Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
音無くんたちにその場を任せ、オールドギルドより奥深い場所にあたしは辿り着く。いや、あたしたちと言った所か。あたしの後ろには、あの娘が付いて来ている。
この騒動の有効策になり得ると言う彼女だが、あたし自身も具体的な事まではわからない。だが、こんな馬鹿げた世界の異変をさっさと終わらせる事が出来るものなら、何であっても構わなかった。
「それにしても……」
あたしは、その目の前にある扉を見詰め、ぽつりと呟く。
「馬鹿にしてる……」
扉には、『第2コンピュータ室』と書かれたプレートが貼られていた。場に不釣り合いな光景であるが故に、余計に目立っている。
「けど、今度こそ……」
しかし、この先に神の真似事を行っている今回の犯人がいる可能性が高い。
あたしは弾倉の残弾を確かめると、意を決して、ドアノブを握った。
開かれた扉の向こうには、幾重にも重なり、並ぶコンピュータがあった。部屋に敷き詰められるように並べられた大量のコンピュータ機器を前に、あたしは室内に足を踏み入れる。その後を、ふらふらと幽霊のように、彼女も付いてくる。
「どれだけ盗んだのよ……」
上の学校から持ち込んだであろう大量のコンピュータ機器を横目に流しながら、あたしは室内の奥へと進んだ。
ふと、並べられたコンピュータ機器の一つに目を向けると、画面にはNPCが影に変化する様子や、影の情報を記したデータや映像が映されていた。それらの物的証拠を見て、あたしは確信する。
「間違いない……」
思った通り、盗んだコンピュータを使って、犯人はここから影を操作していたのだ。あたしの確信が定まるとほぼ同時に、聞き慣れない声が突然のように前の方から聞こえた。
「―――よく辿り着けましたね」
「―――ッ!?」
声のした先に視線を投げると、そこには山のように積まれたコンピュータの前に一人座る謎の男がいた。
彼の後ろには大量のコンピュータが積み重ねられ、全てが稼働し、コードの波が集中している。まるで砦のような場所に、彼は微笑ましい表情を崩さずに、あたしの方をジッと見据えていた。
この世界の学園の制服を着た彼は、仮面のように崩さないその笑みを絶やさない。
「馬鹿にしてるの? 表にこれ見よがしにプレート貼ってあったじゃない」
「ここは学校ですからね」
さも当然のように、彼は言う。
「可笑しな価値観を、お持ちのようで」
「いやいや、それがルールなんですよ」
ルール―――
それは普通に聞けば、どこでにもあるような単なる学校のルールと受け止められるだろう。
だが、彼の言っているルールは、果たしてそうなのかわからない。
あるいは―――
「この世界の……神の……」
「神……存在するか否か、実に深淵なテーマです。 興味深い……が、それを追求する術は僕にはない。 ただ、決まりごとに従うだけ……」
「あなたもプログラミングで動いているのね……」
つまり、彼はあたしたちと同じ人間ではない。
NPCなのだ―――
「御察しの通りで」
「誰がこんな事を……?」
「名前を言っても無意味でしょう。 遠い昔の人です」
首を横に振りながら言う彼の言葉に、あたしは視界の端に見えたコンピュータの画面に視線を向けた。
その画面に記された内容は、Angel player―――
「……このソフトは何なの?」
「知っての通り、この世界のマクテリアルを作成、改変できるソフトです」
「何でそんな事が出来るの……」
「さぁ? 僕は開発者ではないので……」
質問には、濁す事なく淡々と答える辺りが確かにNPCらしかった。
だが、こうして会話を交わしている内に、あたしの心に積み重ねられていくものは、彼がどうしてもただのNPCには思えないと言う事だった。
「……でも、貴方達も土から武器を製造している。 同じ事でしょう」
「(結局、同じルールに則っているのか……)」
所詮、あたしたちも目の前にいる彼も、この世界の法則の上にいる事には何も変わらないのだ。
しかし、あたしには少し思う所があった。
それは単なる疑問だ。
何故、そんなソフトを作ったのだろうか。
人は目的がない限りは、物を作らない。目的があるからこそ、それを生み出すのだ。あたしたちが神に対して抗う具体的な戦う方法として、武器を製造したように。
