クラップスタナーは2度鳴る。   作:パラプリュイ

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堕天使のはなし。

 

 浅野君の発言に、宍戸先生は大きくため息を吐いた。騒動で一部混乱したとはいえ今は試験中。試験中に席を立つなんて言語道断だ。

 ぼくは廊下に立っているのでドアを少し開け、中の様子を見た。突然の騒動だったというのに生徒たちは時間の延長を言われていないためテストに集中しきっていた。浅野君が先生のことを睨みつけるような目で見つめる。

 

「浅野、座れ」

 

「おかしいです。カンニングなんてあり得ない。渚が頭良いことなんてみんな知ってるでしょう。カンニングしたぐらいで取れるような点数じゃないってことも」

 

「お前までカンニング呼ばわりされたいのか!いいから座れ!」

 

 様子は見えないが、浅野君は仕方なく座ったらしい。テスト終了の合図が鳴るまで暫く答案用紙を埋める音だけが続いた。廊下に立たされているぼくはそのまま終わるのを待たなくてはならなかった。

 試験終了のベルが鳴り、最後の試験でみんなほっとしているようだ。でも、それと同時に自分たちのクラスで起きたことを全員はっきりと覚えていて、言葉の嵐がぼくを襲った。

 

「天使がカンニング?あれだけ頭が良かったらカンニングなんてする意味ないだろ」

 

「浅野だって否定してるんだぜ」

 

「でも大石さんってほんとはそんな頭良くないんじゃないの?」

 

 じゅりあちゃんグループの取り巻きの1人が大きな声で言った。それに周りが同調して「そうだよね〜」などと声をあげる。じゅりあちゃんのカンニング工作は知らなそうだが、その場の空気が彼女たちに悪口を言わせてた。リーダー格のじゅりあちゃんが鼻歌混じりに笑みを浮かべていたからだ。

 

「浅野君と仲良かったからバチが当たったのよ」

 

「お前ら天使に嫉妬してるだけだろ」

 

 男子の誰かがぼそりと呟き、それを引き金にして女子たちが一斉に笑い出す。

 

「やっぱわかる??てか、浅野君にくっ付き過ぎ!天使とかなんなの。意味わかんないしー!」

 

「うわっ、女子怖っ!」

 

「関わりたくねー」

 

「いい気味だよねぇ〜。ねっ、姫ちゃん?」

 

 最後の声だけぼくは認識できた。紛れもなくじゅりあちゃんの言葉だ。姫希さんの声は確認できない。

 

「大石、職員室行くぞ」

 

 宍戸先生に連れられ、職員室へと向かう。職員室の中には生徒が数名ほどいて、恐らくその何人かは既にE組行きが決定した生徒たちだろう。ぼくは先生の準備が整うまでドアの近くで待機するように言われた。

 偶然にもそこにはもう1人待たされている生徒がいて、彼はぼくのことをちらりと見ると声を発する。

 

「天使が職員室に呼び出しってのはきな臭いな」

 

「菅谷君。君も呼び出し?」

 

「テスト用紙の裏に落書きしたらこのザマさ。A組の方騒がしかったけど、何かあったのか?」

 

「……カンニングの濡れ衣掛けられたんだ」

 

 ぼくは手短に1番仲良しの友達が脅されてやったこと。ほとんどの人が自分のことを信じてくれなかったことを説明する。菅谷君は大変だなという顔で聞いていたが、何か芸術的なアイデアを思いついたようだ。

 

「ってことは今この天使が」

 

 菅谷君はポケットからメモ帳と鉛筆を出して絵を描いた。出来上がった天使の絵はまるで絵画の模写かのようだ。でも紛れもなく菅谷君の絵である。デッサンとはこういうのを言うんだっけ。

 菅谷君は天使の羽を黒く加筆する。真っ黒の羽を持つ天使は悪魔のようにも思えた。

 

「こうなったってことかな」

 

