見据えていたが、やがてふぅ、と嘆息を吐くと、腕を組んで口を開いた。
「あたしが思うに―――彼女は、立華さんもまたあたしたちと変わらない“人間”だと思うわ」
「……俺たちと同じ人間、か」
「ええ。 そもそも、彼女自身が最初からきっぱりと言ってるもの」
確かに。
俺はこの世界に来た直後、まだ何もわからない俺にゆりたちは天使がどうとか言っていたせいで、俺は立華を本物の天使と思い耽っていた節がある。
だが、既に立華は最初から俺に言っていたんだ……
私は天使なんかじゃない、って―――
でも。
だとしても、彼女が天使ではないと認めてしまった場合。
俺たちが今まで立華に対してやってきたことも、否定してしまうことにも繋がるんじゃないのか。
これ以上考えると、俺たちのしてきたことはつまり……
「でも、本当のことは誰にもわからない」
「―――ッ?」
沙耶が、腕を組んだまま背を壁に預け、顔を微かに上げて、遠くを見据えるようにぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「彼女が一体何者なのか……それ自体は解明されたわけじゃない。 天使なのか、人なのか、それこそ神にしかわからない事実。 もっとよく彼女のことを知ることができなければ、真実がわかるはずがない」
「沙耶……」
沙耶の言うことも妙に説得力があった。
だが、俺も薄々は気付いていたのかもしれない。彼女が俺たちと変わらない存在であることを―――
でも、真実は誰にもまだわからない。現時点においては、神にしか知りえないこと。
それは、まだわからないというだけ。
「彼女のことを知れば、いずれわかるわよ」
「……?」
ふと、沙耶の言葉が妙に引っ掛かった。
微かに笑みを浮かべている沙耶の横顔を見て、俺は違和感を感じる。
「沙耶、一体……」
―――何をするつもりだ?
俺は思わず噤んだ口の奥で、そんな言葉が出かけていた。
俺が沙耶に何を聞くって言うんだろうな……
そして―――
それは、全校集会で語られた。
かつてはガルデモの陽動ライブも開かれた広い体育館に全校生徒が集っていた。全校集会という名目の中で、生徒たちの前で校長自らが直々にそれを発表した。
「―――というわけでありまして、立華奏さんは本日を以て生徒会長を辞任。 つきましては、副会長の直井君が、生徒会長代理として……」
校長の左右隣にはそれぞれ、立華と直井という生徒会首脳二人が立っていた。会長の座から下ろされた立華に代わって、一方の直井という副生徒会長が代理を務める格好となっていた。
「辞任じゃなく、解任ね」
「ゆりっぺ……」
今やって来たらしいゆりの言葉に、その場にいた俺たちがゆりに注目した。
「果たして一般生徒に成り下がり、大義名分を失った彼女にあたしたちを止められるかしら」
不敵な笑みを浮かべながら、ゆりは言った。
そしてここぞとばかりに、ゆりは続ける。
「今夜、オペレーション・トルネード決行よ」
生徒会長から一般生徒に成り下がった立華が、再び行動を見せる俺たちにどういった対応を見せるのか。その意味としても確かめるために、今夜はオペレーション・トルネードが決行されることが決まった。
でも、この先俺たちの身に何が起こるのか、この時は誰も予想していなかった。俺でさえ。だが、普段から何かを察していたらしいたった一人を除いては―――