イザナミ。
伊弉冉、もしくは伊邪那美と書く。
イザナギの妻であり、妹である。そしてイザナギとともに、神世七代の最後の代であり、イザナギと一緒に国産みと神産みを行った神である。また、死者の国である黄泉の大神でもある。
あらゆるものを生み出した、母神であり、
そして、"死へと誘う神"とも言われる。
オオゲツヒメさんは説明を続ける。
「イザナミ様は、穢れを司ります。そもそも穢れは、生きるものが死するときに発生するものであり、また生きるものに寿命を発生させ、死へと
説明するオオゲツヒメさんは、すごく悲壮な顔をしている。しかし、オオゲツヒメは続ける。
「そして、黄泉の国は穢れが無尽蔵にあります。そもそも死者の国ですので。その黄泉の大神、イザナミ様はその穢れをこの地上の世界に満たすことによって、生きるものすべてを死に誘います。イザナミ様は、地上の生きるものにとって忌むべき神なのです。だからこそ、黄泉の大神、イザナミ様から生まれていない三貴子は、まったく穢れ無き神として尊重されるのです」
アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子がなぜ貴いのか。それは穢れを司るイザナミの血が流れていないからこそ、穢れがない純粋の神だからだという。
「そもそも、何故、彼女は穢れをこの世界に満たそうとしたんだろう?」
俺は彼女の説明を聞いて、疑問に思ったことをオオゲツヒメさんに質問する。
「そうですね……これは神代の話ですので、そちらの亜月様も御存知だと思いますが、説明させて頂きます」
オオゲツヒメさんは、穢れが何故世界に満ちることになった経緯を説明する。
遥か昔の神代のこと。世界が天と大地が分かれ始めたときからかなり時間が経ち、だいぶ世界が安定化していた。別天津神はイザナギとイザナミに、地上の国をつくれと御言を与えた。その御言によって、イザナギとイザナミは国産みを行った。国産みによって大八洲、つまり日本列島が出来上がった。
国産みを果たしたイザナギとイザナミの兄妹は、夫婦の契りを行う。
夫婦の契りを果たしたことによって、イザナミはあらゆる神を生んだ。これこそが神生みである。
オオゲツヒメさんは、この神生みによってうまれたという。
あらゆる神が生まれていくうちに、火の神が生まれた。
火の神を生んだ事によって、イザナミは大やけどしたという。その大やけどが原因で、イザナミは死すことになる。
イザナミの死を嘆き悲しんだイザナギは、イザナミの死の原因と成った我が子である火の神を斬り殺し、イザナミがいる死者の国、黄泉へ赴く。
そして黄泉へと赴いたイザナギは、見てしまったのだ。
穢れに塗れるイザナミを。
イザナミの成り果ての姿を見てしまったイザナギは、妻であるイザナミを受け入れることができずに、恐怖に陥り、逃げ出してしまった。
イザナミは必死にイザナギを追いかけるが、イザナギは逃げ続けた。そしてイザナギは巨大な岩で道を封鎖することによって、イザナミが追うことを不可能にした。そしてイザナギはイザナミに言った。
もうお前は妻ではなく、必要ではない、と。
それを聞いたイザナミは、穢れをもって地上の世界の人々を死へと誘う、と宣言した。
そのイザナミの宣言によって、この世界は穢れが満ちた。
「イザナミは、恨みを込めてそう言ったのかな」
俺はオオゲツヒメさんの説明を聞いて、そう言う。いや、言ってしまった。
突然、俺の近くにある扉が一気に開かれた。そして、そこにいたのは、光り輝く巨大な矛をもったイザナギだった。
そのイザナギは、鋭い睨みを、俺に放っていた。
「お前に、何が分かる……」
イザナギは俺に巨大な矛を向ける。その矛の刃から、膨大な光が噴出していた。
「我が妻を知らぬお前に! 何が分かるというのだ!!」
そう言い放ちながら、イザナギは光り輝く巨大な矛を、俺に振り落とす。
いきなりのことに俺や亜月、オオゲツヒメさんは呆然としてしまった。
亜月は動き出すが、こちらまで届かない。
目の前までに迫り来る矛を、何とかしなければならない。
俺は能力を発動し、迫り来る矛に干渉し、動きを止める。
しかし、その矛はあまりも強烈すぎる。いくら干渉したとはいえ、矛はその干渉を弾こうとする。干渉しようとする能力と、それを弾こうとする矛の鍔迫り合いが続く。
だがそれによって矛は動きを止めたのが幸いした。
亜月が、矛が止まった瞬間を見逃さずに、その矛を掴んだのだ。そして、イザナギから 矛を奪う。奪われた矛は輝きが失われ、光の噴出が止む。
それを確認した亜月は、左手をイザナギに向ける。そして、亜月の左手の袖から、極太の蒼く光り輝く縄が出てきた。その極太の縄は、意識をもっているかのように動き、イザナギへと向かい、イザナギを縛り上げる。