 羽と服を黒く塗り潰された天使を逆さまにひっくり返し、また新たな絵が完成された。なんだかぼくとは違う気もするけど言いたいことは分かった。逆さまになった天使。堕ちる天使。それはつまり__________

 

「堕天使だ」

 

 菅谷君がメモ帳の端を破りぼくに天使の絵を差し出す。その間に菅谷君の担任教師が顔を見せた。

 

「菅谷君、私について来なさい」

 

「あーあ、呼ばれた。それあげるから今度絵のモデルやってくれよ。1度描いてみたかったんだ」

 

「わかった。ありがと、菅谷君。なんかよく分かんないけど元気出た」

 

 後ろ姿で手を振る菅谷君にぼくは何故か安心した。ポケットに天使の絵を畳んでしまう。さて、ぼくも行かなくてはいけない。

 

「大石。お前はこっちだ」

 

 宍戸先生に手招きされ、ぼくは面談室へと通された。ここは親子面談などで使われる、誰にも話を聞かれない部屋だ。

 

「やれやれ。試験中、長沢に大石がカンニングしてるって言われた時はどんな冗談かと思ったぞ」

 

「カンニングなんてやってません!」

 

「とはいえ証拠もあるんだ。今まで前例が少なかっただけに対処法は明確ではないが、俺の目の届く場所でカンニングした奴をA組に置いとくわけには行かない。俺の方からE組に行かせるよう言ったよ」

 

 1周目の時にもらったE組行きの連絡用紙をぼくに渡した。

 

「それから1ヶ月の停学だ。頭を冷やして自分が何をやったのか考えろ」

 

「……先生は信じてくれないんですか?」

 

 鼻からぼくがカンニングをしたと決めかかる宍戸先生に眉をひそめ、少し反抗的な目で盗み見た。彼は頭を掻いている。

 ぼくは気がついた。カンニングをやった生徒がいた時、それが誰かに仕組まれたものだと疑う教師がどこにいるんだ。しかし、それにしたって宍戸先生が1ヶ月もの停学を言い渡す理由にはならない。停学したら弁解の余地がなくなり、ぼくがE組に堕ちたら彼の評価だって下がるっていうのに。

 どうしてわざわざそんなことをするんだろう。

 

「とは言ってもな。証拠がある。証言もある。いくらお前が優秀とはいえこうも揃ってるとな」

 

 先生は来年の成績次第だと締めくくった。解せないとは思いつつもぼくはもう反論する言葉もなく、面談室を後にする。

 職員室ではあの学年不動の2位、学問の天使がカンニングをしたということで騒ぎになっており、既に生徒たちにも噂として流れたようだった。宍戸先生にカンニングが理由でE組行きを宣言され、E組に行く理由がほしいと思っていたとはいえさすがに濡れ衣のカンニングでE組には行きたくない。さらに1ヶ月の停学。これでは身の潔白を証明する手段がない。残念だけどじゅりあちゃんの計画は成功した。お手上げである。

 

 教室に戻ると周りが遠巻きにぼくの噂をしているのが分かった。姫希さんはじゅりあちゃんのグループと一緒になってぼくの話題を出している。この異様な光景に幸運なことに5英傑は加わっていなかった。どうやら浅野君に説得されたものとみられる。ぼくに話しかけこそしないものの、普段通りの会話でぼくのことには一切触れていない。

 

「渚、どうなったんだ」

 

 唯一浅野君がぼくに声をかけた。

 

「1ヶ月の停学……あと」

 

「まさか渚」

 

「E組に堕とされた」

 

 クラスのざわめきが一層広がった。5英傑と並ぶとまで言われた優等生がE組に行くのは前代未聞のことなのだろう。

 

「でも浅野君__________「もう僕に話しかけないでくれないか?」」

 

「成績が良かったから仲良くしてただけだ。E組に行く奴は僕の仲間じゃない。僕も前に言っただろう」

 

 ショックだった。浅野君はさっきぼくを庇ってくれた。でもそれはA組のクラスメイトだからであって、E組に堕ちることが決定した今、彼にぼくを庇うメリットがないのだ。

 

