触手が私に聞いてきた。
"どうなりたいか"を。
私は答えた。
"殺し屋になりたい"と。
「カエデ……」
親友が私と鷹岡の触手の動きを目で追う。触手を彼女の方に伸ばす鷹岡に向けて、私は更なる攻撃を放った。
「まさかE組にまだ触手持ってる奴がいたとはなァ!」
鷹岡は興奮気味に触手を振り回している。狂気に満ちたオーラから、こいつが誰かを甚振りたいのが伝わってくる。殺したいってより、虐めたいみたい。触手は正直だからすぐに分かった。
対先生ナイフで応戦しようとする親友を触手で離れた場所に突き放す。親友がむっと視線で闘えることを主張しているが無視だ。対先生ナイフ1つで触手を持っている鷹岡と対戦するのは、正直無謀すぎる。
「渚、下がってて!」
しばらく鷹岡の触手を相手していると、だんだん特徴が掴めてきた。
触手のスピードは殺せんせーやイトナより遅い。威力はそこそこ。問題はこいつの元々の身体能力が成人男性の並み以上ってことぐらいだ。
触手は剣と同じ。身体能力があってこそ、真価を発揮する。イトナ君の触手は強さ重視ではあったけど、どうしても触手のみに頼った闘い方をしてしまいがちだった。
鷹岡は触手抜きでの戦闘を既に学んでいる。それも視界無しでも戦えるだけの戦力を持ってるんだから怖い。あの
それにしてもおかしいでしょ! 教師として来た時は烏間先生の足下にも及ばない強さだったのに!
触手を持ってまだひと月も経ってないはずでしょ? どうしたらこんなに扱いが上手くなるの?
私の問いに答えるかのように、鷹岡は語り出す。
「触手が俺に聞いてきた。"どうなりたいのか"を。俺は答えた。"復讐したい"と。ボロボロにしてやりたいと思ったね。だから何度も何度も、それこそ吐くまで練習したよ。どうやって触手を使うか、どうやって甚振って、どうやって地獄に堕とすか!」
鷹岡は触手を振り上げて再度攻撃態勢に入った。変わらず私を障害物と見なし、親友のみに向かって攻撃を仕掛ける。
「邪魔なんだよ!!」
鷹岡は小型の銃を取り出して、私の足に向けた。咄嗟のことですぐに避けられず、ふくらはぎに弾がかすってしまう。
「カエデ、足!」
「私は大丈夫」
そう言って私は痛くない演技をした。かすっただけ。触手があるから足ぐらい大丈夫。そう自分に言い聞かせる。
傷が熱い。右足が燃えているみたい。首の周りは凍るように寒いのに、身体中が熱を帯びている。
だけど私は役者だ。だから足から血が流れていても、激痛が走っていても、観客には悟らせたくない。何事も無いふりをして、殺し屋になりきる。
「殺してやる。あんたみたいな人でなし!」
昔演ったドラマの台詞が口からこぼれた。演技に集中していたから昔の記憶が蘇ったのかもしれない。口の中で台詞を再度唱えると、それは魔法のように頭から離れなくなった。
薬は爆発した。鷹岡を生かす意味がない。
だから殺してやる。あんたみたいな人でなし。
そう、殺すの!
