Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
ふと気が付くと、あたしは『また』その場所に立っていた。
何度目かわからない、あたしのスタート地点。シンと静まった夜の校舎、薄闇に包まれた廊下。あたしは一人、そこに立っている。
「……………」
そして目の前に浮かび上がる文字。
あたしはただそれを、当たり前のように見詰めた。
GAME START
この「朱鷺戸沙耶」というキャラクターを選んだあたしへの皮肉なのか、その意地悪な演出がかった文字はいつも“リプレイ”するたびに見せつけられる。
「ふん、また来たのか」
正に不協和音のような、気味の悪い重なったような声が背後から投げられる。振り返ると、案の定そこにはあいつがいた。
「まったく飛んだ茶番だ」
趣味の悪い仮面をかぶった帽子の男は、闇の執行部部長。あたしが倒すべきラスボスだ。それと同時に、この世界の……神、とも言える存在かもしれない。
「そう、ゲームみたいなものだ」
事前に決められた事を言うロボットのように、あたしが何も言わなくて奴は勝手にぺらぺらと喋る。あたしはただ、それにじっと耳を傾けるだけだ。
「まだ、続けるのかい?」
答えないあたしの無言を、答えと受け止めたのか知らないが、奴は一息置いて、言った。
「いいだろう、ゲームスタートといこう。 だが、お前にとっては過酷な世界だ」
ゲームスタート?何を馬鹿なことを言っている。
これはゲームなんかじゃない。
あたしにとっては、これがすべてなのだから。
「去りたくなったら、迷わず己に向けて引き金を引くがいい」
その言葉を聞いて、あたしはカッとなった。
「んなこと……するかぁッ!」
あたしは銃を抜き、引き金を奴に向けて引くが、弾はまるで空気のように消えた奴をすり抜けるだけだった。銃声だけが虚しく響き、奴の姿は既に闇の中へと溶け込んでいた。
「ゲームスタート……? 上等じゃないの…ッ」
ギリッ、と歯を噛み締める。
あたしは、あたしの戦いをする。あたしが欲しいものを手に入れるために、最後まで戦うだけだ。
楽しんでいる余裕がなかったことを、後悔させてやろう。
「ふ、ふふ……」
額に手を当て、あたしは笑みを浮かべる。
笑い声がこぼれ、それが徐々に音量を上げていく。
「あーはっはっはっはっ!!」
銃声だけでもあれだけ響く静寂さだ。あたしの笑い声など、余裕で廊下中に響き渡るだろう。
そして、その声に引きつけられる者も―――
「…? 今、笑い声が聞こえたような……」
ふらりとやって来た、一人の少年。
夜中の校舎は、あたしへのルート。
繰り返してきた通り、あたしは今までやってきたことを今回もこなす。
「え…?」
彼の背後に忍び寄り、気付かれる直前に彼の腕を取り、ぐいっと床に倒して拘束する。
そして決められたセリフを口にする。
「ここの学園の生徒だな? 何故こんな所にいる」
まずは、主人公とヒロインは敵対していなければならない。
そうして、あたしと彼の物語は始まるのだ。
あたしは作品を模倣して、彼をあらゆる手で殺そうとした。
屋上に呼び付け、転落死させようとした。首を紐で吊るして自殺に見せかけようとした。電柱を倒して感電死させようとした。すべて、事故か自殺に見せかけて、殺そうとした。学園という閉ざされた世界で、思いつくままに実行した。
何をしても、彼は死ななかった。だが、それで良いのだ。偶然にしろ、彼が生き延びてくれれば、あたしの目標は少しずつではあるが、近付いてくるのだから。
すべての手に生き延びた彼を誘って、あたしと彼は結託し、地下迷宮の探索をおくる日々を繰り返した。
夜の校舎で、闇の執行部と戦い、地下迷宮を探索する日々。
そしてある日、すべてを決着させるために、あたしは彼を校舎裏に呼び付けた。
それは、彼と過ごす学園生活のために。
「朱鷺戸さん? 来たよ?」
あたしを捜す彼。でも、あたしは気配を殺した上で、彼の背中を寂しげに見据えていた。
「……………」
死ぬたびにリプレイするこの世界は、確かにゲームのようだ。“死”をここまで軽くしてしまうのはゲーム以外にありえない。それ程、この世界は普通とは違った。
だから、もしまた今回も失敗したら―――
「(また振り出し……)」
そして、彼もまた、あたしのことをすべて忘れる。
それを思うと、何故か苛立つ自分がいた。
「……なんであたしは覚えていて、あなたは全部忘れちゃうのよ。 あたしがこんなにも苦しんでいるっていうのに」
