旧校舎には教室以外に幾つかの設備がある。その一つが女子更衣室だ。男子は基本教室で体操着に着替えるのだが、女子は女子更衣室で着替えることが暗黙のルールとなっていた。
女子更衣室ではいつもゴシップネタのような、所謂ガールズトークが繰り広げられていた。
「あ、ねえ聞いた?今日から体育烏間さんがやるんだって」
矢田さんが烏間先生の話題を出した。イケメンでスマートな烏間先生は女子の人気が高い。
「じゃあ烏間先生になるんだね〜」
烏間先生のことを気に入ってる倉橋さんは嬉しそうだ。
「殺せんせーの体育酷かったもんなあ……」
ぼくは体力テストを測った時のことを思い出した。
50メートル走ではマッハで走り過ぎてもはや瞬間移動。走るコツは触手をしなやかに動かすことらしい。
反復横跳びでは視覚分身にあやとりを混ぜ始める始末。
ボール投げでボールが返って来なかった瞬間、ぼくらは殺せんせーから体育を教わるのを諦めた。マッハ20の相手に教わる体育ほどキチガイ染みたものはない。
「ねえ、渚も来るよね?」
考え事をしていると茅野がぼくに訊いた。話の内容が全く分からず首を傾げる。
「えっと……ごめん、どこに?」
「メルが常連の猫カフェだよっ!」
倉橋さんがひょこっと顔を出した。制服と体操着が中途半端に着替えられており、下はまだスカートのままだ。
「……何で猫が猫カフェの常連になってるの。そもそもお金は?!」
「メルちゃんかわいいからね〜。店員さんも無料で入れちゃうんだって」
自分の可愛さを有効に活用してるじゃないか。恐ろしい猫だなあ。
「……どうりでキャットフードの減りが悪いわけだ」
「今なんて?」
茅野がぼくの言葉に反応し、ぼくは強めに首を横に振った。
「ううん、何でもないよ」
ぼくは急いで体操着のトレーナーを羽織った。長話していたらもう体育が始まる時間になっていたのだ。
男子より遅く着いた女子勢は烏間先生が教えることにうきうきしている様子だった。
逆にぼくは久しぶりに暗殺の訓練をするので自分の力量にほんの少し不安があった。女子としての自分が1周目の3月時点に比べて体力が劣るのではないか。運動能力は前と同じなのかどうか。1周目に比べて小柄だとは思うけど、それがマイナスになってしまわないかなどの問題だ。今の段階で1周目の最初の頃と同じレベルだったらその時点で絶望的である。
「今日はナイフの訓練を行う。2人組を作ってくれ」
ぼくは迷わず茅野とペアになった。1番仲の良い女子というのもあるが、少し前に行われた身体測定で何とぼくの身長が145センチ、茅野と1センチしか変わらないことが判明し、それからというもの身長順で並ぶ時によく一緒になるのだ。さらにはクラスで1番小さい女子という不名誉な座を獲得してしまったことも大きい。1周目より身長が伸びないのは性別が変わったからなのだろう。小さい方が弱そうで殺し屋向きではあるけど、大抵の男子が巨人みたいに見えるのは正直敗北感を感じる。
「でも烏間先生、こんなことやって意味あるんですか?しかも
「そうだな……磯貝君、前原君。そのナイフを俺に当ててみろ」
「……いいんですか?2人がかりで」
「構わん。そのナイフは人には無害だ。それに擦りさえすれば今日の授業はしなくていいだろう」
烏間先生の思わぬ挑発に2人は馬鹿にされているのかと感じたようだ。2人がかりで擦れないなんて力の差を勘違いされているのではないか、と。彼はネクタイを少し緩めただけで、本気で挑むつもりはないのが見てわかる。
その時その場で烏間先生の力量を知るのはただ一人、1周目で見てきたぼくだけだった。
「そんじゃあ行きますよ」
磯貝君が言い、2人はは同時に烏間先生に向かってナイフを刺そうとした。しかしそれは1センチ先のところで交わされてしまう。2撃目も3撃目も。烏間先生には届かない。さらに最後には2人をいっぺんに倒してしまった。
「「っ……!」」
「このように多少の心得があれば素人2人のナイフぐらい交わせる」
……防衛省の元自衛隊が多少の心得を語るんだ。そういえばぼくは1周目の時最後まで一対一の戦闘で烏間先生にナイフを当てたことはなかったっけ。
ぼくは苦笑いで烏間先生を見ていた。他の生徒たちも今の戦闘で烏間先生が強いことが分かっただろう。あの万能な浅野君でさえ、目を見開いて烏間先生を眺めていたのだから。
