熊野と世界の果てで   作:あーふぁ

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世界の果てで熊野と暮らした1か月と4週間

 天気がいい朝の午前8時。

 夏の象徴ともいえる大きな入道雲が青空に浮かび、真夏の太陽が降り注いで海からは波音と海風のひんやりとした風がやってくる。

 俺は軍の制服をしっかりと着ていても風のおかげで涼しく、人がいない砂浜の波打ち際から少し離れたところを熊野とふたりでゆっくりと歩いていた。

 熊野は右手で杖を持ち、左手でまっすぐに伸ばした俺の肘をそっと優しく握っている。

 俺は熊野に握られている腕をしっかりと体にくっつけ、揺れないようにしていた。

 砂浜をふたりで歩くのはよくあることだけれど、今日はいつもと違って気分が良くない。

 理由は熊野の艤装についてだ。

 ここ2週間ほど、摩耶を入れた3人で熊野用の艤装案について考えていた。

 そのために目が見えない今の状態でどれほどの能力があるのか、砲撃や魚雷などの攻撃と回避行動の試験をした。

 多くの艦娘の教育を担当していた摩耶によって確認をしたが、どれも成績は今ひとつ。

 熊野は普通の艦娘のように、海の上で自由な戦闘はできないと言われた。

 これが不満だった。

 俺は熊野が目が見えていたときのように水上を自由に駆け回る姿を期待していたが、もうそれはできないようだ。

 たとえ艤装に空中聴音機をつけて音を聞こえやすくしても、目で見ると同じようには無理と判断された。音だけでは相手の動きを予測しづらいし、すぐには行動に移せない。

 結果を見て、摩耶は空中聴音機と水上機だけを使う艤装改修案を出した。航空巡洋艦と違い、砲さえも持たない。

 俺は他に有効な案を思いつくこともなく、それが最善と思うものの改修案に納得ができない。

 熊野が海の上で自由にならないことは心の隅でわかっていたこととはいえ、落ち込んでしまう。

 このことを部屋の中でずっと考え続け、ため息がたくさん出ていたらしく心配してくれた熊野に散歩へと誘われた。

 でも砂浜に来ても変わらない。

 どこまでも続く水平線を見てもその向こうを想像してワクワクすることもなく、砂浜に打ち寄せる心落ち着く波音や優雅に空を飛ぶウミネコの声でも気持ちが安らぐこともない。

「こんな美少女が隣にいるのに考え事ですか?」

「そうだね、熊野みたいな素敵な子を放っておいたら人生の1割は損するね」

「あら、1割だけですの?」

 熊野の穏やかな声を聞き、不満しか感じていなかった心が少しやわらぐ。

 この穏やかな熊野の声を聞いて、今度は別の悩みがやってくる。

 それは熊野が戦闘に出るということ。

 艦娘なら戦うことはとても当たり前のこと。けれど、怖いことが意識の表面へ浮かんで離れない。

 それは熊野が沈んでしまうことだ。

 遠くの海で部下である艦娘、いや仲の良い友達がいなくなってしまうのは嫌だ。

 死に際を見ることもなく、遺骨さえもこない。苦しみも悲しみもわかることなく、俺は陸の上で待つことしかできない。

 俺はここに1人残って後悔をするだけの生活をするだけに違いない。

「提督、悪いことばかり考えすぎますと本当になってしまいますわよ?」

「大事なお前のことを考えすぎて何が悪い」

 いらついた声を出してしまい、すぐに後悔をする。熊野は俺を心配してくれただけだというのに。

 穏やかな顔が怯えたり嫌になっていると考えると怖く、すぐ隣にいる熊野の顔を見ることができない。

「雨にも負けず、風にも負けず。雪にも夏の暑さにも負けず。丈夫な体を持ち、欲はなく決して怒らずいつも静かに笑っている」

 唐突に熊野が静かに喋りだした。

 俺に向かって言うわけでもなく、ただ言葉を続けている。

 それは言葉で宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』という詩。

 熊野が何かを伝えたいのかと考え、静かに聞く。

「東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い」

 言葉ははじまりから最後まで続く。

「褒められもせず苦にもされず、そういうものにわたしはなりたい」

 最後にあるこの言葉を持って『雨ニモ負ケズ』は終わる。

 俺はゆっくりと立ち止まって熊野へ顔を向けると彼女は俺の顔を見上げて晴れやかな表情をしていた。

「宮沢賢治の言葉は、誰かのために行動するという人間の理想像のひとつとわたくしは思うのです」

 そう言われるも、俺はそんな立派なことはできる気がしない。

 誰かのため、熊野のことを心配していたがそれは自分のため。失うのが怖いだけだ。

 理想というだけで、自分よりも相手を優先して考えるなんていったいどういう人間がするのか疑問に思う。

「わたくしが戦うことを心配してくれる提督は、前線に戻ってもきっと良い働きができます。艦娘を気遣える提督はとても信頼できるものでしてよ?」

「そう言われると嬉しいものだね」

「過去を反省し、前へ進もうというあなたをいじめる人がいたら、遠慮なくわたくしが叱りつけてあげますわ」

 過去の記憶が俺を責めてこようとしていたが、熊野のおかげで心が軽くなる。

 嬉しい言葉を聞き、笑顔を浮かべていく熊野の頭を空いている手で優しく撫でる。

 それからまた歩き出し、砂浜やそこから見える状況に何も問題がないことを確認した。

 熊野のおかげで心が落ち着き、摩耶提案の艤装改修案を素直に認めることにして、今の仕事場である監視所へと戻ることにする。

 

