Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
まるで地震のような地響きと共に、先に眠ってしまった立華に便乗して寝ていた俺は目を覚ました。
「なんだ、今の音……」
地震、かと思ったが、果たしてこんな世界に地震という自然現象があるのか疑わしい。
どこからか漏れ出した水が、ベッドに沁み渡っている。その音が何回か鳴っている間に、俺は最も可能性のありそうな想像に辿り着いた。
「まさか……戦闘かッ!?」
助けが来たのだろうか、と淡い希望が微かに浮かんだ。
その時俺は咄嗟に、ゆりから渡された無線機を思い出す。これで呼びかけることはできないか、と俺は無線機を手に取った。
だが、スイッチを入れていくらこちらから呼びかけても、無線機から聞こえてくるのは無慈悲なノイズ音だけ。
「くそ……壊れてる」
そんな事実を知って、俺は唇を噛む。
押し付けられたガラクタを怒りに任せて棄てるように、俺はノイズしか聞こえない無線機を投げ捨てた。無線機は壁に当たってベッドの上に落ちた。
俺は躍起になって無我夢中に脱出の糸口を探し始めた。だが、やはりどこを探しても脱出する手段は見つからない。
そんな時、さっき投げ捨てた無線機から、聞き慣れた声を聞いた気がした。
『ザザ……音……くん……沙耶ちゃ……音無くん…聞こえる? 音無くん……』
ゆりの声だ。
ついさっきまでノイズしか拾えていなかったガラクタだったが、壁に思い切りぶつけたのが良かったのか知らないが、無線機は本来の役割を思い出してくれていた。
俺は咄嗟にゆりの声が聞こえる無線機を掴み取った。
「聞こえるぞ! ゆりッ!」
俺は声をあげた。だが、その直後、また部屋中を揺るがすような大きな地響きが鳴った。
『これが二人に、いいえ、どちら一人にでも聞かれていると信じて、今から話すわ。 音無くん、沙耶ちゃん』
ゆりの口調から察して、俺の声は向こうには聞こえていないということがわかる。
『よく聞いて。 直井文人は、NPCじゃなかったのよ。 人の魂を持った、あたしたちと同じ人間だったの…ッ!』
ゆりが発した衝撃の言葉に、俺は驚きを隠せなかった。
「そんな馬鹿な……」
ゆりの言葉が正しいとしても、あいつが俺たちと変わらない人間だったとしたら、いくつかおかしな点がある。
それは―――
『おかしいと思わない? 元は副会長、模範的な行動を取っていたはずよ。 なら、存在を保っていられず消えて無くなるはず。 でも、陰湿にね、陰で一般生徒に暴力を振るっていたのよ…!』
「…ッ?!」
『表で模範的な活動をし、裏で悪事を働く。 それでこの世界のバランスを保っていたというわけ』
「そんなことをして……」
『抑止力だった天使が失脚したことにより、彼はこの世界で自由を手に入れた。 まだ目的はわからないけどね』
ゆりの声を聞いているうちに、俺の胸の中がざわざわと嫌な感じで疼く。さっきから聞こえる水の滴る音が妙に大きく響いて聞こえ、そして外からの爆発音や地響きも増して聞こえてくる。
『既にこっちは戦闘が始まってる。 あなたが見たこともない、酷い戦いよ……』
また、ズズゥンという地響き。
「(一体、外でどんな事が起こっているんだ……)」
『―――彼は、あたしたちが一般生徒を攻撃できないことを知っている。 だから、彼らを盾にも人質にもするのよ。 あたしたちは言いなりになるしかない。 それはもう、一方的な暴力……次々と仲間がやられていってるわ』
「―――ッ!」
『……あたしね、天使は幽閉されてると思うの。 あたしたちが入った反省室を捜したけど、見つけられなかった。 もしかしたら、もっと簡単には抜け出せない所に閉じ込められてるのだと思う』
ゆり、お前の言う通りだよ。
天使は―――立華は、今、俺のすぐそこにいる。お前の推理通り、簡単に脱出できないようなとんでもない所にな。
