E組の教室ではみんなが奇怪な表情である1点を見つめていた。ぼくは後ろの席を見て顔を顰める。本来ならカルマ君が座るであろう席に浅野君はいた。1番後ろだと周りが見やすいからとか理由をつけて。
「まじかよ……」
「ほんとに来てる」
不満を漏らす生徒も少なくない。生徒会長直々のE組参加は突然過ぎる出来事だったし、本校舎から解放されると思っていた生徒もいたからだ。
倉橋さんは天然な物腰とその直球さで浅野君に尋ねた。
「ほんとにE組に来るの?」
「言っておくが、僕はE組の生徒になったわけじゃない。監視しに来ただけだ。籍はA組のままだし、行事もテストもA組として参加する。E組にいるのはそうだな、授業中ぐらいだ」
「ほんと何で来たの浅野君……」
ぼくは浅野君の隣の席に勝手に座ると机に頭を乗せた。少し頭痛を感じ、その理由の大元は浅野君だという確信がある。
授業中だけ参加するだって?!そんなの思いっきり殺せんせーのことがバレるじゃないか。いや、浅野君にバレたから何だって話だけど。何でもこなす彼が暗殺に参加することになるのは願ったり叶ったりだ。
でも何で監視役?確かにそういうことなら差別も受けないし高校にも進学できるだろうけど。ある意味狡い戦略だ。
『そんなに僕が同じクラスなのが嫌か?』
『予測できないことが嫌いなだけだよ』
フランス語で少し不貞腐れた発言をする彼にぼくはそう返事をした。今や浅野君は海咲の次に侮れない未来を簡単に変えてしまう存在だ。ぼくが深く関わってしまったばっかりに彼が何をするのか予測できなくなるなんておかしな話だとも思うが。
少なくともあのスピーチ。あれは前とは違うのに理事長を彷彿とさせるものだった。確か理事長は殺せんせーに働きアリの法則の話をしていたが、浅野君が言っていたのはそれとまた少し違うものだろう。
「すげーっ!よく分かんない言語で話してる。噂の通りだ」
ぼくらは周りの反応がA組とは違い慣れている様子ではなかったので言語を日本語に戻すことにした。別に聞かれてこまる内容でもない。
「姫希さんに浅野君のことよろしくって頼んだばっかりなんだけどなあ」
「伊藤さんにはA組の支配体制を維持させてるよ。僕がいなくても秩序が乱れないようにね」
「E組の監視って何をするつもりなの?」
「本校舎の教師が見てないからって、E組に薬や煙草に手を出す奴が出たら風紀が乱れるだろう。そういう行動面での注意を怠るなというだけだ。まあ単に渚が心配だったというのもあるが……」
意外な失言にぼくはあれっと首を傾けた。途中まで正論だったのに最後を聞いた限りではそれが全ての理由のような……まさか。浅野君に限ってそんなことはあり得ないからオマケのようなものだろう。
「心配してくれてありがとう」
「勘違いするな。僕はただ同じレベルの話し相手が居なくなると勉強のやる気が損なうと思っただけだ」
「……浅野君は素直じゃないよね」
くすりと笑うと「失礼な」と呆れたように言われた。周りの生徒たちが揃って顔を合わせている。
「なんか……思ったより楽しそうに会話してるんだな」
「いつも難しそうな話してるもんだと思ってたぜ」
「あの2人絵になるな〜」
と言いながら菅谷君は呑気に絵を描いている。それを三村君が褒めたりして、2人の中で芸術関係の話題が盛り上がっていった。
「しかしこれで学校生活がだいぶつまらなくなるな。E組の教師なんてたかが知れてるだろうし、A組の授業に比べたらレベルが違う」
「……それはどうかな」
ぼくは髪を耳にかけた。カチューシャを留めているだけの髪は少し鬱陶しいとも思う。茅野みたいにツインテールにしたほうがいいのかもしれない。そう思っていた時寺坂君が机を足で蹴り、ぼくらの注目を煽る。
「けっ、監視役とかふざけてんのかよ。どうせ俺らのこと馬鹿にしに来たんだろ、理事長の息子だからって偉そーに」
浅野君は理事長の息子だからという言葉が嫌いだ。親と比べられているような気がするのと、彼自身はほとんど理事長の息子という権限を利用していないからだという。学力もスポーツも地位も全て自分で手に入れてきたのに、それを知らずに理事長の息子だからという一言を使われるのはズルい。さらにそれを言ったのはE組の生徒なのだ。
彼の表情には僅かな怒りが込められていた。
「君、小山を虐めていた寺坂君だよね?去年の成績は学年最下位」
嘲るように顔を歪ませ、普通ならしないような挑発をする浅野君はカルマ君みたいだった。
「だったら何だよ!文句があるならタイマンで勝負してやろうか?!」
