Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

20 / 80
EPISODE.20 You and I

 時は少し前に戻る。

 テストが始まって、ゆりが選りすぐれた対天使成績撃墜チームが、椅子ごと吹っ飛んで頭を天井にぶつけたりと、色々と破天荒な戦いぷりを披露している頃。

 それ以外のメンバーは作戦に参加することは特になかった。作戦はゆりたちメンバーがそのままの面子で続けて遂行していたので、他のSSSの隊員が本作戦に直接関わることはなかった。

 一方、陽動部隊としてSSSの期待を背負い、そして一般生徒からも高い人気を得ているガルデモは今度のライブの準備が行われていた。

 岩沢に代わって新たな二代目ボーカルとして加わったユイの、新生ガルデモの初めてのライブであるために、ガルデモ内では僅かな緊張感が漂っていた。

 特に初めてのライブデビューとなるユイ自身が、緊張やら責任やら、様々な圧力(プレッシャー)を背負っていたのは言うまでもなかった。

 

 「ん~~~~~~」

 誰もいない空き教室の真ん中で、私は胸の前で腕を組んで、難しい表情で唸りをあげていた。

 私の目の前には、ベースを担当するひさ子さんから渡された楽譜があった。そこにはただ、何も語らない無口の曲が一つ、書かれているだけだった。

 「あ~~~~~。 思いつかないぃぃぃ」

 その楽譜は一応曲は大体出来上がっているのだが、歌詞がまだ無いのだ。

 今度のライブは私の初めてのライブでもあることもあり、新ボーカルを加えた暁に新曲も用意されていた。そして今度のライブまでに、私はこの曲の歌詞を全面的に任されることになった。

 岩沢さんは今まで歌詞も自分で作っていたことは知っていた。だから、その岩沢さんの位置に立つ者として、私は岩沢さんのボーカル兼ギターというポジションを引き継ぐためにも、この試練を乗り越えなければならなかった。

 陽動部隊の下っ端をやってきた頃から、岩沢さんへの憧れのために密かに練習していたため、ギターは人並みに弾けるし、歌も十分歌えるほどの力はあった。こんな私を受け入れてくれた皆のためにも、私は岩沢さんやひさ子さんたちに恥じない姿を見せなければならない。

 でも、早速大きな壁にぶち当たった。ギターは弾ける、歌は唄える。でも、歌詞を書くのは初めてだ。

 「はぁ……こんなんじゃ駄目じゃん、私」

 皆を裏切るためにはいかない。

 駄目でも、難しくてもやらなくちゃいけないんだと自分に言い聞かせる。

 改めて、岩沢さんはやっぱり凄いなと思い知らされる。

 そして、あの日、岩沢さんが消えた時のことを思い出す。

 教師たちに追い詰められ、辺りが静まるほどの美しい曲を歌う岩沢さんの姿。私は周りと同じように岩沢さんに惹かれ、その歌声に耳を静かに傾けていた。頬に伝う涙も、構わずに。

 そして―――岩沢さんは、消えた。

 思い出すと、またあの時の気持ちがこみ上げてきそうだった。

 でも、私は泣かない。

 今、私が立っている場所は、かつて岩沢さんが立っていた場所だ。

 これくらいで根をあげてたら、岩沢さんに笑われる。

 岩沢さんは、本当に凄い人だった。

 私も、ずっと憧れてたんだもん。

 岩沢さんは歌詞も書いていた。

 だったら私も、頑張らなくちゃ―――

 「―――うんっ」

 私は椅子からガタンと音を立てて立ち上がると、楽譜を持って教室をあとにした。

 外に出てぶらついていれば良い歌詞も思いつくかもしれない。

 私は授業開始の合図であるチャイムが鳴り響く廊下から、外に向かって駆けていた。

 

 今はテスト期間中ということもあって、学校中は静かだった。グラウンドには体育の授業をしている生徒の姿もない。シンと静まった世界で、私は一人、無駄に広い学園の敷地内を歩いていた。

