Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION― 作:伊東椋
―――♪、♪。
俺は、そのメロディを知っていた。
多くの人が賑わう街の中で、俺は人々の喧騒の中から、繊細に紡がれるメロディを聴いた。俺の耳は、どこかで聞いた事があるような、その曲を見事に拾い上げていたのだ。思わず立ち止まり、俺は曲の根源を捜す。行き交う人が多い中でも、それはすぐに見つかった。俺の後ろの方で、背を向けて歩く小柄な一人の女の子。俺はその娘の背中を見つけると、無意識に足を向けていた。ただ本能に従うままに、その娘の背中を追いかける。
そして、俺の伸ばした手が―――彼女の肩を掴んでいた。
「……?」
俺に肩を掴まれて、彼女はその真珠のような瞳を俺の方に振り返らせた。彼女の真珠のような瞳に、俺が水面に反射するように映し出される。俺を映した彼女の瞳が、瞬きをした。
「……………」
彼女はジッと俺の出方を待つように、俺を見据えている。彼女は俺の方を見上げる程に小柄で、しかしその陶器のような白い肌に、頭に被った小さな帽子の下に見せた端正な顔立ちは美少女の域に十分過ぎた。それらの彼女の容姿のせいか、俺は自分の心臓が大きく鼓動を打っている事を自覚した。
「……ッ」
ドクン、ドクンと鼓動を打つ自分の胸を抑えるのに精一杯だったが、自分の方から声を掛けてしまった立場上、自分から口を開かなければならない。しかし、何を言えば良いのか正直わからなかったのも事実だった。ただ無意識に、身体が勝手に彼女を求めてしまった。
彼女は俺が何も言わないのをさすがに怪訝に思っているのか、首を傾げている。
そして、遂に俺より先に彼女が口を開いた。
「……あなたは、誰?」
彼女はそう聞いてきた。それもそうだ。俺と彼女は初対面のはずなのだから、見ず知らずの俺に名前を問うのは当然の事だ。
「……えっと、俺……音無、結弦って言うんだ……」
変に緊張してしまったが、何とか彼女の問いに応えるように言葉を紡ぐ。
「そう、何か用……?」
「そのだな、大した用でもないんだが……俺たち、どこかで会った事ないか?」
何を言えばわからなかったとつい先程までぼやいていた俺が、やっと出た言葉がそれだった。初対面の相手にその質問は的外れにも程がある。と言うよりは、これは明らかにナンパと言う行為に該当するのではないだろうか。
俺はそんな趣味は毛頭ないのだが、端から見ればそれ以外の何物にも見えないだろう。しかし、俺は彼女と初めて出会った時、いや、初めて目にした時から、初対面とは―――思えない何かがあった。
クサいナンパ野郎が使いそうな台詞だが、それもまた俺の正直な思いだった。彼女とは、どこかで会った事がある。それは本当にそう思っていた。
だが―――彼女もまた、俺のそんな阿保みたいな質問に対して、真剣に思い出そうと思案する色を見せていた。
必死に思い出そうとするが―――諦めたように、彼女は首を横に振った。
「……ないわ」
「そっか……」
だよな、と俺は苦笑する。と同時に、落胆している自分が居た。俺はどんな答えを彼女に期待していたのだろうか。もしかしたら、頷いてくれる事を望んでいたのかもしれない。
「でも……」
「?」
彼女は、そっと胸に手を当てて、呟いた。
「あなたに会えて、良かったと思う自分がいる……」
彼女は素直にそう言ってくれた。
「それは……つまり……」
「……あなたとはここで初めて会う。 それは間違いない……でも、何故かあなたと出会えて嬉しい……」
「……………」
それは、俺にとっても同意と嬉しさが混在するかのような言葉だった。
俺たちは、どこかでお互いを既に知っているような気がした。
人通りの多い雑踏の中、二人の男女が黙り合って、微かに頬を赤くする。俺たち二人の光景が、ナンパから初々しいカップルのような光景にランクアップしたようにも思える。実際、俺たちは互いに照れるように、何も言えなかった。
だが、互いに胸の中の何かを探り合っていたと思う。それは思い出そうとしても、決して思い出せないもの。それは記憶と言う、概念とは異なるもののようにも感じられた。もっと奥に、深い所に刻まれているような。それを探り、掴む事は、何故か叶わない。
俺はそれを二人で一緒に探ろうとするように、彼女に向かって言葉を投げようとした。だが、それもまた叶わなかった。何故なら、二人の空間に突如乱入する者が現れたから―――
「かなでちゃん、待ったぁぁぁ~~~?? ―――って、誰その人?」
ものすごい勢いで小動物を撫で回すような声が、俺たちの間に割って入った。俺が視線を向けた先には、彼女とはまた正反対の印象を持った女の子がいた。カチューシャにリボンを付けた、大人しい彼女とは対照的に凛々しく、活発そうな外見のその娘は、不思議なものを見るような目で俺を見ていた。
「……………」
だが、その目は徐々に汚いものを見るようなジト目に変わった。下から上まで、舐め回すようにじろじろと見詰める少女。
「……かなでちゃん、知り合い?」
少女が彼女に問う。少女の問いに対し、彼女は一瞬何て答えれば良いかわからないような表情を見せたが、素直に少女に向かって言葉を紡いだ。
「……知り合い、と言うわけではないけれど」
「て事は、まさかナンパッ!?」
「い、いや俺は……」
