準備のはなし。
冷凍庫からスイカアイスを取り出す。それをひとかじり、もうひとかじりとしているうちにあっという間に食べ終わってしまい、わたしは少しがっかりした。
「にゃー」
視線の先にいる猫がこちらをじっと見つめている。ただ見ているというよりも、監視していると言うのが正しいか。とにかく彼女は飼い主を疑っているような目つきをしていた。まるでお前は誰だ?とでも言っているみたいに。
「おいで、メル」
メルはわたしの声で大人しく近寄る。何だ、いつものメルだとわたしは安心してメルを膝に乗せた。目を細めて眠そうにする彼女もようやくわたしが飼い主であることを認めたようで、遂には膝の上で眠りについてしまった。
メルが起きないようにそっと充電機からスマホを外す。すると画面にL1NEのメッセージがいくつか表示されたのでスクロールして確認していった。どうやら明日から特別夏期講習に向けて訓練が始まるとのことで、特別講師としてビッチ先生の師匠さんが来るだとか、体操着を忘れないようにしてほしいなんてことが学級委員の磯貝君から伝えられた。
「夏休みなのに学校かぁ……」
少し怠いなとも思ったが、これも暗殺のためだ。
宿題を1週間で終わらせたため、時間は有り余っていた。しかし別に暇だったかと言われるとそういうわけではない。学秀に頼まれて一緒に夏休みの家庭科の宿題である昼食作りを行ったこととかは記憶に新しいだろう。予想していた通り、ほぼわたしが作る羽目になったが、その後一度行ってみたいと思っていたホテルのアフタヌーンティーを奢ってもらったので文句はない。確かそれが偶然にも誕生日の日だったんだっけ。
それからカエデと一緒にスイーツ巡りをしたり、修学旅行のメンバーで打ち上げにカラオケではしゃいだりと最初の1週間からそれなりに充実していた。むしろ充実し過ぎていた。
「何で増えてるの」
家計簿とにらめっこして呟く。食費が先月より増えている。食べている量は同じはずなのに、だ。むしろ買っている食材は先月の方が少ない気さえする。
家計簿とは別にある1日の献立欄はもっとおかしなことになっていた。買っていないはずの芋やキノコ、くぬどんの他、高級な松茸がたまに登場する。しかも全て旬の食材だ。
自分のことなのにどうやって入手したかの記憶はなかった。
悲しいことにスイーツ好きの運命で、食費を節約するためにスイーツを削ることはできないのだ。例えスイーツが1番高い出費でも無理である。
となると、校則違反ではあるがバイトをするという手が思いつく。
「どっかに良いバイトないかなー」
そうスマホで検索しようとすると、何も押していないのに違う画面が表示される。
『メイド喫茶 白黒 メイドさん募集中!』
可愛いメイド服に身を包んだ女の子が広告に載っていて、程良い時給とそこそこ近い場所が目に入る。
「律、何これ?」
その画面を表示させた張本人に尋ねると、彼女は悪びれもせず、「バイトですよ?」と言った。
「渚さんがバイトを探している様子でしたので、オススメをと」
「そこで何でメイド喫茶なの?」
別にメイドを軽蔑するつもりはない。ただ単にメイド服のコスプレをしなきゃならないというのに羞恥心があるだけで、それ以外は時給も場所も申し分ないぐらい良い仕事だ。
「竹林さんのイチオシ場所です」
へぇ、竹林君ってメイド喫茶に通ってるんだ。それで律もその事を知っていたと。ってそれ、何でメイド喫茶なのかの答えにはなっていないと思うんだけど。
「実は経営している方が竹林さんの知り合いだということですので、もしかしたら中学生でもバイトを許可されるかもしれません」
確かにクラスメイトの知り合いなら赤の他人よりは安心できそうだ。でもそれだけが理由じゃない気もするんだけどな。
わたしが怪しいと律をじーっと見ていると、彼女は降参して本当の理由を言い始めた。
「渚さんがメイドになったら浅野さんが喜びそうですよね」
「喜ばないよ!むしろ軽蔑されるよ!」
ちょうど良いタイミングでスマホの着信が鳴った。竹林君からだ。
「律から聞いた。店長は大歓迎だそうだ」
「話進めるの早すぎ!っていうか本人の意思は?!?!」
「いいか、メイド喫茶で働いて得をすることは色々ある」
その後、竹林君の説得により2日も経たないうちにメイド喫茶のアルバイトをすることが決定した。
その後思わぬ顔見知りに遭遇して驚かされることになるのだが、わたしはまだ知る由もなかった。
*
校庭で行われる訓練は射撃を中心に行われた。炎天下の中、銃声音が鳴り響く。わたしが放った弾は3弾ともど真ん中を貫いていた。