 こんなので、良い歌詞が思いつくのかな……

 とりあえず、私は歌詞が頭の中に思い浮かぶまで、学園中を歩き回ることにした。

 

 やがて、私はある校舎のそばに来ていた。そういえば、ここの辺りは先輩たちがいる教室ではないかと思い至ったとほぼ同時に、いきなり私の耳に衝撃に近い悲鳴と轟音が襲った。

 「うひゃッ?!」

 私はビクリと肩を震わせていると、突然、校舎の窓から何かが勢い良く飛び出してきた。窓を突き破って空に描かれた噴煙を見て、一瞬ロケットかと思ったら、弾頭をよく見てみるとそれは椅子にお尻を貼りつけた人間だった。

 余りの衝撃的映像に、さすがの私も呆然となった。人間ロケットはどこかで聞いたことがあるような悲鳴を残していくと、そのまま中庭の茂みへと落下した。

 爆発のような音が落下地点から響き渡る。私は慌ててその落下地点へと駆け寄った。

 もくもくと茂みから煙が昇っている。まるで本当にロケットが着弾したみたいな光景だった。それでも私はそれがロケット以外のものであることに気付いていた。おそるおそる茂みを覗きこむと、そこには、クレーターの中心にぼろぼろの姿で仰向けに転がっている日向先輩の姿があった。

 「おおうッ! やっぱりひなっち先輩じゃないですかッ!」

 「ユ、ユイか……」

 不思議なことにまだ意識があるらしく、息も絶え絶えながらも、先輩は反応を返してみせた。

 「……何してるんですか?」

 「俺も自分が何をしているのか知りたいぐらいだぜ……げふ」

 「?」

 瀕死状態に陥っている日向先輩を、とりあえず私はクレーターから引きずり出してあげた。

 

 

 「……ん」

 「あ、ようやくお目覚めですか先輩」

 目を開けると、俺の視界に一番にユイの顔が映った。どうやら、俺は今まで意識を失っていたらしかった。まぁ、無理もない。何せゆりっぺの滅茶苦茶な作戦のおかげで、椅子ごと窓から外に吹っ飛ばされたんだからな。

 「……ん?」

 ふと、俺は違和感を覚えた。俺の視界に入るユイ。俺の身体はまだ起き上がっていない。そして後頭部に感じる、微かに暖かくて柔らかな感触。

 これは……

 「……………」

 俺は理解したが、特に反応は現さなかった。

 ユイはやけに嬉しそうな表情をしている。こんな顔もするんだなとなんとなく思う。

 別に嬉しかねえが、俺はユイに膝枕をしてもらっているみたいだった。後頭部に感じる暖かな柔らかさはユイの膝だろう。そんなことは容易に想像ができた。まず俺自身の辺りの環境を見れば一目瞭然だ。

 女の子に膝枕をしてもらうという場面(シチュエーション)は健全な男子であれば、儚い夢の一つと言えるだろう。だが、相手はユイだ。ユイのことだから、特に意識することなく天然でやっているか、それとも俺のリアクションを楽しもうとしているのか。

 まあ、どっちにしろ俺には知ったこっちゃない。もし膝枕の相手が美人のお姉さんだったら素直に嬉しかっただろうけどな。

 「先輩、死んだように眠ってるんですから……起こそうかどうしようかずっと悩んじゃいましたよ」

 ユイの言い方から察するに、俺は長い間気絶してたみたいだな。

 「俺、どれくらい伸びてた……?」

 「一時間分の授業が終わって、既に次の授業が始まってるぐらいです」

 「そっか……」

 じゃあ、今更教室に戻っても仕方ないな。

 今日のテストは今の授業で終わりだし、俺は椅子ごと校舎の外に吹っ飛んで気絶したという情けない最後で今日は閉めることにしよう。

 それにもうこれ以上吹っ飛ばされたくないしな。椅子ごと吹っ飛ぶ役は音無たちに任せよう。すまねえ、音無たち。

 ……まあ、それはいいとして。

 それにしても、何故ユイはさっきからニコニコと嬉しそうなんだろうな。

 「ど~ですか、先輩?」

 と思ったら、いきなりニヤリと笑いやがった。

 「……何がだよ」

 「とぼけないでくださいよ」

 ユイは終始ムカツク笑みを浮かべながら、言った。

 「女の子に膝枕してもらってる気分はどうですか? 男の子としてはまたとない嬉しい瞬間でしょ~」

 「……ッ」

 く、その面がムカツク…!

