Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
立華が会長を辞任―――というよりは解任させられた日の夜、俺たちは生徒たちから食券を巻き上げるオペレーション・トルネードを実行することになった。
いつものように俺たちは、生徒の陽動をガルデモに任せ、それぞれの配置に付き、俺たちを邪魔する敵が現れないか警戒を強めた。
食堂の大ホールではユイを新たに加えた二代目ガルデモのライブが行われていた。人気ボーカルだった岩沢がいなくなったことで一般生徒にガルデモに対する見方に影響が生じるおそれがあったが、それはいらぬ心配だったようで、ユイを新ボーカルにした二代目ガルデモも生徒の好評を大いに買っていた。
ボーカル兼ギターを務めるユイが歌う新曲は、初めてとは思えないほどの盛り上がり様を弾きたてていた。誘導の方は心配は皆無みたいだ。後は―――
「音無くん」
「…! 何だ、沙耶」
俺の顔をジッと見据える沙耶の表情は、真剣だった。俺はそんな沙耶の真剣な表情と射抜くような視線に変な緊張を覚えた。
「作戦の最中に考えごとなんてあまり感心しないわね。 何か言いたいことや、聞きたいことがあるならはっきり言った方が良いわ。 すっきりするわよ」
「……………」
俺は沙耶に、頭の中を見透かされているような錯覚を覚える。沙耶の頷く真剣な表情に押されるように、俺はぽつりと口を開いていた。
「なあ……」
「ん?」
俺と沙耶、そして日向は食堂大ホールの見渡しの良い縁側で、銃を手に見回りをしていた。俺は同じく見回りをしている二人に、自分でも今更に思うような質問を投げかけてみた。
「俺たちは、何と戦っているんだ……?」
「そりゃ邪魔する奴だよ」
「誰が邪魔しに来るって言うんだよ……」
日向はさも当然のように答えてくれたが、俺はどうしても腑に落ちなかった。
「来るとしたら天使だろ。 いや、あの生徒会長代理が来るかもしれないぜ」
「そいつは一般生徒だろ? 撃っちゃ駄目だろ……」
「ああ、そっか」
俺は思わず肩を落とす。
俺たちはNPCである一般生徒には危害を及ぼさない。だからこそ、こうして作戦中はガルデモのライブで陽動する。
でも、噂の生徒会長代理はともかく。
本当に来るんだろうか、天使は。
―――立華は。
作戦が始まり、ほぼ同時にライブが始まってそれなりの時間が過ぎていた。ライブもますますの盛り上がり様を見せている。ガルデモの勇ましい演奏、それに乗るユイの歌、そして沸き立つ生徒たちの歓声。
食堂の大ホール中に響くような盛り上がりが勢いを増すのを横に、俺たちは日向曰く“邪魔する奴”が来ないか見張りを続ける。そんな中、何かに気付いた沙耶がいきなり声をあげた。
「来たわよッ!」
沙耶の声に、俺と日向は一斉に沙耶の方に駆け寄った。見てみると、一人の女生徒が、ライブ中の食堂にふらふらと歩いてくるのがわかる。銃のスコープに覗いてみると、その女生徒の顔がはっきりとわかった。
今までライブの度に現れた天使が、今回も俺たちの前に現れた。ただ、今回はいつもと様子が明らかに違う。
「ガードスキル発動前に、行くぜぇ……ッ!」
日向が銃を構え、照準を天使に合わせる。
だが、俺は咄嗟に声をあげていた。
「いや…! 撃つなッ!」
「な…ッ?! なんでだよ……!」
俺は日向を制止すると、他のみんなにも合図で攻撃を仕掛けることを自粛するように促す。みんな、不思議な顔を俺に向けたが、俺自身も自分が何を言っているのかよくわからない。
ただ一つわかることは―――
「様子がおかしい…ッ!」
俺の言葉にぴくりと反応した沙耶が、表情を険しくして、真剣に聞いてくる。
「音無くん、どういうこと? 何がおかしいと言うの?」