「な、何だ?!」
鷹岡が殺意を感じ取ったのか、急に警戒して怯える。心臓を狙っていた私の触手は途中で進路を変え、鷹岡の触手の根元に向かった。
鷹岡の触手を一本切り取った。
「なっ……」
「きゃはっ、千切っちゃった!」
鷹岡の切られた触手はぴちぴち動いていて、それが何故かとても愉快に思えた。一度触手を切られると、再生するのに数秒かかる。その数秒が命取りだ。
「渚さん! 良かった、屋上にいたんですね」
「律、ちょうどいいとこに! 後でお金払うからプリン煮オレ投げて!!」
「ええ……、分かりました。100円忘れないでくださいね!おまけしときます」
視界の端で親友と自販機がやり取りするのが見えた。でもそのやり取りは今の私にとってはどうでもいい。
私は殺し屋になりたい。そうと決めたら一直線だ。
「うふふっ……!」
今度は迷わずに心臓を狙う。鷹岡は触手が片方無いので、応戦するにも一本のみで闘うしかない。
自分の頰が火照り、首から熱を感じる。急に熱に浮かされてハイになったみたいな気分だ。
鷹岡の銃を触手で奪いとり、私は握った。
そして引き金を引こうとする。
「あははっ!死ん___「___待って、カエデ」」
いつの間に近づいたんだろうか。
親友は私の首に指を突きつけていた。途端に心臓の鼓動が少し落ち着きを取り戻す。目の前には紙パックの飲み物。
あ、プリン煮オレだ。
冷静さを取り戻した私は思いがけない好物に唾を呑み込んだ。その隙に鷹岡は全力で後ろまで逃げていく。
「飲んで」
屋上の方に自販機が置いてあるのが見えて、律が親友に投げたのだろうと理解した。
彼女は私を地べたに座らせる。
「渚?」
「いいから。次はわたしの番。それとも、殺せんせーを殺す前に死にたいの?」
私はもっともな意見にうっと言葉を詰まらせる。親友の言う通り、私はプリン煮オレを飲んで一旦落ち着くことにした。少し心配だけど、彼女は何か案があるから私と交代してほしいのだろう。
それに、渚には奥の手がある。殺せんせー暗殺の時に使った仕掛け。
「大丈夫。すぐ終わるから」
囁くように言われた言葉に、私は目を瞬く。触手が切られて機能停止したように立ち止まっていた鷹岡は、親友が私と交代したのをいいことに戻ってくる。
「やーっと、殺る気になったか」
「殺る? 違うよ、実験台」
「殺せんせーを殺す前の、ね」と殺せんせーの暗殺時と同じように親友は笑みを浮かべた。艶めいていて、危なっかしい微笑み。
そうだ、私は忘れていた。親友はさっき、殺せんせー相手に対先生ナイフ1つで立ち向かったんだ。
なら、負けるわけがない。
鷹岡の触手が再度親友を狙った。彼女は触手を視線で追い、ナイフを投げた。そのまま触手に突っ込むかのように走る。投げたナイフは鷹岡の触手の上を通り、親友の手の中に戻った。彼女がナイフを持ったままギリギリまで後ろに下がると、鷹岡の触手は親友を殺そうと触手を伸ばしていく。
あっと声を上げる暇も無かった。ナイフは触手にかすってすらいないのに、触手が綺麗に切られる。見えない何かが触手を斬ったみたいな、信じられない光景。
触手の近くでキラキラと煌めく筋が一瞬見えた。それがこの光景の答えだ。
触手を持つと、触手が切られた瞬間に大きな喪失感を感じる。一瞬でも気をとられると、敵に殺られる。私は怪我をして精神的に冷静じゃなくなってたけど、親友はかなり冷静だった。
彼女は鷹岡の背後から首を掴み、お菓子の箱を当てた。イトナ君が作ったというスタンガンだ。鷹岡が何か口にする前に、何の感慨もなく放たれる電流。鷹岡はその場で地面に倒れた。
「大丈夫、渚?!」
私は親友に駆け寄って無事を確認する。傷一つない。
「うん。鷹岡先生も気絶しているだけだよ」
「さっきのどうやったの?」
「対触手繊維でできた糸だと思う。プリン煮オレのおまけでもらった」
