Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.36 Alive

 真っ青な空と白い雲、そして照りつける太陽の光が真夏の情景を生み出す。近くのひまわり畑が黄色の絨毯を敷き、そしてそのそばにある木から聞こえてくる蝉のうるさい鳴き声が、夏の風物詩を思わせる。

 すっかり夏らしくなった空の下で、俺はプールや海などに行くわけでもなく、かと言って他の奴らみたいに予備校に行くこともなく、ある場所へと毎日通いつめていた。

 そこは、妹が過ごす病院だ。

 「お兄ちゃん、学校楽しい?」

 外は汗をかくほど暑い事この上なかったが、病院内は冷房が効いていて快適だった。適度な温度で調節された病室で、ベッドにいる妹の初音が、俺にわかったような質問をしてきた。俺は最初から決まっている答えを口にする。

 「楽しかねえよ。 行ってないから…」

 「行ってみたら楽しいかもしれないよ?」

 「頭が良かったら楽しいかもな。 俺のような成績が悪い馬鹿には、居場所がないような所だ」

 「勉強は楽しくない?」

 俺の答えに、初音は次から次へと質問をしてくる。しかも、もっとありえないような内容だ。

 「楽しいわけないだろ。 勉強だぞ?」

 「友達は? お友達と遊ぶのは?」

 「…一人でテレビ観たり、ゲームしてる方が楽しい。 相手の趣味に強引に付き合わされたり、面白くもない冗談に笑って付き合ってやらきゃいけなくなったり……疲れるだけだ」

 「そう……」

 初音は、俺の参考にもならなそうな答えにもちゃんと聞いて、そして言った。

 「私は勉強楽しみだなぁ」

 未来を思い浮かべるような、楽しそうな笑顔で、

 「友達作るのも楽しみ」

 そう言った初音は、本当に楽しそうな表情だった。

 そんな初音を見ていると、俺の心も不思議と軽くなる。

 「…ああ、そうだ」

 俺は途端に思い出して、初音に渡すべくものをカバンから取り出した。

 「ほら、これ」

 そう言って、俺が初音に差し出したのは、初音が大好きな漫画雑誌が入った袋だった。

 「わあ」

 それを見て、初音はまるでひまわりのように表情を咲かせて、俺からの漫画雑誌を受け取った。

 「ありがとう、お兄ちゃん」

 天使のような笑顔でお礼を言う妹を見て、俺はこれからも頑張れると勇気付けられた。

 そう、こいつの笑顔だけが、俺の全てと言っても良かったかもしれない。

 だって俺は―――

 

 生きている意味が、わからなかったから。

 

 生きがいを知らない、他人に興味を持てない。誰とも関わらない方が楽だからだと知っていたからだ。最低限食っていけるだけのアルバイトを惰性で続けて、そんな暮らしで十分だった。

 それでも俺は妹にだけは会いに行っていた。なけなしの金で漫画雑誌を買っていく。いつも適当に、本屋の平積みになっているやつを買っていくから、同じ雑誌かどうかすらわからない。もしかしたら違う雑誌で、話は続いていないのかもしれない。

 でも―――

 

 「ありがとう、お兄ちゃん」

 

 妹は、初音は決まってそう言った。そして、俺の買ってきた漫画雑誌を袋から出しては、いつも素直に喜んでくれるのだ。

 結局、何でも嬉しいようだった。

 初音は俺とは違う。生きる意味に希望を持っているし、生きる意味もきっと見つけられる。

 なのに――ずっとこの二年、退院できないまま入院生活を過ごしている。

 出来ることなら、変わってやりたい。

 生きる希望も知らない、この俺と。

 その連声の思いが、俺を通わせていた。

 

 

 

 冬になると、色々と厳しくなる。夏のバイトもそうだったが、冬のバイトは一層辛くなる。

 指先がかじかんで、裂けそうだ。それでも、生きるためにバイトを続ける。

 生きる?

