Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.78 Angel Beats

 夕日に染まり行く空の下で、俺はグラウンドを見渡せる階段の上に立っていた。グラウンドからは、NPCの部活動に励む声が聞こえる。あの騒ぎがまるで嘘のように、すっかり元通りに修正された光景、その世界の在り様を見詰めていた俺は、意を決して、後ろにいる奏に向けて口を開く。

 「あのさ、奏……」

 振り返ると、奏は真っ直ぐに俺の方を見詰めていた。

 俺はこの想いを口に出して良いか一瞬戸惑ってしまったが、俺の言葉を静かに待つ奏を見て、言葉を繋げる。

 「……ここに、残らないか?」

 「え……?」

 さすがに奏も驚いて声をあげる。

 「何か……急に思いついちまった。 だってさ、またゆりや日向たちみたいに、報われない人生をおくって、ここに来てしまう奴がいるって事じゃないか?」

 「そうね……」

 この世界は死後の世界だ。報われない人生をおくった奴が訪れる世界。そんな奴らが、またこの世界に来てしまったら、ゆりたちのように、この世界に反発する者が現れるかもしれない。

 「そいつら、またゆりたちのようにここに居ついちまうかもしれない。 ここにずっといてさ……苦しんで、生きる事に抗い続けてしまうかもしれない」

 「そうね……」

 「でもさ…ッ! 俺たちが残っていれば、今回のように、そいつらにも生きる事の良さを伝えてさ……この世界から卒業させてやる事も出来る。 そう言う役目のために、俺はここに来たのかもしれない……」