「俺に当たらないようではマッハ20の奴に当たる確率がどれだけのものか分かるだろう」
格が違う。ぼくたち即席の暗殺者とは違い、彼は現役の自衛隊員として長年やって来た実践経験のあるベテランだ。人を殺す訓練はしてないとはいえ、人類の最強ランキングでは間違いなく上位層に入る。
「奴を見ろ。この間に奴は砂場でピサの斜塔を作り終え、手には買ったばかりのジェラートを持っている。服装は先ほどまでゴンドラ乗りのバイトをしていたかのようだ」
「「「イタリア帰りかよ!!」」
「やっぱりイタリア〜ンのジェラートは美味しいですねえ〜。寒い成層圏を通った甲斐がありました」
妙に発音良くイタリアンを口にすると、スプーンを口に咥えてチョコレート色のジェラートを食べていた。カルマ君から回避されてるジェラートはとても美味しそうだ。正直ぼくも食べたい。
新しい体育教師の実力が判明して烏間先生への尊敬の眼差しが飛び交う中1人、それに物怖じもせずに手を挙げた生徒がいた。浅野君である。
「先生、僕もお手合わせお願いしていいですか?」
「……いいだろう」
どういうつもりだろう。浅野君だって烏間先生の強さは今ので分かっていても可笑しくないのに。
もしかして__________分かっていてわざと?
「浅野止めとけって。いくらお前でもさっきの見たら分かるだろ?勝ち目ない__________「勝ち目がないのは分かってるさ」」
杉野君の言葉に浅野君はあっさり同意する。
「え?」
「勝つつもりなんてない。
そう不敵に笑うと浅野君はナイフを素早く的確に烏間先生に突きつけた。その動作は洗練されていて、烏間先生は一瞬顔を強張らせたのに気づく。
ぼくはハッと息を呑んだ。浅野君はナイフを扱うのが初めてのはずだ。初心者と言われる人がナイフの達人になるのには少なくとも3ヶ月はかかるだろうというのがぼくの予測だった。しかし彼の身のこなしは初心者とは思えない。
まさか4月が始まったばかりのこの1週間でここまで成長したっていうのか?
「なるほどな」
浅野君は1度動作を止め、烏間先生を見据えた。その尊大な態度はまるで手下を見極める帝王のようだ。
彼は改めて1撃を与える。それを躱した烏間先生の腕に2撃目が当たった。烏間先生が定めた通り、ほんの掠っただけだが当たったのだ。
「っ……!」
「当てるだけならこんなものか」
「浅野君!今のどうやって……」
ぼくは思わず駆け寄った。浅野君はナイフを片手に烏間先生をちらりと見る。
「ああ、そうだな……みんな勘違いするかもしれないから先に言っておくが、烏間先生はかなり強いぞ」
「でも当てたよね?!浅野君はもっと強いの?」
茅野はどういうこと?と納得いかない顔だ。
「まさか。これが本当の戦闘なら僕が負けていただろう。僕はただ、先生の防御術から対策を練っただけだ。ほんの掠る程度ナイフを当てるためにね」
「今のわざとってこと?」
「浅野の奴、本当は烏間先生に勝てるのに隠してるってことじゃないかよ」
「やっぱ浅野こえ〜」
生徒たちは磯貝君と前原君の2人がかりで当てられなかったナイフを簡単に当ててしまったのだと悟った。しかし、ぼくは彼がやりたかったことはそんなことではなかったのではないかと思う。
ハッタリだ。浅野君はあたかも今の攻撃以上のことができるような言い方をしたが、実際はさっきのが彼の本気の攻撃なのだろう。
しかし、少し見ただけで烏間先生の防御方法を真似するところはまるで__________
「面白そうなことやってんね〜。俺も混ぜてよ」
いちご煮オレの紙パックを片手に持ち、赤髪の彼は現れた。1周目の時と何ら変わらない悪戯っぽい笑みを浮かべ、ぼくらに近づく。
「カルマ君……!」
「おー渚ちゃん久しぶり〜」
校庭まで下りてくると、カルマ君はぼくに普段通りに挨拶をした。カルマ君とは会う機会が殆ど無かったから友達とは思われてないんじゃないかと心配していたけど、どうやらぼくは知り合いの枠には収まっているらしい。
「
浅野君が顔を顰めてカルマ君を睨みつける。そういえばこの2人ってあまり仲良さそうじゃなかったっけ。
「赤羽業君……ですね。今日停学明けとは聞いていましたが。初日から遅刻とは感心しませんねえ」
