クラップスタナーは2度鳴る。   作:パラプリュイ

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ほのぼの回。


女のはなし。

 殺せんせーが茅野の席とぼくの席を向かい合わせにくっつけ、片方に座る。面談や面接というより、尋問みたいな気がした。

 

「律さんは一時的に開発者のところへ返すことになりました。律さんが何故あんなことをしたのか、渚さんは知っていますね」

 

「律は……ただある人を救いたかったんです。方法はおかしかったけど、それでも律は……!」

 

「そのある人というのは、私のことですか?」

 

 なんで、という言葉は口から発せられずに消えた。殺せんせーが真剣な顔で二つの触手を合わせて話を続ける。

 殺せんせーには敵わない。

 

「烏間先生から渚さんと律さんの会話を断片的に聞いたんです。渚さんが盗んだ触手を、律さんが盗み、それを元に触手を再現したと考えるのが自然でしょう。さらに律さんの言葉から、私を殺そうとする輩を彼女が暗殺したのだと分かりました。どうやって気づけたのかは分かりませんが」

 

 烏間先生に聞かれていたのか。そこから殺せんせーが真相にたどり着いた。

 ぼくは殺せんせーがそこまで見破れたことに感嘆する。

 でも良かった。ぼくが2周目とかいうところまではまだ気づいていないみたいだ。いや、普通気づけないよね。学秀とカルマ君が異次元過ぎるんだよ。

 

「ところで、渚さんは私を前から知っていたんですか?」

 

 と思ってたらこれだよ! 

 

「"殺せんせー"のことを前から、ですか?」

 

「いいえ、死神のことです」

 

 呼称を変えて誤魔化そうとしたが、殺せんせーは騙されなかった。それを見て、この人がどこまで気づいているのかを悟る。

 二代目の死神が意識の波長を使えたんだ。目の前にいる殺せんせーだって、嘘を吐いたらすぐ分かる。隠せる範囲で正直に答えよう。2周目について話すのはまだ危険だ。

 

「知っていました。助けに行こうと思ったのは教えを乞うためでしたから。死神と殺せんせーが同じ人物だということも、気がついていました」

 

「何故? 政府の機密事項に入っていることです。知る人は限られている。それに、死神は渚さんにとっては先生と呼べる人物ではない」

 

「どうやって知ったかは秘密です。ただ殺し屋になりたくて、死神に師匠になってほしくて先生と呼んでしまったんです。他意はありません」

 

 ところどころ嘘と真実が混じっていると殺せんせーは気づいるようだが、特に嘘を指摘することはなかった。

 そっか。先生って呼んでしまったから、殺せんせーはぼくが死神の弟子だと勘違いしたのか……あれ? 何か引っかかる。

 あの時の死神はマイク越しのぼくの声だけで年齢を察しているようだった。本当に10代だと断定してたかは分からないが、若いとは感じたはず。それほどまでの洞察力があるのなら何故……

 

「殺せんせーに1つ聞いてもいいですか?」

 

「ええ」

 

「先生はぼくを誰かと勘違いしたと言っていましたよね。それって弟子とか、ですよね」

 

「……ええ」

 

 そんなことまで知っているのかと懐疑的な目線がぼくに向けられる。

 

「何で間違えたんですか? スペイン語がネイティブじゃない人なら他にもいるし、そもそも、せい……」

 

 待てよ。そもそも、ぼくの中の前提が間違っていたんじゃないか? 1周目の記憶から得た知識が全部正しいと誤認していた。律のことだってあるのに。

 

 ノックの音で我に返る。ビッチ先生と名雪先生が教室の中に入ってきた。名雪先生は紙コップを2つ持ってきている。2人ともぼくと殺せんせーの表情を見て、シリアスな雰囲気を察したようだ。

 

「すみません、おとりこみ中みたいですね。お茶どうですか?」

 

 名雪先生に紙コップを手渡される。中身は冷たい緑茶だった。

 

 聞こえていたかな。

 

 ぼくは名雪先生の意識の波長を探る。名雪先生はすぐに殺せんせーの方に移動していった。

 名雪先生には殺せんせーにはびくびくした様子でお茶を渡して、ぎこちなく微笑んだ。

 

「さっきはすみません。ちょっとびっくりしてしまってまともに挨拶できなくて」

 