対先生ナイフに括り付けてあった白い糸を親友はぐるりと巻いて、バッグの中に入れる。
「糸であんな切れ味出るんだね」
「うーん……鷹岡先生の触手が猛スピードで向かって来なければ、仕掛けた糸が発動することはなかったよ。糸って扱いづらいから、殺せんせーの時は出番無かったし」
「殺せんせーの時と同じで、鷹岡が自分から殺されに行くみたいに見えたんだけど」
「ロヴロさんに教わったんだ。操り人形みたいに、好きな時に対象に動かす方法。実際は意識の波長をフル活用した騙し討ちなんだけどね」
意識の波長って何と考えていると、親友は私の仮の名前を呼んだ。
「カエデ」
彼女は私の方を向いた。何を言われるんだろうと私は身構えた。親友にどんなことを言われても、私が正体をバラしてしまったんだから受け入れないといけない。彼女は決意したようにすぅと息を吸い込んで、言った。
「鷹岡の触手を抜こう」
「…………え?」
予想もしなかった発言にマヌケな声で聞き返す。てっきり触手について何か言われると思っていたから、予想外過ぎる。しかも鷹岡の触手を抜くって、それじゃあまるで証拠隠滅だ。
言ってすぐさまバッグからピンセットを取り出し、親友は触手を器用に抜く。触手を対先生ナイフで潰してからライターで燃やすあたり、抜かりがない。その対先生ナイフをスカートで隠れた太ももの内側に包帯で巻き付けた。包帯はスカートで見えないし、これなら誰も見ようと聞くことさえできない。
「これでもう大丈夫」
一仕事終えてふぅと息を吐く彼女に私は何でこんなことをしたのか尋ねようと口を開く。その時だった。
「やっと開きました!」
誰かの声がドアの後ろからして、E組の生徒たちが雪崩れ込むように屋上に入ってきた。みんなはヘリポートにいる私たちを見て不安げに声を上げる。
「渚……! 無事なのか?! 茅野さんも」
浅野君があからさまに渚の方を先に見て、私に視線をずらす。ついでに言った感が半端ない。
「わたしは大丈夫だけど、カエデが脚に弾を当てられちゃって」
親友が大きめの声で返した。それに慌てたのは殺せんせーだ。
「茅野さん大丈夫ですか?!?!」
「実弾か?! すぐにヘリを呼ぼう」
「茅野ちゃん平気?」
「遅くなってごめん……!」
殺せんせーと烏間先生は浅野君とは対照的に過保護に心配をする。それはクラスメイトたちも同じで、みんなが私のことを心配しているのが遠くにいるのに伝わってきた。
「かすっただけだから」
「てか、ハシゴなくね? 寺坂、探してきなよ」
「何で俺が……はあ、やりゃーいいんだろ」
寺坂君はわざわざ下の階に行ってハシゴを探してくる。鷹岡が落としたハシゴは下の階のバルコニーに落ちていたらしく、すぐに見つかった。
ハシゴが見つかると、私と親友は屋上に渡ってみんなに今までの説明を求められた。私は意図的に黙っていた。親友は触手の話を上手く避けながら、鷹岡がボスで、彼女に復讐するのが目的だったことを語った。
「渚ちゃんが倒したの?」
不破さんがひょっこり出てきて聞く。親友はどうやって倒したのか詳細な説明を省き、曖昧に返す。
「まあね。鷹岡先生は向こうで伸びてる。気絶してるだけだよ」
「やっぱり鷹岡だったんだ。私名探偵になれる気がしてきた」
不破さんがふっとかっこつけて笑う。渚は微笑み返した。横にいる私に視線で烏間先生と殺せんせーのことを訴える。
誰にもバレないようにってことかな。
「薬は……?」
「鷹岡が薬を爆発して……」
親友が細かいところをぼかす。実際は鷹岡と彼女の勝負は圧倒的に彼女の優勢だったけど、私以外に見ていた人はいなかったので、「鷹岡のが戦闘では圧倒的に強かったけど、親友が工夫して鷹岡に勝った」という印象が上手くつけられた。彼女の演技力には感心する。
「薬が爆発しちゃったなんて、みんなに何て言えばいいんだろ」
