Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
戦場において武器、弾薬などと同等に並ぶ大切なものがある。それは兵士の腹を満たせる食糧だ。腹が減っては戦が出来ぬという諺がこの国にあるように、食べるものが無くては戦う力も出せない。十分な戦力を発揮するために欠かせないのが食糧なのである。そしてそれはこの世界においても同じ事だった。生前とは別世界とは言え、空腹という機能が自分たちに備わっている以上、そして戦線として戦う事が続くのであれば、食糧は自分たちにとっても不可避な存在だった。
そして俺たちの力となる食券が不足しているのが現状らしい。以前は武器や弾薬が足りなくなってわざわざギルドまで降りていったが、今回も只では済まないらしい。食券ならいつものようにトルネードで一般生徒たちから巻き上げるのが通例なのだが、今回は全く違うオペレーションが実施されるようだ。
「今日のオペレーションは、モンスターストリームよ」
ゆりが低い口調で今回の作戦名を告げる。そのゆりの背後にはお決まりの大画面に作戦名がでかでかと表示されていた。
その途端、周りから驚嘆と悲鳴の声があがった。初めてとなる作戦名を聞いた俺と沙耶としてはわけがわからなかったが、みんなの反応ぶりを見る限り、この作戦は何かとてつもないものらしい。
「何なんだよ、その作戦は…!?」
「まさか、モンスターでもいると言うの? ……面白い」
最初は俺と同じく驚愕の色を浮かべた沙耶だったが、がらりと変わったように、いつの間にか銃を取り出してにやりと笑って呟いていた。
「……お前、今面白いとか言わなかったか?」
「さて、どうかしら」
「……それより、この世界にはモンスターなんてものまでいるのか?」
俺の疑問に対して、近くにいた高松が眼鏡のブリッジをくい、と持ち上げて答えてくれた。
「ええ、川の主です」
「川の主……ッ!?」
「ちょっと歩いた所に川があるだろ。 そこで食糧の調達だ」
「……………」
「……それって要はつまり、単なる川釣りってことかしら?」
口端を引きつらせて固まった俺の代わりに、沙耶がつまらなそうな声で問い返した。
「そうだけど……それがどうかしたのか?」
「いえ、別に」
素っ気なく返す沙耶だったが、その表情は「つまらないわね」と言っているようだった。腕組みをしてツンとした表情をどことなく向けている。
俺はまたつられて馬鹿な勘違いをしていた自分に力が抜けるばかりだった。
「それじゃあこれから、目的地に向かって出発よ」
ゆりの一言で、俺たちは早速学園のすぐ近くにあるという川へと向かうのだった。
ぞろぞろと川釣りを目的とした一団が太陽の光が眩しい青空の下を歩いていた。
向かう途中、誰が多く魚を釣るか、主を釣り上げるか、など、勝負をする雰囲気で話がわいわいと盛り上がっていた。俺はただその話を横で聞きながらみんなと歩調を合わせていた。
ふと、俺は視界の端に映った色とりどりの花に目を惹かれた。俺が花の絨毯が広がる敷地を見渡すと、花の中に囲まれるようにして居る人影が一人。俺は、そこにいた人物を見据え、足を止めていた。
みんなと一緒に先に歩いていた沙耶も、立ち止まった俺に気付いたらしく、沙耶も振り返り様に立ち止まった。そして俺の視線を追って、沙耶も彼女の存在に気付いた。
俺は一人、花畑で戯れる一人の少女に向かって歩き出していた。
「そんな所で何してんだ?」
俺の好意的な呼びかけに、麦わら帽子をかぶった彼女はゆっくりと俺の方を振り向いた。彼女の小さな頭を包む麦わら帽子の影から、彼女の真っ直ぐな瞳が俺を映す。
彼女、立華は俺を一瞥すると、言葉で答えることなく、代わりに立ち上がった。そして俺は気付いた。立ち上がった立華は胸にそっと何かを包む込むように両手を添えていた。そして、彼女の両手がゆっくりと胸から離れると、彼女の両手が開花する花びらのように開いた。