 何のために?

 考えちゃ駄目だ。

 考えてしまうと、バイトまで辞めてしまいそうになるから。

 これだけは続けなくちゃいけない。食うために、初音にプレゼントを買ってやるために。

 「……………」

 白い吐息が漏れる。

 バイトの疲れと空気の冷たさで、指先の感覚がよくわからない。俺は家に帰る途中にある公園に寄り、自販機で買ったホットのジュースを開けると、ベンチに座り込んだ。

 誰もいない。それもそうだ。こんな時間に、こんな寒い外に出歩いている奴なんて俺ぐらいしかいないだろう。ベンチに座ったまま、俺は空けた缶を持ったまま、ただ黙って過ぎていく時間を浪費していた。

 雪が、俺の手に染み込んだ。ぱらぱらと降ってきた雪。俺は雪が降る空を見上げた。

 そして俺は思いつく。そうだ、今度のクリスマスは医者に相談して、少しでもいいから外に出られるようにしてあげよう。でも車椅子は雪が積もると使えないのかな。

 だったらおんぶでいいや。あいつ一人ぐらい、いくらでもおぶって歩ける。それで好きな店で好きなものを買ってやろう。出来ればいいお店でケーキも食べさせてやりたい。だとすれば、もっとバイトして稼がないとな。

 俺は、ここで今まで以上にやる気を出していた。やっぱり、初音が関わること全てが、俺の生きる意味だったのかもしれない。

 「今度のクリスマスはどこに出かけたい?」

 俺は、最近マスクを付けるようになった初音に、今度のクリスマスの計画を立てるために質問を投げかけた。

 「街の大通」

 マスクで少しくぐもった声で、しかし普段と変わらない調子で、初音は答えた。

 「…あんな所でいいのか?」

 ちょっと拍子抜けした気分だった。どうせならもっといい場所に連れていってやるのに。

 「だってね、全部の木に電気が付くんだよ。 知ってる?」

 「いや、クリスマスにあんな所行かねえし……」

 「すっごくきれいなんだってッ! 去年からそうだったんだって、先生が言ってた」

 「へぇ…」

 まあでも、初音が行きたいと言う所が一番良いだろう。俺はよし、と決めた。

 「じゃあ、そこ行くか」

 「行けるの……?」

 「行けるように掛け合ってみる。 もし駄目でも、内緒に連れていってやるよ」

 「ほんとっ?!」

 「ああ、ホント」

 「やったあ!」

 そう言って、喜ぶ初音は本当に嬉しそうだった。

 「ありがとうお兄ちゃん…ッ!」

 それが―――

 今までで、一番大きな“ありがとう”だった。

 

 

 それから、俺は今まで以上に頑張った。

 バイトのかけ持ちを始めた。出来るだけお金を稼ぐために。失敗もあって、大変なことが多かったが、初音という存在がいたおかげで、俺はずっと頑張り続けることができた。

 家では寝るだけになった。

 バイトから帰った途端に布団に飛び込み、そして眠りに落ちる俺。

 今は目的があるから働けている気がする。ただ一つ心配なのは、あいつの容態が悪くなっていることだった―――

 

 外出の許可は当然出なかった。

 だから、俺は面会時間が終わった後、病室に忍び込み、初音を街に連れだした。

 

 初音をおぶって病院から街の大通まで歩くと、視界いっぱいに広がる幻想的な世界がそこにあった。大通り中の木が装飾付けられ、きらきらと星のように光っていて、夜なのにまるで昼のように明るい。