世界は繰り返される。リプレイと言うが、リセットとも言える。何故なら、あたし以外はすべて最初に戻ってしまうからだ。時間も、そして彼の記憶も。
「――――」
あたしは、彼の名前を心の中で呟いて、彼の背中を抱き締めた。
ああ、もし今回もまた失敗したら、彼はやっぱりあたしのことを忘れてしまうのだろうか。
自分は覚えているのに、相手はすべて忘れるという現実は、とても苦しいものだった。
ただ死ぬより、ずっと苦しい。
忘れられる、というのは、存在すら消えてしまうから。
「(でも……あたしはずっと忘れないよ)」
自分は忘れられるけど……自分だけは、彼を覚えている。
絶対忘れない。
この記憶も、この気持ちも本物だから。
彼を抱き締めている今の気持ちも、温もりも、記憶も。
この世界は、虚構だ。
誰かが、そう言った気がした。
いや、誰も言ってないかもしれない。
ただ、少なくともあたしはその言葉の意味を理解していた。
「朱鷺戸沙耶とは―――俺の愛読書に登場するキャラクターだ」
あたしのすぐそばで、奴は言った。
地下迷宮を探検して、様々な困難を乗り越えて、辿り着いた場所。闇の執行部部長との戦い。そしてあたしは『また』奴の下で這いつくばっていた。
「その存在は他ならぬ俺自身の想いが生み出したものと勘違いしていた。 しばらく遊ばせておけば、俺自身の欲求は満たされ、自然に消えてなくなると……そう思っていたが、お前はイレギュラーな存在としてここにいるんだ」
必死に戦って、彼と約束して、ここまで辿り着いたのに、あたしはまた敗れた。身体は押さえつけられ、もう動くことはできない。
耳も塞げないあたしに、奴は間違い様のない事実を語っていた。
「俺たちが生み出した、この虚構の世界にな―――」
わかっていた、この世界が優しいことを。
消そうと思えば、あたしの存在なんていつでも消すことができた。でも、こんなに優しい世界なら、寄り添いたくなるのは当然だった。
だって―――恋も青春もする前に、あたしは死んじゃったのだから。
「この世界でなら、あたしの駆け抜けたかった青春が手に入ると思ったから…ッ!」
大好きな彼と一緒に過ごす時間は幸せだ。
生前に行ったことのない学園は楽しい場所だった。
こんな青春を、手に入れたかった。
「そうか……だが、それでもお前にこの世界を明け渡すわけにはいかない。 この世界は、“あの二人”に必要な世界だからだ。 俺たちがいない世界でも、二人が強く生きていけるようにするためにな」
「……………」
「だから気付いてしまったからには放っておけない。 お前がこの世界に踏み込んだことが偶然にしろ、お前には消えてもらう。 それが、たとえ非情であろうともな」
「……いいわ、消えてあげる。 その代わり、もう一度秘宝を手に入れるチャンスをくれないかしら」
「秘宝の正体はまだ原作でも明らかにされていない」
「それも考えてあるわ……」
「そうか、なら聞こう。 お前の求める秘宝……それは、なんだ?」
あたしの求める秘宝。
あたしが欲しいもの。
それは――――
「ねえ……この地下に眠る秘宝って、何だと思う?」
「うーん、なんだろうなぁ……沙耶はどう思う?」
地下迷宮の端で、休憩するあたしと彼。ゴールを目前にして、あたしは彼にそんな質問を投げかけていた。
「あたし? そうね……」
あたしは、まるで子供のように答えていたと思う。
「タイムマシン、かな。 タイムマシンに乗って、過去に戻りたい」
「それはいいね。 確かに、ここまでして守られてる秘宝だから、ありえる話かも」
「……過去に戻って、色んな事をやり直したい。 もし、本当にタイムマシンが見つかったら……」
彼の目が、あたしを映す。あたしは、どんな顔をしていただろう。
「一緒に、付いてきてくれる……?」
照れ臭いあたしの問いに、彼は優しく頷いてくれた。
「うん、付いていくよ。 どこへでも」
与え続けよう、今精一杯の幸せを。
一片の後悔も残さないように。
そして、あたしは彼と共闘し、遂に最終ステージまで辿り着いた。
闇の執行部部長との最終決戦。最後のチャンス。今までリプレイを繰り返してきたが、今度こそこれが最後だった。
あたしたちの勝利。二人で挑み、手に入れたものは勝利という念願の形だった。あたしたちは地下の最深部まで赴き、怪しい研究室のような場所に行き着いた。その前で、彼を一人残して、あたし自身は研究室へと単身で入る。その結末を、知っているからこそ。