開いた彼女の手から、ひらひらと蝶が舞い上がった。彼女の髪の色と同じ色をした蝶は、ひらひらと青空に向かって、花の匂いが漂う空気の中へと飛んでいった。俺がその光景を見送っていると、不意に立華が口を開いた。
「草むしりとか、色々……」
それは、さっきの俺の問いに対する答えだった。立華はここで何をしていたのか。その答えは、前は生徒会長として、そして今や一介の女子生徒となる立華の、園芸部もどきの活動だった。花に囲まれた、麦わら帽子の少女という絵が、俺の視界いっぱいに映り込み、そして俺の心にすっと入りこんできた。
見惚れる、とはこの事なのだろう。俺はハッと、その絵に酔いしれていた自分に気付くと、我に帰って「そ、そうか…」と、誤魔化すように目を逸らして頬を意味もなく掻くのだった。
「…ッ! そうだ、お前も来いよッ!」
「え……?」
いきなりの俺の提案に、立華もきょとんとしただろう。
「今からみんなで、川釣りに行くんだ」
「川……あそこに近付くのは校則違反よ……危ないから…」
「いいじゃないかよ、お前ももう生徒会長じゃないんだし。 破ってやれよ」
「でも……」
本当に彼女は真面目なんだなと感じた。だって俺たちの所為とは言え、生徒会長を辞めたことになってもこうして校則をしっかり守ろうとするような生徒の見本みたいな事を続けているんだぜ?今ここでも園芸部みたいに花の世話をするなんて、普通じゃ真似できない。彼女という存在がいたからこそ、知らない所で色々と生徒たちは救われているのかもしれない。
でも、こいつにも俺たちのように馬鹿やって楽しませても、いいだろう?
誰かが引っ張ってやらないと、彼女はずっとこのままだ。
なら、俺が連れていこう。
「…!」
俺は、彼女の手袋をはめた手を取った。表情をあまり変えない立華だが、少しだけ驚いた雰囲気は俺にも伝わっていた。俺は立華の手を取ると、その手を引いて、一緒に駆け出していた。彼女は俺に引かれるように、付いてきてくれた。彼女のかぶっていた麦わら帽子を後に残して。
「本当に彼女を連れていっても大丈夫なの?」
一人待っていてくれたらしい沙耶が、立華を連れた俺を見て、無粋にそう言った。
「いいじゃないか。 立華には色々と世話になってるし、それにこの機会に、みんなとも仲良く出来たらいいなと思うし」
「まぁ、あたしは構わないけど……」
そう言いながら、沙耶はチラリと、立華の手を握る俺の手を一瞥した。そして、「ふーん…」と漏らすと、沙耶はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「好きにすれば? みんなの所に連れていったら、きっとさぞ驚かれるでしょうね」
「だろうな。 それでも、俺は……」
「はいはい、わかったわよ。 あなたが決めたことなんだし、あたしはとやかく言わないわ」
「さんきゅーな、沙耶」
俺が素直に礼を言うと、沙耶は一瞬にして顔を赤くし、慌てて返した。
「べ、別にお礼を言われるようなことはしてないわよ…ッ! それにあたしだって……」
その時、沙耶の表情がシリアスなものへと変わる。
「あたしだって、立華さんには色々と助けられたし……」
立華に向けた沙耶の表情が、申し訳ないような、そんな感じの色に変わった。
「あの時はごめんね、立華さん。 そして、本当にありがとう……」
「ううん…」
あの時、とは沙耶が成仏しそうになった時の事だろう。その時あそこにいたのは俺や直井だけでなく、沙耶の身の危険を察知してくれた立華もいた。立華も、沙耶のために戦ってくれた事実は変わらない。そして、戦い、傷を負ったことも―――
「……身体、大丈夫?」
既にあの日から時はそれなりに経っているし、この世界においては傷の完治も造作ではない。だが、それでも沙耶は世界の理とは関係なく問いかけずにはいられなかった。その心情を察しているはずの立華も優しく、コクリと頷いた。