「名雪雫先生でしたね? 何の教科を担当しているんですか?」

 

 殺せんせーは豆みたいな目を細めて、相手を見定めるような顔をしている。

 何で殺せんせー、面接官気取りなんだ……さっきまでのシリアス顔はどうしたの。

 

「す、数学、です……が、他の科目も教えられます! 未熟なところもありますが、月曜日からよろしくお願いします!」

 

「素晴らしい! 私の留守中に誰が代わりに授業をするのか心配していたんですよ」

 

 殺せんせーが名雪先生に饒舌に話しかける。

 すっかり先輩面だ。後輩教師ができて喜んでいる。この人が本当に死神だったのかと不思議なぐらいだ。

 そう考えていて、いつの間にかビッチ先生がぼくの近くに寄っていたことに気がついた。彼女は彼女で何か理由があってここに来たようだ。

 

「あんたらが教室にこもって出てこないから、シズク心配してたのよ。それで、何があったの? 私にも情報よこしなさい」

 

 ビッチ先生が小声で耳打ちする。殺せんせーとぼくが何か隠し事をしていると勘ぐっているらしい。ぼくは曖昧に頷いた。一瞬躊躇って小さな疑問を口にする。

 

「大したことじゃないよ。それよりさ、ビッチ先生って潜入調査するときに男装とかするの?」

 

「ええ? そりゃあね。あまり需要はないけど。なあに、あんたまさか男装に興味あるの?」

 

「違うよ!」

 

「男装? もしかして、大石さんは高校で演劇の強いところに入ろうとしているの?」

 

 名雪先生がきょとんとした顔で尋ねる。

 あ、やばいと思って首を横に激しく振った。

 

「ないない。ビッチ先生も忘れて!」

 

「そうなの? そうだ、イリーナ先生。仕事も一段落しましたし、一緒に買い物に行きませんか?」

 

「いいわよ。渚、今度手解きするわね」

 

「え、いいよー」

 

 変な誤解を受けてしまった。

 名雪先生はぼくに微笑むと、ビッチ先生を連れて教室を出ていった。冷や汗が出る。

 

「さて、本題に戻しましょう。渚さん、さっき何か聞きかけていませんでしたか?」

 

「いえ、何でもないです」

 

 答えは既に出た。あとは本人に確かめるだけだ。

 

「そうですか。それでは、先生からも聞きたいことかあります。渚さんは何故殺し屋になろうとしているんですか?」

 

「間違った選択肢を取って、誰も死なせたくなかった。ぼくが殺し屋になれば、みんなを守れるだけの力をつけられる。そう思って殺し屋を目指していました。でも.」

 

 律は殺せんせーを生かすために人を殺した。ぼくは何のために殺せんせーを殺すのだろうか。そもそも、殺し屋は本当にぼくが思っているような仕事なのか。人を殺して、その先に何があるっていうんだ。

 

「君に暗殺の才能があることは前から察していました。技術だけではありません。君には勇気がある。例え相手が怪物でも、暴力教師でも、クラスメイトでも、臆することなく立ち向かう勇気です。優れた殺し屋には必要不可欠な才能でしょう。努力によって、それを伸ばそうとしていることも知っています」

 

 殺せんせーの発言に既視感を覚えた。

 そうだ、これは1周目の時にも言われた言葉に似ている。

 

「しかし、それと同時に、君の勇気は自棄をはらんでいます。イトナ君を助けようとした時もそうでしたね。いつも君自身の安全や尊厳をどこか軽く考えてしまっている。だから自分の命を軽く扱える」

 

「はい……」

 

 2度も同じことを言われたことに気がついて項垂れる。ぼくは根では1周目から何も変われていないのだ。

 

「君の才能は何のために、誰を思って使われたのか、どうやってこれから使うべきなのか、もう一度よく考えてみてください」

 

「殺せんせーは殺し屋になるのに反対しないんだ」

 

「それが渚さんの出した答えなら、反対しませんよ。生徒が行きたい道に行くのを手伝うのが教師ですから」

 