顔に紫のバッテンを映しだすも、そんなことで動揺するカルマ君ではない。手の中にはナイフが用意されているのだろう。それから握手をする気なのだろう。
全てを理解しているとぼくは自然と冷静でいられた。それで殺せんせーが殺されるなんて全く思ってもいないから。
「生活リズム戻らなくてさ……下の名前で気安く呼んでよ。とりあえずよろしく、先生!」
「こちらこそ。楽しい1年にしていきましょう!」
カルマ君の貼り付けた笑みに騙された殺せんせーは普段なら絶対にしない握手をした。ぐちゃっと嫌な音がして触手の先が破壊される。カルマ君がナイフを出した時には殺せんせーは後退りしていた。
「へ〜ほんとに速いしほんとに効くんだね〜」
このナイフと右手に刻まれたナイフの種明かしをした。
「でもこんな単純な手に引っかかるとか、しかもそんなところまで逃げるなんてビビりすぎじゃね?殺せないから殺せんせーって聞いてたけどさあ、先生__________ひょっとしてチョロい人?」
ピキッと音を立てて先生のこめかみが動いた。顔色が赤いのは怒っている方の意味だろう。
*
「あっれ〜そこ俺の席だと思うんだけど?」
席に着く前にカルマ君は1番後ろの席を陣取る浅野君に向かって言った。1番後ろの真ん中。それは監視役としては最も適している席であり、浅野君が拘るのも無理はない。しかし、カルマ君はただちょっかいを出したいだけなのだろう。
「……ここの席が1番E組のことを見れてちょうどいい。赤羽が違う席に行けばいいだろう」
結局カルマ君は折れて浅野君の隣の席に着いた。しかしカルマ君の口撃は尚も続く。小テストが配られてからもカルマ君は浅野君に話しかけている。一方の殺せんせーは壁に触手でパンチを繰り返していた。柔らかいので壁にダメージがいってない。
「先生……さっきからぶにゅんぶにゅんうるさいよ!小テスト中!!」
席が前の方の岡野さんが遂にキレて殺せんせーに怒鳴る。
「こ、これはすみません!」
先生は慌てて謝ったが、触手のパンチを少し弱めただけだった。何の解決にもなってない。
カルマ君は未だに浅野君に横からちょっかいを出していた。
「そもそもさあ、何で監視役なんかやってるのかな〜?あ、そっかぁ、ほんとは天使ちゃんについてきただけなんだね〜」
『1度殺されたいのかこいつ』
『浅野君……本音漏れてる』
ぼくは浅野君のスペイン語での呟きにそう返した。残念だが後ろの2人に構ってる余裕はない。1周目とは違う難問がテスト用紙に書き込まれているため、集中しないと解けなかったのだ。殺せんせーは生徒に合わせて小テストの問題を変えているため、ぼくのチートすぎる成績だと難問を出さざるを得ないようだ。
「そこの3人!小テストですよ!」
「先生、自分の触手に言ってください」
浅野君が至って正論で迎え撃つ。何だかいつもより棘があるような気がした。
『浅野君怒ってるの?』
フランス語で後ろに言葉を投げかけた。浅野君はため息を吐いている。
『
ああ……殺せんせー大人気ないなあ。
浅野君は習ったことは何でもパーフェクトにこなしてしまうため、殺せんせーはいつも「今日こそは浅野君に満点を取らせない!」と意気込んでいたりする。そのため小テストでは浅野君の問題だけ嫌がらせかのように難問ばかりが続くらしい。負けず嫌いの彼は絶対にそれでも満点を取り続けるのだが。
ちなみにぼくはそこそこの難問を出されるとたまにケアレスミスが出るため、先生から目を付けられてはいない。
「ごめんごめん、殺せんせー。俺もうテスト終わったからさ、エクレア食って静かにしてるわ」
ただ、殺せんせーも停学明け初日の生徒の学力を見極めるのは難しいようだ。カルマ君はかなり頭が良いので新しい内容でも問題なくこなす。まだ習っていない範囲のはずだが全く動揺せずにスラスラ書いていた。
「ダメですよ授業中に……全くどこで__________ってそれは昨日先生がフランス行って買ったやつ!!」
「あ、ごっめ〜ん。教員室の冷蔵庫にあったからさ」
「エクレア……?」
ぼくはチョコレートと生クリームの調和を思い出して唾を呑み込む。__________
いけないいけない。今はあくまで授業中で小テスト中でもあるんだ。でも一人暮らししてから節約のためにデザートなんてほとんど食べてない。姫希さんとは疎遠になっているし……ちょっとだけ貰えたりしないかな?