「……そのソフトの制作者は、神になりたかったのかしら?」
「さぁ。 僕には何とも……」
「じゃあ、時間がないから本題に入りましょう」
これ以上、根源に関する情報が手に入る目処がない事を察したあたしは話題を本題に移す。
「あなたは何が起きたらこうするようにプログラミングされていたの?」
「プログラミングの内容は、わかりません」
「……じゃあ聞き直すわ。 あなたにとって、この世界に何が起きたの……?」
あたしが聞き直すと、彼は絶やさなかった微笑みから、少し真剣な表情に変えて、口を開いた。
「―――この世界に、“愛”が芽生えました」
彼の言葉。そしてその言葉が紡がれると同時に、まるで何かの意思が働きかけたかのように、彼の後方にあった全てのコンピュータの画面にハートの絵が浮かんだ。
それらの光景と、彼の言葉の意味が理解できなくて、あたしは疑問の色を浮かべる。
「……え? 愛……?」
そう呟いたあたしの後ろの方から、彼女がぴくりと反応した気配が伝わった。
「……?」
チラリと彼女の方に一瞥するが、彼女の表情は相変わらずの無表情で、今の反応があたしの気の所為だったと思えてしまう程、彼女はジッと彼の方をただ黙って見詰めていた。
「……そう、愛です。 それはあってはならない、この世界で……」
「……………」
そうだ、とあたしは内心で彼に同意していた。
しかし実際はその通りだった。
この世界で愛を覚えたのなら、すぐにでも消えるはずだ。でも、この世界で愛が芽生えたらどうなるのか。
「愛が芽生えてしまうと、この世界は永遠の楽園に変わります。 しかし、この世界はそうなってはいけない」
何故だろう、その話を口にしている間だけ、彼は少しだけ寂しそうな瞳をしていた。
まるで自分の過去を語るように、彼は続ける。
「何故ならここは、卒業していくべき場所だからです」
「そう思った人がいたわけね」
「ただ……誰かのために生き、報われた人生をおくった者が、記憶喪失で迷い込んでくる事が稀にある。 その時に、そういうバグが発生するのです」
「そしてそれが……Angel playerのプログラマー……」
「驚きました。 ご明察です」
そう言って、彼はまたさっきの微笑みを浮かべる。
「その人は、この世界のバグに気付き、修正をした。 それが影を使ってのNPC化……つまり、リセット……」
「はい」
あたしの推理に、彼は肯定する。
「……じゃあ、何? NPCの中には、あたしたちみたいなのが他にもいるって事?」
「はい、います。 一人だけ」
彼の答えた事実に、あたしは目を細める。
「可哀想に……」
「そのプログラマーです」
「え……ッ?」
彼の淡々とした発言に、あたしは驚く。
それにも構わず、彼は続けた。
「彼は待ち続けました。 愛を知り、一人この世界から去っていった彼女を」
「そんな……もう一度会える可能性なんてない…ッ!」
「天文学的数字ではありますが、ゼロではありません。 しかし彼女を待つ時間は余りに長過ぎ、彼はもう正気ではいられなかった。 だから、自分をNPC化するプログラムを組んだのです」
この世とあの世の狭間で、転生と言う事があるのだとしても、もう一度彼女と会える可能性なんて限りなく低いだろう。
そんな皆無に等しい可能性のために、待ち続ける時間も尋常な量ではないはずだ。生身の人間の精神や心が、そこまでの膨大な時間に耐えられるとは思えない。
その末に正気を失いかけ、自分をNPC化させると言う手段に至っても、不思議ではないかもしれない。
「もしかして……そっちが先だったんじゃないの? そして同じ事が起きないよう、世界に適応させた」
「可能性はあります」
「その人は、いつか報われる日が来るのかしら……」
「さぁ…」
彼との会話によってあたしは、知り過ぎてしまったこの世界の一端に、頭を抱える思いだった。
「……何が正しいのか何だか」
「僕にも何が正しいのはわかりません。 ただ、ここに辿り着いたあなたならば、その答えが導き出せるかもしれません」
「……どういう意味よ」
あたしの問いに、彼は微笑みを絶やさないまま答える。
「あなたの意思次第では、この世界を改変できる……と言う意味です」
「改変してどうするのよ……」
