Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
あたしは野球場の外から、その光景を見守っていた。
夕日が射す野球場に伸びる影は、三つ。音無くんとユイちゃん、そして日向くんだ。
そして―――あたしの隣には、立華さん。
音無くんの行い、その結末を見守っていたあたしたちが目撃したのは、とても微笑ましいドラマのような光景。
今、日向くんとユイちゃんが夕日に包まれ、影を重ねていた。日向くんにそっと寄せられているユイちゃんの顔は見えないけど、その表情や心情は同じ気持ちを抱いた記憶があるあたしには容易に想像できた。
「……これで、良かったのよ」
あたしは誰に言うわけでもなく、ただそう呟いた。
ユイちゃんを満足させてこの世界から卒業させる事は出来なかった。でも、彼女にはもっと大切なものを手に入れる事が出来た。
きっと、あれが二人にとっても最善の結果なのだ。そう、信じたい。
この世界にも“愛”はあった。それがわかっただけでも、十分な結果だと思う。
二人を見詰め、あたしはふと、自分にもかつてあった“愛”を、その記憶を脳裏に浮かべた―――
「……………」
あたしにも、大好きな人がいる。
大切な人がいる。
勿論、もう一度会いたいと願っている。
だけど、それはまだ先。
今のあたしには、やらなければいけない事があるのだから。
「……そうね」
隣から聞こえた儚い声。それはあたしの呟きに対する彼女からの返答の言葉だった。
隣に視線を移したあたしが見た先には、微かに口元を変える立華さんの横顔があった。
「微笑ましい事ね……」
「……ええ、立華さんの言う通りね」
あたしはクスッと笑って、再び彼らの方へと視線を向けた。
その瞬間、微かに聞こえた彼女の呟き。
「……愛」
「えっ?」
その声に惹かれて、あたしはもう一度、隣にいる立華さんの方に振り向ける。隣に立つ立華さんの表情は相変わらずで、その立華さんから、今聞こえた言葉が漏れたなんて、あまり想像できなかった。
しかし確かに聞こえた。おそらく、聞き間違いではないと思う。
「愛って……どんな感じなのかしら……」
それが聞き間違いではないと言う事がすぐに証明された。そしてあたしは同時に驚きを隠せない。
立華さんには失礼かもしれないが、彼女の口から漏れるその言葉を、意外だと感じてしまったからだ。
「あなたは、知ってる……?」
「うえッ?! あ、あたし……ッ!?」
思わず、振られた事にギクリと震えるあたし。しかも、一応経験があるあたしだからこそ、動揺を隠せざるにはいられなかった。
「え、えーっと……その……」
「……?」
立華さんの純粋で真っ直ぐな瞳が、情けないぐらいに動揺するあたしに向けられている。
「えっと……つまり、アレよ…!」
「アレ……?」
「大好きって言うか……!」
間違ってはいないが、もう少し凝った言い方は出来なかったのだろうか。いや、凝って言う必要もないかもしれないけど、やはりあたしは結構色々と混乱している。
「大好き……? 麻婆豆腐に対する感情みたいな……?」
「いや、そういう意味とは絶対に違うけど……大好きって言っても、その……人を好きになるって事で……恋しいと言うわけで……ああもう、あたしは何を言っているのかしらッ!!」
何故、あたしがここまで恥ずかしい思いをしなくてはいけないのだろう。
そして立華さんはやっぱり首を傾げている。
「うう……きっと、立華さんもじきにわかるわよ……」
「じきにわかるものなの……?」
「うん……」
そうだ。
それは、簡単に説明できるものではないと言うか、第一説明する程でもないとも言える。
だって―――
「愛って、そういうものだから……気が付いたら、あるものなのよ……」
あたしがそう言うと、立華さんはジッとあたしの方を見据えていたが、やがて視線を移した。
「そう……」
本当に納得してくれたかはわからないが、今は別にわからなくても良いのだ。先に言ったが、それは気が付けば、あるものなのだから。
その内、彼女にも気付く日が来るだろう。
「…!」
あたしは、ふと思い立ったように気付いた。
そして音無くんの方に視線を向ける。
音無くんと、隣にいる立華さんを交互に見比べて、少し考える。
「………ふふ」
きっと今のあたしの笑顔は、ニヤリという擬音が似合っている事だろう。
「(もしかしたら、本当に近い内に立華さんも知る事が出来るかもしれないわね……)」
そんな他愛の無い事を、あたしは一人で笑いながら、考えていたのだった。
「?」
そんなあたしを、隣から立華さんが首を傾げながら覗き込んでいても。