「そっか……そうだよね。ごめん、もう浅野君には話しかけない」

 

 浅野君の性格なら分かっていたことじゃないか。それでも味方のいないこのA組で浅野君までとなるとぼくの落ち込みが一層激しさを増す。

 じゅりあちゃんは浅野君との会話を目ざとく観察しており、彼がぼくを拒絶した時は拍手して笑い転げた。

 

「うわぁ〜やっぱ浅野君渚ちゃんと仲良くするの止めるんだぁ〜!」

 

「それが正解よ。カンニングなんかする女、A組には相応しくないわ」

 

 ぼくはじゅりあちゃんたちの女子グループまで歩いて行くと、姫希さんの前で止まる。

 

「ちょっといいかな、姫希さん」

 

「なに?」

 

「話がある。大事なことだから来てほしい」

 

「姫ちゃんおどして何するつもりなのぉ、渚ちゃん?E組の勧誘でもするのかなぁ?」

 

 ぞっとするほど嫌気がさす声でじゅりあちゃんがからかった。周りの女子たちがクスクス笑っている。

 

「なにそれ超ウケるんですけど!」

 

「別にいいよ。行ってあげる」

 

 姫希さんは彼女たちとは対照的に好意的な対応をする。彼女は席を立ち、ぼくと一緒に教室を出た。ぼくは無言で校舎裏まで歩き、その後ろを彼女がついてきた。その間一切会話は無かった。

 

「姫希さんだよね。机の中にカンニングペーパー仕込んだの」

 

 いきなり本題から入るのは話題が思いつかなかったからだ。ぼくはこれが絶望かと相手の顔を見る。ぼくの前で姫希さんの顔色は真っ黒になって、顔を覆い隠した。人の顔色は見え方にもよるけど、ぼくの場合は相手の敵意が強ければ強いほど暗くなる。でもそれが顔が見えなくなるぐらい黒いのはぼくが自分の中で姫希さんを殺してしまったからだ。

 

「そうだよ」

 

「何でそんなことしたの?」

 

「渚ちゃんってさ、ほんと鈍感だよね」

 

 彼女が何を言っているのか分からなかった。いつもの明るさを無くした姫希さんは無表情で何を考えているのか読めない。真っ黒過ぎて顔色が掴めない。

 意識の波長に集中しようとしても、ざわざわと混線したように複雑化した感情が見え隠れするだけだった。

 

「私がどれだけ女子をまとめるために頑張ったか。それをあんなぶりっ子の順位がちょっと上なだけで逆転されるなら、カンニング工作の手伝いぐらいするよ」

 

 やっぱりあのトイレの時に誘われたんだろうか。姫希さんが女子の順位に拘る理由をぼくは知らない。でもそれは彼女にとってはぼくなんかよりずっと大切なものなのだろう。

 

「姫希さんは何でそんなに支配したがるの?そんなことしなくても友達ならいっぱいいるのに」

 

 前から疑問だったことを投げかけてみる。彼女は躊躇したが、結局ぼくに理由を話すことにしたようで口から一気に言葉を吐き出す。

 

「今だから言うけど、私小学校の時虐められてたんだよね。その時は何にも取り柄がなくて、浅野君に会って変われた。だから浅野君のためなら何でもしようって思ったの。女子を支配することだって、渚ちゃんを守るのだって、情報を支配することだってした」

 

 姫希さんが虐められていた。そんな話は聞いたことがなかったけど、それが女子の頂点を守り抜こうとする彼女の理由なんだ。下には落ちたくない。ただそれだけ。彼女もぼくを見ていない人の1人だっただけの話だ。

 そして浅野君のために何でもするという発言。これはまるで彼女が浅野君に対して特別な感情を持ってるように受け取れる。

 

「姫希さんは毛利君が好きなんだと思ってた……」

 

「伊織が好きなのはほんと。でも浅野君は浅野君(かみさま)だから」

 

