Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
俺たち六人の卒業式は無事に閉幕した。証書の授与、答辞、斉唱……卒業までの道筋を辿り終えた卒業生が次に進む先は、この場からの“退場”だ。
束の間の静寂が続いた後、直井が相変わらない「ふん」と鼻で笑うと、一人前へ出た。
「女の泣き顔なんて見たくない。 先に行く」
帽子の鍔を掴み、目を隠した直井が俺の前に歩み寄る。そして俺の目の前に立ち止まると、直井はゆっくりとその手に掴んだ帽子を取った。
俺の前に顔を出した直井の表情は―――泣いていた。
「………ッ」
目に涙を溜めて、ぼろぼろと零し、いつも笑っていた鼻をすすらせる。
「……お前が泣いてんじゃねえかよ」
それを見た日向が、軽く笑うようにして言った。
しかし直井はいつものように日向に対して罵声を浴びせる事もなく、ただその感情のままに、素直に涙を零しながら俺の方を見据えたままだった。
「……音無さん」
直井が、震える声で口を開く。
「音無さんに……ッ、出会えてなかったら……僕は、……ッずっと報われなくて……でも、僕は……ッ!」
涙を零し、震えながらも語る直井の言葉を、俺は黙って聞いていた。ほとんど霞みがかっていったけど、その想いは確かに俺のもとに伝わってきた。
袖で涙に濡れた目元を拭い、真っ直ぐな瞳を向けて直井は言う。
「……もう迷いません。 ありがとうございました……ッ!」
そう言って、直井は目に涙を浮かばせながら頭を下げた。
俺は直井に対して特別な事をしたとは思っていない。
直井は直井なりに、この世界で長く過ごしてきたのだ。奏と同じように、生徒会役員として学園生活に溶け込みながらも、消えずに留まり続けたのは、直井自身の想いがあってこそだ。
そしてここまでやって来れたのも、直井自身。
俺はお礼を言われるような事はしていない。
でも、俺はただ、直井の言葉を受け止めた。
「ああ……もう、行け……」
頑張ってきただろう、直井の頭を出来るだけ優しく撫でて、肩をぽんぽんと叩いてやりながら俺は言った。
そして―――直井は微かに口元に笑みを浮かべた。
「……ありがとう、ございます……ッ」
最後に言葉を紡いでから、直井は涙の雫を残して、そのまま俺たちの前から立ち去っていった。
遂にこの六人から、一人目が卒業していった。
直井がいた場所を見詰めたまま、日向のぽつりと漏れた言葉を聞く。
「行ったか……」
直井とよく衝突したり、罵られたりした日向だが、立ち去っていった直井を優しく見送っていた。そして「さて…」と呟きながら、今度は俺たちに視線を向ける。
「次は誰が泣く番だ?」
「泣きなんてしないわよ」
それに応えたのは、ゆりだった。
ゆりはふぅ、と小さい溜息を吐くと、隣に立つ奏の方に振り返った。
「かなでちゃん」
「……?」
ゆりに呼ばれた奏が、ゆりと正面を向き合う。
「……争ってばかりで、ごめんね」
「……………」
ゆりはそう呟きながら、奏の方にゆっくりと歩み寄っていく。
「どうしてもっと早く友達になれなかったのかな……本当に、ごめんね……」
「ううん……」
誤解が誤解を呼び、それが積み重なり、長く敵対してきた二人。
それが今、完全に解かれた瞬間だった。申し訳なさそうに言うゆり、ゆりの謝罪に首を横に振る奏。そして、そんな奏の肩にそっと手を乗せて優しく微笑みかけるゆり。
「あたしね、長女でね……やんちゃな妹や弟を、親代わりに面倒見てきたから……かなでちゃんに色んな事、教えられたんだよ……」
そう言葉を呟きながら、奏に向けるゆりの瞳。
それは仲間たちを率いるリーダーと言うよりは、妹や弟たちの面倒に身を焼く優しいお姉さんのようだった。
世間知らずの奏に、色々な事を教えるゆり。
時に笑い合い、時に茶化し合う、二人の姿。
そんな光景が、俺の脳裏に浮かんだ―――
「かなでちゃん、世間知らずっぽいから……余計に心配なんだよ……」
ゆりの瞳が、揺れる。
「色んな事、出来たのにね……色んな事して、遊べたのにね……もっと、もっと、時間があったら良いのにね……」
