Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
「直井、ちょっといいか?」
あの色々と大変だった日が明けた日、俺は直井に会うために生徒会室に訪れた。
直井がきょとんとした表情を俺に向けている。そりゃそうか、昨日あんなことがあった時に俺の方から尋ねられたら、向こうもどういう顔をすれば良いかわからないだろう。直井がいることを確認した俺は、生徒会室をぐるりと見回して、ある人物を捜してみた。
「やっぱりいないか……」
生徒会室にいるのは直井が一人だけ。他の生徒会役員、そしてあの書記もいない。
「何か御用ですか? 音無さん」
「ん、ああ。 ちょっとな……ってお前、何だかいつもと様子が違わないか?」
「そうですか?」
予想外なことだが、直井はすぐさま俺のもとへ駆け付けてきた。しかもどこか嬉しそうに。まるで子供が大好きな母親を前にしたような……って俺が母親役かよ。
今の直井には違和感をばりばり感じる。なんというか、人が変わったみたいだ。以前までのような誰も受け付けないと言わんばかりの尖った雰囲気はどこにもない。顔を嬉しそうに緩ませ、もし尻尾が生えていたら犬のようにぱたぱたと振っているような様子だ。
「まさか音無さんの方から尋ねてくださるなんて、僕は……」
と言いながら、顔を下げてもじもじしている姿は、正直言うと背筋に寒気が走った。
「それで、僕に何か御用ですかっ?」
「あ、ああ……ちょっとお前に聞きたいことがあるんだ」
「どうぞどうぞ」
明らかに以前とは別人のような変わり様だ。だが、今は何よりこちらの方が優先事項だ。
「沙耶って言う女子生徒を捜しているんだ。 知らないか?」
「沙耶? 名字はなんて言うのでしょう」
「……ん、悪い。 名字はわからないんだ、ちょっと事情があって……」
「……そうですか」
この世界に来る時点で、ここにいる人間には誰しも何らかの事情がある。だからこそ、直井は詳細を追求することはしなかった。
「なら尚更わかりそうなものですが……沙耶という女は、確か音無さんといつも一緒にいた、金髪の娘ですよね」
「そう、そいつだ。 実を言うと、昨日から姿を見ていないんだ」
昨日、という単語に反応した直井は、どこか申し訳なさそうな表情をして口を開いた。
「それで……消えた理由が僕にあると?」
「あ、いや……別にそんなつもりは」
「いえ、仕方ありませんよ。 何せ僕は音無さんをあんな場所に閉じ込めた張本人ですから」
「……………」
「でも……すみません。 僕は彼女のことは何も知りません。 というよりは、昨日は姿さえ見ていません。 本当ですよ?」
「そうか……」
そう、閉じ込められた俺だからこそ、直井のことも正直に言えば多少は可能性を疑ったが、それより容疑が高い人物を、俺は知っていた。
「もう一つ、ここの生徒会の書記はどこにいるんだ?」
「書記……?」
直井が予想外の反応を返す。首を傾げた直井の様子を見て、俺は驚いた。
「いただろう…?! 俺たちを反省室に連れていった時も、お前の隣に……ッ!」
「え……あ、ああ……そういえばそんな奴がいたようないなかったような……」
「お前……書記は生徒会には欠かせない存在だろ。 書記の存在すら把握していなかったのか?」
「いえ、そんなことはないはずなんですけど……おかしいな、どういうわけか記憶が曖昧だ」
まるで本当に今まで存在を忘れていたような感じだ。これまでの直井を見ていると、様子はおかしいのは確かだが、嘘はどこにも付いていないらしい。
「なんと言いますか、影が薄過ぎて僕のような高貴な存在には覚えられるにも値しない奴だったみたいです」
「お前、ひでえ奴だな……」
「あっ、音無さんは違いますよ? 音無さんは僕より遥か彼方の先を往く高貴な存在ですッ!」
「やっぱりお前……キャラが変わりすぎていないか?」
「僕は昨日、音無さんに抱き締められて目が覚めたんですッ! 僕の未練を癒してくれた音無さんに、僕はどこまでも付いていくと誓ったんです!」
「そ、そうか……」
ぐっと拳を握られ、目をきらきらされては、どうやっても敵わない気がする。自分でもよくわからないが。
俺に付いていくと言われてもなぁ……元々こいつは俺たちと敵対していたのに、ここまで変わってしまうなんて、こいつが恐ろしいというか、変えたらしい俺自身が一番恐ろしいのかもしれない。
「話は戻すけど、実は沙耶の奴、その書記の子を調査すると言い出したっきりで、帰ってこないんだ」
「そうですか。 そういえば、その書記も今日は見ていませんね……」
沙耶が普段からいなくなったりすることはよくあった。だが、今回は違う。
あんな騒動があった時だ。しかも、書記を調査すると飛び出していったきり、戻ってこない。おまけにその書記とやらまで行方がわからないんだ。怪しい匂いがしても仕方がない。
もしかして、沙耶に何かあったのか……
「その女が心配ですか?」
「え?」
不意に俺は直井にそんなことを聞かれていた。直井は不安そうな色を帯びた瞳で、俺の方を見詰めている。
「あ、ああ……まぁな。 一応、俺はあいつのパートナーだし……」
「そうですか……」
何故か直井がそこでしょんぼりとする。顔を下げ、かぶっている帽子のせいで表情がよく見えない。
だけどなんで直井は残念そうにしているんだ?
