Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.64 Start of Abnormality

 いつものよく晴れた日本晴れの下、校舎に決まった時間を知らせるチャイムの音が鳴り響く。自動販売機の前でコーヒーを飲みながら気を休めていた俺は、ふとその音を聞いてある事を思い出す。

 「……時間か。 待ち合わせの場所に行かないと」

 中身を飲み干した空き缶を穴の中に投げ入れると、俺は二人との待ち合わせ場所に向かった。

 

 

  

 俺たちが、今やろうとしている事。

 それは簡単に言えば、この世界からみんなを卒業させる事だ。

 そのためについ最近まではユイを相手にしていたのだが、ユイに対して俺は勘違いをしていた。ユイはまだまだ、この世界から卒業するには早過ぎた。日向(あいつ)と一緒にいられる時間を、俺が奪うわけにはいかない。

 「……次は誰にすっかな」

 端から聞けば恐ろしい言葉かもしれない。俺のしている事は、戦線のみんなからすると、天使と同等の事をしているのだから。だが、それは誤解だ。奏を天使と称して戦っている誤解と同じで、みんなにはきっといずれでもわかってくれると、俺はそう信じている。

 「奏の意見も聞いてみるか……」

 「よっ、音無」

 「…ッ!? 日向ッ!」

 思案しながら歩いていた俺に、不意に声を掛けたのは日向だった。ついさっきまで考えていた事もあって、俺は変に驚いてしまう。

 「音無さん♪」

 「な、直井…ッ?!」

 おまけに直井まで現れる始末だった。

 だが、この事に関しては日向も直井も予想外の事態だったようで、二人が互いに相手を睨み合い始めた。

 「―――お前ッ! ここで何してるんだよッ!?」

 「……貴様こそ、どこから沸いて出た」

 日向と直井が互いの間に視線の火花を散らせる。この二人はいつも俺の前に居る度に、何故か対立し合う。正に犬猿の仲と言う光景だった。

 「あー……お前ら、俺に何か用なのか?」

 「そうだ、どこに行こうとしてたんだよ音無」

 「どこに行こうとしてたんですか、音無さん」

 ほぼ同時に、二人の言葉が重なる。

 「「―――ッ!」」

 そしてまた互いに睨み合う二人。俺はその光景にたまらず額に手を当てた。

 「どこだって良いだろッ!」

 「貴様には関係ない!」

 直井の言葉に、日向はぴくりと反応する。そして力強く前に足を踏み出すと、そのままずかずかと直井の前に迫りながら唾を飛ばす。

 「―――俺は音無に用があるんだ。 あいつのしている事を手伝うためにな…ッ!」

 日向の覇気がある言葉にも、直井は全く動じない。それどころか、鼻をふん、と鳴らすと、直井も冷静に言葉を返した。

 「それこそ僕の仕事。 貴様は邪魔だ、とっとと―――消えろッ!」

 言うなり、直井の目がカッと見開かれる。その瞳は血のように真っ赤に染まり、猫のような鋭い眼光が日向の視線を真っ直ぐと貫いているようだった。

 それは直井の得意技、催眠術だと俺はすぐにわかった。

 「さぁ、僕の目を見るんだ。 貴様はトイレットペーパーだ……あっという間に流されていくトイレットペーパーの潔さに気付く―――」

 「こらこら、やめろ…ッ!」

 俺は慌てて二人の間に入って止めに入るが、既に日向は直井の催眠術の毒牙に侵されかけていた。

 「ふ、ふぁあ……」

 「お、おいッ?! 日向…ッ!」

 直井の催眠術に侵されそうになった日向が、力ない声をあげながらふらふらと倒れてしまった。

 そんな日向に駆け寄った俺の背後で、直井が猫を撫でるような声で言った。

 「僕がお手伝いさせていただきます」

