クラップスタナーは2度鳴る。   作:パラプリュイ

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プールのはなし。

 暑い日になるとぼくは時折ビッチ先生の話を思い出す。彼女曰く、日本の夏はhot【暑い】ではなくmuggy【蒸し暑い】らしい。

 

「だから日本での夏は密着した色仕掛けがあまり(・・・)できないのよね。やってて私が暑苦しいし」

 

 ビッチ先生、倉橋さん、矢田さん、ぼくの3人は木陰で優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。マナーの心得を教わってる最中にビッチ先生が「蒸し暑いわね」と愚痴を零したため、話題が急に色仕掛けになってしまったのだ。

 

「でも色仕掛け=密着するだけじゃないんでしょ?」

 

 ぼくがビッチ先生から教わった色仕掛けの数々を思い出し、そのどれもが全て密着に限ってはいないのだという点を突く。

 

「そう。良いところ気づいたわ、渚。密着できないなら露出するってわけ」

 

 ぼくは絶句した。そういう意味で密着を否定したわけじゃないからだ。確かにビッチ先生は夏に露出が多かったけど、まさかそういう理由だったとは……

 

「はーい、先生質問!日本だと露出していたら夜の女の人みたいに認識されて、逆に色仕掛け効かなくなるんじゃないかな?」

 

 倉橋さんが的を得た発言をする。少なくとも恋愛対象ではなくなるだろうなというのがぼくたち3人の見解だった。ビッチ扱いされてしまいそうだ。というかされてた、ビッチ先生は。

 

「そんなことないわよ。烏間見てみなさい。あいつだってちょっとは私の谷間見てぐらついたり__________」

 

「「「それは無い」」」

 

 きっぱりと声が揃う。烏間先生を知っている人ならば誰だってこう言うはずである。

 

「何で3人揃って断言なのよ!」

 

 さっきまで得意げになっていたビッチ先生の表情が途端に崩れた。烏間先生のことになると彼女は表情がころころ変わって年頃の女の子みたいだ。

 

「烏間先生はそんな人じゃないもん」

 

 と倉橋さんが頬っぺたを膨らませた。

 

「お堅いっていうのもあるけどね〜。烏間先生が女の人を見る瞬間って、筋肉があって戦力になりそうとか、そんな時だと思う」

 

 恋する乙女のフィルター補正が入った倉橋さんに対し、矢田さんは客観的な視点で述べた。ぼくは矢田さんの意見に全面的に同意だ。彼女には優れた男性の観察眼がある。

 

「とにかく!夏は露出よ。特に渚!あんたはきっちりし過ぎ、保守的過ぎ!女子としての品位が欠けてる!」

 

「そ、そんなことないよ!」

 

 いきなり名指しで呼ばれたことに反論した。仲間であるはずの2人を見るも、2人はビッチ先生側のようだ。

 

「ごめん、それはあたしも同意かな〜。天使ちゃん、可愛いのにもったいないってよく思うし」

 

「まず渚ちゃん、スカート膝丈よりちょっと下だよね。うちの学校せっかく校則が膝丈少し上なんだから、少しは折った方が良いと思うよ」

 

「短すぎてもアンバランスだけど、ちょっとぐらいなら短い方が可愛いよね〜」

 

 うぐっと言葉を詰まらせる。スカート丈を少し長めにしているのは短いと足が涼しすぎて違和感を覚えるからだった。更に中学1年生の頃に先輩から目をつけられるのを恐れて、みんな丈が長めだった頃の名残りでもある。そこから短くされるスカート丈について行けずにいたら、周りの丈との格差が出来てしまったのだ。

 

「まあ、スカート長い子はうちの学校それなりにいるよね。勉強重視の女子たち多いからかな」

 

 あとは学力がそこまで高くない女子はA組女子たちに「勉強出来ない癖にスカート丈だけ短くしてるとか身の程知らず」なんていうよく分からない風潮が椚ヶ丘にはあるため、女子のスカート丈は平均的に長めだ。E組女子はもう堕とされた身だからあまり関係ないが。

 

「あと渚、あんたブラちゃんと付けてるの?」

 

