――その日、鎮守府に対し深海棲艦の総攻撃が始まった。
――MI諸島で決戦を行うべく、主力艦隊が鎮守府を離れたその日の午後、穏やかな本土近海は一瞬で血と油に染まった。
荒れる波の上で、わたしは静かに瞳を閉じる。
頭の中で、彩雲から敵機動部隊発見の打電を受けると、不安げにわたしを見る駆逐艦の艦娘たちに攻撃の指示を行った。
それぞれ散会し、迫りくる深海棲艦を迎え撃つべく主機を唸らし海上に白い航跡を描き進んでいく。
まだ練度が低い彼女たちの中には、今日が初の実戦となる者もいた。
「今日は勝てなくてもいい……」
ふぅと息を吐く。
「せめて……生きて還ろう」
わたしはその言葉を自分自身にも言い聞かせるように呟いた。
弓を構え、矢を番える。
空母として、今できる最良のことを――
アウトレンジから放たれたわたしの矢は空中で攻撃機となり、彼方にいる敵部隊を着実に削っていく。
『瑞鶴さ――! そ――ちに敵――がきゃあ!?』
雑音の混じった無線から悲鳴のような声が聞こえる。
――無線封鎖中なのに!
わたしは眉を寄せながら、頭上を旋回する直援の攻撃機に警戒を呼びかける。
すぐに敵は見つかる。
否――どこもかしこも敵だらけでどれがわたしに向かってくる敵なのか、正直どうでもよかった。
射程圏内に入った敵全てを攻撃機で補足。
「五航戦の力、見せてやるわ」
さらに矢を番え、攻撃機を発艦させる。
立て続けに爆音が轟き、視界の先で炎と煙が上がって初めてあんなに近くに敵がいたのかと思う。
爆煙を切り裂くようにして突っ込んでくる敵軽巡洋艦に矢を放ち撃沈する。
さらにそのあとから続く、誰かの赤い血に塗れた重巡洋艦の砲撃を之字運動で回避。自分の周りで次々と立つ水柱の隙を縫って、矢を放つ。
距離が近すぎたためか、矢が艦爆へ変化した瞬間に敵と正面衝突し両方揃って爆散した。
どこからか発射されていた魚雷を身を捻りながらかわし、立て続けに襲い掛かる砲撃を必死になって回避。
主機はいっぱいだ。わたしは敵から距離を取りつつ、彩雲からの打電を待っていた。
(お願い……はやく)
何体かの敵を倒したあと――
待ち焦がれていた彩雲からの打電で、敵部隊の旗艦を発見する。
敵駆逐艦や軽巡洋艦は無視し、一直線に進む。
視界の端に深海棲艦の残骸だけでなく、青や緑のセーラー服も浮かんでいた。
視界が涙でぼやけるが、煤で汚れた腕で涙を乱暴に拭う。次第に青でなく、赤く黒く染まっていく海を最大船速で突っ切る。
途中で仲間と合流できれば良かったが――誰も見ることは無かった。敵も、味方もだれもいない、静かな海域を抜けると、突如戦艦クラスの砲撃がわたしを出迎える。
絶望的な水柱が立つ中、わたしは見た。
巨大な腕を持つ艤装を持った姫と呼ばれる深海棲艦とそれを守る艦隊だった。
「よくも!」
そいつらを見た瞬間、全身の血が沸き立つ。
艦娘としての本能と、仲間を失った怒りがわたしを動かした。
海の上を滑りながら、とっておきの流星改を含む矢を放つ。
しかしそれらも、敵の空母から射出された艦載機や厚い対空砲火で精々護衛の駆逐艦を沈める程度の戦果しか挙げられなかった。
わたしは舌打ちをしながら、次の矢を番えようとして――
「うそ……」
すでに矢を打ち尽くしていることに、気づいてしまう。
残りの矢を気にする余裕がなかったのだ。
目の前の姫が――笑う。
背筋を凍らすような声で何かを呟きながら、わたしへ巨大な砲頭を向け――
スローモーションのようだった。
姫の砲が爆炎を吹き、死の砲弾が打ち出される。斜線は真っ直ぐにわたしへ向かっていた。
回避、間に合わない。
思考だけが状況を把握できていて、身体は全く動かなかった。
死が脳内に這いよる感覚。
だが――わたしの体は突然横に弾き飛ばされて、海の上を転がった。
背後で一瞬前にわたしがいた場所に着弾した砲撃が炸裂し、その衝撃でわたしの艤装が黒煙を上げて爆発する。