 日向を催眠術に掛けようとした直後なのに、そこまで爽やかになれる直井が恐ろしい。

 「…て言うかお前ら、俺のやろうとしている事がわかっているのか?」

 「わかってるよ……」

 ぶるぶると首を振り、正気を取り戻した日向がすぐさま俺にその言葉を返す。

 「わかってますとも」

 直井も続くように、その爽やかな声色で言い―――

 「一人ずつ消していくんでしょう……?」

 声を低くさせて、そう呟くように言った。

 「……お前が言うと、犯罪っぽく聞こえるな」

 日向の意見には、俺もとりあえず同意しておこうと思う。

 「そもそも直井、お前はもう思い残す事がないはずなんじゃないのか?」

 「僕はあなたと一緒に居たいのです。 それに、こいつより先に消えたくありません」

 「そんな理由で残るなっての…ッ!?」

 「じゃあどうしたら良いんですか……ッ!?」

 「消えるんだよ」

 「貴様には聞いてない」

 日向をゴミを見るような一瞥を与えたから、再び俺の方に向き直り、直井は縋るように言い続ける。

 「ねえ、音無さん。 パートナーが必要でしょう?」

 だが、そんな直井の背後の“異変”に、俺と日向は初めて気付いた。

 直井の背後に、何かが“居る”

 だが、それが何のかは俺たちにはわからない。わかるはずもなかった。それを、俺たちは初めて見たのだから。

 「僕を使いこなしてくださいよ、音無さん…!」

 だが、直井は気付いていない様子だった。呆然とする俺たちの様子に気付いたのか、直井が不思議そうな表情を浮かべる。

 「……どうかしましたか?」

 直井の言葉に、俺はどんな答えを返せば良いか一瞬わからなくなった。

 その間に、俺の隣で同じモノを見上げていた日向が、代わりに口を開いた。

 「お前、また何かしたのか……?」

 日向の言葉に、直井は怪訝な色を浮かべる。

 「……何の事を。 僕は何も―――」

 言いながら、背後の方に振り返る直井に、それは突然襲い掛かった。

 「―――うわ、ぁ……ッ!!」

 直井に纏わりつく黒い何か。それはどろどろと、直井の身体を蝕むように、包み込もうとしていた。俺たちはその異常な事態に対して、呆気に取られるしかない。

 「何だよこれ…ッ!?」

 「敵か……?」

 「撃って良いのかッ!?」

 咄嗟に銃を構えた日向だったが、それが何なのかわからない以上、どう対処すれば良いのかわからず、引き金を引く事はなかった。

 だが、俺はそこでようやく気付いた。目の前にあるモノが何かはわからないが、直井の身に危機が迫っている事は明白だった。

 「……入って、くる……何か入ってきます……音無さん……ッ!」

 黒い何かに浸食されそうになっている直井は、顔面を蒼白にして、苦し紛れにそう叫んだ。その時、俺の身体は考えるより先に動き出していた。

 「くそ…ッ!」

 俺は直井に襲いかかっている何かに向かって身体をぶつけた。黒い何かに覆われたままの直井が転がっていく。そして直井の身から剥がれ落ちるように、黒い何かもまた、直井から離れて飛び出した。

 「……ッ!」

 それは、直井の身から離れると、その正体を露にした。四本の足を生やし、黒い身体に唯一光る目をこちらに向けながら、真っ直ぐにこちらに向かって迫り来る。

 「日向ッ!」

 俺の合図に、日向が引き金を何発か引いた。発砲音と共に、銃口から幾つもの光が放たれる。撃ち放たれた弾は黒い何かを貫いていく。

 「死ぬのかよ、これ…!?」

 だが、黒い何かに弾が貫いても、弾が命中した部分が霧のように弾き、大きな穴が開くだけだ。俺も加勢して銃を手に、黒い何かに向かって数発か弾を叩きこむが、手ごたえと言うものが感じられない。まるで虚空を貫いているに近い感覚だった。