「父上!」
「ぐぅうう!」
光り輝く縄によって縛り上げられても、それでも動こうとするイザナギ。しかし、まったく動くことが出来ない。
「おまえを縛り上げているのは
しかし、亜月の縄で縛られても、イザナギは亜月に言い放つ。
「亜月殿、貴方は関係ないはず!」
そう言われた亜月の表情は見るからに怒っていた。
「ミツキ様は私の主様です。その主様に危害を加えようとするならば、例えどんな神であろうとも、容赦はしません」
亜月はその口調から、明らかに怒っている。おれでさえも恐怖を感じるほど。
そう言われたイザナギも、驚愕をする。
「寿命を知らないだけの人間ごときに……」
「人間であっても、私にとっては絶対の存在であり、神霊玉を託せる唯一無二の存在なのです」
亜月がそう言って場の流れが止まる。そして膠着状態が続く。
両者とも無言のまま。
しばらくしているとイザナギは我に返ったかのように、落ち着き、元の表情に戻る。
「すまぬ、ミツキ殿」
イザナギは俺に矛を振り落としたことについて、謝罪する。
「いえいえ、俺も考えなしにあんな事を言ってしまいました。お互い様です」
そう、俺も安易にイザナミのこと言ってしまったのだ。このことについては、俺が悪いのだ。
……
イザナギはやはり、今でもイザナミのことを考えているらしい。そして俺が考えなしにイザナミのことを言ってしまい、癪に触って激昂したのだ。
イザナギはどうしても、イザナミのことを忘れられないのだ。別れた今でもイザナミのことを一番に思ってしまうのだ。
ーー私は今でも、貴方を愛しています。そして、これからも。
イザナミが最後の別れの時に言った言葉。この言葉を、思い出すだけで後悔という渦に叩き込まれるというのだ。イザナギも、仲よかった頃に戻りたかったと、確実に思っていた。
やはり、イザナギも、彼女のことを愛していた。
「そして、彼女とはなにもかもが終わった……。すべてが遅かったのだ……」
イザナギはそう言う。
俺はそれを聞いて、居ても立ってもいられくなった。
「そんなおかしいだろ! 両者とも愛し合っていたのに、結局すれ違ったままで終わる なんて……絶対におかしいだろう!」
俺は拳を握り、イザナギに大声で怒鳴る。
「だが、もう終わったのだ。あとは私が彼女のことを忘れればいい」
イザナギはそんなことをぬかしやがった。
俺はそれを聞いてイザナギに右手で殴りかかる。
しかし、亜月は殴りかかろうとした俺の右手を掴み、止める。
そして亜月はひんやりとした右手で俺の右手を掴みながら、左手に矛を持ちイザナギに言う。
「この矛は、私が創造した天の沼矛ですね。おまえはこれを私に見せたかったんでしょう?」
「ええ、この天の沼矛を創造なさった亜月殿にお返ししようとおもったのです」
俺は亜月に右手を掴まれ、そんな矛がどうしたんだと思う。
しかし亜月は続ける。
「おまえは終わったといいましたが、実は終わっていません。まだおまえとおまえの妹は結ばれています。その象徴がこの矛なのです。それに、この矛は私に返さなくてもかまいません」
天の沼矛。イザナギとイザナミの国産みによって大地をかき混ぜる際に使用された矛。この矛をイザナギとイザナミが持って使用されたのだ。
だからこそ、この矛はイザナギとイザナミの結びの象徴なのだ。
そして俺はあることを思いつく。
「まだ結ばれているなら……なんとかなる! イザナギ、黄泉へ行こう!」
と俺はこの案をイザナギに言う。
しかし、イザナギは困ったような顔をする。
「黄泉の入り口である
どうやら、物理的に黄泉へと行くことは出来ないようだ。
でも、そんなことで諦めはしない。
「いや、俺の能力と亜月ならばいける……」
この世界と黄泉が繋がっていないなら、繋げればいい。
「なるほど、それならば、いけるでしょう」
亜月も、俺の考えを理解したようだ。
天の沼矛。亜月が言ったように、天の沼矛を介して、イザナギとイザナミが結ばれているのだ。ならばこれを利用する。
イザナミがいる黄泉への道を、天の沼矛を介してて干渉する。
イザナミという道標が、天の沼矛によって結ばれているからこそ出来るのだ。
もしイザナミが天の沼矛によって結ばれていなければ、このような事を出来るはずがない。
黄泉への道を干渉することが出来た。そして次に、亜月の能力によって、黄泉の道と、この場を"結ぶ"。
結ぶ事も、立派な亜月の能力だ。
こうして、黄泉とこの場を繋げることが出来た。
黄泉と此処を繋げたことによって、目の前の空間に大きな漆黒の穴が生じた。この穴に入れば、黄泉へと続く。
「しかし、イザナミと会っても、どうすれば……」
このごろになってイザナギは怖気付いたようなことを言う。
「仲直りすればいい! そうすれば万事解決!」