「きゃああああ!?」
ようやく出た悲鳴は砲撃とわたしを突き飛ばした人が放つ艦載機のエンジン音にかき消される。
「撤退するわよ瑞鶴」
「え……提督!?」
わたしと同じ――赤と白の上下の服を着て、流れるような長い黒髪を持つ彼女に引きずられるように曳航され、わたしは戦闘海域を脱することができた。
提督の姿は、一航戦の空母赤城に相違なかった。
その後、なんとか敵の追撃を振り切り、鎮守府の港に帰還した頃にはすでに夜だった。
鎮守府に着くや否や、わたしは壊れた服そのままに、提督室へ踏み込んだ。
提督室にいたのは、白い制服に身を包んでわたしを小馬鹿にしたように笑ういつもの提督ではなく、空母赤城が静かに立っていた。
目の前の彼女は、何も言わなかった。勢いよく提督室に入ったわたしも、言葉が見つからず無言の時間が流れる。
「提督は……艦娘だったんですか」
そしてやっと、わたしはそれだけ言えた。
「そうよ」と彼女――赤城さんは肯定した。
「貴女と翔鶴が着任する前に、提督が病に伏せってしまわれて、今回の作戦だけ私が臨時の提督になって指揮を行ったの。幸か不幸か、そっちの才能もあったみたい」
彼女は寂しそうに微笑んだ。
まだ、笑うことができるんだ、と。わたしは驚く。
提督としてではなく、艦娘として戦場に立つ筈だった赤城さんは、今日1日で何人の艦娘を失ったのだろう。
わたしが旗艦となった艦隊でも、結局還って来れたのは軽巡洋艦と駆逐艦が1人ずつだった。
もしわたしだったら、耐えられるだろうか。
才能、というのは指揮能力だけでなく、心の耐性というのもあるのだろうか。
「先ほどは、助けてくれてありがとうございます提と――赤城さん」
「貴女を失うわけにはいかないからね」
「それって……」
「加賀が悲しむから」
「赤城さん、貴女そんな理由でわたしを助けたんですか!?」
「そうよ」
赤城さんは静かに、はっきりとそう言った。
「だってわたしは加賀のことを愛しているから」
そう言って微笑んだ彼女は、なんだかとても儚く感じた。
わたしは全てを理解する。
あぁ、この人は加賀さんのために、生きることを決めたんだと。
そのために、提督は加賀さんを出撃させなくなったし、同じく加賀さんを好きになったわたしに辛く当たった……
「赤城さんって……なんだか我儘なんですね」
わたしが今生きているその足元で、今日何人の仲間が沈んでいったのだろう。
赤城さんは、助けられたかもしれない命を捨てて、わたしを守ったということか。
「だってもう、私には加賀しかいないから」
赤城さんは言う。
「知らなかったのよ。提督の仕事が、こんなに大変だったなんて。私が提督になってから沈んだ仲間の数は、その前よりずっと多いの。それでもみんな私についてきてくれるって……今回の作戦でも何人も轟沈の報告があって、そのたびに私、頭を抱えて叫びたくなって……でもそんなことしたら全員の士気に関わるから、泣くこともできなくて……」
震える声。赤城さんの瞳に涙が溜まっていく。
「加賀だけだったの……加賀だけが、わたしの弱い心も、怖い夜も抱きしめてくれて……だから加賀がそばにいないと駄目なのよ……不安で死にそうになるの」
赤城さんは恨めし気な瞳でわたしを見る。
「でも貴女が来て、加賀が変わっていったわ。貴女に盗られる気がしたけれど、そうじゃなかった。加賀が言ってくれたのよ。私も瑞鶴も同じくらい愛してるって」
「加賀さんが……」
胸の奥が熱くなる。
「それで、私も強くならなくちゃって思ったの。だからMI作戦に送り出したのに……まさか主力がいないここに敵が攻撃してくるなんて……どうしよう……どうしよう……」
濡れた瞳で、救いを求めるようにわたしの両肩に手を置く赤城さんを、わたしはそっと抱きしめる。
加賀さんなら、きっとそうしたはずだから。
「なんで……なんでよ……鎮守府も泊地も他にたくさんあるのに……なんでうちなのよぉ……」