 それが恋だと思った。でも実際には全く違うものだった。ぼくが今まで見たどんな感情とも異なっている、浅野君の洗脳が完璧に実用された状態。

 姫希さんは浅野君を神格化していた。妄信的な信者だったのだ。ぼくはそれで全ての姫希さんの行動の意義を理解した。浅野君と姫希さんは一見対等で少し距離を取った関係に見えた。どちらも互いの苗字を呼び合い、敬語なんかも一切使わない。でも実際は浅野君が姫希さんを女子をまとめるため、情報支配のためにただ利用していた主従関係だったのだ。

 

「……狂ってる」

 

「あ、学問の天使ってあだ名は私が考えたんだよ〜。神様にいつもくっ付いてる天使ってね」

 

「全部、浅野君のためだったの?わたしとずっと一緒にいたのも全部」

 

「そうだよ」

 

 あっさりした返事にぼくはもうこれ以上姫希さんの話を聞きたくなくなっていた。

 

「浅野君はE組に行く奴は仲間じゃないって。わたしたちもう話さないよ。これで満足だよね」

 

 話を中断するために言う。姫希さんの表情が少し曇り、彼女は遠い目で呟いた。

 

「E組に行く奴ね……」

 

「姫希さん、2年間なんだかんだでありがと。嘘だとしても嬉しかった」

 

 ぼくは頭を下げた。姫希さんがぼくのことを嫌いだったとしても、2年間彼女はぼくと仲良くしてくれた。それだけで充分だ。

 

「……馬鹿だな〜渚ちゃん。浅野君の意図分かってない」

 

 姫希さんがぼくに聞かれないようにそう呟いていたことをその時ぼくは知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3週間が過ぎたころ、春休みの真っ只中に理事長から呼び出しがかかった。

 ぼくは何事かと疑ったが、どうやらE組に関することらしい。春休みの授業に参加できない分の遅れとか、そういったところかな。

 春休みなので学校には誰も居らず、言われた通り理事長室にノックした。

 

「入りたまえ」

 

 ぼくはドアを開けて理事長室の中に浅野君とじゅりあちゃん、そして姫希さんの姿を発見する。何でこの3人がここに居るんだろう。

 

「渚ちゃんまで呼び出して、いったいどういうことなのぉ?あ、じゅりあたちの関係をアピるのかぁ」

 

 浅野君は一体じゅりあちゃんに何をしたのか。じゅりあちゃんはやけに浅野君にベタベタくっ付いていた。ぼくに見せつけているようだ。

 

「僕が呼んだのはもっと別の話だ。理事長、今から大石渚の無罪を証明します」

 

 ぼくは浅野君を何度も見てしまった。どういうことだろう。浅野君は今から何をするっていうんだ?

 じゅりあちゃんも同じように困惑した様子で浅野君の腕に自らの腕をぎゅっと絡めた。何故その動作をしたのか不明だが、怖くなったのだろう。しかし彼女の表情は余裕すら感じる。実行犯が姫希さんだから安心しきっているのか。

 一方の姫希さんは全てを分かりきっているような顔で浅野君より少し離れた場所に立っていた。ついこの前話した彼女の妄信的な浅野君に対する思いを思い出す。

 

「ほう。聞かせてもらおうか」

 

 理事長は浅野君の話に身を乗り出した。どうやら息子が何をするのか少しばかり興味があるらしい。

 

「まず、渚が書いたというカンニングメモの筆跡ですが、彼女は右利きなのに手が擦れた跡は左側にありました。つまり渚とは別の生徒が仕組んだということです」

 

「へ、へぇ、そうなんだぁ〜。でもじゅりあ右利きだもんねぇ。左利きなんていったら姫ちゃんとかかなぁ?」

 

 実行したのが姫希さんだからってじゅりあちゃんはぼくに挑発する。何とか怒りを堪えて浅野君の説明に耳を傾けた。何故か姫希さんは眉ひとつ動かしていない。

 

「2つめに、カンニングメモを確認しましたが、あのレベルなら精々取れて30点分。しかも基礎のみなのと、渚の答案の論述はカンニングメモとは大きく違っていました。そもそも毎回満点レベルの答案を出す渚がわざわざそんなことをするのは考えづらいかと」

