瑞鶴と加賀のお話しはじまるよー。
午前の日差しは、春だというのに窓から熱を伝えてくるほどに強いものだった。
私は翔鶴姉ぇに声をかけてから窓を開ける。
光に目を細める。春の香りに包まれた、桜散る鎮守府前の広場が目の前に広がった。
わぁ、と声が出る。
「ねぇ、今日からここで暮らすんだよね」
わたしの声は興奮を抑えられず、翔鶴姉ぇの微笑みを誘う。
「そうね。どうしたの瑞鶴?」
「だって、ずっと夢だったから」
艦娘『瑞鶴』として、翔鶴姉ぇと一緒に艦娘の養成所でずっと修練を積んできた。それが報われたんだ。
今日から、ここで、翔鶴姉ぇと一緒にこの国を――世界を深海棲艦から取り戻す。その一歩が、ここからだ。
心が弾む。
気持ちが高揚するのには他にも理由があるのだ。
「……何か言いたそうだね翔鶴姉ぇ」
「それだけじゃないんじゃないの?」
「……まぁ、そうだけど」
そうだ。わたしには会わなきゃいけない人がいるのだ。
「いってらっしゃい」
翔鶴姉ぇは分かってますよといった表情でわたしを促した。
「うん。行ってきます」
わたしは部屋を出て、目的の場所へ向かう。
鎮守府内にある空母専用の弓道場。
どこに行っても艦娘で騒がしい鎮守府内にあって、利用者が少ないためだろうか。それとも此処を使う人の気質が伝播しているのか。
ここは、とても静謐だ。
板張りの床に跪坐し、白い道義と青い袴を身に纏った女性は音も無く流れるような動作で射の形に入ると、頭の上から真っ直ぐに弓を下ろしながら弦を引く。
矢を放つまでの数秒が、わたしの中では永遠に思える。
彼女――加賀さんの姿は、射法八節を体現している。合理的で、洗練されていて、美しい。
弦が空気を裂く音とともに射が放たれ、真っ直ぐに標的を射抜いた。春の木漏れ日に照らされた迷いないその横顔を見て、わたしは誇らしい気持ちと、懐かしい気持ちがないまぜになって、少し泣きそうになってしまう。
弓を下ろし、残心を解く加賀さんが、ふ、と息をついてからわたしを見て少し驚いた表情をする。
「貴女は……」
そして、柔らかい笑みを向けてくれた。
「久しぶりね、瑞鶴」
加賀さんは涼やかに、凛とした声でわたしの名前を呼んだ。特別に心が弾む。
「はい。おひさしぶりです。加賀先生」
そう言ってわたしは、養成所時代の教師に敬礼をするのだった。
その日の午後、
「本日着任しました。翔鶴型航空母艦1番艦、翔鶴です」
「同じく2番艦、瑞鶴です」
わたしと翔鶴姉ぇは揃って提督に敬礼を行った。
「はいよろしくね。二人とも」
優しい声が返ってきた。
わたしたちが着任した鎮守府の提督は、女性提督だった。
肩まである黒髪をサイドで一本に編み込んだ髪型が特徴的だ。年は分からないが、わたしより――加賀さんよりも――年上に見える。それでも一般的な『提督』と比較して若いとは思うが。
わたしがそう思うのは、目の前の女性はイメージしていた提督像と大きく異なっているからだ。
提督と言えば、百戦錬磨の風格と威厳があり、ついでに髭なんかも生やしているとばっかり思ったが、目の前の提督はなんというか、おっとりしたお嬢様といった感じだ。
高級な別荘が立ち並ぶ避暑地に行けば、日傘をさして散歩をしている彼女と会えるような気さえする。
「どうしたの? あぁ。ひょっとしたら、私みたいなのが提督っておかしいって思ってる?」
「い、いえ」
「いいのいいの。みんなそう思うのは分かるわー。だってきっと瑞鶴がイメージする提督とあんまりにも違うでしょ?」
ズバリ言い当てられて、わたしは頬がひきつってしまいそうになるのをなんとか堪えた。
「ねぇ、私のこと、どう思った? 正直に言っていいのよ?」
にこにこと花が零れるような微笑みをわたしに向けて、提督が効いてくる。
「そうですね……」
わたしは正直に答えた。
「優しい、たぬきみたいだなって思いました」
「……たぬき?」
「はい。たぬき」
だって、提督の顔は少し垂れ目で、犬とか狐とか馬じゃなくて、狸顔だったから。
「ふふ!」
呆気にとられていた提督はぷふっと吹き出した。
「ず、瑞鶴!」
翔鶴姉ぇが顔を真っ赤にして怒りと恥ずかしさが混ざった顔でわたしのスカートの裾を引っ張った。