「渚ちゃん……いつの間にそんな凄腕になったの?」
後ろで待機していた矢田さんに声をかけられる。そんな事を言われても、普通に撃ったらど真ん中を弾が貫いただけであってこれはただの偶然の産物に違いなかった。
「銃の扱い方に手慣れているとは思っていたが、ここまでとは驚いたな」
烏間先生もわたしの射撃を見ていたようだ。褒める姿に否定するも、謙遜としか受け取ってもらえなかった。
その姿に笑いを堪える者が1人。学秀だ。
「学秀、E組監視役は辞めるんじゃなかったの?」
「二学期の始めにだ。夏休みいっぱいはまだ監視役のままでいるよ」
そうしておけば特別夏期講習にも参加できるしね、と学秀は続けた。どうやら特別夏期講習について行くために夏休みギリギリまでE組監視役を続けるらしい。何というか学秀はいつもそういうところちゃっかりしてると思う。
他の生徒たちは射撃は射撃でも風船を撃つ訓練だったり、足場の悪いところでの射撃、もしくは座ったままでの射撃をしていた。その中で特に目を引いたのはメルであり、胡座なのか寝ているのか訳の分からない格好で小柄な銃を的に向ける。BB弾は見事に真ん中を貫いた。わたしよりあっちの方がよほど凄い。というか猫の癖に銃が扱えるって一体何者なんだ。
「汗水垂らしてご苦労なことね」
そう言ったのはビッチ先生だ。お出かけ用のブランドワンピを身につけ、サングラスと帽子を日除け用に付けている。ビッチ先生とメルを見比べ、わたしはその差にため息をついた。
「ビッチ先生、わたしより射撃下手なんだから練習すればいいのに」
わたしがぼやくと、彼女はわたしの唇をなぞって黙らせた。
「ふふっ、大人はずるいのよ。それにしても渚、あんた__________「ほほう、偉いもんだなイリーナ」」
ビッチ先生の後ろには恐ろしい形相の男が仁王立ちしていた。何を隠そう、彼女の師匠である。
「ひいっ、ロヴロ師匠!」
実は今日は烏間先生の他にもう1人、ビッチ先生の師匠であるロヴロさんが来ていた。E組の生徒ではわたししか会ったことがないのだが、暗殺者としての波長が合っているのかクラスのみんなはすぐに受け入れた。
「それにしてもメルダリンがここにいるとはな」
ロヴロさんは銃を何度も連射し、1度も真ん中から外さないメルに目を輝かせていた。その横には縮こまったジャージ姿のビッチ先生がいる。
「有名なんですか?」
とわたしは尋ねた。メルが有名な猫だとは考えたこともなかったからだ。
ロヴロさんはメルから目を離さずに質問に答える。
「最強と言われる死神の次にな。あの猫のいるところに最強の殺し屋ありと言われている。よくある都市伝説だ、信憑性はない」
となると死神という殺し屋が前のメルの飼い主で、最強の名を手にしていたわけか。メルがまるで殺し屋のお守りみたいに扱われていて面白い話だ。
わたしの横で学秀が何かに気がついたようで「そういうことだったのか」と殺せんせーを見て某探偵のような台詞を吐いていた。
どういうことだったんだ。わたしは何かを聞き逃してしまったみたいだ。
「ここは殺し屋が多いからかもしれんな。ちなみに飼い主は誰だ?」
「あ、わたしです」
ロヴロさんの目が初めてわたしに向けられ、会ったことある顔であることに今ようやく気付いて口角を上げる。彼の中でわたしの存在はくっきり残っていたらしい。
「あの時の少女か。久しぶりだな」
あの時_______と言われ、ロヴロさんに殺し屋になりたいと言ったことを思い出した。滑稽にもアルバイトが禁止という理由でそれを諦めたことも。最近そのアルバイトを始めたんだけどなと諦めた理由に首を傾げたくなる。
「今でもなりたいと思っているのか?」
殺し屋に、と彼は付け足すように言った。わたしは自分が何故あの時そう発言したのか理解できないでいた。単なる気まぐれか、本気で思っていたのか、どちらにせよ殺し屋になるなんて突飛な考えを思いつくほどわたしは危険が好きじゃない。
「分かりません。でも答えはきっとノーです」
「ほう。心変わりしたか」
高校の進路先を変えたのか、というような気軽さでロヴロさんは呟いた。目は獰猛な肉食獣のようにギラギラと獲物を狙っていて、意識の波長が何かを企んでいるような怪しい表情を見せる。彼の視線が一瞬右手に集中した。
それだけで、わたしを警戒させるには十分だった。
「個人的に死神の猫が懐くイリーナの弟子というだけで非常に興味があるんだが、それ以上に______________」
ロヴロさんの言葉が終わらない内に、彼がわたしに突き刺す寸前だったナイフをスリのような要領でさっと取り上げる。あまりに自然に、相手に警戒されずに事が済んでしまい逆に驚いた。
