熊野と世界の果てで   作:あーふぁ

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 カシャン、カシャン、と断続的に音を鳴らしながら間違いのないように目でしっかりと確認をしつつ丁寧にタイプをしていると、頭がぐつぐつと考え事で沸騰してきそうだ。


世界の果てで熊野と暮らした3週間

 八畳ほどの小さな木造二階建ての監視所兼住居の一階にある、監視所にてドアと窓を開け放つ。

 外からは夏と潮の香りを運んでくる風と、小さく聞こえてくる波音を部屋に迎え入れ、俺は白い軍服の前をはだけさせながら一心に机に向かって作業をしている。

 朝日の光が差し込む小さな執務机の上には、点字タイプライターと点字の本、それと国語辞典を置いて本を睨みながら、ゆっくりと点字を打ち込んでいく。

 カシャン、カシャン、と断続的に音を鳴らしながら間違いのないように目でしっかりと確認をしつつ丁寧にタイプをしていると、頭がぐつぐつと考え事で沸騰してきそうだ。前に、鎮守府にいたころは体を鍛えるために艦娘と一緒にトレーニングをし、机仕事は秘書にかなり手伝ってもらっていた。

 そのツケがこれだ。

 ぐしゃぐしゃと短い髪をかき乱し、精神を落ちつける。

 俺は何のためにこんな苦労をしているか。

 それは目が見えなくなった、重巡洋艦『熊野』のためだ。

 熊野は軍支給の制服を着てポニーテールの髪型をし、椅子に座っている。開けた窓の前に体を向けていて、ちょうど俺に背を見せる格好となっている。

 それぞれ別な鎮守府から辺鄙(へんぴ)な場所に異動させられた俺たちは欠陥持ちだ。

 だが、そんな欠陥があっても軍は人材に余裕はなく使えるものは使う精神。だから、戦略的価値が皆無とされている場所でも、もしもの時を考えて人を配置している。

 人員は30のおっさん提督である俺と、重巡艦娘である熊野との二人きり。建物は監視所兼住居と木造の桟橋。装備開発もできず、軍部隊の形すら成していない。配給も少なく自給自足体制を整えないと危険だ。

 給料の遅配も多く、俺の貯金を削って自分たちの生活向上に回している。

 たとえば、今。俺が苦戦しているこのタイプライター。

 熊野が来て、一緒に暮らし始めて三週間。彼女の生活が楽しくなるようにと点字の勉強を始めたが、軍は役に立たないものに予算を出してくれるわけはなく、自腹で買っている。

 何もかもが足りないと思いがちだが、深海棲艦にあげるぐらいに余っているものがある。それは有り余る時間と自然が多すぎるこの環境だ。

 溜息を小さく付き、両腕を上にあげて固まった腕をほぐしていると機嫌が良さそうな声が聞こえる。

「提督、そろそろ休憩なさってはどう?」

 俺へと体を向けた熊野は両目をつむり、優雅さを感じる微笑みを浮かべている。

 ここに来てからこうやって、俺を心配してくれる熊野を見ていると彼女のためなら多少の苦労など当たり前と思うようになってしまった。

 視力を失い、雑に扱われて辺鄙(へんぴ)なところに飛ばされたというのに、"提督"という役職を怨んだ様子は全く見られない

 ―――上からの報告書では、熊野は疲労が溜まったまま連続の戦闘をさせられ大怪我をした。修復するのも後回しになり、目だけが治らず捨てられた。

 と、書いてあったのを思い出す。実際に熊野と過ごしてわかったのは、視力はなくなったものの、光があるかないかは感じられると言うことだ。

「美人さんにそう言われちゃ、休むしかないわな」

 椅子から立ち上がり、もう一度背中を伸ばしながら部屋を見渡す。熊野と暮らすようになってから、歩きやすくするために散らばっていた部屋の物の位置をすっきりさせた。狭い部屋ながらも広々とした感覚と清潔さを感じる。今日もその綺麗さに我ながら満足しつつ、ずれたソファーや本棚の位置を直しながら、窓際にいる熊野のところへ行く。

 足音に合わせて俺に顔を向けている熊野の前にやってきて、両肩に優しく手を置いて顔を正面から頭に近づけてフローラルな髪の香りを嗅ぐ。

「心が落ち着くなあ」

「セクハラですわよ」

 ちょっと嫌そうな声を出しながらも微笑んでいる熊野は、俺が肩に置いた手をそっと外してくる。

 以前いた鎮守府の艦娘たちと違って、この熊野は見ているだけで、そこにいるだけで強い安心感がある。はっきりとした理由はわからないがこの静かな場所の雰囲気と、目で直接見られていないからかもしれない。

