クラップスタナーは2度鳴る。   作:パラプリュイ

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狭間さん視線。


狭間綺羅々のはなし。

 またやってしまった。悪い癖ね。

 

 先程までの一連の流れを思い出し、少し反省した。

 私はよく毒舌だと言われる。メルヘン脳で、ヒステリックで、綺羅々なんて名前を付けた、あの忌まわしい母親の所為だ。

 小学校の頃はそれが原因でクラスの女子から敬遠された。同じ図書委員の友人がいたおかげで一人ぼっちではなかったが、今より女子との交流は少なかった覚えがある。

 本は私の人生のほぼ全てだ。世の中には様々な本があって、私はその中でも暗い鬱々とした本を好んで読んだ。

 

 残酷な復讐劇。

 野心家の成功と崩壊。

 完全犯罪の企み。

 女に狂わされた男。

 黒魔術の使い方。

 

 ああ読みたい。もっと。もっともっと色々な本を読みたい。

 

 椚ヶ丘は新設校にも関わらず、図書館の蔵書量が他の学校とは桁違いだった。母親の強いた第一志望の女子校にわざと答案用紙を空白にして落ちて、椚ヶ丘を選んだのはそれが理由だ。

 蔵書量の多い椚ヶ丘なら、本好きな生徒も多いだろう。自分と似たような好みを持つ子もいるはずだ。その期待は呆気なく裏切られた。

 椚ヶ丘は度を超えた学力主義社会だ。

 本は国語や英語の点を取るためのもの。それが常識の世界だった。

 図書委員として、カウンターで受付の手伝いをしているとよく分かる。生徒たちの借りていく本は教師が紹介していた小説や参考書、検定の本ばかりだった。1年生の時は好きな小説を読んでいた人達も、2年生になると顔色を変えて「国語教師のおすすめ小説三十選」の中から読むようになる。

 この学校で普通の小説を娯楽として借りる人は少数派だろう。大石渚に興味を持ったのは、彼女がその少数派の一人だったからかもしれない。

 

 大石渚は図書館の常連だった。普段はA組のクラスメイトと勉強するために惜しげなく席取りに通っていたが、参考書ばかりでなく「ゴリオ爺さん」、「説きふせられて」などの教師が勧めていない文学作品も選んで読んでいるところを密かに恭敬していた。

 2年の終わり頃、そんな彼女がカウンターにルソーの「孤独な散歩者の夢想」を持ってきた時は印象との差異に驚いた。先生は授業で紹介していないわよねと一度考え込んでしまったぐらいだ。それとも間違って本棚から取ってきてしまったのかしら、と。

 

『その本、本当に読むの?』

 

 思わず失礼なことを聞いてしまったのを覚えている。「孤独な散歩者の夢想」は私が好きなジャンルの本だ。落ち込んでいる時に読んで、更にネガティヴな気分になるような内容の暗澹たる話。彼女が読めないと断言するわけではなかったが、読んでいて気分が悪くなる話は人を選ぶ。だからつい、心配になった。

 

『狭間さん、読んだことあるの? 面白くなかった?』

 

 同じクラスになったことないのに、何故か彼女は私の名前を知っていた。私は言葉を選びながら、楽しめる本じゃないことを説明する。

 

『私は好きだけど、陰陰滅滅とした気分になるわ。こういうのは憂鬱な時に読むものよ』

 

『……そっか。なら、借りよっかな』

 

 その時はこんな子でも憂鬱な時があるのねと受け流していた。今あの出来事を思い起こすと、あの時期に彼女は両親と何かあったのだろう。

 家から近いのに中学生が一人暮らしするなんて、何か理由がないと考えられないから。

 

 あの時「何かあったの?」と一言声をかけていたら、何か変わっていたのだろうか。

 

 

 物思いに耽っている間に、私は駅の前まで辿り着いていた。そこまで来たのはいいが、学校を抜けて来た独りぼっちの学生には行く場所が無かった。

 あの母親がずる休みした娘に喚き散らさないわけがない。あの雰囲気で抜けておいて、教室に戻るのもどうかしている。

 それなら選択肢は1つ。図書館に行く。決定ね。

 