矢田さんが落ち込んで顔を俯けた。クラスメイトたちは打開策を思いつかずに暗い顔をする。
「お前らに薬なんぞ必要ねぇよ」
屋上のドアから現れた3人の殺し屋の1人が断言する。烏間先生は出来るだけ争いを避けようと生徒たちと殺し屋の間に立った。
「雇い主がこんな状態なんだ。もう取り引きは無効のはずだ。俺はいつでも戦えるし、生徒たちも充分強い。これ以上争う必要ないだろう?」
「ん、いーよ」
「諦めわりぃな! こっちだって薬破壊されてムカついて……え、いいよ?」
吉田は殺し屋に怒鳴り、途中でいいよの意味に気づき言葉を止める。
「その薬はダミーだぬ」
グリップが破壊された薬を一瞥すると、さらりととんでもない事実を口にした。これにはクラス全員声を上げてしまう。
「「「はああああああ?!」」」
「雇い主は薬を爆破するつもりだった。いくら雇い主とはいえ、そういうことされるとちょっとカチンと来るだろ? だからただの色をつけた水を詰めたカプセルを作った」
スモッグが「どんだけ愛情込めて作ったと思ってるんだ」と熱く語っている。手には本物の薬と思わしきカプセルが握られていた。薬を爆破するために作ったわけじゃないから、爆破するなら水でどうぞということだろう。
多分この人は毒作りが大好きで、解毒薬作りも同じくらい楽しんでやってたんだろうな。
「ちなみに、おまえらに盛ったのもこっちの食中毒菌を改良したやつだ。あと3時間くらい経ったら、急速に活性を失って無力になるぞ。ボスが指示した方だったら死んでたかもな」
この人、ポケットにいくつ薬と毒隠し持ってるの。
私は手品師のように毒と薬をポケットから出してくるスモッグに、この人がすぐに倒されていなかったらヤバかったとほっと息を吐く。
「使う前に3人で話し合ったぬ。暗殺用のウィルスを1時間の交渉で使わずとも取引はできると」
「命の危険を感じるにはこれで充分だったろ?」
確かにクラスメイトたちは瀕死に見えたし、博識の殺せんせーでさえ慌てていたからスモッグの意見は正しい。騙されてたみたいで怒りも感じるけど。クラスメイトも反論する点を探しているようで、それを見つけた岡野さんが口を開けた。
「でもそれって、雇い主に逆らってたってことだよね。いいの? お金もらってるのに」
「ボスはハナから薬を渡す気がなかった。だったら薬は本物じゃなくていい。カタギの中学生を殺すのも考えものだ。かと言って、命令違反がバレてプロとしての評価が落ちるのも困る。どっちが俺らの今後にリスクが高いのか、冷静に秤にかけただけだ」
勝手に殺し屋は何も考えずに依頼を受けたらすぐ殺すものだと思ってたから、選択肢に殺しを入れない3人に呆気にとられる。
「ええ、じゃあ薬は?」
「病人にこの栄養剤でも飲ませとけ。後で前より元気になったってお礼の手紙が届くほどだぞ」
アフターケア万全過ぎ!
今度こそ私たちはだんまりを決め込んだ。ここまで先を見通している3人にはもう何も怒れる気がしない。ツッコミどころが完全に消え失せている。
「私たちが潜入した意味って……」
思わず本音が漏れる。薬を奪還しに来たのに実は大したことない薬だったとか、冗談もほどほどにしてくれと思う。こっちは復讐をドブに捨てて鷹岡と闘ったのに。
「それを言ったらおしまいだよ。でもほら、良い経験になったよね」
親友がいい子過ぎて言葉がない。さり気なく飴を手に握らせてくるあたり、私が甘味に飢えていることに気づいているに違いない。どうも私の触手のことについて全くバラす気がないらしい彼女に拍子抜けしてしまう。
「実弾を撃つのは初めてだったな」
「俺の愛銃!」
千葉君が器用に銃を一回転させて、ガストロから奪った銃を見せつける。ガストロが大人げなく千葉君にガン飛ばしているが、闘って勝ち取ったものだからもう千葉君のものだ。実弾を抜いたようで、後で対先生弾を実弾と同じように形成して撃ってみたいのだそう。実弾とBB弾ではやっぱりちょっと違うらしい。