「わかんねえけど……生意がないというか、無抵抗というか、違う目的でふらっとやって来たような」
「……………」
俺に言われて、沙耶もスコープで覗いて確認する。俺もじっとスコープから観察するが、明らかに様子がおかしい。元気が無いというか、どこか落ち込んでいるような、そんな気がする。
「なるほど……確かに、親に怒られて落ち込んだ子供のような感じね」
「そう……なのか? 俺には大して変わっているようには見えねえけど……」
普段から無口で表情の変化が乏しい彼女だからこそ、日向にはわからないようだった。どうやら、気付いたのは俺と沙耶だけらしい。
やがて、彼女はふらふらとした足取りで、彼女の様子とは裏腹の盛り上がる食堂へと入っていった。
食堂の大ホールは大規模な広さを誇っているのだが、それに構わず生徒たちは大ホールに溢れんばかりに集まっていた。大勢の生徒がガルデモの復帰に喜び、新曲を加えたライブに大興奮の様を露呈させていた。ライブはいよいよ最高潮の盛り上がるに達しようとしている。そんな矢先―――
「な……ッ!」
上で見張っていた高松くんが慌てて何かをあたしに教えようとしていた。あたしはそれに促されるようにホールの方を見渡してみると、入口の方から生徒たちの群衆に紛れこむように、天使が侵入する姿を目撃することになった。
何故天使がここに…ッ!?
やっぱり現れたかとも思うけど、それにしても外は何をしているというのか。
外の連中にどういうわけか聞こうと無線機を掴んだが、その前に天使の様子がいつもと違うことに気付いた。
天使は動きにくそうな群衆の中を進むと、ガルデモを見向きもせずに、群衆を抜けてある場所へと向かっていた。どこか元気が無さそうな歩みで向かったその先には、食券を買う自販機があった。
『どうしますか?』
「ちょっと待って」
高松くんの呼びかけに、奇妙な感覚が抜けないあたしはそんな言葉を返していた。
「(何なの? 様子がおかしい……)」
これまでに長い間天使と戦ってきたけど、こんなことは初めてだ。あんな天使を見るのも今までになかったし、こういう場合どうすれば良いのかもわからない。とりあえず、もう少し様子を見てみないことには、場に応じた冷静な判断も付けられない。
「(? あいつ、何を……)」
天使の行動を見て、あたしは怪訝な表情を浮かべる。
小銭を入れている所を見ると、食券を買おうとしているみたいだ。
そして、その天使が伸ばす指の先には―――
あれは……
全校生徒が一切手を出さない激辛で有名な麻婆豆腐ッ!?
まさか、あたしたちに食べさせて一手報いようと言うのか……
いや、でも……
あたしが天使の不可解な行動に頭を悩ませていると、不意に遊佐さんから声が掛けられた。
「ゆりっぺさん、盛り上がりは最高潮に達していると見受けられますが」
「え…っ?」
見てみると、確かにライブの盛り上がりは遂に最高の盛り上がりだった。
「指示を」
「あ…ぅ……え、ええ……」
つい、色々と翻弄されてどうすれば良いか判断に困った。
ライブの盛り上がりは最高潮、その一方で天使の不可解な行動。
「………ッ」
いや、あたしたちがやることは最初から決まっている。
本来の目的を思い出せ。
「やれ…ッ!」
「回してください」
意を決して、あたしは命令する。それに応えるように、遊佐さんが巻きあげ班にあたしの命令を伝える。
あたしの発した命令通り、巻き上げ班から会場に向かって強風が巻き上がる。吹かれた強い風は一般生徒たちを撫で上げ、一斉に生徒たちの食券を攫った。巻き上げられた食券がトルネードの如くホール中に舞い上がった。
そして、彼女の手からもまた、食券が舞い上がる。
「あ……」