『だから、あたしはこう思うの。 ねえ、二人とも。 二人は……それとも、音無くんか沙耶ちゃんも、天使と一緒にいるんじゃないかって』
「―――!」
『そこに天使が居るのなら、お願い……天使を連れてきて。 この酷い戦いを終わらせるには、天使の存在が必要なの…ッ! 時間がないから、急いでグラウンドに……』
その時、ゆりの声の背後から聞こえてくる悲鳴。ゆりの言う酷い戦いが、向こうで起こっているんだ。
『あたしも今から出るわ……それじゃあ、健闘を祈るわ…ッ!』
そして、全ての音がそこで切れた。
「くそ…ッ! 俺は何だってこんな時に…ッ!」
仲間たちが危ない時に、俺はこんな所で何をしているのか。
急に何もかもが悔しくなってくる。
俺は静かに寝息を立てている立華の方に向かっていった。
「起きろ、立華ッ!」
俺の呼びかけに、立華はすぐに目を覚ましてくれた。
「ん……」
重たそうに瞼を開けて、その瞳が俺の顔を映す。微かに顔を向け、ぱらりと垂れる髪。そんな寝起きの立華に、俺は間髪いれず捲し立てるように言葉を走らせた。
「助けてくれ! 仲間が大変なんだ…ッ!」
「……おかしなことを言うのね。 助けてほしいのはこっちじゃない」
目を擦りながら言う立華の言葉は全く以て正論だ。だが、そんなのは重々承知している。
「そんなことは重々承知だ。 でも、お前なら出来るかもしれない。 だから、頼む…ッ!」
俺は、頭を下げる。
一刻も早くここを出ないと、取り返しのつかないことになるかもしれない。
凄く嫌な気がした。
「みんなが待ってるんだ…ッ!」
そんな俺の気持ちを汲んでくれたのかわからない。だが、立華は起き上がると、静かにその言葉を口にしていた。
「……ガードスキル、ハンドソニック」
光と共に、立華の右手から生える刃。
「それで、あの扉が何とかなるのか……?」
俺の質問に立華は口で答えるわけではなく、行動で示してくれた。
扉の前に立つと、立華はその刃を振りかざし、幾重にも重ねて扉を斬り付けた。しかし、強固な扉には傷一つ付いていなかった。
「駄目か……」
「だって攻撃目的で作っていないから……所詮は自衛用だもの」
立華の淡々と並べた言葉の内に、俺はふと引っ掛かるものを感じた。
「自衛……? 作っていない……?」
その時、俺は埋もれていた記憶を掘り起こす。
初めて会った時。それは、ほぼ同時に沙耶と出会った時でもある。
「そうか……」
俺は立ち上がると、立ち尽くす立華の背中に向かった。
「初めに会った時のこと、覚えてるか? 俺、心臓ブッ刺されて、死にかけたよな……」
「あなたがおかしなことを言うからよ……」
「ああ。 でも、あれでお前を敵だと勘違いしちまった」
勝手に向かって行って、自爆した挙句に、ゆりたちと一緒になって敵と勘違いして戦った日々。
今思えば、俺はどこまで馬鹿な奴だったんだろうな。
「俺には記憶がないんだ。 だから、お前と戦う理由も実はないんだ」
周りの所為にするつもりはない。
記憶がないからと、言い訳にするつもりもない。
でも、俺は確かに間違っていたのかもしれない。
「もし俺に記憶があったら……もしも、最初に馬鹿な質問をしなかったら、俺は、お前の味方でいたかもな……」
「……そんな人はいなかったわ」
「いても、いいじゃないか……」
「いないわ。 いたとしても―――みんな消えちゃうもの」
「……ッ!」
その立華の言葉を聞いた時、俺は全身から力が抜けていくのを感じて、ベッドに腰を落とした。
そして、結局俺はやっぱり馬鹿だったと、思い知らされる。
「(そっか……立華(こいつ)の味方をするということは、楽しい学園生活をおくって、この世界から消えてしまうということ、なのか……)」
ははっ、そっか……
なんか、笑えてくる……
―――立華(こいつ)が、可哀想すぎて。
不憫すぎて。
なんて世界のシステムだ……ッ!