そこでわたしはとんでもなく失礼なことを言ってしまったことを認識し、最大速度で頭を下げた。
「ももも申し訳ありません!」
「妹が! 妹が大変失礼なことを!」
姉妹艦揃って90度の角度で頭を下げる。
「聞いたのは私なんだからそんなに謝らないで。それにしてもたぬきかー」
提督は机の上にある鏡を覗き込んでまた、ふふと笑った。
「じゃあ翔鶴、瑞鶴。明日から頑張りましょう。共に暁の水平線に勝利を刻むために」
提督に合わせて私たちも敬礼を行うと、退出の挨拶もそこそこに、転がるように廊下へと飛び出した。
「もう瑞鶴! 心臓止まるかと思ったわ!」
「ごめん翔鶴姉ぇ。でも提督があんなこと聞いてくるから」
「いくらなんでも動物に例えないでしょう?」
「だってぇ」
「だってじゃありません。私なんてあの場で2人とも解体命令が出るんじゃないかと思って気が気じゃなかったんだから」
「ごめんなさい」
「でも、提督がいい人そうで良かったわ」
「うん。それは良く分かった」
「あら瑞鶴も分かるの? 良くできた妹がいてわたしは嬉しいわ?」
翔鶴姉ぇは皮肉たっぷりの微笑みをわたしに向けてくる。
「本当に面目ない」
わたしはただただ姉に謝るしかない情けない妹に徹するしかないのだった。
わたしと翔鶴姉ぇが鎮守府に着任してから数週間。
演習も実戦も数をこなし、順調に空母としての実績を積んでいた。
わたしと瑞鶴姉ぇ、そして加賀さんは一定の距離を保ちつつ、水上を滑るように走る。
今日は、一航戦である加賀さんとわたしたち五航戦との合同演習だ。
目標は指定海域にある固定目標への攻撃である。
「私たち空母にとって最も大事なことは何かしら?」
唐突な加賀さんの問い。
「え、えっと、前に出すぎないことと、慢心しないこと?」
「30点ね」
「え~」
「翔鶴は分かる?」
「ええっと……」
翔鶴姉ぇは少し思案して、
「これ、ですか?」
肩に装備された飛行甲板に触った。
「そうね」
加賀さんは満足そうに頷いた。
「飛行甲板を破壊されないように立ち回ること。飛行甲板が壊れるまでどれだけダメージを喰らおうと『中波』じゃないわ」
「すごい理論ですね」
加賀さんは、意外にもとんでもない根性論を出してきた。
「瑞鶴、索敵機を飛ばして」
「了解してますよ、っと!」
わたしは矢を番え、少し力任せに弦を引きながら、矢を飛ばす。
放たれた矢は彩雲に姿を変え、高速で彼方へと飛んでいく。
「まだ少し甘いわ瑞鶴」
加賀さんは彩雲が飛び去った方角を見ながら言った。
「艦載機なんて誰が飛ばしても一緒じゃないですか?」
翔鶴姉ぇも頷いている。
「そうかしら」
しかし加賀さんは少し目を細めると、
「見てなさい」
静かに言いながら、ゆっくりと弓を引く。
「行きなさい」
加賀さんの弓から烈風改が放たれる。
それはわたしの矢とはっきり違った。
文字通り空気を引き裂いて、索敵機以上の速度で彼方へ矢のまま飛翔する。
「あ」
そして、視界の彼方で戦闘機の姿に変わって水平線の先へと消えていった。
「すごい……」
翔鶴姉ぇが呟いた。
「矢のまま飛ばせば敵にも気付かれづらいし、艦載機の稼働時間も増えるのよ」
「すごい、すごいです先生!」
「先生ではないでしょう? 今は同じ仲間なんだから。加賀でいいわ」
「あ、すみません。つい」
「練度が上がればこれくらいのこと、大したことではないわ」
貴女たちにだって、できるわ。
加賀さんの涼しい顔はそう言ってるように思えた。
「――あ。索敵機が目標を発見しました」
「了解。詳細を教えて」
「はい加賀さん!」
「翔鶴。第二次攻撃隊、発艦」
「わかりました」
こうして加賀さんとの演習は慌ただしくも確実にわたしたちの練度を上げてくれた。
――演習が終わった後、湯気が立ち上るお風呂の中で、わたしは翔鶴姉ぇと加賀さんに聞いてみた。
「そういえば、この鎮守府は空母用の装備がとても揃っていますね」
先ほど演習で使用した彩雲も烈風改もそうだが、養成所時代では教科書でしか見なかった最新鋭の装備が豊富にある。
艦載機を上手く飛ばせないのも、射ち慣れた零式艦戦や九九艦爆とは勝手が違う所為もあるのだ。たぶん。