俺は否定しようとするが、実際今までの自分の行動を思い返すと、そうとしか見えないだろう。だからそれ以上の言葉が出なかった。
俺の反応を見て、少女の視線が更に細められるのがわかった。
「あんた、かなでちゃんに変な事してないでしょうねッ?! そんな事したら、あたしが絶対に許さないけどねッ!!」
物凄い迫力で、少女は俺に言葉をぶつける。少女は圧倒される俺を横目に流すと、大股で彼女のそばまでずかずかと近付いた。
「かなでちゃん、無事ッ? あの男に、変な事されてないでしょうね……ッ」
「うん、私は平気よ……」
「本当に? かなでちゃん」
「うん、だから心配しないで……ゆり……」
彼女が優しい微笑みを見せ、ゆりと呼ばれた少女が安堵するような表情を見せる。俺から見ても、その二人が本当に仲の良い友人同士に見えた。
「それに……彼は私の知り合いよ」
彼女の言葉に、俺だけでなく少女もきょとんとなる。
「へ? だってさっき、知り合いじゃないって……」
「うん……でも、今はこうして知り合ったから、もう知り合いでしょ?」
彼女はその瞳を俺の方に向けた。俺はその瞳に見られて、どきり、と胸を高鳴らせる。吸い込まれそうな瞳を向けられて、俺は一つの名前を頭に浮かび上がらせた。
―――奏―――
かなでと読んで、奏。
俺は、ゆりと呼ばれた少女が言っていた彼女の名前から、その名前を頭に浮かべた。
奏、と言う名前に、俺は特別な感情が泉から僅かに湧き出るのを感じた。
「奏……」
俺は噛みしめるように、ぽつりと、彼女の名前を呟いていた。
それは普段から呼んでいるように、とても自然に俺の口から出てきた。
そして彼女も―――
俺に名前を呼ばれて、嬉しそうに微笑んでいた。
「うん、結弦……」
それが、俺の彼女に対する気持ちを思い出させるのに十分なものとなった。
名前で呼び合っている俺たちの間で、ゆりと呼ばれた少女は不思議そうな顔で俺たちを見比べていた。
●
俺と奏は出会ってから、よく休日に二人で街に遊びに行ったりするようになった。
俺は人通りが多い街のある一角に一人立っていた。そこは奏と決めた待ち合わせの場所。そして、俺たちが出会った場所。
奏との過ごす時間は、俺の中にある“何か”を満たすのに十分なものになっていた。それが何なのか、俺にはわからない。そして俺と似たような“何か”を、奏も抱えているようだった。
しかし俺たちは、それが結局何であるかを知る事は出来ない。いや、別に知らなくても良いかもしれない。ただ、奏と居るだけで十分なのだ。それが奏と居る事で満たされる事を示すように、俺は奏と過ごす時間がとても大切のように思えるし、本当に楽しいと思えるのだ。
奏と出会った事で同時に知り合った、ゆりと言う、奏の親友。まるで奏を妹のように守り通すゆりの姿は、何故か俺には微笑ましかった。それが何だか、暖かいと言うか、ほっとするような感覚を俺に植え付けてくれた。その感覚が何であるかも、今の俺には知る由がない。
「奏、まだかな……」
俺は携帯を開け、表示されるデジタル時計を見た。待ち合わせの時間まで、あと一時間もあるのだが、奏と会うのを楽しみにしている自分が居る事に自覚していた。それは少し恥ずかしい気も与えたけど、同時に嬉しくもあった。
携帯に視線を落とした俺の視界の端で、さらりと流れた金髪が見えた―――
「さぁ、理樹くん。 次行くわよ、次ッ!」
「ええっ? あや、まだ取るつもりなの……?」
「当然よッ! まだまだ取り足りないわ……ッ!」
「ええ~……」
「あやはすごいな。 こんなにもあほみたいにぬいぐるみがあると言うのに」
「まるで、飲み会の二次会に行くようなノリだな……」
「へ、俺様の筋肉はどんな最果てまでも付いていけるぜ」
「……?」
ふと、俺はついその集団に視線を向けていた。その中心で、一人の金髪の少女が、様々な動物キャラクターの人形を詰め込んだ袋を胸に抱えているのが印象的だった。近くにあるゲームセンターから出てきたらしいその集団は、そのまま賑やかなまま、どこかへ行ってしまう。
そんな集団に視線を向けていた俺の袖を、不意にくい、と掴まれる感覚があった。
「……奏」
俺の袖を、羽毛のようなふわりとした力で掴んでいるのは奏だった。顔を上げる事で、小さな帽子に隠れていた奏の顔が露になる。
「……待った?」
「いや、全然待ってないさ」
袖に触れられる、小さな力。それがとても、愛しく感じた。
「……!」
俺はそんな奏の小さな手を握っていた。俺が手を握ると、奏が少し驚くように俺の方を見る。俺は気恥かしくて視線を逸らしたが、奏の方から、クスリと微笑を漏らす空気が伝わってきた。
「―――!」
きゅ、と、俺の手に握り返される力を感じた。俺は思わず視線を向けると、その下には奏の小さな手と俺の手が固く握り締められている光景が目に入った。
「……行こうか、奏」
「……うん」
俺は奏の握り締めた手を、そっと引くように導く。この手を離さないように、俺は奏の小さな手を握り締めた。ずっと離さない。誰の邪魔も入らない限り、そんな二人の空間は永遠のものとなり得た。奏の手を引きながら、俺は奏の事が気になって、奏の方を一瞥してみる。ほのかに頬を朱色に染めた奏は、天使のような顔を浮かべていた。
俺はそんな奏を見て、自分の心を確信した。
俺は既に、天使のような彼女に心を奪われているのだと言う事を―――
ご愛読ありがとうございました。