Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.29 My Lie

 冷たい大雨が空から降り注ぐ。こんな世界でも雨は降る。日が昇って朝が来て、日が落ちて夜が来るように、当然のように天候は存在する。そして、僕はそれを繰り返していく時間の中で、この世界で過ごしてきた。そして気付いた。この世界が、神を選ぶ世界であることを。

 生きている間は、神様の存在に僕は人生の理不尽さを問うたことが何度もあった。この世界に来てからも、僕にあんな人生を与えた神に、不満を抱き続けていた。でも、僕はこの世界に留まることでわかったんだ。神など最初から存在しない。神は、僕たちの中から選ばれるのだ。

 そして、それに気付いた僕こそが、神になる権利がある。

 神に反逆とか天使に刃向かう等連中の思想は知ったことではないが、奴らは余りにも愚かだった。そんな幼稚なことを続けていて何になる?それでどんな変化が期待できる?いるかもわからない存在に反逆して何の意味がある?

 そんなことは全て無駄だ。こんな簡単なこともわからない奴らに、神になる資格はあるわけがないし、何よりこの世界に居続けることもない。

 だから、僕が神になる―――

 

 そしてそんな奴らにも安らぎを与え、この世界を神になった僕の手によって理想の世界にする。

 それが僕の目的だった。

 副生徒会長として天使の傍で、天使の動向を監視し、着々と準備を進めてきた。

 その僕の努力がここで報われた。

 

 僕は、神になったんだ。

 それなのに――――

 

 「そんな紛い物の記憶で消すなぁぁぁぁぁ………ッッ!!」

 

 何故、僕は殴られ、地面に倒れている?

 熱くなった頬を押さえ、起き上がると、そいつは僕の胸倉を掴んで押し寄せてきた。

 「俺たちの生きてきた人生は本物だッ! 何一つ嘘のない人生なんだよッ! みんな、懸命に生きてきた人生なんだよッ!!」

 僕に説教をするつもりなのか、男は僕の胸倉を掴んで離さない。僕の目と鼻の先で、男は必死に叫んでいる。

 「そうして刻まれてきた記憶なんだ……ッ! 必死に生きてきた記憶なんだ……ッ!」

 男の後ろで、いつの間にか僕が操っていた生徒会役員どもが天使にやられていた。だが、そんなことは関係なかった。今、僕の目の前で叫んでいるこの男。そいつの声が、言葉が、僕の記憶を掻き回してくる。

 「それがどんなものであろうが、俺たちが生きてきた人生なんだよ…ッ! それを結果だけ上塗りしようだなんて――――」

 埋もれていた記憶が、次々とこいつの言葉によって掘り起こされていく。

 

 「お前の人生だって、本物だったはずだろぉぉぉぉ……ッッ!!」

 

 「―――ッ!」

 僕の人生――――

 僕の、人生は――――

 

 自身を偽る、兄になる為の人生だった―――

 

 

 

 ―――兄が死んだ。

 

 陶芸の名手の家に生まれてしまった僕と双子の兄。僕の兄は幼き頃から才覚を発揮し、跡継ぎとして名を世間に知らしめていた。

 僕はと言えば、兄のように家が誇れるような才能もなかったので、一人部屋にこもって家で遊ぶ毎日だった。

 親からも誰からも期待されない、意味のない人生―――

 

 ―――死んだのはお前だ―――

 

 空は、そう告げていた。

 二人で一緒に木の上から落ちて、岩の上でぴくりとも動かない寝ている方は僕で、そして助かった方が、兄なのだ。

 そう、僕は自分に言い聞かせた―――それはまるで、催眠術をかけるように。

 僕は兄とすり替わった。死んだのは僕ということになった。身内にも気付かれることはなく、“僕”はそのまま死んだ―――

 そして、意味のある人生が始まった。

 怪我の治療ということで世間の目から離れ、リハビリという名の厳しい修行が続く。

 

 「恥を知れ…ッ! こんなもの、作ってきおって……!」

 

 父の怒声を聞く毎日。修業は苛烈を極めた。

 何て遠い所にいたのだろうか、僕の兄は。でも僕は、僕の人生を意味のあるものに変える挑戦をし続けるのだと強く誓ったのだ。父に割られる僕の作品、僕の手によって形を崩していく作品、様々な崩れていく、失っていく僕の作品を見て、僕はいつも父の隣でそう思い続けていた。

 もう、一人で遊ぶ毎日には戻らない。

 

 展覧会で僕の作品が入賞を果たした。“兄”としては全然駄目な結果だったけど、“僕”としては今出せる最大の結果だった。

 「何だ……お前、泣いているのか?」

 「……バカな」

 ぐす、と鼻をすすり、泣いていたのを誤魔化すように言い返す僕。

 「――だな。 馬鹿な話だ……、儂に恥をかかすな……ッ! 全く、何たる結果だ」

 僕はそんな父の怒声を聞いても、全く悔しくはなかった。むしろ嬉しかった。

 何故なら、厳しい父にこれからも付いていって、修行をして腕をあげていこうと決意できたからだ。

 そして、日本一の陶芸家になって、父に認められるような、兄のような人間になるんだ……!