「えぇ。提督が空母の装備を優先して配備してくれるから。助かるわ」
「へぇ。そうなんですか」
それにしても、あれだけ装備が揃っているのは本当に空母に対して期待が厚い提督なのだろう。
おっとりとした笑顔の提督が頭に浮かんだ。
「やっぱり、加賀さんたち一航戦の先輩たちが実績を作ったからですかね」
「さぁ、それは分からないけど」
加賀さんは視線を上に向けた。
「提督の期待に応えなければならないと思っているわ」
そう言って、加賀さんは肩まで湯船に浸かった。
提督、と呟いたその表情は、わたしが初めて見る、柔らかな表情だった。
「加賀さん?」
「どうしたの?」
「……いえ」
なんでもないです。と言葉を繋いだ。
「あの質問があるんですが」
と翔鶴姉ぇが手を上げた。
「何かしら、翔鶴」
まるで養成所時代を思わせる声音で加賀さんが言った。
「一航戦の、もう一人の先輩――赤城さんは今どちらにいらっしゃるんですか?」
「赤城さんは……今、別の場所にいるわ」
そう言って加賀さんは視線を落とした。
それはまるでそれ以上質問するなと言わんばかりだった。
「そうですか」
翔鶴姉ぇはそれだけ言って、黙ってしまう。
そのまま、無言の時間が流れる……
加賀さんも、翔鶴姉ぇも何を考えているかは分からなかったけど、わたしは少し驚いていた。
普段感情を表に出さないと思っていた加賀さんだけど、よく見たらたくさん表情を変えるんだなと、ぼんやり考えていた。
――それにしても、綺麗なひとだな……
凛とした佇まい、それでいて内に秘めた女らしさを感じる所作の全てがわたしの憧れで、もし加賀さんの隣にいつもいることができたのなら、わたしはどれだけ嬉しいことだろう。
「私の顔に、何か付いているの?」
気が付けば、加賀さんがわたしのことを見つめていた。
いつの間にか加賀さんのことをじっと見ていたのだ。
『ただ、綺麗なだけだなって思って』
「そんなことは、そんなことは言ぇませぇん!」
「……はい?」
「ナンデモナイデス」
アドリブが効かない自分が恨めしい。
「瑞鶴は加賀さんが本当に好きなのねぇ」
翔鶴姉ぇの悪意の無い爆撃がわたしの薄い胸に突き刺さって弾けた。
「…………そうなの?」
困ったような顔で加賀さん。
ブクブクと撃沈するわたし。
「あら瑞鶴? ちょっと顔真っ赤」
「のぼせたのかしら?」
あぁ。
なんだか目の前にブラインドが引かれたようだ。
これは貧血とかそういう症状と同じで――
「翔鶴姉ぇぇぇ……」
わたしの恨み言は、
「瑞鶴!? 大変、瑞鶴が助けを求めているわ!」
きっと翔鶴姉ぇには届かなかった。
あぁ悔しいと思いながら、視界は徐々にブラックアウトしていくのだった。
気が付いたら、加賀さんが目の前にいた。
「あれ夢?」
「瑞鶴、起きたの?」
夢じゃなかった。
「加賀さ……!?」
「だめ、まだ寝てなさい」
「もが」
加賀さんに力で抑え込まれたわたしは、枕代わりと思われる丸めた座布団に沈められた。
「ここは……」
「お風呂の外よ」
畳が敷き詰められた広い休憩所だ。
「わたし……のぼせちゃったんだ」
「そうよ。今翔鶴がお水を取りに行っているわ」
「ああ、翔鶴姉ぇ」
目の前にいるのが翔鶴姉だったら恨み節を聴かせてあげたのに。
「自己管理も私たち艦娘には必要なことよ」
そう言って浴衣姿の加賀さんは大きめの団扇をゆるゆると動かしながら、わたしに風を送ってくれていた。
「加賀さん……ひとついいですか?」
「何かしら。何でも言っていいわよ」
「この風、人をダメにするくらい気持ちいいです」
「そう」
加賀さんはそっけない。
いつも通りで、わたしは少し笑ってしまう。
「何か面白かったかしら?」
「いいえ。ただ、加賀さんが変わらなくって嬉しいなと」
「私が? 私はずっとこんな感じよ。貴方たちの教鞭をとっていたころから。分かるでしょ?」
苦笑いするように、加賀さんは息を吐きだした。
「だから嬉しいんですよ」
だって、そんな加賀さんに憧れているから。
そっけないようでも、こうやってわたしを気遣ってくれる優しさも。
「そういえばさっきお風呂の中で言ってたことだけど」
「お風呂の中……?」
わたしが思案していると、加賀さんは表情一つ変えることなく、