 教室から出て、ふぅと息を吐く。廊下を歩きながら、ひたすらさっき言われたことについて考えた。

 殺せんせーは見破ってた。ぼくが殺せんせーを知っていることも、殺し屋になろうとずっと頑張っていたのに、今迷いが生じていることも、全部理解していた。

 やっぱり殺せんせーはすごいよ。生徒のことをこんなに分かっているなんて。

 気を取り直して帰ろうと歩いていると、狭間さんが廊下で本を読んでいるのが目に入った。ぼくを待っていたのだろう。

 

「狭間さん」

 

 狭間さんが顔を上げる。包帯で右腕を巻いていて、ぼくは殺せんせーから大まかに聞いた痛ましい出来事の詳細を思い出した。

 

「元気そうで良かった。腕のこと聞いたよ」

 

「ええ」

 

「真犯人が分かったのは狭間さんのおかげだよ」

 

「ヒントをくれたのは浅野よ。前提を崩せって言われなければ、犯人が人間じゃないことに気がつけなかったわ」

 

「え、学秀は知ってたの? 律が触手を持ってたこと」

 

 自分の顔が強張るのを感じた。いつから、と思考を巡らせる。

 

 いつから学秀は律の目的に気がついていた? 

 

「犯人を知ってて黙っているみたいだったけど」

 

「そっか、よく分かった」

 

 L1NEを起動して、メッセージだらけのチャットルームに文章を打ち込む。話したいことがあると。

 

「こうも言っていたわ。この事件の犯人を捕まえても誰も幸せにならない」

 

 狭間さんはぼくが彼に怒ることを察したのか、付け加えた。しかし、それは建前で綺麗事だ。あの浅野学秀がみんなの幸せのために動いていたはずがない。

 

「大丈夫。ちゃんと話し合うだけだから。律が触手を持っていたことを黙っていたのも、さっさとA組に逃げたことも……」

 

 狭間さんの意識の波長がある言葉に反応して微かに揺れる。ぼくは言葉を切り上げて、狭間さんを見つめる。

 そういえば、腕ってそんな簡単に治るものだっけ。狭間さん、右腕バッサリ切断されていたんじゃなかったっけ。

 問いただそうか迷って止めた。狭間さんにだって隠したいことの1つや2つあるだろう。殺せんせーの判断なら、大きく間違えることはないだろうし。

 

「どうかした?」

 

「ごめん、何でもない。とにかく、学秀を問い詰めないと」

 

 

 

 *

 

 

 

 教室のドアの目の前で立ち止まる。ドアを開けるのを躊躇して、唾を呑み込んだ。

 倉橋さんがドアを勢いよく開けて出てくる。こちらに気づくと嬉しそうに笑った。

 

「あ、渚ちゃんおっはよ~!」

 

「……おはよう、倉橋さん」

 

 いつも通りの満面の笑みに、ぼくは気後れして反応が遅れる。

 

「そんなところで立ち止まってないで早くおいでよ。今、訓練の計画しててさー」

 

 中村さんが腕を引っ張ってぼくを話し合いの輪に参加させる。自然な対応に戸惑いながらも、周りが気を使ってくれているのかと考え直す。

 律が犯人ってのも、狭間さんがおおっぴらに言うとは思えないし、ぼくだって犯人扱いされたのを謝ってほしいわけじゃない。あのことはもう忘れよう。

 

「狭間、腕どうしたんだよ。転んだのか?」

 

 後ろの声に何気なく耳を傾けてドキっとする。振り返ると、寺坂君が狭間さんに腕のことを聞いていた。

 

「べつに」

 

 いや、おかしいよ。これはどう考えても異常だ。

 教室の一番後ろには律の本体が跡形もなく消えていた。殺せんせーから律が開発者のもとに戻されるとは聞いていたけど、みんなまるで、最初からいなかったみたいに……まさか。

 

「ねえ、倉橋さん。昨日のことだけどさ、みんなもう怒ってないのかな?」

 

「昨日……ごめん、何のこと?」

 

 倉橋さんが首を傾げた。ぼくは席を立ち上がる。読書している狭間さんがため息をついてこちらを一瞥した。

 

「狭間さん、ちょっといい?」

 

「今いいところなんだけど」

 

 狭間さんは文句を言いながらもぼくと一緒に教室を出てくれた。旧校舎を出て、裏山の入り口ぐらいまで歩いていく。

 

「あんたいったいどこまで行く気?」

 

 彼女が制止して、ぼくは振り返った。

 