 

 でも……

 

 その父が、床(とこ)に伏せった。

 回復の見込みが無いほど、父は重症だった。勿論、陶芸も出来るわけがないし、僕に教えを与えることも、僕を怒鳴る元気もあるわけがない。

 僕が食事を与えると、あの厳しかった父が、優しげに微笑むのだった―――

 

 僕は父の看病を続けながら、いつも思った。

 

 僕の人生の意味は、こんな腕では工房も持つ事は出来ないし、一人立ちも出来ない。

 

 ずっとこの人の世話をしていく人生なの……?

 

 ねえ、神さま…ッ!?

 

 

 

 そして、僕は気付いた。

 あの時死んだのは、本当に僕だったのだと。

 あそこから頑張ったのも“兄”で、ここにいるのも“兄”で、父と“兄”しかいなかったんだ。

 僕の人生は偽りだった。

 “僕”はどこにもいなかったんだ―――

 

 どこにも……

 

 僕の人生も、偽りで、それは本物なんかじゃ―――――

 

 

 

 違う。

 

 

 誰かが、そう言って僕の思いを否定してくれた気がした。

 

 

 そして、否定してくれた誰かの声が、届いてくる。

 

 

 

 

 

 

 ―――お前の人生だって、本物だったはずだろぉぉぉぉッッ?!!―――

 

 

 

 「……ッ!?」

 僕は、その声に引き戻されるように現実に戻った。そして思い出した記憶から帰った僕を迎えたのは、僕の身体を強く抱き締めてくれる温もりだった。雨に濡れ、冷えた身体が暖かく沁み込んでくる。僕を抱き締め、尚もそいつは僕に叫び続ける。

 「頑張ったのはお前だ…ッ! 必死にもがいたのもお前だ……ッ! 違うか…ッ!?」

 「何を知った風な口を……」

 「わかるさ…ッ」

 ぎゅっと、僕は更に奴の方に寄せられ、僕の耳に直接その言葉を紡いだ。

 「―――ここに、お前がいるんだから」

 「―――!」

 “僕”が―――“いる”

 それは、僕の存在を認めてくれるということだった。

 「……それじゃあ、あんた認めてくれるの? この僕を……」

 「お前以外の誰を認めろっていうんだよ…ッ? 俺が抱いているのはお前だ。 お前以外にいない……お前だけだよ……ッ!」

 「……………」

 

 僕は、その言葉を聞いて目を閉じる。

 ああ、何だか安らかな気持ちだ。

 逆に僕が安らかになってどうすると言うのか。

 でも、僕は確かに安らかだった。

 そして、もう一つの記憶を思い出した。

 あれは―――僕と兄が、父の前で木の上から柿を取ろうとしていた時だ。

 

 「取ったって渋柿じゃぞ」

 

 父が言うも、僕と兄はお互いに柿を取ろうとすることを止めない。僕は必死だった。父の前だということ、兄が隣にいるということ、それらの状況で、僕は必死になっていた。父に良い所を見せたいと思ったのか、兄に勝ちたいと思ったのか。

 「あ…ッ!」

 取った。兄より先に、父の目の前で、僕は遂に柿を手に取った。

 「やった…! 兄さんに勝った…!」

 あまりに嬉しくて、僕は身体のバランスを崩した。

 「わああッッ!!」

 兄より先に柿を取ってみせたのに、最後の最後で格好悪い所を父に見せてしまった僕だった。父の足元で倒れる僕に、父は呆れ気味に呟いた。

 「渋柿ごときで何を……」

 でも、父は去り際に立ち止まって、僕にこんな言葉を贈ってくれた。

 

 「だが……文人もやりおる」

 

 僕はハッとなって、父の方を見詰めた。父は僕の方を一瞥すると、背中を向けて立ち去っていった。

 

 それは―――僕が一番聞きたかった言葉。

 

 僕を、認めてくれた言葉。

 

 あの時の“僕”は、自分の作った陶芸の底に名前を刻んでいた。僕が作り上げた作品に刻まれた名前は、“兄”の名前ではなく、“僕”の『文人』という名前だった。

 僕の存在。認めてくれた、“僕”を表す名前。

 気が付けば、あれほど降っていた雨はすっかり止んでいた。空が晴れていく下で、僕の気持ちもまた、どこか覆っていた雲が消え失せていく気持ちだった。僕の中にある空も晴れ、出来上がった水たまりに雫が落ちて、ピチョンと音を立てて、波紋が浮かぶように感じた。それは、僕の気持ちもようやく晴れたことを表しているようだった。


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