Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
この世界が平穏を取り戻した頃、俺たちは遂に迎えるべき時を迎えた。影がいなくなった直後の学園はやけに静かだった。何故なら人形劇の役を演じるNPCがほとんどいないからだった。現時点で表舞台に立っているのは、俺たちだけだった。
だがそんな俺たちも、長い戦いを終えて、戦線のメンバーは次々とこの世界から旅立っていった。皆、一人一人未練を断っていけた。俺たちの思いは、無事にみんなに伝わったのだ。
「やっぱり最後に残ったのは、このメンバーか……」
かつての戦線の作戦本部だった校長室にいるのは、俺を含め、奏、沙耶、日向、直井、野田、大山、椎名、TK、遊佐、松下五段、藤巻、そして―――NPCから人間に戻れた高松だった。
「しかし高松に関してはひやひやしたぜ。 一生元に戻らねえかと思っちまったよ」
木刀を肩にとんとんと叩きながら、藤巻は高松の方を見る。
高松はあるものを持っている右手とは逆の左手で、眼鏡のブリッジをくい、と上げると口を開いた。
「皆さんには本当にご迷惑をおかけしました。 こうして無事に帰ってこれたのも、皆さんのおかげ……」
「あーもう、それは何度も聞いたっつーの。 折角最後なんだから、みんなで晴れやかな気分でいようぜ?」
日向が高松に物申す。日向に言われた高松は「それもそうですね……」と、フッと笑みを浮かべて口を慎んだ。
「だけどプロテインを見せただけで正気を取り戻すたぁ、さすが隠れ筋肉キャラだぜ……」
そう、藤巻が言う通り、影に喰われてNPCとなっていた高松だったが、プロテインを見せた途端に正気を取り戻し、無事に人間に戻れたのだ。そして今、高松の手にはそのプロテインが乗っている。
「きっと、思いの強さでいつか人に戻れるようにしてあったのね」
少し優しい微笑みで、沙耶は呟く。
「思いの強さ……か」
俺もその呟きに応える。
「だがこれも、ゆりっぺのおかげだな」
そう言う日向の言葉に、みんなは頷き合う。その意見に関しては、この場にいる全員が同じ気持ちだった。
長く苦しい戦いだったとしても、戦いを終えてみれば、この世界の日々も悪くなかったと言う思いが全員の心にあった。血生臭いことや苦労も数え切れないほどにあったけど、それでも自分たちが過ごした時間は楽しかったと断言できる。
それも―――リーダーを務めてくれたゆりのおかげだ。
「そのゆりっぺも、まだ寝てるけどな……」
影との戦い以来、ゆりは既に一日以上も眠っていた。今は保健室で寝かせているが、まだ目覚める様子はない。
「……………」
不意に、ハルバートを抱えたまま壁に背をもたれている野田にみんなの意識が向かれるが、当の野田は無言だった。
「ゆりのことだ。 きっとそのうち目を覚ますさ」
だけど俺は特に心配はしていなかった。ゆりは必ず目覚める。そう信じていたから。
「だな」
日向も笑みを浮かべて同意する。
俺はさっきから黙っている野田の方を見てみる。
きっと野田も俺と同じ思いなのだろう。ゆりを信じ続けているんだ。
いや、野田は俺以上にゆりを信じている。
ゆりが目覚めない可能性なんて、微塵も疑ってはいないのだ。
「しかし校長室(ここ)ともお別れかぁ……寂しいものだね」
大山が少しだけ乾いた笑みを漏らしながら言う。その笑顔は少し寂しそうだった。
「まぁな。 ここは、色々と思い出が詰まり過ぎてる」
日向も頷く。
戦線の根城として長らく利用されてきた校長室。
俺もここを初めて訪れた時のことを鮮明に覚えている。
忘れもしない、あの全ての始まりの日を。
「お前ら、言っといたもの、ちゃんと持ってきたんだろうな?」
俺は全員を見渡しながら問いかける。
その声に、みんなは「勿論」と言う風にそれぞれの証を掲げて見せた。
それは、卒業する思い出の場所に、一人一人の“証”を置いて行く、と言うものだ。
長い間、自分たちの思い出が作り出された場所を去る間際に、自分たちがいた証を残していきたいと思うことは、卒業生の特徴と言っても良いだろう。
だから、俺たちはその場所に、自分たちがいたと言う“証”を残すことにした。
「俺はこの木刀を置いていくぜ。 やっぱり俺にとっては、これが一番の相棒だったからな」
木刀を差し示す藤巻。
「………ふん」