溢れてくる熱いものを自覚しながら、俺は肩を震わせた。
だが、彼女は―――
「……ハンドソニック、バージョン2」
言葉が紡がれるとほぼ同時に、立華の刃が変化を遂げる。槍のように変形した立華の刃は、前にも増して攻撃性が伺える外観となっていた。
「高速性に特化した薄いフォルム……」
そして身を構えると、一閃、また一閃と、切れ味を増した一振りで扉に斬りかかる。だが、扉は火花が散るだけだった。
「ハンドソニック、バージョン3」
すかさず、次のフォルムが形成される。
「……無粋ね」
「格好良いじゃん」
俺は目元からあるものを拭うと、正直な感想をくれてやった。
「でも、これではまだ扉は開かないわ……」
「他にはないのか?」
「あるわ。 バージョン4……」
「うわッ!」
次の変形は今までに増して派手なものとなった。
「花の形にしてみたのだけど……果たしてこれは可愛いかしら?」
「いや、相当禍々しいかもしれないけど……」
俺は、今まで見てきたハンドソニックの種類の記憶を並べて、あることを思いつく。
「―――! もしかしたら、いけるかもしれない……」
「?」
首を傾げる立華に、俺は立ち上がった。
「一つ、試してほしいんだ」
俺の提案を聞いた立華は、はっきりと了承してくれた。そして、俺が見守る中、それが実行される。
「ハンドソニック、バージョン2」
まずは今までも見てきた、普通のフォルムから長い槍のフォルムへ。
その細長い刃を扉の隙間に挿入させる。
「バージョン3」
すかさず、挿入した刃の先を変形させる。
「バージョン4」
そこで一気に、あの先がどでかい花形のフォルムに変形させる…!
ビシ、とみるみるうちに亀裂が走った。
「いける…ッ!」
本来は収まりきれるはずもない物体がいきなり干渉した事象により、強固だった扉は突然の事象に抗う事が出来るはずも無く、軋みを叫ぶ悲鳴をあげて爆発した。
見事にあれ程強固だった扉は破壊される。警報が鳴り響く中、俺は立華の背中を押してその場から脱出する。
「急ごう…!」
俺は立華の手を取ると、急いでグラウンドへと向かった。
その先で、想像もしていなかったほどの惨状が待っているとも知らずに。
雨の中、俺はびしょ濡れになる事も構わずにグラウンドへと駆け付けた。
そしてグラウンドに付いて、俺が見たものは、はっきり言って地獄だった―――
雨が叩く下で、泥の中に朽ち果てるように身を沈めた仲間たちの、無残な姿。そこはまるで、暴力という一言では生易しすぎるほどの酷い惨状だった。
そして俺はその中で、あるものを見つける。
雨の中、泥に倒れている誰かを踏み付けている直井文人。そしてその直井の下で身体を転がせていたのは―――
「日向ぁッ!」
俺は階段を駆け下り、足を泥に滑らせながらも、傷だらけで倒れている日向の下へと駆け出した。その近くでは、雨に濡れる中で不敵に笑う直井の姿もあった。
「大丈夫か、日向…ッ!」
みんなの同じように、日向も酷い有様だ。血だらけで、雨で流されていてもその辺りの泥が赤く染まっていた。俺の声に反応した日向が、ゆっくりと首を動かした。
「真っ先に俺の所に駆け付けるなんて……これなのか…?」
「冗談言ってる場合かよ…ッ!」
だが、そんな俺と日向のことなど気にしていない様子で、直井は立華の姿を見るやくっと笑いだした。
「あそこからどうやって抜け出してきた……?」
「扉を壊してきた……」
「何年かけて作ったと思ってるんだ……」
低く呟きながら、直井は言う。大量の雨粒が大きく音を立てて落ちる中でも、直井たちの言葉ははっきりと聞こえていた。
「生徒会長代理として命じる。 大人しく戻れ……」
こんな時でも、生徒会長の権威を前に出す直井の態度に、俺は唇を噛み締める。
仲間たちをこんな目にあわせた張本人を前にして、俺は底から湧き出る熱い衝動を必死に抑えながら、声を絞る。
「立華…ッ! この惨状だ。 これが正しくないってことぐらい、わかるよな……」
「……ハンドソニック」
俺の言葉に頷くように、立華はハンドソニックの刃を体現させる。
だが、それに対しても直井は臆することもなく、むしろ自分自身という存在をより巨大にするように、言い始めた。
「逆らうのか、神に」
「……………」
「僕が、神だ」
直井の発言に、辺りはシンと静まる。
聞こえるのは、地面を叩く大きな雨音だけ。
「馬鹿か、こいつ……」
日向の呟き。
俺は、自分の耳を疑った。今、あいつはなんて言った。
こんなことまでしておいて、自分が神だと……?