 それは俺がここに迷い込んでしまった理由かもしれない。

 もし神様なんてのがいるとしたら―――

 こんな茶番劇のような繰り返しを、どこかで寸断させたいと思って、俺みたいな奴にその役目を任せるために、この世界に呼んだのだとしたら―――

 それなら、俺は甘んじて受け入れるべきではないだろうか。

 それは、あくまで俺の、一方的な思い違いだ。

 勝手に俺がそう思い込んでいるに過ぎない。

 「……だからさ、一緒に残らないか? 奏がいてくれたらさ……俺は、こんな世界でも、寂しくないからさ……」

 奏さえ居れば、俺はこんな世界でもずっと過ごす事が出来る。

 何故なら、俺は奏の事が―――

 「前にも言ったかもしれない。 俺はお前と一緒にいたい。 これから先も、居続けたい……」

 風に揺れた髪をなおした奏が、一つずつ段を降りて来る。

 少しだけ寂しげな奏の横顔に向けて、俺は言い続ける。

 「だって俺は……奏の事が……」

 俺の目の前で、奏が立ち止まる。

 「こんなにも……ッ」

 夕焼けに染まる奏に、俺は、想いを告げる。

 「好きだから……ッ!」

 その言葉を、想いを告げた瞬間。

 俺は咄嗟に、目の前にいた奏の身体を引き寄せていた。

 奏が愛しくて、堪らなくて、想いを言葉に変えた瞬間、俺の奏に対する想いは限界を知らないままに大きくなっていった。

 抱き寄せると、すっぽりと収まってしまった奏の小さな身体に、俺は身を寄せる。

 「好きだ……ッ」

 奏のそばで、俺はもう一度、自分の想いを告げる。

 奏の身体は、少し力を入れれば簡単に折れてしまうのではないかと思うほどに細く、小さかった。

 こんな華奢な身体で、この世界で一人で頑張ってきた奏。

 俺は何時しか、奏の事が、こんなにも愛しくなっていた。

 その想いは俺の中でどんどん大きくなっていたが、その想いを解放した瞬間、それは更に大きくなった。

 だが、奏は何も言わない―――

 「……どうして、何も言ってくれないんだ?」

 俺の言葉に、奏はぽつりと、苦しげに漏らす。

 「言いたくない……ッ」

 「どうして……」

 顔を上げた奏が、そっと呟くように言葉を紡ぐ。

 「今の想いを伝えてしまったら……私は、消えてしまうから……」

 その奏の言葉が理解できなくて。

 「どうして……」

 俺はまた、そう聞いていた。

 そして、奏は――――言う。

 「だって私は……『ありがとう』をあなたに言いに来たのだから……」

 「どういう、こと、だよ……」

 まだ、奏の言葉の意味が、はっきりと理解できない。

 奏は何を言いたいのか。

 奏はどんな想いを抱いているのか。

 俺は知りたかった。

 「私は……あなたの心臓で、生き永らえる事が出来た女の子だもの」

 「―――ッ!!」

 俺はまるで、ハンマーのような衝撃に打たれた。奏の言葉に生じた俺への衝撃が、それ程大きなものだったから。

 俺の胸に手を当てた奏が、そっと俺の身体から離れていく。

 「今の私の胸の中では、あなたの心臓が鼓動を打っている……ただ一つの私の不幸は、私に青春をくれた恩人に、『ありがとう』を言えなかった事……それを言いたくて、それだけが心残りで、この世界に迷い込んだの」

 「そんな……ッ」

 奏の告白に、俺は言葉が出なかった。

 そして、やっとの思いで、俺の口から絞り出されるように言葉が出る。

 「でも……どうして、俺だとわかった……ッ?」

 「最初の一刺しで気付けた……」

 俺は、初めて奏と出会った時の事を思い出す。

 何も知らなかった俺は奏に、死んでいる事を証明してくれと言った。その俺の言葉に答えるために、奏は俺の心臓を刺した。

 いや、俺の心臓は―――

 「あなたには、心臓がなかった―――」

 「……ッ!」

 俺は思わず、自分の胸に手を当てる。

 その手からは、鼓動は―――

 「でも、それだけじゃ……ッ!」

 「……あなたが記憶を取り戻せたのは、私の胸の上で夢を見たから。 自分の鼓動を聴き続けていたから……」

 眠る俺の耳に入ってきた、鼓動。

 それは奏の鼓動―――

 それは、俺の鼓動―――

 「―――ッ!」

 胸が締め付けられるような思いだった。だが、俺の胸は、空っぽだった。

 「……結弦。 お願い―――」

 奏が、俺の方に振り返りながら口を開く。

 奏の、願い―――

 それは―――

 「―――さっきの言葉、もう一度言って?」

 それは、俺を大きく揺さぶった。

 「……ッ! そんな……嫌だ……奏が……消えて、しまう……ッ!」

 奏が、俺の前から消える―――

 それは想像もしたくない、未来(げんじつ)。

 「……結弦、お願い」

 奏は、今まで見た事もない表情で、切にその言葉を噛み締める。

 「そんな事……出来ない……ッ!」

 「結弦……ッ!」

 「……ッ!」

 奏の声に、俺は押されていく自分を自覚する。

 駄目だ、負けるな俺。

 ここで押し切られたら、奏と、目の前にいる愛する人と、二度と会えなくなってしまう―――

 だが、俺は何も言えない。

 何も、出来ない。

 してやれない。

 今の俺は、奏の言葉を聞く事しか出来ない。

 「あなたが信じてきた事を、私にも信じさせて……ッ!」

 俺は、奏の事が―――

 奏が―――

 「生きる事は、素晴らしいんだって……」

 奏は、俺の信じてきた事を信じてくれた。

 だから一緒にいてくれた。そして、協力してみんなに人生の有難みを教えてやる事が出来た。

 目の前にいる、自分の愛する人は、自分を信じてくれた。

 なら、俺は何をすれば良い―――?

 自分の信じてきたものを信じてくれた彼女を、俺自身が信じさせてやる事だ―――

 「……結弦」

 逃げられない。

 逃げてはいけない。

 愛しているからこそ、俺はこの言葉を奏に伝えるだけだ。

 「……かな、で……愛してる……ずっと一緒にいよう……ッ!」

 「……うんッ」

 愛する人を抱き締め、俺は想いを丈を繰り返す。

 「ありがとう、結弦……」

 「ずっと、ずっと一緒にいよう……ッ!」

 「……うん、ありがとう」

 「愛してる、奏……ッ!」

 俺は強く、ぎゅっと奏を抱き締める。

 奏も、俺をそっと抱き締めてくれる。

 「うん……凄くありがとう……」

 「奏、ぇ……ッッ!!」

 奏の優しげな言葉が、その声色が、俺の中に優しく染み込んでくる。

 こみ上げてくる想いを止められず、俺は想いを繰り返し伝え、瞳からは涙がぼろぼろと零れていく。

 奏の温もりが、心地良かった。

 奏の声が、優しかった。

 奏の身体が、暖かった。

 奏の想いが、愛しかった。

 「愛してくれて……ありがとう……」

 いつ、抱き締める奏の身が消えてしまわないか不安で、俺は泣きながら声をあげてしまう。

 「消えないでくれ……ッ! 奏……かなでぇ……ッ!!」

 「命をくれて―――」

 奏が、紡ぐ―――

 「本当に、ありがとう……」

 そして―――

 