「え、でもそこまで大きくないし……まだ中学生だし……」

 

 ビッチ先生の指摘にギクリとして視線をずらす。倉橋さんと矢田さんは苦笑い気味だ。

 

「そんなの計んないと分からないと思うよ。早い子だと小学生から付けてるし」

 

「中学生だからってそこのところはしっかりしないとね」

 

「それから日焼け止め!ちゃんと塗んなきゃだめだよ?せっかく肌白いんだから」

 

「あとね__________」

 

 それから3人のぼくへのダメ出しは1時間に渡って行われた。終わる頃にはぼくはメモ帳に沢山の項目を書き終えていて、女子力って奥が深いな、なんていう雑な感想を抱いた。3人とも細かすぎるとは思うけど。

 

「渚ちゃんって女子力高いのに根本的なところが欠けてるよね……」

 

「浅野君も大変だね〜」

 

 倉橋さんが言って矢田さんが「そうだね」と返す。ぼくは首を傾げた。

 

「何でそこで学秀?」

 

「それは……ね〜?」

 

「何でだろ〜?」

 

 2人の挙動がおかしい。意識の波長無しにでも分かるぐらいの下手な誤魔化し方だ。でもあれこれ詮索し過ぎてもだめだろうから、ぼくはスルーすることにした。

 まあ多分、女子力が低いと周りにもダメージが行く……ってことかな。

 

「あ、ビッチ先生!そういえばさ、先生が潜入暗殺主流なのって色仕掛けが得意だから?」

 

「それもあるけど、昔からよく言うでしょ。敵の攻防は外から入るより内側から攻める方が成功するって。内側から入るには潜入暗殺が1番なのよ」

 

「あ〜そっか!」

 

「外からより内側から……か」

 

 ぼくの考え事に答えを出したのはビッチ先生のそんな一言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼくの暗殺後、1周目と同様に鷹岡先生は理事長に辞職届の紙を渡され、教師を辞めることになった。本人に状況が分かっていたのかと言われると至極微妙だったけど。何故なら彼は狂ったようにカラカラに乾いた笑い声を上げていたのだから。

 

 教室の年季の入ったドアを開ける。表面的な笑顔を貼り付けた。

 

「おはよー」

 

 ぼくの挨拶に数人が振り返る。その反応にほっと胸を撫で下ろした。

 良かった。みんな'普通'だ。

 

「おはよっ、渚!昨日渚に勧められたスタバの新作飲んでみたよ〜」

 

 茅野がスマホの写真を見せて満面の笑みを浮かべる。新作ドリンクは茅野にちょうど良さそうだと思っていたから、気に入ったようでなによりだ。

 

「渚ちゃんおはよ〜」

 

「天使ちゃん、今日はツインテなんだね!」

 

「今日は2つ結びしたい気分だったんだよね」

 

 幸運なことかどうかは分からないけど、E組は殆どの生徒たちは暗殺の時にぼくが残酷なことをしたとは気づいていないようだった__________カルマ君のような例外を除いて。

 

「おはよ、カルマ君」

 

「……はよ」

 

 鋭い目がぼくを捉える。ぼくは淡い笑みで相手と視線を合わせた。まだ骨折中の腕が痛々しくぼくの視界に突き刺さる。

 

「あの……さ、カルマく__________「おはようございます!先生、暑過ぎて溶けるかと思いました」

 

 殺せんせーが教卓にマッハで到着した。外が暑すぎるのでなるべく中に居たいのだろう。もっとも旧校舎には冷房が1つ足りとも置いていないが。カルマ君は殺せんせーの服装を見やりぼそりと呟いた。

 

「そんな暑い服着てるからじゃね?」

 

「ほら先生、脱いで脱いで!」

 

 中村さんが忍び足で殺せんせーに手を伸ばし近づいていく。片方の手にはナイフが握られていた。

 

「にゅやっ!!中村さん、どさくさに紛れて人の服を脱がそうとしないでください!ナイフもバレバレですよ!」

 

「あちゃー失敗失敗」

 

「莉桜ちゃん何やってんの〜」

 