ぼくはそっと後ろを振り返った。カルマ君がぼくに気がついて首を傾げる。
「渚ちゃん……食べる?」
「いいの?!」
神だ!とばかりに目をキラキラさせるぼくに邪魔が入った。殺せんせーだ。
「カルマ君!渚さんを巻き込もうとするのは止めてください。残りは全部先生がいただきます!!」
机と机の間にある道をずかずかと歩いてカルマ君の席へと突進していく__________床にある対先生弾に気づかずに。殺せんせーの
「あはっ、また引っかかったね〜」
カルマ君はぼくにエクレアの箱を投げてよこした。銃で攻撃に移るがそれはすぐに交わされてしまう。さすがに2度目まで当たるほどヤワじゃないのが殺せんせーだ。
「何度でもこういう手使うよ。授業の邪魔とか関係ないし。それが嫌なら俺でも家族でも殺せばいい」
ぼくはエクレアを頬張って2人の様子を観察していた。箱は3個入りで1つはカルマ君によって完食済みである。
「でもそしたら先生はただの人殺しのモンスターになる__________「先生」としてのあんたは死ぬ」
「…………」
カルマ君、相変わらず荒れてるなあ。
「はい、これテスト。そーだ、渚ちゃんも終わってるよね?」
「え、まあ……」
「ちょっと聞きたいことあったからさあ。一緒に帰ろーよ」
ぼくのテスト用紙を殺せんせーに押し付け、カルマ君はぼくを引っ張っていった。何が起こったかは分からなかったが、視界の端で浅野君が険しい顔をしている。彼はまだテストを終えていないらしい。
「杉野、シャーペンが折れたから貸してくれ」
「うん、いいけど__________え、芯じゃなくて?!」
そんなやり取りをぼんやり聞いてると外に出た途端カルマ君は「ねえ」とぼくに声をかけた。
「渚ちゃんって何者?」
「ごめん、急すぎてわけわかんないんだけど。どうしたらそうなるの」
ぼくは頭を抱えていた。カルマ君がいきなりそんなことを言うとは思わなかったのだ。
ぼくは至って普通なのに。ちょっと成績が人より良くて、色んな影響で4言語話せて、暗殺の才能に恵まれたただの中学生……ってごめん、全然普通じゃなかったよ。いつの間にか
「なんか前に保健室で月が破壊されたらって言ってたじゃん。言われた時は何それって思ってたよ。でもさあ、ほんとにそうなったら何も言えないよね〜」
月を指差して笑うカルマ君はそんなに深刻そうに受け止めている様子はなかった。
「で、何で知ってたのって聞いてんの」
それでもぼくを疑っていることだけは確かで。
誰もやって来ない裏山で、後ろには大きな木が立っている。背中にそれが当たった時ぼくは完全に逃げ場を失っていた。
「ぼくは何も__________」
「女子だから俺が何もしないとか、そんなこと思ってるんなら大間違いだよ」
低い声でカルマ君は告げた。
「犯されたいわけ?」
それを聞いた瞬間、ふっと笑いが込み上げてきた。あのカルマ君がそんな洒落にもならない脅しをするなんてびっくりだ。
「あはっ……ひどい脅しだなあ」
「何で笑ってんのさ」
カルマ君は脅してる相手の反応に拍子抜けしていた。ぼくはあり得ないとばかりにクスクス笑う。
「カルマ君がほんとにそんなことしたら泣くかなって思って。で、ほんとにやるの?」
色んな意味で悲しくなるだろうなあとぼくは考えた。ただの脅しだということはもちろん分かっているけど。
「やんないよ。ちゃんと言ってくれたらね」
「……まいったなあ、何で知ってたかって聞かれても、知ってたから知ってたとしか言えないんだけど」
「理由になってなくね?」
カルマ君は呆れて強張った表情を緩めた。
