Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
青白い月にくっきりと浮かぶ人影。それは俺たちを悠然と見下ろしていた。
月を覆っていた雲が晴れ、月明かりがその人影を照らし、姿を見せる。そこには見覚えのある少女がいた。
驚きの色に染まる俺たちの遥か上の先で、彼女は長髪を風に靡かせる。そして虚空に身をふっと投げ出すと、彼女は一直線に俺たちの目の前まで落ちてきた。
地面に足がくっ付いたかのように着地し、彼女は俺たちの前で立ち上がる。
「みんなで夜遊び……? なら、お仕置きね……」
血のように赤い瞳が、俺たちを眼前に捉えた。俺たちを捉えた瞳を細め、彼女は言った。
俺たちは一様に驚きを隠し切れない。この状況が理解し難いからだ。
何故なら、同じ奴が二人もいるという状況が突然目の前に現れたら、誰もが即座に行動できないだろう。
だが、目の前にいるのは間違いなく―――
「奏……」
動けない俺たちに対して、“その”奏は右手を掲げる素振りを見せると、ハンドソニックの刃を出現させた。そして微かに笑みを含めるように目を細めると、ロケットのような速さで俺たちの方に向かってきた。
「な…ッ!?」
それに対抗して、俺のそばからゆりが駆け出していた。ゆりは短刀を手に持つと、突撃してきた奏と激突。お互いに刃を交え始めた。
「ねえ、これってどういうことッ!? 天使はもう無害じゃなかったの……ッ?!」
大山が狼狽しながら誰に向けるわけでもなく、疑問を投げ散らす。
だが、俺は立ち尽くしているもう一人の奏、さっきからずっと俺たちと一緒にいた奏の方を見て、心の中で叫ぶ。
「(違う…! あいつは奏じゃない……ッ!)」
ゆりと刃を交え、戦う奏を見詰めながら、俺は今までの奏を思い返す。
「(奏は無抵抗な俺たちには、刃を向けたりはしなかった……!)」
突然現れた奏は、いきなり俺たちに攻撃を仕掛けてきた。こんなに好戦的な奏を、俺は見たことがない。
「ああああああ……ッッ!!」
「…ッ!」
奏の攻撃がゆりに襲いかかる。ゆりはその早すぎる攻撃を防ぎきれず、悲鳴を上げる。
どうすればいいか、そんな切迫した雰囲気が周りを支配していた。
その中で、俺はぐっと拳を握り締める。
その時―――
「総員、目標を背円に取り囲めッ!」
「沙耶…ッ!?」
突然、沙耶が声をあげながら駆け寄ってきた。俺のそばまで駆け寄った沙耶は、既にその手に銃を握り締め、銃口を二人目の奏の方に向けている。俺の呆然とした視線に気が付くと、沙耶は即座に一喝した。
「もたもたするなッ! 全員で取り囲んで一斉射撃を行えば、ディストーションで曲げられようが何発かは当たるわッ!」
「あ、ああ…ッ!」
沙耶の一喝に、みんなが、そして野田でさえ慌てて沙耶の指示に従って動き始める。俺も懐から沙耶と同じタイプの銃を取り出し、構えた。
「離れろ、ゆりッ!」
「……ッ!」
俺の呼びかけに応じて、ゆりが奏の攻撃から後ろに下がって離れる。そして俺たちの方に退避すると、そのタイミングを読んだ沙耶が瞬時に号令を発する。
「撃ち方始めッ!」
「撃てぇッ!」
沙耶の号令を聞いて、俺も全員に聞こえるような大声で伝える。次の瞬間、次々と引き金が引かれ、無数の銃弾が奏に襲いかかった。
周囲から火の球が奏に迫るが、ディストーションによって全て弾かれる。奏の身体に到達する寸前に火花が無数に散り、銃弾があらぬ方向へと飛び去った。
「……………」
銃撃の雨が止んでも、奏は悠然とその場に立っている。
「くそ…ッ!」
そう吐き捨てた俺の横からは、沙耶の舌打ちが聞こえた。
その瞬間、何かが俺たちの前に飛び出した。
それは、ハンドソニックを右手に宿した、俺たちの側にいた奏だった。
「奏ッ!?」
そして、俺たちの目の前で、奏は真正面から二人目の奏と刺し違える。
ほとんど同時だった。だが、僅かに相手の方が早かった。
相手の刃が、奏の胸を、心臓を突き刺していた。
「奏ぇぇぇぇぇぇぇ………ッッ!!」
その光景を見て、俺は叫んでいた。
心臓を突き刺された奏は、その場に倒れた。
「…………ッ」
相手の奏はまだ立っていた。だが、その胸はじわじわと赤黒い血で染まりつつあった。奏の刃が届いたことを意味していた。しかし、僅かに刃を突き刺す速さが奏より早かったため、彼女の胸には穴が開いただけで、致命傷には成り得なかった。