と、俺はイザナギに言う。そう、仲直りすればいい。結局、それが大事なんだから。
光索を解かれたイザナギと、俺、亜月、そしてオオゲツヒメさんの四名は覚悟を決め、この穴に入る。
……
「黄泉も、だいぶ変わったものだな」
イザナギはそう呟く。
やはり、一度黄泉へ行ったことあるからこそ、そう言えるのだろう。
決心した四名は、イザナミがいる黄泉へと行くために亜月の能力によって生まれた大きな穴の中に入り、漆黒の闇の中、しばらく歩いていると、世界がぐるりと変わった。黄泉へと着いたのだ。
空の色は普通の蒼色だが、まわり一面が花畑である。これだけを見ていると、最も穢れた場所というイメージとは程遠い。穢れというイメージよりも、綺麗な場所と言っていい。
しかし、亜月は言う。
「この空間にある、すべてのものが穢れですね」
この視界一面にある綺麗な花畑も、すべてが穢れだという。穢れがありすぎて、物質化したとのこと。
黄泉の花畑を、しばらく観察していると、イザナギはある方向に、移動する。
「父上……どこに行くのですか?」
イザナギのいきなりの方向転換に、戸惑いを隠せずにオオゲツヒメさんはイザナギに問いかける。
しかし、イザナギは何も言わず、スイスイと進んでいく。まるで、一度通った事があったかのように。
俺達も、そのイザナギの後を追う。
ひたすら歩きが続いたが、いきなり、イザナギが止まる。そして、何かを思い出したかのように俺の方に振り向く。
「ミツキ殿、得物は持っているか?」
「いや、何も持っていないが」
「ならば、これを持っていくといい。此処からは少なくとも自分を守るための武器が必要だ」
「わざわざ俺のために……ありがとう」
イザナギは、左腰に携えていた刀の一振りを、俺に差し出す。
その刀は、長さ三尺の日本刀だ。飾り気はなく、完全に実戦向けの刀だった。それほど重く感じず、扱いやすい刀だ。
「ふん、ならば行くぞ」
と、イザナギは前に向き、歩を進める。
イザナギを先導に、俺達は黄泉の国を歩いて行く。
しばらく歩いていると、突然、亜月が何かを感じた。
「!? 避けてください!」
「くっ、
上から、鎧を着た6人の者達が剣を振り落としながら現れた。
俺達は全員、今いる場所から退いて回避する。
突然現れた兵士の格好をした6人は、吐き気を催すほどの殺気を俺たちに向ける。
俺は恐怖のあまりに全身震えている。だが、なんとか6人に相対する。
纏まっていた兵士たちだが、その兵士たちは、3人がイザナギを相手し、残りの3人がオオゲツヒメ、亜月、そして俺を相手する。オオゲツヒメさんは、直ぐ様、俺の後ろに隠れる。
まずイザナギは3人を相手したが……瞬殺だった。イザナギは巨大な剣で3人を薙ぎ払ったのだ。これだけでその3人は動かなくなり、消滅。
俺らを相手する兵士3人を対処するのだが、亜月が即時に光索を袖からだし、兵士たちを縛り上げる。2人は縛り上げられて消滅したが、1人はそれを躱して、俺の方へ来る。
俺の方へ来た兵士は、俺に対して剣を構える。俺もイザナギから貰った刀を正眼で構える。
兵士は袈裟懸けで俺を斬ろうとしたが、俺は兵士の袈裟懸けをする剣を刀で受け、兵士は反動でよろける。その隙を見逃さずに、兵士の胴を斬る。
剣道の返し技である、返し胴っぽくなった。
こうして兵士6人は消滅した。
「どうやら、見張りの兵士のようですね。私達を侵入者として認識したのでしょう」
今さっき兵士と戦闘した場所で光索をしまう亜月は、消滅していく兵士を見ながら、皆に聞こえる程度に言った。
「私たちは黄泉にとって異物ですからね」
俺の後ろにいたオオゲツヒメさんは、兵士が消滅したのを気づいて、俺の後ろから前に出て亜月に答える。
イザナギは、兵士たちが消滅したのを確認する。そして四方八方を見渡す。そして、ある方向を見て、その方向へと無言で歩く。
俺達も、それに続く。
◆◆◆◆
イザナギたちが黄泉の中を歩き続けている頃、その黄泉の奥にある小さな古ぼけた社で、その女は手のひらをゆっくりと握ったりして、その感触を確かめていた。
かつての神代に、天の沼矛を握っていたその手のひら。
その女、イザナミはゆったり動き続ける自分の手のひらを眺めながら、物思いに耽る。
やはり、一番最初に思いだそうとするのは、自分の兄で、かつ、夫だった者。
イザナミが、最も愛していた彼。
イザナミはその者ことを、思い出そうとしていた。
しかし、彼女は首をかしげていた。そして焦燥感に包まれていく。
それは何故か。
「なんで……なんで、思い出せないの……」
イザナミは、愛していた彼の顔を思い出せなくなっていた。
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