Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
沙耶から聞かされた情報。それは俺たちが言葉を失うのには十分過ぎるものだった。
「天使がもう一体、いたなんて……」
最初から最後まで一言も口を挟まずに黙して聞いていたゆりも、汗を額から浮かばずにはいられない表情になっていた。
話をし終えた沙耶は奏がいたベッドの隣にあるベッドに寝かされ、沈鬱した空気を見渡していた。そしてはっきりと言う。
「あたしは確かにこの目でもう一体の立華さん……いいえ、分身を見たわ。つまり、敵は増えているということよ」
誰もが口にしたくない、もしくは信じたくない事実を沙耶は言った。この場にいるメンバーの戦慄が走った。
「あんな凶暴な天使が二体……最悪だな」
日向が額に手を当て、がっくりと項垂れる。その隣ではユイが泣きそうな顔で日向の裾を掴んで震えていた。
「しかし、何で二体目が……?」
俺の洩らした疑問に、ゆりが答えた。
「分身はハンドソニックやディストーションも使うのよ。 つまり、ハーモニクスだって使えるってこと」
「全く、低能な奴らだな……」
直井が溜息混じりに呟く。そして最後に「勿論音無さんは違いますが」というどうでもいい言葉を忘れずに。
「僕が問題点をまとめてやろう」
「……よろしく」
ゆりも少々呆れ気味だった。だが、気付かない直井は続ける。
「問題は二つある」
そう言って、直井は俺たちの前で指を二本立てる。
「まず一つ目、分身は何体作られたのか」
「……………」
「分身が分身を作れるなら、数に限界はない」
「じゃあ二体どころか、十体や二十体……それ以上いるかもしれないってことか…ッ」
「待てよ……」
俺は直井や日向の言葉を聞いて、ある点に思い至った。
「でもゆりが加えた能力で、分身が本体に戻るようになったんだろ? 消えるのを待っていればいいんじゃないかっ?」
「それが二つ目の問題なんです」
直井の差し出した手の指は、一本だけ、立っていた。
「―――もしその能力を追加するより先に、分身を大量生産していたとしたら……」
「……ッ!?」
辺りの空気が一瞬、ざわっと揺らぐ。俺たちを包む空気が嫌なものへと一変した。
戸惑う俺たちを尻目に、直井は「ふん」と鼻を鳴らす。
「ふん、愚民ども。 ようやく気付いたか」
そしてやっぱり最後に「勿論音無さんは気高い貴族でありますが」と言う新しいバージョンのどうでも良過ぎる余計な言葉を付け加えて。
「だったら……前よりやばくなってるんじゃねえか?」
口端を引きつらせた野田が言う。野田の言うことは、俺をはじめ、ここにいる全員が同じ思いだった。
「……まず、今出来ることをしましょう」
ここで毅然としていられる所が、ゆりのリーダーに相応しい素質なのかもしれない。ゆりは決して迷わず、動揺することもなく、はっきりと俺たちに威厳を込めた声で発した。
「総員に通達! 天使の目撃情報を集めて…ッ!」
ゆりの指令に、メンバーは一斉に医務室から作戦遂行のために動き出す。ゆりの指令内容は、分身に拉致された奏と分身の行方を捜すために目撃情報を集めること。
俺もみんなの後に続こうとするが、後ろから誰かに袖を掴まれ、足を止める。
「沙耶……?」
俺の袖を、弱々しい力で掴んでいるのは沙耶だった。だが、ベッドに寝かされた沙耶は分身の襲撃の際に深い傷を負ってしまっている。荒く呼吸を繰り返す沙耶が、その羽毛のような力で、俺を引き止めた。
「音無……くん……―――ッッ!」
沙耶は傷を負った部分を抑え、背中を丸めた。俺は咄嗟に沙耶の方へ飛び込む。
「馬鹿ッ! まだ動くなって言っただろ…ッ!」
「こ、これくらい……掠り傷……よ……」
そう言ってニヤリと笑ってみせる沙耶だったが、その表情は苦悶に歪んでいる。汗が吹き出し、顔色を青くする沙耶の顔は、普段の沙耶からは滅多に見られないものだった。沙耶の苦しそうな顔を見て、俺はやるせない気持ちに陥る。
「音無くん……あたしも……ケホッ!ケホッ!」
沙耶は何かを言いかけて、苦しそうに咳き込んだ。
沙耶の言いたいことを、俺はわかっていた。沙耶は俺たちと一緒にあの分身と戦い、そして奏を救う気だ。
だけど、俺は沙耶を一緒に連れていくことはできない。今回はどうしたって無理だ。沙耶自身が既にこんなにも傷ついてしまっている。沙耶をこれ以上無茶をさせることは、パートナーとしては絶対に許すわけにはいかない。
「無理するな、沙耶。 お前は傷が治るまで大人しく寝ていろ」
「そんなこと……できるわけ……あたしは……立華さん……を……」
「もうお前はボロボロじゃないか。 奏のことは俺たちに任せろ」
「でも……」
沙耶は決して首を縦に振ろうとはしない。俺は沙耶の両肩を掴み、そっとベッドに寝かせる。抵抗する力は微塵もないのか、沙耶は大人しく俺にベッドへと寝かされた。だが、その口は未だに納得しない言葉を吐き続ける。身体は動けない状態まで傷ついているのに、沙耶の気持ちは想像以上に大きいものだった。
さすが沙耶と言いたい所だが、今回ばかりは――――
「音無くんの言う通りよ、沙耶ちゃん」
「!」
俺の隣から、ゆりがベッドに寝かされる沙耶を見下ろしながら、鋭い瞳で見詰めていた。ゆりのはっきりとした物言いが、沙耶に容赦無く突きつけられる。
「あなたは十分に戦ったわ。 だから、後のことはあたしたちに任せて、あなたはここでゆっくりと傷を治しなさい」
「……………」
ゆりはそっと、沙耶の肩に手を添えた。ハッとした表情で、沙耶は顔を上げる。顔を上げた沙耶の目の前には、優しげな表情を浮かべたゆりがいた。
「あなたの行為は決して無駄にはしない。 彼女は、必ず見つけ出すわ」
「………ッ」
優しく掛けられたゆりの言葉を受けて、顔を下げた沙耶の表情は俺からは見えない。
一瞬の間、肩を小刻みに震わせた沙耶だったが、すぐに落ち着いたように息を吐いた。
そして顔を上げ、俺たちを真摯な瞳で見据え、コクリと頷いてくれた。
「……わかったわ」
「ありがとう」
沙耶の手を、ゆりがそっと両手で包みこんだ。ゆりの両手の温もりを感じたのか、沙耶はまたハッとした顔をゆりに向ける。驚いたような表情で自分の手を包み込むゆりの両手を見詰めたが、やがて沙耶の表情もふっと柔らかくなり、大人しくベッドの中へと身を沈めてくれた。
ベッドに寝た沙耶を置いて医務室を出た俺とゆりは、扉を閉じたと同時に、肩を並ばせた互いに視線を向け合う。
それは、俺たちの決意に満ちた瞳だった。
「必ず、無事に終わらせるわよ」
「勿論だ」
俺たちは頷き合い、こつんと拳をぶつけ合う。
まるで、パートナーとしての沙耶と俺みたいだった。だけど、今回は違う。俺はゆりと共に、そして戦線の仲間たちと共に、必ず奏を探し出すと決意する。そして俺たちと一緒に居ると約束してくれた奏との時間を今度こそ手に入れるために。