「……………」
研究室に入り、あたしは目的のものを見つけた。それを躊躇なく手にかける。そして、思い通りに事は運んだ。研究室は空気汚染を察知して警報を鳴らし、あたしを閉じ込めたまま隔離封鎖を実施した。
大きな窓ガラスの向こうには、彼が必死にあたしに向かって叫んでくれている。何があったのか、彼はわからない。でも、あたしは知っていた。何故ならこの状況を望んだのはあたし自身なのだから。
あたしのルートはバッドエンド。彼に、あたしはそう伝えた。
あたしの求める秘宝、その答えは生物兵器。国一つをまるごと殺してしまうような絶大の効力を持った兵器を望んだ。これが、あたしが選んだこの世界の去り方だった。
「沙耶ッ! 沙耶ッ?!」
彼が必死にあたしの名前を叫んでいる。でも、あたしはもう彼のもとに行くことはできない。
あたしは銃の矛先を自分の頭へと向けた。
己に向けて引き金を引くことが、この世界の去り方であると、聞き飽きるほど聞いたから。
その瞬間、彼の表情が酷くなる。
あたしのせいなのだけど。
銃の銃口を自分の頭にぴたりと重ねて、引き金に指をかける。あたしはお別れの笑顔を浮かべようとすうが、出てくるのはぼろぼろとこぼれる涙。笑顔で別れようとしたのに、悲しくてたまらなかった。
ずっと、一緒にいたかった。この世界で。
「………ありがとう」
そして、あたしは引き金を引く。
彼の目の前で、あたしは自分の頭を撃ち抜いて、この世界から立ち去った。
ああ、ずっと一緒にいたかったなぁ。あの優しさに包まれた世界で。
何で、あたしは最後の最後で泣いてしまったのだろう。
……そっか。
あたしはこんなにも、あの世界が、そして――――彼のことが大好きだったんだ。
ごめんね。
あなたが優しいから、ずっと甘えてしまいそうだから、あたしはさよならをしたんだ。
とてもとても大切で、幸せだった時間。
本当に大好きだった。
ありがとう。
「………うぇ…っ」
すべてを思い出して、あたしの瞳からは涙が溢れて止まらなかった。あたしが思い出したのは記憶だけではない。あの時の温もりも、気持ちも、すべて思い出してしまった。何故、忘れていたのだろう。ずっと忘れないと誓ったのに。
「う、うぇぇ……ッッ」
嗚咽を漏らし、あたしはまるで子供のように泣く。
手は拘束されているせいで、涙はぼろぼろと膝の上に落ちていく。スカートにぽつぽつと浮かぶ雫。目元を拭えないから、ぼろぼろと涙が伝って、ぐしゃぐしゃに顔を濡らしていく。
「あう…ッ ひっく……い……ぎ……ぐん……」
嗚咽を漏らしながら、ひゃっくりによって舌がまわらない声で、彼の名前を呼ぶ。
居るわけもないのに、彼の名前は呼ばずにはいられなかった。
「り……ぎ……くん……」
ずず、と鼻水をすすり、ぐしゃぐしゃの顔で、あたしは声を振り絞るようにして言った。
「会いたいよぉ……ッ、理樹くん……ッッ!!」
ずっと忘れていた、大好きな彼の名前。
あたしのパートナーであり、恋人だった彼。
あの世界で出会った、あたしの大切な男の子。
これは、あたしへの罰だ。
勝手にあの世界に入り込み、彼を引っ張り回してしまった自分への罰。
だからあたしは、この世界に迷い込んだのかもしれない。そして、あたしはまた同じようなことを繰り返している。
確かに、あたしはイレギュラーな存在だ。
あたしという存在は、どこの世界でもイレギュラーなのだ。
なら、あたしはやっぱりまた消えた方が良いのかもしれない。
このままこの世界に居続けると、音無くんたちにも迷惑をかけてしまう。
最後に、すべてを思い出せただけでも十分じゃないか。
この世界に来るべきものではなかったのなら、あたしは立ち去った方が良いのではないか。
そう考えると、何だか身体がふっと軽くなっていく気がした。
というよりは、空に浮いているような感覚だ。
自分という存在が消えていく。
何故か、それがはっきりと自覚できる。
ああ、あたしはまたいなくなるのか。
そもそも、あたしという存在は何なんだろうな。
青春も訪れる前に死んじゃって、偽りの世界に踏み込んだり、あたしの人生って何だったのだろう。
そして、あたしはこの世界で何がしたかったのだろうか。
もう、わからない。
考えたくない。
このまま消えて無くなれば、楽になるのかな。
あたしは、また消えていく。
そして、さよならをする。
あたしという存在が、この世界から消えていこうと――――――