Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
今まで戦線と敵対していた元生徒会長だった立華さんが、あたしたちの前から退いた直後、そこには既に生徒会長代理という駒が置かれていた。立華さんの代わりに立ったその駒は、予想以上に戦線に対する立ち塞がる大きな壁となった。
戦線のほとんどの者たちが生徒会長代理に注目を向ける中、唯一、あたしだけは彼とは全く別の人物をマークしていた。
「……………」
校舎の屋上から匍匐前進の姿勢で、あたしは反対側の授業が行われている教室練を双眼鏡から覗いていた。双眼鏡の向こうに映るのは、授業を真面目に受けている一人の女子生徒の横顔。
「……一見、変わった所はやっぱり見られないわね。 ま、ただ授業を受けているだけだから、当然か……」
しかし真面目に授業を受けているということは、やはり彼女もNPCなのだろう。もしあたしたちと同じ普通の人間なら、この世界から消えて無くなるはずだ。
でも、ただのNPCだとしても、彼女のことが気にかかっていた。正確にはわからない。ただ、あたしの中にある勘が、妙な違和感を植え付ける。
今日の朝から一日中、あたしは彼女という目標(ターゲット)の監視のみを続けていた。勿論本人のみならず、誰にも気付かれないように気を配っている。既に監視が開始して、半日は経っている。これまでに支障は無いし、向こうの異常も見受けられない。
だが、まだ始まったばかりだ。監視に対する慎重な姿勢は崩さない。
「まるで本当のスパイね……」
言いながら、あたしは購買で買ったパンを貪った。購買で買ったのは間違っていないが、こうして授業をさぼっている上で食べているのだから問題は無いだろう。これくらいで消えるとしたらあんまり過ぎる。
「それにしても……」
あたしはチラリと、他の教室を見渡す。ここは正面から他の教室も見渡せられる。だから、さっきから続いている異様な光景も見ることができた。
隣の教室の窓際には幾つもの道具を指に乗せて立っている椎名さんの姿が辛うじて見える。それだけを見ても、きっとあの教室の中ではもっと異様な光景が広がっていることだろうというのが容易に想像できる。
「…あたしには関係ないわ。 今は、自分自身の任務が優先」
再び双眼鏡で目標を見詰める。と、丁度その時授業終了を告げるチャイムが鳴った。午前の授業が終わり、昼休みに入る時間帯だ。
「……授業が終わったわね。 目標は……動くか…ッ」
多分、昼食を買いに購買か食堂へ行くのだろう。あたしは早業のようにパンを一つ食べ尽くし、即座にコーヒー牛乳をチューと飲み干すと、その場から急いで移動を開始した。
賑わい立つ購買。購買は購買で食堂に負けない賑わいを見せていた。それは、誰もが我先にと購買に売っているパンを買おうとしているからだ。あたしはこっそりと身を隠すように、廊下の角から、騒がしいほどに購買部の前で賑わう人の群れを見詰めた。
こうして傍目から見ると、結構激しい。あんな人混みに入って食べ物を買えるのだろうか。小柄で華奢な少女だ。あんな体型では、すぐにあの騒がしい人混みに跳ね返されてしまうだろう。
「……あれ?」
ふと、人混みの前で立っていたはずの目標(かのじょ)が、いつの間にか消えていた。まるで瞬きをした間にふと消えたみたいだ。目標を見失うなんて、なんて座間だ。これでスパイとは笑ってくれる。あたしはすぐさま人混みの中から一人の女子生徒を捜し出そうとするが、案外普通に見つけることができた。
「……?」
まるで、ふっと人混みの中から透き通ってきたかのような登場の仕方だった。そう、例えるならまるで幽霊のように。そこまで思い至って、あたしは自嘲するように笑うと、頭を振ってその馬鹿げた発想を消した。この死後の世界に幽霊とは、奇天烈にも程がある。
そしてもう一つ驚いたことは、目標はちゃっかりとその手に購買から買ったと思われるパンと牛乳の紙パックがあったということだった。
購買部から昼食を買った後の姿を後ろから追う。勿論、あたしの隠密行動は完璧だ。誰にも気付かれていない。
「……あの女、一体なにしてるんだ?」
「さぁ。 新手のストーカーか?」
「先生に言った方が良いかな……」
誰にも気付かれていない。何だか周りがコソコソとうるさいけど、あたしの隠密行動の前にはそんなもの関係ないわ。なんていったってあたしはプロなんだから!
