Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
影との戦いが終わってから、戦線のほとんどのメンバーが旅立っていった。残っているのは、俺や奏、沙耶たち、そして保健室で眠るゆりを含めて六人だけ。あれだけ居た戦線も、随分と少なくなっていた。だが、それは皆が無事に未練を断って行けたと言う事だ。
俺たちが見守る中、ゆりが保健室で目覚めた時、既に影との戦いから三日が経っていた。
「ここは……どこ……?」
ゆりは上半身をゆっくりと起き上がらせながら、俺たちに訊ねる。
「保健室だ」
俺の答えに、ゆりがきょとんとなる。
「保健室……?」
ゆりは俺たちを見て、更なる疑問を口にする。
「あなたたち、どうしてまだここにいるの……?」
どうやらゆりは俺たちが先に行くのかと勘違いしていたらしい。しかし、俺たちがゆりを一人だけ残していくなんて真似はするはずがなかった。
「……無理しちゃ駄目」
「大丈夫よ、かなでちゃん」
ゆりの身体を気遣う奏の言葉に、ゆりも優しく言葉を返す。
「まぁ、ゆりっぺにしても大変そうだったらしいからな」
「よくそんなものでリーダーが務まっていたものだな?」
「あなたたちまで……一体何してるのよ?」
日向や直井が居る事にも、ゆりは驚いていた。
「影はもういないんじゃないの……? なら、邪魔をするものはもういないはず……」
「ええ、わかっているわ」
ゆりの疑問に、沙耶がクールに微笑む。
「だったら……」
「まだ、お前が残ってるじゃないか」
俺が当たり前のように言うと、ゆりはえっと声をあげる。まだ驚きを隠せないゆりに、俺はもう一度、念を押すように同じ言葉を繰り返す。
「お前が残ってる」
「……ッ! あ、あたし……?」
そこでようやく、ゆりは口を開いた。
「あ、あはは……そ、そっか……何て、言うんだろう……」
そして口端を微妙に引きつらせながら乾いた笑いを漏らすと、もじもじと手で布団のシーツの端を掴んで弄ぶ。
「何だよ……?」
そんなゆりの様子が少しだけおかしくて、俺はつい問いかけてしまう。
だが、その疑問に代わりに答えたのは奏だった。
「多分だけど……もうゆりの抱えていた葛藤は溶けている……」
「えッ!?」
「……ッ!」
奏の言葉に俺たちは思わず声をあげて驚き、ゆりはぎくりと肩を震わせてシーツで顔を隠した。
「そ、そうなのか……? ゆり……」
「へ…ッ?! そ、それは……その……ッ!」
頬を朱色に染めて動揺するゆりに、直井が不敵な笑みを浮かべる。
「よし、僕が催眠術で吐かせ―――」
「―――やめろごらぁぁぁぁぁ……ッッ!!!」
そう言って直井が近付いた途端に、ゆりが物凄い剣幕で布団のシーツを直井の方に放り投げた。ゆりによって投げ出されたシーツは見事に直井の身体をすっぽりと覆い隠してしまった。
俺たちはそのゆりの予想外の反応に、ただ驚くしかない。
「――と、嫌がると言う事は……的中」
だが、その反応を見て逸早く察した日向は、疑いの目をゆりに向ける。
「へ……? いや、そんな事はないわ…ッ! ほら、あたしリーダーなのに……そんな簡単に解けちゃってたら……良い笑い草じゃないッ! ねえ……?」
両手であわあわと動かしながら、慌てて口を開くゆりの姿はますます怪しかった。
「ふ……じゃあ催眠術でブフゥッ?!」
シーツを引っ張り、再び赤く光らせた瞳を露にさせた直井だったが、間髪入れずにその顔面に枕を投げつけられる。
「そうよ、解けたわよッ! 悪いかぁぁぁぁッッ!!」
「……あ、認めたわ」
「ッ!」
沙耶がそう言うと、ゆりは遂に黙り込んだ。
そして観念したのか、ゆりはベッドから足を投げ出してぷらぷらさせると、小さく笑って口を開いた。
「かなでちゃん……意地悪なんだ……」
そう言うゆりの口調は、やんわりと軽くて優しかった。
「ゆりが天の邪鬼なだけ……」
言葉を返す奏も儚い声で優しく呟く。
「あなた、言うのね……」
ゆりがクスリと笑った。
「でも……なんとなく嬉しいな……」