徐々に言葉を震わせ、目を伏せるゆり。
そして奏の目の前で、顔を上げたゆりの瞳には、うっすらと涙が溜まっていた。ゆりの瞳が、まるで水面のように揺れている。
「もう……お別れ、だね……」
最後に、ゆりは瞳を揺らしながら言葉を紡いだ。
そして奏も、「うん……」と、小さく言葉を返していた。
ゆりの揺れる瞳を、共感しているような表情で。
「……ッ」
奏の肩に手をかけていたゆりは、ぐっと奏の肩を掴むと、そのままぐい、と奏の身体を自分に引き寄せた。ゆりに突然抱き締められた奏は、少し驚いたような反応を見せたが、すぐにゆりの背中にそっと手をかけて、互いに温もりを感じ合うように抱き締め合った。
奏を抱き締めたゆりが、奏の耳越しにそっとお別れの言葉を囁く。
「……さよなら、かなでちゃん……ッ」
「うん……ッ」
少しの間だけ、二人は互いに別れを惜しむように抱き締め合った。
そしてどちらからともなく、二人の身体がゆっくりと離れる。
「……じゃあねッ!」
奏から離れ、俺たちの方に振り返ったゆりの表情は、既にどこかふっ切れた様子だった。
「……ああ。 ありがとな、ゆり……色々世話になりまくった」
俺たちの前から立ち去ろうとするゆりに、俺はゆりへの最後の言葉を投げる。
「リーダー、お疲れさん…!」
日向も、ぴっと手を差して言った。
「ゆりっぺさん、今までありがとう。 さようなら……」
沙耶も、微笑んでゆりに別れの言葉を捧げた。
ゆりは俺たちの言葉を受け止めて、うん、と頷いた。
「―――じゃ、またどこかで…ッ!」
そして―――ゆりも、俺たちの前から、この世界から旅立って行った。
奏のそばに、ゆりの姿はない。
立ち去っていったゆりを見届けると、日向はあげた手を下ろして、俺の方に振り返りながら言う。
「……次は俺だな。 順番的に言って」
「ああ、俺でも良いぜ?」
「何言ってるのよ、音無くん。 立華さんを置いて先に行くつもり?」
「沙耶……」
「その通りだ、音無。 俺が行くって」
「……そうか」
「ああ、俺が行くよ」
そう言って、日向は気の優しい笑みを浮かべ、俺の方に顔を向ける。
「……今までありがとな。 お前がいなくちゃ何も始まらなかったし、こんな終わり方もなかった。 感謝してる」
「たまたまだよ。 よく考えたら俺、ここに来る事はなかったんだよ」
「どういう事だ……?」
俺の言葉に、日向が疑問を浮かべる。
「俺はちゃんと最期には報われた人生をおくっていたんだ。 その記憶が閉ざされていたから、この世界に迷い込んで来た」
初音と言う生きがいを失い、新たな生きがいを持って生きた俺の人生。誰かのためにこの身を捧げたい。誰かの役に立ちたい。俺の身体は、最期には俺の願いを全うした。俺の人生は、閉ざされていただけで、本当はしっかりと報われていたのだ。
「それを思い出したから、報われた人生の気持ちをこの世界で知る事が出来た」
「そうだったのか……」
俺の告白に、日向が驚きの様子を見せる。
「本当に特別な存在だったんだな、お前……」
「……だからみんなの力になれたのも、そういうたまたまのおかげなんだよ」
「……そっか」
日向はフッと微笑むと、次の言葉を紡いだ。
「まぁ、長話も何だ。 ……じゃ、行くわ」
日向も、この世界から旅立つ一歩を踏み出す。
「ああ。 会えたら、ユイにもよろしく」
「おう、運は残しまくってあるはずだからな。 使いまくってくるぜぇ」
そう言って、日向はぐっと親指を立てる。
最後まで自分らしい日向に、俺は思わず笑みを漏らした。
一瞬、日向は惜しむような、寂しそうな表情を浮かべたが、すぐに「おっし!」と声をあげて普段の色に戻る。
そして俺の方に歩み寄り、互いに手のひらを叩き合った。
「―――じゃあな、親友…ッ!」
最後にぱぁん、と手を叩き合う。
そしてそのまま―――日向は俺たちの卒業式から退場した。
俺の前に空白が生まれ、それはやがて空気と同化する。
そこにはもう、誰もいなかった。
「……………」
俺は、自然と沙耶の方に視線が行った。そして沙耶も、俺の方に視線を向けていた。
俺と沙耶の視線が絡み合う。
