Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.55 Effort to Bloom

 「―――私ね、やりたい事、他人(ひと)よりいっぱいあるんだ。 どうしてだと思う?」

 自分自身の話を語り始めたユイの言葉が、俺に投げかけられる。好き放題やっていると勘違いしていたが、ユイは他にも叶えたい事があると言う。それはきっとユイの過去に理由があるのだろう。

 「そりゃあ……あれだろう? 生きている時に出来なかったから、だろう?」

 「そうそう、その通り!」

 ユイは正解、と言わんばかりに何度も頷いた。

 そしてそのまま流れるように、過去を話し始める。

 「小さい頃に、後ろから車に跳ねられちゃってさ……それで、身体、動かなくなっちゃった」

 俺は、知る。

 ユイもまた、ユイなりに歩んだ過酷な人生があった。

 それは、ゆりや岩沢たちと同じように、ユイも報われない人生をおくってきた一人だったという事。

 「完全に寝たきり……だったんだよね。 もう介護無しでは生きてられないの」

 「……………」

 「お母さんに、頼りっきりだった……」

 ふっと、ユイの横顔に暗い陰が降りる。

 「お母さんに……凄く悪い事したなぁって……」

 不幸な事故で、身体の自由を奪われた一人の少女。早過ぎる大きな不幸を一生背負う事になった彼女が生きるためには、人の助けが必要だった。そして、その母親が彼女の世話を見た。きっとお互いに大変な思いをしただろう。明かせない思いもあっただろう。そんな思いを抱きながら生きている事は、どんなものなのかは当事者以外には理解できないものだ。

 外に遊びにも行けず、寝たきりの毎日。

 部屋のテレビや窓の外を眺めるばかりに暮らす不自由な少女の生活が、思い浮かぶ。

 「音楽番組を観て、その番組に映っていたバンドを見て、私もこういう事がしたいなぁとか思ったりして……」

 不自由だったからこそ、好き放題にやりたい事をやってみたかっただろう。

 それが、ユイの気持ちの整理の根源。

 「……そうか。 じゃあ、良かったじゃん」

 そして、ユイは今、この世界で生前に出来なかったやりたい事をやっている。

 この世界だからこそ、ユイの願いは叶えられている。それがたとえ、ほんの一部だったとしても。

 「うん…!」

 このユイの笑顔や、今までの楽しそうな表情も、他でもないユイ自身の本物の顔なのだから。

 「―――で? 他にやりたい事って何だ」

 「……うん、野球中継とかもよく観てたんだぁ」

 「野球だったら球技大会でやっただろう?」

 「何言ってるんですか。 あの時、私は打てなかったじゃんっ」

 「……ヒット?」

 「ホームランッ!」

 「はぁッ!?」

 俺はこの時、嫌な予感を覚える。

 「……それは何? 打てなきゃ駄目なの?」

 「駄目だね~」

 首を横に振りながら、はっきりと断言するユイ。

 その場の状況に置いてかれそうになる俺に構わず、ベンチから立ち上がったユイは、ますます俺との距離を無意識に引き離そうとする。

 「バンドの方がもっと上手くなったら、ちゃんと野球の練習もしようと思ってるんだけど―――ねッ!」

 言いながら、ユイはバットを振る素振りをして見せる。

 どうやら、本当にユイ自身の言う通りではないと駄目らしい。

 「(……だが、その両立はかなり大変だ)」

 バンドの練習だけでもハードなはずなのに、その上野球までしてやらないと、ユイは本当に満足しないのか。

 「……一応聞いておこう。 他には?」

 「サッカー」

 「……サッカー?」

 「ブームだったじゃん!」

 「いや、確かにそうだったかもしれないが……」

 しかしいくら何でも多趣味過ぎだ。どこの世界に、バンドと野球とサッカーを一緒にしようとする奴がいる?

 まさかそんな奴をこの世界で出会えるとは夢にも思わなかった。

 だが、俺の嫌な予感はまだ俺に警告を発し続けている。

 「……まさか、他にまだやりたい事が―――」

 「プロレスかなぁ」

 最早、わけがわからない。どこの世界に(以下略)

