中学で初めての試験。それは誰にとってもそうだが、椚ヶ丘中学校の生徒にとっては特に緊張感に包まれたものとなった。
が、一部の生徒に取ってはさほど面白みのない試験であったりもする。
中学1年生の試験はまだ問スターとは言えない、せいぜい大きな爆弾の仕掛けであることが多い。英語のリスニングなんかが特にそうで、初歩の初歩しか出てこない最初の
「うわー、リスニングの4択問題とか久しぶりに見たんだけど」
爆弾には4本の色とアルファベットのついた導火線があり、どれか1本を切ると爆発しないらしい。中3の最後の方に受けたえげつないボキャブラリーのリスニングを思い出し、ぼくは比べるまでもないなとナイフで迷わず導火線を切りはじめた。
爆弾のタイマーを全て解除し終えると、ぼくは息ひとつ切れていないまま次の問題へと進んだ。
ナイフは槍へと変わっており、小型の猪もどきな問スターたちが突進してくる。
単語の問題、発音記号などが中心であるこの問スターたちは倒し方が簡単で、つまり槍で仕留めればいいだけの話なのだ。引っかけ問題もない。
「誰がこんな問題間違えるんだよ!」
超高スピードで槍を振り回し問スターを蹴散らす瀬尾君の姿が目に入り、ぼくは油断せずに落ち着いて槍を正確に敵に突いた。辺りに猪もどきがいなくなると今度は槍が鉄砲に変わる。単語を並び替えて文を作る問題。空にはいくつかの風船がつながる糸を咥える鳥のような問スターが舞っており、どうやら風船を順番通りに打てばいいようだ。あっさり過ぎる問題の数々にぼくは退屈しながらも全問正解を目指した。
このように中3の時の超難解な問スターを経験したことがあるぼくからしたら随分と雑魚い。問題は簡単すぎて集中力が続くか、っていうのとケアレスミスかな。
斜め前から浅野君がシャープペンシルを走らせる音が聞こえてくる。ここからでも意識の波長を感じることができるがあれは随分な化け物だ。集中力の塊である。
試験が終わると姫希さんが「だめだったかも!」と頭を抱え、ぼくは浅野君に目配せをした。
『どうした?』
中国語で尋ねる浅野君にぼくは目を輝かせていた。やっぱり浅野君はすごい。あの集中力は真似できないや。
『集中力の高め方教えてほしい……!』
『テスト中に他の生徒を見る余裕がある君に言われたくない』
『テスト週間だから我慢してたけどこれでようやく体術また教えてもらえるよね?』
テスト1週間前はさすがに勉強に集中するべきという浅野君の意見を尊重し、ぼくらはテストが終わるまで体術の練習は止めにしたのだ。
『渚は上達早いから、焦らなくていいと思うよ』
『できることは全部やりたいんだ。あ、本読み終わったんだけど次読むとしたら何の本かな? フランス語上達のためにフランス語の本で!』
『ああ、今度仏検2級受けるんだっけ。「赤と黒」はもう読んだ?』
自分の言語のレベルを知るために検定に挑戦するのはどうかという浅野君の勧めにより、ぼくは検定取得にチャレンジしていた。英語の方は準1級まで取得済みである。
『読んでないよ。面白いの?』
『渚には少し難しいかもしれないな』
うぐっと言葉を詰まらせる。ぼくの語彙力だと確かに難しい話は無理だけど、こうも明らかな発言で示されると読んでみたくなるのが人の常だ。
『読みたい。浅野君持ってたら貸し――』
「お前らは中国人か! 担任の話ぐらい聞いとけ」
宍戸先生に声を遮られて、ホームルーム中であることに気がつく。中国語で話すぼくたちにみんな注意しにくかったようだ。
「ごめんなさい。えっと、何の話ですか?」
「うちのクラスはテストの総合順位に席替えを行う」
「そんなぁ! 誰が成績悪いかすぐ分かるじゃないですか!」
「もちろん、それを狙ってのことだ」
宍戸先生はふっと鼻で笑い堂々とした立ち振る舞いだった。それをこの教師むかつくなと思ったのはほぼクラス全員一致である。
「じゃあ渚は今度からは隣の席か。よろしく」
「うん。テスト上位順だと浅野君あまり席変わらないかもね」
(こいつら自分たちが1位と2位になること前提で話進めてやがる?!)