「貴女は、私のことが好きなの?」
「好きです」と即答できずに、わたしの口から代わりに出たものは間の抜けた声だった。
「ひぇい!?」
「翔鶴が言っていたじゃない」
そう言えば、気を失う直前、翔鶴姉ぇが言っていた。というかあの発言で一気にのぼせてしまったんじゃないか。
「あのね瑞鶴」
加賀さんは少し声のトーンを落として、ゆっくりと言葉を放つ。
「もし貴女が、『そういう気持ち』を私に抱いているなら……ごめんなさい」
「……え」
加賀さんは真剣だ。いつだって、真剣だ。わたしは知っている。
「嬉しいのだけど、私は今度提督と指輪を交換するから」
どくん、と心臓が嫌な鼓動をした。
お風呂の中で提督の名を呼んだ時に見せた加賀さんの表情と、この言葉が電撃的に繋がった。
「い、いえ……わたし……わたしは、加賀さんに憧れているので、そういうのじゃ……ないんですよ……」
やだなぁ、加賀さんったら。
口の中が乾いて、最後の言葉は言えなかったけれど、わたしは笑顔を無理やり作ってみせた。
「そう。ならごめんなさいね」
「謝らないでくださいよ」
そう。謝らなくていいですよ。わたしなんかのために。
「瑞鶴! 気が付いたのね! お水、持ってきたわよ」
手にガラスのコップを持った翔鶴姉ぇがやってきた。
「あはは、ありがとう翔鶴姉ぇ」
翔鶴姉ぇは心配そうに眉をヘの字にしながらわたしの横に座る。
「飲む?」
「ううん大丈夫」
「瑞鶴……」
加賀さんの声だけ聴いて、わたしは反射的に言っていた。
「加賀さん心配していただいて、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ」
「……瑞鶴?」
翔鶴姉ぇが疑問符を浮かべていた。
だけど、加賀さんの表情は、分からなかった。
何故か?
そんなの簡単だ。
わたしが加賀さんの顔を、見ることができなかったからだ。
加賀さんと提督が指輪を交わす。
その言葉を聞いてから数日後、わたしは提督室にいた。
「瑞鶴。加賀がいない間だけど、臨時の秘書艦をお願いね」
「はい」
秘書艦である加賀さんが任務に就くというので、わたしは提督から秘書艦の役目を担うことになった。
まだ着任して日が浅いわたしにいきなり秘書艦が務まるのだろうか。
それこそ戦艦の先輩や重巡洋艦の人たちでも適任と思われる艦娘が両手で数える以上にいるのに。
少し緊張していた。
――と、
「……それは」
「え? これのこと?」
わたしが寝そべることができるくらい立派な提督の机の上には、二つの小さな箱が置いてあった。
「見る?」
「あ、いえ……」
私の言葉を遮り、提督は楽しそうに箱をパカ、パカと順番に開けていった。
「ほら、指輪よ」
キラキラと光るプラチナ製の指輪。
「私と加賀の指輪ね」
「そう……ですね」
提督は指輪を箱から取り出すと自分の指に通した。
「私の指は9号くらいなんだけどね、加賀ったらいつの間にか11号になってたのよ? 昔は同じくらいだったのに」
嬉しそうに語る提督。どうしてそんなことを話すのだろう。何か秘書艦に関係あることなのだろうか。
わたしは思わず真意を問いただすように提督を見た。
「昔は私と同じ9号だったのに。あの子、訓練のやり過ぎだって」
クスクスと笑う。
――あ。
気が付いてしまう。
提督の瞳は笑いながらわたしを値踏みするようで、そして嘲笑するように光っていた。
「そうですか」
なんて嫌な女。
見せびらかしたのだ。
昔話の真似事もした。
「加賀さんも喜ぶと思いますよ」
少しも悔しくなんてない。
精一杯の笑顔で、反撃する。
「嬉しいわ。瑞鶴もお祝いしてくれるのね」
きっと提督は、わたしの加賀さんに対する想いを知っている。
だから指輪まで置いていた。
「資材のチェックに行ってきます」
「任せたわ瑞鶴。加賀は今日ケッコンの準備で忙しいから」
わたしは出来るだけ平静と柔らかい笑顔を装って提督室を後にした。
歩く。工廠ではなく、自室に向かう。
提督がいる場所から遠ざかるのに比例しどんどん足早になる。
そして階段を上る頃には駆け足になっていた。
途中何人かの艦娘にかすめたような気がしたが良く分からない!