 「すげぇ……ほら、見えてるか? すごいぞ!」

 「うん……すごく、きれい……」

 「だな。 凄く綺麗だ」

 初音の言う通り、そしてそれ以上に、綺麗な光景が俺たちの前に延々と続いていた。

 俺は初音をおぶりながら、その中を、行き交う多くの人の中で、歩き続けていた。

 「俺も見られて良かったよ。 お前のおかげだな」

 初音は俺におぶられて、身体を俺の背中に預けている。初音の感触が、俺の背中から伝わっている。

 こいつ、こんなに軽かったけ。初音をおぶったのなんてどれくらいぶりだろうな。

 「さぁて、これから楽しい時間が続くぞぉ。 まずはプレゼントだ、何でも買ってやる。 実は兄ちゃん、この日のためにすげー貯金、貯めてきたんだぜ? だからどんな高いものだって買ってやる」

 俺は初音にも楽しんでもらえるように、楽しそうな声色で言った。妹をおぶって、一人で喋り続ける兄の姿がそこにあった。

 「何が欲しい? あぁ、まずは店に入ろうか。 宝石店でもいいぜ?」

 俺は冗談を混じりながら言ってみたり、

 「あ、普通にデパートがいいか?」

 初音の本当に行きたそうな所を言ったりする。俺は、何をそんなに―――

 

 焦ってたんだろうな。

 

 「……お兄ちゃん」

 今まで続いていた俺の一人相撲が中断した。初音が、消え入りそうな声で呟く。

 「ん?」

 「ありがとうね……」

 「……………」

 いつの間にか、俺は立ち止まっていた。

 自分で自分に何かを隠しながら、俺は前に向かって歩くのを再開した。

 「ああ」

 俺は、初音に楽しんでもらえるよう、もう一度調子を上げるような口調で言い始めた。

 「買い物の後にもな、いいこと待ってるんだぞぉ? 今度は夕飯だ! よくわからないけど、雑誌に載ってたいい店、予約してあるんだ。 コースで決まってるものが出てくるんだ。 コース料理だぞっ? 凄いだろっ? それでな―――」

 その後も、俺は一人で喋り続けて、歩き続けた。

 結局、俺がその日、初音から最後に聞いた言葉は―――

 

 ありがとうね、だった……

 

 

 初音を失った俺は、その後親戚の家に預けられることになった。少しの間、親戚の家で過ごした俺だったが、俺は自分からこの家を出ていくことを決めた。

 「…では、行きます」

 「このまま一人であの家に暮らしていくの? 寂しいだけでしょ?」

 「大丈夫です。 慣れてますから……」

 「そ、そう? 本当に大丈夫かしら……困ったことがあったらいつでもおいでね。 ご飯だって、いつでも食べさせてあげるから」

 「…はい、ありがとうございます。 この度は、本当にお世話になりました……」

 お世話になった親戚の家から出た俺は、ただ一人、孤独に街の中を歩いていた。

 

 ……俺は、ちゃんと生きがいを持って生きていたんだ。

 

 生きる意味は、そばにあった。

 

 気付かなかっただけだ。俺はあいつに、ありがとう、とそう言ってもらえるだけで生きていられたんだ。

 あいつに、初音に感謝されるだけで俺は生きていた気がしたんだ。

 

 つまり、俺は幸せだったんだ。

 

 ……馬鹿だ、俺。今更気付くなんて。そんなに大切な存在だったのに、何もしてやれなかった。

 ずっと、あいつは俺の買ってきた漫画雑誌を読むだけで、それだけで、それだけの人生で、幸せだったのだろうか?

 そして、それを失った俺の人生は終わってしまったのだろうか。

 

 気付かない幸せに満たされていた日々。その時間は過ぎ去ってしまった。

 

 もう俺には、何も残されていない―――

 

 

 俺は、通りかかった大きな病院の前で、ある光景を見つけた。

 「退院おめでとう」

 「ありがとうございましたっ!」

 それは、初音ぐらいの小さな女の子が、自分を縛り付けていたものから解放され、満面な笑顔を浮かべている姿だった。

 俺はそれを見て、そしてもう一度気付いた。

 もしかしたら、俺の生きがいはまだ他にも見つけられるかもしれない。

 気が付くと、俺はすぐにその場から駆け出していた。

 

 本屋から買ってきた医学関係の本を漁り、猛勉強に励む日々を始めた。

 生きがいをまた見つけられるかもしれないと思ったから。

 生きる意味を見つけられるかもしれない。誰かのために、この命を費やせるのなら…!