 ―――と言うか、よく考えたらテレビで観たものばかりに憧れているんだな。

 「(しかしこれは大変だぞ……今聞いた全てを叶えてやるなんて……)」

 頭を悩ませる俺を余所に、ユイは俺の奢りのKeyコーヒーを美味そうに飲み干している。

 俺は隣の少女に気付かれないように、小さな溜息を吐いた。

 「……わかった」

 「?」

 色々と決意を固めた俺は、ユイの前で立ち上がる。

 そして、宣言してやる。

 「―――俺が叶えてやる!」

 「え…ッ?」

 さすがのユイも、俺の言葉に驚きを隠せないようだ。

 だが、ここまで来たらもう引き下がれない。

 「まずは手軽な所からという事で、プロレスからいってみるか」

 「ふえッ?! プロレスッ!?」

 更に驚きと、それに加えて目をキラキラさせるユイの表情に、俺は気が重たくなりそうな気分を無視する。

 「…技は」

 「ジャーマンスープレックスッ!」

 「ちょッ!? そんな派手な技が出来るかッ! 関節技とか、出来そうなのにしろよッ!」

 「だって憧れだったんだもん~……ジャーマンスープレックス、しかもコールド勝ち……」

 「そんなお茶目で物騒な事を言うなッ?!」

 だが、平気で恐ろしい事を言ってのけたりするのがユイと言う奴だ。

 そしてそいつの言う事を何でも叶えてやるのが、今の俺の役目。

 ここは覚悟を決めるしか無い。

 「~~~ッ! オーケー! じゃあ、やってみろよ」

 「へっ? いいのッ!?」

 「…ああ」

 俺が嫌々ながらも承認すると、ユイは気合を入れて立ち上がる。

 「よっしゃあああッ!」

 そして黙って立つ俺を、ユイが後ろから近づき、俺の身体に手を掛ける。俺の身体をがっしりと捕まえると、そのまま声を振り絞って踏ん張りながらも、ゆっくりと俺の身体を持ち上げた。

 「おおっ?」

 男一人をユイのような女の子が持ち上げている。意外と力がある事に、俺は正直に感心するように驚く。

 「お前、思ったより力あるじゃん! イケる、イケる!」

 「―――うおりゃあああああああ……ッッ!!」

 「おわッ!?」

 だが、惜しい所でユイから俺の身体が離れ―――

 そのまま俺は投げ出される格好となり、地上に後頭部を強打させる事となった。

 「いってぇぇえええぇぇぇぇ……ッッ!!」

 頭が本当に割れるような激痛が俺の脳を揺さぶり、びりびりとした電流が精神を逆撫でした。後頭部を抑えて悶える俺を余所に、ユイが落胆したように今更な言葉を呟く。

 「やっぱり女の子の私なんかじゃ無理かな……」

 「いや、出来そうでしたよッ?! むっちゃ惜しかったですよぉッ!!」

 俺は後頭部の激痛も構わず、即座にツッコミを入れる。

 「ふえっ、そう?」

 振り返ったユイは、俺の言葉をすぐに呑みこんで、あっという間に笑顔に戻った。

 「それじゃあもう一回やって良い?」

 「え、あ、ああ……とりあえず、下が芝になっている所に行って良いか? 俺が死ぬ……」

 「あははッ! 死ぬかっつーの」

 「いや、ジョークじゃないのだが……」

 俺が初めてこの世界で嫌と言う程身に沁みらされた、この世界のジョークを俺自身が遂に使う時が来るとは思いもしなかった。

 兎に角、俺の頭の安全のため、俺とユイはその場を離れて、別の場所に移動することにした。

 

 

 だが、場所を変えようが、当然ながら俺の後頭部への危機は特に回避されたわけではなかった。

 俺の身体を投げ飛ばすユイ。

 そんな事が何度も繰り返された。

 最早、只の投げ技である。

 俺の頭が芝を刈るばかりで、ユイの望む大技は一向に成功する気配が見えない。

 「……持たない」

 「す、すみませんッ! 次は出来ますからぁッ!」

 その言葉を何度聞いたか、もう数えていない。というか、数えたくない。

 「本当に、最後だからな……」

 そして次こそ決めようとするユイが、やっぱり放つのが―――

 「おりゃあああああああッッ!!」

 俺を地面に投げ飛ばす、雄叫びだった。

 「もう帰る……」

 悪いが、もうギブアップだった。このままでは俺の頭が本当にかち割れそうな勢いだった。

 「わああ、先輩ぃぃぃ……ッッ!」

 「……お前さ、もしかしてブリッジとか出来ないんじゃないのか?」

 「出来ますよッ!」

 「やってみろよ」

 俺の目の前でユイは身構えると、背中と上げた両手を後ろの方に曲げて、ブリッジの姿勢を取ろうとする。だが、ユイの両手の平は地に付くことは無く、そのまま背中をぺたんと寝かせてしまった。

 「……あれ?」

 ユイの間抜けな声が漏れる。

 そして俺は額に手を当てる思いを実感させられる。

 ユイは、ブリッジさえ出来ていなかった。

 「(やっぱり原因はこれだったか……このために、俺は何度も気を失いかけたのか……)」

 もっと早めに気付いていれば、と思い浮かべてしまうが、今更後悔していても仕方が無い。まずは、見つかった原因を無くすために、今からすべき事をするだけだ。

 「まずはブリッジの特訓からだな……」

 「え~、つまんな~い」

 「良いから、やれッ!」

 こうして、ユイのブリッジの特訓が始まった。

 まず、ジャーマンスープレックスとは後方から相手の腰に腕を回してクラッチしたまま、後方に反り投げ、ブリッジをしたまま相手のクラッチを離さずそのまま固めてフォールする大技の事だ。