「むしろどんな理由があるの。ぼくが殺せんせーに「月壊してね」ってお願いしたわけじゃないし。そもそも殺せんせーが__________」
壊したわけじゃないと言いそうになり口を噤んだ。そこまで言うのはあまりにもお喋りすぎるというものだ。
「何だろうね、勘?」
「そんな理由で説明されても困るんだけど」
「じゃあ未来予知ができる!もうこれでいいと思う」
そこまで言うとカルマ君はぼくにこれ以上聞くのを諦めた。どう考えても正しい答えは見つからないと思ったのだろう。
「それこそ大問題だね。じゃあさ、殺せんせーが誰に殺されるのかも分かる?」
殺せんせーが誰に……?
頭に浮かんだイメージは1周目で殺せんせーが息絶える姿だった。自分たちで殺すこともできず、相討ちで弱った先生が自らも致命傷を負って死んだ、そんな未来。ぼくにとっては過去の話だ。
あの時致命傷を負わせたのは2代目死神だった。でも、殺せんせーが死んだのは……死んだ、のは誰のせい?
渚、お前のせいだろう。
「や、めて……」
「渚ちゃん?」
茅野も救えなかった。茅野を見殺しにしたのはお前だろう。殺せんせーに頼りきって茅野を救おうとしなかったのは誰だ。
「やだ……違う。それはぼくじゃない__________
自分で言って、ぼくは嗚咽した。
潮田渚はぼくじゃない。こんなことを考えたのは初めてのことだった。
「え、ちょっ……渚ちゃんごめん、俺が悪かったって!だから泣かないで」
カルマ君はぼくを落ち着かせようと慌てていた。ぼくらは裏山の切り株に腰をかけることにした。ぼくの涙が落ち着き、目が元通りになってもカルマ君は心底心配そうにしている。
「にゃー」
「何だ、この猫……?」
「メルダリン。これでもE組の生徒なんだ」
メルを膝の上に乗せると、ふにゃりと気持ち良さそうに寝っ転がった。ただ、カルマ君が背中を撫でようとすると手でパシリと跳ね除ける。
「俺嫌われてんじゃね?」
「メルは殺し屋にしか懐かない……あれ?」
ぼくらE組は殺し屋に入るんじゃないだろうか。
この前なんて寺坂君たちの暗殺にメルはある意味協力をしていたわけで。あれは失敗したが、メルは首に手榴弾を付けさせる寺坂君に抵抗をしなかったように思える。
ということは暗殺の才能があるかは別にしろ、誰かを殺そうとしている時はそれなりに懐くわけだ。それが即席の殺し屋だとしても。
でもカルマ君には懐いてない。寺坂君たちが良くてカルマ君は何故ダメなんだろう。
「カルマ君、本気で殺せんせー殺す気ある?」
ぼくは立ち上がって尋ねた。
「殺したいって思ってるに決まってるじゃん。何で?」
「気のせいだとは思うんだけど……カルマ君の殺したいってぼくらが言う意味とは違うんじゃないかな?」
カルマ君は前の教師を殺せんせーに重ねてるだけなんじゃないのか。殺せんせーに絶望して、自分の中で殺すつもりなんだ。
山を降りて本校舎の近くを通りかかる。本校舎の生徒たちも数名だが帰る生徒がいるようだった。その中に宍戸先生を発見し、ぼくは呟いた。
「心のどこかで殺せんせーを教師として殺そうとしているんだね」
「渚ちゃんに何が分かるわけ?」
「分かるよ。ぼくの先生も死んでいるから……ああ、違った。家族も親友も教師も、みんなみんなぼくが殺しちゃったんだっけ」
両親は代用品を見つけたことで。親友は自分の地位を守るために。教師はお金を積まれて。
どうしてこんなに腐ってるんだろうね、この世界は。
「見てよあれ。E組の堕天使じゃん」
「何であのぶりっ子庇ったんだろね〜。まっ、おかげでうちらはストレス発散に使えて超便利ぃ?」
「今回は姫希ちゃんからもオッケー出てるしね!」