 「な……ふ、ふん。 何言ってるんだよ、こんな色気もなさそうな小っこい膝を枕にされても嬉しくもなんともないっての」

 「またまた、照れなくても良いのですよ。 先輩♪」

 「誰が照れて……ッッ!!」

 その時、俺は頭を撫でられるという不意打ちを受けて、思わず固まってしまった。

 目の前のユイの表情は、またニコニコとした嬉しそうな笑顔だった。

 「だって先輩、さっきから顔が赤いですよ」

 「ッッ!!!」

 ユイのありえない発言に、俺は頭が熱湯で沸いたかのような錯覚に陥る。

 俺がユイに膝枕されて赤くなってただと?

 「そ、そんなこと……」

 あるわけない、という言葉が何故か出ない。

 この時、俺は自分自身をこの手で殴りたいとこれほど強く思ったことはなかった。

 「痛いの痛いの、飛んでけ~……なんて。テヘッ」

 「!!」

 俺は、目の前のユイの可愛らしい笑顔を見て、わかった―――

 そうか、俺はやっぱりこいつを……

 「おや、もしかして更に照れましたか?」

 「それが……」

 「へ?」

 「そういう所がムカツクんだよぉぉぉぉッッッ!!!」

 「ふぎゃああああああッッ!!? 先輩先輩ッ! ギブッ! ギィィィブッッ!!」

 やっぱりこいつのこういう所がムカツクんだと改めて思い知ることとなるのだった。

 俺はベンチの上で、捕まえたユイの身体を卍固めで締め付けていた。

 

 

 折角助けた挙句膝枕してあげたのに、この仕打ちはさすがに酷いなと思う。

 背骨が折れるかと思いましたよ、うう……

 「その、ユイ……悪かったな」

 「いえ、もういいです……」

 さすがに先輩もやりすぎたと思ったのか、少しは悪びれるように謝ってくれていた。

 「というか、なんであんなことになってたんですか……?」

 私はさっきからどうしても気になっていたことを聞いてみた。

 まぁ、今回の作戦に関係したことなんだろうなということは大方想像できていますけど。

 日向先輩は今回の作戦の悲惨な過程を語ってくれた。持ち前のネタが不発すれば、ある者は椅子ごと吹っ飛んで天井に頭を強打させ、ある者は椅子ごと吹っ飛んで天井に頭を強打させ、ある者は椅子ごと吹っ飛ばされて稀に外まで飛び出すこともある。