 熊野から離れ、部屋のところどころに貼り付けている点字紙の確認をする。

 電気のスイッチや本棚の中にある物の種類を識別できるようにすることは俺にも熊野にも良いことだ。軍の書類仕事も料理も手伝ってもらうことも任せることもできる。

 本棚の前に立っていると、熊野が椅子から立ち上がり壁に手を這わせながら隣まで来て、俺が買ってきた点字本を探しはじめる。

「お嬢様は優雅に読書タイムですか?」

「お昼に苦労するのはわたくしでしてよ?」

 羨ましさの気持ちを込めた問いかけに対し、『旬の野菜料理』という点字本を手に取り、読書好きの熊野は椅子に戻っていく。

 熊野が本を読み始めたのを見届けたあと、俺は机に戻ってタイプライターとの辛い格闘を再開した。

 

 ◇

 

 昼は熊野が作った野菜中心のご飯を食べたあと、夏まきの野菜たちの様子を見に、裏手の畑に来ている。

 頭に麦わら帽子をかぶって首は井戸水で濡らしたタオルを巻きつけ、じりじりとする日差しの中でジョウロを使って水をまいている。

 汗がじわじわと噴き出るのを耐えながら芽が出始めている野菜を見るのは満足感がある。自分で自分の食べるものを育て上げるということがとても楽しいことと気付いたのは、この場所に飛ばされてからだ。

 野良仕事をするのは初めてだったが、野菜入門の本と熊野の知識を借りながらなんとか順調に育てることができている。

 空になったジョウロを置き、広がっている畑を見て満足げにうなずく。

 この調子で少しずつ拡大していこう。

「お野菜の具合はいかがです?」

 これからの予定を考えていると、声をかけられ振り向くと左手に杖、右手には水が入ったバケツを持っている熊野がいた。だが監視所を出るときにかぶっていたおそろいの麦わら帽子がなくなっている。

「熊野、頭はどうした」

「あぁ、それはいたずら心を持った夏風に遊ばれましたの」

 荒い息をつきながら近くまで来た熊野にかけよって、自分の麦わら帽子を外して熊野にかぶせ、手から水で重くなっているバケツを奪う。バケツから水をジョウロに移し、余らせておいた水に首から巻いていたタオルを突っ込んで水を染み込ませる。そのタオルの水を絞ってから熊野にかけよって、彼女の肌から流れ出ている汗を拭く。

「っ! 提督、一言声をかけて欲しかったのですけど」

「……あー、すまん。忘れてた」

 汗を早く拭かねば、という思いが先に行きすぎて、見えない状態から突然冷たいものをあてられたときのことまでは考えていなかった。

 拭き続ける俺の手から熊野は右手でタオルを取り、手をまっすぐに伸ばして胸にぶつかってから首に向けてタオルを持ってくる。

「少しは自分を大事にしてください」

「俺なんかより熊野のほうが何倍も大事だ。豪華なドレスを着せて見せびらかせたいほどに」

「あら、くどいていますの?」

「まさか。労働力に倒られては困るからな。それに女は20後半が一番いいんだぞ? ……さて、次は海に行くからな。休んどけ」

 熊野に背を向け、ジョウロで畑の水まきを再開する。

 『振られましたわー』と感情のこもってない棒読みで言葉を残してから、監視所に入っていく杖と足音が聞こえてきた。

 こんな何気ない会話すらも楽しく思える熊野に感謝。

 

 ◇

 

 畑から戻り、監視所で一休みしてから海岸に何か使えるものが打ち上がってないか探すためにバケツを持ち、俺と一緒に麦わら帽子をかぶせた熊野を連れて行く。

 防砂林がめぐらされている監視所の周囲数kmには民間人もいなく、軍人がいるせいか海に人がいるところを滅多に見ない。

 静かな波の音が聞こえてくる砂浜には、艦娘が出撃するための桟橋と提督用のモーターボートが係留してある。

 熊野を桟橋手前に残し、船や桟橋が傷んでないかを軽く確認したあと、熊野に俺の腕を掴ませて砂浜を歩く。

 海の砂は足を取られやすいため、左手で杖をついている熊野に右手で俺の腕を掴ませ、その掴まれた腕をまっすぐ伸ばして動かさないように強く意識し、海とは反対の側の砂浜を歩かせる。