ガチャリ、と抱えたハルバートを鳴らす野田。
竹山はノートパソコンを置き、TKは首にさげていた手錠を指に絡めて回し、遊佐は耳に付けていた通信機をそっと外した。
椎名は―――誰にも隠すことなく、何匹もの犬の玩具を置いた。
その表情は少し寂しそうではあったが、やがて優しげな笑みに変わった。
「私は勿論、これを」
「まぁ、わかってたけどな……」
眼鏡のブリッジを持ち上げた高松が、幾つものプロテインを置いていく。
俺も含め、みんなはそれぞれの持ち寄った自分の“証”を置いていく。
そして―――
「……………」
ゴトン、と、沙耶は拳銃を置いた。
それはとても重々しい空気を纏っていたけど。
その重さは、まるで沙耶の今までの“証”を如実に示しているようだった。
「あたしにとっては……ここに来る前から持っていたものだったけど……」
沙耶は語り始める。
その寂しそうな横顔で。
「これを本当に手放す時が、今この瞬間だと思ってる」
「……そうか」
「うん」
そう言って、微笑む沙耶の笑顔に、俺は頷き返した。
思えば、沙耶との思い出もかけがえのないものだった。
戦線とは別に、沙耶との過ごしたパートナーとしての日々も、忘れてしまったとしても俺は魂に刻み付ける。
「奏は何か置いていかないのか?」
俺は隣に立っていた奏に問いかけてみた。
「……私はここには、あまり良い思い出はないから」
「そ、そうだよな……」
何せここは元々、対天使用作戦本部……つまり、奏を敵とした戦略を練るための戦線の本部だったのだから、奏にとってはそれ程思い入れがある場所ではないのだろう。
「日向くんは確か、ここで初めて立華さんに刺されたんだよね」
「それを思い出させるな、大山……」
どうやら日向にとっても、良い思い出に限った話では無さそうだった。
「まぁ、ともかく……みんな」
それぞれの“証”を置いた、みんなの視線が集まる。その顔つきはどれも、どこか纏わり付いていたものを全てふっ切れたような雰囲気だった。
「今まで本当に長い間、お疲れ様。 みんなと過ごした日々は、本当に楽しかった。 後はみんな、それぞれこの世界から旅立って行ってほしい。 また、次の人生で会えることを願って」
それは、遂にみんなとの時間が終わることを表していた。それはただの終わりではない。それぞれの道へ歩んでいく始まりだ。みんなとの時間は確かに終わるけど、それは長かった戦いの終わりでもあるし、何より各々の抱えていた葛藤から解放されての幕締めだ。
「女々しいのは御免だ。 俺は先にあがらせてもらう」
最初に口を開いたのは、ハルバートを抱えていた野田だった。野田はそう言うと、普段から肌身離さず抱えていたハルバートを壁に預けていった。
「良いのか……?」
「何がだ」
普段と変わらない無愛想な表情の野田に、日向は問いかける。
「最後に、ゆりっぺに別れの挨拶をしておいても遅くはないんじゃねえの?」
「……ふん、構わん」
野田の答えに、日向は驚く。
「な、なんでだよ……? お前、このままゆりっぺと会えないまま……」
「何を言っている? そんな心配はない、何故なら……」
だが、野田は踵を返しながら言葉を続けた。
「次にまた必ず会うと決めているからだ」
野田は、はっきりとそう言った。
その言葉と、野田の表情もまた、強く信じているような色だった。
「野田、お前―――」
日向は何か言いかけたが、何も言わなかった。
野田は周りのみんなに見向きもせずに、そのまま廊下の方へと向かう。
「音無」
その間際に、立ち止まった野田が俺に声を投げかける。
「何だ?」
俺が応えると、野田は睨むように俺の方を見る。
「俺はまだお前を認めていない。 だから、次に会う時はまた覚悟しておくんだな」
「……ああ、望む所だ」
「ふん」
最後に鼻を鳴らした野田は、そのままこの世界から旅立った。
みんなの前から去っていった野田に続くように、他のみんなもこの世界から旅立つ一歩を踏み始める。
「俺もそろそろ行っちまうかな。 これ以上、この世界に用なんてからっきりねえし」
頭を掻きながら、藤巻が言う。
「そうだね、藤巻くん。 僕もそろそろ失礼するよ」
大山も同調するように、藤巻と並んで校長室を出ていく。
「大山、てめえとは面白可笑しく過ごさせてもらったぜ。 また次の人生で会う時は、ダチとして会おうぜ」