「気にしないで…」
そう言って、立華は首を傾げて微かに微笑んだ。
すっかり、俺たち三人には慣れ親しむような、親近感のようなものが生まれていたと思う。少なくとも、立華は以前のような敵では決してなかった。
「それじゃあ、あたしは先に行ってるわね」
「え、何でだよ? 一緒に行かないのか?」
「いいから、あんたはしっかりと立華さんを責任持って連れてきなさい!」
それを言い残すと、沙耶はあっという間にその場から風のように立ち去り、先に行ってしまった。俺は沙耶の意図がよくわからなかったが、とりあえず今、手を握っている立華の手を取って、俺は立華を連れてみんなのもとへ向かおうとした。
そして、そこでハッと気付いた。俺が未だに立華の手を握っていることを。
「あ、わ、悪ぃ…ッ!」
思わず、つい強く離してしまった。立華はそんな俺を少し不思議そうな瞳で見詰めていたが、「うん…」と言うと、そっと俺が取っていた手を下ろした。
何故こんなにも胸がドキドキしているのか、という自身に対する疑問を抱きながら、俺は熱くなった顔を必死に冷やそうとした。
「と、とりあえず行くか……」
「うん…」
俺は歩き始めた。そして、その隣に続くように立華も歩き始める。
俺は足幅の小さい立華の歩調に合わせるように歩を刻んだ。
まだ胸が治まらない。
俺は再び、さっきの花に囲まれた麦わら帽子をかぶった立華の姿を思い浮かべていた。
あの時感じた高揚感、そしてそれが今、同じであってもより強く感じられる。
この気持ちは一体何なのだろうか。
今の俺には、沙耶が何故俺と立華を二人残して先に行ったのか、そして自分のその気持ちが、はっきりとはわかっていなかった。
案の定、俺が立華を連れてくると、みんなが予想通りの反応を見せた。
俺と立華が二人並ぶ前で、仁王立ちするゆりの背後に隠れるようにみんなが集まり、そして遠ざかっている。今まで敵対し続けてきた天使がいきなり目の前に現れたのだから、警戒するのも仕方がないかもしれない。だが、俺は伝えたかった。彼女はもう敵ではないことを。
「お前、なんて奴を連れてきてるんだよ…ッ!」
「いいじゃないか。 混ぜてやろうぜ」
俺は思わず愛想笑いを浮かべて言っても、やはりみんなは納得しないようだった。
「我らが戦線の宿敵だぞッ!?」
「アホですねッ☆」
「浅はかなり」
みんな各々で好き勝手なことを言ってくる。
だが、俺も負けてはいられない。
「聞いてくれ! もう無害だッ! 敵じゃない!」
「だがながりなりにも元生徒会長だぞッ!?」
「ちなみに、現生徒会長代理もいますが」
「その通りです。 が、その前に僕は神です」
「神じゃねえつってんだろッ!」
やっぱりみんな、中々快く受け入れてくれない。
「どうする、ゆりっぺ?」
「……………」
日向がゆりに聞きかける。ゆりは俺たちの方を真剣な眼差しでジッと見詰めている。
「ゆりっぺさん、彼女はもう生徒会長じゃないんだから、別にいいじゃない?」
俺以外の同意の声があのメンバーの中からあがった。その声の主は、勿論、沙耶だった。
ゆりは沙耶の言葉をただ黙って聞いていた。
そして一拍考えるような仕草を見せると、「そうね」とあっさりと漏らしていた。
「確かにもう生徒会長じゃないから、いいかもしれないわね」
「「「えええッッ!?」」」
ゆりの意外な発言に、みんなも動揺を隠し切れないようだった。
「何か凄いメンバーになりつつあるなぁ」
日向は苦笑気味に、最もらしい事を言っていた。
リーダーの了承があれば安心だ。俺はさっきから無表情で事の成り行きを見守っていた立華の横で一人ほっと胸を撫で下ろしていると、向こうにいる沙耶からウインクが俺の方に投げ込まれてきた。
俺は心の中で、我が心強いパートナーに、ありがとう、という感謝の意思を伝えるのだった。