「おかしいよみんな。何でみんな事件のこと忘れてるの?」

 

「分からない。でも、ここにいるみんなは、事件のことをもう誰も覚えていない。殺せんせーが捕まったことも、渚が濡れ衣を着せられたことも」

 

「誰がそんなこと」

 

「渚が何かしたわけじゃないのね」

 

 ぼくは学秀のことが脳裏によぎったが、彼にこんな大がかりなことをすることはさすがに不可能だと思い直した。

 これができそうな人をぼくはもう一人知っている。あの場にいて、殺害が不可能な律を完全に閉じ込めたあの人なら。

 

「急に教室から連れ出したりしてごめん。腕のこともあるのに……」

 

「気にしなくていいわ。私も、今回の件は腑に落ちなかったもの。教室に戻りましょ」

 

 教室に戻って、何かあったのかと質問攻めにする茅野を上手くかわし、ぼくは律のことについて考えるのを止めた。

 放課後に学秀と話す約束をしている。それまでは、いったん忘れよう。

 あまりに色んなことがあったからだろうか。ぼくにとって、いつも通りの平和な日常は眩しすぎた。ただ1つ、小さなしこりがぼくを付きまとう。

 

「律さんはメンテナンスで欠席です。それから、木村君と、イトナ君も今日休みですか」

 

 殺せんせーの言葉で現実に引き戻される。

 イトナ君には悪いことをしたかな。戻ってきた律が偽者だったら、彼は何を思うんだろう。

 

「そうみたいです、先生」

 

 名雪先生が答える。名雪先生は殺せんせーとは一定の距離を保っている。どことなく震えている気もした。

 

「えっと、今日のプリントを──ヒャッ!」

 

()先生、大丈夫か?」

 

 烏間先生が転倒した彼女に声をかける。

 

 ん? 

 

 クラス中の空気が凍った。倉橋さんがあんぐりと口を開けている。

 

「ちょっと緊張してしまって。大丈夫ですよ、惟臣(・・)先生」

 

 名雪先生が烏間先生の腕に軽く触れる。ボディータッチと言っていいのか分からないぐらいさりげなかった。ビッチ先生のあの派手な露出よりよっぽどマシなアピール。

 

 んん?? 

 

「ビッチ先生、これはちょっとヤバいんじゃない?」

 

「ビッチ先生今日遅刻?」

 

 隣で中村さんが神妙な顔で二人の様子をガン見している。周りを見渡すと、女子たちが中村さんと同じような顔で何度も頷いていた。

 

「これ、陽菜乃ちゃんから」

 

 岡野さんから折り畳まれたメモを渡される。広げると「昼休みお弁当一緒に食べよー!」と書かれていた。倉橋さんは反論を許さない笑みでこちらを向いている。これは行かないとビッチ先生の弟子仲間としての友情にヒビが入りかねない。

 間違いなく、烏間先生についてだろうなと苦笑する。実際、その考えは合っていた。

 

「なゆせんせー、烏間先生のことどう思ってるのかな?」

 

 昼休み、矢田さんはお弁当を片手に言った。隣の席には矢田さんがいて、向かい側にぼくと茅野が座っている。ちなみに茅野はビッチ先生とはそこまで親しくないが、ぼくが道連れにしようとつれてきた。倉橋さんは恋愛関係のことに対しては歯止めが効かなくなるので、ストッパーが必要だ。

 

「んー、あれは狙ってると思う〜」

 

 倉橋さんが感情のこもっていない笑顔で言った。ぞくっとして、思わず箸で掴んでいた卵焼きを弁当箱の中に落としてしまう。

 

「狙ってるって?」

 

 茅野がとぼけたように首を傾げる。ぼくはおもむろにスマホを取り出し、鏡で前髪を直すふりをしてL1NEの通話ボタンを押した。

 

「「結婚相手にだよ!!」」

 

 矢田さんと倉橋さんが同時に大声で言う。周りの生徒たちが一斉に振り返っても、お構いなしである。

 

「ええ……さすがに出会って早々そんなこと考える?」

 

 ぼくがやんわりと否定すると、倉橋さんがくわっと目を大きく見開いた。

 

「烏間先生ほどかっこいいんだよ?! 結婚したいって思っちゃうよ」

 

「あ、はい」

 