しかし……これからどうするか。
生徒会に行けば何かわかると思ったが、手掛かりはあまり掴めていない。やはりあの書記が関係している可能性が大だが、それだけで沙耶がどこにいるのかはわかっていない。
やっぱり、この学園中をくまなく捜してみるしかないか。出来れば、ゆりたちにも説明して協力を―――
「わかりました。 僕も、その女の捜索に協力しましょう」
「へ?」
いつの間にか顔を上げていた直井の言葉に、俺は間の抜けた声をあげた。
「いいのか……?」
「……不本意ですが、音無さんのためなら致し方ありません。 僕でよろしければ、最大限の協力は惜しみません」
「そ、そうか。 それは助かるよ、ありがとう直井」
「いえ……」
俺がお礼を言うと、直井は帽子の唾を掴み、頬を赤らめた顔をまた下げてしまった。
「?」
俺は首を傾げるが、兎に角直井の気持ちにも素直に感謝して、沙耶を捜してみよう。
「ただし……条件があります」
「条件?」
今度の直井の声は、やけに真剣気味だった。
「はい。 もし、その女を捜しだしたら……音無さん」
「……………」
「僕を……」
まるで、これから告白するかのような雰囲気だ。
いや、待て。相手は男だぞ。
なのに何故お前は、まるで好きな相手に告白するみたいにしているんだ。言い淀むな、もじもじするな、顔を赤らめるなぁぁぁ……ッッ!!
俺の悲鳴は心の中に虚しく響き渡り、一方では直井が勇気を振り絞るように、言葉を紡いだ。
「僕を……音無さんたちの戦線に入れてくださいッ!」
「……は?」
俺はぽかんとなった。
直井が、俺たちの戦線に?