 

 そして、俺は今までの人生で経験したことがないようなほど、猛勉強を重ねた。ここまで勉強をしているのは生まれて初めてだ。そして、その時間は更に増えていく。

 初音に嫌いだと言った勉強のおかげで、俺は自分の夢に近付くことができた。生きる意味を、見つけられるような気がした。それが、勉強をして自分が進んでいく度に、より強く思えるようになった。

 

 俺は、今までの自分の成果を発揮できる機会であると同時に夢への第一歩になり得る場所を目指していた。雪が降る中走る電車の中で、俺は胸にあるものを膨らませながら、それを大事に持っていた。初音のような子を救える、他の人を助けられる職業に近付くことができる、医学系の大学入試の学生受験票を。

 「……?」

 ガタ、と電車が微かに奇妙な揺れを生じた気がしたが、別段気にすることはなかった。だが、それはすぐに俺の人生に直接襲いかかってきたのだ。

 「―――ッ?!」

 急停車する電車。それだけに留まらず、明らかにおかしな挙動が乗客を襲った。俺は、手すりから手を離し、バランスを崩した。周りの悲鳴があがる中、俺は自分の手から離れていった受験票を掴もうと、虚空に手を伸ばした。

 だが、その手は何も掴まなかった。虚空だけが俺の手にあり、そして俺の視界も、真っ黒な闇へと染まっていった。

 

 

 

 闇の中から、俺は現実へと帰ってきた。

 離れていった受験票を掴もうとした手は、膝の上にあった。視界には大切なものを掴もうとした、膝の上に置かれた自分の拳があった。

 静寂の中、時計の針の刻まれる音だけが過ぎていく。シンと静まる中、俺は隣で見守ってくれている沙耶や、正面にいるはずの直井とゆりの方にさえ、顔を上げることができなかった。

 「……思い出した?」

 「ああ……」

 「……素晴らしい人生だったとは、言えそうもないわね」

 沈鬱な空気が降りる。隣の沙耶や正面にいる直井から、心配をかけてくれるような視線を感じるが、俺はそれさえ素直に受け取れる余裕がなかった。

 「しばらく、一人にしてくれ……」

 俺が何とかその言葉を伝えると、ゆりが無言でその場から立ち去ってくれた。その後、直井も名残惜しそうに席を外してくれた。そして隣にいる沙耶も―――

 「……………」

 ぎゅっと、俺の顔を自分の胸の中に寄せて、抱き締めた。

 沙耶の匂いが俺の鼻につく。柔らかくて、暖かい感触が俺の顔をそっと撫でてくれた気がした。

 「……………」

 少しの間だけ抱き締めると、沙耶は無言で俺の顔をそっと離し、背を向けて立ち去っていった。

 バタン、と扉が閉まる音を最後に、静寂が俺の辺りを包んだ。

 「(無気力だった俺は、自分の生きる理由を初音(おまえ)に教えてもらって……見つけて、そして夢半ばで死んだのか……ッ)」

 こみ上げてくるものを、俺は流す。

 涙という、どうしようもできない感情の流れを。

 「(何も為し遂げずに死んだのか……ッ!)」

 それが、俺の人生だったのか。

 俺の人生の、結末だったのか。

 「(そんなのってねえよ…ッ! ねえよ……ッ! 死に切れねえよ……ッ!!)」

 俺は一体、何のために―――

 俺の人生もまた、こんなものだったのか。

 「初音……ッ」

 妹の名前を漏らしたのは、どれくらいぶりだろう。

 俺はこの世界に来て初めて、自分の人生と、そして大切な存在を思い出し、その名前を涙と共にこぼしていた。


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