「どうしたの、渚?席座りなよ」

 

 茅野に促され、ぼくはカルマ君と話すのを諦め席に着いた。殺せんせーが全員席に着いたのを確認して出席名簿を開く。

 

「さて、出欠を取ります……おや、今日は浅野君の停学明けですねぇ」

 

 タイミングを合わせたかのようにドアがガラリと開けられる。紛れもなく浅野学秀本人だった。

 

「おはよう」

 

 威厳たっぷりに言い放つと彼は自分の席まで歩いていく。全員が学秀に親しい視線を向けていた。

 

「久しぶり、浅野」

 

「後でサッカーしようぜ」

 

 前原君が続けて「それから合コン」と言いかけたが、近くの席の岡野さんに蹴りを入れられ学秀には届かなかった。

 

「おいおい、野球の練習が先だろ!」

 

 杉野君はグローブに野球ボールと準備万端である。

 

「学秀、おかえり」

 

 ぼくは何を言うか迷って簡潔にそれだけを言った。話す機会なら幾らでもあるし、聞きたいことはその時に聞けばいいだろうと思ってだ。

 

「ただいま」

 

 学秀は柔らかく微笑む。

 

「しっかし、鷹岡がいなくなってほんとスカッとしたぜ」

 

「浅野君の停学はほんっと理不尽だったよね!」

 

 1人の声から伝染するようにみんなが鷹岡先生について話し始める。ぼくは喉が乾くのに唾を飲み込んだ。

 

 鷹岡先生。

 

 停学の原因を思い出し、それに続くようにして烏間先生のあの言葉が脳裏に浮かんだ。

 

『君は何故__________を殺したんだ?』

 

 あの1周目は、烏間先生の言葉はきっと現実だ。ぼくが忘れていた1周目の終わりの記憶だ。それに烏間先生があの質問をするということはぼくが殺したのはきっとE組の誰かに違いない。

 

 だとすれば潮田渚は__________「渚、どうかしたのか?」

 

 ぼくの考え事を遮るように学秀が尋ねる。心を読んでいるみたいでどきりとした。

 

「え、あ、ちょっと考え事してて……授業のノート一応取ってあるけどいる?」

 

 A組の生徒に貰った方がいいかなと少し躊躇していたが、殺せんせーの授業の分かりやすさはA組教師に劣っていない。それに椚ヶ丘で1週間のブランクはいくら学秀とはいえ少しキツイだろう。

 

「……そうだな、貰おう」

 

 学秀がノートをめくっていると、殺せんせーが大興奮状態で学秀に突進してきた。瞬間移動したんじゃないかというぐらい速い。

 

「浅野君!先生は浅野君が戻ってきて嬉しいです!実は停学明け用に世界中から集めた知識で作った小テストが__________「出来るか」」

 

 学秀がノートで頭を叩こうとするもあっさり避けられてしまう。殺せんせーは学秀の小テストに力を入れ過ぎだと思う。

 

「さて、授業を始めましょう!」

 

 殺せんせーが黒板にマッハで地図を書き始める。ぼくはノートを開いた。頭の隅にはまだ微かに悩み事がちらついて、どうにも集中出来ない。まあ、理由はもう1つあるけど。

 

「しかし、何だここは」

 

 学秀が顔を顰めて手を仰ぐ。

 

「どうした浅野?」

 

「これは由々しき問題だな」

 

 ごくり。クラス中が息を潜めて学秀の次の言葉を待つ。

 

「暑過ぎる」

 

「「「知ってるわ!!」」」

 

 A組から来たお坊ちゃん育ちの学秀のことだ。室内にいて'暑い'という経験は皆無なのだろう。

 

「まあ、確かに暑いよね」

 

「あのよくE組に来ていたメルも最近じゃあ週1で来るか来ないかだもんな〜」

 

「暑い……アイス食べたいなぁ」

 

 ぼくが呟くと学秀が後ろから声をかけてくる。

 

「渚、ソフトクリームいるか?」

 

「いいの?!でもそんなのどこで……」

 