その後、あたしと立華さんは一先ずその場をあとにした。明日は音無くんから今日の話を貰える事だろう。まぁ、あたしも前に音無くんに言った通り、そばから見守っていたのだけど。
その夜、あたしは夜の校舎を徘徊していた。特に意味はない。夜の校舎と言う場は、あたしには懐かしくて居心地が良いのだ。
廊下の窓から射し込む淡い月光。糸をピンと張ったような静寂。誰もいない教室。世間一般では怖いイメージを抱かされる雰囲気だが、あたしには気が安らぐ場所でもある。
「ここに来る前は、こんな夜の学校で、銃を手に影相手と戦ってたものね……」
繰り返される世界(ゲーム)の中で、銃を手に何人もの影と戦ってきた日々。一人で戦い、そして何時しか彼と共闘するようになり、共に地下迷宮まで潜入して、そこでまた影やトラップを相手に戦って―――
今思えば、楽しかったと言える記憶だった。
ずず。
そんな、何かが這いずるような生温い音が、生々しい気配と共に現れた。
「―――!?」
背中に伝わる悪寒に、あたしは振り返る。だが、そこは闇が支配する世界で、どこにも異変は見られない。
あたしは、ドク、ドクと打つ胸の鼓動に、気味悪く感じるしかなかった。
「何、今の感じ……」
この目で見る限り、おかしな所は見られない。
ただ、それは見られないだけで、感じたこと、そして異常が起きていると言う事実は、本物だった。
それは、闇の向こうから響き渡る悲鳴によって齎された。
「―――!」
その悲鳴を聞いた途端、あたしはすぐに廊下を駆け出していた。
闇の中を疾駆するあたしには、何が起きたのか、考える余裕もない。ただ、何かが起きている。そしてそれは危険なものだと、それだけは本能が感じ取っていた。
闇の先に現れたもの。それは尻もちをついている一人の男の子だった。
「そこッ! 大丈夫ッ!?」
あたしの声に、ビクリと震える彼。あたしの方に振り返った、その震える顔には見覚えがあった。
確か、大山くんと言ったか……
「あ……き、君は……」
「一体どうしたのッ?!」
大山くんはその可愛らしい顔を蒼白にして、身体をがたがたと震わせていた。彼がどれだけ怯えているのかがよくわかる。だが、問題なのは、何故そこまで怯えているかだ。
「何が起きたの……?」
「あ……あ……」
あたしは冷静に大山くんに問いかけるが、大山くんは声が震えてまともに言葉を発する事が出来ない。
だが、その答えはあたしの目の前で実証された。
ずずず。
また、さっきと同じ感覚。
その先に顔を上げたあたしの目の前には、この世でも、あの世でも信じられないものが浮かんでいた。
「な……によ、これ……」
闇。しかし、それはただの闇ではない。
闇から、“それ”は這い出している。
唯一“目”を煌めかせ、ずずず、と闇からゆっくりと這い出ている。それはまるで生き物のように動いている。
“それ”と目が合った瞬間、得体の知れない悪寒が身体中を駆け巡った。
あたしは、直感した。
―――影。
前にも似たようなモノの名前を、あたしは思い浮かべていた。
「……ッ」
あたしは咄嗟に太もものホルスターに収めていた銃を取り出すと、影の方に銃口を向け、引き金を引く。
だが、影に一発の穴が開いただけに留まった。
「……!」
一発では効かない。それが判明された。
更に引き金を引こうとするが、遂に影があたしたちの方に向かって、その身体ではない身体を伸ばす。
だが、その直前―――
「伏せてろッ!!」
「―――!!」
その声に反応して、伏せたあたしの前で、その影は何かに一刀両断された。
得体の知れない悲鳴を上げた後、影は霧のように消滅した。その場には、一人の男が武器を下ろした姿勢で佇んでいた。
「……ちっ」
その男は立ち上がると、その長い斧のような武器を手慣れな感じで一振りすると、肩に乗せた。
それはハルバートをいつも手に持っている野田と言う同じ戦線のメンバーだった。
影を斬り伏せ、舌打ちする野田くん。だが、そんな野田くんさえ、その鋭い目つきの下には、一粒の汗が滲み落ちていた。
「の、野田くん……」
大山くんが泣きそうな声で、野田くんを呼ぶ。だが、野田くんはあたしたちの方に振り返ると、ただぽつりと言葉を漏らした。
「……おい、聞きたいことがある」
その先に出てくる質問を、あたしは予想した。
「何」
野田くんは一拍置くと、荒い息を一つ吐くように、微かに震える声で問うた。
「俺は一体、何を斬ったんだ……?」
その質問に対する返答は、その場にいるあたしたちの誰もが、返すことは出来なかった。だが、夜の校舎で、あたしたちは確かに“何か”を見た。そしてそれはこの世界において、恐ろしい事が始まる前触れであった。後に、あたしたちはそれを身を以て知る事になるのだった。