「誰かの鼻に思いっきりマスタード突っ込むのもね」
「「それは2度とやるな」」
グリップと寺坂君の声が重なった。被害者1号と未来の被害者(仮)が揃ってカルマ君から距離を取っているのが面白い。
「先生の生徒が非行に……!」
殺せんせーがどうしたものかとうずうずしているようで、元に戻ったらすぐに本を読み漁りそうな勢いだった。
「一人だけ足りないな」
浅野君がぽつりと呟く。
「エンジェル、と言いましたか」
殺せんせーが親友の方をちらりと見てから言った。彼女は殺せんせーをじっと見返して首を傾げる。
「エンジェルって誰だよ」
それを言ったのはガストロだった。
「知らぬ」
「聞いたこともないな」
グリップもスモッグも、互いに知らないことを告げる。
「ふざけんな。お前が言ったんだろーが」
グリップに殴りかかろうとする寺坂君をカルマ君が押さえた。
「知らぬと言ったら知らぬ。殺し屋の名前か? 小耳に挟んだことはあるが、知り合いではないぬ」
「しらばっくれやがって……!」
「お前は落ち着け」
怒る寺坂君を浅野君が投げ倒した。躊躇が全くない倒し方だ。
「寺坂君。嘘じゃない。誰も嘘は吐いてないよ」
渚も寺坂君を止める。私も彼らが演技をしているとは思えない。
「記憶を消されたか?」
浅野君がやれやれとため息を吐いた。
「防衛省が躍起になって探しているからだろうな」
烏間先生が意味深な発言をして納得する。殺せんせーは不可解げな表情だ。
「……?」
「烏間先生、その話もっと詳しく……」
私が思わず口に出すが、烏間先生はうやむやのまま話を終わらせた。
「ヘリが来た。悪いが、生徒たちの回復を確認するまでは信用できない。事情聴取のためにしばらく拘束させてもらうぞ」
「しゃーねーな。来週には次の依頼があるからそれまでなら付き合ってやるよ」
「……なーんだ。リベンジマッチやらないんだ。俺に殺意が湧くほど恨んでないの?」
カルマ君がマスタードとわさびのチューブを投げながら、悪魔の笑みを浮かべる。
「今すぐ殺してやりたいが、俺は私怨で人を殺さないぬ。誰かが依頼したら殺しに行こう。だから狙われるぐらいの大物になるぬ」
グリップはカルマ君の頭を乱暴に撫でた。
「そーいうこった!! 本気で殺しに来て欲しいなら、偉くなれ!そしたら、俺らがプロの殺し屋の本気の味を教えてやるよ」
殺し屋たちはヘリに颯爽と乗って去っていく。残された私たちは腑に落ちない気持ちで無言になる。
「なんて言うか……勝った気しないね」
速水さんが言い、みんなが頷く。
「いい感じにまとめて引き分けみたいな雰囲気にしてった」
カルマ君は撫でられた髪を腹立たしげに払った。何というか、大人はずるいと思い知らされた感じだ。
私達の初めての潜入はホテル内の誰一人気づかないまま、幕を閉じた。私たちもヘリに乗って、みんなの待つホテルに向かう。
「その、防衛省が躍起になって探しているって本当なんですか?」
ヘリの中で烏間先生に聞くと、烏間先生は険しい顔をして頷いた。それだけ巨大な力を持つ殺し屋なのだろうかと思っていたが、少し事情が異なるらしい。
「超生物暗殺の関係者が何名か殺された。毒殺だったり、切断されていたり、殺され方はまちまちだ。三件の殺しは椚ヶ丘通り魔殺人事件なんて呼ばれているな。1人、ホウジョウという男が半死半生で生き長らえたが、片腕、片脚を切断されていてもう本職には復帰できない。奴が言うには、朧げな視界の中で白いワンピースを着て翼を背中に生やした天使を見たらしい」
「エンジェル……」
「それがそいつのコードネームの由来だろう。まさか人の記憶を消せるとは思ってもみなかったが」