全員の羨望の眼差しにぼくは気づかないふりをした。今回のテストは随分とハードルが低かったし、致命的なミスをしなければ満点を取る自信がある。浅野君なら自分を上回る確信もあった。それは浅野君も分かっており、A組にはテスト上位になり得る秀才が多い中でも確証を持ってのあの発言である。
「姫希さん、飲み物買いに行かない?」
「渚ちゃんまた午前ティー? 好きだね〜」
「んー、今日はちょっといちご煮オレ飲みたくって」
午前の紅茶ミルクティーに目覚めてしばらく飲んでいなかったけど、ぼくは実際煮オレシリーズも好きだ。そういえばカルマ君がよく飲んでいたな。
自動販売機でいちご煮オレのボタンを押す。
「渚ちゃんって、浅野君のことどう思ってるの?」
「浅野君は……頭良いよね。何でもできる完璧人間って感じかな」
「好き? その……男として」
「ただの友達だよ。向こうだってぼくが少し言語を話せるから一緒にいるだけだと思うけど……姫希さん?」
疑問に思って姫希さんの顔を見れば酷く沈んだ暗い顔だ。意識の波長だって今までにないぐらい乱れてる。
「なにー?」
「どうしたの、とつぜん」
「じゅりあちゃんが……」
「うん」
ぼくはいちご煮オレを取り出し口から出した。最後の1個だったらしく、売り切れの赤いランプが点灯している。
「渚ちゃんは、あさ――――」
「え、いちご煮オレ売り切れ? せっかく来たのに」
ぼくはその声に振り返った。聞き覚えのある悪巧みが好きそうな声はぼくの記憶を思い出させるには十分で、E組で笑ったり泣いたりしたあの思い出を分かち合った赤羽業の姿がそこにはあった。
「カルマ、君……」
大げんかのあと、ぼくは彼のことを君付けで呼ぶのを止めたっけ。でもカルマ君はやっぱりカルマ君だ。
「俺のこと知ってんの?」
だがこの世界でカルマ君に会うのはこの日が初めてで、彼からしたら知らない人から呼ばれるようなものだったらしい。あからさまに眉を顰めていた。
「渚ちゃんが知ってるのも無理ないでしょ。知らない人なんていないと思うよ、赤羽君。君、この前入学して早々に暴力事件を起こしたことで有名だから」
「ちっ、伊藤さんが通報しなかったら目撃者ゼロだったんだけどね〜。いちご煮オレは買いそびれるし、もう帰ろっと」
「いちご煮オレいる?」
「え、いいの? ありがと! えっと、渚ちゃんだよね」
「ほんとお人好しなんだから。それが渚ちゃんのいいところでもあるけど!」
「代わりに俺なんか買うよ。何がほしい?」
カルマ君は自動販売機にお金を投入し、ぼくの返事を待った。
「それじゃあ、ばなな煮オレ」
「お、分かってるね〜。はい。じゃね」
自動販売機で即購入したばなな煮オレを投げてよこすと彼は手を振ってその場を立ち去る。
「成績だけはいいんだけどね。どうも素行不良が目立つから教師ウケ悪い」
「だよね。それで、何の話だったっけ?」
わ、姫希さんが凄い動揺した。
ひどく乱れた意識の波長を感じたぼくは冷や汗をかく。じゅりあちゃんが一体どうしたんだろう。浅野君の名前を言いかけたからぼくらの関係でも疑っているのだろうか。
「じゅりあちゃんが『渚ちゃんは浅野君と付き合ってるの?』って」
予想は外れてはいなかった。ぼくは間髪入れずに返事をする。
「付き合ってないよ。なんで?」
「なんでって……じゅりあちゃんが浅野君のこと好きだからでしょ」
「そっか。でもじゅりあちゃんって正直――――」
「うん、浅野君が1番嫌いそうなタイプ。浅野君がOKしないことぐらい分かっているよ」
あの甘ったるい声はどうしても好きになれない。あの後にも何回か顔を合わせたことがあるけど、自分のことを名前呼びする子ってろくな子がいないと思った。
「それで、姫希さんはどうするの? 手伝う?」
姫希さんは首を横に振った。
「まさか。渚ちゃんが浅野君と付き合ってるって言ったら手伝わなくて済むなって思っただけだよ〜。じゅりあちゃんがそれで反抗しなければいいけどね」
それにじゅりあちゃんが姫希さんよりテストの順位が下だといいけどね。
ぼくは心の中でこっそりと付け加える。
「その時はその時かな」
「……うん」
ふと彼女の意識の波長から憎悪が垣間見え、ぼくはぞくりとした。
失敗した?でも他になんて言ったらいいの。
「あ、ずっと気になっていたんだけどね?」
「どーしたの、渚ちゃん」
「姫希さんは誰が好きなのかなあって」
最近女子の会話で断然盛り上がるネタを持ち出すと、姫希さんの顔が火照った。
「え! あー……」
「気になる。教えて?」
「……ぉり」
「だれ?」
「伊織だよ……っ」