 ふと思い当たり、顔を真顔にして後ろを振り返る。

【アイス販売始めました!】という看板を持つ律がそこにはいた。もう律の本業は自動販売機で良いんじゃないだろうかとぼくは思い始めてきた。

 

「山を登る途中に律と会ってね。一緒に登校してきたんだ」

 

 脳内に自動販売機が歩くシュールな光景が思い浮かぶ。どうにか誰も見ていないことを願った。

 

「律は暑くないんだよね?」

 

 学秀にもらったアイスクリームを食べながら律に尋ねる。授業中だが暑さに打ち勝つ方法がこれ以外にないのだから仕方ない。

 

「例年より0.6度の上昇であるとのことです。とても'暑い'ですね」

 

 律は暑さを全く感じていない涼しげな笑みで言う。画面にはソフトクリームを舐める律の姿が映し出されていた。何だかあざとい。

 

「だらしないですねぇ皆さん。日本の温暖湿潤気候での夏が暑いのは仕方ないことですよ。ちなみに先生は放課後にはロシアに逃げます」

 

 教壇にだらしなくもたれかかり、殺せんせーは黒板に書き終えた地図を触手で示す。

 

「「「ずりぃ!!」」」

 

「それから渚さん、授業中の飲食禁止!律さんも授業中に自販機営業はいけませんよ。あ、先生もカフェオレ1つ」

 

「「「言ってる側から矛盾してる?!」」」

 

 クラス全員が突っ込んだ。律がカフェオレを銃弾みたいに超スピードで放り投げ、殺せんせーが嬉々として飲み始めた。

 

「それはそうと殺せんせー。次の授業はプールですね!」

 

「律……本校舎まで行かなきゃいけないんだよプールは__________」

 

 一生徒の声に律は何を言っているんだろうと言わんばかりにきょとんとした顔で自身の記憶を確認した。彼女の記憶の中にはプールは裏山にある物なのだろう。

 

「あれ?裏山にもありますよね?プール」

 

「「「へ?」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 律の言葉で裏山のプールの存在を確認したぼくらは久々の涼しさを楽しんでいた。

 

「浅野、25メートルどっちが速く泳げるか競争しないか?」

 

「ああ、やろうか」

 

 磯貝君の誘いに学秀は微笑を湛えて応じた。この2人は去年まで部メンだったこともあり、総合能力が似通っているのも関係してか互いにそれなりの信頼を寄せている。そのため、1周目の棒倒しからは想像がつかないぐらい仲が良いのだ。

 

「浅野君って泳ぎ速いの?」

 

 茅野がぼくに尋ね、周りのみんなが興味ありげに耳を傾けた。茅野がこんな質問をするのはぼくが学秀に詳しいのは周知の事実だからだろう。更にE組監視役の身体能力に好奇心が疼くのも無理はない。

 

「……B組の水泳部のエースと競争して打ち負かしたの、結構有名だと思ってたんだけどなぁ」

 

「うわっ、さすがあの理事長の息子だな!」

 

「入学当初に殆どの部活から来るように頼み込まれたって話、案外嘘じゃないのかもね」

 

 不破さんの言葉にそれはあり得そうだと苦笑するE組一同。すっかり浅野学秀に毒されていた。

 実は他にもサッカー部の他校との試合に緊急飛び入り参戦して高得点を取ったり、バスケ部でコーチがインフルエンザで寝込んでいる時に代役コーチを頼まれたりと運動神経の良さを象徴する逸話は数え切れないほどあった。学秀は一見自らの力をひけらかしているように見えがちだが、その全てを曝け出さない謙虚さは中々できることじゃない。

 

 

「学秀凄い泳いでたね」

 

「つい熱中した。渚、奥の方は深いからあまり先に行くな」

 

 つい声をかけると学秀はぼくが奥に泳ごうとしているのに気付き注意する。同じぐらいの身長の茅野は浮き輪を持っているけど、ぼくは持ってきていない。奥は足がつかないので確かに危険だ。

 

「はいはい。そんなこと言わなくても小さい子じゃないんだから大丈夫だよ」

 