私はそっと浅野君を盗み見た。眉間にぐっと皺が寄っている。右隣の親友が肩にもたれて寝てしまったから、煩悩と闘ってるのかもしれない。私はちょっとだけ浅野君にヤキモチを焼いたが、彼の左隣を見てそれは同情に変わった。
左隣ではカルマ君が浅野君にもたれていた。
うわあ、重そう。
それにしてもヘリで寝れる2人の神経の図太さ。みんなまだ潜入ミッションの緊張感が解けきってないのに。カルマ君は恋敵に心許し過ぎでしょ。
仲良いなあ、3人は。いいなぁ。私だって、みんなとフラットな付き合い方をする茅野カエデじゃなかったら。
いけない。私が茅野カエデの演技を止めるのは殺せんせーを殺した時だ。それまでは演じ続けないと。
ホテルに戻ってすぐ、私たちは栄養剤をクラスメイトたちに配った。もう大丈夫なことにみんな安心しているようだった。一晩寝て効き目が出るとかで、みんなは飲んですぐに泥のように眠りについた。私と親友以外は。
隣の布団から物音がして、目を覚ます。親友がパジャマから黒いワンピースに着替えているのが目に入った。
「ごめんね、起こしちゃった?」
「渚、どこに行くの?」
「ん、ちょっと海辺に」
「話したいことがあるの。二人きりで」
「……外で待ってるから着替えてきて」
私は親友みたいに私服を着るか迷って、結局ジャージに着替えた。動きやすいし、汚れてもいい格好。着替えている最中に親友の格好を思い出し、彼女が海辺に行きたかった理由が分かるような気がしてきた。
親友は裸足で砂浜を歩いて行く。私は渚の後を追った。黒いワンピース姿は昨日から見慣れているはずなのに、やっぱり違和感が拭えない。
「そのワンピース、渚が着ると不思議な感じがする」
「いつも白だから?」
「そうかもね」
口ではそう言いながら、ふと彼女がそれを着ることになった経緯に思い当たる。
親友は殺せんせーの暗殺の日に白いワンピースを濡らしてしまって、その後はずっと黒いワンピースだった。今考えると、あれは意図的だ。
殺せんせーの近くで濡れることが確実な場で、わざわざ着た白いワンピース。
天使らしい演出の為? 気に入っているから?
違う。彼女は白いワンピースから逃れる口実が欲しかったんだ。こっそり持ってきた黒いワンピースを着るために。
「それで……わざわざワンピースの話をしに来たんじゃないよね」
親友は途中で足を止めると、振り返る。
「ここまで来たら誰も聞いてないよ」
確かに、早朝の海辺は人っ子ひとり見当たらなかった。彼女がそんな格好で歩いていること自体、それが理由に違いなかった。だから私は二つ結びを解いて、茅野カエデの仮面を外した。髪を下ろしただけで女の子の雰囲気はすごく変わる。それこそ、別人みたいに。
「何で、鷹岡の触手を抜いたの?」
「鷹岡が触手を持っていたってバレたら、カエデの方もバレるかもしれなかった。みんな勘が良いから」
「何で、そんなことしてくれたの? 何で、渚は……」
「何で何でって、E組の皆には言わない方がいいんだよね」
親友がキョトンとして「みんなには秘密だったんでしょ?」と聞く。私が聞きたいのはそういうことじゃない。彼女が知れば、みんなにも伝わるって勝手に思っていたから、まさか彼女がこんなことするなんて思わなくて。もっと他の反応を期待していたから、戸惑っているんだ。
「違うよ……そういうことじゃないよ。何とも思わないの?ずっと秘密にしていたんだよ。みんなのこと騙してたんだよ?!」
困ったように親友は目を伏せた。彼女が決心したように息をついて、言った。探るような、確かめるような口調だった。
「わたしは知ってたんじゃないの? 少なくとも、カエデはわたしが知っていると思ってた」
「何でそのこと……」
彼女は「そっか」と小さく漏らす。その言葉で、今のが鎌をかけていただけだと気づいた。私がそれを認めてしまったことも。
「カエデは記憶喪失になった人は元の人間と同一人物だと思う?」