「もう!」
自室のドアを引っこ抜かんばかりの勢いで開けて、ノブをねじ切らんばかりの力で掴んだままドアを閉めた。
「ああああああ! あぁんのぉ! クッッソ提督!!!」
「どうしたの瑞鶴? 駆逐艦みたいなこと言って」
「もぉぉぉぉぉ! なんなのよぉぉぉぉぉぉ!」
頭を掻きむしり力の限り叫んでから、翔鶴姉ぇに事の顛末を話した。
「それは……大人げないわね」
呆れたように翔鶴姉ぇは言った。
「でしょでしょ! ホント最悪。アタマおかしいとしか思えない」
「こら瑞鶴。言い過ぎよ」
「でも!」
「瑞鶴。私たちの本分は何? 私たちは艦娘なのよ。ここに恋愛をしに来たわけじゃないでしょ?」
「あ、うん……そうだけど……」
翔鶴姉ぇの落ち着いた物言いに、熱くなった頭が急に冷えていく。
「提督もそれが分かってらしたのよ。私にはあの提督が本気でそんなことをするように思えないもの」
「そう……かな……」
なんだか翔鶴姉ぇに言いくるめられているような気がするが、この優しい物腰の姉が言うと、なんだか本当にそんな気がしてくるのだ。
「じゃあさ、加賀さんと提督がケッコンするのも嘘なのか」
「それは分からないわ」
「だよね……いっそのことあの指輪、彩雲に引っ掛けて暁の水平線のその先までぶっ飛ばしちゃえばいいのかな」
「ずいかく」
「ごめん。うそ」
「ほら、しっかり秘書艦のお勤め果たしてきなさいな」
「あくまで『臨時』だけどね。一航戦の代わりってのは昔から変わらないんだよね」
わたしはぼやきながら資材倉庫がある工廠へと向かうのだった。
工廠内で、妖精さんたちや頬を煤で黒くしている夕張に挨拶をしながら資材チェックの作業に入った。
秘書艦の仕事で最も面倒な仕事だが、提督から命じられたのでしょうがない。
「ぐ……」
あのおっとりした笑顔を思い出して、また口汚い言葉が出そうになるが、翔鶴姉ぇの言葉を思い出してふぅ、と一息吐き出した。
「ほんっと、やな女」
小声で言ってしまう。
「なんで……加賀さんはあんなのとケッコンするんだろう」
強制だ。きっと提督に命令されて嫌々ケッコンさせられるんだ。
わたしはどうにか、あの指輪をこの世から消滅させる方法を考えながら作業を進めていく。
そんな邪念が入っているから――
「あれ」
帳簿と資材が合わなくなってしまった。
「もう! 変なこと考えてたから……また最初っから数え直しじゃない」
もう一度言う。
資材のチェックは地味で面倒だ。帳簿と合致しないとまた最初から数え直しだ。
「めんどくさ~い~」
わたしはもう一度資材をイチから数えなおすのだった。
しかし。
「……うそ」
合わなかった。
「なんで……なんで3回もチェックしたのに」
主にボーキサイトと鉄鋼の量が、次いで燃料と弾薬も合わないのだ。
つまり全部の資材が無い。
少しの減少なら、直近の演習や出撃を帳簿に付け忘れていた、ということはある。
でも、それぞれ帳簿と10%も合わず、ボーキサイトに至っては20%も合わないということは無いだろう。
「どうしよう……」
わたしは反射的に工廠を飛び出し、提督の部屋へと向かっていた。
会談を駆け上がり、提督室がある階までやってきたところで、
「いや……」
躊躇する。
あの提督に弱みを見せたくなかった。
例えわたしのせいでなくても、資材が合わないなんて知ったらあの提督はなんて言うだろうか。