「彼が選ばなかった道も選べます」
「それは……」
あたしは、ごくりと生唾を飲み込む。
「……あたしが神にでもなれる、と言うの……?」
「……言い換えれば」
あたしの言葉に、彼は否定をしない。
「ここを永遠の楽園にする事だって出来るの……?」
「彼自身はそれを否定しましたが、僕は否定しません。 いや、否定する感情を持ちません」
NPCとしての身分である彼らしい言葉を最後に付け加えて、彼は言った。
「神……あたしが、この世界の神……?」
それは、この世界に来て神に反抗する決意を決めた時から、目標に掲げていたものだった。
正に、この世界を神から奪う。
戦線の、あたしの目的。それが今、叶うと彼は肯定してくれたのだ。
今までの自分たちの努力や苦労が、ここで叶うと言う事にもなり得る。
「ふ、ふふ……」
あたしの口から、笑いの種が零れる。
「ふふふ……あは、あははは……ッ! あははははは……ッッ!!」
天に向かって腹の底から笑うあたしを、人間じゃない二人がただ眺めている。
「どうかしましたか?」
彼の声も、笑い続けるあたしにはどうでもいい事だった。
だって、こんなにも可笑しい事があるだろうか。
手に入れたんだ。
ずっと手に入れようとした、この世界を。
わけがわからない世界で、多くの仲間たちを統率する中で、必死に戦ってきた努力が報われるのだ。
人間と言うものは、欲望を持って前に進む事が出来ている。
だからこそ、そこに辿り着く事が出来れば、人は狂ったように喜ぶし、笑うのだ。
そう、今のあたしこそ、その境地に行き着いた人間。
今度こそ報われる。
この世界を、手に入れて―――あたしは―――
「………………」
「……?」
すっと黙り込んだあたしを、そばにいた彼女が不思議そうに覗き込んでいた。
「……なんて事、するわけないじゃない。 かなでちゃんにも、もうそんな事出来ない……だって、あたしは……ここまで来たのは……あたしは……ッ!」
「……おや」
何かに気付いたかのように、彼は一瞬声を漏らした。
と、同時に、全てのコンピュータの画面に異変が生じる。
そこには大きなハートマークが、画面に浮かんでいた。
「……大きな愛を感じ取りました。 ここまで大きいのは初めてです……恐ろしい速度で拡大を―――」
「……………」
彼が、そしてそばにいる彼女も、あたしをそれぞれの不思議そうな目で見てくる。
だけど、あたしにはそんな事はどうでも良かった。
「……何ですか?」
あたしが銃口を向けた所を見て、彼は問いかける。
「だって……あたしがここまでやって来たのは、みんなを守るためなんだから……ッ!」
そう、それがあたしのここまで来た理由だ。
あたしはリーダーなんだ。
あたしを信じて付いてきてくれたみんなの期待を裏切らないために戦ってきた。それと同じように、あたしはみんなを守るためにここまでやって来たのだ。
「ああ……発生源はあなたでしたか?」
微笑を浮かべ、彼は言う。
「……で、何をしようと言う気です?」
あたしは、はっきりと彼に告げる。
「全てのマシンをシャットダウンしなさい。 今すぐ」
責めるように、厳しい声色で命令する。
だが、彼は涼しい微笑を崩さないままだ。
「良いのですか? ちゃんと考えたのですか? まだまだ時間はありますよ、それこそ永遠に……」
この期に及んでも減らない口を叩く彼に、あたしは微かに声を低くさせる。
「……あのね、教えてあげる。 人間と言うものは―――」
あたしの脳裏で、自分の人生の記憶がフラッシュバックする。
それは無力な自分が、弟や妹たちを救えなかった時の、一番神様を呪った日の出来事―――
それらの記憶を思い出し、あたしはその思いを彼にぶつけるように、叫ぶ。
「たったの十分だって、我慢してくれないものなのよ……ッ!!」
次の瞬間、あたしの指が引き金を引いた。
思いの丈を叫ぶように、あたしはオート射撃で周囲に広がるコンピュータ機器に向けて撃ち続ける。
一秒に数十発と言う弾丸が飛び、大量のコンピュータ機器を次々と葬り去る。
連続した射撃音、そして破壊される機械の断末魔が室内に響き渡った。
ばらばらと、破壊された数々の機械が、散らばって落ちていく。
あたしはその中で、休み暇もなく撃ち続けた。弾が無くなった機関銃を投げ捨てると、次に拳銃を握り、残る全てを殲滅するかの如く破壊し続ける。