手に持つナイフをまじまじと見る。
「?」
あれ、何でわたしこんなことしてるんだろう。
わたしがナイフを手に入れたことで後ろに下がったロヴロさんだったが、やがて何もして来ないことを察知すると立ち止まり、わたしの表情を冷静に分析する。
「何で自分がそんなことをしているのか分からない、とでも言いたげな反応だな。面白い」
「無意識に行動してるっていうのは、ただ単に愚かなだけじゃありませんか?」
「ふっ、無意識に、だと?あり得んな」
当然、無意識ではなかった。身体が行動パターンを覚えていたというのが正しいのだろうか。それ以上にロヴロさんの動きに不審さと違和感を感じたというのが大きいが。
「お前は見えていた。俺がナイフを動かすという動作を読んでいたな」
ロヴロさんが再度わたしに歩み寄る。わたしは彼に殺意が無いのを感じ取ると、そのままナイフを渡した。
「そして今の俺に殺意が無いのも知っている」
「すごいですね、お見通しだ」
「お前がそれを言うのか?」
「そんなすごいことじゃないですから。嘘を見破ったり、感情や動きを読む程度の小技です。わたしみたいな小動物が安全に生きる為に必要な」
意識の波長は物心ついたころから無意識に使用しているため、第六感と呼ぶべき存在である。つまり五感と同じように使えて当たり前なわけで、使えない状態なんて想像できない。
「ならお前は、それの使い方を間違えている」
「攻撃に使えと?」
「そういう使い方もあるだろうが、女には向かないな。女の殺し屋は優雅でなければならないというのが俺の信条なんでな」
一種の性差別かとわたしはムッとする。しかしロヴロさんの意見はまた別だった。
「暗殺業というのは技術と武器が求められる。その中でも女、子供であるという武器は希少価値がある。その反面、攻撃性のある技を身につけた途端にその武器は意味を無くす。イリーナが良い例だ」
ロヴロさんの説明するところによると、ビッチ先生は刺す、撃つなどの動きはわたしたちとさほど変わらないらしい。その理由は
よく考えてみてほしい。もしも、女子中学生が通りがかりに人を殺すとする。それが成功する場合、それは彼女が女子中学生だから警戒されず上手くいくのだ。しかし、それが鍛えた大柄な女子中学生だったり、バットか銃を持っていたらどうだろう。当たり前だが警戒される。その時点で女子中学生であるというアイデンティティーは他の武器によって無価値になるのだ。
「もちろん、出来て悪いことはないんだがな。警戒されずに出来る必殺技もある。その辺については俺が教えてやろう」
わたしは少し躊躇していた。正直に言うと殺し屋になる気はあまりなかった。でも、ロヴロさんの教える何かに関心を持ったのは確かだ。
「分かりました。教えてください」
*
眠りから覚め、もう到着したのかと辺りを見渡した。さっきまではE組の生徒たちがゲームをしたりしてはしゃいでいたのだが、それが嘘かのように隣で本を読む学秀以外は誰もいない。
まさかもう着いてみんな降りているとか?
「まだ着いていないよ」
テレパスかと心の中でツッコミを入れながら学秀の本に目をやった。日本語ではないと予想していたが、英語だった。
「電気羊の夢……変なタイトル。これってSF?」
タイトルの一部を翻訳し、尋ねる。
「そうだ。読み終わったら渚に貸すよ。まだまだ読み終わりそうにないけどね」
船の中で本を読んでよく酔わないなと思いながらも椅子から立ち上がる。窓の外を見ると島が見え始めていた。
「そろそろ着くみたいだよ、行こう」
「ああ」
島に着くとすぐにホテルに案内された。貸し切りする準備をすぐに整えると烏間先生にスタッフが言うところを見ると、国が超生物の秘密隠蔽のために動いてくれたのだろう。
「渚、トイレ付き合ってもらってもいい?」
「いいよ」
どこにあるか分からないというカエデに付き合い、トイレの場所を探していると結構時間がかかってしまった。それが理由なのかE組のみんながいるところに戻ると、皆はさっきまで無かったジュースを飲んで雑談していた。
「あれ、そんなのどこで貰ったの?」
「サービスだって。2人とも貰い逃したんだね〜、残念」
倉橋さんがジュースをごくごく飲みながら告げる。一口もやらないとばかりに一気飲みするところを見るとどうやらこのジュース、かなり美味しいようだ。
「大丈夫、2人だけじゃないって。あっちでビーチバレーやってる連中も貰ってなさそうだよ」