 「何かのバラエティ番組ですか」

 「俺が知るかよ……」

 先輩は何度もダメージを受けたと思われる頭を擦りながら、唇を尖らせていた。

 「しかし窓から椅子ごと吹っ飛んで外に飛び出すとは………先輩も芸人の鏡ですねッ!」

 「芸人じゃねーよッ! そんな良い笑顔で親指立てんなぁぁぁッッ!!」

 先輩が本気(マジ)で怒鳴る。私はただそれを面白がって笑うだけだった。

 「…ったく。 毎度毎度吹っ飛ばされる身にもなれってもんだぜ。 普通の人間だったら頭割られて死んでるっての」

 「あはは、この世界で死ぬわけないじゃないですかー」

 「あははじゃねえッ!」

 先輩は見ていていちいち面白い。

 私も自然と笑みがこぼれるのは仕方のないことだ。

 「……ん? ユイ、それなんだよ?」

 「あ……」

 先輩はベンチの横部分に置いてあった楽譜に気付いたらしく、指をさして問いかけた。

 「あ、あはは。 今度の陽動ライブで歌う新曲ですよ。 ほら、私にとっては初めての陽動ライブじゃないですか。 それで、今歌詞を作ってるんです」

 「そういえば岩沢も自分で歌詞書いてたらしいもんな。 って、ユイもかよ」

 日向先輩は驚いたように、そしてどこか感心するように言った。

 でも私自身は少しだけ心が晴れない。

 「あはは、でも歌詞を書くのって思ったより大変ですね。 実を言うと、これが全然思い浮かばなくて、ユイにゃん大ピンチなわけですよ」

 「……ふーん」

 私はさっきのように笑おうとするが、思ったように出来ずに、引きつったような笑みになってしまう。

 うう、何やってるんだろ私。

 「やっぱり岩沢さんは凄いんだなって思い知らされました。 私なんて歌詞も書けない。 こんなのが岩沢さんに代わる新ボーカルなんて、笑っちゃいますよね」

 自分を虐げるように、私は言う。そして自嘲する。

 先輩は何も言ってこない。というよりは、私が一方的に話しているだけのようにも見えた。

 「やっぱり私に、岩沢さんのようなボーカルにはなれないんでしょうかねぇ」

 岩沢さんのようになりたい。

 私はずっと前から、そう思っていた。

 岩沢さんは私の憧れだった。希望だった。岩沢さんたちガルデモのライブを見て、私は彼女たちに惹かれて陽動部隊に入った。下っ端としてだったけど、憧れる岩沢さんたちのためなら、私はどんな雑務もやってきた。それが岩沢さんたちに少しでも力になれるのなら。

 正に、生きていた頃の私なら、尚更岩沢さんのような人を尊敬していただろう。かつての私は、本当に何も出来なかったから―――

 

 「そんなこと、ねえよ」

 

 目の前から降りかかった言葉に、私はハッと顔を上げた。

 いつもとは微かに、ちょっとだけ真剣な瞳で、私を見据えてくれていた。

 「岩沢に出来て、なんでお前は出来ないことになるんだよ」

 「え……?」

 先輩は呆れがちに笑って、嘆息を吐く。

 「お前、岩沢に憧れて今まで頑張ってきたんだろ? だったら、これからも同じように頑張っていけばいいじゃねえか。 何かあったら、俺も出来る範囲で助けてやってもいいぜ?」

 いつもと変わらない調子で、先輩は簡単にそう言ってくれた。

 でも、それが逆に私の心を落ち着かせた。じわじわと、暖かさが身体の芯まで染みていく。

 「俺は十分今のユイは凄いと思ってるよ。 俺には真似できない」

 「……………」

 「お前なら出来るさ。 そう思え」

 「……他人事のように言ってくれますね、ひなっち先輩は」

 でも、私の心はまたさっきの、先輩と話していた時と同じ、軽くて暖かい気持ちに満ちていた。

 そして、その気持ちが、私にふつふつと、それを沸きだしてくれた。

 「……よし」

 私は楽譜を取りだすと、鉛筆を出して書き始めた。いきなり、しかも颯爽と作業を始めた私の姿に驚いたのか、先輩は口を開いた。

 「何だ、もう思いついたのか?」

 「ええ、おかげで良い歌詞が書けそうですよ。 先輩、ちょっと待っててくださいね」

 「は? なんでだよ」

 「私が書いた歌詞、先輩に一番に聴かせてあげます」

 「……ははっ。 なんだそれ、偉そうに言ってくれるなぁ」

 「ふふ、ユイにゃんの実力とくとご覧あれですよッ」

 そして私は歌詞を楽譜に書き始めた。黙々と作業を始めた私を、先輩は本当に待っていてくれていた。

 ベンチに座り、私は黙々と思い浮かんだ歌詞を書いていく。そしてその隣には、日向先輩が静かに、放課後のチャイムが鳴ろうと、空で日が落ちようとしていても、ずっと私のそばで待っていてくれた。

 

 