 ぼくは少し強がって、と言うよりも子供扱いされたことを否定したくて平気だと言い張った。実際泳げない茅野ならまだしも泳げるぼくが奥に行って危険ということはないのだ。

 

「渚は小さいだろ」

 

「小さくない」

 

「僕よりずっと小さい」

 

 頭に手を乗せ、学秀は自分と僕との身長差を主張する。

 

「……学秀が巨人なだけだよ」

 

 ムッとして顔を逸らす。目を逸らさなかったら身長の差という現実が押し付けられるためだった。

 女子だから身長が伸びないのは分かる。でもクラス最小は酷いんじゃないかな。神様は意地悪だ。

 目に飛び込んできた読書をする少女に、ぼくは小さく息を吸い込んで、長く息をつく。何をしなきゃいけないって、やっぱりあの事件を止めるために手段を尽くす必要がある。そう、例えば彼女に止めさせるとか。

 

「ちょっと休憩してくる。やらなきゃいけないことがあったんだ」

 

 学秀はぼくの視線の先を追い、息を漏らす。珍しいなと、何かあるんだなと、色々な言葉を含んだ微笑で彼は囁いた。

 

「狭間さんに用?」

 

「うん」

 

「そうか……確かにあいつ(・・・)は最近孤立気味だったね。狭間さんを頼るのは悪くないと思うよ」

 

 一を聞いて十を知るとは学秀のことか。ぼくはバレバレなら意味はないかと説明することにした。プールサイドに2人で座り念の為スペイン語を使って説明し終えると、学秀は少し険しい顔で呟く。

 

『シロが寺坂を使ってプール爆破……今は理由が分からないが意味があってのことなんだな?』

 

『うん。それを防ぐために寺坂君が利用されるのを止めようと思って……』

 

『それは最善策とは言えないな』

 

『そうなの?』

 

 首を捻ってぼくの考えた計画に不備が無いか確認する。別に可笑しなところは無いし、防げたら万事休すとなるはずだ。一体何が問題なんだろうか。

 

『寺坂が利用出来ないなら、シロは別の誰かを利用するか、違う手段を取るだろう。目的の為なら手段は幾つも用意する。あいつはそういう奴だ。それらは渚にとっても未知であり、結局何らかの事件は起こる』

 

『それじゃあ防ぐことは出来ないんだ』

 

 ぼくの言葉に学秀はE組の皆を見渡し、そして殺せんせーを視界に収めると淡々と述べる。

 

『死傷者も怪我人もいなかった。みんな殺せんせーが助けた。違うか?』

 

『……合ってるよ』

 

『なら、何もする必要はない。同じ事件が無事に解決されるのを待てばいい』

 

 保守的で浅野学秀らしくない意見にぼくは唖然とした。学秀なら絶対に行動に移して何かすると思っていたし、事件が悪い方に行く予想外の事態も承知の上で冒険すると考えていた。それなのにこれじゃあまるで家で留守番して全てが終わるのを待っていろと言われているのと同じじゃないか。

 

『そんなのおかしい。何が起こるか知っているのに、放置しておくなんて間違ってるよ』

 

『結果、誰もが助かるのにか?』

 

『そういうことじゃない。ただぼくは後になって、何か行動出来たのにしなかった自分を思い出すのは嫌なんだ』

 

 自分の為みたいで利己的だけど、ぼくは自分に知っているのに何も出来ないというレッテルを貼りたくない。E組の為に出来ることは全てしたいのだ。更に前回全員無事だったとしても今回どうなるかは誰にも分からない。それはこの2週目で何度も証明しているし、1周目にあった出来事と同じだからって油断は禁物だ。

 

『そうだったな。渚はそう考えるのか』

 

『何か間違っているかな?』

 

『嫌いじゃない考え方だし、倫理的には正解だろうな。でも渚、行動して悪い結果を招くことだってある。よく考えた方がいい。僕は渚に危険な目に遭って欲しくない』

 

 最後の一言を強調して、学秀はぼくからの視線を潜り抜けた。ぼくは少し騒めいた学秀の意識の波長にあれ?と学秀の目を覗き込んだ。

 

「__________もしかして、それが理由?」

 