 くるりと踵を返して、駅とは反対方向に向かおうとしたその時だった。視界の端に見慣れた顔が映り、フラッシュカードみたいに名前が頭に浮かんだ。

 

 大石渚。

 

「渚!」

 

 彼女はバスに乗るところだった。見知らぬ顔をした数人が私の大声で振り返る。彼女の姿はバスの人混みに流されて、中に消えていった。

 スマホの着信音が鳴って、「明日の朝、学校に早く来てよ」と書かれたメッセージがロック画面に表示される。それに重なるようにして、バスの中の少女とパチリと目が合った。

 

 白いワンピースを着ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルマからのメッセージに「あんたの早くってどのくらいよ」と返し、「7時」と返ってきた時は本気で言ってるのか疑った。だが、実際来てみると既に登校していたカルマが茅野さんたちと談笑していて驚く。彼女たちがいることは何となく想像がついていたけれどね。

 

「宵っ張りの朝寝坊タイプだと思ってたわ。明日は大雨ね」

 

 嫌味ったらしくカルマに言った。カルマには普通の人に接するよりキツく発言しないと、油断した瞬間に「綺羅々ちゃん」呼ばわりをされる。

 

「あー違う違う。俺昨日寝てないだけ」

 

 カルマにあっさり返されて、茅野さんが納得した顔をしていた。彼女も似たようなことを考えていたようだ。対照的に奥田さんは素直に心配する。

 

「えっ、大丈夫ですか?」

 

「余裕余裕。どーせ授業サボるし」

 

「えっ」

 

「そんな驚いた顔しなくてもいつもサボってるわよ、こいつは」

 

 私の声に分かりやすいぐらいビクッと反応する奥田さん。昨日の一件が原因で苦手意識を持たれたのだろう。

 喋っただけで怖がられるほど恐れられるようになるなんて、そのうち例のあの人呼ばわりされるのかしら。

 と考えていたら、彼女は怖がっているのではなく、緊張していただけだったようで。

 

「昨日はごめんなさい。狭間さんの忠告ちゃんと聞けばよかったです。これ、お詫びです!」

 

 奥田さんは私の前にプラスティックの可愛らしい包みを押し付けた。中にはチョコレートやら小分けのクッキーの袋が入っている。

 

 え……は? この子私のこと苦手なんじゃないの?

 

「私もごめん」

 

「俺も」

 

 何でみんなして謝るの。昨日のはどう考えても私の方が悪者だったじゃない。

 あの子の家に行ったから、かしらね。

 

「私も、悪かったわよ」

 

「実はあの後、真犯人を探すために律が警察のデータ盗んできたんだ。狭間さんさえよかったら、犯人探しに協力してくれないかな?」

 

 警察のデータ盗んできたんだって……どう考えてもこの3人だけじゃ危険ね。常識の生存が危ぶまれるわ。ただでさえE組では他とは違う常識が形成されてるのに、犯罪が正当化されるようになったら救いようがない。

 

「ちょうど推理小説を読んでいるところだし、暇つぶしになるかしらね」

 

 読みかけだった「モルグ街の殺人」を思い出し、呟いた。

 推理小説は普段読まないけれど、あのタコが逮捕されて、こういうジャンルも読んでみようと手をつけた。殺人事件なんて、人間のドロドロした感情描写がないとつまらない。でも、エドガー・アラン・ポーなら読む価値はあるかしらねと気が進まないながらもゆっくり読んでいた。彼の小説である「告げ口心臓」も「黒猫」も嫌いではなかったからだ。

 

「カルマ君? 頼まれていたノートです」

 

「サンキュー奥田さん」

 

 目の前でノートの手渡しが行われるのを無言で眺める。

 

「書記は私がやるよ」

 

 律がスマホの画面に表示する内容を茅野さんがノートにまとめて写していった。丁寧にわざわざ要約している。

 内容は以下の通りだ。

 

 *

 

 椚ヶ丘駅周辺連続通り魔殺人事件

 