本校舎の女生徒はぼくのことを見て声を小さくすることもせずに噂話を始めた。
ぼくはその様子を無感情に直視する。ぶりっ子が誰を指すのか、そんなことはすぐに分かる。
「自分が1番不幸だなんて思わないでよ」
その言葉はカルマ君だけにではなく、ぼくに向けたものでもあった。
*
翌日のカルマ君の暗殺はどれもイマイチで、警戒度MAXの殺せんせーに手入れをされるばかりだった。
教卓にナイフを刺したタコを置く嫌がらせはたこ焼きを食べさせられる結末に終わり(余談だがそのたこ焼きの一部を磯貝君が持って帰っていた)、家庭科ではラブリーなエプロンを付けさせられ、授業中の暗殺はネイルアートの手入れをされる。
「大口叩いてた割には随分手入れをされているが……もしかしてわざとやってるのか?」
浅野君が楽しそうに口にした時は我が目を疑った。カルマ君がキレて喧嘩をふっかけようとした瞬間、間に殺せんせーの用意したカカシ(浅野君似)が現れるという事態が起こったからだ。
「まあまあ、喧嘩ならカカシとでもしてください」
「「「「できるか?!」」」」
真顔で言う先生にぼくらはツッコんだ。喧嘩の仲裁に瞬時に入るなんて殺せんせーが個人マークしていたのがよく分かる展開だ。
こんな風にしてカルマ君は1日中殺せんせーに弄り回されたのだ。
「そんなすぐにあの教師を殺せるわけないだろう。今は様子見したらどうだ?」
校舎裏の崖近くにいるカルマ君に浅野君がそう話しかけるのに目を凝らす。浅野君が人を構うなんて珍しい。
「やだね。誰かに殺されるのも、勝手に死なれるのもムカつく。俺の手で殺すんだ」
「だったら初っ端からあんな挑発するんじゃなかったな。かなり警戒されてるが……おい、隠れてないで出てこい」
「えー!気づくの早いよ、浅野君」
「何だ、渚も居たのか」
ぼくは後ろを振り返り、ぼくの2倍以上ある殺せんせーがニヤニヤしながら立っていることに苦笑する。殺せんせーは動きは速いけど大きいから気配はすぐに察知できるのだ。
「カルマ君、今日君は先生に色々な手入れをされましたねえ〜」
「何でみんなして俺のこと構うのさ」
カルマ君はぼくらを見回し、顔をしかめた。
「先生ですから」
「これでも監視役だ、E組で1番の問題児はお前だからな」
「友達だからだよ」
ぼくらは個々に理由を述べた。カルマ君は人をあまり信用しない。それでもぼくらが彼を構うのにはぼくらなりの理由があるのだ。
「……ふーん。先生はさ、命賭けて生徒のこと守れる人?」
「もちろん」
「そっか。なら殺せるよ」
カルマ君は崖から後ろ向きで飛び降りた。
「なっ……!」
浅野君があまりの無茶ぶりに崖の下を覗き込む。ぼくは平然とカルマ君が落ちるのを見ていた。この暗殺の結末は知っている。それに実際、カルマ君はこの暗殺で物理的に殺せるとは思ってない。可能性は半分だと見ているはず。殺せんせーが助けないと少なからず思っているのだ。
殺せんせーの張った蜘蛛の巣のような触手がカルマ君を受け止める。
「お見事です。速く助ければ君はそれに耐えきれなくて死に、逆に遅く助ければその間に先生は殺されてしまうでしょう。そこで先生、今回はネバネバしてみました」
「何でもありかよこの触手!」
「ちなみに、見捨てるという選択肢はないので安心してください」
そうだよね、殺せんせーは。ぼくはほっと胸を撫で下ろした。世の中腐ってて、ぼくらを裏切るような人ばかりだ。それでも殺せんせーはそんなことをしない。そういう自信があった。
カルマ君が崖の上に無事戻ると、浅野君は仁王立ちして怒鳴り始めた。