 言語を変えるのも忘れてぼくは呟いた。学秀の意識の波長が揺れる。

 

 なんだ。そういうことなんだ。

 

「……まさか」

 

 とは言ったものの、ぼくには嘘であることがバレバレで、あまりに単純な理由に拍子抜けした。心配されるのは嬉しい。でも、そこまで心配しなくてもぼくは大丈夫なんだけどなぁとも思う。

 

「大丈夫、危険な目になんて遭わないよ」

 

「渚のそういう言葉は信じられないからね。無茶はしないと約束しろ」

 

「分かった、無茶はしないって約束するよ」

 

 学秀は満足気に頷き、ぼくが狭間さんの元に行くのを見送った。日陰の席で読書をする彼女はとても和やかで、プール内のはしゃいだ雰囲気とは打って変わって大人びている。だから声を掛けるのに数秒躊躇い、結局隣に座った後ぼくは「ねえ」と彼女に呼びかけた。

 

「狭間さん、何読んでるの?」

 

「異邦人よ」

 

「カミュかぁ……」

 

 少し暗くて個人的には苦手だと思った小説だ。自分から始めた会話だったが、あっさり次の言葉が続かずに黙り込んでしまう。すると狭間さんは本から目を外し、淡々とぼくに告げた。

 

「何か用があって来たの?読書の邪魔にならないように手短にお願い」

 

「単刀直入に言うね。寺坂君、最近孤立していない?今日も意地張ってプール来ていないし」

 

「いつも通り3人組でつるんでいるんじゃないの」

 

 そう呟いた彼女は意外にもその場に居ない誰かに怒っているようだった。グループ内で紅一点の彼女は普段は本の世界に閉じこもっていることが多く、人との接触をなるべく拒否しているようにも見える。彼女が寺坂グループに居るのはきっと、彼らが狭間さんに対してある程度の距離感を持って接しているからなのではないかというのが大抵の生徒たちの推測だった。そしてその距離感を狭間さんも好んでいるのだろうと。

 しかし、彼女はどうにも仲間外れにされたとでも言いたげに唇を噛み締め、あいつらなんてどうでも良いという振る舞いをしているのだった。

 

「狭間さんってかわいいところあるよね」

 

「……何を言い出すかと思えば。呪い殺されたいの」

 

「怖いからやめて。でね、寺坂君について1つお願い」

 

 ぼくは遂に本題を切り出した。彼女は話の展開に予想がついたようで再度読書に取り掛かる。

 

「あいつと今より仲良くしろと言うなら返事はしないけど?」

 

「今のままの関係でいい。でも、ちゃんと()()()()あげて欲しいんだ」

 

 狭間さんの表情には分かりやすいぐらいのクエスチョンマークが浮かぶ。

 

「見る?何のためにそんなことしなきゃならないの」

 

「見ることで人のことを助けることもあるんだよ」

 

 プールの奥を見やれば、浮き輪から落ち、溺れそうな茅野を学秀が素早く助けていた。片岡さんの出番がなくなる程の反射神経の良さは流石と言ったところか。

 

「人助けを進んでやろうなんて思わないけど。貴方が言うことだから何か理由があるんでしょ。引き受けるわ」

 

「ありがとう。あ、そうだ」

 

「今度は何?」

 

「寺坂君たちが狭間さんと距離を置いているのは、悪事に巻き込みたくないからだと思うよ?」

 

 狭間さんは真面目なのに、あの3人は不真面目で不良だから。高校の受験もあるこの時期に良い高校を目指す狭間さんの評価が落ちないようにしたいのだろう。だからいつだって、狭間さんは彼らの反抗行為に参加していない。

 ぼくの意見に狭間さんは目を少し見開き、くっくっと声を殺して笑う。

 

「知ってるわ。だから腹が立つんじゃない」

 

 私は悪事に参加したいのにね、とため息混じりに言い彼女は読書を再開する。

 その間に殺せんせーの弱点が発覚したことも、学秀が近くにいたため茅野が溺れなかったこともどうでも良くなるぐらい、全てが上手くいくように願った。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道は仕組まれていたかのようにぼくと学秀の2人きりとなった。学秀の1番の興味はついさっき分かった殺せんせーの弱点のようだ。