 だが、何発も撃ちこんでいく内に、黒い何かはその身体を徐々にすり減らしていき、やがては完全に消え失せた。

 発砲の音が止む頃には、俺たちの目の前には数秒前の出来事が嘘のように、何もなかった。

 「やったのか……?」

 「………何だったんだよ」

 今のは、一体何だったのか。俺たちはただ、呆然とするしかなかった。

 

 

 

 「影よ」

 待ち合わせの場所―――焼却炉の前で、俺たちが体験した事情を聞いた沙耶がはっきりと、ぽかんとする俺たちの前で告げた。

 「影……?」

 「そう、影。 昨日の夜、そいつと遭遇したあたしは、そう呼ぶ事にしているわ」

 「沙耶もアレと戦ったのか…ッ!?」

 「ええ」

 沙耶は真剣な眼差しのまま、頷いた。

 黒い何か―――沙耶が呼称する“影”と戦った俺たちは、急いで二人が待っている待ち合わせ場所へと向かった。慌てるようにやって来た俺たちを見て、驚いていた沙耶と奏に、俺は日向と直井が共にいる理由と並行して、先程の俺たちの体験談を説明した。

 俺たちの説明を聞き、相変わらずの無表情だった奏の横で、俺たちの説明に全く動じなかった沙耶の様子に、初めて納得した。既に沙耶は俺たちより先に、俺たちと同じ事を体験していたのだ。

 「でも、なんで影なんだよ……?」

 日向が問いかけると、沙耶は少しの間だけ口を紡いだ。何かを考えるような仕草だったが、口を開かない事はなかった。

 「以前、似たようなものと戦った覚えがあってね。 それの名前を引用しただけよ」

 「……前から思っていたが、貴様は一体何者だ?」

 「ただのスパイですが、何か?」

 「スパイだと……? ふん」

 沙耶の嘘か本当かわからない返答に、直井は鼻を鳴らすと、それきりで黙り込んだ。

 「……とにかく、あれを影と呼ぶにしても、あの影と言うのは一体何なんだ? 沙耶は何か知っているのか」

 「あたしもあれの正体は知らないわ。 ただ、イレギュラーな存在だって言うのはわかるわね。 ねえ、日向くん?」

 「俺?」

 「ええ。 あなた、この世界に居て長いでしょう? あんな事、あなたがここに来て今までにあったかしら」

 「僕も長いんだがな……」

 「んー……そうだな……あんな化け物、今までこの世界でも見た事ねえぜ」

 「という事は、やっぱりあれは、この世界にとっても異常なものだって事なのか……?」

 「情報が足りない。 まだまだ、確証できる事は何もないわ」

 「そうだよな……」

 俺たちは先程の光景を思い出す。そしてあの得体の知れない“影”に対して思案する。あれがこの世界においてもイレギュラーな存在だとしたら。そして、あの存在が現れた事で、この世界に何か起こっているとしたら―――それは、何なんだ?

 この世界で、一体何が起こっているのだろうか―――

 「……ッ」

 フラッシュバックする、記憶。

 沙耶が俺たちの前から消えた、あの日。

 沙耶が捕縛された、この世界においての、前の“異常”。また、この世界で何か起こるとしたら、また誰かが危険な目に合うのではないだろうか。

 

 その時、沈黙する俺たちの耳に、校内放送を示す間抜けな音が響き渡った。

 

 『生徒会長の立華奏さん、今すぐ生徒会室まで来てください。繰り返します―――』

 その声に、俺たちは聞き覚えがあった。

 「なあ、これってゆりっぺの声じゃん……」

 「どういう事だ……?」

 ゆりが奏を呼んでいる。

 奏の方に振り向くと、奏はゆりの校内放送に耳を傾けるように顔を仰いでいた。

 「行かなきゃ……」

 ゆりの校内放送を聞いた奏は、ごく普通に、生真面目にそう言った。

 「へ……?」

 ぽかんと呆ける俺たちの前を通り過ぎるよう、ゆりのもとへ行こうとする奏。俺は慌てて奏の手を掴んだ。

 「待て、奏…! もしお前が行けば、ゆりに俺たちがやろうとしている事がバレるかもしれない…!」

 奏を引き止めて、俺は危惧する事を言う。

 ゆりが何故、奏を呼んでいるのか。その理由はわからない。だが、もしかしたら俺たちが何かやろうとしている事に勘付いているのかもしれない。それを問い質すために、奏を呼んだのだとしたら―――