 ◇

 

 監視所に戻ってくると、セミの声があたりに鳴り響くなかで見えてきた光景は賑やかなものだった。

 赤ジャージを着た摩耶が白ワンピースを着た黒髪ワンコに肩車をし、周囲を楽しげにぐるぐると歩いている。

 ワンコが手に持っているのは虫とり網に、肩に下げているのは虫カゴだ。中にはカブトムシが2匹か入っていた。

 高校生な外見の摩耶と小学生なワンコの組み合わせは、仲のいい姉妹を思わせてくれる。

 そんなふたりはあちこちにある木に近寄り、摩耶は頭の上から指示してくるワンコと仲良くカブトムシを探しているようだ。

 摩耶とワンコは初対面なはずだけど、すぐに仲良くなるのは両方の素直さのおかげだろうか。

 考えてもいなかった光景を見ていると、熊野が肘を引っ張ってきて今の状況を説明してくれという顔で見上げてくる。

「摩耶がワンコを肩車してカブトムシを捕まえようとしている。どっちもはしゃいでいるな」

「麻衣ちゃんが楽しそうな声ですね」

 熊野はふたりの声を微笑ましげに聞き、俺も同じようにはしゃいでいるふたりの声を聞く。

 少し距離があるからか、または夢中になっているのか俺たちに気付く様子はなく、しっかりと観察することができる。

 ふと熊野の表情を見ると何か物欲しげになっていて、顔が向いている方向はふたりへと向けたままだ。

 肩車というものを、摩耶とワンコの楽しそうな声を聞いてうらやましがっていると予想した。それと俺に遠慮していることも。

 たとえ目は見えなくても高い位置にある感覚はわかるし、風や音の感じ方も変わるから楽しめると思う。

「肩車されてみたい?」

「その、ああいうのはやはり見えなければ楽しめないといいますか、ええと……」

「見えなくても楽しいか、せっかくだからやってみようか」

「……それではお願いしますわ」

 恥ずかしそうに言う熊野は俺から手を離す。

 それから俺は熊野の杖を受け取ってから後ろに回り込む。

「足をちょっと広げてくれ。そう、それでいい。行くぞ、熊野」

「よろしくてよ?」

「足、触るぞ」

 俺はしゃがみこみ、広がった熊野の足の間に頭をとおし、すべすべした肌触りがする太ももをしっかりと掴んで慎重に立ちあがる。

 熊野は怖々と俺の頭を両手で掴み、俺の首を挟む太ももに力を入れてくれた。

 それで体勢は安定し、きちんとした肩車ができた。

 そのまま熊野に慣れてもらおうと立ったままでいると、俺たちに気付いた摩耶があきれた顔をしてやってくる。

 摩耶の上に乗っているワンコは熊野を見つけると、まぶしいほどの笑顔でこっちにぶんぶんと手を振ってきた。

「なにしてんだ、あんたら」

「わー! 熊野お姉ちゃん、わたしと一緒だね!」

「え、ええ。ですけど、肩車は結構恥ずかしいものですわね」

 あきれた声の摩耶とかなり嬉しそうなワンコの声。

 恥ずかしがる熊野の顔はきっと可愛いはずだけど、肩車をしていると見えないのが残念でならない。

 でも怖がったり嫌がったりしてないから、それなりには楽しめてもらえると思う。

「ふたりはいつ知り合ったんだ?」

「んー? さっきだな。このちっこいのが来たから、代わりに相手してやったってわけだ。我ながら偉いな!」

 摩耶がワンコを楽しませるために俺の周りをぐるりと一周しているときに、熊野と砂浜で決めたことを言わなきゃいけないことに気付いく。

 今言わないと、後になるほど俺の決心が揺らいでしまうから。

「摩耶」

「なんだ、今度はあたしを肩車しようってか?」

「摩耶がいいならしてもいいけど。話変わるけど、艤装のあれは摩耶が言ったのにしようと思う」

「おう、わかった。あとで書類持っていくからな」

 と、真面目な話をすぐに終えると頭上から熊野の声が降ってくる。

「提督、そろそろ降ろして欲しいのですけど」

 わかったと返事をしてから腰をかがめ、割れものを扱うかのように丁寧に熊野を地面へと降ろす。

 体重がそれほど重くない熊野とはいえ、人ひとりを持ち上げたから腰や肩が少しばかり痛む。

「楽しかったか?」

 熊野に杖を返すと熊野は俺の横へとやってきて、さっきと同じように肘を掴んでくる。

 そこが定位置とでもいうかのような安心した息をついた。

「提督の肩の上はいつもより風をよく感じ、音は綺麗に聞こえました。肩車ということでも世界は変わる、ということが実感できましたわ。……それと、わたくしは重くなかったですか?」

