熊野と世界の果てで   作:あーふぁ

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同じ世界、違う提督の話。
聴覚障害の鈴谷。



閑話 世界の果てで鈴谷と出会った3時間

 8月も終わろうとする最後の週。

 真上から照りつける太陽の下、送ってもらった軍の輸送トラックから降り、深い森の中で3kmの砂利道を歩いてきた俺は小さくため息をつく。

 歩く道が延々と続くような思いに捕らわれたのは間違いではないだろう。意識がぼーっとするなかで、まっすぐに延びる道と木々と木製の電柱だけの道。

 手で額の汗をぬぐい、夏用の白い軍服には汗が染み込んで肌にべたついて気持ち悪い。 

 不快な思いをしてまでたどり着いた目的地は海から遠く、山の中にある場所だ。そこで目にうつる景色の色は緑ばかり。

 ここは人の気配がまったくなく、深く生い茂る木々で囲まれている森の中。

 そして目の前には、ぽつんと切り開かれた場所で錆びた鉄条網と小さな鉄門がある。そこが俺の新しい職場となる整備基地だ。

 だが、整備基地とは名ばかりで門から見える光景はいくつかの倉庫と住居がひとつあるだけだ。敷地内も雑草が多く生えていて仕事する前から気を削いでくれる。あまりにも辺鄙な場所で少しばかり落ち込んでしまいそうだ。

「こりゃ、廃墟と言ってもいいぐらいだわな」

 そのなかでも俺は良いところを探す。それは空気が澄んでいること。煙も飛行機も砲弾も何も見えない、美しい青い空。それと心を圧倒するほどの森のざわめきと寂しさを感じる風の音。

 まるで物語のような非現実的光景に現実感を少しばかり失い、視線が下に落ちていくが足元に自分と彼女の荷物を詰めた大きなバッグがひとつずつあるのを見て我にかえる。

 隣にいる頭ひとつ分ほど背が低い彼女の様子をうかがうと、航空巡洋艦の鈴谷が制服の袖で顔の汗を拭っては失望した顔になっていた。

 彼女の外見は、肘まで長く伸びた薄い青色の髪で太陽の光があたってきらきらと輝いている。茶色を基調とした上品さを感じられる服から見えるふくよかな胸。スカートとニーソックスのあいだから見える、すらりとした足は汗に濡れていて目を離しづらい艶やかさが出ている。

 一瞬だけ鈴谷は俺と目を合わせ、また視線を前に戻しては溜息をつく。 

 鈴谷とはここに送ってもらう輸送トラックの中で出会い、一言の会話もなく2時間が経つ。

 それもそのはず。

 軍から渡された鈴谷のレポート書類を移動中にちらりと見た感じでは、鈴谷は音がかなり聞こえづらいと書かれている。

 耳についての詳細まではまだ読めてないが、おそらく戦闘に必要な音が聞こえないため役に立たないが捨てるにはもったいないために送られてきたんだろう。

 形だけとなっている第596整備基地。

 人員は『提督』の俺と『艦娘』の鈴谷。この二人だけだ。

 左遷されたもの同士、文明から隔離された場所で楽しく生きていこうと俺は前向きに考える。鈴谷は今にも帰りたがっている雰囲気になっているが。

 大人一人分程度の高さがある鉄の門を開けるために近づくと、そこには鉄のプレートがくくりつけられていて文字が彫られている。

 錆びてやや見づらいその文字は『この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ』とあった。

 溜息がつくほど実にやる気がでる言葉だ。こんなのをつけるぐらいに見放されている場所ってことか。

 ここでいつまでかはわからないが、誰にも見張られることもなく文句も説教もないところで自由に生きていける。

 そう考えれば、こんな人生の終わりと思える場所でも楽しめるだろう。40歳で早々に出世の道は閉じてしまったんだからかえって楽になる。

 深呼吸をし、新しい職場に対する覚悟を決めていると、鈴谷がスカートのポケットから出した小さいノートを俺の目の前へ突き出してきた。そのノートには急いで殴り書いた文字があった。

 

【帰る】

【どこへ?】

 

 俺はノートと鉛筆を受け取って、帰ると書いてきた鈴谷に文字で返事をすると、鈴谷はひどく嫌な顔をしては空を見上げて大きな溜息をつく。

 鈴谷との会話は筆談しかできない。でも、これからは手話を覚える必要がある。

 すでに彼女のほうは手話、読唇術をある程度習得していると書類には書いてあった。俺と鈴谷はこれからどれだけ一緒に過ごすかはわからない。

 あとで連絡して手話と読唇術、耳が聞こえない障害についての本を注文しなければ、と頭の隅っこにいれて忘れないように気をつける。

 そんなことを頭で考えながらポケットから鍵を出して門を開け、片手で二人分のバッグを掴む。もう片方の手は、元気がなくなった鈴谷の手首をしっかりと掴む。

 部下である艦娘が俺のせいで犯罪行為に手を染め、その責任を取って左遷になった提督の俺。

 深海棲艦に汚染され、治療の薬物のせいで耳が聞こえなくなった鈴谷。

 この辺鄙で自然しかない場所から、俺達二人の輝かない新しい生活が始まる。

 青の海から緑の海に。

 俺は歩いてきた道へ振り返り、道の奥を見た。二人でここまで来た道。

 それは今までの希望にあふれた場所から、希望を見出せない場所に来るまでの考えをまとめるための道かと思ってしまう。

 溜息をついた俺は、鉄の門を押して廃墟のような整備基地へ鈴谷と一緒に入っていく。

 そして小さくつぶやく。「さらば、文明社会よ」と。




短編読み切りとして書いた1話の熊野のあとに書いた話。
本編は納得できずにやめたけど、投稿したかった。

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