 ①7月8日 毒殺

 発見場所は椚ヶ丘第三ビル前の交差点。通りすがりの第一発見者によると、被害者は道の真ん中で突然苦しみだしたという。毒による殺害だが、被害者が超生物関係者であることから同一犯の疑いが強い。

 

 ②7月15日 刺殺

 発見場所は椚ヶ丘駅南口の先にあるトンネル。被害者は心臓に穴の開いた状態で発見された。凶器不明。

 

 ③7月18日 刺殺

 発見場所は椚ヶ丘駅の路地裏。二件目の事件と同様の手口と思われる。被害者は二件目の事件の仕事の引き継ぎをしていた。

 

 ④7月30日 殺害未遂

 被害者からの110番通報。右腕と左脚が切断された。被害者の証言によると、白いワンピースを着た少女に翼が生えていた、英語で自らが天使だと名乗ったといった証言を繰り返している。痛みで見た幻影の可能性あり。

 

 ⑤8月23日 斬殺

 

 発見場所は椚ヶ丘駅前本屋裏。首を切断されていた。凶器は不明だが、通常の刃物でないことが切断面から予想される。切断された首の下に正体不明のヌルヌルした物体を確認。超生物の触手である可能性があると防衛省から連絡を受け、検証の結果、触手だと判明した。

 

 *

 

 ニュースに出たのは三件目までだ。四件目以降は殺し屋関連である可能性、また超生物関係者の殺害であることをふまえて表沙汰にならなくなった。三件目までも検索しても出てこないようになっている。

 近くで起きた殺人事件なのに、E組のほとんどがその存在を知らなかったのはこういった情報操作が原因である。

 

「これってほんとに全部同じ犯人なの? 殺害方法とかバラバラだけど」

 

 茅野さんが疑問の声を漏らす。

 

「全員が共通するのが、防衛省が秘密裏に計画していた超生物暗殺プロジェクトの一員だってこと。また、二件の凶器も触手だとすれば納得できる点が多いんだって。だから、同一犯に間違いないらしいよ」

 

 カルマは律が開いた情報をじっくりと眺めていく。細かい情報を茅野さんがノートに書き足していった。

 

「7月8日ですか……」

 

 奥田さんが途端に表情を曇らせていく。胸騒ぎがした。

 

「どうしたの奥田さん」

 

「6日、なんです。これと同じ毒を作ったのが」

 

 ひゅっと3人の息を呑む音がその場に響く。毒を作ってから、ほんの数日後に事件は起こった。これを偶然の一致と呼ぶにはできすぎていた。

 

「日付のことなら私もいいかしら?」

 

 奥田さんが日付について言及して気がついた。この日付自体は何も手がかりにならない。問題は容疑者が活動していなかった期間だ。

 

「4件目と5件目の不自然な間。これ、私たちが沖縄の暗殺に向けて訓練を始めた時期と、沖縄に行っていた時期に重なるわ」

 

「ただの偶然かも」

 

「偶然だよ!」

 

 茅野さんが机を強く叩いた。机に軽くヒビが入る。

 

「ごめん……でも、渚が犯人なんて私は信じない」

 

「学秀君なら、何か知ってるんじゃない?」

 

 カルマはいまだに画面から目を離していなかった。慎重に全ての文字を追っている。

 

「浅野君ですか?」

 

「毒薬は学秀君も一緒に作ったんでしょ? それに、三件目の事件の第一発見者、学秀君みたいだよ」

 

「え……」

 

 そんな話聞いたこともないと茅野さんが反応する。

 

「俺も今知ってびっくりした」

 

「話を聞くしかないね、浅野君に」

 

「だからって、今日はサボらないでよ? 昨日、烏間先生心配してたんだよ」

 

 片岡さんはいつから話を聞いていたのか、後ろで仁王立ちしていた。顔には微かな呆れが察せられる。

 

「事件を捜査するのは構わないけど、授業にはちゃんと出ないと。今日から殺せんせーがいない間の代理教師が来るらしいから…………殺せんせーが戻ってこなかったら、そのまま引き継ぎになるって」

 

 代理教師……理事長の案かしら。今のままだったら、E組の授業はまるで進まないものね。今日は昨日みたいに早退することはなさそうだ。

 