「何が……?」
ぷらぷらと揺らした足を見詰めながら呟いたゆりに、奏が首を傾げながら訊ねる。
「“ゆり”って、呼んでくれて……」
「どうして……?」
「だって、友達みたいじゃない……?」
「友達……」
ゆりが紡いだ言葉、その意味を、その響きを確認するように、奏はその言葉を自分の口で呟いてみる。そしてその言葉の意味を理解すると、奏は小さく微笑んで―――
「……そうね」
優しく、嬉しそうに、同意の言葉を漏らした。
様々な誤解と、長い戦いの過程に積み重ねられてきた敵対心、その二人のすれ違っていた関係が遂に解消された瞬間だった。二人はこの世界で、どれだけの長い時間の中で、敵同士で戦い合ったのだろう。それは俺の想像では計り知れないものが、様々な思いと共に秘められているのかもしれない。しかし、そんな事は、今はどうでも良かった。それは最早、二人にとっては過去の話であり、これからの二人の関係は確かに、ようやく、繋がる事が出来たのだから。
「友達、か……」
その傍らで、沙耶がぽつりと呟いていたのを、俺は聞き漏らさなかった。
沙耶にも、沙耶なりの思いがあるのかもしれない。
だが、俺はそこを無理に追求する事はしなかった。
「……あたし、ようやくその言葉の意味、わかった気がする」
沙耶は二人を見詰めてから、俺の方に振り向いてそう言った。
俺は沙耶の言葉に、「そうか」と言うだけだった。
沙耶の言葉の意味、それを俺は理解する必要はない。沙耶の中で何かが解決したのなら、俺はそれをただ喜べば良いだけだから。自分の中で何かが解消されると言うのは、この世界から旅立てる一つの要素でもあるから。
「……じゃあ、準備は無駄にはならなかったみたいだな」
「ああ」
「準備って……何か始まるの?」
日向と俺の会話に、ゆりが問いかける。
「最後にしたい事があるんだ。 奏、やった事ないんだってさ……」
それは、奏が叶えられなかった、出来なかった事の一つだった。
「……え? 何を……?」
ゆりのきょとんとした顔に、俺たちはそれぞれの笑顔を浮かべた。
保健室から出た俺たちは、ゆりを加えてある場所に向かっていた。誰もいない静かな校舎の外を、俺たち六人が歩いている。その先頭を、奏が楽しそうに身を弾ませながら歩を刻んでいた。
その途中で、俺はゆりに他のメンバーが旅立って行った事、高松がNPCから人間に戻れた事などを報告した。それらを聞いていたゆりは、嬉しさと安堵が同居したような表情であった。
俺たちが向かっている先―――そこには、あるサプライズが待っている。
それは俺たちが準備したもの。
それは奏が望んでいたもの。
当の奏は、普段では想像もできない程まで、楽しそうな様子を俺たちに見せていた。その姿はまるで奏を幼い頃の時間まで戻したような感じだった。
そんな奏の方から、空気に乗って聞き覚えのある鼻歌が聴こえてくる。
「……その歌、何だっけ? さっき、作業している時も口ずさんでいたよな」
「……何だっけ」
俺は確かにどこかで聴いた覚えがあるものだったが、奏も完全には覚えていないみたいだった。
だが、それを聞いた沙耶がすぐに正解を答えていた。
「それ、岩沢さんが最後に歌った歌よ。 My song」
「ああ、あの曲か……」
俺は沙耶に言われて、ようやく全てを思い出していた。
沙耶は岩沢の最後を目の前で見届け、そしてそれを自分の中で引きずっていた事もあったから、ずっと覚えていたのだろう。
しかし、そう答えた沙耶の声色に、もうそんな迷いはない。
「全校放送で流れたやつだな……全く……」
当時は直井も生徒会役員の一人だったから、あの時は直井も何か苦労をしていたのかもしれない。
「良い曲よね……」
「うん…ッ」
ゆりの言葉に、奏ははっきりと頷いていた。
そうして、奏の鼻歌が紡がれる中で辿り着いた先が―――
「体育館?」
その場所を見上げながら、ゆりが呟く。
「ああ」
そして、俺たちは体育館に入っていく。一足、体育館に踏み入れてしまえば、後はすぐに視界に入る光景に目を奪われる事だろう。