「うん、僕もだよ。 今度はまた友達になってね、藤巻くん」
大山の肩に手を回した藤巻、二人の笑い声が遠ざかっていった。
それが完全に遠ざかると、今度は椎名が音もなく壁から離れる。
「……………」
「椎名、お前も行くのか?」
「……ああ、長居は無用だ」
ふと気が付くと、いつの間にか椎名の腕にはクマのぬいぐるみが抱かれている。それはまた犬の玩具とは違う可愛らしさを持っていた。
「それも一緒に持っていくのか?」
「ああ、これは……私の宝物だからな」
「そっか……」
そう言う椎名は、藤巻に肩を抱かれていた大山が立っていた位置を遠い瞳で見詰めているように見えたが、それは気の所為だろうか。
「さらばだ……」
「ああ、またいつか会おう」
小さく言い残した椎名は、俺が瞬きをした一瞬の内に、既にいなくなっていた。
「では、私も……」
遊佐がその場にいる全員に向けて、ぺこりと軽くお辞儀をすると、そのまま沙耶の方へと歩き出す。
沙耶の前まで来ると、その足取りを止めた。
「遊佐さん……?」
「沙耶さん、今まで本当にお世話になりました……」
そう言って、遊佐はぺこりと沙耶に向かって頭を下げる。それを目の前にした沙耶は慌てて手を振った。
「そ、そんなに大して世話をした覚えはないわよ…ッ! あたしも、遊佐さんと過ごした時間はとても楽しかったわよ…!」
「……あなたは、私の尊敬するある人に似ていました。 でも、やはりあなたはあなた、その人ではありませんでした」
「遊佐さん……」
「でも、私はあなたをずっと忘れません。 この魂が、あなたのことを一生忘れないでしょう」
「……あたしもよ、遊佐さん。 本当に今まで、ありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございました。 沙耶さん、お元気で……」
「うん、また……いつか」
「ええ、またいつか」
最後に―――遊佐は明確な笑顔を浮かべてから、沙耶の前からその笑顔と共に消えていった。
「遊佐のあんな笑顔、俺、初めて見たかもしれないぜ」
日向が意外そうな声をあげる。
「そうか? 案外、昔から元々ああだったかもしれないぜ。 ただ、わかりにくかっただけで……」
みんな、本当に良い顔でここを去っていった。それだけ、この世界で過ごした時間はかけがえのないものと成り得たのだろう。
「さて、俺も行くかな……ここの肉うどんは最高に美味かったが、またもっと美味い肉うどんを探し出して食べてみたいものだ」
随分とスリムになってイケメンになってしまった松下五段が、これはまた格好良いクールな笑みを浮かべて、特に格好良くはない言葉を並べて言う。
「今度はグルメ五段にでもなるつもりか?」
茶化すように聞く日向の言葉に、松下五段は「それもいいな」と気の良い笑みで返した。
「正直、百人組手もやってみたい所だが……それは次の楽しみに取っておこう。 全ての五段を手にする人生も楽しそうだ」
「全ての五段って、意味わかんねえよ」
日向のツッコミを含め、松下五段の笑いの声があがる。
「じゃあな、みんな。 達者でな」
そう言い残し、松下五段も去っていく。
「お前らは行かないのか?」
俺の問いに、高松、竹山、TKが返す。
「勿論、私も行きますよ。 最後に、この筋肉と共に皆さんに感謝とお別れの言葉を捧げてから、ね」
そう言って、高松はさっと上着を脱ぎ出した。その露にされた肉体は、筋肉で引き締まっている。
「最後の最後で暑苦しいのはどうかと思いますが……別れもまた人それぞれとしておきましょう。 僕もそろそろ行きます。 とっくに僕の役目も終わっていますしね。 それから、今度こそ最後は僕のことをクライストと呼んでくだされば幸いです」
「Good bye! みんなとの日々はremember!」
「本当にお前らは最後まで相変わらずだよなぁ……」
だが、それが良い所でもある。
変わらない普段の仲間たちが、思い思いに去っていくのはきっと良い傾向なのだ。
「ああ、高松、TK、そしてクライスト。 お前たちも、元気で」
三人はそれぞれの表情を浮かべると、次々と見送る俺たちの前から去っていく。
戦線のメンバーたちの旅立ちを、俺たちは一人一人見送っていった。そして気が付くと、校長室には俺と沙耶、奏、日向、直井の五人だけとなっていた。