Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.75 Our Song

 同じ頃、ガルデモが練習に利用してきた空き教室では、ギターの弦を弾く音が響いていた。それは共鳴し合い、互いに残された時間を分かち合うような、少しだけ寂しくもあり、少しだけ暖かい音。

 黒板一杯には沢山の字や絵が描かれており、それには各々の思いの欠片や言葉が赤裸々に刻まれている。

 「……よっし、できたっ」

 私は最後に黒板にチョークを走らせると、そう言って声をあげる。他のメンバーが書いた言葉や絵等が囲む黒板の中心には、一際大きく目立つようなアレンジで、こんな言葉が書かれている。

 『ガルデモ最高!』

 その力強く書かれた字体を見詰め、私は満足げに笑みを浮かべた。

 それを眺め、感慨に浸っているのは私一人だけではない。私の後ろには、同じく各々の楽器を持った三人が、私が書いた字体を眺めていた。

 お尻の尻尾を跳ねながら、くるりと振り返った私の目の前には、リードギターのひさ子先輩、ベースの関根さん、ドラムの入江さんがそれぞれの笑みを浮かべている。

 それは普段と変わらない、私たちがライブ等の演奏前に浮かべるような顔だった。

 「あたしたらも、いよいよ解散か……」

 楽器をそばに置き、教室の中心で囲んだ私たちは、ぽつぽつと話を始める。

 「思えば、あっという間に感じるもんなんだな……実際、結構短くない程度はここにいたつもりだけどさ」

 「過ぎてしまえばそんなものですよ。 ライブも数え切れないぐらいやりましたし」

 「うん、そうだよね……それに、すごく楽しかった…ッ」

 「はいッ!」

 ひさ子先輩たちの言葉に、私は同意するように声をあげる。

 「ユイは最初どうなる事かと思ったけど……よくあたしらに付いてきてくれたよ」

 ひさ子先輩に掛けられた意外な言葉に、私は驚く。

 「正直、岩沢以外であたしらの演奏にばっちり付いていけた奴を見たのは、ユイだけだったよ」

 「そ、そんな……私は……」

 私はそうやって言われる程、凄い事をしたわけではない。

 今の私がいるのは、岩沢さんのおかげだから。

 岩沢さんに憧れて、陽動部隊に入って、その時からギターの練習を始めて……最初は見る目も当てられないぐらいに酷いものだったけど、私の中に岩沢さんと言う存在がいたからこそ、私はここまで這い上がる事が出来たんだ。

 私はそう言ってひさ子先輩たちに自分の思いを伝えるが、ひさ子先輩たちは言い続けた。

 「ユイは凄い。 これはあたし達がしっかりと認めている。 嘘じゃないんだよ、ユイ」

 「そうだよ、ユイ。 もっと自分を誇っても良いんだよ」

 「そうそう」

 「皆さん……」

 みんなの優しさが、私の心にじわりと沁み込んでくる。

 「……ッ」

 「あれれ? もしかしてユイ、泣きそう?」

 「そ、そんなことないッスよ……ッ」

 無意識に奥底から危うくこみ上げてきそうだったものを抑える私の仕草に気付いた関根さんが、茶化すような笑みを浮かべて言ってくる。

 「それにお前の事は、あの岩沢も認めてた」

 「……えッ?」

 ひさ子先輩の言葉に、私は顔を上げた。

 「お前がまだあたしらの陽動部隊に入りたての頃だったかな……お前がまだまだそれ程でもない時、お前が路上ライブをやっていた所を、丁度岩沢と一緒に通りかかった事があるんだ」

 ひさ子先輩は語り始める。

 あの頃の私はまだまだギターの弦を満足に弾けない頃で、毎日練習し、少しでもまともに弾けるように悪戦苦闘していた時期だった。

 練習をしては、たまに路上ライブをやってみる。そうして私は戦線の任務の合間に、歌やギターの練習を重ねてきた。

 勿論、私は生前に音楽の経験は微塵もない。楽器さえ触った事がなかった。テレビの向こう側でしか見た事がなかった事を独学でやろうとしているのだ。その始まりは想像以上に大変だったけど、私の身体と心に、直接訴えかける生きた音が私にきっかけを与えてくれた。