 茅野さんは訴えかけるような目で片岡さんを見つめる。片岡さんは目を逸らさず、凛とした顔で茅野さんの視線を受け止めた。

 

「片岡さんはそれでいいの?」

 

「仕方ないよ。私たちがどんなに殺せんせーの無罪を主張したって、大人は誰も聞いてくれないんだから」

 

 私には片岡さんが泣くのを堪えているように見えた。でも彼女は我慢強いから、決して泣き出しはしなかった。

 

「おはよう。カルマ珍しいな〜こんな時間に…………片岡?」

 

 間の悪いタイミングに磯貝がやって来て、片岡さんが顔を手で覆う。

 

「私トイレ行ってくる」

 

「お、おう」

 

「何かあったのか?」

 

 磯貝はカルマに尋ねる。

 ここで勝手に勘違いして私たちを悪者にしないのは磯貝の良いところだ。学級委員なだけある。

 

「殺せんせーのことでちょっとね」

 

「そういうことか」

 

 殺せんせーと名前を出しただけで理由を理解したようだ。心配気にドアを見やり、ため息を吐いた。

 

「俺たちで何度も抗議したんだよ。警察署まで行って……でもダメだったんだ。大人には大人の思惑があって、殺せんせーが殺せれば関係ないんだよ」

 

「どういうことでしょうか?」

 

 律が磯貝の発言に画面上にはてなを沢山表示する。彼女は一般的な常識が抜けているところがあるので、今の説明だけでは分からなかったようだ。

 

「地球を破壊するって宣言してる殺せんせーが殺人犯なら、暗殺なんてしなくても良くなるのよ。だって、日本には死刑制度があるから」

 

「殺せんせーが、死刑になるんですか……?」

 

 奥田さんはショックを隠せない様子だ。カルマも顔を歪めていた。

 

「殺せんせーは絶対に犯人じゃないはずなんだ! だから、真犯人がいるなら……渚ちゃんが真犯人なら名乗り出て欲しいと思ってる」

 

「渚だって犯人じゃないよ!」

 

「烏間先生が渚ちゃんが沖縄での殺し屋を事前に知っていたと言っていた」

 

「どういう……」

 

「随分前にあの時いたエンジェル以外の殺し屋を探すように頼まれたって。そんなの聞かされたら、もう渚ちゃん以外に犯人なんて思いつけないだろ……」

 

 もう誰も大石渚を庇わなかった。カルマですら、表情を真っ青にしている。私も反論の余地はない。だからといって、すんなり彼女が真犯人だと認めるわけじゃないけれど。

 

 始業の時間になると、ドアがガラリと開いて、烏間先生が姿を現した。クラスが一度静まり返り、烏間先生は生徒が全員いるか確かめる。

 

「欠席は渚さん一人か。みんな席についてくれ。代理の教師を紹介する。暗殺とは無関係な一般人だ。対象や訓練についての話題は極力出さないように」

 

 静寂が消え、クラスメイトたちは口々に代理教師が誰かについて話し始めた。

 

「女? 男?」

 

「本校舎の教師じゃないよな?」

 

「優しい人だといいな〜」

 

「殺せんせーに敵う教師とかいねーよ」

 

 その人は烏間先生に呼ばれて、まっすぐ教室の中に入ってきた。誰かが性別を気にしていたからか、入った瞬間に「女の先生」であることに目が行く。肩までつく黒髪をハーフアップにしていて、そこはかとなく清楚な印象を受けた。

 彼女は教壇の近くまで着く前に、滑って転け、床に顔から突っ込んでいった。

 

「いった……!」

 

「大丈夫ですか?!」

 

 前の席の生徒たちが彼女を起こすのを手伝う。彼女は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、何度もお礼を言った。

 私は注意力散漫な教師だと呆れる。しかし、ドジな行動で教室内のピリッとした空気が緩んだ。

 今度こそ黒板まで無事にたどりつくと、彼女はチョークで大きく習字の見本のような字を書いた。

 

 名雪(なゆき) (しずく)

 