親友は遠くを見つめて、ぼんやり他人事のように質問をした。国語の作文の題材について尋ねるみたいに淡々と。
「……同じじゃないんだね。片方は白い服をよく着るのに、もう片方は黒い服のが好きだったりするから」
「変化についての例が服って。あってるからいいか」
親友は自分の黒いワンピースに目を落とし、小さく笑う。
「カエデは知らないだろうけど、わたしが「わたし」って言うとカエデは少しだけ怒るんだよ。いつもは滑らかな意識の波長がグラグラって揺れて、すごく不安定になるんだ。わざわざカエデって名前で呼ばせたり、「大好きだったよ」ってイラつきながら言ってみたり、カエデ見てるとやっぱり記憶があるわたしは別人だなって確信したよ」
親友は気づいていないふりをしてごめんねと謝った。彼女はそうやって、自己防衛をしていたのだという。
いつか誰かに「お前は偽者だ」って見破られる日を恐怖し、他の人が望む"大石渚"でい続けていたのだと。
「学秀もカルマ君もさ、わたしが多少記憶無いのは知ってるんだよ。でも別人だとは思わない。思われないように頑張ってるからなんだけどね。それなのに、カエデだけはずっとずっとずーっと、わたしに怒ってた。何度遊びに行っても、カエデはわたしにボロが出ることを期待してるみたいだった。怖いよね。親友になっちゃうよね。近くにいないと不安で」
大石渚が変わったと思った人は数人いても、別人だとは誰も気がつかない。そんな中、私だけがそれを疑い続けていた。だから私が今の渚を親友として手元に置くのと同じように、私が誰かにその事を言ってしまわないか近くにいて監視することにした。そこまでの流れを悟り、気味が悪くなる。
夏休み中、彼女と私が急速に前以上に仲良くなったのは、彼女自身も私と親友になることを望んでいたからってこと?
「何それ、馬鹿みたい。私たち、互いに同じこと考えてたんだ」
本音がこぼれて、それがあまりに茅野カエデからかけ離れていて自嘲する。心の中で吐くつもりだった毒が、口から出てしまった感じ。そんな私に、親友は嬉しそうに頷いた。
「そうだよ。"大石渚"のふりをしているわたしは、カエデと同じだよ。みんなを騙してる」
私は彼女の瞳を見つめる。渚とは少し違う親友の瞳を見続けた。
「みんな、自分を通して他の人を見ているみたいだよね。だから誰も「わたし」を見てくれなくて、いつか消えちゃいそうで不安になる。みんな優しいのに、ひとりぼっちになったみたいになる」
「どうして……」
どうして分かるの。
それは私がずっと感じていたことで、誰にも打ち明けたことがなくて、渚との約束と一緒にずっと心の底にしまっておくはずだったのに。
言葉に出す前に親友は私を優しく抱きしめた。
「カエデはもう、ひとりぼっちじゃない」
感極まって、涙が頬を伝う。演技じゃない涙はぐちゃぐちゃで、嗚咽混じりで、ドラマみたいな美しさとかがまるでなくて、本物だった。
「ごめんね……っ、茅野カエデは本名じゃないの」
私は渚にも言ってなかったことを彼女に打ち明ける。彼女は「うん」と頷いて、抱きしめている手を離した。真正面の彼女を前にして、私は告げる。
「私の本当の名前は雪村あかり。雪村あぐりの妹なの」
原作からの変更点
・触手VS触手
・茅野豹変
・渚の戦闘方法の変化
・薬も偽物
・殺し屋記憶をなくす
・茅野と渚(偽)の親密度アップ
二周目の真相に辿り着いても、渚が別人だと思ってることには気づかない浅野とカルマ。渚が別人だと認識できても、二周目とかはよく分かっていない茅野。
結論。相手の全部を理解するなんて無理。
多分、オリ主タグは要らないと思うので付けてません。今は主人公不在なんだということにしていてください。
次回、きもだめし。カップル誕生に燃える殺せんせーの思惑は上手くいくのか?!(予告風)