赤城さんが声を殺して、泣いた。
「もうやだ……こんな思いするくらいなら消えたい……助けてよ……加賀……早く帰ってきて……」
少女のように泣く赤城さんの涙が、焦げたわたしの服に染みこんでいく。
「怖いよぉ……加賀に会えなくなるのが……嫌なの、死にたくないの……!」
「大丈夫……大丈夫ですよ」
わたしは赤城さんの耳元で囁く。
「加賀さんの代わりに、わたしが守ります」
これは、わたしの決心だ。
加賀さんの還る場所を壊させない。
「瑞鶴……?」
「赤城さん、わたしだって加賀さんが好きだし……その、いちおう、加賀さんが好きな貴女だって、嫌いじゃないです……」
わたしは、赤城さんからゆっくりと体を離す。
二人の間に、冷えた部屋の空気が割り込み、少しだけ名残惜しく感じた。
「それに、同じ人を好きになった仲じゃないですか。一緒に頑張りましょう」
こんな台詞は、もっと平和なときに言うべきだったかもしれない。けれど、赤城さんを落ち着かせるために考えた、わたしが考えられる精一杯の言葉だ。
「わたしたちで、この鎮守府を守って、加賀さんたちを迎えましょ?」
赤城さんは涙を指で拭くと、「ごめんなさい。少し取り乱しました」と言った。
「大丈夫、加賀さんたちはきっと帰ってききますよ。それまで、持ちこたえないと!」
「……そうね。そうだったわね」
わたしは赤城さんに敬礼すると、提督室を出る。
鎮守府内では、『お風呂』に入渠できない艦娘たちが包帯を巻きあったり、とりあえず出撃できるよう応急修理をしている光景がそこかしこで見られた。
その中を歩き、司令室にいる大淀に話を聞く。
「大淀、教えて、今MI作戦に出た艦隊はどうなっているの?」
大淀は、ヘッドホンを外しながら難しい顔で言う。
「はい、敵艦隊の撃破に成功し、今帰還中とのことですが……正直、急いでも明日になるかと思われます。今こうしている間も防衛線は後退していますし、主力艦隊の帰還が間に合うかどうか……」
言葉を選びながら大淀は答えた。
「そう……それじゃあ今加賀さんたちに連絡は取れる?」
「ちょっと待ってください今……」
大淀が操作盤に指を滑らせようとした時だった。鎮守府内にわたしを呼ぶ放送が響く。
「あ、入渠の時間だ」
わたしは大淀にお礼を言って、『お風呂』に向かうのだった。
傷付いた艦娘たちで溢れた鎮守府を歩きながら、わたしは想う。
この鎮守府を守るにはどうするか。
夜が明ける――
わたしは朝日を浴びながら、桟橋に立っていた。
「行ってきます、赤城さん」
迷彩を施したわたしの艤装を見て、赤城さんが無言で頷いた。
赤城さんの後ろには、鎮守府に残る艦娘たちが揃っていた。
「瑞鶴、お願い……どうか、還ってきて」
「もちろんですよ!」
わたしは、なるべく笑顔で答えた。朝の光に照らされた赤城さんは、いつもより綺麗に見えた。
「ふふ……」
「どうしたの瑞鶴?」
「なんだか、今日の赤城さん、綺麗で……加賀さんが好きになったの、少し分かる気がします」
「な、こんな時に何を言っているのよ」
「昨日の泣き顔なんかより、赤城さんは笑っている方がいいです」
栄えある一航戦の赤城さんは、少し頬を染めて「早く行きなさい」と口を尖らせて言った。
決して多くない仲間に見送られながら、わたしは出撃する。
作戦は単純だ。
囮を使った陽動と、敵本体への奇襲。
あわよくば、帰還した主力艦隊との挟撃作戦に移行する。
囮はわたしで、奇襲部隊は赤城さんを旗艦とした鎮守府の残存戦力全て。
失敗したら……ということは考えないとみんなで決めた作戦が開始された。
偵察機を飛ばしてからずいぶん経った。
海を滑る。
艤装各所の整備も、矢も備えは万全だ。
これなら、きっと囮を成功させ、無事還れる……筈だ。
敵の主力艦隊以外だったら足止めはできる。
そういえば、と思い出して、少し笑ってしまう。