 名前から殺せんせーの前の担任、雪村先生を思い出す。顔も服の趣味も似てなくて、似てるのは苗字の漢字と長い黒髪ぐらいだが、彼女を連想するには十分だった。

 

「はじめまして。名雪雫です。しばらくの間、代理で皆さんの担任を受け持ちます。専門は数学で……あ、でも他の科目も教えられるので、分からないことがあったら何でも聞いてくださいね」

 

 みんな出方を窺っているような顔だった。岡島君が手を挙げて、「先生何カップですかー?」と聞きかけたが、彼は横の席の速水さんのパンチで撃沈した。

 

「はい、質問! 先生のことはなんて呼べばいいですか?」

 

 倉橋さんが元気よく声をあげる。

 

「好きに呼んで大丈夫ですよ」

 

「んー、じゃあなゆせんせーで」

 

「なゆせんせーは教師初めて?」

 

「そうですね。つい最近まで塾講師をやってたので、教えることには慣れてますよ。たしか、英会話以外は全部受け持つんですよね?」

 

 名雪先生は烏間先生に確認する。烏間先生は深く頷いた。

 

「英会話はイリーナ・イェラビッチという外国人の教師が受け持っている」

 

「呼んだかしら?」

 

 ビッチ先生が金髪をなびかせて颯爽と現れる。名雪先生の目がキラキラと輝いた。

 

「うわあ……こんなに綺麗な人初めて見ました!」

 

「ふふっ、上手いこと言うじゃない」

 

「ナイストゥミートユー。マイネームイズシズクナユキ」

 

 カタカナ英語で彼女が挨拶すると、ビッチ先生の顔が引きつった。彼女のお気に召さなかったようである。

 

「英会話の授業はシズクも参加するといいわ。ガキどもの世話は大変だと思うけど、頑張りなさい」

 

「うわー、ビッチ先生が先輩ヅラしてる」

 

「なんか生意気」

 

「キーッ! あんたらのがよっぽど生意気じゃない!」

 

 いつものようにビッチ先生は銃を取り出した。それを烏間先生が瞬時に察知して、後ろから銃を取り上げようと腕を伸ばす。銃は教室の席の方に飛んでいき、名雪先生がそれを見ることはなかった。しかし運が悪いことに、名雪先生は烏間先生とビッチ先生の腕が絡み合ったその様子を違う風に勘違いしたようで、薄っすら顔を赤らめている。

 

「あの、お2人はカップルなんですね……でも生徒の前ではイチャつかないがいいですよ」

 

「そんなわけあるか!」

 

「違うわよ!」

 

「仲良いんですね〜」

 

 名雪先生は目をスーッと薄めて、ニヤニヤしながら口元を押さえる。それを見てクラス全員が察した。

 

「なゆせんせー、もしかしなくてもゲスい」

 

「それな」

 

「なっ、そんなことないですよ! 恋バナとか好きなだけで、普通の女の子ですっ!」

 

 胸を張って普通の女子を名乗る。何故そこまで自信満々に宣言できるのか謎である。

 

「いや、普通の女の子はそんな堂々と普通を主張しないから」

 

 と岡野さんが突っ込んだ。

 

「先生は普通だと思うよ!」

 

 胸を凝視し、茅野さんが大きく頷く。茅野さんは彼女の胸のサイズが普通だと主張したいようだ。言われてみれば、名雪先生の胸は真っ平らで、茅野さんと良い勝負だった。

 

「茅野さん……味方してくれるなんて嬉しいです」

 

「え、名前分かるの?」

 

「前任者に座席表をもらったんですよ。あそこの空席は大石さんですよね」

 

「合ってるよ」

 

「あ、でも確認ついでに出欠確認取らせてください。顔と名前を一致させたいので。磯貝君!」

 

 出席番号順に彼女が名前を呼んでいく。名前を呼びながらしっかりと顔を見る様子は好感が持てた。本校舎から来ていない教師だからか、E組差別をすることもない。これで小説が詳しければ私としては満点なのだけれど。

 

「次で最後かな。(おのず)さん」

 

 誰よそれ。

 

「はい!」

 