突然のように吹かれた風は容赦無く、彼女の手から食券を奪い去った。一枚の食券は紙吹雪の中に紛れこみ、見上げる彼女の目の前から一瞬で消え去った。
掲げられた彼女の手のひらには、何も無い。何もかもを失った彼女の手には、ささやかな幸せさえ無くなってしまっていた。彼女はただ、風に奪い去られた食券の群れに、寂しげな表情を浮かべるだけだった。
彼女の手は、虚空だった――――
俺は外からきらきらと光るホールの中を、ガラス越しに見ていた。ライブに集まった一般生徒の数に比例して巻き上がった無数の食券が、まるで紙吹雪のようにきらきらと舞い落ちていく。その光景は幻想的ではあったが、俺の胸の内は、何故かよくわからない気持ちで渦巻いていた。
―――学園大食堂 フードコート
結局、天使は現れはしたが、何もしなかった。作戦は何の妨害も無く終わり、俺たちは今、こうして生徒からの巻き上げで手に入れた食券を手に、食堂で並んでいた。
「ねえ、音無くん。 何が当たった?」
「ん」
俺は沙耶に、あの時掴んだ食券を見せつける。その手のひらに乗った食券には、「麻婆豆腐」という文字が書かれていた。
「あら、いいじゃない」
「そう言う沙耶は何が当たったんだよ」
「肉うどん。 まぁ、好きだから別にいいんだけどね」
「何だお前! それ、誰にも頼まないで有名な激辛麻婆豆腐じゃん」
後ろから覗きこむように、日向が言う。俺の持つ麻婆豆腐の食券を見て、気の毒そうな表情を浮かべていた。
「ここの麻婆豆腐って、そんなに辛いものなの?」
「猛者でも白いご飯と一緒に頼んで、ドンブリにして食うんだぜ?」
「…これ掴んじまったんだから、しょうがねえだろ」
ひらひらと俺の目の前に落ちてきた食券。俺はただそれを何となく掴み取った。まさか、それがそんなに言われているほどの代物だったとはな。
食券と引き換えに貰ったそれぞれの飯を、俺たちは食べ始める。ここにいるのは俺たちだけだ。本来、この時間は指定された時間帯じゃないから、一般生徒がいないのは当然だった。
俺は真っ赤に染まった噂の激辛麻婆豆腐を前に、一粒の汗を流した。確かに日向の言う通り、見るからにやばそうな色合いをしている。俺は一口、それを口の前まで持っていくが、その如何にも激辛を表したかのような色に、俺は一瞬躊躇する。だが、俺は意を決して、口の中に放り込んだ。
「んむぐぅッ!!?」
日向たちが見守る中、俺は一口目を口にした。そして速攻で襲いかかってきたありえない辛さに、俺は一気に大量の汗を噴き出して俯いた。まるでマグマのように押し寄せてくる激辛の波に、俺は必死に堪えるしか手段がなかった。
「ちょ、ちょっと大丈夫? 音無くん」
沙耶が心配そうに、悶える俺に声を掛けてくれるが、俺は返事を返すほどの余裕はなかった。
一口でこの辛さは異常だった。口の中が燃えるように熱くて、波のように押し寄せてくる辛さが―――
「……あ、でも美味いぞ」
しかし、燃えるような辛さは前半だけだった。後からその痛みをやんわりと包み込んで、優しく癒してくれるような風味な美味しさが、じわじわと俺の舌に染み込んでいく。確かに激辛ではあったが、こんな美味い麻婆豆腐を食べたのは初めてかもしれない。
「日向、沙耶、食ってみろよ!」
「「えっ」」
一部始終を目撃していた二人は、悶えていた俺の姿を見たからか、不安そうな顔をしていた。
「冗談でしょ……?」
「本当だって。 食ってみろよ」
「じゃあ、一口だけ……」
「そ、そうね。 一口だけ……」
そう言って、不安な色は拭いきれていなかったが、二人は俺の麻婆豆腐に手を伸ばす。それぞれ一口分だけ取っていき、ぱくりと口の中に含んだ。その次の瞬間、二人の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「のわあああああああああああッッッ!!!」