 

「だが、結果は結果だ、浅野君。カンニングの証拠は彼女の机の中から現れ、それは彼女がやったという証明になる。例え大石さんがいくら成績上位の常連だからと言って、だからどうしたという話だ。それともまだ何かあるのかね?」

 

 理事長は浅野君の話を促した。

 

「3つめはこれです__________

 

『じゅりあ、君と話せて嬉しいよ。実は言うと大石さんのことは嫌いだったんだ。カンニングしたって聞いた時はざまあみろって思ったよ』」

 

 ボイスレコーダーから流れる浅野君の声がいつもとは全く違う言い方でじゅりあちゃんの名を呼んでいた。これは姫希さんの常套手口である録音だ。しかしこの会話から何をしろっていうんだ?

 ぼくは続きを聴いて浅野君が何をしたかったのか漸く分かった。

 

『じゅりあもうれしいなぁ〜!そうなの!渚ちゃんが邪魔すぎてぜんっぜん浅野くんと話せなかったんだもん……でもいい気味!あんな簡単に罠にはまっちゃって……あ、ごめ〜ん。今のはじょうだんだよぉ』

 

「嘘でしょ!何でこんな録音!」

 

『気になるから教えて?じゅりあの知ってることは全部知りたいんだ。それに僕も大石さんのことは嫌いだし』

 

『ほんとぉ?!うれしい!えっとねぇ、カンニングペーパーを作ったのも仕込んだのも姫ちゃんなんだよぉ』

 

『伊藤さん?じゅりあは何かしたの?じゅりあのことを知りたいんだ』

 

『考えたのはじゅりあなんだけどねぇ〜、姫ちゃんは手伝ってくれたんだぁ〜』

 

 そこでブツッと音声が切れる。浅野君は勝ち誇ったように理事長と、じゅりあちゃんを交互に視線を動かした。じゅりあちゃんを自分の腕から引き離す。お前には用が無いという態度にじゅりあちゃんは泣きそうな顔をしていた。

 

「これが証拠です」

 

「ごめんなさいっ!私じゅりあちゃんに脅されて逆らえなくて……やらないと虐めるぞって。それで仕方なくやったんです……っ!」

 

 姫希さんが泣きじゃくりながら弁解した。浅野君はそんな彼女を一瞥さし、一言告げた。

 

「ということなので彼女は見逃してあげてください」

 

 さすが浅野君だ。自分のコマが罰せられるようなことにはならないよう考えている。ぼくは理事長と目が合った。思わず逸らすと彼は小さく笑い、目を閉じて1回頷いた。

 

「……分かりました。大石渚さんのE組行き、及び停学は取り消しとしましょう」

 

「ほんとですか!」

 

 ぼくは信じられなくてすっ飛んだ声をあげてしまう。浅野君が口パクでお前は黙ってろと呆れた顔で言った。理事長は更に言葉を続けた。

 

「長沢珠理亜さん。あなたをE組行きとします」

 

 じゅりあちゃんが、E組行き?

 

「なんなの?!みんな揃ってじゅりあのこと嵌めてそんなに楽しい?理事長だってじゅりあがE組に行ったらこの学校の寄付金を減らされて嫌でしょ?!」

 

 さすがのじゅりあちゃんも危機だからなのか声はかわい子ぶっておらず、言葉遣いも180度違うものだった。

 

「長沢さん。あなたは何か勘違いをしていますよ。あなたの両親からの寄付金が減る?減ったところでそんなはした金を私が稼げないとでも?」

 

 すごい。今理事長の顔がバケモノみたいに歪んだ気がした。それだけの恐怖が一瞬よぎった。

 じゅりあちゃんは顔面蒼白で3秒ほど声が出なくなるぐらい固まる。

 

「っ、もういい!お父様に訴えてやるんだから!!」

 