 教室の後方から元気の良い声がして、律が画面に姿を現わす。烏間先生は頭を抱え、私たちはやってしまったという顔でアイコンタクトを取る。

 さっきは烏間先生の機転でビッチ先生が銃を撃とうとしたのを上手く誤魔化したが、さすがに律は隠せない。何しろでかいし重い。しかも律が堂々と返事をしてしまった時点で誤魔化しが効かなくなった。

 

「何ですかこれ。自販機……ですよね?」

 

 クラス全員の予想通り、彼女は返事をした黒い物体に首を傾げている。

 

「人工知能だよ」

 

 カルマが不敵な笑みを浮かべて答えた。嘘偽りなく本当のことを言うカルマに周りがざわめいた。

 

「カルマお前……」

 

 何かを言いかけた寺坂を視線で黙らせ、カルマは話を続けた。

 

「このクラスはさ〜、人工知能を使った研究のために作られたんだ。AIが中学生の言動、行動、思考回路を模倣するためにね。E組はちょうど旧校舎で隔離されているし、うってつけだったってわけ」

 

 どんな設定よ。半分中二病にでもなったのかしら。

 スラスラと出てきた嘘八百な設定はどこかの小説にありそうな話だ。現実ではあり得ない。しかし、名雪先生はあっさりそれを信じる。

 

「そんなことしてるんですか〜。最近の中学校はすごいですね」

 

 彼女は純粋な性格をしているようだ。烏間先生がほっと息を吐いて、カルマの意見に便乗する。

 

「彼の言う通りだ。情報漏洩防止のため、この教室での出来事は他言無用願いたい」

 

「分かりました。自さん、よろしくね」

 

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 その日は名雪先生に暗殺に関することがバレることなく無事に終了した。授業の教え方は殺せんせーに劣るものの、例も解説も分かりやすく、教え方の上手い部類に入る。完全に理解できていない生徒を見つけるのが上手く、教室をまわりながら一人一人に応じた説明をしていた。これなら、スピードではマッハに劣るが勉強で遅れが出ることもないだろう。

 

 放課後になり、カルマの提案で浅野に会いに行くことになった。参加すると名乗りを上げたのは結局前と同じメンバーだ。

 

「3年A組の教室ここなんだ」

 

 茅野さんが興味深々であちこち見渡す。彼女は転校生なので、本校舎の中を動き回るのは初めてなのだ。

 

「すみませーん、浅野学秀君いる?」

 

 何人かがこちらを見て、「何だ、E組か」とどうでも良さげに話を再開する。その中で一人だけ椅子を引く男子生徒がいた。

 竹林だ。

 

「浅野君に何か用?」

 

「竹林君……雰囲気変わりましたね」

 

 奥田さんが言うように、竹林からは微かな変化を感じられた。例えば、彼の髪は艶やかで、眼鏡は新品、雰囲気は自信に満ち溢れている。後ろで男子生徒がグッと親指を立てているが、それが何か関係しているのだろうか。

 

「友だちにやられたんだ。用事があるなら手短に頼むよ」

 

「渚が行方不明で、浅野君が何か知ってるかと思って……」

 

「渚ちゃんが?!」

 

 机を叩いて一人の女子が勢い良く立ち上がった。

 

「天使ちゃん行方不明? え、やばいでしょ」

 

「僕のシャープペンシルが折れるのは阻止しないとね」

 

 何故か良い笑顔で五英傑の一人、榊原が髪をかきあげる。横で荒木が眼鏡をズラしてカッコつけていた。

 

「知り合いのコネを使って探させよう」

 

「(エンドの)E組の言うことなんてどうでもいいけど、(1位の)渚ちゃんのためなら協力させて」

 

 茅野さんの両手を握り、熱のこもった視線で女子生徒が言った。口にはしないものの、副音声が聴こえてくる。

 

 噂には聞いていたけど、本当に成績主義なクラスね。ウチとヨソ意識も重なって、A組の成績上位の人をかなり大事にするよう洗脳されているのかしら。

 

「よくわかんないけど、A組のがE組より渚ちゃん捜索に役立ちそうだね〜」

 

 カルマが愉快そうに頭を掻く。嬉しい誤算というやつだ。

 