日向の絶叫。あまりの辛さに汗を滝のように流し、涙まで噴き出しながら、痛い、辛いと連呼しながら机を叩く日向。
「……………」
沙耶はまだまだね、と言いたそうな顔をしていたが、その顔は真っ赤に染まったまま硬直していた。
しかし二人の顔には、徐々に生気が戻っていた。
「……しかし後から来るこの風味。 なるほど、こいつは味わい深いかもしれない」
「確かに、凄く美味しいわ……」
「だろッ! こんな美味い麻婆豆腐、食ったことないだろ?」
「意外とこれって当たりメニューかもしれないわね」
俺たちは多分メニューの中で最も上位であろう、隠れた名品麻婆豆腐に称賛の言葉を次々におくっていた。そんな話で盛り上がる俺たちに、一人、今まで参加していなかった我らがリーダーが口を挟んだ。
「―――それ、天使が買った食券よ」
淡々と紡がれたゆりの言葉に、俺たちは驚きを隠せなかった。
「こ、これ?」
「そっ」
ゆりはそれだけを言い終えると、後は食事を再開するだけだった。
俺はそんなゆりの真剣そうな表情から、ふと麻婆豆腐の方を見下ろした。真っ赤に染まった、しかし味わい深い麻婆豆腐。生徒の誰も手を付けない、隠れたメニュー。
俺はゆりの言葉によって、あの時に見た彼女の姿を思い浮かべていた。
そして、俺は何故彼女が現れたのか。何をしに来たのか、わかった。
―――これ、食べたかっただけなんだな……
きっと、これはあいつの大好物なんだ。
でも、今それを食べているのは、どこのどいつだ?
彼女が買った食券で、呑気に飯を食ってるのは誰だ。
―――他の誰でもない、俺だ。
あいつの大好物を、俺が取り上げて、こうして食べてしまっている。
そんなささやかな幸せさえ、俺は奪ってしまった……
「なるほどね……」
「何がだ? 沙耶」
ゆりの隣に座る沙耶が、ぽつりと漏らしていた。それによって、沙耶に俺たちの視線が集まる。
俺たち三人の注目を浴びた沙耶は、説明を始めた。
「生徒会長を辞めさせられて、信用も役目も失った彼女には、大好物の麻婆豆腐は唯一の癒しだったのかもしれないわね。 それまで奪われてしまうなんて、滑稽だわ」
そう言って、沙耶は嘲笑するように笑った。今の沙耶の言葉を聞いた時、俺は思い描いてしまった。食堂の隅で一人寂しく、自分の大好物を寂しそうに食べている彼女の姿を。それはとても寂しく、そして孤独だった。
「やっぱり、天使なんかじゃない。彼女は―――」
最後に、沙耶がぽつりと小さな声で何かを呟いていたが、突然響き渡った音に、それは遮られた。
食堂の扉が開くと、どたどたと足音を鳴らして騒がしく入ってくる生徒たち。雪崩れ込むように入ってきた生徒たちはあっという間に俺たちを取り囲んでしまった。
「な、なんだお前らッ!」
「撃つなッ! 一般生徒よ…ッ!」
突然のこの状況に、ゆりは一喝して場を落ち着かせる。俺たちは完全に、一般生徒たちに包囲されてしまった。何が何だかわからない俺たちの前に、一人の生徒が姿を見せた。
「そこまでだ」
凛と通った声は、はっきりと俺たちの耳によく通って聞こえた。一般生徒たちの中から現れたのは、帽子をかぶった一人の男子生徒。そいつを、俺は見たことがあった。
「……色々と容疑はあるが、とりあえず時間外活動の校則違反により、全員反省室に連行する」
帽子を被り直し、はっきりと言い告げた彼は、俺たちを見渡すと、今度は低い口調で言った。
「僕が生徒会長となったからには、貴様らに甘い選択はない」
その低い声と口調は、まるで俺たちを見下すような言い方だった。
そして一つ息を置くと、冷淡な口調で、従える生徒たちに命令する。
「―――連れていけ」