「……ッ!」
そして最後に、あたしは目の前にいた彼に、銃口を向ける。
銃口を向けられても、命乞いをする事もなく、ただその仮面のような微笑を向けている。
一瞬、躊躇ったあたしの鈍くなった動きの内に、彼女は動いていた。
「―――!?」
すっ、とあたしの視線を遮るように、彼女の背中が現れた。
あたしと彼が正面で向き合っている間に、彼女が割りこんで来たのだ。
「……あ、あなた……! そこを―――」
どきなさい、と言う前に、彼女の垣間見えた瞳が、あたしを制止させた。
少しだけ悲しそうな瞳を見せた後、彼女は彼に向かって歩み寄って行った。
そんな彼女を、座る彼は見上げるだけだ。
「……おや」
目の前に立ち止まった彼女を見上げた彼は、ふ、と微笑を浮かべた。
「不思議ですね。 君とは、どこかでお会いしたような気がする……」
「……………」
彼女は沈黙を崩さない。彼は微笑を崩さない。奇妙な空気が二人の間に流れていくが、それが不思議と二人に合っているように見えた。
「君は……」
彼が口を開いた時、彼女もまたぼそぼそと何かを呟いた。
それは小さ過ぎて、あたしの耳にまで届かなかったけど―――
「……………」
聞こえたであろう彼の表情は、微笑を浮かべたまま一瞬固まったように見えた。
その直後、彼女は彼の額にそっと手を当てると―――
「――――!!」
眩しい光に呑まれ、彼女は彼と共に真っ白な光に包まれていった。
余りに眩し過ぎて、あたしは咄嗟に目を覆ったけど、その間際に見えた二人が、一瞬だけ抱き合っているようにも見えた。
そして―――
「……………」
光が収まった後、そこには誰一人の姿もなかった。
そこにあったコンピュータ機器も全て、真っ黒な画面を晒している。
彼らがいなくなった場を見て、そして破壊された全てのコンピュータが囲う中で、あたしはぺたんと座りこんだ。
「(これで……終わった……?)」
そこにはあたし一人しかいなかった。全てのコンピュータが沈黙している光景を眺めて、あたしは思った。
「(これできっと、みんなは助かったはず……これで無事、この世界から去っていけたはず……)」
影を操作していた根源は全て破壊した。
ならば、影も全て消え去ったはずだ。
すなわち、みんなも戦いから解放されたと言う事。
「(にしても、不覚だ……お姉ちゃん、あんたたちと同じくらい、みんなの事を大切に思っちゃってたんだ……)」
彼は、自分が愛の発生源だと言った。
愛が芽生えていたのは、自分だったのだ。
それは、仲間に対する愛だった。
「(あんたたちが誇れるくらい、あんたたちだけを愛する姉でいたかったのに……)」
そして、あたしの心に変化が生まれる。
「(ああ、この気持ちは何なんだろう……どうしちゃったんだろう……あたしを突き動かしていたものが、消えていく……)」
それは、この世界における自分の行動原理と言って良かった。
つまりそれが消えると言う事は、自分自身も消えると言う事だった。
「(それが消えちゃったら……この世界にいられなくなる……人生はあんなにも理不尽に、あんたたちの命を奪っていったのに……なのに……みんなと過ごした時間はかけがえのなくて……あたしも、みんなの後を、追いかけたくなってきちゃったよ……)」
心から、あたしを動かしていたものが、まるで水のように流れて出て行く。
それはどこか心地良かった。
そして―――
あたしの目の前に、三人が現れた。
あの家で、あたしは大切な三人を前にしていた。
こんな光景は、自分自身が思い浮かべたものだと言うのはわかっている。
それでも、再び大好きな弟や妹と出会えた事に、あたしは嫌だなんて思うわけがなかった。
その子たちはあたしの目の前で、変わらない優しい笑顔を浮かべていた。
「ありがとう、もう十分だよ」
「もうお姉ちゃんだけ、苦しまなくてもいいんだよ」
この子たちを守れなかったあたしなんかに、三人はあたしに言葉を掛けてくれた。
それが―――とても―――
「長い間お疲れ様、お姉ちゃんっ」
あたしの心は、もう限界だった。
「う、うぇ……ッ うあああ……ッッ」
だから、声をあげて泣いた。
あたしは、一人で、子供のように泣き叫んだ。自分を動かしていたものを涙にして流すように。