「え? な、なんでだ?」
「僕は音無さんにどこまでも付いていくと決めたんです。 だから、音無さんのそばにいつでも居られるように、僕がその戦線とやらに入隊します…ッ!」
「は…ッ!? 待て待て、お前はそれでいいのかッ? 生徒会だろッ? 俺たちと戦ってきた生徒会の奴が……」
「関係ありません。 立場上は生徒会会長代理でも、心は……音無さんのお側に…ッ!」
「最後の言葉は気になるが……あえて気にしないでおこう。 まぁ、俺は別に構わないけど……戦線のリーダー様に聞いてみないことには……」
「安心してください」
「へ?」
「既に戦線のリーダーには入隊希望を具申しておきました。 後は音無さんの同意次第ということで」
「はぁッ!?」
そう言って、直井はぱっと俺の目の前に一枚の紙を広げてみせた。その紙面には『死んだ世界戦線入隊希望書』という文字が書かれていた。
死んだ世界戦線入隊希望書
下記の者を、死んだ世界戦線に入隊することを許可する。
入隊希望者:直井文人
リーダー:仲村ゆり
広報担当者:音無
「こんなものがあったのかッ!? ていうか俺、いつから広報担当に……ッ!?」
「ということで……音無さん、よろしくお願いします」
そう言って、直井はぺこりと俺に頭を下げた。
まぁ……いいか。
別に俺は嫌というわけでもないし、沙耶を捜してくれるのならそれくらいは良いだろう。
「ああ……それじゃあよろしくな、直井」
これからのこと、そして今から沙耶捜索の意味も含めて、俺はその言葉を直井に投げかけた。
そして、俺たちがやって来た場所。
そこは俺と立華が閉じ込められた牢屋がある空間だった。俺たちが閉じ込められた場所は脱出する際に破壊したため、そのまま放置されていたはずだが、今日になってそこを通りかかってみると、すっかり何事もなかったかのように元通りになっていた。
「ここには音無さんを閉じ込めた牢屋とは別に、色々な対天使用を考えた設備が備え付けられています。これらを知られずに作るのは苦労しましたよ」
「そりゃあ何年もかかるわな……」
「まぁ、今となってはそれもほとんど必要性を失いましたが」
寂しい、どこまでも続く通路を俺たちは二人で歩いていく。その途中で、色々な部屋の前を通り過ぎていった。実験室のような部屋から、物騒なものが供えられた部屋や何もない殺風景な部屋まで、様々な部屋があった。
「これらはどうやって使おうとしていたんだ……?」
「聞きたいですか?」
前を歩く直井が、不敵な笑みを浮かべて振り返る。
「いや、いい……」
俺の本能が聞かない方が良いと警報を鳴らしていたので、聞かないことにした。
「賢明なご判断です」
そう言うと、直井はくっくっと不気味に笑うと、俺たちは再び歩き始めた。
通路の先にある闇の向こうへ歩くたびに、さっきまで各種様々な見られていた部屋はなくなり、遂に通路だけが闇の向こうへと伸びるばかりとなった。何分歩いただろうか、結構長い間歩いた気がする。
「なあ……これ、どこまで続くんだ?」
「この学園は不思議な施設でして……こういうおかしな場所もよくあるんですよ。 音無さんもよく知っているはずですが」
俺は、地下に存在するギルドを思い出す。学園の下にあんな地下要塞があったんだ。こんな場所があっても全然おかしくないだろう。
「まあ、僕が改造してよりおかしく変えたわけなんですけどね」
「ああ、ここら辺はお前の仕業ってわけか」
「ええ。 しかし、今から向かう先は、一番不思議な場所ですよ」
「?」
俺は直井の言っていることがよくわからなかったが、直井の背後を見ていると、問いかけることも難しかった。
「(まぁ……これから行けばわかることだしな)」
そうして、俺と直井はそこから無言でその場所に向かったのだった。
それから歩いて数分で、俺たちは目的地を前にした。
だが、その時―――
「…! 誰かいます……」
「なにっ?」
先頭を歩いていた直井が、何かを見つけて立ち止まった。俺も目を向けてみる。確かに、暗くて見えにくいが、扉の前に一つの人影が立っている。
沙耶ではない。明らかに沙耶より小柄だ。
「もしかして……生徒会書記か?」
「どうします? 音無さん……」
「そうだな、とりあえず……」
通路の最後にある扉の前に立っている人影。それはじっと、扉を見上げている所らしい。
そして、ゆっくりとその手を扉の取っ手に近付けた。
その時。
「動くなッ!」
俺は拳銃をその人影に向けて、叫んだ。人影は俺の声に応えるように、ぴたりと動きを止めた。
人影は沈黙を保つ。そして、人影はゆっくり俺たちの方に振り返るように踵を返す。
ふわりと靡いた白い髪に、俺はふと、見覚えがあるのを感じた。
「「あ…!」」
俺は直井と一緒に間抜けな声をあげる。
そこにいたのは、何者でもない天使、もとい元生徒会長の立華だった―――
俺たちが目指していた場所の前にいた立華。俺は彼女だと知るや、拳銃を下ろした。
「立華……お前、どうしてここに……」
「あなたたちこそ……どうしてこんな所に?」
「俺たちは……」
まさかこんな所で立華と出くわすなんて思いもしなかった。立華は何故こんな所に一人でいたのか。
「僕たちはその部屋に用があって来たんだ」
直井が説明する。それを聞いていた立華は「そう…」とだけ言うと、扉の方を振り返りながら言った。
「私も……ここに用があったの」
「立華も……? どうしてだ……?」
俺が問いかけると、立華は黙り込んで顔を下げた。いつもと変わらない無表情の横顔は、何か言いたそうにしているように見えた。
「……感じたから」
「感じたって……何を?」
「とても悲しそうな思いが、溢れてこぼれているような……」
「それって……」
「あなたたちは、どうしてここに?」
「俺たちは……沙耶を捜しにここに来たんだ」
「そう…」
そう言って、立華はまた扉の方に振り返った。
「なあ……もしかして立華は知っているのか? まさか、この扉の向こうに沙耶がいるのか?」
俺がそんな疑問の言葉を投げかけると、立華は一旦沈黙を置いてから、コクリと頷いた。
「ええ……」
「ほ、本当かッ!?」
「だがしかし、どうして貴様がそんなことを知っているんだ…?」
「わかるの。 彼女の気持ちを感じたから……私もここに来た」
「沙耶の気持ち……?」
沙耶の気持ちを感じ取って、ここまで来たと言う立華。
一体、沙耶の身に何が起こっているんだ?