 否定したらしたで怒られてしまいそうな雰囲気に、何とも言えない顔で同意する。

 

「そうだね。あの愛されワンピに下の名前を呼ぶあざとさ。そしてさりげないボディータッチ。たぶんなゆせんせーは婚活女子なんじゃないかな」

 

 こんかつじょし……とは。愛されワンピって……言われてみればいつもかわいい洋服着ているけど。雪村先生やビッチ先生より随分男ウケしそうではあるけど。

 

「いやいやいや。ないよ」

 

「それに、烏間先生の方も下の名前で呼んでたよね」

 

「烏間先生はビッチ先生のこともイリーナって読んでるから」

 

「あのねえ、渚ちゃん。外国人の下の名前ってなんか呼びやすいし、呼ぶのも分かるじゃない。でも、日本人女性の下の名前を呼ぶってかなり違うよ?」

 

 それは確かに。ぼくは苗字で呼んでほしくない事情があるから名前呼びが当たり前だけど、他の人からしたら仲の良い人たちしかしないものなのだろう。

 

「あーもやもやする!」

 

「私も。ちょっと私たちなゆせんせーに直撃してくるね。渚ちゃんたちは烏間先生が来ないように見張っていて」

 

 矢田さんがテキパキと指示をし、ぼくたちは頷きあった。ぼくと茅野はドアの前で倉橋さんたちが名雪先生の方に歩いていくのを見守る。名雪先生は倉橋さんたちに気がつくと、耳につけていたイヤホンを外し、優しそうな笑顔を浮かべた。

 

「倉橋さん。矢田さん」

 

「なーゆせんせ! ごめん、お昼休みの邪魔しちゃったかな?」

 

「いえ、音楽を聞いていただけなので大丈夫ですよ。勉強の質問ですか?」

 

 名雪先生が机の上のお弁当を片付けながら、ペンの準備をする。矢田さんは倉橋さんに目配せして、倉橋さんが頷いた。

 

「ねーねー、先生って烏間先生のことどう思ってるの?」

 

 ちょっ、倉橋さんど直球! 

 

「惟臣先生? ああ、かっこいいですよね。防衛省に勤めているエリートって優良物件ですし、真面目なので浮気しなさそうなところも高ポイントです。付き合ってる人がいなさそうなので、ガンガンアピールしてますけど、気がついちゃいましたか」

 

 思ってたよりガチな返答が来てしまったからだろうか。名雪先生の言葉に矢田さんの目尻が引きつっている。狙っているかも、どころではなかった。完全に獲物を狙うハンターの発言だった。

 

「……なゆせんせー肉食だね〜」

 

 倉橋さんが呆気にとられた様子で呟く。彼女も名雪先生がこういう答えを返してくるとは想像していなかったのだろう。ぼくも全く予測していなかった。

 倉橋さんにこういう返しをするんだ。強いなあ。

 

「こそこそ隠れて何してるんだ」

 

 ドアをピシャリと閉めて隠す。噂の当人だ。

 

「烏間先生」

 

 見つかった。覗くのに夢中で後ろをよく確認していなかったせいだ。

 烏間先生にはいまだに怪しまれているからなあ。この前はかなり強引な方法で解決しようとしたし。ここは正直に質問したいことを聞いて、ぼくが普通の女の子みたいにゴシップ好きだとアピールしないと。

 

「烏間先生に質問があったんです。名雪先生のこと、どう思っていますか?」

 

 茅野がぼくに対して、言っちゃうんだと苦笑いしている。烏間先生は少し面食らったような顔をしたが、スラスラと返事が返ってきた。

 

「注意力散漫なところが見受けられるが、奴やイリーナに比べたらずっと常識人だな。口が堅くて助かった。何故そんなことを聞く」

 

 当たり前だが、同僚目線の回答が返ってきた。烏間先生も鈍いから、裏で生徒に噂されているとは思っていないのだろう。

 

「気になったりしないんですか?」

 

 少し茶化すと、烏間先生はふうと息を吐く。

 

「奴を殺す戦力になりえるのかは気になるがそれぐらいだ。変な想像をすると今日の訓練を3倍増しにするぞ」

 

「「すみませんでした」」

 

 凄んで見せてはいるが、どこか安心しているようだった。まだぼくのことを少し怪しんでいるのだろう。

 