「いつかの時も、こうやって囮だったな……」
記憶の深い場所にある光景は、自らの歴史もまた繰り返すと囁いているようだった。
あの時と違うのは、こちらに十分な艦載機があることと、わたし自身が「還りたい」と強く思っていることだ。
「それが、一番大事」
呟いた時、彩雲から打電があった。
――敵主力艦隊が赤城さんの方へ向かっている――
「うそ……」
理由は分からない。
だけど、作戦が破綻しかけていることだけは、確かだ。
わたしは急いで司令部に打電、至急応援を要請したが、果たして良い返事は帰って来なかった。
既に赤城さんたちもわたしとは別の方向に出撃している。今からここに間に合うか。
そうこう考えているうちに、遥か彼方から砲弾が飛来し、わたしから離れた場所に水柱を立てる。
「……もう!」
わたしは主機の回転数を上げ、迎撃態勢を取った。
攻撃機を次々と射出しながら、敵との距離を調整する。
やがて目視できる範囲に現れたのは、巨大な両腕をもった艤装の――やはりあの姫だ。
敵艦載機と砲弾の雨が私に降り注ぐ。
わたしは集中して、攻撃を回避。艦載機で迎撃を行う。
海面を蹴り、周り、ギザギザに動きながら敵の戦力を徐々に削る。
ついに、流星たちが、敵の空母を沈めたという報告が届く。
「やった!」
だが、お返しとばかりに、無数の砲弾がわたしに殺到する。
声にならない悲鳴を上げて、回避運動をした。
結果、奇跡的に私は無傷で切り抜ける。
「加賀さんが……加賀さんが守ってくれている、あんたたちなんかに、わたしは負けないんだからぁ!」
わたしは叫びながら姫とそれを守る戦艦たちと距離を詰める。
全身全霊を込めて、攻撃機を放った、その瞬間――近くで魚雷が爆発した。
一瞬視界が真っ白になって、海の上をばしゃばしゃと転がる。
耳はキィンとうるさく鳴っていて、使い物にならなかった。
慌てて飛行甲板を見ると――無傷ではないが、まだ艦載機の発着艦は可能だ。
「まだだ……あれ……」
わたしは敵との距離を取ろうとして、動けなかった。
両足の主機がダメージを受けていたのだ。
「はは……これはいよいよ……」
遠巻きに見ていた、敵の駆逐艦や軽巡洋艦たちがわたしに殺到する。
大丈夫。
まだ矢は尽きていないし、飛行甲板だって無事だ。
わたしは、鎮守府に来て間もない頃、加賀さんに言われた言葉を思い出す。
『飛行甲板を破壊されないように立ち回ること。飛行甲板が壊れるまでどれだけダメージを喰らおうと『中波』じゃないわ』
なんていう根性論だろう。
――二重三重に取り囲まれて、集中砲火を受ける。
それでも、加賀さんと翔鶴姉ぇと一緒にした演習はとても楽しかった。
毎日がキラキラと光っていて、一瞬一瞬がわたしの思い出だった。
――飛行甲板を抱きしめるようにして、わたしは海の上を走る。背中には容赦なく砲弾が撃ち込まれ、艤装は艦載機ごと黒煙を上げて爆発した。
ねぇ、加賀さん。
わたし、夢があるんです。
艤装を外して、普通の女の子に戻って、一緒に学校に行ったり、働いたり。翔鶴姉ぇもついでに赤城さんも一緒に暮らせたら、きっと幸せなことだなって思うんです。
みんなと一緒にいたい。戦わない世界で、ただ普通に生きていくだけでいい。
そんなささやかな夢を――
「わたしは……叶えたいんだぁ!」
最後に残った一本だけの矢を、目の前にいる駆逐艦にゼロ距離で発射する。
矢は一瞬で艦爆に変化し、わたしを巻き込んで爆散した。
「ぐっふ……」
喉から空気と血が漏れた。
胸に鋭い痛みが走る。視線を落とすと、わたしの手のひらほどある深海棲艦の艤装が
胸に突き刺さっていた。
それと同時に、わたしの中でぷつんと何かが切れた。
「あ……」
ぱしゃ、と音を立てて膝から崩れ落ちる。
空が見えた。
煙で霞む、青空が見えた。
あぁ、空が綺麗なのに、煙ってて残念だな、と思って、わたしは瞳を閉じる。