 漂着物にぶつかって危なくないように、波打ち際からだいぶ離れたところを歩く。

 速度は熊野に合わせて緩やかに。強く吹く潮風と静かで心地よい波音を耳に入れながら、目は地面に集中を。

 砂浜には魚や海藻が打ち上げられてたり、使えるかもしれない漂着物(ゴミ)があるから、しっかり探さないといけない。

「今日はおもしろいものが何かありまして?」

「おもしろいものねぇ……」

 ゆっくりと立ち止まり、首をぐるりと回して周囲を見渡す。

 目に映るのは海に浮かんでいるウミネコと打ち上げられた漁具や様々な漂着物があるだけ。それらを見て、あとでゴミ拾いすると決めてから考えごとが頭をめぐる。

 こんな地の果てともいえる場所に来てしまった俺と熊野。

 二人では戦力にならないのは当然で、軍の支給もとどこおり生きていくのも苦労する。平穏すぎるこの場所で俺は人生を終えるのだろうか。

 この場所を言葉で表現するのなら。

「……人生の終着点か」

 言葉を静かにつぶやくと、すぐに元気な言葉が返ってくる。

「世の中のものは何でも我慢できる。幸福な日の連続だけは我慢できない」

 どういう意味か疑問を浮かべ、熊野の顔を見ると彼女は俺に顔を向けていなく正面に向けたままだ。

「なんだ、それは」

「ゲーテですわ。甘いお菓子だけをずっと食べ続けるのは飽きますし、体にも悪いと思いますの」

 明るく言う熊野は掴んでいた俺の腕と杖を手放し、地面を一歩ずつ確かめるように歩き始める。

 俺は地面に落ちた杖を拾い上げ、あとを心配してついていく。

「提督がここに来た理由は存じ上げませんが、わたくしは望んでここに来ました。たとえ世界を見ることができなくても、素敵なことをまだ感じ取れますもの」

 楽しそうに言う熊野は立ち止まり、海に体を向けてゆっくりと歩き、波がわずかにかかる位置まで歩く。

「おい、あまり海に近づくな。危ないから―――」

 俺が彼女に近づいていくと、突然両手を勢いよく広げ俺に体を向けて微笑む。

 その動きを見て近づこうとした足が止まる。

「提督、ここに来てからわたくしは幸せでしてよ? 提督はどうなのかしら」

 俺は問いに答えれず、時間の空白ができる。そのあいだ、熊野は足元で跳ねる海の音を楽しみ、段々と体が後ろに下がって海の中に近づいていく。

 さらに注意しようとしたとき、熊野はバランスをくずして海の中に倒れる。

 その姿は鎮守府で多くの艦娘を沈めてしまったことを強く思い出してしまう。

 作戦中の上からの突然な命令変更。結果、暗号がばれて、多数の艦娘が深海棲艦によって失われた。数少ない生還者の艦娘たちは俺を強く憎んだ。俺は憎しみと責任と自己嫌悪に耐えられなくなり、異動を願い出た。

 あれは俺が望んだことじゃなかったんだ。そう思っても感情を込められた"目"から逃げれることはなく、いつまでもその瞬間の記憶が脳にこびりついている

 そして今。また海に沈んでいく艦娘が一人、目の前にいる。

 俺はもうなくしたくないんだ。

「熊野!」

 海に熊野がのまれるのを見た瞬間、杖とバケツを放り投げ急いで熊野の元に駆け寄り、海の中から体を抱き起こす。

 すぐに海水で濡れた全身を確認し、怪我も何もないことを確認して一安心する。

 上着のポケットから出したハンカチで熊野の顔を拭いていると、熊野は俺の顔を両手で首筋から上に向かって手でなぞっていく。

「危ないことをするんじゃねえよ、バカか! 小さなことでも大事にな―――」

「泣いていますのね」

 いつのまにか俺の目から出ていた涙の厚い感触を、熊野は海に濡れた冷たい指でぬぐってくれる。

 そして、そのまま手を首にまわして俺の胸元へ抱きついてくる。

「貴方の苦しみ、この熊野にわけてもらえるかしら」

 心配する優しげな声を聞いて熊野に苦しみや弱音を吐きそうになるのをグッとこらえ、熊野の麦わら帽子が流されていたので俺の麦わら帽子を熊野にかぶせる。それで一度は心が落ち着いたが、熊野に悲しまれると気分が悪い。それをごまかすために熊野の体を勢いよくお姫様抱っこで持ちあげる。

「おりゃあ!」

「きゃ!」

「お前はなぁ、自分のことだけ考えていればいいんだよ!」

 熊野を抱っこしたまま、ぐるぐると無駄に体を回転させながら砂浜に上がり、先に地面へ倒れてから腕の中にいる熊野を雑に転がした。

 荒い呼吸をつきながら、仰向けで夏の空を見上げる。

 そうして落ちつくと、熊野に心の重さを心配してもらったからか、気分がすっきりしていることがわかった。

「提督」

 横に転がっていた熊野は俺に手を伸ばし、胸に手を当てて静かに言い始める。

「この熊野、目は見えなくとも耳があります。耳で聴いて、耳で呼んで、耳であなたを感じ取ります。だからわたくしをあなたの好きなよう―――」

 熊野の頭を力強く抱きしめ、続く言葉を止める。

 そのあとに続く言葉は想定できる。『自由に体を使っていい』ということを。

 そんな言葉を言わせたくはない。それではダメなんだ。熊野を傷つけたくないし、俺はただ熊野との平穏で退屈な日常があれば、それでいいんだ。

 ここに異動されるとき、同僚の提督からは『提督人生、終わったな』と言われた。

 だが、こんな辺鄙(へんぴ)なところで生きるのも面倒な場所でも俺たちは楽しく生きようとしている。心に傷を負った提督と目が見えない艦娘の、たった二人だけの海軍勤務。

 誰からも見捨てられたと思うような、この地の果てで。


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