 初めての生ライブ―――大勢の人たちの前で、力一杯に弾きながら歌う姿を見て、私は生きた音に初めて触れて、虜になってしまった。

 あの生きた音を、今度は自分自身が奏でられるようになりたい。そんな決意が、いつの間にか私の中にあったのだ。

 「路上ライブをやっていたお前……と言っても、あの時のお前の歌は確かに下手だった……ギターも満足に弾けてない。 まともに音楽をやるにはまだまだ時間がかかるだろうなって思った。 でも、岩沢はあたしとは違う事を言ったんだ」

 ひさ子先輩の言葉が、紡がれる。それは岩沢さんから私への言葉だった―――

 「『良い音だね』ってな」

 「……………」

 「それを聞いたあたしは、つい耳を疑ったね」

 「あはは、ひどいですねひさ子先輩」

 ひさ子先輩の言葉に、関根さんが面白いと言う風に笑う。

 「でも、岩沢は全然ふざけた感じじゃない様子であたしに言ったんだ。 『あの娘はその内、私をも超す奴になるかもしれない』って……でも当時のあたしはそんな事、全然信じられなかった。 ちょっと言い過ぎだろって言ってやったら、あいつは言ったんだ。 『誰がどうなるか、なんて事は誰にもわからない』ってな」

 「……………」

 「最初はみんな、出来ないのは当たり前なんだ。 岩沢もそうやって昇りつめた……だから、岩沢はお前に、そういう事を言ったのかもしれないな。 そしてお前は、岩沢の言った通り、ここまで成長して見せた。 正直、驚いてる」

 そう言って、ひさ子先輩はにっと白い歯を見せる。私はただ、呆然とひさ子先輩の言葉を聞くしかない。

 岩沢さんの言葉―――

 私の“音”が、岩沢さんに認められていた。

 たったそれだけの岩沢さんの言葉によって、今までの私が報われていくようにも感じられた。

 「……私……もっと、皆さんと弾きたいです……いつか岩沢さんとも……やりたいです……」

 そう言う私の瞳からは、いつの間にか涙がこぼれていた。

 それは止め処なく流れていく。

 しかしそれを、茶化す人はいなかった。

 三人とも、優しい表情を私に向けてくれている。

 私はぼろぼろと涙をこぼすしかない。でも、誰もそれを指摘したりするような事を言わなかった。

 「……岩沢は、ここにいるよ」

 ひさ子先輩がとん、と自分の胸を叩く。

 涙で目を濡らした私が見たものは、自分の胸に拳を当てるひさ子先輩たちだった。

 私はそれらを眺めると、ぐしぐしと袖で自分の濡れた目を拭う。そして、私も胸に、拳を当てた。

 私たちの中に、岩沢さんはいる―――

 ガルデモは、共に在る。

 私たちの視線が、誰からともなく一つのギターへと向けられる。それは岩沢さんが最後の瞬間まで弾いていたもの―――

 それも一緒に交え、私たちは各々の楽器を持って、演奏を始めた。

 「ガルデモ最後の曲だ」

 そう、それがガルデモ最後の曲―――

 四人の―――いや、五人の演奏が始まる。

 入江さんがドラムを軽快に、時には重く叩き、関根さんがスピードのある響きを弾き、ひさ子先輩が私を引いてくれるような、時に背を押してくれるような弾きを紡ぎ、私はギターの弦を弾きながら歌を歌う。