「…愚かな。 ここが神を選ぶ世界だと、誰も気付いていないのか」
「なにを言って……」
「生きていた記憶がある……皆、酷い人生だっただろう。 何故? それこそが神になる権利であり、生きる苦しみを知る僕らが神になる権利を持っているからだ」
こいつは、本気で言っているのか。
「そして僕は今、そこに辿り着けた……」
「神になってどうするつもりだ……」
俺は怒りが混じる言葉を振り絞るように、言う。
「安らぎを与える」
「―――!!」
安らぎ?
それが、こんな馬鹿げた光景だと言うのか?
俺たちに?
「無茶苦茶してくれるじゃねえかよ…ッ!」
「抵抗するからだ。 君たちは神になる権利を得た魂であると同時に、生前の記憶に苦しみ、もがき続ける者たちだ。 だが―――神は決まった。 なら、僕たちはお前たちに、安らぎを与えよう」
そして直井が立ち止まった先には、倒れるゆりの姿があった。
「ゆり…ッ!」
直井は倒れるゆりの髪を掴むと、無理矢理抱き起こし、引き寄せた。抵抗する力もなく、直井の手に捕まったゆり。
「これ以上何をする気……ッ!?」
俺が駆け付けようとすると、周りの生徒会の一般生徒たちが一斉に武器を向けていることに気付いた。
だが、こいつらの目がどこか死んでるようで……
「僕が長年準備を進めてきたのは、なにも天使の牢獄を作るだけじゃない……他人を意のままにすることができる、催眠術も、その内に含まれる」
「こいつら……操られてるって言うのか…ッ!」
しかも奴らは全員武器を持っている。これでは、身動きが取れない。
だけど、その間に……!
「僕がお前たちを成仏させてやる。 まずは……君からだ、リーダー様?」
「あなたは……あたしの過去を知らな……」
「知らなくても構わない。 先に言っただろう、僕には催眠術があると」
「…ッ!?」
「さあ、目を閉じるんだ。 そして、貴様はこれから幸せな夢を見る。 こんな世界でも、な」
「まさ……か……」
ゆりの様子がおかしい。
直井の目を見たゆりが、徐々に瞼を閉じていく。
駄目だ、寝るな…ッ!
俺の胸の中で、前にも感じたことのある嫌な感覚を植え付けた。
消えた岩沢、消えそうになった日向、その時に感じた似たような感覚が、俺に警鐘を鳴らす。
ゆりが、消える――――?
駄目だ。
駄目だ駄目だ駄目だ。
こんなことって――――
こんなことってないだろう…ッ!
納得もできない人生の終わりの末で、必死になって抗ってきた顛末がこんなことって…!
そんな、そんな紛い物で―――
消えるなんて―――
「駄目だあああああッッッ!!!」
俺は叫んだ。
そして、駆け出していた。
撃たれるなんて知ったこっちゃない。
ただ夢中で、俺は泥を踏みしめながら駆け出し―――
あいつを殴り飛ばしていた。
「そんな紛い物の記憶で消すなぁぁぁぁぁ……ッッ!!」
雨音に負けず、俺の思いの叫びが響き渡る。それは、俺がこの世界に来て初めて、本当に身体の底から叫び、思いの丈を他人にぶつけた瞬間だった。