「……急いだ方が良いみたいだな」
「音無さん?」
嫌な予感がした。よくわからないが、このままだと沙耶が危険だと、俺も感じてしまう。
「立華、俺たちと一緒に来てくれないか。 沙耶のもとに」
「……………」
立華は無言で、無機質な瞳を俺にじっと向けていたが、「わかったわ」と頷いてくれた。
俺は立華に「ありがとう」と伝えると、立ちはだかる大きくて古びた扉を見上げた。
通路の最後を示す古びた扉。確かに古びてはいるが、通路の高さと幅に比例した大きな扉だった。妙な威圧感をそこから感じた。
扉には部屋の名前が刻まれていたが、古過ぎて文字の部分がほとんど剥げて読めなかった。
「僕がここの辺りを改造する際に見つけたものなんですが……この部屋は昔からあったようです」
「らしいな……」
「入りますか?」
取っ手を握った直井が、俺の方をじっと見つめて言う。
俺は生唾を飲み込んだ。
ここに沙耶がいるかもしれない。だから俺はここまで来た。
立華の方をチラリと見る。立華は既に、扉の向こうにいる沙耶を見詰めているような瞳をしていた。
そうだ、この先に沙耶がいる。
俺は、あいつのもとに行かなくちゃならない。
「ああ」
俺が頷くと、直井は取っ手を掴んでゆっくりと扉を引いた。
ギィ、と音を立てる辺りが古びている様子を知らせてくれる。そしてうっすらと下りた闇の中に佇む部屋は、まるでそこは倉庫だった。
ただ、倉庫と言えるほど色々な物がぎっしりと積まれたり置かれているわけではない。あるのは使われていないパソコンや機械類が少なからずの量で積まれているだけだった。だが、埃をかぶっていて、あまり使用されていない様子が伺える。
「しかもパソコンの機種が一昔前の懐かしいタイプだ……」
直井がパソコン類を見渡して、呟いていた。
やっぱり、ここは昔からあるみたいだった。
そしてその向こうに唯一、パソコン等の機械類が積まれた先にぼんやりと見える人工的な明かり。俺はそれを見つけた瞬間、すぐに駆け出していた。
「あっ! 音無さんっ?!」
直井の声も気にせず、俺はその光のもとへ向かった。
「沙耶ッ! いるのかッ!? 沙耶ッ!」
俺の視界に飛び込んできたもの。それはパソコンの画面が発する光だけではない、驚くような信じられない光景だった。
「音無さん、どうしたんですかっ!?」
俺の後から、直井、そして立華が駆け付けてくる。
そして俺と同じものを見た直井は、同じく驚愕の色を浮かべた。立華は、じっとその光景を見詰めている。
そこには―――
使用中の一昔前の古いパソコンに囲まれる中、椅子に座らせて眠っている沙耶の姿がそこにあった。周りの埃をかぶった機体とは違って今でも使われている様子を見せ付けるパソコンは、煌々と画面を青白く光らせていた。その光に囲まれる沙耶の身体は、少しずつ透けていくように見えた―――