ふらりと足元を揺らしたもう一人の奏は、俺たちをその鋭い瞳で一瞥すると、まるで鳥のように飛び去ってしまった。空高く跳躍した彼女は、そのまま遠くへと風のようにいなくなってしまった。
二人目の奏がいなくなると、俺は即座に倒れた奏の方に駆け寄っていた。
「奏ッ! しっかりしろ、奏…ッ!」
倒れた奏を抱き起こすと、奏の血に溢れた胸元が俺の目に飛び込んできた。奏の胸は血で黒く染まり、穴から大量に血が溢れていた。小さなその口からも、一筋の血が零れていた。
閉じられた瞼は開くことなく、俺が必死に呼びかけても、奏はぴくりとも反応を見せなかった。
目を開かない奏を抱き起こす俺の周りに、戦線のメンバーが集まる。日向に支えられた傷だらけのゆりが、険しい表情で俺たちの方を見据えると、ゆっくりと口を開いた。
「すぐに彼女を保健室に運びましょう……ここは一旦、みんなでこの場を立ち去りましょう」
ゆりの提案に、みんなも賛同する。
「お前も傷の手当てをしないとな、ゆり」
ゆりに肩を貸していた日向が、付け加えた。
「……そうね」
それに応えるように、ゆりは微笑を混ぜながら呟いていた。
そして俺たちは、奏とゆりを連れて、保健室へと足を運ぶのだった。
―――医局、保健室。
奏とゆりを保健室に運んで翌朝になり、俺たちはとりあえずメンバーを集めて保健室に固まることになった。一般生徒が立ち入らないように『閉鎖中』ということにし、万が一のためにTKと椎名が門前で見張りに立っていた。
もう一人の奏は致命傷には至っていないと言うものの、深い傷を負っていることには変わらない。さすがに当分の間は襲ってこないだろう。……と、思う。
「奏は、大丈夫なのか……? かなり、深い傷だろ……」
俺は倒れた直後の奏を抱き起こして、この目で直接奏の胸の傷を見た。今までに見たことがないほどの血が大量に溢れていた。人は血を大量に失っては生きていけない。生きている人間だったら、完璧に大量失血で死んでいる。
「あたしたちと同じよ」
包帯を自分で巻きながら、ゆりが答える。
ベッドで眠っている奏の方を見て、冷静に言葉を並べた。
「致命傷でも時期治るわ。 ここはそういう世界だから」
奏は確かに眠っていた。死んでいるのではなく、ただ眠っている。既に出血は収まり、ベッドに身を沈めているだけのようにも見えた。
「ていうか同じ奴が二人ってどういうことだよ。 そんなわけわかんねえ世界になっちまったのか?」
みんなが抱いていた疑問を、日向が代弁する。
「理由はあるわ」
間髪入れないゆりの返答に、眉を顰めた沙耶が尋ねる。
「どういうこと?」
「天使エリアへの侵入ミッション。 覚えてる?」
「ええ……」
「彼女のマシーン(パソコン)にスキルを開発するソフトがあった。 その中に、見たことがない能力が幾つかあった」
俺はあの時の情景を思い出す。奏の部屋に忍び込んだあの日、俺はゆりたちが解読した奏のパソコンの画面を見た。そこには、奏が持つ能力の様々な情報が記されていた。
「その一つ、ハーモニクスというスキルが発動していたのよ」
「ハーモニクス? どんな能力なんだ」
「画面見てなかったの、音無くん? 一体が二つに分かれるスキルだったわ」
「要は……分身、ってわけね」
沙耶が真剣に満ちた表情で呟いた。
「つまりはそれも天使自身が開発したスキルの一つ、というわけですか……」
眼鏡のブリッジを持ち上げながら、高松が言う。
「しかしそっくりそのままじゃないって感じだったぜ」
「こいつと違って好戦的だ。 何故だ?」
藤巻、日向が高松に続く。
「奏は自分を守るための能力しか使わない……ッ! 刃に至っては、跳弾するためのものだッ!」
俺は奏の代わりに弁明する。奏は決して、俺たちを痛めつけようとしてあんな武器を作ったわけじゃない。全ては自分の身を守るためだ。それを、俺は理解しているつもりだ。
俺たちが言い合う中、不意に誰かが蔑むような口調で呟いた。
「……全く、無能な集団だな。 貴様らは」
直井だった。
周りの注目が直井に集中する。直井は帽子の鍔の影から俺たちの方を、目を細めて見詰めていた。
「あ、勿論音無さんは別ですが」
「基本アホな集団ですからっ」