中村さんが指差す先には学秀や磯貝君、岡野さんなどのいわゆる体育会系生徒たちが集まっていた。船で鈍った身体を動かしているらしい。
案の定、1番活躍しているのは学秀だった。そういえば2年の体育の授業でバレー部レギュラーを打ち負かしていたなということを思い出し、相変わらずの超人ぶりに苦笑してしまう。
「暗殺の良い準備練習だな」
烏間先生はアイスコーヒーを片手に満足気だった。甘いものが苦手だという彼はサービスのジュースを断ったようだ。
「そういえば、今回はプロの殺し屋は居ないんですね」
「そうだ。斡旋する側がこれ以上手持ちがいないと言ってきてな。連絡が取れない殺し屋もいるとかで、今回は君たちに任せることにしたわけだ」
「連絡が取れない殺し屋ですか。怖いですね」
彼らは国と繋がっているのを恐怖に感じたんだろうか。それとも他に彼らを雇う人物でも現れたのか。
烏間先生も悩み事が多いようでご苦労様である。
彼は迷ったように言葉を続けた。
「それを聞いた時、前に3人の殺し屋について渚さんが調べてほしいと言っていたことを思い出した。すっかり忘れていたが、ちょうど良いと
わたしは困惑して、烏間先生を見上げた。
わたしは烏間先生に何かを調べてほしいと言った覚えはない。もしかしたら烏間先生はわたしによく似た誰かと間違えているのではないか。
「烏間先生、何か勘違いしていませんか?わたしは先生にそんな相談したことないですよ」
冷静に誤解だと弁明すると、烏間先生はため息を吐いた。
「だと良いんだが。もしも渚さんがその4人の失踪した殺し屋に関わっているのなら、危険だと忠告しようと思ったんだ」
彼の目から疑いは消えなかった。意識の波長はわたしを探るように動いている。
「安心してください。わたしは先生から聞くまで知りませんでしたから」
「そうだな……すまない」
烏間先生は申し訳なさそうに謝るとアイスコーヒーのお代わりを頼みにホテル内に入っていった。
「何だか深刻な会話だな」
ビーチバレーの休憩に戻ってきた学秀が烏間先生とわたしを見て言った。内容は聞いていないが、表情を見てそう感じたのだろう。
「何だか烏間先生勘違いしていたみたいで」
わたしは学秀に数人の殺し屋が失踪したらしく、前にその殺し屋たちについてわたしが調べてほしいと烏間先生に頼んだという勘違いについて話した。学秀はしばらく黙って聞いていたが、途中でわたしの話を止めて質問をする。
「ちょっと待て。渚は3人の殺し屋を調べてほしいと言ったのに、実際は4人が行方不明になっているのか?」
「だからわたしは言ってないんだって」
「うん、そうだったね」
学秀は分かってるからという素振りはしていたが、信じていないのはバレバレだった。信じていないというより、わたしのことは信じているけど烏間先生の話は正しいと思っているみたいだ。訳が分からないけどそういうことなのだとわたしは感じた。
「その殺し屋たちについては僕から後で律に聞いてみることにするよ。律なら覚えていると思うしね。だから渚は何も心配しなくて大丈夫だよ」
知っているではなく覚えているという発言。学秀の態度。わたしの記憶と烏間先生の記憶との食い違い。
それらの全てがおかしかった。それなのに学秀の言った言葉を全て信じているわたしがいた。
わたしは覚えていないけど、学秀が言うのならわたしは烏間先生に殺し屋を調べるように頼んだのだろう。
律がその場にいたはずないけど、学秀が言うのなら律は殺し屋たちのことを覚えているのだろう。
わたしは大丈夫じゃないけど、学秀が言うのならわたしは何も心配しなくても大丈夫なのだろう。
変だなぁ。何か大事なことを忘れているような気がする。
「わたし何か忘れていない?」
「渚は何も忘れていないよ」
「そっか」
学秀が言うのならそれはきっと全て正しい。
わたしは催眠にかけられた心地良い世界に浸かり、おかしいことから目を背けた。全て上手く行っていると信じて。
原作からの変更点
・渚メイド喫茶アルバイト決定
・渚の全体的強化(周りから見て)
・ロヴロさんからの教え
・ビーチバレーしてる生徒たち
・烏間先生からの不穏な話
・渚ちゃんが良い具合に狂ってきた
今まで本気を出してなかった渚ちゃんなので、忘れた途端本気が出て前よりレベルアップしたように見えます。
それと烏間先生への頼み事は随分前にしたやつなのに、烏間先生すっかり忘れていて今頃思い出された様子。
最後の描写は渚ちゃんの中で学秀君の存在が変わりつつあるということです。疑うことを知らなくなるぐらいに。
次回はいよいよ殺せんせー暗殺。さらに危ない男も登場予定です。