 ゆりに、俺たちの目的がバレるわけにはいかない。俺たちがやろうとしている事は、明らかにゆりたちに反発を買う。それだけは避けなければならない。

 「でも……」

 どこまでも真面目な奴なのだろう。律義に、自分を呼んだ相手のもとへ行こうとしている。俺が奏の手を掴んでいなければ、奏はそのままゆりが待つ生徒会室へ向かっていただろう。

 「行かせてあげれば?」

 「沙耶…!?」

 意外な事を言い出したのは、沙耶であった。だが、沙耶は至って真面目だ。

 「むしろ呼んで来なかった方が、逆に怪しまれるわよ」

 「……………」

 確かに、沙耶の言う事も間違いではない気がする。

 俺は掴んだ奏の手を見下ろし、そして奏の方をジッと見詰めながら、考えを浮かべる。このまま奏を行かせてやっても、本当に良いのだろうか―――?

 そんな事を考えている俺の顔に、何か出ていたのか、奏は俺の顔を見詰めると、微かに口元を微笑ませた。

 「……大丈夫よ、結弦」

 儚くも、凛と通った奏の優しげな言葉に、俺はハッと奏の方に視線を向けるしかない。

 「何も心配しないで、私を信じて……」

 「奏……」

 そうだ、俺は奏を信じなくてはいけない。俺が不安を抱えるという事は、奏を信じていない事になるのではないか。

 奏を信じる。俺に出来ることは、まずそれだけだ。

 「……わかったよ、奏。 行ってこい」

 奏を掴んでいた俺の手が、緩んだ。そしてそのまま、奏の小さな手から、俺の手が離れる。

 「あ……」

 「……?」

 その瞬間、奏がぽつりと儚い声を漏らした。俺は何故、奏がそんな声を漏らしたのかわからなかったが、その時に見た奏の表情が一瞬残念そうに見えた気がした。

 「大丈夫よ」

 ふとした思いが振り払われるように、後ろから沙耶の声。振り返った俺の視線の先には、胸の前で腕を組んで得意そうにしている沙耶の姿があった。

 「あたしたちも同行すれば良い」

 「でも、そんな事が出来るのかよ? ゆりっぺが許してくれると思うか……?」

 「大丈夫よ、こっちには直井くんがいるから」

 「僕だと……?」

 沙耶の言葉に、俺たちは首を傾げる。直井がいると、何故俺たちの同行が許されるのか。だが、それはすぐにわかった。

 「……なるほど、そういう事か」

 「さすが沙耶だな」

 直井がフッと笑みを浮かべ、俺も納得するように頷いた。一人、未だにわからないままでいる日向は「え、え?」と、俺たちを交互に見比べている。

 「ど、どういう事だよ?」

 「まだ気付かないのか、貴様は。 どこまで無能なんだ」

 「んだよ…! 何なんだよちくしょう…ッ!」

 「すぐにわかるわ。 行きましょう」

 たっ、と地を蹴った沙耶の金色の長髪が、ふわりと流れる。俺たちの前を先導するように先を行く沙耶。その姿は本当に、どこまでも頼もしかった。

 「行こう、奏」

 差し出した俺の手に、奏が見下ろす。

 その時、奏の口元が少し緩んだ。そして頬が微かに朱色に染まったようにも見えた。

 「……うん」

 奏の小さな手が、俺の手と重なる。その儚い手を握って、俺は沙耶たちの後に続く。俺たちの先を行く沙耶の背中を追って。そして俺は手を引くように、奏の小さな儚い手を離さずに掴み続けていた。俺が手を引く後で、奏がどんな顔をしていたのか、俺は知る事が出来なかった。 


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