「かわいい生徒たちじゃないですか。そんなに怒ってはいけませんよ?」

 

 クスクス笑いながら、名雪先生が可愛らしく注意した。

 ドアの前での話は聞こえていたようで、倉橋さんと矢田さんがこっちを見て口パクで失敗したことを伝えている。烏間先生はと言うと、名雪先生の言い方にどう返すか迷っているようだった。ビッチ先生とは違うノリに戸惑っているのだ。いつの間にかビッチ先生に毒されていたらしい。

 

「すまない」

 

「殺せんせーを殺す戦力、ですか……」

 

 名雪先生は人差し指を顎に当てて、考え込むような仕草をしている。考え事をやめると、彼女は寂しそうに微笑んだ。

 

「私の家族は殺し屋に殺されました」

 

 それはあまりに突然の告白で、烏間先生だけでなく、茅野まで唖然とした顔で名雪先生を見つめた。

 

「え……」

 

「だから、私は人間でも、超生物でも、賞金のためであれ、人を殺すことは無理です。お役にたてなくてすみません。暗殺には加われません」

 

 本心から出た言葉だった。ぼくは名雪先生の表情をじっと見つめた。

 

「もともと生徒たちの教育のために雇った教師だ。そこは気にしなくていい」

 

 烏間先生は思ったよりずっと優しい言葉を投げかけた。

 

「本当にすみません。でも、教師としてみなさんの役に立てるよう頑張るので、これからもよろしくお願いしますね、惟臣先生」

 

「こちらこそ、頼りにしている」

 

 烏間先生がその場から離れると、名雪先生はぼくたちの方を向いて内緒話をするように手を口に当ててこそっと打ち明ける。

 

「あ、名前呼びは本人に頼みました。雫って名前、結構気に入っているんです。皆さんのあだ名も好きですけどね!」

 

 ウインクしてその場を立ち去る先生はとてもかっこ良く見えた。

 

「なんか悪いこと聞いちゃったね……」

 

「なゆせんせーにそんな過去があったなんて意外かも」

 

「そっか~やっぱり本人に頼んだ方がいいよね!」

 

 一人倉橋さんだけは全く別のことについて考え込む。あまりに深刻そうなので、心配していると彼女の瞳がぼくを向いた。

 

「あのね、渚ちゃんが良ければなんだけど……私たちのこと名前で呼んでほしいの!」

 

「え、ぼくに?」

 

「だって渚ちゃん、仲良くなってもさん付けで距離感じるんだもん。みんなは渚ちゃんって呼んでるのに、こっちはさん付けなんて不公平だよ~。カエデちゃんのことも前は名前呼びしてたのにまた戻ってるし」

 

「あ……ごめん茅野」

 

「私は気にしてない……って言ったら嘘になるけど……大丈夫! うん」

 

 茅野が自分に言い聞かせるように言った。心なしか表情が無になっている。

 

 それはめっちゃ気にしている人の態度だよ。茅野の名前呼びはなんとなく気恥ずかしくて、記憶が戻ってすぐに止めたんだっけ。

 

「カエデと陽菜乃?」

 

 茅野と倉橋さんが目をキラキラさせて何度も頷いている。矢田さんがまさか忘れていないよねと圧をかけた笑みを浮かべた。

 

「渚ちゃん私は?」

 

「桃花」

 

「うんうん」

 

 満足そうな3人を前に、顔が真っ赤になっていく。呼んでいるこっちのが恥ずかしい。

 

「やっぱり烏間先生って誰とも付き合わなそうだよね。イリーナ先生も望み薄かな~」

 

 夏休みにE組がした努力も虚しく、烏間先生とビッチ先生の距離は一向に縮まらない。ぼくたちは嘆く一方だった。

 

「付き合うならイリーナ先生にしてほしいけどね~。ビッチ先生なら許せるかなぁ、ギリギリ」

 

「それあんまり許してないんじゃ」

 

「弟子たちが集まって何話してるのかしら?」

 

 ビッチ先生が颯爽と現れた。昼休みに登校するなんて完全に遅刻だが、彼女に遅刻がいけないという概念はないようだ。

 

「イリーナ先生! あのね」

 

「だめだよ、陽菜乃。これは言わない方がいいって」

 