 古くからある技で、観客がプロレスラーの力量を見る基準となる技でもある。

 こうして聞いただけでも、かなり難しい技だとわかるだろう。

 「う……ッ……く…ッ」

 「ほらほら、頑張れ~」

 ブリッジの姿勢でぷるぷると震えるユイを、俺はそばで見守りながら指導する。

 だが、ユイはすぐにダウンしてしまった。

 「駄目だろ、そんなのじゃ……」

 「だって、こんな格好した事なかったんだもん…ッ!」

 泣きべそをかきながら言うユイ。

 「でも出来なきゃ、ジャーマンスープレックス出来ないだろ」

 「う……」

 俺に言われて、ユイは改めて現実を認める。

 「頑張ります……」

 それから数時間の間、俺とユイは何度もブリッジの特訓を続けた。

 正に血の滲むような特訓だった。ユイは何度も地べたに寝てしまいながらも、懸命にやり直し続けた。

 その過程で、ユイの必死ぷりと言うか、一生懸命さが見物できた気がする。

 きっと、ユイはこうして何でも努力する事で、今の場所まで立っているのだろう。それは、ガルデモのギターボーカルという立場。

 同じボーカルだった岩沢が才能と言えば、ユイは努力と言えるかもしれない。

 ユイの“努力”は、俺の前で何時間も続いた。

 「……ふぅ。 もう一度、行きますッ!」

 「ああ、頑張れ」

 「でやあッ!」

 何度も失敗しても、ユイはすぐに立ち上がり、そしてまたやり直す。だが、数を重ねるごとに少しずつ形になっていくのがわかる。そしてそれと同時に、ユイの瞳がぎらぎらと輝きだし始めているのを、俺は認めていた。

 「(本当に頑張ってるんだな、こいつは……)」

 ここまで本気で努力しようとしている奴を、俺は今まで見た事があっただろうか。

 そんな事をふと思っていると―――

 「ん…?」

 遠くから、俺とユイを見ている人物がいた。

 二人の女子生徒。

 しかも見覚えがある。

 「(あれは……)」

 俺たちを遠くから見ていた二人の女子生徒は、何かを互いに言葉を交わすと、背を向けて立ち去ってしまった。立ち去る間際、その内の一人の、金髪の女子生徒が俺を一瞥した気がする。

 その二人の女子生徒は明らかに、俺のよく知っている人物と―――

 「先……輩……ッ」

 ユイの呼び声に、俺はハッとその場に意識を戻す。

 見下ろすと、震えながらもブリッジの姿勢を取るユイの姿があった。

 「……ッ……出来てます……よねぇ……ッ」

 まだ完全とは言えないが、最初と比べたらずっと様になっている。とりあえず、ユイの努力は買ってやっても良いと思う。

 「ぶるぶる震えてるが……まぁ、いいか」

 そして再び、ジャーマンスープレックスだ。

 俺の無防備な身体を、背後からがっしりと捕まえるユイ。

 「それじゃあ、行きますよ……ッ!」

 「来い…ッ!」

 「ふん、ぬぬぬぬ……ッッ!!」

 「おおッ!?」

 ユイは踏ん張りながら、俺の身体を持ち上げる。

 先程の途中で投げ飛ばされるような事は無く、俺の背中はぴったりとユイのお腹にくっ付いている。

 これは逃げ様が無い。このまま行けば、俺は成す術も無くユイによって叩き付けられる。

 正に、完璧な―――ジャーマンスープレックスだッ!!

 「うおりゃああああああああああッッッ!!!」

 腰に手を回して最後まで離さないまま、俺の身体はそのままフォールされる。見事なジャーマンスープレックスの完成だった。

 「ぐふ……ッ!」

 一瞬、意識が真っ白になりかけた。

 だが、俺の役目はまだ終わらない。

 「……ワン、ツー、スリー……カンカンカンッ! 試合終了ぉ……ッ!」

 遂に、試合が終了した。

 俺も真っ白に燃え尽きそうな勢いだった。

 「ふえ……やった…やった……っ!?」

 俺を地面に沈ませたまま、ユイは喜びの余りに立ち上がり、周囲を飛び回る。

 「……やった! やったぁッ! バンザーイッ!」

 「こんなのがあと、いくつ続くんだ……」

 まだぐらぐらと豆腐のように揺れる頭を抑えながら、起き上がる俺の目の前で、ユイは本当に嬉しそうに飛び跳ねる。ぴょんぴょんと、長髪とお尻の尻尾を跳ねながら、成し遂げた喜びに歓喜するユイの笑顔が、眩しく輝いていた。


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