 勢いよく理事長室を出て行ったじゅりあちゃんをぼくらは呆然と眺める。勝ったのだ。浅野君は彼女を追い込むことに成功した。

 でも、ぼくの中でじゅりあちゃんがE組に堕ちて納得するのかというと、E組は地獄じゃないだろうって本心がそれを邪魔する。

 

「浅野君はまだ友達ごっこを続けるということですか。いえ、何も口出しするつもりはないです」

 

 理事長は傍目からも分かるほどわざとらしい作り笑いで浅野君に言った。浅野君は友達ごっこという言い方に反応して眉間をぴくりと動かした。何とか堪えて怒らないようにしているらしい。

 

「……そうですか。僕たちも失礼します。E組行き取り消しの件ありがとうございました」

 

 浅野君に引っ張られてぼくは理事長室から廊下に出た。緊張が解け息を吐くも理事長室に居る間聞きたいことが沢山あったことを思い出す。

 

「ねえどういうことなの?!浅野君、E組に行く奴とは仲間になれないって__________」

 

「その後に前に言っただろうと付け加えたから分かると思っていたが。甘かったな。伊藤さん、君は先に帰ってくれ。ぼくはまだ渚に話したいことがある。それから今日の内にカンニングの無罪が証明された噂を流せ」

 

 浅野君は命令口調で姫希さんに言い放つ。姫希さんの表情は絶えず変わらなかった。

 

「わかった。またね」

 

 姫希さんはひと足早く下駄箱へ向かい、ぼくたち2人はA組の空っぽな教室に行く。

 

「前に言ったね。何が何でも阻止するって」

 

 ぼくはE組の人を差別するかという話題を思い出した。確かに浅野君はそんなことを言っていた。でも「前に言っただろう」の一言でぼくがそれに気づくほど記憶力が良いとでも思ったのかな。さり気なさすぎてあの時は本当に泣くかと思ったんだけど。

 そう言ってやりたい気持ちがあったが、何とか抑える。浅野君は言った通り阻止した。ぼくのことを助けてくれたのだ。

 

「そうだった。すっかり忘れてたよ」

 

「伊藤さんを使われるとは思わなかったから少し時間がかかったよ。伊藤さんに事情を教えてもらわなかったら危うく彼女を社会的に抹殺するところだったしね。長沢さんがE組落ちで済んだのもそうだ」

 

 姫希さん、ぼくの無実を証明するのに手を貸したんだ。そっか、浅野君の言うことは何でもするんだったね。

 この前の姫希さんの話を思い出し苦笑した。まさか彼女が浅野君とそういう繋がりだったとは思いもせず、見えているものだけ信じるのは良くないなと反省する。

 

「……姫希さんから聞いたんだけど、浅野君と姫希さんは主従関係なの?」

 

「伊藤さんは僕の言うことには逆らわない。それを主従関係と言うのならそうなんだろう。コマとして1番使えるのも彼女だ。だから今回のことも見逃した」

 

 浅野君がぼくを守るように姫希さんに命令したのかということは聞かないでおいた。そんなこと聞いても虚しいだけだ。

 

「ありがとう。浅野君にも裏切られたと思ってたから、ちょっと驚いたよ」

 

「それはもういい。これで来年またA組だな」

 

「そうだね」

 

 Tu es un menteur(うそつき)

 

 前に浅野君に言った言葉を自分に投げかける。それはぼくの気持ちが決定したことを表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日のうちに職員室でA組復帰の書類提出を行った。担任教師の宍戸先生は仕事が増えたと言わんばかりに不機嫌そうだ。もっとも彼の不機嫌の理由がそれだけならいいのだが。

 

「宍戸先生、じゅりあちゃんにお金積まれたでしょ」

 

 宍戸先生の動きがぴたりと止まり、目の奥でぼくを捉える。言い逃れができなさそうだと思ったのか、彼はあっさり認めた。

 

「……お前、よく分かったな」

 

「カンニングの紙、あんな机の奥にあったら気づく方がおかしいよね。今考えたらカンニングで1ヶ月の停学にしたのは言い逃れをされる前に学校から追い出すためだ」

 

