Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.35 Interstice of Memory

 のどかな風景に鳴り響く鐘の音は、学園という場所では授業の開始や終了といった各々の合図を意味する。この鐘の音が聞こえたら、生徒は授業に戻らなければいけないのだが、一日中放課後のような俺たちにとってはあまり関係のない話だった。

 「ねえ~、先輩~。 新技かけさせてくださいよぉ」

 「……………」

 ソファに座って面倒くさそうな顔をしている日向に、ユイが絡んでいるが、日向は完全に無視していた。

  対天使作戦本部、という名ばかりの俺たちの溜まり場と言っても嘘ではないだろう。事実、みんな好き勝手にやっている。他にも、寝ている奴もいれば、よくわからないダンスを踊っている奴らがいたり、ぬいぐるみで戯れている奴らもいて、挙句の果てには銃の整備をしている奴が俺のそばにいたりする。

 「何よ……前にも言ったと思うけど、銃は細目に点検しておかないと、いざって時に使えなくなるのよッ?」

 「俺の心の声を読むな……」

 あの一件以来、無事に俺たちのもとに帰ってきた沙耶だが、パートナーである俺だけでなく、こうしてみんながいる場所にいることが多くなっていた。たまにユイや他の女子メンバーと話している時も見かけるようになり、俺としては子を見守っていた親のような、複雑な心境だったり。

 「ちぇっ、もーいいや。 ひなっち先輩シカトするからつまんなーい」

 日向にあれだけ絡んでいたユイも、とうとう日向が相手してくれないことに諦めたのか、「大山先輩にかけよっと」と、ターゲットを変えて日向から離れてしまった。その後、大山の悲鳴が聞こえたのは言うまでもない。

 ユイを追い返した日向は、ハァ…と溜息を吐いて言葉を漏らす。

 「ここは小学校かよ。 ガキばっか増えてくなぁ」

 「…貴様、僕に言っているのか。 僕は神だぞ」

 そんな日向の隣には、読んでいた本を閉じる直井の姿があった。

 「まだそんなこと言ってるのかよ? 音無に抱きつかれて大泣きしてたくせによぉ」

 「誰が泣いたって?」

 「うおっ!?」

 「泣くのは……貴様だ」

 直井の不気味に輝いた瞳が、日向に迫る。

 「さぁ、洗濯バサミの有能さに気付くんだ。 そして洗濯バサミに劣る自分の不甲斐なさに嘆くが良い」

 「うああああッッッ!!! 洗濯バサミ○×☆%?!&$#!!!」

 直井の催眠術にかかったのか、謎の言語を繰り返しながら、日向が男としては見ていられないほどの大泣きを始めた。俺はさっきの日向より深い溜息を吐くと、あいつらの所に向かった。

 「ふふ…」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべている直井の襟首を、後ろからぐいっと持ち上げる。

 「お前、催眠術を腹いせに使うな」

 「音無さん♪ おはようございますっ」

 「…あれは何だ」

 あれ、とは勿論今そこで大泣きしている日向のことである。

 「あっちから突っかかってきたんです。 僕はぁ、出来るだけ穏便にぃ」

 寒気がするから、その猫のように舌を乗せた喋り方はやめろ。

 「どこが穏便だ」

 明らかに痛めつけているじゃないか。

 「見ろ、大の男が大泣きしてるじゃないか」

 日向は洗濯バサミと自分を比較して、ソファを叩きながら声をあげて泣いている。いくらなんでもやりすぎだろう。こいつは何で俺以外の人間には容赦がここまでないんだ?

 沙耶との一件で色々とあった後、直井は正式に俺たちの戦線に加わった。こうして戦線と抵抗無く打ち解けているが………打ち解けているのか?

 だがしかし、沙耶の件もあったしなぁ……

 俺はチラリと、銃の点検を黙々と行っている沙耶の横顔を一瞥した。

 その時、ゆりが声をかけてきたものだから、俺は馬鹿みたいにドキリとしてしまった。

 「音無くん、直井くん。 用があるから、ちょっとこっちに来なさい」

 「?」

 「あたしもご一緒していいかしら?」

 俺のそばにいた沙耶が声をかけるが、ゆりは一瞬複雑そうな表情を過ぎらせた。だがすぐに「ええ」と了承した。

 ゆりの反応が気になったが、ゆりに誘われた俺と直井、そして沙耶は泣き喚く日向とそれを励ます(?)戦線メンバーを残して、校長室をあとにした。

 

 ―――教員練3階 空き部屋。

 俺と直井が連れられたのは、誰もいない空き教室だった。ゆりは俺たちを招き入れると、外と断絶するように注意深く扉を閉め、俺たちの前に歩み寄った。

 「何だよ、こんな所に呼び出して……」

 ゆりの表情は真剣な色に染まっていた。そのせいで、俺は変に少し緊張してしまう。真面目な話みたいだなと察していると、ゆりは俺ではなく直井の方に言葉を投げかけた。

 「直井くん、音無くんの失われた記憶を元に戻してみせて」

 「僕に命令だと? さっきから貴様何様のつもりだ―――たはぁんっ」

 俺は直井の頭を叩き、ゆりの代わりに言ってやった。

 「てめぇのリーダーだ! 上司だよ、大人しく言う事を――――」

 ん、ちょっと待て。

 ゆりは今、なんて言った?