「わぁ……」
その通りに、ゆりは目の前の光景に口を開けていた。
体育館のステージの上には、“死んだ世界戦線 卒業式”と書かれた看板が装飾と共に備え付けられており、その下には戦線のマークが描かれた旗が大きく垂れ下がっている。
ステージの前には六人分の椅子が並べられており、広い体育館の中で、その腰が据えられるのをじっと待っているかのようだ。
その光景は正しく―――卒業式そのものだった。
「俺たちで作ったんだ。 文字は奏だ」
「そうなんだ……」
奏が書いた“死んだ世界戦線 卒業式”の丁寧な文字を見詰めるゆり。
その隣に、奏が歩み寄った。
「かなでちゃん、卒業式した事なかったんだ……」
「面白いのかなって……」
生前に卒業式をした事がなかったと言う奏の事情もまた、奏自身の人生に絡みついたものだった。
しかしそれが今、俺たちの手で叶えられる。
「面白くはねえよ」
奏の言葉に、日向がそんなことはないと言う風に応える。
「でも、字を書いている時は楽しそうだったけどな」
俺は、奏があの字を書いている時に見せた表情を思い出す。顔に墨を付けながらも、丁寧に字を書いていく奏の表情は本当に楽しそうに見えた。
「女子は大抵泣くんだぜぃ」
日向が変な偏見を口にする。
「ふ、これだから女は」
それに便乗するように、直井が軽く鼻で笑う。
「ちなみに、あたしもないわ」
「えっ? マジかよ……ッ!?」
何故か沙耶が自慢げにそう言った。日向たちが初耳と言わんばかりに驚きを見せる。
日向たちの話を聞いて、ふぅん…と想像を膨らませる奏に、俺は言葉を投げかける。
「それじゃあ、始めるか」
「へッ? 今から……ッ!?」
俺の言葉に、ゆりが驚愕する。
「何のために着替えたんだよ」
「いや……その……本当に消えるのかなって思って……心の準備が……」
そう言って、手をもじもじとさせるゆり。
「……何だ、それでも元リーダーか?」
「な、何よ……ッ!」
「お前、みんなが消えてからリーダーっぽくなくなったよな」
「へ? そ、そう……?」
直井や俺に言われて、ゆりは驚くを隠す暇がないようだった。
更に続くように日向も言う。
「確かに何か変わったな……」
「へっ? どう?」
自分の変化が気になったのか、ゆりが訊ねる。その問いに、俺は考えた。
「そうだな……何か、女の子っぽくなった」
「そ、それって喜べ良いの……? 怒れば良いの……?」
俺の何気なく発した言葉に、ゆりは驚くと戸惑いの反応を見せ始める。そんな事を言われ慣れていないような、そんな感覚だった。
しかしそんなゆりの反応も又、とても女の子らしかった。
ゆりを見て、日向がニヤリと笑って言う。
「戦い終えたらそんな事もわからない、無垢な女の子になっちまったんだなぁ。 ゆりっぺも可愛い所あるじゃんっ」
「え……ッ!?」
日向の言葉に、ゆりは更に動揺する。
頬を朱色に染め、言葉にならない声をあげてあわあわと動揺するゆりの姿は、見ていてかなり新鮮だった。
そして動揺したゆりがそのまま日向の前に突っかかり、日向の頭をバシバシと叩く光景は、見ていて面白いものだった。
「ふふ……ゆりは面白いね」
奏もそんな二人を見て、面白いと言う風に、くすくすと笑っていた。
「……よし、始めるぞッ!」
場の空気も柔らかくなった所で、俺は始まりの号令を掛けるのだった。
「―――開式の辞! これより、死んだ世界で戦ってきた、死んだ世界戦線の卒業式を執り行いますッ!」
並べられたパイプ椅子の前で、俺たち六人は整然と並び立ち、戦線マークの垂れ幕を見詰める。俺の開式の一言から、俺たちの卒業式は始まった。
「では、戦歌斉唱ッ!」
「戦歌ッ? 何それッ!?」
「死んだ世界戦線の歌だよ。 校歌の代わりみたいなもの」
「あたし、そんなの作らせた覚え無いわよッ!?」
ゆりの驚き様と言葉は当然のものだった。何せ、その戦歌と言うのは俺たちがこのために勝手に作ったものだからだ。
正確には、作ったのは―――