机を叩き寺坂君は浅野君をビビらせようと席を立った。拳を握りしめて殴る姿勢は万端だ。
「へえ、言ったね」
浅野君は薄く笑みを浮かべて静かに席を立つ。
「浅野君!喧嘩なんて柄にもないこと……」
『相手の動きを交わすだけだ。心配ない』
スペイン語で彼は宣言した。
寺坂君が浅野君に殴りかかろうとする様子をぼくはハエが止まるような動きだと思った。そんな中、寺坂君の動作は背後の誰かによって静止される。
「とはいえ新学期早々喧嘩とは危ないですねぇ」
と黄色いタコが言った。
「「「「いや、誰だよ?!」」」」
突然出てきた得体の知れない怪物に生徒たちの心がシンクロした。それは浅野君も同じようで、目の前の相手をどうにか分析しようとしてるが彼の力では外見による特徴と瞬時に現れた超スピードしか分からず、よって残りの95%は不明となった。
丸いニコちゃんマークを変形させたような顔に、何十もの触手。それをひと言で表すのならみんなこう言っただろう。
タコのようだ、と。
「……指示があるまで教室に入るなと言ったはずだが?」
後ろから黒いスーツを皺一つ付けずに着こなした身長の高い男が腕を組んで現れた。烏間惟臣。28歳。防衛省特務部から派遣された超生物の監視役である。
「教室の中で喧嘩をしようとする生徒が居たら、教師として見過ごすわけには行かないでしょう」
「教師……ってこの怪物が?!」
「とりあえず、全員席についてくれないか?話はそれからだ」
烏間先生の配慮によって喧嘩寸前だった寺坂君や浅野君を含めた全員が席についた。黄色いタコの超生物、現在では名前がまだ付いていないのでタコ教師とでもしておこうか。タコ教師は教卓の前に立ち、生徒たちを眺めると全く心が読めない顔のまま自己紹介を始めた。
「はじめまして。私が月を破壊した犯人です。来年には地球も爆る予定です。君たちの担任になりましたのでどうぞよろしく」
こうして相手が来ると分かっていると中々シュールな光景だ。
この挨拶もかなり大多数の人が何事だという顔で相手を見ているのだが、ぼくはこんな自己紹介だったなと苦笑いをしていたりする。初対面なのに色々と直球過ぎだ。
「……話がよく飲み込めないんだが」
浅野君がぼやき、その他多数が彼に分からないなら自分たちに分かるはずもないと頷いた。
「申し遅れてすまない。防衛省の烏間というものだ。ここからの話は国家機密だと分かっていただきたい。単刀直入に言おう。
__________この怪物を殺してほしい!」
生徒たちの目が点になる中、浅野君がまた大きくため息を吐く。
「……あの、場所間違えてません?ここ普通の学校なんですけど。特撮映画の撮影なら他所でやってもらえますかね」
こんな辛辣な浅野君は初めて見た。確かにぼくらの担任教師を名乗る超生物は着ぐるみでも被っているようだ……触手が動いていなければ。
「詳しいことは言えないが、こいつが言ってることは全て事実だ」
「そうなると、地球を襲撃しに来た宇宙人とか何かすかね?」
「失礼な!生まれも育ちも地球ですよ!」
憤慨してぷんすか起こるタコ教師に生徒たちは嘘だーと疑いの表情をしていた。こんな生物が地球上のどこにいるというんだ。ここにいるが。
そこで烏間先生、まだ先生ではないので烏間さんはぼくらに1周目と同じ説明、つまり成功報酬100億円での暗殺を要求したのだった。みんな納得していない様子だったが、暗殺して100億円が手に入るならなんてことない。相手がマッハ20の怪物とはいえ、運良く殺せたら大金を手に入れられるのだ。1人、浅野君だけは手を挙げ烏間さんに質問をする。
「このこと、理事長は?」
「無論知っている。防衛省からの口止め料で内密にするよう言ってるが、こいつがE組教師をすることには快く賛成したようだ」
「……金か」
浅野君、気持ちは分かるけどその言い方は酷い。あのじゅりあちゃんから買収された宍戸先生とは違って、理事長はあれでも教育のことを考えて行動しているのだ。そう信じたい。
「さて、烏間さんの話が終わったところですし、出欠でも取りましょうか」
全員が放心状態なのをいいことにまだ名前のないタコ型生物は名簿を取り出した。
「赤羽君」
「停学中です」
浅野君が間髪入れずに発言をした。この中で唯一この不思議な状況に適応してしまっている。あくまでE組監視役の役目を果たすつもりらしい。
「そうですか……今度家庭訪問に行ってみます」
「いや、先生が来たらちょっとびっくりするんじゃないかな?」
茅野が苦笑いした。ちょっとびっくりどころじゃない。きっとあのカルマ君だって大騒ぎするはずだ。