恥ずかしがる姫希さんはやっぱりかわいい。彼女は眼鏡をかけ直して真っ赤な顔を隠したりと女の子らしい反応を見せる。
「やっぱりね。今の質問、毛利君にもしたことあるんだ」
「うそ!」
「なんてね」
舌を出して言うと姫希さんは「もう」と怒ったふりをして来た。
「でも、椚ヶ丘は思ったより勉強勉強って感じだからさ、恋愛なんて」
「「無理だよね」」
ハモったことに2人で顔を見合わせて笑いあう。ぼくはこんな風に過ごしていたいだけなのになと女子たちが格付けするのに嫌気がさしていた。姫希さんはただの幼なじみが好きな女の子なのに、何で女子の格付けにこだわるんだろう。
その理由は暫くして判明することになるのだがそれはまた別の話である。
*
試験の順位が貼り出され、クラスのほぼ全員が順位を見るために教室を離れている時、ぼくは教室で浅野君と全く違うことについて話していた。
『この前教えてくれた「赤と黒」の主人公って浅野君っぽいよね』
フランス語で尋ねると、浅野君は目をぱちくりしていた。
『アレは頭良いけど、最後捕まるじゃないか。負け犬だ。僕は負けたことがない』
1周目で負けた浅野君を見たことがあるので何とも言えないなとぼくは判断した。どちらにせよ、彼は単に小説の中とはいえ人と比べられるのが嫌いなのだろう。
『でも人に笑顔で接していて本当は腹黒いっていうのが似てる。浅野君ぜったい昔ナポレオンとかにハマってそうだし』
『そうでもないな。渚はアレに似てる』
『あれって?』
首を傾げると何故か浅野君は吹き出していた。
『ハムスター』
『ひどいなあ』
ふふふと少し笑ってしまう。まさか小動物に似てると言われるとは思ってもみなかった。
『小さいし体術の練習でもちょろちょろ動き回ってるし。自分は僕と対等だと思っているだろう?』
『浅野君がぼくのことを手下とか思ってるなら別に構わないけどね。ぼくだって自分が強くなるために体術の練習とか付き合わせて、利用しているみたいで申し訳ないし』
『そうか』
手を顎に当てた浅野君にも思うところはあるようだ。ぼくからしたらギブアンドテイクの関係だと思っていたが、彼はただの手下としか思っていなかったような気がする。それはそれで憂鬱だ。
「おー、浅野。お前満点で1位だったぞ」
「……ぼくもほぼ満点だったと思うんだけどなあ」
ぼくはぼそりと呟いた。テストは前日にまとめて返された。数学でしたしょうもないミスでの99点以外は全て満点だったので順位表を見なくても結果は目に見えてると思っての行動だ。
「君も2位。2人とも流石だよ」
教室に入ってきた生徒4人が目に入り違和感に苛まれる。
あれ? この面子見覚えが。
順位表を見に行っていない、教室に残っているのはぼくと浅野君、それから4人。
まだ全員ぼくが知っているのより少し若いが、この顔ぶれは無性に腹が立つので覚えていた。
「だが、教科の各分野で君らもそれぞれ満点で1位を取っているじゃないか。榊原、荒木、小山、瀬尾」
やっぱり?!このメンバーって五英傑だ!
「当然の結果さ、浅野君。そしてここには上位全員が揃っている。それは渚ちゃん、君も含めてね」
自然にウィンクをされて鳥肌がたつ。前原君よりひどい女たらし、榊原蓮。これで作文コンクールや短歌のコンテストなんかで賞ばかり取っているのだから、彼の言葉が気品に満ちていることは認めざるを得ない。女子からの人気もあり、女たらしなのに何故か嫌われていない。
「浅野君と君ができてるって噂は放送部でも有名だよ。この学校の大スクープだからね」
荒木鉄平。親の影響でニュースの裏情報や、社会の変化に敏感なマスコミ志望。放送では滑舌の良さと話題性の豊富から火曜の昼休みの放送は生徒の楽しみの一つだったりする。
「僕なんかが呼ばれてよかったのかな……?僕はただ暗記に優れているだけで他に凄い才能もないし。みんなとは違ってC組だ。実はクラスメイトにも虐められている……」
ネガティヴな発言をする小山夏彦にぼくは中学1年のころはこんなキャラだったのかと苦笑する。
「暗記は大事なことだよ、小山君。今回君はそれで理科の1位を手にした。強者が強者ぶらなければ弱者は見くびる。だから君は堂々としていればいいと思うが」
言っていることは間違っていない。でも小山君は浅野君の発言で中学3年生の時にあんなよく分からないキャラになってしまったんだなと思うと何増長させてるんだと呆れたくなった。
「おい、大石渚。今から言うことをよく聞いておけ」
帰国子女の瀬尾智也は先ほどからずっとぼくに挑戦的な視線を送りつけてきていた。
「えっと、どうかしたの?」