 そして私の隣には―――一緒に歌う、岩沢さんが。

 ガルデモは―――五人で一つ。

 曲の最後に近付いていく。正にあっという間だった。だが、それぞれその時間を惜しむかのように、じっくりと演奏を染み込ませていく。

 演奏の終わりを締めくくる場面に、最後の“音”を響かせる。

 そして―――

 「……あはっ、こんなに気持ちが良い演奏、初めてかもなぁー……」

 「うん……文化祭みたいで、今まで楽しかったね……」

 視線を向けると―――そこには既に、二人の姿はなかった。

 ベースギターと、ドラムを残して。

 「……解散なんて言ったけどさ」

 自分のリードギターをそっと置いたひさ子先輩が、私に言葉を投げかける。

 「演奏してて、ガルデモはまだまだ無くならないって思ったよ。 あたしたちは、これからもずっと弾き続けるんだからな」

 「はい……」

 「……だから、次は岩沢とユイのダブルボーカルでやろうぜ。 お前らなら、良いコンビだ」

 そう言って、ひさ子先輩は笑った。そして手のひらを掲げると―――

 「ガルデモは永遠に不滅だ」

 「―――はいっ!」

 私の手と、ひさ子先輩の手が、ぱぁんっ!と良い音を立てて交わされた。

 そして―――最後に親指を立てて見せたひさ子先輩も、私の前から去っていった。

 「……………」

 私の目の前には、三つの楽器が、三人の位置に佇んでいる。

 そして私は自分の位置に―――ギターを置いた。

 ギターをそっと撫で、私はすっくと立ち上がると、思い切り声をあげて背中を折った。

 「今まで、ありがとうございましたっ!」

 教室に響くような声で、私は別れの言葉を捧げる。そんな私の前には、五人の楽器がそれぞれの位置に置かれているだけだった。

 「……………」

 じっとその場に立ち尽くしていた私の耳に、何かをとんとんと叩くような音が聞こえた。その方向へ振り返ってみると、開いた教室の扉に背を預けるように、日向先輩がそこにいた。

 「先輩……」

 「……済んだのか?」

 「……はい」

 「……そっか。 こっちも、ほとんど行っちまった」

 言いながら、日向先輩が私のそばに歩み寄る。

 立ち尽くす私のそばに、日向先輩はしばらく無言で立って、目の前にある五つの楽器を見詰めていた。

 「……先輩」

 「おう、何だ」

 「先輩、私と結婚してくれるって言いましたよね」

 「……ああ。 それがどうした?」

 突然すぎて、思わず慌ててしまいそうになった日向先輩だったけど、必死に冷静になろうとしている先輩を見て、私はちょっとだけ笑ってしまった。

 「必ず、してくださいね」

 「ユイ……?」

 私は並べられた五つの楽器を眺めたまま、言葉を紡ぐ。

 「世界のどこにいても、私がたとえまた動けない身体だったとしても、私の事を必ず見つけてください。 そして、必ず私をまた好きになってください。 で、結婚しましょう」

 「で、ってお前……」

 「それで、もし私が今みたいに自由に身体を動かせたとしたら、覚悟しておいてください。 私はどこまでも、先輩を追いかけますので」

 たとえ60億分の1の確率だったとしても―――私の方からも先輩を捜してみせる。

 お互いに世界のどこかで出会って、一緒になって見せる。

 その時は、今度こそ―――

 「私とずっと、一緒に―――」

 私の頭が、先輩の手に触れられる。

 その手がとても大きくて、暖かい事にちょっと驚いてしまう。

 だから、私は不意に先輩の方を振り向いてしまった。そして、触れてしまった。

 私の唇が、柔らかくてぽっとするような暖かさに。

 先輩の唇と、私の唇がぴったりと重なる。

 そっと離した唇には、まだ少しだけ感触が残っていたけど―――それより先に、日向先輩の真剣な優しい顔が、再び私の方に近付いて来て、そして私のおでこと先輩のおでこが、こつんと当たる。

 「約束する。 俺は必ずお前を捜し出して―――結婚してやんよ」

 「……先輩ッ」

 また、涙がこぼれそうだった。

 でも、心はとても心地良かった。

 わかっているはずなのに、何だろう―――と問いかけてしまいたくなりそうな気持ちの中で、私は暖かい湯の中に溶け込んでいくような感覚に身を投じていく。

 額を触れ合わせる先輩との距離は、とても近かった。

 それがとても嬉しくて―――

 私は、この世界から、旅立つ一歩を踏み出した。


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