 そして日がほとんど落ちて、辺りが薄暗くなり、外灯が灯した時。

 私は書き上げた歌詞の楽譜を覚えると、ギターを持って、外灯が灯す淡い光の下で立ち尽くした。

 辺りが暗くなり、外灯の光だけが私を灯している。外灯の光が私のステージに照らす光だった。そして、私の目の前、ベンチに座っているのは一人の観客。日向先輩。

 「それじゃあ、いきます」

 ギターを手に、弦を弾くためにスッと構える。

 シンと静まった世界で、私と先輩の二人だけ。そんな世界の、ひんやりとした空気を、ゆっくりと吸い込む。

 そして私は――――歌を紡いだ。

 日向先輩との時間を過ごして思い浮かんだ歌詞を、私は空気に浸透させるように歌った。

 

 

 

 ―――不機嫌そうな君と過ごして

 

 ―――わかったことがひとつあるよ

 

 ―――そんなふりして戦うことに必死

 

 ―――いつまでも 変えないで 氷のように

 

 ―――夏の陽射し暑くても溶けずにいてね

 

 ―――きっと先に 美しい氷河があるよ

 

 ―――形あるそんな心 誰だって気付けば持ってる 君も持ってる

 

 

 外灯の光だけが灯す中で、私は淡い光に照らされながら、歌を唄い続ける。

 ベンチに座る、たった一人の観客に向けて。

 静かに自分の歌を聴いてくれる、彼に向かって。

 

 

 ―――お腹が空いて歩けなくなって

 

 ―――わかったことがひとつあるよ

 

 ―――やるべきこと先送りにしてやりたいことばっかやってる

 

 ―――ご飯食べて戦う支度しよ

 

 ―――いつまでも 持ってたいよ 鋼のような

 

 ―――どんなものも通さない頑固な意地を

 

 ―――きっと今も立ちつくして守りの途中

 

 ―――行く手には 数え切れない

 

 ―――敵がいてあたしを待ってる 君にも待ってる

 

 

 私は初めて自分が書いた歌詞を読むように、唄うように、歌う。

 これが私のやりたかったことのほんの一つ。

 

 

 ―――迷った時には心の地図をあたしに見せてほしい

 

 ―――それなら行き先すぐわかるから

 

 ―――自分じゃわからないだけ

 

 

 まだまだ私がやりたいことはたくさんあるけれど。

 

 

 ―――さあさ進もういくつもの架け橋

 

 ―――いつまでも 一緒だから 恋人のように

 

 ―――夏の陽射し暑くても離れずいるね

 

 

 その内の一つだけが、ここで叶った瞬間でもあった。

 そしてそれを一番に捧げる彼に。

 私は私の初めてを贈る。

 

 

 ―――きっと先に 壮大な景色が待つよ

 

 ―――その時は溜まっていたその気持ちぜんぶ聞いてやる

 

 ―――あたしも持ってる 君にも聞かす たっぷり聞かす

 

 

 いつかこの想いも、叶えられたら良いな。

 私の、この気持ちを。

 いつかこれも聴かせてあげられる日を望んで。

 

 

 歌い終わり、私はぺこりと頭を下げる。歌い切った気持ち良さや初めての自分の歌が歌えたことなど色々な気持ちが複雑に絡まっていたが、とにかく私は拍手を贈ってくれる先輩に、照れ笑いを浮かべることしかできなかった。

 「バッチリじゃないか、ユイ。 歌、良かったぜ」

 「ほ、本当ですかッ! 良かった~~~~」

 突然身体中の力が抜けていく。

 安心感が私の心にまるごと溶け込んでいった。

 ああ、私にも出来るんだ。

 憧れた岩沢さんのように。何も出来なかった私が、また一つ、出来るんだってことが証明された。

 ぺたんと座りこんだ私は、差し伸べられた手の先を見上げた。

 そこには、先輩がいた。

 「もう暗いし、帰ろうぜ。 ユイ」

 「……はいッ」

 私は先輩の、思ったよりも大きな手を握り、先輩に引かれるままに立ち上がった。

 「今度のライブ、期待してるぜ」

 「もちろんですっ」

 ああ、今が夜で、暗くて良かった。

 ちょっと涙を浮かべて、頬を微かに朱色に染めた乙女チックな表情なんて、日向先輩には到底見せるわけにはいきませんからね。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。