「作ったのは、奏だけどな」
そう、卒業式をやりたいと言った、奏だった。
俺の言葉を聞いて、ゆりが奏の方に言い掛ける。
「あなたが作ったのッ?!」
ゆりの言葉に、奏が頷く。
「―――って、そもそもあなた、戦線じゃないじゃないッ!」
「良いじゃねえか。 はい、歌詞回して」
細かい事は気にするなと言う風に、俺は歌詞カードを他の皆に回し始める。
「メロディは?」
配布された歌詞カードを受け取ったゆりが問いかける。
俺は応えた。
「校歌って大体似たようなものじゃん? 適当に歌っていたら合うだろ」
我ながらアバウトかもしれないが、俺はそれでも十分だと思っていた。
特にこのメンバーならば、きっと。
「では―――」
俺の合図で、皆の口に息が吸い込まれる。
「せーのっ」
そして―――俺たちの合唱が始まる。
これが、俺たち戦線の戦歌だ。
お空の死んだ世界から
お送りします お気楽ナンバー
死ぬまでに 食っとけ
麻婆豆腐
ああ 麻婆豆腐
麻婆豆腐
俺たち六人の歌声が重なり、織り成されるメロディ。それは今まで共に戦い、過ごしてきた俺たちの繋がれた心、俺たち戦線を表したような曲。
俺たちの思いが、再び一つになった瞬間―――
「―――って、何だよこの歌詞ッ!? 先に誰かチェックしとけよ、歌っちまっただろうッ?!」
どうやら日向は奏が考えた歌詞に不満があるらしく、遠慮なく文句をぶちまけていた。
そんな日向に対して、奏が小動物の如くゆりの背後に身を隠す。
それを見たゆりが、奏を庇うように口を開く。
「まぁ、かなでちゃんなりに一生懸命真剣に考えたんだから。 そんなに言う事ないじゃない、ねぇ?」
「……………」
ゆりの言葉に、奏がコクコクと頷いていた。
「真剣にって……お気楽ナンバーって堂々と書いてあるんだが」
それに対し、歌詞に目を落とした直井も呆れ気味にツッコミを入れる。
今度は、日向や直井の文句を聞いた沙耶が溜息を吐く。
「はぁ……あなたたち、女心って言うものを何一つ理解してないわ。 最低ね」
「いや、この歌詞のどこに女心があるんだよ……」
「黙りなさい青い髪のくせにッ!!」
「お前は金髪だろうがッ!?」
「まぁまぁお前ら……でもさ、この歌詞……」
歌詞を見詰め、俺は思った事を言う。お互いに睨み合っていた沙耶と日向が、俺の言葉に視線を向けた。
「奏の気持ちが詰まっているような気がするよ……」
素直に、俺はそう漏らした。
俺の意見に、日向は呆れて問い返す。
「どこにだよ?」
「頭からケツまで」
「……………」
俺の言葉を聞いた日向が、再び歌詞カードを見詰める。そして俺の言葉の意味を再確認したのか、笑みを漏らして言った。
「……そうかもな。はは…ッ」
日向も納得したように笑った姿を見て、ゆりは「やったね」と奏に微笑みかける。奏も「うん」と嬉しそうに頷いていた。
もうすっかり、仲の良い友達のような光景だった。
「次は?」
そんな光景を眺めていた俺に、ゆりが声を掛ける。
「次は……卒業証書授与ッ!」
「あるの…ッ?」
ゆりはまた驚いていたが、卒業式に卒業証書は欠かせないものだ。
「作ったんだよ。 また主に、奏がな」
俺がそう言って奏に言葉を振ると、奏はえへん、と自慢げに胸を張った。
「で、授与する校長は?」
「―――俺だよッ!」
ゆりの問いに対し、応えるように声をあげた日向が、いつの間にかステージの上に立っていた。主にカツラやヘンテコな鼻付き眼鏡を付けて。
そんな日向の格好を見たゆりは―――
「うわぁ……」
思い切り引いていた。
「くそぉッ! ジャンケンで負けたんだよ、文句あっかぁッ?!」
日向がヤケになって声をあげたが、それに構う奴は一人もいなかった。
「ふ、貴様には適任だ」
日向の姿に、直井が嘲笑するように言った。
「よし、始めようぜッ!」
そして卒業証書授与の項目に移り変わる。校長役の日向以外の五人が、椅子の方に戻って腰を下ろす。日向だけがステージ上に立ち、この場にいる全員分の卒業証書が揃えられた壇を前にして、卒業証書授与の準備が整えられる。