資材管理もできない娘だと思われるのが気に入らない。
「もう一度……もう一度数えよう」
わたしは踵を返し、工廠へ戻る。
「瑞鶴……」
工廠の前で、偶然加賀さんに出会った。
「あ……」
わたしと加賀さんの間に微妙な空気が流れる。
「どうしたの? 慌てているようだけど」
一拍の間の後、加賀さんはいつもの通り抑揚の無い声でわたしに尋ねた。
「いえ、なんでも……ないですよ」
加賀さんの顔が見られずに、足元の無機質なコンクリートを見る。
「ところで加賀さん、珍しいですね。工廠に来るなんて」
「そうかしら。秘書艦だからそれほど珍しくないけれど」
すたすたと加賀さんはわたしの隣を通って鎮守府の建物へ歩いて行く。
わたしはそんな加賀さんの背中を見送っていたが、我に返り再び工廠の中に入り、資材を確認した。
そして絶望する。
「さっきより、減ってる……」
無いのだ。
さっき数えた時よりもボーキサイトを中心に4種類の資材がそれぞれ減っている。
「よ、妖精さん! 妖精さん!?」
わたしは慌てて妖精さんたちに資材を使ったか聞いたが彼女たちは可愛く首を横に振るだけだった。
「えぇ……」
わたしは泣きそうになりながらその場にへたり込んだ。
「しょうがないか……」
そして、非常に不本意ではあるが、提督室へと向かうのだった。
「あら、随分時間が掛かったのね?」
「あの提督」
「なにかしら?」
わたしは思い切って口を開く。
「あの、この資材帳簿……間違いありませんか?」
「へ?」
一瞬提督は間の抜けた声をだしてから、くすくすと笑い始めた。
「加賀がずっと管理していたから、合わないはずはないわよ」
「加賀さんが?」
「そうよ。だって秘書艦ですもの。間違う筈がないわ?」
あ、と何かに気付いた様子で提督は言う。
「ひょっとしたら、資材が合わない?」
「はい実は……」
すると、提督は笑みを引っ込めて、真面目な表情に戻る。
「だとしたら……きっと加賀が書き違えたのね。しょうがないわねぇ。」
一見完璧に見える加賀にも可愛いところがあるわねぇ。と言ってまた笑って見せる。
「あの、そうじゃなくて!」
「じゃあ加賀に直接聞いてみたら?」
わたしがどうしてこんなに焦っているのか分からない、といった顔で言う。
「……わかりました」
わたしはそれだけ言うと提督室を後にする。
提督は事の重大さを分かっていない。資材が合わないと大規模な作戦を行う時、命取りになりかねない。
わたしはわき目もふらずに鎮守府内の廊下を駆け、加賀さんを探す。
しかし、自室にはおらず、翔鶴姉ぇも見ていないという。
何人かの艦娘に聞くも加賀さんを見つけることはできなかった。
そして時間は無情に流れ、あっという間に夜になってしまった。
わたしはため息を吐き、三度工廠の前に立っていた。
「お腹減った……」
翔鶴姉ぇに食堂へ無理やり連れてかれたが、何も喉に通らなかったのだ。
秘書艦ってこんなに大変なのか。
「それもこれも加賀さん、あなたが見つからないせいですよぉ」
白く光る満月が頭上にあった。
この時間はいつも騒がしい工廠といえど、死んだように静かだ。
遠くから波の音と、川内型だろうか、元気な声が風に乗って聞こえてくる。
「もう一度だけ……」
わたしが工廠のドアに触れた時だった。
機械が回り始める、重い駆動音が工廠から響き始めた。
――動いてる!?