「騒がしいな。何で君たちがここにいる?」

 

 後ろで浅野が私たちに気がつき、眉をピクリと動かす。手には大量の書類を抱えていて、それに気づいた他の男子がすぐさま教壇の上に運んでいった。それだけで主従関係があるのだと察せる。

 

「学秀君さ、渚ちゃんどこ行ったか知らない?」

 

「聞いていない。E組には来ていなかったのか?」

 

「それが2日連続欠席で……ごめん、耳貸して」

 

 カルマが浅野に小声で殺せんせーが殺害容疑で逮捕されたことと、E組では渚が真犯人だと思われていることを伝える。浅野の表情が険しくなった。

 

「場所を変えよう」

 

 浅野は会議室の1つに私たちを連れて行った。ドアを丁重に締め、内鍵までかける。

 

「事件ってまさか、椚ヶ丘連続通り魔事件のことか?」

 

「そう。浅野君、三件目の第一発見者だったんでしょ? 何か知っていたら教えて」

 

 茅野さんが事件の詳細を書いたノートを見せる。浅野はそれを一通り読み、頷いた。

 

「そうか、まさか渚を本当に信じる生徒が3人もいたとはね」

 

 浅野は私たちをじっくりと見渡し、真剣な表情をする。今から何が始まるのかと私は思わず唾を呑みこんだ。

 

「いいか。これは忠告だ。今のままの楽しいE組でいたいのなら、誰も死なせたくないのなら、この事件から手を引け」

 

「何で?!」

 

「この事件の犯人を捕まえても誰も幸せにならないからだ」

 

 きっぱりとした彼の口調に、私は自分の意見を言うことを躊躇した。真実を知りたいというのは、ただのエゴでしかない。E組が不幸になるのは誰だって嫌だろう。

 

「私は真実が知りたいわ。E組全員が不幸になっても、真実を知らずに勘違いするよりはずっとマシよ」

 

 ハッピーエンドじゃなくていい。ただ、本当のことを知ることができれば。

 

 浅野は再び考え込んで俯く。

 

「そうか。ならば前提を崩せ。僕からは以上だ」

 

 彼は最後まで殺せんせーも渚も庇おうとはしなかった。分かったことは1つだけ。

 この事件で幸せになる人は誰もいないということ。

 小説なら、好きなシナリオだ。でも、現実で起こっていいシチュエーションではないことは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 行きつけのカフェで本を開く。浅野の言った言葉は頭からこびりついて離れなかった。

 

 前提。私たちはそう多くの前提条件を犯人につけたわけじゃない。だから何の前提のことを意味しているのか、考えてもなかなか分からなかった。

 

 殺せんせーが犯人じゃないということ?

 殺し屋が触手を持っていたということ?

 白いワンピース姿の少女が犯人だということ?

 犯人がエンジェルという殺し屋だということ?

 

 それとも、渚が犯人じゃないということ?

 

 考えて、考えて、私は本を閉じた。

 

 そうよ。何故そんな簡単なことに気がつかなかったの。

 

 カフェから出て、歩きながらスマホを取り出す。普段はなかなか電話もスマホも使わないが、今回は急用だ。早く伝えないと。

 

「もしもし、私犯人が――」

 

 スマホが地面に落ちた。あまりに突然の出来事に目を丸くしてしまう。時間差で右手が酷く、凄まじく痛んだ。

 右手の腕から先が消えていた。

 一瞬何が起きたか理解できなかった。

 見ないと。誰が犯人か確認しないと。

 そうは思っているのに、恐怖から後ろを振り返れなかった。

 

「ごめんね、狭間さん。忘れて。それから、信じて。ぼくは犯人じゃない」

 

 薄れる視界の中でぼんやりと、白いワンピースが見えた。翼のように生えた白い触手。たしかに天使のようにしか見えない。

 

 そう、やっぱり。犯人はあなただったのね。

 

 

 




原作からの変更点
・渚が読書家(言語勉強のためであることを狭間さんは知らない)
・五件の殺人事件
・代理教師名雪雫(なゆせんせー)
・A組の対応

活動報告を読んでくださると嬉しいです。

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