身体を揺らすほどの轟音が響いたけれど、きっともう、わたしにはどうでもよいことだから。
……寒くて、眠いんだ。
「瑞鶴!」
加賀さんの声が耳に届く。
「え」
わたしは誰かに抱きかかえられていた。
無理やり瞳を開けると、ぼんやりと加賀さんが映っていた。
「……どうして」
「帰ってきたのよ。鎮守府が敵に攻められたって聞いて」
「瑞鶴! 瑞鶴大丈夫!?」
この必死な叫びは、きっと翔鶴姉ぇだ。
「おかえり。加賀さん、翔鶴姉ぇ」
わたしは、微笑むことができたのだろうか。
傍らにある飛行甲板を見せる。
「……ほら、加賀さん。わたし、飛行甲板だけは守りましたよ。ほら、傷ひとつ……ないんだから……」
もうぼんやりとしか見えないけれど、加賀さんが頷いてくれた。
「瑞鶴……いやよ……瑞鶴……!」
大丈夫。翔鶴姉ぇ。飛行甲板が壊れなければ『小破』なんだから。
「加賀さん! 瑞鶴の胸から血が止まらないの!」
加賀さんがわたしの飛行甲板を撫でる。
「よく頑張ったわ瑞鶴」
加賀さんが抱きしめてくれる。
「一緒に還りましょう?」
「はい……還りましょう……」
加賀さんは優しい。私が嘘をついても許してくれるから。ついつい甘えてしまう。
わたしの手から、半分に折れた飛行甲板が水面にぱしゃと音を立てて落ちた。
「みんなのところに……」
加賀さんと翔鶴姉ぇが泣いている。
雨かな。わたしの頬に水滴が落ちてくる。
もう目の前は、ブラインドが引かれたように真っ暗だ。
全身の力が抜けて、重力が無くなる。
あ、そうだ。
加賀さんに伝えたいことがあるんだ。
翔鶴姉ぇにも聞いてもらいたい。
ついでに、赤城さんにも教えてあげよう。
わたしの――
「……わたしの……夢はね……」
――春だった。
今日からわたしが着任する鎮守府の入り口を抜けると、桜が広がる広場が目に飛び込んでくる。
暖かい風に運ばれて、遠くから艦娘たちの賑やかな声が聞こえてくる。
提督に着任の報告をする時間はまだ少し先だ。
わたしは鎮守府の中を歩いて、空母用の弓道場に入る。
どこに行っても艦娘で騒がしい鎮守府内にあって、利用者が少ないためだろうか。それとも此処を使う人の気質が伝播しているのか。
ここは、とても静謐だ。
板張りの床に跪坐し、白い道着と青い袴を身に纏った女性は音も無く流れるような動作で射の形に入ると、頭の上から真っ直ぐに弓を下ろしながら弦を引く。
矢を放つまでの数秒が、わたしの中では永遠に思える。
彼女――加賀さんの姿は、射法八節を体現している。合理的で、洗練されていて、美しい。
「加賀さん」
わたしは声をかける。
「貴女は……?」
加賀さんは少し驚いた顔をして、わたしを見る。
そして、柔らかい微笑みを浮かべるのだ。
「久しぶりね、瑞鶴」
「はい。加賀先生」
わたしは、道着の胸元を開けた。
肌には、傷を縫合した痕が痛々しく残っている。
「わたし、還って来れました」
「おかえりなさい瑞鶴」
加賀さんの瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「本当に……おかえりなさい」
加賀さんはわたしを抱きしめた。
花のような香りと、暖かい加賀さんの体温を感じて、目の前がクラクラする。
そしてわたしの頬にも、涙が伝う。
「加賀さんって……案外泣き虫なんですね。わたしみたい」
ばか、と加賀さんは言った。
「五航戦と一緒にしないで」
「冗談ですよ」
一年間、ずっとわたしを待っていてくれた。
抱きしめあったまま、わたしと加賀さんはどちらからともなく唇を重ねる。
それはいつか交わした悲しいものではなくて、わたしにとってとても幸せなものだった。
(終わり)
いかがでしたでしょうか。瑞加賀インコントロ。インコントロは出会いという意味です。このお話のテーマになっていました。そして艦これアニメのOPの影響も多々あり。
楽しんでいたければ光栄です。
ご意見ご感想お待ちしております!