「お前が言うな」
ユイの言葉に、日向が瞬時にツッコミを入れる。
「可能性を一つ教えてやろう。 その分身を発生させた理由が、強い攻撃の意思を持っていた時だったとしたら……」
直井が眠っている奏の方に指を指し、一つの可能性を俺たちに教える。
考え始めた俺たちの中で、すぐに答えを見つけたのは沙耶だった。
「……あの時ね」
「あの時ってなんだ?」
「あたしたちが川の主に食われそうになった時よ」
「そういえば……奏が倒したんだよな、あの魚」
俺は思い出す。あの時、奏は一人で魚の口の中へと落ちようとする俺たちを救ってくれた。
確かにその可能性を考えると、あの時であることは十分あり得る。
だけど……俺は……
「なるほど……その時の本体の命令が今でも従い続けているってことか」
日向が納得するように頷く。
俺は、ぐっとその思いを口にする。
「……でも、奏が強い攻撃の意思を持つことなんてない!」
奏はそんな奴じゃない。あいつと言葉を交わして、遊んで、接して、わかったことがある。奏は俺たちみたいに自ら戦おうとするような奴ではない。花畑で蝶を逃がしていた奏が、好戦的な意思を持っているわけがない。
「どうでもいいけど、あなたヤケにこの娘を庇うのね」
ゆりの唐突に出た言葉に、俺は一瞬動揺する。そしてみんなの視線が俺のもとに集中した。
俺の横で、沙耶が微かに笑った気がする。
俺はゆりを真っ直ぐ見れず、変に戸惑うように言葉を振り絞る。
「そりゃあ……可哀想だろ?」
「ふぅん……まぁ、いいけど」
ゆりはただそれだけを言って、深く追求をすることはしなかった。
「で、今の問題は何だっけ?」
大山の疑問に、野田が続く。
「天使の分身と戦う方法か?」
「馬鹿か。 消す方法だ」
「なんだとぉ……!」
直井の言葉に、野田が挑発と受け止めて反応する。だが、そんな野田を即座に隣にいた松下五段が抑えた。
「しかし…! その娘が意図的に出したのなら……」
「ええい、放せ……ッ!」
暴れる野田をその巨躯の体格で抑えながら、松下は続ける。
「意図的に消すことだって出来るはずだろう…ッ! 目覚めるのを待っているだけで良いのではないか?」
「待て。 意図的に消すことが出来ていたら、こうしてやられているか?」
日向の言うことも最もだった。
だが、実際はこうして奏は刺し違えなければいけなかったほど、事態は切迫していた。
「おそらく無意識での出現ね。 だから彼女には消せなかった」
「おいおいちょっと待てよッ?! あんなのが消えないとしたら……あんなのが居続ける世界になっちまうってことかよッ!」
ゆりの言葉に、藤巻が慌てて声をあげる。
「今は何とか無事で済むだろうけど、明日からは許されないでしょうね。 模範的な行動から外れたら、すぐに昨日のような血生臭い戦闘になる」
「生徒会長でもないのに?」
「大山の言う通り、何で生徒会長じゃない奏が俺たちを取り締まろうとするんだ」
「ええ、あたしたちを更生させようとする意思は立派に継承されている」
「……更に好戦的」
ゆりの言葉に、沙耶がボソリと付け加える。
「最悪だな……」
続けて、日向が額に手を当てて溜息混じりに洩らした。
「対抗しようにも時間が無さ過ぎるわ」
「沙耶の言う通りだ。 どうする、ゆり」
ゆりは少しの間、考えを巡らせる様子を見せる。眠っている奏をジッと見据えると、ゆりは「少し時間を頂戴」と口を開く。
「どうやって、その時間を作る?」
「授業に出て。 受けるフリをして。 ただし、先生の話には決して耳を傾けないようにして」
「授業を真面目に受けたら消える。 天使にバレないように、兎に角別の作業を没頭すれば良いのね?」
「そういうこと」
ゆりの言葉に沙耶がぽつりぽつりと概容を洩らす。ゆりは頷いて、その場にいる戦線メンバー全員に俺たちがやるべき行動を伝える。
「そして、一日持ちこたえて」
言いながら、ゆりは立ち上がる。
「誰一人消えずに、再び会えることを祈るわ」
「「「おうッ!」」」
ゆりの毅然とした言葉に、みんなが一斉に了承の意を掲げる。
「……………」
一人、沙耶が黙ってジッと奏を見詰めていたが、その時、沙耶が何を考えていたのか、後になってそれがわかることになる。俺は眠り続ける奏に向かって、固く、ある決意を秘めていた。