「それでお前はどうするんだ?俺を退職処分にするよう彼氏に頼むってわけか?」

 

「そうならないように先生にすることは1つだよ」

 

 A組復帰のために書いた用紙を真っ二つに引き裂く。これでぼくが3年でA組に戻ることはない。

 

「簡単な話、またわたしをE組に堕とせばいい」

 

「__________ふっ、今まで俺に頼みごとをしに来た奴は何人もいたが、E組行きを要求されたのはこれが初めてだな」

 

 宍戸先生は可笑しそうに大声で笑う。これは傑作だと言わんばかりに。

 何にも可笑しくないし、ぼくは至って真面目なんだけどな。

 

「代わりに長沢珠理亜のE組行きを取り消してほしいんだ。本人には内密に。担任教師ならそれぐらいできるよね」

 

「そのぐらいやってやろう。だが大石、お前何を企んでる。そいつの所為で危うくカンニング犯扱いされたのに」

 

 不思議そうな顔をする先生に「分かってないなあ」と呟き淡々と説明する。

 

「カンニング工作をした生徒として、じゅりあちゃんは初めていじめられる側になるだろうね。逆にE組に行けることにほっとするぐらい。だから彼女がE組に逃げるなんて絶対に許さない。ちょっとは痛みが分かる人間になれって話だよ」

 

 E組落ちせずに自主退学したいじめられっ子のためにも、ぼくの気持ちに蹴りを付けるためにも、じゅりあちゃんは1度痛い目を見た方がいい。強い立場しか知らない人間は弱さを知らない。だからいじめをしようなんて思うんだ。

 

「お前意外といい性格してんのな。でもお前がE組に行こうとする理由は何なんだ?お前ならA組で来年も楽しく過ごせるだろう。勉強に苦しむこともない。なのに何故だ?」

 

「この2年間確かに楽しかった。でも全部嘘だったんだ。友情も楽しさも教師もみーんな」

 

「__________だから先生、ぼくはE組に行くよ」

 

 ぼくは破れた紙を先生に押し付けて職員室を後にした。

 

「逃げるんだ?」

 

 姫希さんがぼくの行く先に立ち塞がっていた。

 

「そうだね」

 

「せっかく浅野君が助けてくれたのに」

 

「姫希さん。浅野君のことよろしくね。でもまだこの事は言わないで」

 

 浅野君に言ったら今度もまた阻止しようとするかもしれない。

 

「…………その浅野君に言われて来たんだけどな」

 

 姫希さんの言葉を聞き逃す。ぼくは首を捻った。

 

「今何か言った?」

 

「ううん、何も。渚ちゃん、E組行ってからも頑張ってね。あと……悪かったと思ってるよ、その、カンニングのこと。ごめんね」

 

 何だか彼女の言葉は前々から用意されている感があった。ぼくはふと姫希さんが春休みのぼくが登校してくる日にここに来た理由を思いつく。

 

「もしかしてぼくにそれを言うために春休みなのにわざわざ登校してきたの?」

 

「……まさか」

 

 姫希さんが目を逸らすのを微笑ましく思う。姫希さんは1周目では出会わなかった人だ。彼女ともっと別の出会い方をしていれば、その時は本当の友達になれたかもしれない。

 

 ぼくがE組行きを決めたのは春休みの終わりごろ。期せずして月が破壊される3日前となっていた。




原作との変更点

・テスト中に席を立つ浅野君。席に座るよう言う先生。
・テストの裏に落書きして呼び出される菅谷君に遭遇
・味方なんていなかった
・浅野君信者の姫希さん
・渚ちゃんの無実のためにがんばる浅野君
・しかしついにE組に行く決意
・復讐じゃなくて校正のチャンスを与える渚ちゃん。E組堕としても意味ない

シリアス展開です。ぶっちゃけシリアスすぎて猫出したくなりました。ナニコレヒドイ。あともう少しで原作に突入します。もうしばらくお待ちください。

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