わたしは足音を消して工廠へと侵入する。
工廠の一番奥には、装備を開発する施設がある。
その分厚い扉の前に、加賀さんが立っていた。
加賀さんは慣れた手つきで機械を操作し、資材を装備開発施設に送り込んでいた。
資材はわずかな時間で、装備として吐き出される。
「天山か……」
加賀さんは呟いて、出来上がったばかりの装備を脇に置くと、再び資材を開発施設へ送り込む。
「加賀さん」
「っ」
加賀さんは機械を操作する手を止めて、わたしを見る。
「瑞鶴……」
「加賀さん、何をやってるんですか……?」
「これは……」
わたしは今日一日持ち続けてヨレヨレになった資材帳簿を開きながら、加賀さんへと歩み寄る。
加賀さんの吐息が感じるほど近くまで、距離を詰め、帳簿を見せる。
「……どういうことですか」
「…………」
しかし加賀さんは何も言わなかった。
「今日、ずっと資材が合わなくて……ずっと探してて。これは、資材の使い込みじゃないんですか」
わたしが問い詰めると、加賀さんは「そうね」とあっさり言い放つ。
「どうしてこんなこと!」
「私たち空母の戦力を増強させるためには必要なことよ」
「だったら正規の手段でやれば」
「あの人が許さないわ」
「あの人って……提督のことですか?」
加賀さんは、こくりと頷いた。
「あの人は、私のことが大切で……装備を増強させるどころか、出撃さえさせないわ」
悲しそうに言う加賀さんの瞳は、少なくともわたしには嘘をついているようには思えなかった。
「空母が必要になって、私の代わりに貴女たちを着任させたのもあの人よ」
「提督が?」
「そう。でもこの鎮守府には碌な空母用の装備が無かった。だから私は、貴方たちのために装備を作っていたの」
提督に秘密を作って、資材の無断使用までして、わたしたちの装備を作っていた。ということだ。
「でもまさか貴女が秘書艦になって、資材のチェックをするなんてね」
加賀さんが少し困ったように言う。
わたしは、そんな加賀さんを見て、心の中に黒い感情が湧き出してくるのを感じる。
「加賀さんが提督とケッコンしなければ多分誰も気付かれないままでしたよ」
わたしの口は、勝手に動いていた。
「ねぇ加賀さん? もしこの事、提督に言ったら困ります?」
加賀さんの顔色が途端に青くなる。
今、わたしはどんな顔をしているのだろう。
「提督の信頼厚い秘書艦が後輩のためとはいえ、資材の無断使用。銀蠅みたいなことするなんて」
「なんで……わたしは瑞鶴、貴方のためを思って……」
「わたしのため、なんですか?」
「……あの人には、言わないで」
「提督のため、なんですか? どっちですか?」
「ずいかく……」
加賀さんは救いを求めるような表情を浮かべる。
「提督に言っても握り潰されるかもしれないし、中央に連絡するという手もあるんですよ。そうすれば、加賀さんどころか提督にも何かしらの罰が下されるのかな」
「瑞鶴やめて。お願いだから」
加賀さんは冷たい手でわたしの両手を握ってくる。
「なんでもするわ」
「そうですか……」
わたしは、加賀さんの手を強く握り返す。
「痛っ」
わたしの心は暗く高揚していた。
憧れの対象だった加賀さんを好きにできるという、背徳感にも似た感情が渦巻く。
「じゃあ加賀さん、わたしと――」
パサ、と帳簿が工廠の冷たい床に落ちる。
わたしは、加賀さんの背中に両腕を回してそっと抱きしめた。
「わたしと、ケッコンしてください」
「え……」
「ずっと好きだったんです。先生」
加賀さんが、弱々しく私を抱きしめてくれる。
暖かい抱擁は、承認の証だ。
工廠の天窓から、白い月の光が筋となり入り込んでいて、まるでスポットライトのようにわたしと加賀さんを照らしている。
「嬉しいな」
わたしは、少しだけ背が高い最愛の人を見上げる。
久々に見る加賀さんの顔は青白くて、とても儚く美しかった。
「好きです。加賀先生」
わたしと加賀さんは、そっとキスを交わす。
お互いの瞳から、一筋だけ、涙が流れた。
深夜の工廠。
白い満月だけが、わたしたちのケッコンを見届けてくれていた。
瑞鶴の加賀さんへの愛が溢れちゃうラストです。
ご感想等いただければ幸いです。