 

 抱き締めていた奏の身体が、俺の中から消えてしまった。

 

 

 「あ……ッッ!!」

 

 前のめりに倒れ、俺は奏の姿を捜し求めるように、足掻くように手を回す。だが、その手は何も掴む事はなかった。

 空回りする手が、俺に現実を突きつけていた。

 奏はいないと言う現実を。

 奏は、この世界から旅立ったと言う事を。

 「う、うう……ッッ」

 俺は思い知らされる事になった。

 それが、とても切なくて。

 奏の温もりを確かめたいがために、俺は自分の身体を抱くようにして震える。さっきまで俺の身に抱き寄せられていた奏の姿はもう無い。後に残るのは、想いの残滓と、膨らんだ俺の想いの叫び―――

 「―――奏ぇぇぇぇぇッッッッ!!!!」

 俺の想いの絶叫が、慟哭が夕焼けに染まった空に天高く響き渡る。しかし、そんな俺の叫びを聞く者は誰もいない。俺の慟哭は、奏が昇っていった空に向かって消えていくだけだった。

 奏が旅立ち、一人残された俺は、地面に額を擦りつけながら泣いた。

 「奏……かなでぇぇ……ッ」

 俺は、もう一つ、信じていた事があった。

 奏と一緒なら、この世界でもずっとやっていけると思っていた。

 奏はそれを否定してくれた。だが、その方が良かったのかもしれない。もしあの時、奏が頷いてくれたら、俺は本当にこの世界にずっと居続けただろう―――

 だが、それはきっと違うんだ。

 この世界は人生の尊さを知り、満足して卒業していく場所なのだ。なのにずっと居続けてしまっては、この世界の意味が変わってしまう。

 恋愛感情を持ち、この世界に居続ければ、ここは楽園と化すだろう。

 だが、この世界はそう言う場ではない。

 ここは卒業する場所。それは俺自身がみんなに教えたばかりではないか。

 みんなは、どうだった―――?

 この世界から、どんな気持ちで、どんな想いで卒業していった?

 戦線のみんな、日向や直井、ゆり、沙耶。そして、奏。みんなは満足して、この世界から卒業していった。

 では、俺に聞こう。

 なあ、俺。

 お前は、満足したか?

 この世界に居て、みんなと過ごして、自分の人生に満足できたか?

 満足するも何も、俺は元々ここに来る前から自分の人生に満足していた。

 そう、俺は既に満足していた。

 自分の人生が報われていた事を一番に知ったのは、俺自身だっただろう?

 満足した―――

 では、みんなは何故逝った?

 それは―――

 

 満足したからだ。

 

 「ああ、そうか……」

 俺は立ち上がり、夕焼けに染まるグラウンドに視線を向けた。グラウンドには、部活動に励むNPCの姿が見える。

 満足したから、みんなは旅立った。

 そして―――奏も。

 奏も俺に『ありがとう』を伝え、自分の願いを叶える事が出来たから、この世界から卒業していった。

 では俺も―――奏の後に続いて逝くべきなのだ。

 

 ―――あなたが信じてきた事を、私にも信じさせて―――

 

 奏は、俺を信じて、満足して卒業した。

 その俺が、卒業もしないでこの世界に居続けてどうする?

 こんな姿の俺を見たら、奏はどう思う。奏だけではなく、ゆりや日向たちが見たら?

 沙耶に見られたら、俺は確実に殺されるだろう。

 いや、殺される価値もないかもしれない。きっと、笑われる。

 こんな情けない俺では、俺を信じてくれたみんなを裏切る事になってしまう。

 「ああ、そうだな……」

 俺も、やっぱりここから旅立たなければいけないのだ。

 「奏、俺ももうすぐいくからな……また、お前のもとへ」

 そして俺は、奏が旅立った場に、一歩、踏み込んだ。

 先にいった奏を追いかけるように―――

 俺も、この世界から、卒業への道を歩み始めた―――

 


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