 

「水が弱点……梅雨の時期に体積が増えていたのはこれが原因だな。普通ならシロのようにプールに突き落とすことを考えるが、中村によるとお風呂に入った時は平気だったらしいから対策法があるに違いない。恐らく粘液だな」

 

 学秀が企み顔で嬉々と分析し出す。一時期水殺が流行ったことを思い出し、それの殆どが失敗したなあという苦い思い出まで蘇る。

 

「なんだか楽しそうだね、学秀」

 

「相手の決定的な弱点というのは珍しいからね。とはいえ1人で盛り上がるのも良くないか」

 

「いいよ、ぼくも前は学秀みたいに盛り上がっていたと思うし」

 

 水殺があまり決定打にならなかったのを知っているからか、ぼくの関心は少し薄い。新たなアイデアが浮かぶ可能性もあるから何とも言えないが、マッハ20がスピード低下をしたところで超スピードなのには違いがないのだ。

 つまり目が追いついていても身体が追いついていかず、殺せる確率は高いとは言えない。

 

「それから渚。この前の鷹岡のこと、悪かったと思ってる。暗殺者としての才を大勢の前で晒すのはあまり良くないだろうからね」

 

 学秀があまりに落ち着いた様子で話すので、ぼくは学秀が何も知らないのだと気づくに至った。

 少しは知っているのだろうが、この様子だときっとカルマ君は詳細を話していないんだろうな。

 それでも察しの良い学秀のことだ。カルマ君とぼくのギクシャクした関係からぼくが鷹岡先生に何かをしたことは分かっていて、それでいて心の奥底にメモ帳でも貼り付けているんだろう。

 

「いいんだ。きっとみんな気づいていないから」

 

「でも、感謝もしているんだ。ありがとう」

 

「……うん」

 

 感謝されていいのだろうか。人を傷つけたのに、感謝される価値なんて無いような気もするけど。

 

「E組はあまり変わってなかったな。停学期間が少ないからそんな大きな変化もないか」

 

「変化といえば学秀が居ない間に律が自動販売機機能のリニューアルをしたことぐらいだね」

 

「あれは……確かにびっくりしたな」

 

 学秀は同意を表する。

 

「アイスにかき氷、占い30円なんていうのもあって、それもよく当たるんだって」

 

 律はどこを目指しているんだろうねと笑う。学秀は少し目を瞬き、「ああ」と小さく呟いた。

 学秀と話している時、偶に沈黙が訪れる。会話が続かないというより、互いに別のことを考えている時だ。学秀の意識の波長は先程に比べ、速く波打っていて真剣な考え事をしているんだなと微笑ましく思った。それとは別にこの瞬間、ぼくは彼の考え事を邪魔してとても深刻な話をしたくてたまらなくなる。ぼくは視線を落とし、震えるような声を吐き出した。

 

「……もしも、もしもだよ?学秀は誰かを殺したかもしれない。でも自分ではそれを思い出せなくて、何故そうなったかも理解できない。そうなったら、学秀ならどうする?」

 

「それは渚の1周目のことか?」

 

「うん」

 

 あっさりバレた。前提の話が少し分かり易かったのかな……いや、学秀だから当たり前か。そういえば今日は学秀がいつもよりずっとぼくを気にかけているように見えた。悩んでいることに気づいていたのだろうか。

 

 学秀は一拍間を置いて、少しの動揺も見せずに返事を返した。

 

「1度じっくり考えてみて、それでも思い出せなかったら無かったことにするよ」

 

「え、忘れるの?」

 

「曖昧な記憶ほど不確かなものはないからね」

 

「そっか……忘れてもいいんだ」

 

 口から浅い息が漏れる。学秀は好奇心を隠すように声を押し殺してぼくに尋ねた。

 

「それで?一体どんな話なんだ?」

 

「烏間先生に『何故__________を殺した?』って聞かれたんだ。でも殺したのが誰かまで覚えてないし、殺した記憶もない」

 