「何考えてるんだ!少し間違えてたら死んでいたっていうのに。超生物が担任じゃなかったら死んでいたんだからな?!」
「……何であんたが怒ってんの?」
「僕がそんなに外道に見えるのか?てし……クラスメイトの命を大切に考えるのは当然だ」
今完全に手下って言いかけていたけどね。
ぼくは浅野君の代弁をする。
「浅野君はツンデレだから。カルマ君と仲良くしたいと思ってるんだよ」
「誰がツンデレだ」
ぼくは「違うの?」と微笑んだ。浅野君は否定する。
「あーあ。今のが1番殺れると思ったんだけどな〜。また計画の立て直しかな」
「もうネタ切れですか。先生はまだ手入れが足りないぐらいです。君も案外チョロいですねえ〜」
殺せんせーは緑のシマシマ顔で昨日の仕返しをするように言った。カルマ君はこめかみをピクリと動かす。
「殺すよ、明日にでも」
にっこりと笑って首を切るジェスチャーをする彼にもう歪んだ殺意はなかった。先生として殺そうとも、人として殺そうとも思ってない。
それはE組のみんなに通じることだ。
この先生に絶望する日はきっと来ない。心の中で殺せないのなら、物理で殺すしかないのだ。
「ところで渚。何故赤羽のことは名前呼びなんだ?」
浅野君が突然話を切り出した。ぼくは何でだっけと頭の中に理由を思い浮かべる。
「何でって……カルマ君、下の名前気に入ってるよね?」
「うん、そうだね〜」
彼の周りでカルマ君を苗字呼びする人はあまりいない。珍しい名前なのでダブることもなく、呼びやすいということも関係している。もともと本人がその名前を気に入ってるということもあり、彼をよく知る人なら名前呼びが普通だ。
「なら僕は?」
「浅野君最初の自己紹介で下の名前で呼ばれるのが嫌い、みたいな発言していたから」
よね?と確認する。確かに最初の自己紹介の時にそう言っていたはずだ。
「うわっ墓穴掘ってやんの」
「今なら間に合いますよ、浅野君」
カルマ君と殺せんせーはニヤニヤして浅野君を突いた。もしかしてぼくの勘違いだったのかな。本当は名前呼びの方が好きなのかもしれない。
「黙れ」
「あれ、違ったの?」
「まあな」
「下の名前……学秀?」
ぼくはまた名前間違えてないよねと浅野君を振り返った。彼は顔を少しぼくから背けている。
あってる、よね?
「学秀君学秀君」
カルマ君は冷やかすように連呼した。その彼の頭を躊躇なく浅野君__________学秀が引っ叩いた。
「お前は黙れ、カルマ」
「渚ちゃん、帰りにファミレス寄ろうよ。学秀君は置いてさ」
「その財布先生の!」
「おい、渚を連れ回すな!」
「ごめんごめん。返すよ」
財布を先生に投げ、ぼくのことを浅野君、いや学秀に渡す。殺せんせーは財布の中身を見て飛び上がった。
「にゅやっ!中身抜かれてるんですけど?!」
「はした金だったから募金しちゃった」
「この不良慈善者!!」
「何で〜?募金するのっていいことだよね〜?」
2人のやり取りをぼくらは眺め、ぼくは呆れ顔の彼に声をかけた。
「浅野く……じゃなくて学秀。帰ろっか」
「ああ、そうだな」
学秀はぼくの言葉に頷き、カルマ君を置いて2人で帰ることにしたのだった。
原作からの変更点
・女子更衣室が存在。あるか分からないけどありそうなので作っちゃいました
・渚ちゃんの身長は145センチとクラス最小。茅野と並ぶといい感じに双子みたいに見える。ちなみに浅野君は175センチらしい。
・ジェラートは被害(カルマ君からの)を免れた
・烏間先生より強くはなくてもナイフを当てるぐらいならできる浅野君。
・テストは殺せんせーが作り分けている(公式)
・脅しの時間
・名前の呼び方を変更。