『LAに1年。英語で負けるつもりはないどす。せやからお前には負けへん!』
何だろう。これは言ってもいいのかな。
『……君訛り大丈夫?』
しれっと英語で尋ねると相手は「訛りなんてないぞ!」と憤慨した。
『ロサンゼルスって訛り多少あるから、気にすることはないよ。渚はどうやらイギリス英語を話すようだしね』
浅野君はぼくに『仲良くしてくれ』と小声のスペイン語で注意し、弁明を始めた。瀬尾君はまだ納得していないようだったが渋々頷く。
ちなみにビッチ先生曰く、女子は特にイギリス英語を話していた方が上品で洗練されて聞こえるらしい。ビッチ先生は国籍を誤魔化したりするためにアメリカ英語も使えるらしいが、色仕掛けで使う機会はあまりなかったという。
色仕掛けがしたいわけじゃないけどね。
「英語の発音が上手で感心するよ。美しい。浅野君のお手つきじゃなければ今すぐデートの誘いをしたのに。ああ、やっぱり今日の放課後カフェでもどう?」
くっ……ここで浅野君とは何ともないと言ったら絶対離れなくなる! このプレイボーイめ。
「さて、雑談はこれぐらいにしよう」
「そういえば何で君たちはここに?」
今更のようにぼくは彼らに訊く。
「僕が呼んだんだ。昨日、試験が返却された時に学年の各教科で1番を取っている生徒を先生に尋ねた。理由はみんなの
「「「「「…………」」」」」
「浅野、お前何言ってるんだ?」
まあいきなりこんなこと言われたらそうなるよね。ぼくだって浅野君が何言ってるのかさっぱり分からないし。
中学1年生のカリスマ性溢れる浅野君でもこれだけで支配できるほどの力量はまだないらしい。
「僕はみんなをまとめるのには君たちのように各分野で優れた人材が欲しいということさ。小山、お前は確かC組だったな? だが来年にはきっとA組になる。僕が断言しよう」
「僕たちが優れていると言ってくれて嬉しいよ、浅野君。でも僕たちで一体どうやってみんなをまとめるって言うんだい?」
髪をかきあげながら榊原君が言った。
「簡単な話、僕と君たちで『五英傑』になってもらう」
ぼくは息を呑んだ。五英傑は浅野君が仕組んだ名称だったんだ!
てっきりみんなが呼んでいくうちにそういう名前が付いたのだと解釈していたため、浅野君の戦略には驚かされる。
確かにあだ名ならよく考えたらこの5人で五英傑の必要はないしな。カルマ君だって今回6位辺りにいて、数学ではぼくらと並んでトップだったのに浅野君は素行不良の生徒には用がなかったわけだ。五英傑は本当に誰が言い出したのか分からないけど、いつの間にか広まっていた。そんな名称だった。
「知り合いに情報操作に長けた子がいてね」
彼は薄く笑って目を細めた。その子は姫希さんなのだとぼくは瞬時に確信する。
「僕だって情報操作は得意だけど?」
荒木君が不満そうに漏らした。だが、それを浅野君は「それは止めておこう」と跳ね返す。
「本人がやるより赤の他人が流した方が噂は広まるからね。僕らのあだ名を定着させ、別格視させるんだ。そうしたらすぐに学年……いや、学校中の生徒から特別扱いを受けることになるだろう。みんなをまとめるには十分すぎるぐらいね」
急に恐怖心に襲われた。珍しく意識の波長が穏やかでない彼からは興奮が伝わってきた。征服欲が声色から聞こえてくるようだ。
「悪い話じゃないな」
「むしろプラスしかない」
「しかし、何で今この話を持ちかけるんだ?」
全員話に乗る気ではあるが、疑い深く、浅野君の意図がよく分からないようだった。彼は裏の顔を見せず、表の爽やかな顔のまま全員を見渡す。
「成績が良いものがつるむのは当然だろう? この機会に良い友人になれたら嬉しい」
「でも、『五英傑』ということは渚ちゃんは入っていないのかい?」
「渚は女子だからまた別だ。そうだね、そこは適当に考えとくよ」
男子だったら五英傑の仲間入りしていたのかもしれないのか。何だか感慨深いなあ。
それからしばらくして五英傑は全校中の知るものとなった。ぼくが何故か「学問の天使」呼ばわりされるようになったのには驚いた。もう少し凝ったのはなかったのかな。英傑よりあだ名のランクが上のような気もするんだけど。廊下で「あ、天使」って言われると天使は止めてほしいと切実に願った。陰で隠れ信者が出来た瞬間、ぼくはもういいかと諦めることにしたのだった。
原作からの変更点
・問スターが雑魚い
・カルマ君とは購買で初対面。接点はなし
・恋愛相談は女子の趣味
・作者の想像する五英傑誕生はこんな感じ
・渚のあだ名は思いつかないから無難なものにした。これより良いのがあったら誰か考えてくれ(投げやり)