その後も順々に名前を呼んでいき、先生は浅野君に目を止めると首をかしげた。
「おかしいですねぇ〜、もう名前は全員呼んだはずなんですが」
「僕はA組の浅野学秀です」
「にゅやっ、違うクラスの生徒でしたか!何故ここに?」
「浅野君はE組の監視役なんだ。授業はほとんどE組で受けるんだとよ」
杉野が勘弁してくれよと言わんばかりに肩を竦めた。
「ややこしいですねぇ。とりあえず1番下に名前を書いておきましょう。では学級委員についてですが……誰か立候補者はいますか?」
みんなが僅かに浅野君の方向を見ていたが、彼は一応E組生徒ではないということなので結局矢田さんの推薦で磯貝君が学級委員長、その後の片岡さんの立候補で学級委員になった。その他の委員会にはE組が参加出来ないことになっているため、日直を出席番号順でやろうという決定以外には大した取り決めをしていない。
マッハのタコ先生はやるべきことを全て終わらせると満足したように「さて」と切り出す。
「今日のところはこれで終わりにしましょう。先生はちょっとお腹空いたのでタイにカイイアオマーパッガパオゴープ食べに行ってきます」
窓を開けて飛び立った先生をクラス全員が疑惑の目で眺めていた。すなわち、これは夢なのではないかと。自分の頬を引っ張ってみたりと各自違う反応をする中、ぼくは先生が口にした呪文みたいな名前の料理に興味が湧く。
「カイイアオマー……?」
「カイイアオマーパッガパオゴープ。タイ料理の1つだ。マッハ20ってことはタイまで13分ほどか」
浅野君は他の生徒と比べるとかなり冷静だった。もともと彼ほど意識の波長が穏やかな人はあまりいないのだが、超生物が教師だとしてあんなに驚かないのは彼ぐらいじゃないだろうか。
「言い忘れていたが……武器は防衛省から支給される。超生物にのみ効くナイフと弾だ」
防衛省の人が何人か現れた。彼らの手によって幾つものスーツケースが開かれる。中にはゴム製のナイフが多数、対先生弾が沢山入った瓶、そして銃が30ほどあった。生徒たちは興味深々にそれらに手を触れていった。ぼくらもその一人である。
「どこがつまらないって?浅野君」
銃を物色する浅野君にぼくはにっこりと微笑んだ。さっきの彼の発言を訂正させるためである。
「そうだな、暗殺か。今考えただけでも僕にとってメリットばかりの話だ」
ぼくは浅野君が冷静に見えて実は楽しんでいるのだと気がついた。顔色がかなり明るかったからだ。
「あれだけの賞金があれば何でもできそうだよね」
しかし、彼は「ああ」と意外そうに返事をしただけで、賞金に対しては心を揺さぶられていないらしい。
「渚も
「そっちって……それ以外に何のメリットがあるの?」
2周目のぼくが気づかなかった新事実でもあるのだろうか。悔しいが彼は優秀だ。ぼくらE組が1年間知らなかったことを知っていてもおかしくない。訝しんで浅野君の話に耳を傾けると、彼は教師のように解説を始めた。
「賞金100億。この言葉に超生物を暗殺しようと思う者も多いだろう。しかし、暗殺成功で得るものは本当に100億だけか?」
「あれ、違うのかな?」
100億以外に?暗殺で培った知識とかのことかな?でもそれは暗殺成功で得るものじゃない。それでは周りの賞賛か?こんなものもらったところで役には立たないはず。
浅野君はくっくっと笑いを堪え切れないようだった。ぼくは彼の思想を聞き戦慄することとなる。
「超破壊生物から地球を救った英雄。あのタコを殺したらその称号を手に入れられるわけだ。それを上手く使えば__________世界だって征服できるかもしれないな」
ぞくりと背筋が凍った。
その昔英雄と呼ばれた男、ナポレオンが皇帝になった。彼が皇帝になった理由は簡単である、英雄だったからだ。
世界征服。
普通の人が言ったら中二病の一言で済まされてしまうだろうが浅野君は違う。何でもこなすあの浅野学秀なら世界を征服するぐらいきっかけさえあれば容易く実行してしまいそうだ。
どうやらぼくはとんでもない人をE組に連れてきてしまったのかもしれない。
そうだよ。浅野君はこういう人だった。彼の目には賞金100億円なんてただのお飾りなんだ。今の話が実現すれば、100億円以上のものを手にする。彼が求めているのはその先にあるものだ。
「こんな形で
ナイフを片手で回し、浅野君は狂喜していた。
暗殺によって支配者としての道が開けることに。
原作からの変更点
・カルマ君がいるはずの席に座る浅野君
・殺せんせー登場の仕方が少し違う
・賞金より称号がほしい。あわよくば世界がほしい浅野君。