「名雪先生は烏間先生のことが好きなのですねぇ~。三角関係! これは小説のネタに使えそうですねぇ~ヌルフフフフフ」

 

 ビッチ先生の横で殺せんせーがニヤニヤしながら、メモ帳にペンを走らせる。ぼくたちはビッチ先生の表情を恐る恐る盗み見る。

 

「……そう。シズク、烏間が好きなのね」

 

 寂しそうな微笑だった。彼女の波長は諦めの色に染まっていて、既に勝負を降りようとしているのが分かった。一般的な女性から逸れた生き方をしているビッチ先生は名雪先生には勝てないと思ってしまったのだろう。

 

「殺せんせー、空気読まなすぎ!」

 

「ほんとだよ〜。ビッチ先生のが可能性あるのに。なゆせんせーには絶対負けないもん」

 

 倉橋さんと矢田さんがぷんすか怒っているのに対して、ビッチ先生は感動

 

「あんたたち……私はいい弟子を持ったわ」

 

「烏間先生は堅物だから釣られないけど、イリーナ先生のが胸大きいし」

 

「そうそう。烏間先生は釣られないけど、ハニートラップも上手いもんね!」

 

「「あれ?」」

 

 倉橋さんと矢田さんは言っていて気づいてしまったようで、2人で微妙な顔をする。2人の横でビッチ先生は拳を強く握りしめた。ぷるぷる震えている。

 

「烏間に効かないなら意味ないじゃない!」

 

 そう。あの烏間先生には巨乳もハニートラップも効いているか怪しい。ビッチ先生のアドバンテージは一気に消えていった。

 

「ちょっとそこの超生物。2人がどんな様子だったか教えなさいよ」

 

「にゅやっ! イリーナ先生顔怖いですよ!」

 

「何ですって?!」

 

「あはは……ぼく本校舎行ってくる」

 

「私教室行ってるね」

 

 ぼくとカエデが示し合わせて一目散にその場を去る。触らぬ神に祟りなしだ。旧校舎を出て、裏山の方に向かう。

 さて。制服が破けない程度にフリーランニングの練習でもするか。靴だけ運動靴に変えてと。

 ストレッチをしながら、本校舎までの最短ルートを頭に思い浮かべる。しばらくの間フリーランニングの練習をしていなかったからか、体が鈍ってしまったようだ。

 勢いよく踏み出して、木に飛び移り、そこから崖を飛び越える。本当は制服でフリーランニングの練習をするのは禁止されているのだが、見つからなければ大丈夫だろう。

 

「いつもこんな練習しているんですか?」

 

 背後から声が聞こえて、ぼくは足を止めた。振り返ると、名雪雫がニコニコ顔で立っている。声をかけられるまで、気配に気づかなかった。

 でも何でここにいるんだろう。追いかけて来たのかな。

 そうだ。今なら。

 

「何か聞きたそうだね」

 

 先生は表情を読んで、ぼくに質問させるように誘導する。

 

「先生、こんな所で聞くのも何なんですけど」

 

「大丈夫だよ。周りには誰もいないから」

 

 彼女の言う通り、辺りには人の影すら見えなかった。あの素早い殺せんせーも、ビッチ先生に追いかけ回されているはずだからここにはいない。人がいない所で大事な話をするのは当たり前のことだ。殺せんせーの前で少し油断したけど、今度からは2度とああいう失敗はしない。

 でも大丈夫かな。殺せんせーは聡いから、ぼくの言おうとしていた言葉に気づいたかもしれない。

 それはまずいな。

 

 彼女に聞こうとしていたことは違うことだったのに、考え事をしていたからか、ぼくの口からは全く違う台詞が出た。

 

死神(せんせい)って女の人だったんですね」

 

 目の前の死神はぼくの言葉に不敵な笑みを浮かべた。

 




原作からの変更点

・律が持ち主に一時返却される
・狭間さんの腕に包帯が
・烏間先生を狙う婚活女子
・死神の性別

まとめきれなくて盛り込みました。本当はコードネーム回まで進んでいるはずだったはずなのに、何故かなゆせんせーメイン回になっていた謎。名雪雫はスノードロップという花の名前から付けました。久しぶりに書いたら多機能フォームがすごく便利になっていて驚きました。1年ぶりなことにもっと驚きました。お待たせしました。

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