「卒業証書、授与。 では……立華奏ッ!」
「はい…ッ」
名前を呼ばれ、奏は大きく声をあげて返事をし、椅子から立ち上がる。
そして毅然とした足取りでステージ上に昇り、卒業証書を持って待つ日向の前に向かう。
皆が見守る中、校長役の日向から卒業証書を受け取った奏は、ステージ上から降りてくる。
卒業証書を持った奏の表情は、晴れやかだった。
俺はそんな奏の表情を見届けると、「次!」と声をあげる。
「仲村ゆりッ!」
「はいッ!」
今度はゆりが応え、立ち上がる。
ゆりもまた毅然とした足取りでステージ上に上がる。今まで多くの仲間たちを引き連れてきたゆりの足は、相変わらず勇ましかった。そのはっきりとした足取りは、それが報われる瞬間に近付いていく。
そして日向の前に立つと、日向から卒業証書を譲り受ける。
日向から卒業証書を受け取った直後、ゆりは日向を目の前に、言う。
「それ、似合ってるわよ」
「……ほっとけ」
そのまま、ゆりは日向の前から立ち去るようにステージから降りていく。
その間際、卒業証書に目を落としたゆりが、ふっと優しく笑った。
「……馬鹿」
目を潤ませて呟いたその口調は、優しいお姉さんのようであった。
ゆりが見た卒業証書の紙面には、ゆりを労うのに十分な言葉が並べられていた。
「……次、直井文人ッ!」
「はいっ」
次に、沙耶の隣から直井が立ち上がり、ステージ上へと上がった。
先の二人とは違い、直井は堂々とした態度で日向の前に立った。
「我を讃えよ」
「はぁっ??」
偉そうに言い放った直井の言葉に、日向が呆れた風に「…ったく」と溜息を吐く。
だが、日向は言った。
「御勤め、ご苦労様でしたッ!」
「……ふ」
相変わらず鼻で笑う直井だったが、その時だけは、ただ嘲笑しているだけではないような笑みだった。
日向から差し出された卒業証書を片手で受け取ると、直井はそのままステージ上から立ち去った。
「次、朱鷺戸沙耶ッ!」
「……はいっ!」
俺の隣から、沙耶がはっきりとした返事の声をあげて、椅子から腰を上げる。川のように流れる金色の長髪を揺らしながら、沙耶は軽い足取りでステージへと昇った。
沙耶も日向から卒業証書を受け取り、自分の席へと戻ってくる。
最後は俺の番だ。俺は自分の名前をあげようとすると―――
「次、音無結弦ッ!」
「ッ!」
席に戻りかけていた沙耶が、俺の名前を呼んでいた。俺は思わず驚いて、沙耶の方に視線を向ける。
沙耶は笑みを浮かべて、さっさと行きなさいよと言う風に俺を促した。
「……はいッ!」
俺は頷くと、沙耶たちに見送られる中、ステージ上へと向かった。
卒業証書を日向から受け取ると、俺は目の前の日向に向かって視線を上げる。
「それ、取れよ」
「へ? じゃあ……」
俺に言われて、日向は変装道具を取り外す。
それを見届けた俺は、すぐさま声をあげる。
「日向秀樹ッ!」
「ッ!?」
突然名前を呼ばれて驚いた様子を見せていた日向だったが、状況を理解して、「はいっ!」と慌てて返事を返していた。
そんな日向に、俺はそっと卒業証書を差し出す。
「な、何だよ……参ったな……」
俺から差し出された卒業証書を見落として、日向が照れ臭そうに笑う。
「……ありがとな」
「こちらこそ。 すげえ世話になった」
そして、俺は日向と握手を交わす。
それは強い握手だった。俺と日向の、男と男の友情の証だった。
この世界に来て間もない俺に、色々と教えてくれた日向。こいつのムードメーカーらしさに、俺はどれ程救われただろうか。
それはこの握手だけで、十分過ぎる程感じ取れるものだった。
全員に卒業証書が授与されると、今度は答辞に移り変わる。全員が椅子に座り、静寂の時の中でじっと身を委ね続ける。
そして、俺は戦線マークが描かれた垂れ幕を見詰めると、意を決して、声をあげた。
「卒業生代表、答辞ッ!」
そう言って、俺は一人だけ椅子から腰を上げる。静まった空気の下、皆の視線が俺に集まる。俺は声を通すために、一旦咳払いをし、喉を整えてから口を開く。