 俺の記憶?

 慌てて沙耶と顔を見合わせると、沙耶の方もかなり驚いていた。

 「―――って、えっ? 俺の記憶ッ!?」

 「そうよ、あなたの記憶」

 驚愕する俺に、ゆりはピシャリと言い放った。

 「直井くんの催眠術は本物よ。 音無くんの失われた記憶も取り戻せるはず」

 「ふむ、なるほど。 それは僕の手で何とかしてあげたいですね」

 「ちょっと待てよッ! 勝手にそんなこと決めるなよッ?!」

 「どうして? まさか忘れたままでいたいのかしら」

 「―――ッ! いや、それは……」

 勿論、思い出したい。

 けど、この不安は何なんだ。

 この不安は―――

 「……沙耶ちゃんのこと?」

 「――――!!」

 俺は、真剣に表情を引き締めたゆりの顔を直視した。

 そして、沙耶の反応する雰囲気が、俺にも伝わってくる。

 「沙耶ちゃんの件は聞いているわ。 もしかしてそのせいで、記憶を取り戻すのが恐くなった?」

 「……ッ!」

 ゆりは沙耶の一件を知っていた。

 他の戦線メンバーは知らないが、リーダーとして、ゆりには知る権利があった。

 個性が多い兵隊たちを統制するのが指揮官の役割であり、使命だ。リーダー足る者、一人一人の行動や事情はある程度知っておかなければならない。でないと、統制が出来ないからだ。ゆりはリーダーとして俺たちの事を知っておくべきだと思っている。

 「素直に、仲間として心配しているから、ということもあるんだけどね」

 「……………」

 ボソリと漏らしたゆりの言葉を、俺はただ黙って聞いていた。

 確かに、ゆりの言う通り、俺は記憶を取り戻すことを恐れてしまっているのかもしれない。

 不安があるのは、紛れもない事実だった。

 強制的だったとは言え、記憶を取り戻した沙耶は、危うくこの世界から消えてしまう所だった。自分の過去と記憶に押し潰され、沙耶は自ら消えようとした。俺はどうだろうか?俺も記憶を取り戻して、もし自分の過去と記憶に押し潰されそうになったら、耐えられるだろうか?

 つまり、俺も沙耶みたいに消えてしまいそうになるのではないか。それはこの生活を終わらせてしまうことになるんじゃないか。

 そして、気付いた。

 俺はこんなにも―――みんなとの暮らしを気に入っていたんだ。でも過去を思い出して、俺が消えてしまわないか、もし消えなくても、俺はこれまで通りにみんなと一緒に過ごしていけるのだろうか。

 でも…それでも……

 「音無くん?」

 「―――ッ!」

 ゆりの声に、俺はハッと我に帰る。

 「あ、ああ……わかった」

 「過去を取り戻したとしても……」

 「直井?」

 隣にいた直井が、ぎゅっと俺の手を握ってきた。

 「どうか自分を見失わないで。 もしあなたがどうなっても、僕だけは味方ですから」

 そう言って、直井は優しげな微笑みを俺に向け―――

 当の俺は、言葉を出すことはなかった。

 「……………」

 「……何か言ってください」

 引きつった笑みで、直井は苦しげに言葉を紡ぐ。

 「あたしも味方だから、安心しなさい」

 「……消えそうになった情けないあたしが言うのもなんだけど、あたしも付いてるわよ」

 ゆりと沙耶が、それぞれ頼もしい言葉を俺に捧げてくれた。

 「ああ、頼もしいよ」

 「ええッ!? 何この差ッ?!」

 直井には悪いが、今の俺にはお前にどう接するべきだったかよくわからないんだ。

 「……まぁいいです。 どうぞ座ってください」

 そして、俺は直井に促され、その場にあったパイプ椅子に腰かけた。その隣に、沙耶がいてくれる。そして机を挟んで、正面に直井が座り込み、その横にゆりが立って見守っていた。さっきとは打って変わって、奇妙な静寂が一瞬辺りを包んだ。

 「では、始めます」

 「……………」

 俺は覚悟を決め、頷いた。

 俺は、隣にいてくれる沙耶の方をチラリと一瞥した。沙耶は、俺の視線に気付くと、凛とした微笑を浮かべて、力強く頷いてくれた。

 その瞳は、あたしが付いているから、と言ってくれているみたいだった。

 何だか、さっきまでの不安が和らいだ気がする。

 そして、直井の催眠術がいよいよ始まった。俺は直井の赤く光る瞳を凝視する。

 夜空に浮かぶ赤い半月が、俺の網膜に焼き付いていく。意識が揺らぎ、まるで夢の中に引きこまれていくような錯覚に陥った。直井の瞳が、赤い半月が、やがて夏の大空へと変わり、そしてひまわりの太陽の情景へと変わっていった。聞こえてくる蝉の鳴き声。気が付くと、俺は懐かしい、夏の記憶に身を委ねていった。


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