シンと静まった体育館で、束の間の静寂が続いた。
「……ふふ」
ふわりと、空気が和らいだ。
まるで肩の荷が降りたように。
「次はあたし……と、言いたい所だけど、あたしはちょっと用があるから他の所に行くわ。 後は、適当にこの世界から出るつもりだから」
そう言って、沙耶は踵を返して俺に背を向ける。
華麗に流れる、金髪。
彼女の動きはいつも機敏で、美しい。
そのまま駆け出してしまいそうだった沙耶の背中を、俺は呼び止めていた。
「―――沙耶ッ!」
「…ッ?」
きゅっと、靴の擦れる音と共に立ち止まる沙耶。
振り返った沙耶に、俺は言葉を投げる。
「……沙耶にも、今まで本当に世話になった。 色々とありがとな、沙耶」
「……………」
沙耶は目を見開いて俺の方を見ていたが、その口元をふっと柔らかく緩ませた。
「あたしこそ、音無くんには色々と助けられたわ。 本当に、ありがとう」
沙耶は素直にそう言い、そしてにっこりと笑った。
―――あたしのことは、沙耶でいいわ―――
―――いい? 音無くん。 銃を持つということは、いつ敵に撃たれても良い覚悟を持ったということなの。 自分の身は自分で守る。 これ、世界の常識ね。 他人にすがって守られるような弱虫は弱肉強食の世界では生き残れないわ!―――
強い思いを持った沙耶。
―――ふふ……滑稽でしょ? 最後の最後でこんなしょぼくて低能なトラップに引っ掛かるなんて……おかしいでしょ? 滑稽でしょ? 笑いたければ笑いなさいよ、あーはっはっはって!―――
たまにドジな所を見せたり、自虐したりする沙耶。
―――まったく、相変わらず馬鹿ばっかね……―――
仲間を意識するようになった沙耶。
―――だって……あたしたちを守るために傷ついた立華さん一人を、放っておけるわけがないでしょ……?―――
戦い、そして優しさを見せる沙耶。
―――これが最後の戦いになるかもしれない。 あたしのパートナーとして、ちゃんと最後まで戦い抜くと約束しなさい―――
背中を預ける相棒。俺のパートナーだった沙耶。
俺は、きっと忘れない。
沙耶と言う娘を。沙耶と過ごした日々を。
沙耶は髪を翻し、背を向ける。掲げられた手が、無言に別れを告げていた。
いや、別れではない。
俺たちは信じている。またどこかで、再び巡り会える事を。
この世界に来てから大半、沙耶のパートナーとして過ごした日々。
そんな俺のパートナーは、体育館から出て行った。
残ったのは、俺と奏の二人だけだった。
「ええと……どうだった、卒業式。 楽しかったか……?」
二人しかいない空気が何だか小恥ずかしくて、最初に言葉を濁らせつつも、俺は奏に問いかけた。
「うん。 凄く……」
だが、奏は正直にそう言ってくれた。
その表情に、嘘偽りは勿論見られない。
「……でも、最後は寂しいのね」
少しだけ寂しそうな表情を浮かべて、奏は言った。
確かに、今までの奴らが先にいなくなって、残っているのは俺たちだけだ。
奏がそう感じるのも仕方がない。むしろその通りだった。
でも―――
「でも、旅立ちだぜ? みんな、新しい人生に旅立って行ったんだ」
それは決して、悲しい事ではない。
「良い事だろ?」
奏の方に歩み寄りながら、俺は言う。
「……そうね」
奏も微かに笑みを浮かべて、頷いてくれた。
そう、旅立ちだ。
俺たちはこの世界から、新たな人生へ旅立つ一歩を踏み出す。
みんながそうしていったように、俺や奏も、沙耶も、これから後に続いて行くのだ。
でも―――
「……?」
ふと過ぎらせた横顔に、奏は首を傾げていたが、俺はそんな奏にある提案を口にする。
「……あのさ、外に出ねえ? ちょっと、風に当たりたいなと思って……」
「……?」
奏は俺の言葉に、微かに疑問を抱いたが、すぐにうん、と頷いてくれた。
そして俺は、奏と一緒に外に出る。既に、外は夕日に染まっていた。そろそろ日が落ちる。この世界での一日が、終盤に差し掛かろうとしている。
夕日はさよならの合図。だが、俺はまださよならをする気にはなれなかった。俺はこの抱く想いを奏に伝えるために、夕日に染まる空の下を歩いた。