「熊野の重みならいつでも感じていたいほどさ」

 俺を心配してくれる熊野に冗談めかしてそう答える。

「えっちな意味でか、それは」

 熊野と話をしているあいだに素早くワンコを降ろした摩耶は、熊野とは反対側の隣へとやって来てニヤニヤとした表情で俺の頬を人差し指でつついてくる。

 人差し指を払い、またつつかれるといったじゃれあいをしているとワンコが熊野の前にやってきた。

 熊野はおだやかな顔をワンコに向け、ワンコはしっぽや耳があってピコピコと激しく揺れ動いているような錯覚をしてしまう。

「熊野おねーちゃん、一緒に遊ぼ!」

「なにをして遊びま―――」

「カブトムシ!」

 熊野に会えてテンションが高いワンコは、引きつった熊野の笑顔を気にすることなくキラキラとした輝いた笑みを向ける。

 虫がそれほど好きでない熊野は数秒間固まり、助けを求めるかのような顔を俺に向けてくるが、俺の表情がわかるはずはないのについ顔をそむけてしまう。

 それは摩耶も同様で、今の熊野を救うことは誰もできない。

 俺達の気配を察した熊野は俺の肘から力なく手を離し、先に監視所の中へと走っていったワンコのあとを歩いて追っていった。

 その後ろ姿の気配は恨みがずいぶんとこもっているようにも感じたが、滅多に見ることのない姿は新鮮でたまにはこういうのもいいと思う。

「助けなくてよかったのかよ」

「その気持ちはあったけど、熊野の成長やワンコの期待を裏切れないからね」

「いじわるな奴だな、おい」

 熊野の困る姿を見て爽やかな笑みを浮かべる俺に、摩耶はにんまりして肘で脇腹をつついてくる。

 あとで熊野から『わたくしに対する優しさが足りませんわ!』とすっごく怒られるだろうけど、いつも穏やかな熊野にたまにはこういういじわるもしたくなる。

 仕返しが来るだろうけど、なにをしてくれるか楽しみにしている俺はまったくおかしくはない。

「なぁ、あのちっこい子、名前はなんていうんだ?」

「知らないで遊んでたいのはさすが摩耶というべきか……。あの子は麻衣って名前で、俺は外見や性格からワンコって呼んでる」

「あー、ワンコか。うん、熊野にひっついてるのを見れば納得だな」

 何度もうなずいて納得をする摩耶。

 ワンコの名前を知らなかったのに、仲良く遊べるのはすごいと思う。

 俺なら名前がわからない人と一緒の行動をするなんて怖くてできない。あとでどういう厄介事に巻き込まれるかが怖くてたまらないから。

 摩耶に感心する目を向けると恥ずかしそうに顔をそらしたかと思うと、俺へと背中を向ける。

「世界平和のために戦ってるあたしが、子供にさえ優しくできないとダメじゃんか。そういうことができないと世界のために戦うなんてのはおかしいとあたしは信じてるからな」

 立派な心がけだから別に恥ずかしがる必要はないし、俺は素直に感心しているというのに摩耶は背中を見せたままだ。

 ここで俺のいたずら心が芽生え、気持ちを抑えつつ摩耶の後ろに近づいていく。

「肩車するぞ」

「え、おい!」

 強引に足のあいだに頭を突っ込み、一気に摩耶の体を持ち上げる。

 熊野より筋肉があってハリがある足をしっかりと掴み、俺の頭をぽかぽかと強めで叩いてくる摩耶に耐えてしっかりと立つ。

「さっき肩車がどうの言っていたじゃないか」

「確かにそう言ったけどな、あたしの気持ちを考えてみないか?」

「摩耶も楽しませてあげようという親切心じゃないか。ほら、しっかり捕まってないと落ちるぞ」

「や、待て。あたしはされるよりするほうが―――うおぉぉ!?」

 摩耶がしっかりと手足で捕まってきたのを確認すると、あたりをぐるりと早足で歩き出す。

 頭の上から響き渡る摩耶の悲鳴が段々と楽しげな声に変わっていき、その様子に安心する。

 摩耶への行動はいたずら心。

 けれど誰かのために行動するということ、それは自分よりも他の人のことを多く考えるということだ。

 自分よりも相手を優先することは、相手が喜ぶ姿を見れたならそれは幸せかもしれない。

 最も俺がしている今の場合は、摩耶に楽しんでもらいたい気持ちがあるが俺自身も楽しみたいだけなんだけれど。

 


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