「それは……面倒だな」

 

「そうだよね。こんなことで悩んでいても仕方ないって分かってるんだけど、それを突き止めたら自分のルーツが分かるような気がしてさ。自分がどこから来て、どうして2周目なんかやってるのか」

 

 本当は分かってないことがいっぱいある。ぼくがそれを無視しているだけで、自分自身も1周目から何故2周目に来る羽目になったのか全く見当もつかないのだから。

 

「それでも知りたくない気持ちもあるんだろう?」

 

「まあね。でも、鷹岡先生に会って、殺意を抱いたのは本当なんだ」

 

 その殺意は自分じゃないみたいだった。大石渚じゃない、誰かの殺意だ。ぼくの感情に混入物が入ったみたいに、ゆっくりと浸透していって何かを呼び起こした。ああいうのを既視感(デジャヴ)って言うんだろう。

 

「本当に知りたくなったら、律に聞くと良い。唯一同じ時間に居たのは彼女だからね」

 

 

「んーしばらくは聞かなそうだなぁ」

 

 ぼくは自分の才能について誤解をしていたのかもしれないから。ぼくのその才能と呼ばれるものが、もし暗殺ではなく殺人の才能だったら。

 鷹岡先生を見た時に全身から感じた自分ではない誰かの殺意、殺してしまいたいぐらいの憎しみ。正直、あの後ぼくは恐怖に包まれた。自分があんな残酷なことを平気でしようと思えるんだって。まるで他人がぼくの身体を乗っ取ったかのようで記憶は曖昧だけど、あれは暗殺じゃなく殺人の要素があった。そんな気がした。

 だから律にそれを証明されてしまったら、ぼくはどう受け止めればいいんだろう。

 

「呼びましたか?」

 

「あ、律。何でもないよ!」

 

「そうでしたか。ところで浅野さん、殺せんせーに試した毒薬でまだ試していないものがあったら教えてください。殺せんせーが買うアイスに混ぜますので!」

 

「律も暗躍してるね……」

 

 毎日殺せんせーを殺すためには最善の努力をしている律は日に日に殺せんせーに当てる銃弾数が増えている気がする。更に正攻法だけではない自動販売機の機能を最大限に発揮した暗殺は殺せんせーを脅かしているという。ひょっとして律がE組の中で1番優秀な殺し屋なのかもしれない。

 

「殺すためには全力を尽くさなければいけませんから」

 

 ね?と満面の笑みで言われ、ぼくは口を閉ざした。みんなそれぞれ殺りたいという気持ちで殺せんせーに挑んでいる。先取りした知識に頼って平和に物事が進むようにしたり、1周目に囚われて殺す覚悟が出来ていないのはぼくだけだ。

 アパートのぼくの部屋までたどり着いた。学秀はぼくが鍵をちゃんと開けるまで側にいた。

 

「それじゃあ、またね」

 

「また明日」

 

 学秀の姿が閉まるドアによって見えなくなる。律が待っていたとばかりにスマホの画面に登場してぼくに尋ねた。

 

「渚さん、プール爆破の件どう致しますか?」

 

「そうだね……学秀には言われたけど、危険な目に遭うのを承知で行動に出たい時ってあるんだと思うんだ」

 

 対先生ナイフを手に持ち、律に大まかな計画を伝える。律はぼくの行動の意味を理解したようで頷いた。

 

「問題ないです。それでは私はサポートに徹させていただきますね」

 

「頼りにしてるよ、律」

 

 律は画面上でニッコリとぼくに微笑んでいた。




原作からの変更点

・ビッチ先生の課外授業
・渚ちゃんの女子力は基礎が足りない
・律の自動販売機リニューアル!!
・狭間さんに頼み事
・渚ちゃんの悩みが一時的に解決
・プール爆破の解決法探し


プールいいな〜と思いながら書いていました。もう寒いですけどね。ちなみに個人的には狭間さんのキャラ好きです。だから原作の出番の少なさに不満。寺坂組出てきてるのに狭間さんの出番が無い時はどうしているんだろうとよく考えています。
次回、渚の計画。

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