「振り返ると、色んな事がありました―――」
俺は頭の中に書かれた答辞の句を、読み始める。
「この学校で初めて出会ったのは、仲村ゆりさんでした。 いきなり、『死んだのよ』と説明されました」
それが、全ての始まりだった。俺の、この世界での日常の始まり。
目覚めた俺の目の前に、真っ先に現れた、銃を構えた一人の女の子。
「そして、この死後の世界に残っている人たちは、皆一様に、自分が生きてきた人生を受け入れられず、神に抗っている事を知りました。 わたしも、その一員として加わりました」
武器を手に戦う者たち。
そして、その輪の中に加わった自分。
始まった、非日常の毎日。
「しかし、わたしは失っていた記憶を取り戻す事により、自分の人生を受け入れる事が出来ました」
戦いの最中で出会った沙耶とパートナーを組み、色々な事があって、戦いも何度もあった。
その中を潜り抜け、取り戻した自分の記憶。
「それは……かけがえのない想いでした」
報われた人生、自分の叶えたかったと言う想いが満たされていた記憶。それらを知る事が出来た。
「それをみんなにも、感じてほしいと思い始めました。 ずっと抗ってきた彼らです。 それは大変、難しい事です……でも、彼らは助け合う事、信じ合う事が出来たんです」
俺は彼らの姿を、この目でずっと見てきた。
仲間と共に過ごし、戦い、信じ合ってきた姿を。
確かに抗うばかりの、戦いの日々だった。でもその過程で、彼らの間には既にかけがえのないものが生まれていたのだ。
「仲村ゆりさんを中心にして出来上がった戦線は、そんな人たちの集まりになっていたんです。 その力を勇気に、みんなは、受け入れ始めました……」
そしてその過程で培われてきた力が、みんなの背中を強く押していった。
みんなの足を、前に進ませるために。
「みんな、最後は前を見て、立ち去っていきました……」
そうして、みんなは無事に前に向かって立ち去る事が出来た。
後は―――俺たちだけ。
「ここに残る六名も、今日を以て卒業します。 一緒に過ごした仲間の顔は忘れてしまっても、この魂に刻み合った記憶は忘れません……」
俺たちはこの世界から卒業していく。
それは、みんなとの別れでもある。
だけど、それは決して悲しい事ではないはずだ。
正直、身体の奥底からこみ上げてくるものがあるかもしれない。
でも、俺は必ず信じる。そして断言する。
この世界で過ごした日々は、魂に刻まれ、決して忘れる事は無いと言う事を。
この世界で過ごした俺たちの日々は、確かに現実のものだったのだから。
「みんなと過ごせて、本当に良かったです……ありがとうございました……ッ」
俺は頭を下げ、そして顔を上げる。
最後まで、俺は卒業生代表としてしっかりと言わなければいけないから。
「―――卒業生代表、音無結弦ッ!」
俺の答辞が締めくくられる。静まった空気から、皆の拍手の音が鳴り始めた。
「……全員、起立!」
ガタ、と音を立てて、全員が椅子から腰を上げる。
「仰げば尊し、斉唱ッ!」
皆の息を吸い込む音が、一斉に聞こえる。
そして、卒業の曲が、静まった体育館に大きく響くように、紡がれた。
途中で直井や日向が早いだの遅いだのと揉め出し、ぐだぐだな感じにもなったが、それはそれで俺たちらしい所だった。
だから、構わずに俺たちは歌を歌う。再び斉唱を始め、卒業の気分を共有し合う。
歌い終わると、奏やゆりがくすくすと笑い出す。
当人の直井は照れ臭そうにそっぽを向き、日向も吹き出すように笑い、俺も沙耶と顔を見合わせて、つられるように笑い始める。
そうして、俺たちの笑い声が体育館に響いていた。笑い合う仲間たち。最後まで俺たちらしくて、本当に可笑しかった。
「―――閉式の辞。 これを以て、死んだ世界戦線卒業式を閉式と致します。 卒業生、退場ッ!」
そして俺の言葉によって、卒業式は無事に閉幕した。しかし、卒業式のステージを前に立った俺たちは、誰一人として体育館から出る事もなく、束の間の静寂が続く事になった。