そして辿り着いた場所は再び教室だった。あたしはこっそりと、教室の扉から、窓際の席に座る目標の姿を見詰める。
「なあ……今度は教室を覗き始めたぞ」
「やっぱりストーカーかな……」
「何かもう構わない方が良いんじゃないかな」
ふふ、あたしの完璧な隠密行動によって、全然気付いていないわね。呑気にさっき買ったパンを食べ始めたわ……
………。
………。
それにしても……
何だか、寂しいわね。
いや、一人でじっと監視してる自分がじゃなくて。
「……友達、いないのかしら」
こうして彼女を見ていると、とても寂しい気分に駈られてしまう。教室の隅で、一人席に座って黙々とパンを食べる女子生徒。通りかかるクラスメイトすら、彼女のことを一目も見ることはない。まるで彼女がそこに元から存在しないかのような……
「―――というよりは」
気付いていない、もしくは見えていないと言った方がしっくり来るか。
それではまるで、本当に幽霊のようじゃないか。
「……まさかね」
しかし今までの違和感がここで、ある“確信”に近付きつつあることを、あたしは否定することはできなかった。
突然その場に、元からいたかのようにその位置に立っていた少女。先程の違和感と、今の教室での彼女の姿。
これは、もう少し見ておく必要があった。
「……………」
少女は一人、自分の席で寂しそうにパンを食べている。黙々と、小さく、そしてゆっくりと。わいわいと賑わう教室の中で、彼女の席だけが別の世界のように、誰にも見られず気付かれず――――
一日の授業が終わり、放課後の学園にチャイムの音が鳴り、その音が夕日が染まる空へと溶け込んでいく。生徒たちは寮に帰る者もいれば、部活動などに向かう生徒もいた。そして、誰もいなくなった教室で、夕焼けに佇んでいた一人の女子生徒が、すっと席から立ち上がった。
こちらに来る前にさっと身を隠し、目で彼女の姿を追う。ふらりと教室から出ていった彼女の背中を、あたしは慎重に追いかけた。
日が沈み、少しずつ暗くなっていく廊下には、あたし達しかいない。不気味なほど静かな薄闇の廊下で、前を歩く一人の女子生徒の足音だけが妙に大きく聞こえる。自分の足音さえ響いてしまわないか緊張するほど、その世界は静寂に支配されていた。
彼女が向かう先は生徒会室。生徒会書記の腕章を付けた彼女の向かう先は当然と言えば当然だった。
「(……それにしても)」
廊下に自分たち以外誰もいないからか、その静か過ぎる廊下で、あたしは奇妙な感覚を覚えた。脳の裏がざわざわとする。後頭部がじっとりと汗で濡れ、胸の奥が痛いほどに鼓動が高鳴る。
まるでこの廊下だけが、元々いた世界から切り離されたかのような錯覚。そして、嫌な感覚。自分でも理解できない感覚に緊張しながら、あたしは慎重に彼女の背中を追った。
そんな時、それは起こった。
―――パンッ! パンッ!
「(銃声…ッ!?)」
初めて“音”を聞いたという変な感覚を覚える。そして、遠くから単発的に聞こえてくる銃声。その合間に聞こえる微かな悲鳴。誰かが撃たれている。どこかで戦闘が起こっている。となると、戦線が関わっている以外に考えられない。
その銃声に気を取られていた一瞬の内に、あたしはミスを犯した。
「あ…ッ!」
つい先ほどまで目を付けていた彼女の姿を見失っていた。目線を戻した時には、既に彼女の姿はどこにもなかった。真っ直ぐの廊下が続いている場所だから、姿を消すとしたら近くの教室に入り込んだのか。
あたしが頭を巡らせ、彼女の姿を追い求めた時、それは信じられない所で起こった。
ふっと、背後に現れた気配。
ざわっと背筋に悪寒が走り、猫のように背中と後頭部の部分が総毛立つ。同時に突き刺さる冷たい視線。完全に、何者かに後ろを取られた格好となっていることを、あたしは瞬時に理解した。
「まさか……ッ?!」
銃を抜き、振り返る間際に銃口を向けようとした時には、既に遅かった。
わかってはいたけれど、やはり間に合わなかった。
意識が途切れる直前、あたしが目の前で見たもの―――――
それは―――左手から光の刃を生やした、生徒会書記の姿であった。